14:Justifiable Act

 それが外殻の意思表示なのか、それとももっと別の意味があるのか、自分自身のことであるはずなのにには解らなかったし、解る必要はないとも思っていた。そもそも人の認知によって形成される精神世界などというものからして不可解なのだから、その中の個人の能力の理屈が判明する日は相当先のことになるはずだとも。
 いずれにせよ彼が『そうしよう』と思うと、その身は足元の影に溶け落ちて消えてしまう。その先にあるのはやはり虹色のもやが浮く謎の空間だ。
 もしかしたら、と彼はそこを滑るようにして移動しながら思惟する。
 ―――もしかしたらこの姿こそが認知世界、あるいは人の精神といったものの本来の姿で、影の外の形は強烈な欲望とやらに沿って出来上がったものなんじゃないの? と。
 怪盗団の導き手たる猫に問えば似たような答えを返すかもしれないが、残念ながら少年が飛び出した先に猫のような生き物の姿は見つからない。
 彼が現れたのは展望台を見渡すガラス張りの天井―――その残骸の一部の上だった。そこへ移ることができたのはかろうじて残った枠の上に外壁の装飾パネルが横たわって床をつくり、塔が落とす濃い影がそれを覆っていたおかげだ。
 見下ろした真下には脚を半分も失って動きの鈍くなった多脚がいる。それを中央として右に工藤と彼を護衛する武装警備員らが、左にはナビのネクロノミコンと彼女を護衛するモナとノワールが観測できた。
!』
 影から抜け出しさえすれば反応を追えるからか、ナビはすぐに彼の現在位置を把握して語りかけた。
『いい位置取りだ! そのままデカいの、先に落としちゃって!』
 ところがこれにはほんの少しだけ返答に躊躇するような間を寄越す。
「……やりづらいようなら私が撃ってもいいよ?」
 その沈黙を『たとえシャドウだと理解していても見知った顔を撃つのは心苦しい』といった類のものと受け止めたノワールが申し出る。の覚醒は彼女に―――怪盗たちにとって想定の範囲内だったが、そのためにあえてつついた節もある。かといってなんにも知らん顔していられるほど悪辣にもなりきれなかった結果の配慮だった。
 けれどはまた少しの間を挟んで、
「いえ、大丈夫ス。やります」と平坦に応えた。そんなな彼にノワールはかえって思い切れない様子だが、それもモナに「やらせてやれ」とたしなめられると引き下がる。
 はもとより撃つ気でいるからか、特別なにかを言うこともなくスコープを覗きこんだ。多脚の右側面、元は三本あった脚ももはや一本きりだ。残りの一つを破壊すれば移動不能になるだろう。
 なんの迷いもなく引き金は引かれ、弾丸は寸分違わず関節部を撃ち抜いて脚を切断した。
『よーし! そしたら次は―――』
「腕だろ。わかってる」
『おっ……おう。あのレーザーは脅威だから……あ!』
 言葉の途中ですでにマニュピレーターは撃ち抜かれ、根本から切断されて床に落ちていた。
 ―――なに焦ってんだよ、
 ナビはそう伝えようとしたが、そうするより早く彼はまた影の中に隠れてしまう。
 もちろん、シャドウの出現は場所を選ばないから、屋根の上にだって現れる危険性はある。単体でいる彼が素早くそこを移動するのは正しい選択といえた。
 けれどナビの言葉……この場合は指揮系統の伝達を担うオペレーターである彼女の言葉の最後までを聞かず動くのは彼らしくなかった。少なくともナビにはそのように受け止められた。
 次に彼が現れたのは積み上げられた足場材の後ろで銃撃を躱すジョーカーのすぐ背後だった。
「……驚かすなよ」
「ごめん」
 謝罪の言葉もどこかおざなりで、眼は忙しなくなにかを探している。
 そしてそれはすぐに目当てのものを見つけ出した。すっかり合戦場と化した場に不似合いな糊のきいた深い青のスーツに輝くセミスクエアトゥの革靴、袖裾から覗くいかにもな高級ブランドの腕時計……工藤経助はどうやら思い通りにならない展開に苛立っているらしく、口をへの字に歪めていた。そのようにして眉間にしわを寄せている姿は男を年相応に戻してもいた。
 彼と少年の間にはおおよそ十名ほどの武装した警備員が立ちはだかっている。いずれもが連発式の突撃銃を構え、遮蔽物越しにジョーカーらと撃ち合う状況がしばらく続いているが、弾切れの兆候はいっこうにみえてこない。そもそも再装填を行う様子すらないのだから、やはりこちらも無限弾倉なのかもしれない。
「こっちのほうが先に弾切れになりそうね。ジョーカー、どうする?」
「スカルとフォックスはなにしてる」
「自爆してくるの片付けてる。ほら」
 パンサーが示した先、ジョーカーが目を向けると二人は互いに邪魔にならない程度に距離をおいて首輪付きのシャドウを叩いている。
「これさぁ……無限湧きくさくね……?」
「実に不本意だが気が合うな、俺もそんな気がしてきていたところだ」
「フホンイってなんでだよ!」
 その顔には疲労こそ薄いがいい加減うんざりだとでも言いたげな色があった。視線はまたジョーカーに投げられ、事態の進展を求めている。
 あっちからもこっちからも無言で急かされ、ジョーカーは辟易としつつうーんと唸った。
 するとそれに反応したわけでもないだろうが、すぐ後ろのが大口径ライフルを構えて遮蔽物から銃口を突き出した。視界の端にそれが映り込むとともに、ジョーカーの胸にふと先の彼とナビとの短い、らしくもない『かかり気味』のやり取りが蘇る―――
 胸騒ぎに似たなにかが言語化されるより前に、ジョーカーはの肩を掴んで照準をずらしていた。
 吐き出された薬莢が瓦礫の上に落ちてかん高い音を響かせる。見ればが撃った弾は工藤の前方を守るシャドウの一体に見事命中していた。
「……外したか」
 悄然とした声にジョーカーは仮面の下の目を細める。他のシャドウらと違い、パレスの主はその者の心そのものだ。取り繕わない本音や欲望が形となったもので、それを破壊、つまり殺害すれば、現実におけるその人もまた死に至る。それはすでに説明したつもりだったが……なにぶん玄関先での出来事だったし、のほうはその時点では完全に冗談の類と受け止めていた。おまけに直後にここへ入り込む羽目にもなったし、その衝撃で頭から抜け落ちてしまったのかもしれない。
 ジョーカーは胸にこびり付き続ける嫌な予感を振り払うように肩を掴んだ手に力を込めた。
、工藤を狙うのはよせ。お前のそれじゃ、殺しかねない」
「……そうだな、了解」
 はそう応えて小さく頷いてみせた。
 ジョーカーはホッと息をついたが、胸にあった嫌なものは完全には濯げなかった。けれどそれを追及しようとする間もなく横合いからパンサーの声が割って入った。
「ちょっ……アレ!!」
 彼女は遮蔽物に背を預けて二人の背後を指さしていた。その顔は仮面越しにも青ざめていることが明らかで、二人と同じくふり返ったクイーンもまたサッと顔色を変えた。
「え……アレなに? なんかヤバくね……?」
 もちろんスカルとフォックスも、さらに離れた場所で動向を窺っていたナビたちも同じものを目撃している。
「ふむ、ナビ?」
『うんむ、超高エネルギー反応アリだ』
「のんびりしてる場合か!? 早くそこ退避しろ!」
 モナの鳴き声はナビの通信回線越しでなくとも皆に届いた。
 一同の視線が集中する先、が行動不能に陥らせた多脚戦車は相変わらず動きを止め、残った脚を虚しく空中にさまよわせている。問題はその丸い腹部で、今やぶ厚い雲と灰のむこうの鈍い太陽光よりまばゆい光を発しては小刻みに震えていた。
『たぶん、レーザーや装甲につかってたエネルギーを暴走させたんだな。こりゃほかのシャドウの比じゃないぞ』
「え……? つまり、なにが起きんの……?」
 ほうけて問いかけたスカルの胸ぐらをフォックスが掴んだ。
「さんざん相手をしただろう」
 彼はそのままスカルを外壁の外に放り投げ、自身は床に空いた穴に身を投じた。
 さんざんフォックスらが相手をしたシャドウとなれば、それはもちろん首輪付きの奴隷たちだ。力や速度はさほどではないが、接近を許すと床を抉る程度の爆発を起こす。そしてナビは『その比じゃない』と言った。
「さっさとやれよクズが! テメーにできんのは最初っからそれだけなんだよ!」
 工藤の罵声に煽られるかのように多脚腹部の輝きは増し、一拍か二拍の後パッと弾けた。
 閃光の後には超音速の燃焼波が足元から空間全体に伝わり、瞬きより早く続いて爆轟が巻き起こった。
 光と熱、衝撃の余波が過ぎ去った後に残されていたのは静寂だけだ。爆心地にあってもいいはずの多脚は残骸さえ残していなかった。あるいはあれもシャドウの一部で、形態を保てなくなったことで元あった場所に還ったのかもしれない。
 いずれにせよ、ジョーカーは焦げるだけで済ませた手足を振るい、自らの傷を直ちに消し去った。ふり返ればやけど一つ負わずけろりとした様子のパンサーがいて、その足元の影からはがクイーンを連れて這い出してくる。
 咄嗟の判断としては悪くなかった、とジョーカーは自らを胸の内で褒め称えた。フォックスがスカルを外に放り捨てたのと同時にクイーンをに任せて影の中に送り、自身はパンサーの力によって高熱への耐性を得、ついでに仮面も『硬いやつ』に切り替える。その上で立ち位置にも気を配った。
 結果的に自らは少しの手傷を負ったがそれも治すのは簡単だったし、パンサーに傷一つないことを確かめると胸には表現し難い満足感がこみあげる。
「なに笑ってんの、もう……あーあ、シャドウもなんも全部消えちゃってんじゃん……」
 庇われたことが不服なのか唇を尖らせるパンサーの髪には砂塵が絡まり、あるはずの輝きも鈍くなってしまっている。それを残念に思いつつのジョーカーとクイーンが首を巡らせると、なるほど確かに、動くものは彼ら以外に存在していないようだ。
「フォックス! てんめぇなにしてくれんだコラ!?」
「助けてやったつもりだが……?」
「ありがとな! でも先になんか言えよこの野郎!」
 外壁にしがみついて衝撃から逃れたスカルと、足場を支える鉄骨にぶら下がって難を逃れたフォックスがそれぞれ這い上がり、瓦礫の山と各々の力によって爆風を退けたモナたちがゆったりと歩み出る。その間にも新たなシャドウが現れることもなかった。
 けれど全員無事だったかと安堵できたのはほんの少しの間だけだ。
「工藤! どこだ!!」
 爆轟によって溶け落ち、もはやただの金属塊と化したもののそばでが吠えた。動くものが怪盗団以外に存在しないとなればそれは当然、工藤もまたいつの間にか姿を消している。静寂の中に虚しく声だけが反響した。
「ふざけるな、姿を見せろ! お前だけは絶対に―――」
 けれどその激昂も長くは続かず、張り上げられた声は中途半端に切れて彼はその場に膝から崩れ落ちてしまった。
「な、なんで……くそっ、動けよ……!」
 悔しそうに歯を噛んだところでその脚に力は戻らない。ただし他の面々は気づかうそぶりこそ見せつつも慣れた様子だ。彼らにとってはこうなることもまた想定内だった。
「ほら、掴まりなさい」
 手を差し出してやるクイーンを横目に、ジョーカーはすっかり枠だけに成り果てた天井を見上げた。曇天だけが初めから変わらない様子で空を覆っていて、はらはらと降る灰は早くも残骸だらけの足場に降り積もり始めている。
 それが髪に絡むのを嫌がって頭を振ってからジョーカーは仲間たちに視線を戻した。
「このあたりが限界だな。一旦引き上げるぞ」
「ジョーカー! 俺はまだ……」
「お前のために言ってるわけじゃない」
 苦笑とともにたしなめられてしまったはそれ以上はなにも言わず俯いた。彼の眼にも砂ぼこりまみれのパンサーの髪と、すっかりくたびれ果てた様子のクイーンが映っている。これ以上彼女たちに無理をさせるかと問われれば、この少年の答えはもちろん決まっている。
 ただ黙って震える足を叩き、自らの力のみでかろうじて立ち上がった彼を眺めて、ジョーカーは満足気にして頷いた。
……
 少年たちが外に戻ったのはちょうど帰宅ラッシュと重なる時間だったらしく、駅構内に店を構える小さなコンビニエンスストアの裏に姿を現した彼らを忙しない足音とざわめきが迎え入れた。
「はー……チカレタ……」
 踏み出るなり肩を落とした双葉はそのまま二歩三歩とよろめきながら進み、壁際にまで寄ってやっと立ち止まる。そうするのもやむなしかと見守る仲間たちもまた、手近な壁に背を預けるなり段差に腰をおろすなりして小休憩を求める姿勢をとった。
 雨宮もやはり疲労を感じてその場にしゃがみ込む。パレスやメメントスを出た後のけん怠感はいつものことではあるが、今日は一際だ。息をつく暇さえ与えられはしなかった。
 そのぶん収穫は大きい。
 ……同じようなことを皆考えていたのか、自然とその視線はに集まっていた。彼は疲弊した他の面々と比べても一段とくたびれた様子でタイル床の上に直接尻をつけ、片膝に腕を置いて俯いている。
「大丈夫か?」
「えっ、あっ……ああ、大丈夫! それより、足引っ張ってごめんな」
 パッと上げられたその顔色は優れない。これは精神的な要因からというより肉体的な疲労度合いが関係している。全力疾走をくり返した日の夕飯前、そんなところか―――そうした経験は皆一様に覚えがあったから、彼らが顔を見合わせたのはの言葉のほうにだ。
「謝るのはこちらのほうだよ」
 申し訳無さそうに切り出したのは奥村だった。はパチパチと目をしばたかせるばかりで、どうも彼女が言わんとするところを察してさえいないらしい。
 彼女は小さく唇を噛んで続けた。
「あなたならきっと『こうなる』と思っていたの。だから、わざと負担がかかるように誘導した―――」
 奥村のそばで雨宮と高巻、新島も神妙な顔をしてみせている。彼女のいう誘導に直接関与したわけではないし、奥村が動くまでその発想に至ってさえいなかった者もいるが……それでも、黙って成り行きを見守ったという点においては同罪だと罪悪感を滲ませる。
 ……他方で坂本と喜多川は、モルガナを挟んでささやき交わしていた。
「え、いつ……? 祐介、お前わかる?」
「あれじゃないか。名前で呼ぶように迫った……」
「オマエら……もうちょっと情緒とか行間ってヤツを読めるようになろうぜ……?」
 モルガナは呆れ返ってひっくり返りそうになりつつあるが、頭領は二人を生暖かい目で見ては『そういうやつが居たほうがいい場合もある』と謎のしたり顔を浮かべている。
 とはいえそれは今ではない。
 奥村は咳払いを一つして、苦々しくもやわらかに微笑んでみせた。
「ええとね、だからね……」
「い、いえ、大丈夫ス。わかります。俺はわかりました」
「あれ今さり気なく俺らディスられなかった?」
「む? そうだったか?」
「ちょっともうアンタたち静かにしてて」
 話が進まない、と高巻から命ぜられて、一方は不服そうに、一方は忠犬めいた佇まいで口にチャックを引くような仕草をしてみせた。辺りは再び雑踏と駅構内放送に包まれる。
 は乱雑な仕草で頭を掻き、言葉を選びながら己の心情を語った。
「あー……結果的には、それで良かったんです。あの状況も俺がいなきゃ普通に対処できてたんだろうし、むしろ俺が居たからああなったんだし。それにこれはたぶん、俺の望みでもあったから」
「お前の望み?」
 掠れた言葉尻をとらえて首を傾げた雨宮に、は少しだけ困ったように視線を落とした。そこにあるタイル床は天井から降る白熱灯の明かりに照らされて濡れたように輝いているが、つなぎ目は黒く汚れてしまっている。今でこそ少年たち以外に影もないが、時間帯によっては少なくない人や荷物の往来があるのだろう。
 その汚れを眼で追うと、やがて雨宮のつま先にたどり着く。まだ艶のあるローファーもまた天井灯によって輝いていた。つま先から膝、腹から胸を経由して見上げた先にあるのは度の入っていない眼鏡と長い前髪に隠された目元だ。少し釣り上がり気味の眼差しを前に、はつばを飲み込んでからやっと答えた。
「……ヒトに迷惑かけたくない、かな」
「ふうん―――うっ!?」
 曖昧に頷いて返した雨宮の脇から、唐突に頭が生えた。先まで壁に寄りかかってうつらうつらとしていたはずが一転、眼をギラギラと輝かせた双葉だった。
「めいわくどころの話じゃないぞ! めっちゃお役立ちのチート能力だからな!」
 明確に興奮した様子の彼女に揺さぶられ、雨宮は抵抗することもなく両手をぶらぶらと振っている。どうやら双葉は―――雨宮も程度は違えどランナーズハイに似た状態に陥っているらしい。
 そんな二人に代わってため息をついてやったのはモルガナだった。
「ま、たしかにそうだな。影の中を移動してある程度好きな位置に出現できるってのは破格の能力だ。やるじゃねーか、
「そうなのか。いや、そうだな。うん、役に立てると思う。だから次に行くときも……」
 連れて行ってくれ、と彼が口にするより前に雨宮は嬉しそうに頷いた。
「もちろん。一緒に来てもらう―――たっぷり働いてもらうぞ」
 ただしその口もとにはいかにも悪党めいた底意地の悪そうな笑みが湛えられている。
「……ほどほどにして?」
 情けなく肩を落としたの姿に雨宮は喉を鳴らした。肯定も否定もしないでいるところを見るに何某かの企みがあるらしいが……
 嫌な予感しかしない、とはの弁であった。
 さておき話はまとまったとみたのか、高巻は嬉しそうに両手を合わせて声を弾ませる。
「ねえねえ、じゃあコードネームも必要になるよね?」
「ああ、そういやそんなのもあったね。いつもどう決めてんの?」
 唐突な話の転換についていけなかったのか目を丸くするに皆の視線が注がれる。彼は後退ろうとしたが、すぐ背後には壁があった。
 口火を切ったのは喜多川だった。
「ふむ……あの艶のある外殻……甲虫……カブトムシ……ムシキングだな」
「懐かしいなオイ。ヘラクレスオオカブトとか憧れたわ。でも却下な?」
 何故だと目を剥く喜多川を坂本が抑え込んでいる間に、提案者であるところの高巻は首をひねってうーんと唸る。
「なんかもっと影っぽい、黒っぽい……ヤミカゲ、みたいな……?」
「あからさまにニンジャなのだ! それならハットリかカムイだろー」
 双葉などははじめから採用される気さえなさそうだ。
「……はやく自分の意見を言わないとこの子たちの案にされるわよ」
「えー」
 疲れてるのに。皆だって疲れてるはずなのに。別に今ここで決めなくたっていいのに。
 言いたいことは山ほどあったが、楽しそうにしている皆の姿を見ていると―――
「……オンブル」
「でたぁ〜春のフランス語推しだぁ〜」
 あまり止める気にもなれなかったし、ここでツッコミに回ると後々苦労しそうな予感がして、彼は沈黙を守り通した。
 じゃあといってこの疲れハイのような状態の皆をいつまでも放っておけばろくなことにならない。モルガナは再びため息をついて、まだ双葉に揺さぶられるがままになっている雨宮をふり仰いだ。
「レン、オマエがビシッと決めてやれ」
 いつまでオモチャにされてんだ。と咎められてやっと彼は双葉を放り出す。
 少しだけ考えて彼は言った。
「じゃ、ゴーストで」
 パレスでのの振る舞いは幽霊さながらでビビらされたから……と言わずに済んだのは壁際に追いやられた双葉のおかげだった。
「んっ、いいんじゃないか? 隠密部隊のことをゴーストとかファントムっていったりするしな」
「ちょっと恥ずかしい」
「案外慣れるわよ」
 は遠い目をする女王陛下の虚無的な笑みにどう反応したものか少しだけ迷った挙げ句、
「ですか……」と相づちを打つに留めた。
 それでやっと皆の肉体からアドレナリンが抜け始め、意識の隅のほうに追いやられていた疲労が自己主張をし始める。
 じゃあまあそういうことで。続きはまた明日。
 細かい時間や場所は明日起きてから決めようと残して、一同は解散した。

 どういう理屈なのか、暑い風呂に入って一晩ぐっすり眠ってしまうとあれだけあった気だるさは筋肉痛さえ残さず消え去っていた。
 不思議に思ったは経験者たちに尋ねてみたが、答えは概ね『なんかそういうもん』という曖昧なものだった。唯一双葉が『ペルソナって心のチカラだから、心が疲れたんだろ。MPだよえむぴー』と述べたが、結局それも想像の域を出ていないし、そもそもなんの説明にもなっていない。
 ―――放課後にまた集まったら精神世界やペルソナの『専門家』であるらしいモルガナに訊いてみよう。たぶんきっとそのほうが早い。
 そのようにして訪れた放課後、待ち合わせ場所である自宅の最寄り駅前のファミレスに一番乗りしたは、ぼうっと窓の外を眺めながら皆を待っていた。
 店に入って後から七名ほど来ると告げたときの店員の若干迷惑そうな顔といったら―――思い返して喉を鳴らしていると、ちょうどその七人のうちの一人が姿を現した。
「うーっす、なに一人で笑ってんだよ?」
 なにか面白いことでもあったのか、と気安く尋ねて対面に腰を落ち着けたのは坂本だ。もまたろくに挨拶もせず手を振るだけで済ませ、問いには『なんでもない』とだけ答えた。
「坂本だけ? 皆は?」
 通う学校の違う喜多川やそもそも通っていない双葉やモルガナは除くとしても、他は同じ方向からやってくるんじゃないのか。そう言外に含めての言葉だった。
「蓮とモルガナは双葉迎えに行ってる。他は知らね。どっか寄ってるか用事済ませてからくんじゃね?」
「忙しいんだなー」
「三年はしゃーねぇだろ」
「むしろなんで今日来れんのって話だわ」
「知らねー……」
 話す間にメニューに目を奪われたからか、坂本の相づちはおざなりだ。空腹ではあるがガッツリいけるほどの時間はあるかないか、悩む彼をは退屈そうに眺めている。
「なあ竜司」
「んー?」
「訊きたいことがあるんだけどさ」
「一晩で回復するリクツなら俺も知らねーよ?」
「それは最初から期待してないから大丈夫」
「あっそ」
 応えて坂本はメニューを開いたままテーブルに置いた。
「秀尽でなにがあったんだ?」
 投げかけられた問いに坂本は目を丸くする。
「……昨日話しただろ。蓮の転校初日にさ、俺とあいつでパレスに迷い込んで、そこが城でさ」
「そっちじゃなくて」
 坂本の言う『昨日の話』はパレスでの出来事に始終していた―――どのような仕掛けがあったのか、戦いがあったのか。そういう話であって『何故彼らがそこへ挑むことになったのか』という部分は大きく省かれていた。が知りたがっているのはこの『動機』の部分だ。パレスではなく現実に存在する学園でなにがあったのかと彼は問いかけている。
 坂本もそれは理解していたが、すぐには口を割らなかった。彼をして慎重にならざるを得ない事情がある―――自らの経験ももちろん、多くの人が受けた苦痛を慮れば当然のことだ。軽々に語るわけにはいかなかったし、好奇心からの疑問であれば跳ねのけるつもりでもいた。
「なんで知りてーの?」
 問い返す声がつっけんどんな調子になってしまったことを坂本自身苦々しく思うが、は気にしたふうもなく手元に目を落としている。
「前から疑問ではあったからかな……傍から見てると怪盗団のターゲットを選ぶ基準ってよくわからないんだよね。だけど自分がこうなって、案外身近な問題だったのかなって。最初のシゴトが秀尽だったのはそういうことなんじゃないのか?」
 坂本は舌先を噛んだ。今度は似たようなことを言っていた輩のことを思い出したからだが、なるほど怪盗団と自分たちを繋げる糸口がそこかしこにあるとはこういうことかと。
 なんにせよ腹の探り合いなんてものはこの少年が最も苦手とする行いだ。まして目の前にいるのは敵ではなく、これから味方としてともに戦う相手なのだからより気後れするというもの。
「……あんまり、聞いて楽しい話でもねぇと思うけど?」
 ならばと口先でけん制してみたつもりだが、は真剣な面持ちでこれを受け流してしまった。
「覚悟はできてる」
「ふ〜ん……?」
「頼む」
 頭まで下げられてしまうと、坂本にはもうこれに対処できる手は残されていなかった。
「いいけど。だけどあんま話題にすんなよ。特に杏にはよ」
「わかった」
 坂本の語り口は軽妙で、その性格を表すかのように余計な部分は削ぎ落とされていた。
 鴨志田なる男がいて、これが教職にあるまじき大層な悪人で、権威を傘に好き放題していた―――バレー部の顧問を勤めていたこれは特定の部員を厚遇する一方で同じバレー部員のみならず多くの生徒を追い落とし、坂本に至ってはバレー部の活躍を強調するために所属部ごと蹴り落とされたのだという。
 けれどじゃあ、「それが竜司の『動機』?」と重ねて問われると、坂本は首をひねってしまう。
「どうだろうな。たしかにムカついてたし、絶対なんかしてやろうとは思ってたけど……」
 一歩間違えば相手を殺害する危険性があるとモルガナから聞かされたとき、彼らは一度そこで怖気づいた。
 それはそうだ。恨みつらみはあったが、じゃあと言って殺すほどかと言われれば、自らの手を汚して親や友人らに顔向けもできなくなるような手段に踏み切るほどかと言われれば……可能性の話であっても避けたいと思うものだろう。その点においてはも理解を示して頷いた。
「だけど結局はやったんだろ。つまり、そこで踏み止まれないようななにかがあった……あってる?」
 追撃に坂本は顔中を不快感に歪ませた。無遠慮に尋ねるへの嫌悪もあったが、なによりそれによって呼び起こされた当時の記憶への苛立ちや忌避感のほうが大きく、彼をまた躊躇させた。
 それでも教えようと彼が思い切ったのは、の瞳にある切実そうな色に心当たりがあったからだ。自らの行いを正当化することへの後ろめたさと、それを分かち合う誰かを欲する、どちらかといえば後ろ向きな感情だろう。
 坂本は意を決して物語の中に二人の少女を登場させた。高巻杏という美しい少女と、その親友である鈴井志帆という少女だった。
 長い話ではなかった。
「ホントのところ、なにがあったのかは知らねぇし、あんま知りたくもねぇよ。だけどとにかく鈴井が……あー……」
 口の中でモゴモゴと言葉をこね回しながら、坂本はテーブルの端に置いていた手を転がしながら下に落とした。もちろん彼の手は腕と肩に繋がっているから、地に落ちるようなことはない。
 けれど話の中に登場する少女はどうだろうか。想像しては口を手で覆い、しわの寄った眉間を青ざめさせた。
「マジかよ……」
「だから言ったろ、楽しい話じゃねぇって」
「……けど、それは、こんな言い方もアレかもだけど、それは……その子の件は、竜司には直接関係ない話じゃないのか?」
「あ? あー、まあ……そうかもな。同中ったって、ンな話するほどじゃなかったし」
「むしろ竜司は、脚をやられたからなんだと思った」
「それも、まあ、あるかもしんねぇけど……俺はただ……」
「違うのか?」
「や、違ってねぇよ。そうだよ。今も、ちょっと全力出して走ろうとすっと膝がよ……抜けるみたいな感覚があって……」
 坂本はテーブルの下に手をやり、その膝を温めるようにさすった。
 実際のところ、彼が日常的に走ったり跳んだりができないわけでないことはすでに証明されている。ただし彼の言うその感覚は選手としては致命的だ。正しいフォームを取ろうとすると、感覚に怯えた身体が勝手にそれを崩してしまう。これを取り除くためには身体的な治療はもちろん、メンタル面でのケアも厚く受けなければならない―――
 気が付かぬうちに握りしめていた膝から手を離し、メニューの上に戻して彼は首をゆるく振った。
「……俺は平気だ。こんなの全然大したことじゃねぇよ」
「そうなん?」
「そーなの。ンなことより、俺はただ……悔しかっただけなんじゃねーかなって」
 坂本はやたらと明るく弾ませた声で言った。その様がまるで他人事だとが指摘すると、彼はまたおどけた様子で笑ってみせる。
「しゃーねぇじゃん! もう半年も前のことだし、そっから今日まで濃すぎんだよ!」
 それはそれで得難い経験だと彼はやはり笑った。
 はそれを見て頷いて、彼に倣って笑みを浮かべる。
「なあ竜司」
「あによ」
 静かな声で彼は言った。
「どうして殺さなかったんだ?」
 坂本は目を丸くして硬直し、オーダーコールに伸ばしかけていた手を止めた。ざわめきに満ちた店内にあって、この席だけが凍りついたかのように静まり返る。
 幸いなことに低いささやき声は坂本以外に届いておらず、物騒な言葉は余人に聞き取られることなく済んだようだ。それだけは本当に幸いだった。
 やっと息を吹き返した坂本は知らず浮かしかけていた腰をゆっくりと座面に戻し、忙しなく店内を見回してから叱りつけるつもりで応えた。
「……いきなりクソこえーこと訊くなよ」
「ごめん」
 素直に頭を下げられてしまうとそれ以上詰め寄ることもできず、彼はうめきながらやっと呼び出しボタンに触れた。
 空腹もあったが、企みもあった。これで話は長くは続けられなくなる。よしんば良くない方向に向かったとしても強制終了が可能だ。
「……なんでって、なんでって……そりゃ、コロシはヤベーだろ」
「でもさ、できたわけだろ。状況的に。しかも誰にもバレないおまけ付きだ」
 坂本の作戦に気がついているのかいないのか、は先より熱心な様子だった。
「さっき、他人事ったよな」
「うん」
「たしかに鈴井のコトは他人事だわ。許せねーって思ったしめちゃくちゃ腹も立ってたけどさ。だけどやっぱ『そこ』んとこを決めるのは俺じゃないだろって心のどっかで考えてたんだろうな」
 その心情は理解できるとは深く頷いた。聞かされただけでも鴨志田という男へ強い嫌悪と不快感を抱いたが、だからといって自らがその死を扇動しようという気にはなれない。
 続く坂本の弁もまた彼には納得できるものだった。
「だから杏にぶん投げて、好きなようにさせてやろうって思った。そうしたいって言うんなら……」
 けれど坂本という少年は、そう簡単に読み切れるほど底の浅い人物ではない。にはまだ少し、共有する時間が足りていなかった。
「いや、けどやっぱ……もしあん時……絶対やらないだろうとは思ってたけど……でも……あー……」
 坂本がガシガシと乱暴に頭を掻いている間に店員がハンディターミナルを手に早足でこちらへやってきている。
「……わかんねー。もう半年も前のことなんだって」
 濃すぎんだよ、と彼は再び言って、今度はおどけるわけでもなく朗らかな笑みを浮かべてみせた。
「ま、でも、あれで良かったんだよ。今はマジでそう思うわ。んなことさせるハメになんなくてよかった〜って感じ?」
 もまたメニューを手に、こちらは先と変わらない笑みを浮かべている。
「……お前ならきっと止めてたんじゃないか?」
「あ、そう? そう思う?」
 ちょうど話が終わったタイミングで辿り着いた店員に二人は遠慮会釈なくあれこれと申しつけた。大盛りにされたパスタとドリアとチキンとデザートと……遅れてやってきた雨宮と双葉はモルガナが止めるのも聞かずわれもわれもと追加し、高巻が半ば激高しつつそこに加わって、ゆったりとした歩調で現れた新島と奥村を呆れさせた。最後に現れた喜多川はその光景を見て崩れ落ちたが、そのころには皿はほとんど空になっていたから全員が揃ってすぐに彼らはパレスへ踏み込んだ。
 集合時間より一時間以上が経過してからのことだった。