16:Problem solved

 果たしてどこからこれだけの電力が供給されているというのか。パレスのどこにいても埃の臭いがしていたはずが、空調の効かされたそこは清浄な空気とやや肌寒い気温に保たれていた。
 十畳ほどの室内には整然とメタルラックが立ち並び、こちらも規則正しく並んだボックスがところ狭しと並べられている。そこから垂れた無数のコードは蛇のようにくねりながらも束ねられ、どこかに向かって伸びていた。あるいは、どこからか伸びてきたものの終着点がここなのかもしれない。
 箱からはまた、腹の底に響くようなノイズめいた重低音と某かの小さなランプが点滅する光がかすかに漏れ、薄暗い部屋をほんのわずかに照らし出していた。
 そんなところにくぐもった少女の笑い声―――それも決して『さわやか』だとか『快活』とは言えない類の笑声が響くものだから、正体を知っているはずの少年たちはどことなくうんざりといった風情で互いを見交わしあっている。
「おほ〜っ、警備の基幹システムみっけ。むふふっ、いま穴あけてやるからな……ふひひ……」
 ……パレス内に存在するサーバールームに侵入した怪盗たちは、ナビがその手腕をいかんなく発揮する場面を眺めて幾度目かもわからないため息をついた。 
 黙って座っていれば多くの異性、あるいは同性だってなかなか放っておけない類の容姿だというのは一同に共通した見解だ。それだけが彼女の魅力ではないし、そういった価値観を重要視しなければならないという決まりもないと理解もしているが……薄暗い部屋で不気味な笑い声をもらす姿というのはなかなかに受け入れがたい。クイーンなどはガラス張りの扉に虚ろな目を向けて『これはナビの声だから』と己に言い聞かせている有様だった。
 実際のところ、この部屋への侵入に際して見張りと管理者らしき制服のシャドウらを強襲、そのまま消滅させているから、通路の見張りは必須ではある。応援を呼ばれたような様子はなかったが、定時連絡等によって異変を嗅ぎ取られてしまえばまた一からやり直しだ。
 それはゴメンだと他の面々も監視カメラからと思わしき映像を映し出すモニターを覗いている。
「……相変わらずだな」
 努めて小さく囁いたのはスカルだった。彼の眼は監視カメラ映像の一つ、見覚えのある地下の停車場や荷揚げ所を捉えている。隣で見るともなしにモニターに顔を向けていたジョーカーは同意するようにわずかにあごを引いた。
 みすぼらしい格好に爆発する首輪、生気のない顔の奴隷たちと、それを監督しているらしきシャドウ……怪盗団の侵入を察知こそできていない様子だが警戒自体はされている状況にあって、奴隷労働の現場に大きな変化はみられない。それが工藤の余裕の表れなのか、この巨大な塔建築への執着の表れなのか、はたまた思っていたより無頓着な人物だったのか……彼らには解らなかった。
 二人から一歩下がった位置からそれを見るゴーストの苦々しい表情にも変わりはない。ただし彼の場合は顔にぴったりと貼り付いたバイザーに遮られて窺い知ることは容易ではなく、離れた場所から彼を観察するパンサーにも今の彼がなにを思っているのかまでは読み取れない。
 ―――忠告はしたつもりだったけど、無駄だったか。それとも逆効果だったか。ヘンな考えを捨ててくれたのか。
 彼女にもまた、解ることは多くなかった。
 解ることがあるとすれば、《切り札》が自分たちの手の中にある限り、なにがあろうと切り抜けられるという確信だけだ。
 幸いなことに、ナビの作業が完了するまで新手が現れることはなかった。おそらく侵入自体が感知されていないのだろう、警備の入れ替わりの時間までたっぷりの猶予を残して彼女はふり返った。
「できたぞ。これでほぼ問題なく上に行けるようになった」
「ほぼ、っていうのは?」
 重箱の隅をつつくように指摘したのは彼女にとって苦痛でしかなかった時間から解放された喜びにくつろいだ様子をみせるクイーンだった。
 ナビは揶揄するような笑みを口元に浮かべると、彼女に向き直ってそれを差し向ける。
「さすがクイーン、細かいな」
「いいでしょ、別に」
「ほめてるんだってば。ほぼ、ってのは単純に、実際に歩いてるときに遭遇しちゃうやつはわたしにどうにかできるもんじゃないってこと」
 ああ、と納得の声があちこちから上がった。
 ナビがここで行ったことというのは、パレス内に点在する様々な警備システムへの介入と、それを遠隔で行うための管理者権限の取得だった。怪盗団の道を阻んでいた大きな要因の一つである監視カメラの映像を、これもまたこの場で切り取って作成した無人の映像に切り替えるためだ。ただしこれによって監視カメラをやり過ごすにしても、現場を巡回しているほうはナビの能力ではどうにもできない―――
 そういうことかと頷き交わしてから一同はそこを立ち去った。

 向かった先は先日綿密に地図作製を行った上層部だ。高度に相応しい強い風が吹き付ける不安定な足場の上には巡回のシャドウが歩き回っている。
「これはそっちのシゴトだよ。任せた」
 とナビは言う。彼女の前にはタッチコンソールが浮かび上がり、早速開けた『穴』からセキュリティを操作している様子だ。
 これまではシャドウらの目視以外にセンサー類に捕捉される心配があったが、つい今しがた取り除かれたとなれば障害はほぼないと言っていい。
 ジョーカーは口角をつり上げるなり駆け出し、前方を塞ぐシャドウの背に飛びついた。
「なに―――!?」
 彼は慣れた様子で人そのものの振る舞いと驚愕のそぶりをみせるシャドウの背に足を掛け、半ば押し潰しながらその顔を覆う仮面に手を伸ばした。
「正体を見せてみろ」
 妖しく囁きかけながら仮面を剥ぎ取るとシャドウは仰け反って彼を背から振り落とし、一度は溶け落ちて床に消えてしまう。
 それもほんの数秒かそれ以下の間のことで、影は再び形を得て飛び出すと敵意も顕に彼に襲いかかった。
「おっと……こいつはまた……」
 ジョーカーの身丈と身幅よりひと回りもふた回りも大きなそれは鋼鉄の装甲……の・ようなものを身にまとった巨人だった。肥大した肩部と腕部は目の錯覚かと思わせるほど左右のバランスが狂い、今にも転倒しそうだというのに信じられないような速度で彼を押し潰さんと突進してくる―――
 その頭上にヒラリと小さな影が躍り出るや否や、蒼い炎がジョーカーの眼に丸っこいシルエットとちぎれた鎖の影を焼き付ける。
「大人しくしてろ!」
 愛らしい見た目と声に相反した乱暴な口調でもって叫んだのはモナだった。彼は己の半身とともに小さな拳を振りかぶり、巨体の後頭部に叩きつけてニャーと鳴いた。
 途端巨人は前のめりになって床に崩れ、勢いそのまま頭を下に滑っていく。ジョーカーはそれを闘牛士のように躱すと大げさに肩をすくめてみせた。そのふてぶてしい態度は感謝とはほど遠く、見せ場を取られたと言わんばかりだ。
 モナもまたやれやれと首を振る。
「まったく……余裕ぶってボケかます前にサクッと片付けちまえよ」
「はいはい」
「ハイは一回だ!」
 口やかましい教育係のお小言を聞き流している間に鉄巨人は立ち上がっていた。先の突進からしてそうだったが、鈍重そうな見た目に反し動きは悪くないようだ。
 であればすることは一つだとクイーンは己の半身にまたがって巨体の足元に滑り込んだ。すねを覆う鋼鉄の装甲が車輪に巻かれて弾け飛ぶと、巨体を支えるさらなる鋼の肉体がさらけ出される―――
 彼女はまたジョーカーに一瞥をくれて小さく鼻を鳴らした。
 ―――悪いけど、あなたの活躍は必要ないわ。
 そう物語る瞳に目を細めた彼の耳を発砲音が貫いていった。
 今度は巨人の膝が弾け飛び、巨体は再び前のめりになってくずおれる。ふり返ったジョーカーが見たのは膝射の姿勢をとるゴーストの姿と、床に落ちる薬莢の鈍い輝きだった。
『うむ、脚部の大破を確認。そいつはもう立ち上がれないよ。やっちゃえ』
「……片付けていいのか?」
 ナビの指示に促されるように出たはいいが、妙な遠慮をみせたフォックスはすれ違いざまジョーカーにそう尋ねた。
 彼は再び肩をすくめて応えた。
「いいよ。任せた」
「そうか」
 その手が早く行けと追いやるように背中を叩くと、それに押されたわけではないだろうがフォックスは身を低くして速度を上げ、抜き放った刀を脇構えにしてすくい上げるように振り上げた。
 斬撃は寸分の狂いもなく巨人の首を切り落とし、影の中に押し戻した。
「なーんだ、見掛け倒しじゃん」
 後方で追撃の支度を整えていたパンサーがどことなく残念そうに言う。
「楽なのはいいことだよ」
「だな。さっさと行こうぜ」
 こちらもまた、念の為と準備していたスカルとノワールが。二人は肩に得物を担ぐと巨人が消えた空間を踏んで歩きはじめる。そうやって先を行くところを見るに、彼らもまた口先とは別に身体は働けなかったことを悔しがっているのかもしれない。
 二人の背を眺めながら刃を鞘に納め、フォックスもまた一歩を踏み出した。あの巨体が突進できる程度には足場が頑強と知ったからか、その足取りはゆったりとしている。
「気になっていたんだが」
 口調もまた。
「どした?」
 歩みを止めずスカルがふり返ると、ちょうどフォックスも背後に目をやるところだった。彼の視線は立ち上がってナビを待つゴーストに注がれている様子だ。
「ゴーストのペルソナ……ランピオンと言ったか。姿を見ていないなと思ってな」
「その肩に乗ってるやつじゃないの? デッカイ銃みたいなの」
 皆の視線を一斉に受けてゴーストはたじろいだ。そうと言われても彼にはイエスともノーとも答えられなかったからだ。なにしろ基本的な知識そのものが不足している。
「たぶんそう、かなぁ。先輩……クイーンみたいにバイクのペルソナがあるのなら、俺のが武器でもおかしくはない、よな?」
 それでもどうにか答えた彼の伺うように投げかけられた視線にモナはふうむと腕を組んで唸ってみせた。
「ないこたねぇだろうな。ペルソナはそいつの心の有り様だ。オマエの精神がそういう形をしてるってんなら、別段おかしくはない。ただ―――」
「あれ待って、心の有り様ってことはさ、パンサーの」
「なんでそこで私なの!?」
「だって」
「おだまり! ほらさっさと行くよ!」
 ひと睨みを頂戴してすくみ上がるゴーストを置いてパンサーもまた足音も高らかに先へ行き、モナがその後を懸命に追いかけていってしまう。
 残された少年のそばに足をつけたナビは彼を見上げて口の端をつり上げている。
「鼻の下伸びてるぞ」
「今ので伸びるわけないでしょ」
「わかんないよ。なーおイナリ?」
「……俺に振るんじゃない」
 巻き込むなと歩みを再開させたフォックスの後にナビが続き、ゴーストもやっと進み始める。顔に貼り付いたバイザーに指を触れさせてみたりもしたが、投げかけられた問いの答えはやはり彼には解りそうもなかった。
 なんであれ思惑にふける暇もなかった。監視カメラやセンサーの類はナビの活躍によって取り除かれても、やはり人の―――シャドウの眼を掻い潜ることは難しい。
「ちょっと静かにしてろッ」
 その上同じ形態のシャドウが三体目ともなると対処も若干雑になってくる。
『スカルはいつも通りだけどな。声でかいよ、抑えて』
「うっせ。……気合入るとつい出るんだよ。なあ?」
 同意を求めて向けられた視線にジョーカーはしたり顔で頷いた。
 さておき、床に倒れて頭部を打ち砕かれた鉄の巨人はこれまでと同じように溶けて消え、あたりには通り抜ける強い風音だけとなる。どうやらスカルの気合とやらを聞きつけられた様子もなさそうだと一同はまた先に目を戻した。
 球果状の外壁は頂上に向かうにつれ狭まり、円柱状のビルの外周と繋がる形で途切れている。これにより真円を描く屋上部は庭園になっており、降り落ちる灰から木立を守るためのドームが下方からも覗えた。
 その中央で鈍く輝くもやのようなものも。
「……あれが例のオタカラってやつ?」
 低く囁くようにしてゴーストが言うことにナビは頷いてその袖を引いた。
「なに? どした?」
「あそこ―――」
「ん?」
 小さな手は庭園を見下ろすタワークレーンの一つを指し示している。遮るもののない高所の風になぶられてなお直立する姿は見る者に慥かさを覚えさせるが、この状況では忌々しくもあるとゴーストは目を細めた。
 ナビはそれを―――目元が明らかになっていないため、返答がすぐになかったことをして己が示す物を彼が見つけられていないと判じたのだろう、精一杯背伸びをして腕を伸ばし、懸命にクレーンを示そうとする。
「あれあれ、あそこあそこ」
「ああ……大丈夫、わかるよ。あそこからやる?」
「うん。ちょっと連れてって」
「わかった。じゃあ誰を―――」
「いやいや。わたしわたし」
「ええ? 自分で飛んでいけないの?」
「飛んでる間にみつかったらどうするんだよ」
「あー……」
 互いに短く交わしたやり取りの末の軍配はナビに上がった。
 オタカラ周辺の構造を把握するため彼女自身があの場に上がる必要はあまりない。ゴーストの知覚を経由して得られるデータだけでも充分どころか、サーバールームから抜き出した建築図面で事足りる。オタカラの位置が確定したとなればそれはなおさらだ。
 その上でより詳細な、なおかつ上方からのデータが欲しいとナビはゴーストを急かした。
「はーやーくー!」
「ああもう。わかったよ。わかったから……」
 落ち着けと窘めつつ、ミラー加工されたシールドの下の彼の眼はジョーカーに向かう。それはリーダーの意思を確かめるというよりは、保護者にお伺いを立てているような風情に近い。
 見えないはずの視線を感じるジョーカーもそんな趣であごをわずかに上げた。背後には兄貴風が音を立てて吹き散らされている。
「……じゃ、行くよ。みんな、足元のこと頼む」
 了解、と応える仲間たちにも似たようなものはあった。最年少団員と新人に向けられる眼差しはどことなく生ぬるい。
 ゴーストは半ば逃れるようにナビの―――少し迷って、肩に手を触れさせてともに影の中に潜った。
 影の中というものにナビは一瞬面食らったように身を強張らせるが、他の面々よりはその浮遊感や不安定さに覚えがあるからかすぐに緊張を解いてゴーストに顔を向ける。
 彼はやたらと気遣わしげな様子でナビに語りかけた。
「大丈夫そう? 酔ったらすぐに言うんだぞ?」
「うーん、平気っぽいよ。ネクロノミコンのなかと大差ないっていうかさ」
「そういや、そうかも……?」
 曖昧に応えつつもゴーストは深く納得していた。
 彼にとってはこの、言語化し難い非現象的な―――ネクロノミコンの内部で覚えさせられた浮遊感と安定感、相反しつつも落ち着く感覚こそが、初めて経験したペルソナというものだった。その強烈な経験が己の意識に焼き付いて交わった結果こうした能力として顕れたんじゃないか。彼は自らの《力》をそのようなものとして受け止めつつあった。
 であれば、その大元にしてお手本であるナビが他の面々と違って平然としているのも当然のことだろう。
 そのように推察を語るゴーストの後に続きながら、ナビはニヤニヤと笑って彼の尻をペチンと叩いた。
「いて。ちょっと、セクハラやめて」
「いいだろこれくらい。わたしは名実共におまえのセンパイなんだぞ」
「それと俺の尻を叩くのは関係ないよね」
 やめてよ、と訴えたところでナビは遊びたい盛りの子猫のように彼の背にちょっかいを出し続ける。見る者がいれば微笑ましいと目を細めるような光景だが、されるほうはたまったものじゃないとうんざり顔だ。
 けれどそれも、長い上昇と落下が終わると停止する。
「外に出るよ。風強いと思うから、あー……」
 出た先はタワークレーンの先端に近い部分だ。当然安全な足場など無いし、下よりもさらに強い風が吹いていることは想像に難くない。最悪の場合落下したとしてもナビならば対処はできるだろうが、そうなれば敵に見つかる危険性もある。
 であれば、体躯があって力もあるゴーストが支えとなるべきだ。
「ナビが前に出たほうがいいか」
「ん?」
「ほら」
 と、彼は小柄な彼女の背後にサッと回ると、腕を回して抱え上げた。
「ひえっ!?」
「よっこいしょっと」
 ゴーストのかけ声とともに二人の視界は一変し、強い横風が全身をなぶるように通り過ぎていく。かとおもえば真正面から吹いてナビの長い髪をゴーストの顔面に絡みつかせた。
「うえっ……フタバちゃん、髪の毛伸ばすんならちゃんと結びなさいよ……」
「オバちゃんかおまえは!」
「ちょっと暴れんなって。落っこちちゃうだろ」
 二人の眼下にはすっかり見慣れた荒れ野が広がっている。
 強烈な熱と衝撃になぎ払われたような建築物の残骸と、その上になお築かれる人々の生活の気配。それらを覆い隠そうとするかのように降る灰はどことなく幻想的でもあった。
「……ちょっと意外かも」
「なにが?」
 首を傾げたゴーストのあごの下で、ナビはまっすぐに腕を伸ばして彼方を示した。 
 地上から眼を離してそちらへ視線を向けると、白くぼやけるむこうに崩壊しかけた塔が見える。川近くのほうは大きく傾いて上層を失ってしまっているが、もう一方は直立姿勢を保ったままだ。
 彼はまたその差はどうして生じたのかと視線を地表に這わす。するとその塔の影に隠れるようにして大きな『くぼみ』が見つかった。注意してさらに見回せば、似たような『くぼみ』……おそらくは大型爆弾等の投下によって形成されたクレーターは首都の面影を残すパレス内にいくつも見つけられた。
 ナビも同じものを視界に収めているのだろう。いやに冷え冷えとした声でもって先のゴーストの疑問符に答える。
「こんな風景を心につくるやつのくせに、この塔よりまだあっちのほうが高いんだなって」
 彼女の言う『あっち』は未だ直立を保つ赤い鉄塔のほうだ。ゴーストはゆったりと、大きくはっきり首を縦に振った。
「そうだな。ここは……二〇〇メートルくらい?」
「もっと低いよ。オタカラの高さで一五〇もない」
「そんなもんなの? もっとあってもよさそうじゃない?」
 驚きに目をむく彼に、ナビは皮肉っぽく笑った。
「日本一を目指すほど高尚なやつじゃないってことじゃね。そういうの目指すんなら、そもそもこんな―――」
 しかし彼女は言葉を途中で止めて、気遣わしげにゴーストをふり返った。
 ―――こんなセコい犯罪なんてしやしない。
 途切れた言葉がそう続くのだろうことはゴーストにも察せられていた。
「……そうなのかもな」
 返された声が自嘲気味ではあっても、抑うつ的であったり怒りを滲ませたりはしていなかったことにナビは安堵の息を漏らした。悪気はなくとも迂闊なことを言って彼を傷つけたくはなかったからだ。
 そして幸いなことにそんな言葉のない気遣いを彼はすぐに悟り、彼女にいつも通りの笑みを差し向けた。
「ありがとな」
「別に、礼をいわれるようなことじゃ」
「今だけじゃなくて、ここまで連れてきてくれたことがさ」
「それもいらなくね?」
「いやいや、大したことだろ」
「なにいってんだおまえ」
 ちょっとムッとした様子のナビがくり出した肘に打たれて呻くも、ゴーストはまだ笑っている。
はもう怪盗団の仲間だろ? なら、わたしがナビをするのは当たり前のことだ」
 けれどまだ少し気分を害した様子で吐き出された台詞に、彼はほんの一瞬ほうけたように息を止めてしまう。
「……あれ? 俺まだ仮入団くらいの気持ちでいたんだけど、正式に承認されてたの?」
 すぐに我に返って皮肉っぽく繕ったものの、ナビは見抜いているのだろう。一転ご機嫌になって声を弾ませる。
「わたしが決めた!」
「リーダーが決めるんじゃないのかよ」
「あいつはわたしの言うことなんでもきくから。したらもう決定も同然よ」
「なんてやつだ」
「うらやましいだろ」
「いやあんまり」
 極めて平静に、心底から正直に述べて少年は首を振った。もちろん横に。
 けれど言葉はそこで終わらず「だけど」と重なる。
「そうか、仲間ね」
「イヤとはいわせねーぞ」
「言うかよ。言うわけない。ただ……」
「なに?」
 彼はうめき声に近い声を上げて、大げさに肩を落とした。それは演技やフリなどではなく、心の底から脱力して、気が抜けてしまったことの証のようだった。
 ―――何日か前、高巻に囁かれた諫言は彼女の穿ち過ぎなどではなかった。この少年は可能であれば工藤経助を殺害するつもりでいたし、怪盗団を取り巻く現状を正しく理解してその上であらゆる犠牲を顧みず実行する覚悟も充分有していた。
 けれどそれらはたった今ここで潰えてしまった。ただの一人の、大して長い付き合いでもない年下の少女にただ一言『仲間』だと言われただけで、そんな気持ちは失せてしまった。
 彼はまた自嘲して胸の内で笑ってみせる。
 ―――自分ってやつは、なんて単純なんだろう。
 苦々しい笑みとは裏腹に、その胸の内はいっそ清々しくさえあった。
「フタバ」
「ん、なに?」
 呼びかけにナビはずっと後ろに向けていた顔を慎重に戻した。彼女の首はそう大して長い時間そうしていたわけでもないのに若干の痛みを訴えている。
「あっ」
 途端に腰に回された腕に力が籠められて、彼女は身を固くする。触れる腕や手にいかがわしい意図はまったく感じられない―――それはそれで大変失礼なことだ―――が、今さらながらにナビは緊張してしまった。強い風によってごまかされていた、かすかに鼻に触れる少年の『ニオイ』は彼女の『父』とも『兄』とも違っている。己を抱え、この強風と足場の悪さをものともせず固定する腕や、背に触れる胴部にもその二人にはない力強さがあった。
「あわ、あわわ……」
 感じたことのない知覚に上ずった声を上げる彼女にもまるで構わず、ゴーストはますます彼女を『抱きしめる』腕に力を籠めた。
「俺はさ……」
「う、うん―――」
「俺は……」
 姿勢と体格差のせいで声は耳朶に直接囁きかけられるようでもあった。回線越しや距離を置いて聞く普段の彼の声音とはまるで違っているように彼女には感じられた。
 やにわに彼女の心臓は鼓動を取り戻したかのように激しく脈打ち始める。巡りよく全身を駆けた血液は頭部に至り、頬を赤く染めあげる―――
「俺はいつまでこうしてたらいいの? あ、重いってわけじゃないよ? んでも長時間抱えてるのキツいからさ」
 ナビは頷くように一度顔を伏せ、それから勢いよく頭を上げて彼の鼻に後頭部をぶつけてやった。
「んがっ!? ちょっ、なにすん―――」
「うっさい。だからおまえは童貞なんだよ」
「どうして急にそういう辛辣なこと言うの!?」
 唐突に与えられた顔面への強打とひどく下世話な罵倒にゴーストはバイザーの下の目を白黒させるが、ナビはフンと鼻を鳴らして腕を振り、宙にモニターとコンソールを浮かび上がらせるだけだった。

 ほどなく屋上部と塔の上層外壁の構造をスキャンし終えたナビとゴーストは帰還する。
 二人の足元でそれを待っていた面々もただ待つだけでは退屈だと可能な範囲で探索を済ませていた。
「それじゃあ一度戻って準備を―――……ゴースト、あなた……」
 すでに次の行動を検討して思考を巡らせていたクイーンは、ふとゴーストの顔に目をやって怪訝そうに言葉を止める。倣って彼を見た他の面々も首を傾げている。
「そのお鼻、どうなさったの? 上でぶつけちゃった?」
 素朴なノワールの問いに彼は気まずそうに頭を掻き、誤魔化すように乾いた笑いを漏らしている。傍らで撤収準備を進めるナビもまたヒリヒリ痛む後頭部を抑えているが、そちらには誰も気がつかないままで済まされたのは良いことだったのか、悪いことだったのか……当の本人たちにもわかるようなことはなにも無かった。

……

「これで問題解決か」
 決行における作戦の詳細を詰め終えたその場で彼は言った。その表情は重荷が取れたと言わんばかりに晴れ晴れとしていて、肩ひじからも力は抜け落ちている。
 場所はその彼の自宅のリビングルームだ。怪盗団はパレスから撤収すると、オタカラ奪取の作戦を詰めるためこちらへ立ち寄っていた。
「ちょっと気が早くないかな?」
 嗜める調子で奥村が反応するが、そのやわらかな頬にもわずかな綻びがみえる。また彼女の前には家へ足を運ぶ前に立ち寄ったバーガーショップ……ビッグバンバーガーのドリンクが置かれている。他の面々の前には空になったバーガーやポテトの包み紙があった。
 満腹感が緩んだ雰囲気を生み出しているのだろう、奥村のお叱りの言葉を受けて苦笑するの眼に映るのは、やはり足を伸ばしてくつろぐ一同の姿だ。
「こればっかりはな。やることも決まったし、準備も終えてる。あとはむこうの反応を待つだけ―――」
 頭領たる少年に至っては座布団を折り曲げて枕にし、横になる始末だ。
「ちょっと蓮、食べてすぐ横になると牛になるでしょ!」
 オカンどころかいよいよ祖母のような小言をくれる高巻に目を細めつつ、雨宮は度の入っていない眼鏡を放り投げて座布団に顔を埋める。疲労はさほどでもないが、満腹感と暖房の効かされた室内は的確に彼を眠りに誘っているらしい。
 それを呆れ半分に見下ろしていた喜多川は、ふと視線をに移すとたいへん珍しいことにどことなく気後れした様子で彼に語りかけた。
……予告状の文面、本当に俺がやってしまっていいのか?」
「ん? ああ、いいよ。そういうの、あんまり得意じゃないっていうか……」
「自分の想いを言葉にするのは苦手か」
「そんな感じかな」
「フッ、不器用なやつだ」
 気取った仕草で前髪に触れる喜多川と妙に照れくさそうにしてみせるに、双葉は冷たい眼差しをせっせと寄越している。
 それもそろそろ毎度のことになりつつある光景だ。事によると喜多川は彼女のかわいらしい『やきもち』を眺めて楽しんでいる節がある。それもまた『かわいらしいいたずら』ととるかは人による。
 なんにせよ干渉しようという気は誰にも起きず、気だるい空気は新島が手を打ち鳴らす音によって散らされた。
「はいはい、他に話し合うこともないよね? 誰かある?」
 少年たちは顔を見合わせるが誰も手を上げることはなく、新島は満足げにしてあごを引いた。
「じゃ、今日は解散で……三〇分だけ寝かせて……うぐっ!?」
 雨宮が呻いて身悶えたのは、いよいよ寝入ろうとした彼の背に、ソファの背もたれの上で箱を作っていたモルガナが飛び降りたからだ。猫はそのまま音もなく彼の背からも降りると、枕代わりの座布団を奪って毛づくろいに勤しみ始める。
「バカ言ってんじゃねぇよ。マスターが心配すんだろーが」
「いちおう遅くなるとは連絡してあるけどなー」
 夕飯も外で済ませる旨伝えてあると双葉は言うが、二人のスマートフォンにはつい先ごろ『あまり遅くならないように』と釘を刺す文言が届いたばかりだ。
 口やかましいというほどではないが、しかし厳しいあの男の眼差しを胸に返して雨宮は痛む腰をさすりながら渋々と起き上がる。
「タクシー呼ぼうか?」
 すかさずが言うと、
「すまんが手持ちがない」と喜多川が答えるが、はそも彼を視界にすら収めていない。
「ええ、お願いします」
 代わりに微笑んで応じたのは奥村だ。便乗するように新島も頷いている。
 そういうことならばとは電話を掛け始め、他の面々は後片付けに動き出し、しばらくの後彼らは古めかしい民家を出た。
 すると不思議なことに見送りのために玄関まで付き添ったまでもが戸をくぐり、そこに鍵をかけようとしている。
「あれ? 、どっか出かけんの?」
「親父のとこ行っておこうかなと思って。今ならまだ面会時間間に合うし」
 ああ、と誰にともなく感嘆の声が漏れる。
 彼にとっては仇討も同然の状況にあって、神仏代わりの父に誓願にでも赴こうというのだろう。その気持ちは皆理解できるし納得もする。
「親父さんによろしくな」
「もちろん言っとくよ。すごーく世話になったってな」
 朗らかな受け答えに雨宮もまたグラスの奥の目を細める。彼はの答えに深く満足していた。
「じゃあまた、明日。よろしくな」
「おー、またなー」
 別れの挨拶も程々に、タクシーに乗り込んだ奥村と新島を見送り、もまたバイクに跨って走り去っていった。
 残された面々も駅に向かってゆっくりと歩き出すと、ちょうど街路を照らす古ぼけた蛍光灯が眠気を堪えるかのように強く瞬く。明滅に焼き付いたまぶたの裏の影を追い払うようにまばたきをくり返しながら、雨宮は息をついた。
「あの様子じゃ心配なさそうだな」
 深い安堵に彩られた声と言葉に、歩調を合わせて並んだ仲間たちも頷いてみせる。
 それぞれ程度の差はあれど、がひどく思い詰めていそうだということくらいは皆見抜いていた。自らがかつてそうであったように、改心に際してその相手を深く憎む気持ちには覚えがあるからだ。ただ憎いというだけで済まされない複雑な想いを今も抱える者もいるが、それもまた似たようなものは皆抱えている。
 この場合の唯一の例外である双葉は、いつぞやのように高巻にこめかみをつつかれて、むずかる赤ん坊のようにゆるく首を振っている。
「うりうり」
「うあーやめぇー」
「ねえ双葉、あんたになに言ったの?」
「なにってべつに。なにも言ったおぼえないよ?」
 事実としてはもちろんあったし、双葉自身の記憶にもしっかり残されているのだが、しかしそれを『意識するほどのこと』ではないと彼女は決め込んでいる。なによりその直後の出来事の印象が強く、意識はすっかり逸れてしまっていた。
 そのように心当たりがないと心底から述べる彼女に、高巻は落胆も隠さず肩を落とした。
 一方で喜多川などはいかにも気楽そうな様子を隠そうともしていない。
「なんにせよ、リーダーの言うとおり心配はなさそうだ。今日は枕を高くして寝られそうだな」
「いやお前は予告状作っとけよ」
 すかさず入れられる坂本の指摘も笑って聞き流すほどだ。おそらく彼の中ではすでに予告状の文面もデザインも完成しているのだろう。
 それからまたいくらか歩いて、ふと坂本は怪訝そうに喜多川に問いかける。
「てかさ、祐介ってやっぱそうなん?」
「なにがだ」
「こう……時代劇に出てくるみたいなさ、なんか、やたらと寝にくそうな枕あんじゃん」
 身振り手振りで胸の前に長方形を描いてみせる彼に、喜多川は眉間に深いしわを刻んだ。
「……箱枕のことか?」
「あ、あれそういう名前なんだ」
 聞くともなしに会話に耳を傾けていた高巻が感心したように手を打った。雨宮と双葉も同じものを頭に思い浮かべて「あーアレか」などと頷き合っている。
 喜多川はふーむと唸ってあごをさすり、ちぎれた雲に半分ほど顔を隠した月を見上げながら応える。
「使ってみたいとは思うが」
「思ってんのかよ!」
 まだ深夜には遠いが、夕飯時をとっくに過ぎた時間帯だ。坂本の大声はさほど響くことはなかったが、駅に向かう道は帰宅の途にある人々がまばらにも見かけられ、一様に若者たちに呆れと不審感をない交ぜにした視線をくれている。
 
……

 異変に気がついたのは双葉だった。
 彼女はいくらか慌てた様子で自宅からルブランに駆け込み、不思議そうにする惣治郎を置いて屋根裏部屋に駆け上がった。
と連絡が取れない」
 明日の潜入に備えて細々とした道具の整備や作製に励んでいた雨宮とそれを監督するモルガナは、はじめさして焦ることもなくのんびりとした様子で応じた。
「疲れて寝ちまったんじゃねえのか?」
「だけど家にもいないんだよ」
 双葉は精一杯不安げに訴えるが、いくらなんでも過保護すぎるんじゃないかとでも言わんばかりに訝しげだ。
「じゃあまだ病院に……面会時間って何時までだっけ?」
 手にしていたロックピックを置いて代わりにスマートフォンを持ち上げると、ロック画面に表示された時刻は二十一時を回っている。おぼろげな記憶だが、二〇時までだったはずだと雨宮は眉をひそめた。
 途端、嫌な予感が彼の頭の裏を撫でていった。
 思いつく可能性はいくつもある。病院を出たあとに事故にでもあったのかもしれないし、父親の容態が急変してまだ院内に留まっているのかもしれない。あるいは冷蔵庫がすっかり空になってしまっていると言っていたから、むこう一週間は分の買い物でもしているのかもしれない。
 雨宮がそうして考えているうちに、双葉が作業机のそばにまで歩み寄っていた。大げさかもしれないとは彼女自身も感じているのだろう、を思いやるのとはまた別の不安に揺れる手に、モルガナは己の額を押し付けた。
 少しの間雨宮は沈黙した。その指先は解除キーの入力を待つ画面を意味もなく叩き、コツコツといういやに乾いた音を屋根裏部屋に響かせている。
 その音に焦燥感を煽られたのか、双葉は上ずった声を上げた。
「もっ、もしかしたらっ……あ、確実ってわけじゃないんだけど。でも……」
「大丈夫、俺も同じことを考えてる」
 もてあそぶだけだった手を広げ、雨宮はやっとスマートフォンを取り上げる。
「モルガナは先に祐介のところに行ってくれ。双葉、皆に連絡。俺はちょっとおじさんをごまかしてくる」
「うっ、うん」
「ったく、しょーがねーな……」
 足早に階下へ降りる雨宮の背を見送って、双葉はポケットから自身のスマートフォンを引っ張り出し、手早くロックを解除しつつ、もう一方の手でモルガナのために窓を開けてやるという器用な真似をしてのける。
 言葉も音もなくするりと狭い隙間から外に出た黒猫の姿は夜の暗さに紛れてすぐに見えなくなってしまった。