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18:Not Give a Shit
時間的猶予のない状況にあって怪盗団の参謀が提案したのは二正面作戦だった。部隊を二つに分け、一方をオタカラの奪取に、もう一方をゴーストの確保にあてようというのだ。
どちらかでも成功すればそれで済むのだから人員は均等に分けるべきかとも意見があがったが、遂行における難易度を鑑みるとどうしたってシャドウとの遭遇率が高いオタカラ側へ手勢を回したほうがいいと話はまとまった。
この際、モルガナの合流を待ってはいられない。彼に関してはパレスに入ってすぐのところにメッセージを残すこととして、怪盗たちは二つに分かれた。
このうちゴーストの確保を任されたジョーカーはパレスの中心部である塔へ急ぐ面々を見送って足元の灰を踏み散らしている。これ自体に意味はなく、彼の視線は傍らでネクロノミコンに身を預けて浮かぶナビのほうに向けられていた。
そのナビがしているのは広域に渡る走査だ。ゴーストの身柄確保にはまず彼の位置を特定せねば始まらない。ナビはこのために真っ先にこちらへ割り振られていた。
一方でジョーカーがこちらに配されたのは単騎でも他のメンバー数人分の働きが可能な戦力を彼が有しているからだが、真実彼に期待されているのは弁舌のほうが強い。どうにかして説得して、彼を納得させた上で帰してほしい。それが仲間たちの無言の要求だった。
彼のほうもそのつもりではあった。力づくで無理矢理引っ張って連れ帰ったところで問題の解決には繋がらない。
『……あっ!』
物思いに耽るジョーカーを現実に引き戻したのはナビの喜びとも驚きともつかない短い発声だった。彼女はただちに半身を消すと地に足をつけ、片方の手で彼の袖をつまみ、もう一方で彼方を指した。
そこにあるのは荒廃した風景の中にあってなお直立する赤い鉄塔だ。
「そういえば、あっちは観光してないな」
「いったことないの?」
「いや、修学旅行でいった。小学生のとき」
ナビは関心もなさそうにふーんと返して、つまんだままの袖を強く引っ張った。
「はあそこだ。高度からして、たぶん、トップデッキあたり」
急ごう。彼がその気になれば、またすぐに行方をくらまされてしまう。
早口気味になって訴える彼女に従って、ジョーカーもまた足早にその場を立ち去った。
たどり着くまでの道のりは平坦とは到底呼べないものだった。これはシャドウとの交戦が複数あったからとか、入り組んだダンジョンが待ち受けていただとか、一種ゲーム的な困難が待ち受けていたという意味ではない。
極めて単純な意味で、道は平坦ではなかった。崩れた建物の残骸や鉄くず同然の車両、折れた標識や砕けたガラスと玉砂利、その上に積もって物理的危険物を覆い隠す灰……これらは的確に二人の足を引っかけ、滑らせて、一歩間違えばシャドウと相まみえたわけでもないのに大怪我をするところだった。
辿った道程自体はほぼ直進だったはずだが、二人はやたらと疲弊して赤い鉄塔の足元にたどり着いた。
じゃあと言って彼らが知るより風通しの良くなった塔内部の足元が安全かといえば、そんなことはなかった。
「おっと……」
インフォメーションデスクの残骸を通り過ぎ、エレベーターが使えるかもという儚い望みに縋って歩を進めたジョーカーは、足首に妙な抵抗感を覚えて立ち止まった。すると意識を広域に巡らせていたナビはその背に強かに鼻をぶつけてしまう。
「いたぁ……急に止まるなよー……」
「ごめん。足になにか引っかかって―――」
いったい何がと二人は揃って彼の足元に目を向けた。
そこには崩落した天井がつくる小山から伸びる濃い影が澱んでいる。わずかな空気の動きによって舞う埃や灰が弱々しい陽光をはね返す輝き以外に、原子の動きを教えるものはない。
ではなにが彼の足を絡め取ったのだろうかと目を凝らそうとすると、耳にかすかに小さな物音が触れた。彼らは再び、何がと音のしたほうへ目を向ける。
発生源はごく近くにあって、二人はすぐに音の正体を悟った。
毒々しい赤のランプを瞬かせるそれはもはや飽きるほど見た『爆発する首輪』だった。ただしそこにあるはずの奴隷の姿はなく、また輪から少し離れたところにワイヤーが結ばれたピンが転がっている―――
「冗談だろ、……!」
恨みがましく吐き捨てるが早いかジョーカーはナビを抱えてその場を脱し、手近な遮蔽物……つまり崩落物の陰に飛び込んだ。
と同時に小規模な爆発が起こる。舞い上げられた粉塵が二人の視界と気管支を一時塞いだ。
「げほっ、ごほっ……のやつぅ……」
「大丈夫か?」
「だいじょうぶではある。口になんか入った以外は」
「ぺっ、しなさい。ぺっ」
犬みたいにいうな、とへそを曲げつつもナビは舌を突き出した。それをさらにお行儀が悪いと咎めようとするも、ナビにとって喜ばしいことにジョーカーの関心はすぐに爆心地に残されたものに向かった。
そこに転がっているのはやはり首輪だ。ただしもうランプの明滅はなく、一部は破裂してひしゃげ、全体をすすで黒く汚している。ジョーカーはそれを拾い上げてしげしげと眺めていたが、一〇秒も経たぬうちに飽きたのか、焦げた輪っかをナビの両手に放り込んだ。
「ふーむ……いちおう、威力が抑えられてはいるみたいだな」
「嬉しい?」
「ぜんぜん」
「同感だ」
威力が抑えられているということは即ち、これが対シャドウのトラップではないということになる。ここに至るまでのすべての戦闘においてゴーストがシャドウへの攻撃をためらうそぶりなかったことも加味して考えれば、これはジョーカーたちの追跡を躱すためのものと断じていいだろう。
この場合の威力への細工の目的は慈悲ではなく抑止だ。一人か二人が負傷すれば、必然その治癒のために他のメンバーはその場に足を止めなければならない。あるいは現状こちらにやってきているのはジョーカーとナビの二名のみだが、フルメンバーであれば隊を二分する可能性もある。
『……サーチ完了だ。イヤらしい配置しやがって』
再び半身に身を委ねたナビが忌々しげにもらした。ジョーカーの眼にも、今やあちこちの暗がりに、とみに上方に繋がる階段やエスカレーター付近を中心に張り巡らされたワイヤーが映っている。
なんにせよそれらはいずれも効果的であると言えた。モルガナの現在地が正確に把握できているわけではないが、はじめに想定したタイムリミットまではもう一〇分もない。
「全部解除していく余裕はないな」
『あいつのことだから、それも計算してるんだとおもうよ』
大した信頼ぶりだなとからかおうとしてジョーカーは口を噤んだ。ナビの声が焦りと悲嘆によって揺れていたからだ。
友人に裏切られたと思っているわけではないだろう。ノワールがそうであったようにナビもまた、頼りにしてくれなかった事に対する逆恨みめいた感情と、そうさせた己の不明を恥じ入る気持ちとで揺れている。
そんなものは単なる思い過ごしだと言うこと自体は簡単だ。何故ならそれは事実であり、ジョーカーたちに怠慢や落ち度は一切―――おおむね―――ほとんど―――ない。ゼロと言い切る勇気がこの少年にはまだ少し不足していた。
いずれにせよ、ゴーストがなにを思って単身パレスに侵入し、罠を張って怪盗たちを足止めまでしてなにを為そうとしているのかは今のところ解らない。
―――それも直接問いただせばいいだけの話だ。
ぴょんと身軽に降り立ったナビの丸い頭をジョーカーは軽く叩いた。
するとそこにスイッチでも付いているのか、ナビはすぐに気持ちを切り替えて顔をあげる。
「ジョーカー、先にいって」
意外な提案でもなかった。荒れ果てていようが空中を浮遊できていた屋外であればいざしらず、高さも幅も制限のある屋内ではナビとその半身の動きは大きく制限されてしまう。罠の解除を諦めてひた走るだけとなれば、当然ジョーカー単身で行ったほうがずっと速い。
「いいのか?」
「いい。わたしはエレベーターシャフトの中を飛んでく。そこならトラップの仕掛けようがないからな」
提案にジョーカーはここで意見を衝突させる時間も惜しいとすぐに頷いて返した。
ただし彼は「でも」と制限を付ける。
「危険になったらすぐ反転だ。こっちのことは気にしなくていい」
ナビは一瞬不服そうに口を尖らせたが、彼女もやはり時間的猶予はもはや無いと判じたのだろう、反論することなくすぐに頷いてみせた。
二人の判断は決して間違ってはいなかった。
というのも、別れて数分もしないうちにモルガナが予告状を届けたのか別働隊の動きを察知されたのか、パレスの中心である塔とその周辺がにわかに騒がしくなり、照空灯の強い光が幾本もの筋を描いて曇天と塔そのものを照らし出したからだ。
このためナビはそちらの支援に多くリソースを割かねばならず、彼女の歩み、あるいは上昇はエレベーターシャフトの内部で完全に停止してしまう。この際彼女はほんの数分ジョーカーから完全に意識を逸らした。別働隊を追いかけ回すミサイルは先日の比ではなかったからだ。
そのジョーカーは何度か疲労以外の心的要因に速度を緩ませたが、結局はそのまま上を目指した。
ただ彼は何度か、
「本当に大丈夫か? ほんとに? 本気で? ねえ?」としつこく進捗状況を確認してこれを仲介するナビと別働隊にうっとうしがられた。
それらすべての音と光を、ゴーストははるか高みから見下ろして知覚していた。
今も眼下には灰でけぶる宙を裂く光の筋があり、耳には幾度か続いた爆音の残響が残っている。かすかに届く断続的に続くかん高い音は―――音からして一人、硬い足音はヒールによるものだろうが、それにしては重いから女子じゃない―――誰かの足音だろう。それもずいぶん前に途絶えて気配すら感じられない。つまりここに向かってきているのは……
そこまで考えて、彼は思考を切り捨てると肉体に直結した大型ライフルのスコープを覗き込んだ。
その先、網目の入った球果状の塔―――一人の男の人生を記念するモニュメントの頂上部、周辺の荒廃ぶりとはかけ離れた鮮やかな庭園には苛立ちもあらわに忙しなく動き回る男と、護衛らしいシャドウらの姿がある。
ゴーストの指は引き金にかかり、男が動きを止める瞬間を待ち構えていた。ゆっくりと大きく息を吸い、呼気も細く静かに、長く吐き出すのをくり返すのはどのタイミングで息を止める瞬間が訪れてもよいようにするためだ。
そこに言語的な思考はなく、ただ眼と指を直接つなぎ合わせた感覚だけが残されている。それはまるでシーケンス制御された機械か、昆虫の類いが持つ神経節を彼……あるいは彼の半身が有しているかのようだった。
それらはまた表皮に触れる空気のわずかな動きによって視覚外のものの動きをある程度把握している。
にもかかわらずジョーカーはその背後に現れて、彼の後頭部に銃口を突きつけていた。
ゴーストの驚きは薄かった。足音からして向かってきているのが彼であることは察知できていたし、接近を許したのはスコープ越しに視える男が一旦の落ち着きを取り戻しつつあって、あともう二、三歩で壁の後ろから身体を出すはずだったからだ。
あとちょっとだったのに、間に合わなかったかとゴーストは苦々しく笑い、少ししゃくり気味に気取って言ってみせた。
「撃たせろよ」
ジョーカーは彼のふざけた態度に一瞬面食らったようにまばたきをくり返していたが、やがて呆れつつもそれに乗ってやった。
「ダメ」
短く告げて銃口をさらに押し出し、頬を軽く叩いてやるとゴーストはいかにもおかしそうに笑う。その手が完全に引き金から離れたのを見てジョーカーもまた銃を下げた。
彼が一歩下がると、ゴーストは身体ごとふり返って遠くに見える塔に背を向ける。その目元こそバイザーで隠されているが、口もとにはジョーカーが想像していたよりもずっと穏やかな笑みが湛えられていた。
そのことにホッと息をつくと、ゴーストは今度こそいつもの調子で彼に語りかけた。
「思ってたよりずっと早かったな。一人か?」
「そんなところだ」
「イエスとは言わないんだ。モナかナビが控えてるってところとみた」
「おしい。ちょっと正解」
「ふーん?」
「みんな来てる……のは見りゃわかるか」
「まあね」
苦笑したゴーストの視線が強化ガラスさえ砕けて枠だけとなったむこうへ投げられる。ジョーカーの目も自然とそちらへ向かった。
あちらの塔の様子は相変わらずだった。ビームのように伸びるサーチライトの光とそれに照らし出されるヘリとミサイル。パレスの中でなければ何事かと度肝を抜かれるような光景が繰り広げられている。
そこに彼の仲間たちがいることはゴーストも把握していた。
彼はすぐにまたジョーカーに視線を戻すと、どこか諦観めいたものを臭わせつつ言う。
「いま余計な嫌疑をかけられるわけにはいかないってとこなら心配しなくていいよ」
思いもよらない発言にジョーカーは仮面の下で眉をひそめた。
「俺、これを終えたら自首するつもりだからさ」
お前らのことも黙っとくからと告げる声はやはり穏やかだ。反面、グリップを握る手には再び力が籠められる。
ジョーカーはすぐに首を左右に振った。
「無駄だ」
「なんでよ」
「予告状はもう受け取られた」
今度はゴーストが怪訝そうにする版だった。
「え、なんで?」
「お前にやらせないために決まってるだろ」
呆れた調子で言ってやると、ゴーストはまばたき二度の間をおいて「あー」と間抜けな声を上げた。
「あー、あー、なるほど。いい手だな。俺がやるより先にオタカラを盗めばパレスが崩壊して殺せなくなる」
「そういうこと」
深く頷いてみせるジョーカーの前で、彼は再びまばたき二度の間を置いて「あー」と間の抜けた声を、今度は低く押し出すような調子で漏らす。
「……だけどそれじゃあ、怪盗団名義の予告状が出ちゃったら、俺がやっても容疑はお前らに向けられることになるな」
ジョーカーは再び、深く頷いた。下手を打てばゴーストにとってもジョーカーにとっても、いわんや他の面々にも、誰にとっても不幸な結果になりかねない、と。
それを思ってか、続いた間は先より長かった。
「それも狙ってる?」
ミラー加工されたシールドの下から目上げてくる視線を感じて、ジョーカーは軽く肩をすくめた。そう大して長い付き合いでもないが、目の前のこの少年が自らの行いの結果を彼らに押し付ける―――『怪盗団に罪を着せる』ことを良しとしないと彼はよく理解していた。だからこそモルガナに真っ先に喜多川の元へ向かわせ、予告状を最優先とさせたわけだが、
「さあ?」とその上で空とぼけてみせる。するとゴーストはいかにも不満そうに口をへの字に歪めた。
双葉が不安げに『と連絡が取れない』と訴え、それに嫌な予感を覚えた時点でジョーカーが講じた策は幾つかあるが、この少年の情に厚い一面を利用するのもそのうちの一つではあった。残りは二つあって、一つは今まさに別働隊が遂行中だ。
最後の一つはできればこんな場面で使いたくはないと彼はゴーストの反応を窺った。
少年は消沈した様子で俯いていたが、やがてなにかを決意したように顔を上げると苦々しくそれを吐き出した。
「じゃあ、俺が自首するついでにこれまでのお前らの容疑も引き受けるよ」
彼もまた困惑しているのだろう。突飛に過ぎる発案にジョーカーは目を細めた。
「……面白い提案だな」
「だろ。だから、ここは引いてほしい」
「駄目」
遮る物の少ないトップデッキに冷え冷えとした声がよく響いた。
ゴーストはますます困惑を強めて言う。
「なんで? そっちには得しかないだろ?」
「だからだよ、バカ」
「ば……」
不満げに口を閉ざす彼を冷ややかな眼で眺めて、ジョーカーは長く息を吐いた。
ゴーストの提案はほとんど意味をなさない。何故なら怪盗団を追い詰めたがっている存在はすでに彼らの正体を掴み、脅しめいた……実質脅迫そのものの交渉を進めている。もしも彼が宣言どおりに出頭したとして、おそらくむこうは相手にさえすまい。却ってまともに対応されたほうが怪盗団にとっては都合が悪いことになりそうですらある。
とはいえ、ジョーカーを筆頭に怪盗たちはその事実を彼に伝えていない。これは悪意からではなく怪盗団の厄介事に巻き込むまいとしてのことで、ゴーストのほうも己の身上が落ち着くまでは余計な気苦労をかけさせまいと口を噤んでいた。
つまり、双方の気遣いがこのトンチンカンでかみ合わない場面を作り出しているというわけだ。
どうしたものかとジョーカーは指先を前髪に触れさせる。
想像していたよりゴーストの状態は落ち着いている。ならば策を弄するより真摯に向き合うべきだと彼は自らと仲間たちの現状を正直に告げてやった。
「……伝えていなかったこちらの落ち度だけど、お前の提案は意味がないんだ。公にはされてないけどもう俺たちの正体は掴まれていて、今月中には強制捜査が入る予定なんだよ」
「マジかよ」
ゴーストの反応は単純で短かいものだったが、深い驚嘆がありありと刻まれていた。
頷いてジョーカーは続ける。
「だからお前が自首したところで意味はない。捜査への対処ももう講じてある。無駄なことはするな」
厳しい言葉の裏にただ『一緒に帰ろう』という意思を籠めてみせた彼に、しかしゴーストはすぐには肯しなかった。
彼は力なく視線を床に落として、ジョーカーの言葉を反芻している。
「そうか。これも『意味はない』んだな。俺はまた『無駄なこと』をしそうになったんだ」
「?」
呼びかけに彼は顔を上げた。
「じゃあ意味のあることってなんだ? 」
どことなく哲学めいた問いかけにジョーカーは仮面の下で片眉だけをひそめる。
―――意味のあることと言われても、そんなものはその人の立場と状況次第だ。例えば今この場、の視点に立って考えると……
「……双葉に謝ることかな」
「フタバに?」
「心配してる」
ゴーストはなるほど、と首を縦に振った。
「そうか。それは一理あるな。さすがジョーカーだ」
「一だけか?」
「百くらいはあるかも」
ゴーストの肩から完全に力が抜け、銃口は床についた。眼に見えて戦意が失われたその姿にもはや暴走の気配は見当たらない。
ジョーカーは彼に手を差し伸べて口を開いた。
「さあ、オタカラをもらって帰ろう。きっと―――」
彼は気が急いていた。その自覚さえないのは、目の前の友人のことももちろん遠くで攻撃に晒されっぱなしの仲間たちの窮状もあって、思考面におけるワークスペースをすっかり使い切っているせいだった。罠に気を割きながら階段を数百段も駆け上がった肉体的疲労も少なからず影響を及ぼしている。
そのせいで彼は、そもそもどうしてがこんなことをやらかしたのかという訳をすっかり聞きそびれてしまっていた。
また彼がここまでの道を無傷で駆け抜けてこれたのはその優れた五感が仕掛けられたトラップの尽くを見つけ出したからだ。いずれも巧妙に隠されていたが、それらは決して不可視の存在などではなかった。
「親父さんも心配してる」
彼は眼にうつらない地雷を勢いよく踏み抜いた。
差し出された手を掴もうと伸ばしかけたゴーストの手は中途半端な位置で止まり、やがてゆっくりと引き戻される。
「……?」
「親父が……」
緩んでいたはずの口もとは再び食いしばられ、隙間からは不明瞭なうめき声が漏れ出ている。
「どうした?」
声をかけるのと同時にジョーカーの視界からゴーストの姿がかき消える。例の特殊能力を用いて逃れたというわけではなくただ素早く身を屈めて死角に入り込んだというだけだったが、予備動作もほとんどないそれはジョーカーを驚かすのに充分だった。
「なに―――」
驚愕の声を漏らすひまこそあれ受け身を取る余裕はなく、身を屈めさせたゴーストに足払いをかけられたのだと悟るころには彼は天井とにらみ合っていた。
「ごめん、少しそこで寝ててくれ」
強打した後頭部の鈍痛を認識するより先にジョーカーの身体が床に沈みはじめる。その腹にはゴーストの手が彼を影の中に押し込もうと押し付けられていた。
半ば沈みかけたところで離される手にジョーカーの背をゾッと駆け上がるものがあった。先日『引っかかった』ときは能力の持ち主であるところのゴーストと接触していたが、それが離されてどうなるのか―――いしのなかにいる、あるいはフィラデルフィア計画という文言が少年の脳裏を過ぎったが、幸いなことにその腕や足が床と一体化したり切断されることはなかった。どうやらただ埋め込まれただけあるらしく、圧迫感はあるが痛みや違和感の類は訪れなかった。
ジョーカーにとっての恐怖はゴーストがそれを承知で行ったのか、あるいは身動きが取れないのであればどうなっても良いと見ているのかが判然としないところだ。耳にうるさいほど激しく打ち始めた心臓の鼓動を耳に、ジョーカーはゴーストを驚嘆の眼差しでもって見つめていた。
「なにを考えてる?」
ゆっくりと立ち上がった彼は抑揚を抑えた声でもって答える。
「復讐、かなぁ……」
明確な単語を打ち出すわりに言葉自体は曖昧なそれに、ジョーカーはあ然とする他なかった。
「改心じゃ物足りないって言いたいのか?」
さらなる問いかけにゴーストは答えない。彼はただ黙って友人に背を向け、再び銃口を外へ突き出した。
「やめろ! 話を聞け! そんなことをしてなんになる!」
身動きの取れない身体を芋虫のように悶えさせながら訴えてみたところで効果はみられない。
どうせなら埋めるのでなく気を失わせるまでして欲しかったとジョーカーは忌々しく思う。眼の開いた状況で過ちを犯されることほど嫌なものはない、と。
もちろん彼はただ座して……寝そべって事が為されるのを見守るつもりなんてなかった。それなら双葉の要請を無視して屋根裏部屋に留まったほうがまだ寝心地は良かったはずだ。少なくともあの部屋には粗末ながらもベッドがある。
ゴーストの背が蒼い炎に照らされ、ちぎれた鎖の影がその上を這った。
「……!」
怒りとも失望ともつかない感情の奔流ととも現れたのは巨体の上に象の頭を乗せた異国の神だ。太い腕が大ぶりな曲刀を振るうと床は基底部ごと斬り裂かれ、その破片とともにジョーカーは膝射の姿勢を取る背に飛びかかった。
肩口から勢いよくぶち当たるとさしものゴーストも体勢を崩し、二人は頭から砕けたガラスの破片の上にもろともになって転がった。
派手な音こそするが仮面のおかげか、二人には傷一つない。ただ頭髪の隠れていないジョーカーのほうは、その癖のある前髪に小さく砕かれた破片が絡んでしまっている。
それも動きを阻害するほどのものでもない。彼は身を起こすより先にゴーストの腰に足を絡め、彼が起き上がろうとするのをせき止めた。
「うっ……! ジョーカー、邪魔してくれんなよ!」
「しない理由のほうがないだろ」
馬鹿野郎、と叱りつけることに意味も効果も見出だせなかったが、少なくともゴーストはすぐには動けずにいる。
ジョーカーはうつ伏せの姿勢から両手を突っ張り、素早く身を起こして彼に馬乗りになった。
「悪いな。少し大人しくしててくれ」
その背後にはまた、蒼い炎とともに新たな影が浮き上がる。それは美しく着飾った妖精の女王で、細い喉首からは耳慣れない言葉による甘やかな歌が溢れ、少年の耳をくすぐった。
途端に彼の思考は霞がかり、肉体からは力が抜け落ちる。
「蓮、やめろ……こんなこと……お前だって……」
「話は後でいくらでも聞いてやる」
首根っこを押さえてなおゴーストは身をよじって抵抗の意志を垣間見せたが、体重をかけてやると呻いて動きを止める。どうやら強烈な睡魔にいよいよ抗えなくなったとみて、ジョーカーは安堵の吐息とともに顔を上げた。
視線の先、もう一つの塔の周りはまだ騒がしい。ナビは言いつけ通りにこちらを気にせずむこうに注力しているからかジョーカーには彼女を介した通信すら寄越されず、別働隊の状況を正確に把握する術はない。今のところ目立った被害はなさそうだが、なるべく早く駆けつけてやったほうがいいだろう。
―――問題はいかにも重そうな野郎を一人抱えていかなきゃならないってことか。
ふっと苦みばしった笑みを浮かべた彼の下から、くぐもった声とかすかな金属音が鳴り響いた。
「……後じゃ意味がないんだ……」
ハッとして視線を下げると同時に、ジョーカーの膝に硬い物が押し当てられる。
うつ伏せになったゴーストの身体の下から拳が覗いていた。左腕はジョーカーの足と彼自身の背に挟まれているから、どうやら右手を身体の下に回して突き出しているらしい。
器用な真似をするものだと感心することはできなかった。その手に握られた鈍く輝く超大型オートマチックに見覚えがあったからだ。
当然それはモデルガンかエアガンなのだろうが、そうであっても限定モデルじゃないかとか、どこで手に入れたんだと尋ねる暇も羨ましがる隙もなく耳をつんざくような発砲音が精巧なガスブローバックガンから発せられた。
……
轟いた銃声にナビは空中で身を竦ませていた。
音からして大型の拳銃だがジョーカーのものではない。シャドウが上層階に出現したのかといえば、ここまでの攻略時に確認できた警備員型のシャドウらの装備はいずれも突撃銃を構えていたし、腰に下げられていたサイドアームはすべて一〇ミリ拳銃だった。なによりシャドウの存在を常に感知するため、サーチを短い間隔で自動的に行うようナビ自らの能力内でマクロを組んで実行させている。そこにシャドウの反応がかかった痕跡はない。
翻ってそこにいるはずのもう一人の少年の行動を見れば、ここまで彼が拳銃を使用した記憶は無い。しかし持ち込むこと自体は容易なのだからあっても不思議ではないだろう。
であれば今の銃声は、『ゴーストがジョーカーにむけて発砲した』ということか。
結論付けてナビは青ざめた。彼女の耳にはまだ苦戦する別働隊の慌しいやりとりが届いている。
(なんでだ? 、なんでこんなこと……なんでわたしにひと言、相談でも愚痴でも、きかせてくれなかったの?)
ナビは絶え間なく手を動かし続けながら歯を噛み、届くはずもない問いかけをぐっと呑み込んだ。なんとなればそれは、張本人以外に答えることはできない類の問いだからだ。
クイーンは先にスカルとパンサー……坂本と高巻であれば悟られまいと思われていたんだろうと揶揄する形で吐き捨てたが、実際にはそこまで二人を侮るつもりはゴーストにもないだろう。二人の直感や共感という知性以外の能力が怪盗団において、いわんやそれ以外の枠組みの中でも抜きんでていることは、少しともに行動すればわかることだ。
その上でなお二人が選ばれたのは単なる消去法に近いとナビは汲んでいる。
ジョーカーに告げれば、あやふやな意志が明確な形を得る前に籠絡されるのがオチだ。フォックスであれば、彼の美学に沿わないなんて極めて私的な理由で徹底的に糾弾された挙句阻止されるだろう。クイーンならばよくて鉄拳制裁、悪ければ淡々と理性的な説得という名の説教を数時間に渡って与えられるに違いない。ましてノワールなどは最も恐ろしい、泣き落としというこの世で最大の威力をもつ武器を突きつけられていたはずだ。
その点スカルとパンサーは比較的良心的だった。少しの考える時間を彼に与えた。
客観的に見れば二人の手心は有益でしかない。怪盗団の把握していないきっかけさえなければ、彼は仲間の存在によって矛を収めていたはずだったからだ。
またそうさせたのは他でもない双葉の言葉なのだが、彼女自身はそれを意識していないどころか、すっかり端に追いやってしまっている。
それ故に生じた煩悶に苦しめられながら、やがて彼女は自らの意識を二つに引き裂いた。
肉体を浮遊する飛行物体から吐き出させ、ぎくしゃくとした動きで危なっかしく床に降り立った彼女の小さな背を、彼女自身が眺めている。
それはいつかのように彼女に語りかけた。
『どうしてそんなに必死になる?』
それが自らの心象であることを彼女は理解している。驚くことはなにもなかった。
『やらせてやれ。血が流されたのだから、その復讐として同じことが起こるのはなにもおかしなことじゃない。人の大切なものを、かけがえのない、この世にたった一つのものを傷つけておいて、それで無傷でいられるなんておかしいじゃないか』
妖しくささやきかける影の声は彼女の本音だった。最悪の事態に至る前に止めてやらねばと思ってここまでやってきていたが、心の奥底ではやらせてやればいいとも彼女は考えていた。
それは今まさに奔走する仲間たちへの背信も同然の思想といえる。
後ろめたさに俯いた彼女に影はなおも淡々と告げた。
『復讐なんて虚しいだけだとか、意味なんてないと言えるのはそのひとが大事なものを奪われたことがないか、諦めてるだけだ。泣き寝入りする言い訳が欲しいだけの臆病者だ。わたしはそうじゃない。復讐するんだろう。お母さんのカタキを討つんだ。わたしが味わった苦しみを、悲しみを、同じだけ、やったやつに返してやればいい』
実際のところ、この声は幻聴に近い。空間に響き渡ることなく彼女の思考に割り入るように直接届いている。
自分自身の思考であるのだからこれもまた、驚くようなことではなかった。
『そのときやっとわたしは、本当の意味であの部屋から……あの墓場から出ることができる。お母さんのことを過去にして、未来に目を向けることができるんだ』
ナビは震える膝に力を入れて背筋を伸ばした。けれどまだ分裂した思考のもと肉体の操作が上手くいかないようで、歩き出そうとすると足と手が同時に前に出てしまう。
「でも……」
口からも意思とは別に声が漏れる。こちらは音声として外に出て空気を震わせていた。
「それをやったらみんなと……蓮や惣治郎と一緒にいられなくなっちゃう……」
ひどく寂しげなそれに影は反論することもなく穏やかに頷いて同意する。
『たしかにそうだな。それはイヤだ。絶対に』
肯定されたことへの驚きもやはりない。心の奥底で復讐を肯定することが彼女の本音であるのと同じように、それを忌避する心情もまた偽りのない本心だからだ。
彼女はまたその先を思い描いて苦しげに息を漏らした。
「あいつも、もそうだ。やらせちゃったら、一緒にいられなくなっちゃう」
影はまた、今度は得心して頷いた。
『そうなるだろうな。だけど、あっちがそれを望むとは限らないんじゃないか』
ナビはきっぱりと、一拍の間も置かず明瞭にして答えた。
「知るかそんなもん」
『たしかに』
相反する思考は極めて単純な動機によって一致する。
ナビがわずかに首を回して視線をやると、真球を描く影は答えを待つように空中で静止していた。
あごを引いて彼女は告げる。
「ジョーカーがピンチっぽい。まったく世話の焼けるやつだな、ほんとに」
呆れたように言い置いて顔を前に戻すと、ナビは小走りになってその場を去った。残された影はもうなにも言わず、明滅をくり返しながら機能を果たしはじめていた。
機能というのはつまり、別働隊への支援行動だ。飛び交うミサイルの軌道予測を行い、それを視覚上に反映させたり、認知に干渉して外部から回避機動を行わさせたり……
その度に繋げっぱなしの通信回線のむこうからは悲鳴が上がったが、荒っぽい対処にも不平は上がらなかった。
ナビが最後に述べた言葉は別働隊の面々にも届いていたからだ。
誰かが言った。
「やはり均等に分けたほうが良かったんじゃないのか?」
また別の誰かがぼやいた。
「俺もそー思うわ。むしろむこうに集中してボコればよくね?」
「あー……そのほうが早そうだよね。一人何発だっけ」
「三発までよ。それ以上やったら私たちが捕まりかねないわ」
「ねえ、それって素手だけなの? なにかこう……棒とか……ダメかな?」
最後の問いに返るものはない。状況がそれを許さなかったこともあったが、朗らかな笑顔で斧を担ぐ彼女にはYESともNOとも、誰にも答え難かった。