13:Hide Behind You Baby

 見た目からしてそうだろうなと思っていたけど、フタバはほんとに軽いんだなぁ。
 はそんなふうに思いながら掴み上げた彼女をジョーカーに向けて放り投げた。そのために足が止まることも、後ろに迫るものがあることもこのときの彼はすっかり忘れてしまっていた。
 自らの身に危険が迫っていることを思い出したのはナビが無事にジョーカーに受け止められたことを確認した瞬間で、とにかく彼女は無事だと安堵するのとほとんど同時に彼の視界は閉ざされてしまった。
 けれどそこにあったのは血なまぐさい暗闇というわけではなかった。
 気がつくと彼の前には項垂れた男がなにか台の上に腰掛けている姿があって、その向こうの窓から射し込む強い西日が逆光となって彼の眼を強く焼いていた。それも瞬きをするうちに慣れ、次第に人の姿と風景がはっきりとしてくる。
「……親父」
 そこは病室だった。あまり広くもないが個人部屋で、窓の外には実をつけたニレの木が見える。
 ―――これも皆が言っていた『認知』ってやつ? 幻覚かなんか、見せられてるのかな。
 ぼんやりとそんなことを思いながら目をこすると、ニレの木に視線をやっていた男……少年の父親がゆっくりとふり返った。
「なんだ来てたのか」
 ゆったりとした口調でもって言った男の口元には力のない笑みがある。少年は釣られるようにして笑いながら頭の後ろを掻いた。
「なんだってなんだよ。ひでーよ。着替えだなんだ持ってきたってのに……」
 不思議なことに口からはその意思とまったく関わりのない言がこぼれた。怪訝に思って瞬きをくり返していると、その間に父親はまた窓の外に顔を向けてしまう。
 短く刈り揃えられた後ろ頭は少年にとっても幸いなことにまだ薄毛の兆候もみられないが、何本かの白髪を見つけて少年は胸の内で息をついた。
 ―――ああ、親父も年取ったなぁ。
 客観的に見ればこの父親も、まして息子もまだ若いくらいだが、少年には父親がひどく疲れきった老人のように思えてならなかった。己の成長を織り込んで考えてもこんなに小さな背中だったか、それにここ一週間でずいぶんやつれたな、と。
「飯は食ってんのか」
 またぼんやりとしていた少年を父親の声が引き戻した。
「ああまあ、てきとーに……そっちはどう? 病院食ってうまい?」
 返す声もまた勝手に流れ出る。
 それでやっと、少年は得心する。
 ―――そうか、これは半月ほど前にした会話だ。じゃあやっぱりこれは幻覚か、それとも夢を見ているのか。
 会話は彼の意思を無視して続いた。
「んん、まあ不味くはねえよ。んなことより誤魔化すんじゃない。お前の話をしてんだろ」
「ええー……大丈夫だよちゃんと掃除もしてるし洗濯もやってる」
「ほんとかぁ?」
 再びふり返った父親はやはり苦笑気味だ。少年は胸に痛みを覚えて顔をしかめようとしたが、もはや表情筋さえも彼の意のままにはならず曖昧な笑みを浮かべる。
 少年はこの先になにがあるのかを思い返して胸の内で首を振った。続きは見たくも聞きたくもないと強く願うが、叶うことなく過去の記憶だけが映画のように流れ続けた。
「……ちゃんと学校行ってるよな? 勉強しろよ勉強……お前は俺と違って頭いいんだからよ……」
「い、いきなりなに。行ってるよ」
 キョトンとする少年に男は首を振る。その動作にやはり力は感じられない。その人はどうやら本当に、肉体も精神も疲れ果てている様子だった。
「なあ、どうしたんだよ。先生も言ってたじゃん。腕はまた動くようになるって」
 腰を浮かせた少年に対し、男の背は丸まり続ける。その姿は彼につい今しがた見せられた認知上の存在が土下座を強いられる姿と重なりつつあった。
 ―――やめてくれ!
 そのように叫び出したい心地は今の彼とほんの半月前の彼とでぴったり重なっていた。
 最も尊敬し、頼りにしている相手のそんな情けない、小さな姿を見せられて、それを受け止められるほどの度量を彼はまだ持ち得ていなかった。
 精神的支柱と、もっと現実に即した経済的な生活基盤がもろく崩れ去っていく感覚に彼は声にならないうめき声を上げてその場にうずくまってしまう。それもそうしたつもりというだけで、夢か幻覚の少年は父親の肩に手をおいて慎重に力を込めていた。
 ゆっくりと顔を上げた男の眼は落ちくぼみ、瞳の奥にはなにかギラギラとした光があった。
「だ……大丈夫だ、お前はなにも心配すんな。大学だって好きなとこ行かせてやるから……」
「俺は別に。そんな行きたいとこも」
 ない、と言わんとする少年の腕を男の左手が強く掴んだ。
「行くんだ。お前は俺のようになるなよ。こんなことになっちゃ駄目なんだ」
「な、なんの話? それじゃわかんないって。なんなんだよ」
 少年は困惑しつつ腕を振り払いよろめきながら後退った。男の腕がそれを追って伸ばされたが、辿り着く前にそれは清潔なシーツの上に落ちてしまう。力の入らない上体を支える杖代わりとなった腕は震えていた。
 それもまた少年にとっても彼にとっても見ていたいものではなかった。
 思わずと顔をそらした瞬間目の前が暗転し、テレビのチャンネルを切り替えるように場面が変わる。
 彼はまだ同じ院内、病室を出てすぐの場所に立っていた。エレベーターホールと通路を挟んで隣接するナースセンターには看護師たちの姿があった。
 彼はすぐにこれもまた過去の記憶だと理解する。その上で聞きたくないと耳をふさごうとするも、記憶の中の少年はやはり思い通りにはならなかった。
「……〇五号室のさん? かわいそうよね……保険はおりるって言ってもね」
「……治っても元のとおりには……」
「……生活するにも苦労するだろうね……」
 まだ若そうな看護師らがカウンターのむこうでささやき交わしている。勤務中になにをと思わないでもないが、長い廊下にもホールにも彼のほかに人の姿は見られない。その彼にしたって看護師らが固まる事務スペースからは死角の位置だ。なんの悪気もないただの雑談だったのだろう。
 少年は息を殺してその場を通り抜けていった。
 再び視界が暗転して、次に彼が降り立ったのは自宅からさほど離れてもいない民家の一つだった。
 辺りはすでに夕闇に沈み、家々からあふれる灯りと古ぼけた街灯が頼りなく足元を照らし出している。目の前を塞ぐ引き戸からも、曇りガラスのむこうから鈍く温かみを感じる光がこぼれ、冷えた外気に強張った少年の手足を暖めるかのようだ。
 その温かみと漏れ聞こえる団らんの声を前に少年はいくばくか躊躇してその場に立ち尽くしていたが、やがて意を決して呼び鈴に指を触れさせた。
 少年がその名を告げると、家主はぎこちなく受け答えをした後のろのと姿を現した。
くん、こんな遅くにどうしたんだ」
 それは四十代半ばほどのがっしりした体格の男だった。短く刈り上げた頭は斑点のように白髪が混じり始めていて、玄関ポーチを照らす蛍光灯の灯りによって日に焼けた額のしわが濃い影を刻んでいる。
 この大見藤彦という男のことは少年も彼もよく知っている。物心がつくより前から父とともに働き、公私に渡って親交を深めてきた人物だ。何年か前に母を喪ったときはそれこそ家族ぐるみで少年とその父親を助けてくれた相手でもあった。
 少年はそんな男の目と鼻の先にスマートフォンを突きつける。
「これ、どういうことですか」
 画面には動画ファイルが表示され、すでに再生されていた。ざらついた映像はその男が凶行に至る瞬間をつぶさに捉えている。
 もとより硬かった男の表情はみるみる間に青ざめ、口元は引きつって奇妙な形に歪んでいった。
「どっ……どうして、なんでこんな動画」
「ここ最近ずっと変なことが続いてたから、監視カメラつけたんです」
「じゃあ、あ、あいつも……」
「……親父は知りません。カメラがあることすら。でも、『こんなこと』ができるのはあなたと斉藤さんくらいだ。察してるんじゃないですか」
 冷たく突き放した少年の口調に、大見はか細い吐息と声を発してその場に力なく膝をついた。
「お、おれは……おれはただ」
「認めるんですか」
 少年の声はやはり冷え冷えとして、震えながら見上げる男から矜持を奪い取った。
「頼む、警察には……!」
 一回り以上も年下の少年に縋りつく姿は惨めなものだったが、男は構いもせず学生服の裾を掴んで懇願する。
「仕方がなかったんだ! 他にやりようもなかった! おれは、ちょっと怪我させるだけのつもりで!」
「なんで」
「許してくれ! 今警察に行かれたらぜんぶ台無しになっちまう!」
「じゃあなんであんなこと!」
 少年もまた声を大に男を振り払った。その顔は怒りではなく、悔恨によって赤く染まっている。
「ずっと一緒に働いてきたんじゃないんですか!? 母さんが死んだとき優しくしてくれたのはなんだったんだ! 親父がなにしたってんだよ!?」
 胸には先に見た父の無念そうな姿が焼き付き、耐え難い痛みを少年に与え続けている。そのせか半ば叫ぶように告げる声はところどころが裏返っていた。
 大見は少年の目尻に滲みつつある涙を見て足元に額をこすりつけた。
「許してくれ……許して……おれにだって家族が……」
 不明瞭な発言の意図するところを教えるように、開け放たれたままの玄関扉のむこう、狭い廊下の先には人影があった。
 それは少年と同じくらいの年ごろの少女だった。もちろん、彼はこの少女のことを知っている。大見の一人娘で、少年より一つ年上の幼馴染みだ。さほど親しいというわけでもないが、大学受験を控えて必死に勉強しているのだということくらいは聞き及んでいる。
 不安げな少女の顔を見て、それで少年はおおむねほとんどを察してしまった。
 家だって裕福なほうではない。グローバル展開だとか世界規模の企業と取り引きがなんていっても、結局は零細企業だ。手取りはそう多くはなかった。彼自身も勝手な配慮から志望校のランクを落としていて、父親はそれを知らないはずだが―――先に大見にも告げたとおり、それくらいは察しているだろう。
 つまり、彼の父親がそうであるのと同じように、大見藤彦の動機は彼の娘だということだと少年はもはや理解していた。
 するとすぐに次の疑問がわいて出る。動機が我が子、ひいてはその進学のための費用であるというのなら、それと今回の凶事はどう繋がるのか?
 少年はうずくまる男の肩を掴み、無理矢理に立ち上がらせると娘には聞こえないよう声を潜めて言った。
「なぜあんなことをしたんです」
「おれは、それは……」
「教えて下さい。それで終わりにしますから」
 大見は戸惑うも、背後からかかる娘の「お父さん、大丈夫?」という声に背を押されて口を割った。
「そう指示されたんだ。それで借金を帳消しにしてやるって」
「誰に」
 答える前に男は一度ふり返り、娘に笑みを返してみせた。おちゃらけた様子で「立ちくらみしちゃった」などと言ってのける。「飲みすぎたのかも」とも。彼からは酒のにおいなどほんの少しもしていなかった。
 乾いた唇が開かれてその名を告げる直前、視界はまた暗闇に閉ざされる。
 気がつけば大見もその背後の娘も、まして父親の姿も病室もなく、彼は足場も壁もない、けれど落ちることなくその場に留まることのできる場所に独り佇んでいた。
 ぼう然としたまま首を上げあたりを見回す彼の目に映るものはこれといって存在しない。果ての見えない空間は白く塗りつぶされているが、ところどころにもやのような濃淡があって、濃い部分には虹のような色彩がある。ゆっくりと移動するそれらはまるで雲のようだ。じわじわと形や大きさ、色の濃さを変えながら漂っている。
 テクスチャの裏側、ポリゴンモデルの内側を覗き見たようだと彼は思う。メッシュの隙間に身体を押し付けて無理矢理通り抜けた先のようだと。
 彼はため息めいた笑い声をもらした。
 ―――ああなんだ、きっと俺はさっきの場所で死ぬかその一歩手前にいって、それで今のは走馬灯の一種かなにかだったんだろう。ここはきっと三途の川ってやつだ。
 ならば待っていればそのうち亡母が迎えに来てくれるだろうかと思うが、来たとしても一緒には行けないと思う。死んだというのなら悪霊とか怨霊とかいうものになって、それでやつに取り憑いてやろうという魂胆くらいはあった。そうなれば天国なり極楽なりにいる母と一緒にはいられまい。
 なんだってよかった。平静を装う胸の内を焦がす恨みや怒りを晴らすことができるのであれば、それがどんな方法であろうと構う気すら彼にはなかった。
 ―――そうだ。俺にもっと力が……皆みたいに敵を討ち斃すような《力》があれば……
 フィクションにありがちな定番のセリフを思い浮かべた彼に、これもまたよくある展開のように応えるものがあった。
『力が欲しいか―――?』
 彼はすぐには反応しなかった。それはどこからともなく聞こえた声に驚いたからとか、なんの前触れもなくささやきかけられる不気味さに怯えたとかではなく、ただひたすらに感心と呆れをないまぜにして閉口しているというだけだった。
 声は焦れたようにもう一度を問いかける。
『力が欲しくはないのか?』と。
 少年は腕を組んで唸った。答えはもちろん決まっているのだが、それ以上にもっと言いたいことがあった。
 彼は特に臆することもなくそれを口にした。
「マジでそういう感じなんだ、ペルソナって」
 呆れたような気配を背後に感じながらも彼は決してふり返らない。そこに立つものは焦れたようにまた問いかけた。
『いるのか? いらねぇのか?』
 先と違ってぶっきらぼうな調子のそれに、少年は口元を緩める。
「いるよ。もちろん」
『言っておくが、ただじゃ済まないぜ』
 妙に気取った冷笑的な態度にも彼は怯まず、
「それでいい」と応えて拳を握った。

……
 逆袈裟に振り上げた刃は吸い込まれるようにシャドウの胴に入り、骨を断つ手応えをフォックスの手に返した。
 シャドウとはいえ明確に人の形をしたそのものの苦悶の表情と声に片眉をひそめるも躊躇している隙はなく、振り切って伸びたその腕を背後に迫っていた別の個体の手が掴んでいる。耳障りなビープ音が聞こえるや否や彼は片足を上げてシャドウを蹴手繰り倒し、掴まれた腕を払ってその場を大きく退いた。
 鼓膜を痛めつけるような爆音と衝撃に壁際まで追いやられたその隣に、同じく弾き飛ばされてきたらしいスカルが肩を並べる。
「ああクソ! やりづれぇよマジで!」
「よせ、ぼやいたところで状況は変わらん」
「わぁってるよ! くっそ、どこ行ったってんだ……!」
 髑髏を模した仮面の下、眇めた眼差しはもはや残骸ばかりとなった展望台を見回している。
 フォックスのいう『状況』は敵の勢いにではなく、先にナビが漏らした悲痛な叫びに起因している―――の反応が無い、と彼女はそう言った。それを受けたジョーカーが皆に下した指令は『探せ』だ。彼がそう言う以上は無事ではないだろうが死んではいないということかと胸をなでおろすと同時に、皆こうして敵に対処しながらの姿を探し続けている。
 けれど、とひげを揺らすのはスカルとフォックスの頭上、辛うじて繋がっているワイヤーの上に立つモナだった。彼は先からずっと唸り声を上げ続けている。
 ―――ナビが反応をつかめないというのであれば、それは彼女の探知外に吹き飛ばされたか、あるいはやはり死亡したかだ。どちらにせよモナのヒトより優れた嗅覚にだってそれを捉えられるはず。かの少年のニオイくらい、どれだけシャドウが湧こうが足場が粉々に砕かれようが嗅ぎ分けられる。その自負がモナにはあったし、実際に彼には仲間たちの位置や状態がある程度見通せて―――嗅ぎ通せている。ところが現在、ナビ同様にまったくそれらしいものが彼の鼻には触れていない。
「どうなってやがんだ。ワガハイにもナビにも掴めない場所に行っちまったってのか……?」
 不可解さに尾を震わせていると、探査に気を割き過ぎたか、獲物を求めて銃口をさまよわせていた多脚戦車に補足されてしまう。
「おっと」
 こりゃいかんと飛び降りたモナの尾の先を擦過していったのは弾丸ではなく収束された指向性光だ。それは外壁を支える太いワイヤーをたやすく溶断し、鉄筋コンクリートさえもバターのように溶かし切っていく。
「冗談じゃねぇ!」
 吠えてモナは空中で姿勢を整え、着地より前に己の半身を呼び起こした。現れた怪紳士が細剣を手繰ると、その動きに合わせて周囲の空気が圧縮され、真空の刃を作り出して多脚に襲いかかった。
 チッと舌打ちを一つ、モナは素早くその場から退散し、手近な瓦礫の下に潜り込んだ。彼の力はぶ厚い装甲の前ではどうも効き目が薄い。
 それは他の面々にも言えることだった。炎にせよ雷撃にせよ冷気にせよ、パレスの主たる工藤経助の強固な認知がほとんどの攻撃を阻んでいる。であればその思い込みを覆すほどの強烈な攻撃を叩き込めばいいのだが、現状それができるほど場は整っていない。武装した警備員の格好をしたシャドウはともかく爆弾付きの首輪を着けたほうは無尽蔵かと思わせるほど湧いてくる。
 あるいは、この場は撤退して工藤経助本体の認知を変えるような行動に出られれば……
 それも、の安否を確かめられないうちにはかなわない。仲間を置き去りにしての撤退などできるわけもなかった。
 絶体絶命というほどでもないし、旗色だってさほど悪くはない。ただ状況は間違いなく膠着しているし、長引けばコストの問題からいずれはこちらが不利になる。
 居並ぶ警備員たちを拳の一つで制圧せしめながらクイーンは歯を噛んだ。息こそ上がっていないが、その額には汗が滲んでいた。
「本体を狙うしかないかな……」
 低くささやかれた声に傍らのパンサーは小さくあごを引いた。その碧の瞳はまた、やるなら付き合うよと訴えてもいる。
 本体というのはもちろん工藤経助のことだ。いつの間にかずいぶん離れたところに避難しているが、事の顛末を見届けるつもりでいるのか姿を消すそぶりはない。そこには傲慢さからくる油断が垣間見える。
「……ジョーカー、動ける?」
 やるなら今しかないと脚に力を籠めつつ語りかけた相手の姿はクイーンにもパンサーにもうかがえない。
 それでも語りかけたのはナビの状態を確かめるためでもあった。先に悲痛な声を上げてからこちら一言も発していないが、行動不能に陥るほどかどうか―――俯瞰の視点から皆を観測する彼女からすれば、ひと一人が明確に捉えられないという事実はひどく堪えるのだろうと推測はできる。ナビを介した通信さえも封じられたとなれば、いよいよ自分たちだけでやらねばならないか。
 唇を噛んだ彼女たちには幸いなことに、声は少しの間をおいて返った。
「ちょっと待て。……頼んだ……」
 応えたジョーカーはナビをノワールに預けているところだった。彼女は探査に殆どの能力を割いて機敏には動けないらしい。
「……よし。それで? なにか妙案でも?」
「私とパンサーで本体を叩くわ。あなたはあのクモみたいなのを抑えて」
「ああ……了解」
 若干の気だるさとともに了承を告げてジョーカーはその場を動き出した。
 撃破できればそれが一番だが、現状彼にも単独では難しい相手だろうとはクイーンも理解している。その上で彼を足止めに配したのは本体を上手く叩けた場合そのまま対処も可能だろうと目してのことだ。それはジョーカー自身も承知しているのだろう、それ故の気だるさだった。
「派手にお願いね!」
 パンサーのおねだりに応えようというわけでもないが、ジョーカーは潜んでいた瓦礫をこれみよがしに打ち上げてみせた。
 一畳ほどもあろう外壁の残骸は鈍い陽光を浴びて足場に大きな影を落とし、その下をクイーンとパンサーが走り抜ける。多脚もそれを認識し銃口を彼女たちに向けるが、しかし光線が放たれる直前黒い影がその巨体にぶつかりあらぬ方向に逸れてしまう。
 短剣の一本でそれを成し遂げたジョーカーの口元に薄い笑みが浮かぶ。けれどそれも一呼吸の間だけだ。
 ―――それで、さて。ここからどうしよう?
 ふーむといつものように唸る暇もなかった。クモかカマキリの前脚のように振り抜かれた多脚の一本がジョーカーの膝を捉え、絡めて彼を引きずり倒した。
 思いのほか俊敏であることに驚く暇はあった。ミシンの針のように連続して落とされる鋭い脚先を転がって回避する余裕もある。
 問題は、と巨体の真下に滑り込みながらジョーカーは思う。見上げた多脚戦車の『腹』はきれいなものだ。やはり血どころか肉片一つ見当たらない。それは喜ぶべきことだったが、引き換えにシャシーから伸びる六本の脚部それぞれの根本に嫌な物を見つけて彼は目を細めた。
 それはちょうど片手に収まりそうな大きさの小箱だった。左右にコードが繋がり、通電を教える緑色の小さなランプが鈍く輝いている。蓄電池かと理解するのと同時に、ほとんどの攻撃が装甲を通らないからくりを見抜いてジョーカーはますます顔をしかめた。
 いわゆる電磁装甲の一種だろう。本来は電気の力を利用して砲弾に対処するためのものだが、炎や電撃まで軽減することを鑑みるに認知の歪み、あるいはごく単純な勘違いや思い込みが働いているのか、そもそも装甲に耐熱耐冷、防雷加工が施されているのか……
 なんにせよ厄介な代物であることは間違いない。衝撃に反応して破片を撒き散らすタイプの装甲だった場合、至近距離で短剣を突き刺せばこちらのほうが粉々になりかねないと彼はなにもせず腹の下をくぐり抜けた。
 かといって、じゃあ、距離を稼いで叩くのも今は不可能だ。引きつけておかなければならない。
 特徴的な赤のラテックスを目だけで探るが、彼女たちはまだ工藤のもとにたどり着いてさえいなかった。待ち構えていたシャドウに挟撃され、今一歩踏み込みきれなかった様子だ。
 ―――自爆覚悟で吹き飛ばすか。蘇生や回復はどの程度の負傷まで保証してくれるんだろう。ナビ、早くあいつを見つけてこっちにも集中してくれ。
 一瞬の迷いやぼやく心地を見抜いているかのように多脚は少年の腹めがけて前脚を突き出していた。
『ジョーカー、ちょっと伏せてろ!』
 耳元に響いたノイズ混じりの声に、彼は咄嗟に従った。
 身を伏せた彼の頭上で金属と金属がぶつかる嫌な音と衝撃が起こり、次いでなにか重い物がその目の前に落ちる。
「おっと……」
 気の抜けた声が思わず出てしまったのは杭のように突き刺さったそれが多脚の脚の一つだと理解できたからだった。
 そしてまた彼は瞬きをくり返しながら先の声を胸に返す。
 ノイズ混じりの声はナビがやっと復帰してくれたのかと思い込んでいたが、しかしよくよく思い返せばあれは声変わりをとっくに済ませた低い少年の声だった。
「……?」
 なんだやっぱり生きてたか。耳か頭に直接声が届いたことからしてナビのそばにいるのか―――
 思わずと笑い出しそうになる彼の耳に、しかしゾッとさせるようなナビの言葉が届く。
……!? おまえか!? どこにいるんだ、反応がない―――』
「えっ」
 じゃあ今聞こえた声はなんなんだという疑問は口にされる前にかき消える。
「ここだよ」
 もちろんそれは驚がくと恐怖によってだ。
 ―――ナビが反応を捉えることができないまま声だけ聞こえるなんて、そんなのまるで幽霊かなにかじゃないか。
 背後から聞こえた声にジョーカーが全身を強張らせてふり返ると、そこにはバイザーで目元を隠した偉丈夫が立っていた。見覚えのあるその口元に安堵したらいいのか怯えたらいいのか、目を白黒させるジョーカーの肩にその手がかかる。
「なん―――」
 だ。
 と続くはずの言葉は途切れ、二人から離れた場所でその様子をモニターしていたナビが代わりに叫んだ。
『ジョーカーも消えた!?』
 ちょうど二人がいた場所では、衝撃から立ち直った多脚が再びそれを振り回しているところだった。よもやそれに切り刻まれたということかと一同は青ざめるが、続いたナビの間の抜けた発声に揃って脱力してしまう。
『あれ、やっぱいる……』
「とっちなんだよさっきから!」
 飛びかかるシャドウを打ち返しながらスカルが怒鳴った。
「てか、どこにいるって!?」
『お、おまえの後ろに』
 困惑した様子の彼女が言う『おまえ』はもちろんスカルのことだが、何故か彼以外の全員が咄嗟に後ろをふり返った。
「うおぁ!?」
 奇妙な悲鳴を上げたスカルの背後には確かに、ジョーカーと彼を掴む偉丈夫の姿があった。驚きのあまりよろめくスカルを、比較的近い位置でシャドウを蹴散らしていたフォックスが駆け寄って支えてやる。この際スカルの首に巻かれたスカーフを掴んで首を吊りかけたことは目をつぶるべきなのかもしれない。
「ふむ……足はついているな、二人とも」
 彼の少し焦点のずれた感想にも。
 スカルは喉をさすりながら偉丈夫をまじまじ眺める。
「……、か?」
「そうだよ。見りゃわか……らないのか」
 らしき人物は顔半分を覆い隠すバイザーを指で弾いて笑った。声にはやはり皆聞き覚えがある。
 無事だったのかとそれぞれ息をつくが、そうしてばかりもいられない状況だ。ジョーカーは濡れた犬のように頭を振って目眩を遠ざけると、先にスカルがしたようにをじっと見つめた。
「今のがお前の力か」
「ああ」
 頷いて返したにスカルが首を傾げた。
「力ってナニ? さっきからなんなん。瞬間移動かなにか?」
「あー、いや、そういうんじゃなくて」
「やってみせたら」
 含み笑いのジョーカーの視線の先には五本になった脚を器用に操ってこちらへ向き直る多脚の姿がある。
 は苦笑しつつ、今度はスカルの肩を掴んだ。
『……ジョーカー、そこレーザーくるよ! 避けて!』
 未だ混乱からは完全に脱せていないようだが、それでも復調したナビが警告する。ジョーカーとフォックスは直ちにその場を退いた。
「むっ……消えた……!?」
 飛び退る直前、フォックスは眼前にいたはずのスカルとの姿が溶け落ちるようにして足元に吸い込まれていくのを目撃していた。直後に通り過ぎた強い熱と光に目を焼かれるも、彼は難なく別の瓦礫の上に着地する。
「ああ!? なんだ今の!?」
「うおっ!?」
 と、その背後に消えたはずの二人が現れ、今度はフォックスがのけ反る番になる。
 姿勢を崩しながらふり返った彼はまた、奇妙なものを目撃する。
 の両肩から首にかけてを黒い殻のような物が覆い、その右肩には筒状の細長い物体が乗せられている。形状としては携帯型の擲弾発射器に似ているが特徴的な弾頭は装着されておらず、代わりにか更に細長い筒が伸び、平たく膨らんだ先端部には小さな穴が並んでいるようだ。
 それが大口径ライフルや対戦車砲等に装着される制退器……マズルブレーキやコンペンセイターとも呼ばれる反動抑制パーツであると思い至ったのは鼓膜を叩くような銃声が鳴り響いてからだった。
「まずは脚から……」
 囁くような声だけを残して、はまた溶けるように足元に吸い込まれていく。瞬きをするとそこにはもう取り残されたスカルの影しか残されてはいなかった。
 パズルのピースが嵌るように考えが至り、フォックスは立ち上がりながらジョーカーが跳ねていった方向へ目を向ける。六脚のうち二脚を撃ち落とされて前のめりに姿勢を崩す多脚を挟んだむこう、彼の背後にやはりは現れている。
「―――影を移動するのか」
「あ? あー、じゃあさっきの影の中ってこと……?」
 クラクラする、と頭を振るスカルが先に目撃したのは影の中というにはずいぶん明るい空間だった。
 果てのない白の空間に虹色に輝くもやが漂っていた―――そう教えてやるなりフォックスは興奮した様子で声を張り上げる。
「ほう、興味深い……! 、俺にも―――」
「後にしろよ。てか酔うからやめとけ。うっぷ……」
 青ざめて口を押さえるスカルに諌められたからか、フォックスは不承不承乗り出しかけていた身を引っ込める。
 一方のジョーカーはそんな二人を遠目に眺めて至極楽しそうだ。己のそばに戻ったを一瞥する眼にも同じものが湛えられている。
「任せていいな?」
「いいよ」
 短く淡々と応えた彼にますますごきげんそうに低く笑い、ジョーカーはその場を更に退いてパンサーたちに合流する。
 それを追うシャドウの対処にスカルらも去り、残された少年は自らを落ち着かせるために深く長い呼気をついた。
「よし……」
 その頸部を包む外殻は艶があり、甲虫の外骨格を思わせる。それを生物的と連想させるのは大口径ライフルに似た筒との接続部が血管や筋に似た構造をしているからだろう。よく目を凝らして見ればその銃身にも毛細血管めいた微細な網目を見つけることができた。
 間違いなくそれは彼の肉体の一部だった。
「……よし」
 その身には奇妙な気だるさがある。能力の行使に伴う消耗とは薄々勘付いているものの、かといって手を緩めるわけにはいかなかった。
「これが『ただじゃ済まない』ってこと?」
 かすれたささやき声は不明瞭でナビにすら完全に聞き取ることはできなかったし、続いた派手な発砲音に疑問も多脚の脚も吹き飛んだ。
「まあなんでもいいよ。この《力》でやることは一つだ」
 残響もまだ消えきらないうちにつぶやいて、は左右のバランスを崩して大きく傾いた多脚からほんの一瞬目を離した。
 そこには形勢が思わしくないと判じたのかいかにも苛立った様子の工藤がまだ留まっている。
 少年は己に向けて語り掛ける。
「手を貸せ、ランピオン」
 彼を包む外殻はまるで呼吸をするようにわずかに震えた。