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12:Op:Tightrope Ⅳ
そうは言っても大した距離でなし、ナビを担いだジョーカーが後ろから追いついてくるのにも時間はかからない。ただし二人はの惨状を理解するなり笑い出すのを堪えるために大変な労力を支払った。
「おぼえてなさいよ」
低く脅しつけてみたところで大した効果は認められない。震える二人を睨んでも結果は同じだった。
なにより走る距離もそう長くない。細い通路の壁に貼り付いた揺らめく扉の一つに飛び込むのと、むき出しの鉄骨からぶら下がる天井灯が瞬き、コンクリート壁の足元に埋め込まれた保安灯がパッと明かりを取り戻すのは同時だった。
すると誰が合図したわけでもないのに、自然と皆揃ってため息をもらしてしまう。五感がやたらと鋭敏になっていようが、指示線が行き先を教えてくれていようが、夜目がきく身体であろうが……やはり明かりがあると安心するものだと実感すると子どもたちは顔を見合わせて苦笑する。
「なに笑ってんだよ」
「お前だろ」
肘で互いを突いて遊ぶジョーカーとスカルはさておきと他の面々は部屋を見回す。地図上ではここは倉庫のはずだが、そういう様相にはちょっと見えない。大型の液晶テレビと六人がけのダイニングテーブル、床はフローリング……どうもどこかの民家の居間兼食堂のようだ。
「あ、セーフルームだね」
一息つけそうだとノワールは手を合わせて顔をほころばせる。
セーフルームとはなんぞやと怪訝そうにするに説明してやることしばし、若者たちは各々居心地の良い場所を見繕って腰を落ち着けた。
「要するにセーブポイントね」
「そゆこと」
「いやその認識間違ってっから」
そもそもなにをどうセーブしてロードするというのか。パンサーは律儀に指摘してやるが、彼女だって正しく、またが理解できる形で説明はできない。とにかく休憩できる場所だと把握できればそれで充分ではあった。
頃合いよしとみてジョーカーは手にした地図をダイニングテーブルの上に広げてみせる。皆の視線が集まると、真紅のグローブに包まれた指先はちょうど現在地にあたる箇所に注目を促すように叩いた。
「今ここね。で、次に向かのうのがここ」
トントン、と細い通路の先が叩かれる。指の下ではEVと記された真四角が控えめに自らの役目を主張していた。
「こっちはどうも人専用のエレベーターらしい」
普通エレベーターとは人を乗せるものだが、わざわざ専用というからには搬入専用のものもあるのだろう。彼の指は続けてもう一度……現在地から戻って停車場を挟み、ちょうど鏡写しになる位置を弾いた。そこにもEVの表記があるから、そちらが搬入用の大庄面積昇降機のようだ。
「こっちよりは人の目は少ないだろうが、無人とは限らない。念のため全員準備して」
「あいよ」
しばらくの後、怪盗たちは通路の端にまでやってきていた。鉄柵に囲まれたゴンドラの底は滑り止めの刻まれた鉄の床になっていて、踏むたびに細く人気のない通路にかん高い足音を響かせる。
唯一足音のないモナはサッと柵の上に飛び乗ると、次いで天を仰いだ。
よく見ればという程度だが上方はほの明るい。地下に潜ってから一時間以上は経過しているはずだが、ぶ厚い灰色に覆われた地上はまだ夜にはなっていないらしい。あるいは上にも光源があるのか……
いずれにせよ上以外に道はない。オタカラの奪取は今来た道とはまた別に考える必要がありそうだとクイーンはジョーカーの手から地図を奪い取った。あまり長く彼に持たせていると必要以上に小さく折りたたまれてしまう。
「どうしたものかしら……ねえ、なにかいい考えがあったりしない?」
なんてことのない雑談のようなテンポで水を向けられたからか、は少しどもり気味になりながらなんとか答えをひねり出した。
「あ、あー、そっすね。中からが無理なら外から……ですかね」
「それが無理めだからここ来てんじゃないっけ?」
軽い調子で指摘したのはパンサーだった。言葉が疑問形で締められているのは、根本的な原因の一部にが絡んでいる―――非戦闘員を抱えてあの超重戦車を相手取るのは難しいという側面があるからだ。張本人であるもすぐそのことに気がついたのだろう、しまったそうだったと渋い顔をしてみせる。パンサーの気遣いがかえって彼の罪悪感めいたものを刺激していた。
気まずい空気と呼べるようなものはしかし立ち込めることさえできなかった。様子からして気遣うつもりもなさそうなモナがニヤニヤしながらの背を尾っぽの先で叩いたからだ。
「いっそのことオマエもペルソナ使いになっちまえ」
「いやいやいや……」
気軽なモナの発言は本気でそう願っているのかもうかがい知れない。はますます顔をしかめて両手を振った。
「そもそもどうやってなんの? なんかこう、『力が欲しいか―――?』みたいなささやきとか聞いたの?」
「……近いものはあったかな?」
応えたノワールは視線をあらぬ方向に投げている。
「マジすか先輩……ペルソナってそういうのなんだ……」
心の中で若干後退しつつ、はううむと唸った。そりゃ自分だってそういう力があればとは彼だって思っている。未だ理解の追いついていないこの世界を縦横無尽に走り回れるような力があればきっと、と。
思い悩む様子を見せるに一瞥をくれて、クイーンは地図を丁寧に折り畳んだ。そうなればいいとは彼女も少し期待していたが、しかし己の経験を顧みると強く望むのは気が引ける。顔の皮膚とほとんど一体化していた『優等生』の仮面を引き剥がすのは、かなり、相当、ものすごく痛かった―――
「とにかく……上の状態と状況次第ね。そろそろ行きましょ。あちらから動いてくれる様子はないし、進むしかないわ」
「うむ、オタカラのニオイは上からだ。行こうぜ」
音頭を取りつつのモナの肉球が昇降機のボタンを押した。
外から眺めた塔の高さは目算で百メートルは軽く越えていた。それをこのスクリュー式のエレベーターで昇降するのだから、かかる時間はなかなかのものになる。おそらくパレスの主―――工藤経助のシャドウが利用する別の通路があるのだろう。
……そんなものが本当にあるのなら次はそちらを使わせてもらいたい。
などと考えているうちにはるか頭上にあった小さく薄い明かりは間近に迫り、耳には風切り音が聞こえ始める。
そのうち四方を塞いでいた壁が途切れ、斜め格子状の外壁と組まれた足場越しに外の風景が明らかになった。
「おー……」
再び誰にともなく声が漏れる。眼下に広がっていたのはそういう光景だった。ただし漏れ出たのは到底感動や歓喜とはほど遠い、嫌悪や恐怖に寄ったものだ。
「こりゃヒデーな」
柵に乗ったままのモナの言が見たものをそのまま表している。崩壊した首都の様相は酷いと言う他なかった。
「この光景も認知ってのが影響してるんだろ。工藤経助のさ」
抑揚のない声でが吐き捨てるのに、他の面々は視線を交わしながら控えめに肯してみせる。柵を掴む彼の手にはますます力が籠められた。
荒廃しきった都市というだけなら失望や悲嘆によってそう捉えられているだけだと解釈もできようが、そこにただ一つ、唯一の勝者であるかのようにそびえる塔があるとなると……そしてその塔は疲れ切った奴隷たちの労働によって今まさに建設中だ。あまりよい想像には結びつかない。
ジョーカーはの背中越しに荒野を眺めながら顎をさすった。
―――ここへ入るためのキーワードは『モニュメント』だった。もちろんそれはこの塔を指している。だけどじゃあ、何故モニュメントなんだろう? ふつうは記念碑を指していう言葉だけど、一体なにを記念しての建設物になるんだ?
考えているうちに鈍い音がしてゴンドラが停止する。ジョーカーはもう一度だけ顎をさすって、辺りに視線を這わせた。
特異な点はこれといって見当たらない。実際に目にしたことはないが、テレビや映画で見た高層ビルの建設現場に相違なかった。組まれた鉄骨や足場とそこからぶら下がる太いコード類、タワークレーン、積み上げられた無数の建材には雨避けだろう厚手のブルーシートが被せられている。
警戒してみた割にはシャドウの姿も見当たらない―――
「誘い込まれたか」
嘆くでも怒るでもなく、平坦に言ってのけたのはフォックスだった。
「そのようね」
続いたクイーンも同様に落ち着き払っている……というより、驚いているのは実質スカルだけだ。さりとて大げさに身構えて前に出た彼を冷めた目で見るのもためらわれる。なんとなれば彼は己の突撃隊長としての務めを果たすために出たからだ。一同はそっと遠くへ視線をやった。
「逆に恥ずかしいわその反応……」
たたらを踏んで立ち止まった彼の影をモナとナビが踏んだ。
「大声出さなかったからほめてやるぞ。えらいえらい」
「うっせ。やめろ」
「いいからどけよオマエら」
やわらかい肉球でナビを左に、スカルを右に押し退け、モナは先頭に立ってひげを揺らした。小さな鼻も震えているから、オタカラのニオイを探っているのだろう。彼はすぐに腰に手を当てて一同を振り仰いだ。
「だいぶ近づいたな。もうちょい上のほうにありそうだぜ」
ジョーカーは鷹揚に頷いてまたふーむと唸る。
どう考えたってその道中には罠が仕掛けられているが、他に道は見当たらないし、先に手に入れた地図も下層部の構造しか記されていなかった。なにより先に退路はないと確かめたばかりだ。
―――どうせ体力も気力もほとんど消費していない。
「行くか」
反対の声は上がらない。彼らは一丸となって足を踏み出した。
進んでみるとそこはどうやら展望台にあたる場所らしい。外から見たときはわからなかったが、松ぼっくりを思わせる丸みを帯びた外壁と内部にある円柱状のビルは十数メートルは離れ、幾何学模様を描いて複雑に張り巡らされた太いワイヤーが互いを支え合っている。一方で彼らが進み出た場所は円柱から外壁に手が届きそうなほど足場が広がり、縁には外壁に沿わせるためかこれもやはり緩やかなカーブを描く形に加工されたガラス壁が転落や雨風を防いでいる。
これらをして展望台と判断したのだが、実際に端まで行ってみるとなにを見ろというのか望遠鏡が等間隔にいくつも設置されていた。
「あっ、しかもきっちり百円とりやがる」
「む……すまんスカル、持ち合わせが」
「なにたかろうとしてんだ!? てか! 見るもんねーだろ!」
望遠鏡に百円を投入するジョーカーをどことなく羨ましげに眺めつつ、フォックスはそうでもないと首を振った。
「動くものくらいはある」
細い指が指した先、荒れ果てた地上を蹂躙する例の巨大戦車が闊歩する姿がある。スカルは目を細めてチッと舌を打ち鳴らした。
「我が物顔ってわけかよ。っぱ見て楽しいモンじゃねぇじゃねーか」
「それに灰が降ってて……景色がけぶって見えない……百円返して……」
項垂れながらジョーカーは望遠鏡から離れ、悔し紛れにか艶のない支柱を蹴りつける。
「遊んでないでよ、まったくもう……、あなたはああいうふうになっちゃ駄目よ」
「あ、はい」
「いまカーチャンみたいなこと言うなよっておもったろ?」
「思っ……てないです。全然。はい」
じっとりとした眼差しを鉄仮面越しに寄越すクイーンからにじって逃れ、は極めて慎重に彼女から視線を外した。視界の外でクイーンは憤懣やる方なしと言わんばかりに鼻を鳴らしたが、それ以上爆発することもなく済んだのは火口を投げ込んだナビこそが話題を逸したからだろう。
「きたぞ、お出迎えだ」
言うが早いか、ナビはを引っ掴むともろともに触手によって宙にすくい上げられる。少年の喉からか細い悲鳴が上がったが、それは空を切る爆音によってかき消された。
『上からくるぞ! 気をつけろ!』
「ってことは下からだな」
『公私の区別くらいつけるよばかっ!』
わかってる、と応えて、もちろんジョーカーは上を見る。
滑り降りるようにして現れたのは胴体から生えたローターの上に黒いまんじゅうのようなものを乗せた攻撃ヘリだった。
『あ、ロングボウ』
ナビのネクロノミコンの内部にもれなく収納されたの呆けた声が皆の耳を掠めると同時に、機首下部のチェーンガンが機関部をゆっくりと回転させ始める―――ナビの手は素早くコンソールを叩いて着弾予測範囲を表示させた。それは皆が立っている場所のほとんどだった。
『やっべ』
「コラぁナビ! どこに逃げろってんだよ!」
半笑いの彼女にモナから叱責が飛ぶが、あまり余裕もなさそうだ。叱られたナビのほうも意味はないと気がついてはいたのだろう、その手は続けざまにもっと直接的な介入をと動いている。
その脇で、足場の感覚さえないのに直立できることから湧き上がる強烈な違和感を呑み込みながらが言う。
『そいつは上には撃てないから―――』
『それだな。みんな、跳べ!』
怪盗たちが足元を蹴って頭上のワイヤーに跳び乗るとほとんど同時に、三〇ミリ機関砲が外壁の一部と強化ガラス、足元を彩るタイルのことごとくを砕き割った。
「あっぶな……なにあれ反則じゃない? またなんかヘンなことになってんじゃないの?」
『ダイジョーブ、標準装備だ』
「あんまり大丈夫じゃないような……」
それに、とノワールは粉々になった足元にちらりと視線をやる。先までは曲がりなりにも見晴らし台として眺望はともかく整えられていたが、たった一度の銃撃で見るも無残な姿に変わり果ててしまった。
「わざわざ建てたものを壊しちゃうなんて、なにを考えているのかな?」
「さあな」
眉をひそめた彼女の隣で、モナは毛を逆立てながら担いだ曲刀をヘリの鼻先に向けて構える。
「だがやることは一つっきりだぜ」
「ええ、もちろん」
力強く応えたノワールの背後には、ナビ曰く標準装備に似たものを携えた貴婦人が退屈そうに扇を揺らし佇んでいる。ドレスめいたスカート状の脚部装甲の前はすでに開け放たれ、六銃身の重機関銃が唸りを上げていた。
『マジすか先輩』
ネクロノミコン越しにその光景を目にしたがあっけにとられて言うが、それは激しく連続した銃声にかき消されてしまう。
吐き出された口径七.六二ミリ弾は辛うじてしがみついていた残りのガラスをその枠ごと砕き、強化構造フレームに守られた操縦席、そこに座していたシャドウを元ある場所に叩き返した。
当然のこととして操縦士を失ったヘリは大きく機体を傾ける。回転するプロペラも速度を緩め、高度を下げはじめると、フォックスなどは物憂げなため息などついてみせた。
「なんだ、脆いな。聞いていた話と違うではないか」
やはり彼も身体を動かしたいと思っていのか、刀の柄にやっていた手はどことなく名残惜しげだ。同じワイヤーの上で器用に膝を抱えるクイーンも似た様子で頬杖をついている。
「あなたたち、大げさに言ってたんじゃないの?」
「ンなわけ……」
ない、というスカルの言は言い切る前に証明された。一同の視界から消えたはずのヘリが猛烈な勢いで再浮上し、再び銃口を彼らに向けたおかげだった。
非常識だと誰かが半ば叫ぶような調子で言ったが、それに対して『パレスじゃこれが常識だ』と諭してやることは誰にもできなかった。
怪盗たちは銃弾が身体に穴をあける前にその場を逃れ、あるいは転がり落ちながら反撃する。大口径弾と雷撃、冷気、九ミリ弾が交差し、辺りは粉塵に包まれた。ヘリによる再びの銃撃は怪盗たちはさておき、床どころかビル壁までもを穿ち、ワイヤーと壁を繋ぐアンカーを削り取った。支えを失った外壁は先の攻撃の影響もあるのだろう、衝撃と強風になぶられてまた一部が剥がれ落ちていく―――
すっかり悪くなった足場を転がり、辛うじて建材の影に隠れたジョーカーは頭に積もった土埃を払いながらナビに語りかける。
「弾切れはなさそうか?」
問いかけた直後、床材だろうタイルの山の頂上が、雨避けのために被せられているシートごと弾き壊される。
『もう四〇〇発は撃ってる! 装備からみた上限超えてるし、それを抜きにしても―――』
ジョーカーは再び床を転がってまた別の遮蔽物の影に潜り込んだ。
『やっぱり弾数無限っぽいよ! 焼損しそうな感じもないっ!』
「訊かなきゃよかった」
嘆いた彼のすぐそばにパンサーが落ちてくる。彼女は二度目の攻撃の際さらに上方のワイヤーに飛び移って逃れていたが、今になっても続く猛撃に振り落とされてしまったらしい。
「大丈夫か?」
「あっ……ヘーキヘーキ!」
慌てて手を差し伸べると彼女のほうこそが慌てて両手を振り、すっくと立ち上がる。ジョーカーは中途半端になった手をさまよわせつつも怪我はなさそうだと安堵の吐息をもらした、もちろんと言うべきか、この間も銃弾の雨は降り続けていて、二人はすぐにそばの柱にへばりついた。
「やたらと的確だな」
その柱にもすぐさま銃弾が撃ち込まれる。鉄筋入りのコンクリートはただ積み上げられただけの建材よりよほど保つだろうが、続けばやがては削りきられてしまうだろう。
「こないだのミサイルみたいなんじゃないの? あれもしつこかったじゃん」
「それかな。ナビ、どうだ?」
『こっちからじゃ……ああもう、時間かかる。とりあえずやるだけやってみて。いちおうダメージは通ってるし』
「どこを狙えばいい」
会話に割って入ったフォックスの手はすでに引き金にかかっていた。先から響いていた
機関砲以外の銃声は彼のものだったらしい。撃ち出される五.五六ミリ弾はほとんど正確にメインローターの根本に命中しているが、効果はあまりみられない。
『頭の上のまるいの!』
『捕捉照準でしょ? 鼻先も叩いて』
「了解しました―――」
応えたのは高所に位置取るノワールだった。彼女とフォックスはそれぞれ指示された箇所……胴体上部の主翼を支えるマスト頂部の円盤とリボンの様な形状の機首に銃弾を叩き込んだ。
「むっ……」
「まあ、さすがに硬いのね」
亀裂や凹みこそ付いたものの、レーダー装置は未だ健在だ。コックピットは脆かったくせにと小さく毒づいてノワールはその場から退き、足元ではフォックスもまた舌打ちとともに影に身を隠した。
入れ替わりに飛び出したのはクイーンの繰る大型二輪だった。弾幕の隙間を縫うように進む彼女の半身は、その尻に半ば引きずるような格好のスカルを従えている。
「ちょっと! 早くして!」
「わぁってるよ!!」
怒鳴り合う二人の間に火花が散った。これは比喩ではなく、か細い輝きはまたたく間に膨れ上がって雷と化すと吸い寄せられるようにしてヘリに向かっていった。
空を裂く音よりも早くぶつかった紫電は破裂音に似た響きを轟かせて機首を揺らし、やっとのことで銃撃を停止させる―――
「見たかオラ―――ああぁ!?」
思わずとガッツポーズを取ったスカルがヨハンナの尻から振り落とされて床を転がった。直撃を見たクイーンがブレーキをかけ、後輪を大きく浮かせてエクストリームスポーツさながらのターンを行ったせいだ。目を回す彼の頭のすぐ上をクイーンの放った熱塊が通り過ぎていった。
乱雑な扱いにスカルが腹を立てる暇くらいはあったが、言葉とするにはやや足りない。炸裂した青い輝きは辺り一帯を照らし、砕けた床材や外壁の欠片、ちぎれたワイヤーの一部をさらに細かく砕き、彼もろとも吹き飛ばした。
……とはいえ、その程度ではすり傷を負う程度と知っているからこその行動だ。スカルのほうもそれを承知で不平を漏らしている。
「ひっでぇよセンパイ、勘弁してくれよ!」
クイーンは鼻で笑って顎をしゃくった。
電磁干渉どころか雷撃を受けて怯んだ機体を凝縮されたエネルギーの塊が叩いたのだ、ヘリはまだ空中に留まってこそいるもののあちこちから黒煙と火花を吹き、全体をガタガタと不気味に揺らしている。放っておいてもそのうち航行不能に陥りそうな有様だった。
『でも油断しない! わたしえらいっ!』
「自画自賛って虚しくならない?」
『お、おまえ、見てただけのくせに! とにかく、やつにはまだミサイルあるぞ。さっさと落としちゃえ!』
「もうやってるよ」
ジョーカーが指し示した先で小さく丸いシルエットがふんぞり返っている。尖った耳と長い尾に、背後には同じく丸い影が控えている。
「さっさと墜ちろ!」
本体の威嚇音に反して悠然と構えたモナの半身は身を翻し、握った細剣を突き出した。すると高度にふさわしい突風が生じ、元より安定を失っていたヘリは大きく機首を上げる格好で吹き飛ばされる。
ジョーカーもまた仮面に手をやり、自らの背後にその半身を呼び起こした。見てただけのくせにと言われるのは我慢がならなかったらしい。
飛び出したクマのぬいぐるみのような影は虚空から弾丸を精製すると、短く丸い手でそれを放り投げた。間の抜けた仕草のわりに弾はまっすぐに飛び、腹を見せて遠ざかりつつあったヘリの胴体下部、突き出した支柱にぶら下がる四発一組の空対地ミサイルにぶち当たった。途端、離れていてなお肌をひりつかせるような熱が爆発の余波に乗って寄越される。豪炎はしばらくその場に留まり、やがてヘリの残骸とともに地に落下していった。
最中に一度、地表に叩きつけられてからもう一度爆発音が轟いたのはミサイルの残りか、はたまたエンジンか……いずれにせよおかわりが来る様子はなさそうだと皆で胸をなでおろす。地上を闊歩する巨大戦車と違って、ヘリに対する工藤経助の認知はそこまで歪んではいなかったようだとも思う。
それはすなわち安全であるという意味ではなく、まったく別の脅威を示していた。
すっかり安堵しきったジョーカーが外の景色―――灰色にけぶる光景に目を移したとき、彼の鋭敏な五感のうち一つ、聴覚はまたぞろ厄介なものを聞き取っていた。
それはちょうど花火が打ち上がるときの音に似ている。丸くて大きな物が高速で上昇する際に響く音―――実際には花火の打ち上げ音は花火玉に付けられた笛によるものだ。現実に高速で接近する飛翔物はそうそう分かりやすい音を立てたりはしない―――呆気にとられるジョーカーの眼に、破壊によって大きく開かれた展望台の正面、そこに跳び上がって現れた物体が映る。つい先ごろにも見たし、なんならジョーカーはその身でもって受け止めもした物だった。
『ひえっ!? どっからきたんだ!?』
ナビがうろたえているところを見るに、どうも彼女の感知外から飛来したものであるらしい。となれば地上からか、しかしヘリは間違いなく撃墜したはずだし、見覚えのある形状からして地上を練り歩く巨大戦車からか。
どちらにせよやって来ている誘導装置付きのロケット弾は一発や二発では済まされず、次々に押し寄せては彼らの元へ今にも突き進んでいる。把握している限り爆発の規模は数も併せて鑑みるに足場さえ崩しかねない。回避よりは到達するより前に破壊する必要があった。
「させるかぁ!」
真っ先に我に返って男らしく吠えたのはパンサーだった。ヘリ相手にはご自慢の炎も大して通らなかったからと暇を持て余し、後方で皆の働きを見守っていた彼女はジョーカーの次に状況をよく把握している。手持ち無沙汰だった手にぶら下げていた鞭で足元を叩いた彼女を真似るように、彼女の半身は己の下僕を振り回した。
それで、どうして炎が吹き上がるのかは誰にもわからない。パンサー自身も解ってはいないだろう。なんにせよ波のように地から沸き立った炎は放射線状に広がり、やがては壁として向かい来るロケット弾の前に立ち塞がった。
そのころには他の面々も対処に動き出している。炎に触れた途端に二、三発が爆発し、それに巻き込まれて誘爆するものが半数、残りはそれらを掻い潜って飛び出すが、真下から吹く突風によって頭上に弾かれ、銃弾や雷撃、超高熱と冷気、あるいは目に見えない盾にぶつかってその場で吹き飛んだ。
『第二波きてる! みんな、ふんばって!』
「冗談でしょ!?」
「ではなさそうだな」
炎の壁が勢いを失いはじめ、薄れた箇所からさらに十数発が進入する。
「落ち着けオマエら! さっきと同じことすりゃいいだけだ!」
そう一喝したモナは再び突風でもって砲弾の軌道を逸しにかかる。一同が散らばる足場のやや上方から滑り降りるようにして飛び込むそれらの鼻先を空圧でもって押し上げ、無理矢理に上を向かせる。これによりほんの一瞬速度を失した弾体に、各々の最大火力が叩き込まれた。
再び熱と衝撃がばら撒かれる。強い閃光はまた彼らの目を焼いた。
『まだくる!』
「クソしつけぇな!」
ぼやける目を押さえながらスカルは視線を巡らせた。先と同じなら一度通り過ぎ、頭上に至ってから落ちてくるはずだが、予想していたところに目当ては見つからなかった。
『今度は下から―――あれこれこのコース……』
『こっち狙われてんね』
『やだーっ!』
嫌だはこっちのセリフだと二、三人が声を揃えて返したが、ナビは回避機動に専念せねばならずそれ以上会話が続くことはなかった。
足元からまっすぐに急上昇するロケット弾の数は八発まで確認できる。そのうち四発は直ちに爆破処理されるが、残りの四つはナビを―――あるいはを狙っているのか。どちらにせよ我先にともつれあいながら突き進んでいる。
「ナビ、まっすぐ飛べ」
『ころす気か!? ネクロノミコンじゃすぐ追いつかれちゃうよ!』
「そうじゃない、お前がそうすれば―――」
『相手の動きも単調になるから、撃ち落としやすくなるってことね』
急上昇と急下降をくり返すネクロノミコンの動きに酔ったのか、はたまた状況をよく理解できているからか、の声にはあまり余裕がない。実際彼は床の存在しない内部に転がって吐き気を堪えるのに必死になっていた。
対するナビは、ジョーカーの要請との言い説くところに目を白黒させながら長い髪をかき乱している。
―――ほんとにダイジョーブなんだろうな!? これでもし、万が一しくじるようなことがあったら、わたしはおまえらとちがってろくに耐久力もないからひとたまりもないんだぞ!?
この際仲間を信頼することと恐怖を堪えることは別の問題だった。だってあんなの当たったら絶対痛いじゃ済まされない。
『うううっ……うーうううーっ……絶対当てろよ! 外すなよ!』
「フリか?」
『公私の区別をつけろって言ってるんだよっ!!』
やけくそ気味に叫んで、ナビは動きを上昇のみに変更した。ジグザグとした直角的な動きに翻弄されていたロケット弾は一瞬戸惑ったかのように大きな弧を描くが、やがて狙い通りの直線を描きはじめる。
その単純な動きは怪盗たちにとって恰好の的でしかない。
「右からやるぞ」
言うが早いか、ジョーカーはそばに立つスカルの肩を銃架に発砲する。予告なしに響いた大きな発射音にスカルは耳を押さえて転がり、その間に他の面々も銃を構え、一斉に砲弾を叩き落とす。
連続した大規模な爆発音は等しく皆の耳を痛めつけ、ナビとに至っては熱と閃光に身悶える羽目にさえなっていた。
とはいえこれでやっと終わりかとジョーカーは銃を下ろし、ついでにとスカルに手を差し伸べてやる。
ところが切り札の懐刀、あるいは手投げ榴弾はなかなかその手を取ってはくれない。
「……スカル?」
さすがに銃架代わりの扱いは機嫌を損ねたかと不安に思った少年が呼びかけると、スカルは慌てた様子で跳ね起きる。
「クソがまだだ! もう一発―――」
その視線を追うと、ジョーカーたちの頭上をまっすぐに飛ぶ一発が爆煙の名残の中に突っ込んでくるところだった。
「ナビ!!」
『なんらぁ……?』
避けろ、と呼びかけるのは簡単だったが、呼びかけられたほうはまだ近距離での爆破の影響から脱しきれておらず、こたえも移動も中途半端だ。
ジョーカーは己の仮面に手をやりながら床を蹴り、まだ辛うじて繋がっていたワイヤーを足継ぎに大きく跳躍してみせた。
―――やりたくはないし、ここまでそんな暇もなかったが、ここに至っては仕方がない。
顔中を渋く歪ませながら、ジョーカーは高速で接近する飛翔体の前にその身を躍り出させた。
『ま、まって! それじゃダメ!』
―――急に心配してるみたいな声を出してどうした。この間だって平気だったんだから、これだって問題ないよ。ただ、ちょっとカッコつけすぎたかもしれないな。
……などと考える時間くらいはあった。
それもふるった短剣が信管を捉えた瞬間までだ。極めて当然のこととして弾は破裂し、また大きな爆発を引き起こした。
ナビと足元の面々が青ざめたのはそれが単なる爆発ではなく、電磁アーク放電による激しい発光を伴っていたからだ。青白い輝きは皆の目を焼き、まともに喰らったジョーカーをのけ反らせて床に叩き落とした。
『ジョーカー! こっ、このばかたれ!! 話は最後まできけ!!』
悪態がつけるということは、落下した少年がまだ生きていることの証明に他ならない。だからといって安心できるわけでもなく、彼女の顔は引き続き青ざめたままだ。
問題はいくつかあった。まず放り出されたジョーカーの位置が皆と大分離れてしまっていること、その彼が目を回しているのか感電でもくらったのかなかなか立ち上がってこないこと、ミサイルやらロケットやらは一旦途切れたようだが、新たなシャドウの反応があること―――
「あれだけ撃ってやっと一匹かぁ」
間延びした男の声には誰にも聞き覚えはなかった。言葉のわりに落胆した様子はなく、どちらかといえば浮かれたているかのようだ。
一同が視線をやった先に立っていたのは武装した警備員を引き連れたスーツ姿の男だった。上等な深い青のスーツに身を包み、短い髪は清潔そうで、見た目は優秀な営業マンといった風情だ。ただし袖裾からちらりと覗くやたらと豪奢な腕時計はいかにも成金めいていて、男の印象を下げている。年の頃は二十代後半か三十代に差し掛かるところか。
誰だと目を細めた少年たちの耳に、掠れたの声が届いた。
『工藤経助……!』
驚嘆とそれ以外の複雑な感情を湛えたこれに、怪盗たちは目を見開いた。工藤経助という男に関する情報は多くないが、それでも四十になろうかという年頃だとは聞き及んでいる。精神的な幼稚さが見た目に現れているとまで邪推はしないが、なんらかの美容整形手術が一同の頭を過ぎった。
そんな彼らの視線をどう受け止めたのか、工藤のシャドウは大仰な仕草で周囲を見回した。
「あーあ、派手にやってくれちゃってぇ。直すのにまた色々集めなきゃかなぁ」
もとより独言だ。クイーンはこれを聞き流して仲間たちにささやきかける。
「敵は見えているだけ?」
「……だけじゃねーな。位置はわからんが、そこここに隠れてやがる」
答えたモナに軽くあごを引いてみせて、クイーンは沈黙した。
次いでスカルが問う。
「ナビ、ジョーカーは無事なのかよ」
『ん、生きてる。体力的にはまだ余裕だけど……動かないな。寝てんのかこれ……?』
日ごろの活躍ぶりを思えば少しくらいは休ませてやってもと思わないでもないが、状況が状況だ。
「叩き起こせ」
フォックスは呆れた様子で吐き捨てた。
『やってみる』
応えるナビもまた無情だった。やることは回復支援なのだから優しくはある。
「なにコソコソ話してんの?」
「……お気になさらないで。それより、ねえ、先の攻撃、ずいぶん派手なことなさるのね」
胡乱げに語りかけた工藤にはノワールが穏やかに応じた。もちろんその手は愛用の斧を掴んだままで、黒いマスクの下の眼は笑っていない。
冷然とした彼女に対し工藤は卑俗的な笑みを浮かべてみせる。
「直せばいいだけだからね」
「そうは仰っても、大事なのではなくて?」
「そうでもないって。資材も労働力も探せばいくらでも転がってるからさぁ」
ノワールはますますつまらなさそうに目を細め、どうしたものかと空いた手の指先で己の唇をなぞった。
彼女とてこの不快な男との会話を長続きさせたいわけではなかったが、ナビがジョーカーを起こすまで時間は稼がねばならない。さりとてわざわざ訊くほどのことも思いつかなかった。工藤のいう資材や労働力がなにを示唆しているのかなんてことは明らかだったし、パレスへの侵入がこうして果たせている以上、個人的な趣味嗜好などもっての外だ。
なによりそれによって、きっとこの会話にも耳をそばだてている彼……にショックを与えたくはなかった。察していることと、直接聞かされることとではまた意味合いは変わってくる。彼女は経験としてそれをよく知っていた。
だけど、とノワールは今度は帽子のつばを撫でた。
思えばここに集う仲間たちは皆、一度はそうした精神的苦痛によって膝をついた経験がある。そこでただ折れるだけで済まなかったのはそれこそ心持ちの問題だった。その点でいえば、彼はもうとっくに資格だとか資質といったものを示しているようにも―――
意を決してノワールは語りかけた。
「こんな世界で、探せば見つかるものなんてあるかしら?」
「ちょっ……ノワール!? それ訊いちゃうの!?」
慌てたパンサーが割って入るが、工藤は眉一つ動かさずに泰然としている。どうやらノワールの目論見こそ見抜けていないものの、聞かせたくない人物が同行していることはすでに察知しているようだ。
彼は余裕たっぷりに言ってのけた。
「きみらも見たでしょ。奴隷はどこにでもいる。資材はそいつらに集めさせればいい」
例えば、と言って、男はやたらと演技じみた仕草で手を振ってみせる。
少年たちの背後、砕けた床の残骸の下から泡が沸き、みるみる間に膨れ上がって人の形をとった。それは道中にもよく見かけた痩せこけた、みすぼらしいシャドウの一体だった。
ふり返ったノワールはらしくなくあからさまに眉をひそめ、顔中を不快感に歪ませる。現れたのはこの状況を招いた彼女にしてもそうしたくなるような存在だった。
『……親父?』
呆けた声はネクロノミコンを介した通信回線の向こうから寄越される。
「はあ!? マジかよ!」
怒りによって叫んだスカルもまたふり返り、大きく息を呑んだ。
が親父と呼んだそのシャドウは確かにもはや見慣れつつある奴隷の格好をしている。汚れた作業着に、首には毒々しい赤色に点滅する小さなライトの付いた、やたらと頑丈そうな首輪……なにか他のシャドウらと違う点があるとすればそれは、この個体に右腕がないことだろう。
『……違う! 親父の腕はくっついてる! ちゃんと治るって!』
『お、おいよせ、やめろっ!』
浮遊するネクロノミコンの内部でがなにをしているのかは足元に立つ少年たちからは窺えない。ただナビの焦りようからして、暴れこそしていないものの前のめりにでもなっているらしいことは察せられる。工藤はその声を聞きつけて高らかに笑った。
「そりゃそう言うよなぁ、大事な一人息子に心配かけたくないもんなぁ。この頑固者のことだから、どうせこう言ったんじゃないか? お前はなんにも心配しなくていい、大学には行かせてやるから、とかさ」
『なんで―――知って―――』
掠れた声に工藤はますます楽しげに喉を鳴らした。
「いや知らないよ? ただの想像。だけど本当にそう言ったってんなら、次は……そうだなぁ」
あごを上げた工藤に見下されて、シャドウは固唾をのむ一同の中心に向かってよたよたと歩み出る。誰もそれを止めることができなかったのはずらりと並んだ銃口への警戒と……好奇心や底巧が全くないかと問われれば、皆目を逸したかもしれない。
いずれにせよ見守る一同の前で隻腕のシャドウは力なく膝をついた。
もちろん、この場の誰もが―――頭に血が上りかけているでさえこれがただのシャドウであると、所詮は工藤経助の認知による存在でしかないと理解している。だからこその静観でもあったし、言ってしまえばこんなものは工藤のくだらない妄想に過ぎない。
『やめろ!』
けれどだからこそ腹に据えかねる光景だったといえる。なにしろの父親の形をしたシャドウは、残り一本の腕もまた床につけ、腰を折って額を地に擦り付けたのだ。
問題はこれがただの妄想というだけでなく、工藤経助なる男がすでに一度ならず二度三度と、他者を自らの欲望によって操作しているという点にある。それも暴力的な手段を用いてだ。
つまりこの光景は、次はそうさせるという一種の予告だった。
『フタバ、降ろして……降ろせ! あの野郎、絶対に―――』
『ちょ待っ、ばか掴むな、落ちつけって……あっ!』
しまった、とナビがもらした理由は告げられずとも皆理解できていた。
高らかに響く工藤の嘲笑にかん高いビープ音が重なっている―――
『逃げて!』
激しい衝撃と爆音にナビの警告のほとんどはかき消された。
それもやがて残響となり、あとにはえぐられて鉄骨を覗かせる足場と首輪の欠片、勝ち誇った工藤経助の笑声だけが残されている。
『ばか! みんなのあほ! ドえむ! 舐めプ!』
唯一残されたナビはせっせと皆を罵倒するのに忙しい。それをかわいらしい強がりとみるか小生意気な態度と取るかは人による。
足場の端、八重に重なるガラス片のベッドに仰向けで寝転がりながらノワールは眉間をつまんでいた。やらかした、という自覚くらいはあった。
「ノワールぅ……」
そばに伏せるクイーンが恨みがましげに見つめてくるが、ノワールはちょっと軽く小首をかしげて誤魔化すだけだ。
「もうっ、あなたちょっと『彼』に影響されてきてるわよ」
「まあそう? それは……ふふっ、ちょっと嬉しいかも。気が合うってことだよね?」
「それってどういう」
「ご想像におまかせします」
「……やめとくわ。それより……」
クイーンは辛うじて上体を起こし、チラと背後に視線をやった。舞い上がった粉塵の向こうから聞こえるのは残響と高笑い、それからノイズまみれのナビの罵倒くらいだ。
二人がこうしてある程度は無事でいられるのはそのナビのおかげ―――反射的に行われた彼女の支援、極めて限定的な他者の認知……この場合はパレスの主である工藤経助の認知へ介入、操作のおかげだ。とっさのことで完全に無効化とはいかなかったが、ある程度の罵詈雑言くらいは受け入れてやろうという気にもなる。他の面々が沈黙しているのはそういう理由だろう。
彼女がしたのは工藤経助の『爆弾付き首輪』などというばかばかしい物品への認識をほんの一瞬、本当に『ばかばかしい』と思わせるという、ただそれだけのことだ。それが今のところの彼女の限界だった。ほんの一瞬、時間にして一秒にも満たないまばたき一度の間しかパレスの主の認知には干渉することができない。それでも十分すぎるほど破格でオンリーワンの能力だが―――
「くそぉ……わたしにもっと力があれば……」
そのナビとを乗せたアダムスキー型UFOの内部で、彼女は爪を噛みながらつぶやいていた。通信外のこれを聞き取れたのは虚空から湧き出た触腕に制圧されただけだ。
彼は項垂れながら『それパワーアップのフラグじゃん』などと考えている。触手にぐるぐる巻きにされたからといってちっとも落ち着いてはいなかったし、今も悔しさに歯を軋ませているが、その思考だけは冷え冷えとして奇妙なほどに落ち着いていた。
―――そういう台詞、つまり『自分にもっと力があれば』といった類の後に続くのは謎の存在からの問いかけだ。『―――力が欲しいか?』といった、フィクションにありがちな定番の展開を彼は想像していた。ペルソナとは往々にしてそのように目覚めるのだとつい先ほど聞いたばかりだ。
(……だけどフタバは充分やった。これ以上なんてどうなっちゃうんだ。人の心をいいように書き換えるなんて……聞いてた改心のやり方よりずっと簡単じゃないか)
想像するだにバカバカしいと自嘲する彼の耳に、ナビの大げさな呼吸音が触れた。
『あっ、あー……お、おまえ! 工藤!』
いつの間にかモニターのほとんどを覆っていた粉塵は晴れ、どんよりとした陽光に照らし出される展望台が再び姿を現していた。
そこに立つ工藤の姿は相変わらずだ。多数の警備員を従え、悠然とした様子でネクロノミコンを見つめている。
ナビは声を上ずらせながら問いかけた。
『おっ……おまえのしていることは犯罪だ! いやがらせしたり、ひとをおどしたり、トイチなんて暴利のキワミだろっ! なんでこんなことするんだ!?』
工藤ははじめて表情を変えた。きょとんとした様子で目を見開き、軽く首を傾げている。
「なんで、なんでかぁ……まさかの質問だなぁ。うーん……」
男は困り顔さえ浮かべはじめていた。
再びネクロノミコンの内部で、ナビは外部通信を遮断してにささやきかける。
「いいか、大人しくしてろ。すぐにジョーカーがこっちくる。合流さえできれば、煙幕でもなんでもはって、この場は退散だ。いいな?」
「……俺は」
「ばかなこと考えるな。下手すりゃ死ぬんだぞ」
死ぬ―――と言われて、はきつく歯を噛んだ。危険はあると聞かされていたからそういう可能性もあるんだろうとはずっと考えていたが、改めてはっきりと言葉にされてしまうと彼の背を言いようのない感覚が駆け上っていく。
足場も壁もない、しかし座ったり立ったり、寄りかかったり寝そべったりできる空間と外とを繋ぐモニターには、怪盗たちが先の爆発によって少なくない傷を負い、息を潜めている姿が映し出されている。
奇妙な格好だとは思う。コスプレめいていて、どことなくフェティッシュだ。珍妙であるとも。その衣装はすっかり汚れ、人によっては破れて血が滴っている。これは爆発のダメージこそ小さいが、吹き飛ばされた先の衝撃までは無効とはいかなかったためだ。
―――だけど、と少年は再び歯を噛んだ。
ナビは『下手すりゃ死ぬ』と言ったが、それは皆同じだ。こうしてネクロノミコンの中に収納されてしまうぶん、なんならのほうがずっと安全だった。
いわんや現実にしても死の危険性は誰のそばにも無言で佇んでいるんじゃないのか。
屁理屈めいた言が飛び出す寸前、ずっと唸っていた工藤が奇しくも同じようなことを言い出した。
「やっぱさぁ、ヒトってどんだけ稼いだり有名になったりしても、いつかは死んじゃうんじゃん?」
を睨みつけていたナビははっと我に返って工藤に問い返した。
『そりゃ、そうよ。だけどそれがなんだってんだ』
「いやだからね。なにかさ、証? みたいなんを残したいなって思うことない? 俺はやってやったぞっていうナニカをさ……」
男の様子は感慨深げですらあった。腕を組んだことで袖が上がり、手首に巻かれた高級腕時計がやたらと存在感を主張している。
「そこいくと建物って強いよね。中世……や、もっと古いさ、ピラミッドとか。今も残って、王の名前とか有名じゃん。クフ王とか、ジェセル王とかね。俺もそうなりたいなって。だから塔を建てたいんだよ」
『そっ……んなことのため……?』
がく然とするナビに、工藤はあからさまに気分を害したと片眉を上げた。
「さっき言ったエジプトの王様たちは死ぬ前から墓を建ててたんだろ? それに公共事業として雇用も生んでたっていうじゃん。おんなじだよ。場所だってほら、この辺ならそんな迷惑かかんないでしょ?」
むしろランドマークとして観光客を呼び、寂れた工場町を生まれ変わらせることさえできるんじゃないか。
誇らしげに両腕を広げた男に、少年は掠れた声で問いかける。
『そんなことのために父さんを……あのひとの誇りを奪ったのか……?』
工藤はまた朗らかに笑った。
「人聞きの悪いことを言うなよぉ、やったのは俺じゃないじゃん。なあ? そおだろ?」
男の腕が掲げられるのと同時にアラートが二人の耳をつんざいた。
『なんだ、上から―――なにあれ!?』
天井部のガラスを突き破って落下してきたのは都市迷彩塗装の施された金属製の球だった。会話によって時間を稼ごうという意図はどうやら双方ともにあったらしく、工藤はこれの到着を待ちかねたと両手をこすり合わせている。
「やっと来た。さ、お願いしますよ。娘さんが大変な時期なんでしょ? 大変ですよねぇ大学受験って」
『なに言って―――』
ナビは眉をひそめたが、その言葉の示すところをはすぐに理解した。
『大見さん』
軽い驚きがあるのはこの男がすでに一度、少年らの目の前で爆散しているからだ。けれどその体格と年格好は見間違いようもなく大見藤彦その人に違いない。彼は球体の内部にいて、ぶ厚い透明なシールドのむこうからネクロノミコンを睨みつけている。
それだけならばまた自爆特攻かと身構えられるが、瞬きする間に球体には亀裂が入り、そこから蜘蛛のような脚が三対飛び出すとゆっくり立ち上がってみせた。なんだそりゃとナビが眼を見張る間にもう一対、銃口を覗かせるマニピュレーターが生えてくる。
SFでよく見る多脚戦車に近いとナビは理解するが、だからといって対処など知りようもなく、また六本の脚を巧みに動かして床を蹴り、壁に飛びついて迫られてはどうすることもできなかった。
こうなれば瓦礫の影や下に伏せていた面々も雌伏とはいかず迎撃に身を起こすしかない。
「ガキどもはそこだ! 行け!」
それも工藤の号令とともにおぼつかない足取りで駆け寄ってくる首輪付きのシャドウらにせき止められる。
「やめろ……って言っても意味ねぇんだよなクソ!」
「シャドウだぜ? パレスの主の思い通りにしかなねぇよ」
こんなやりとりいつかもしたな、と笑い合う暇すらなく、決して小さくない爆発が複数回続いた。怪盗たちの側にほとんど被害がみられないのはナビが懸命に指示を送っているからだが、そうなれば当然彼女自身はおろそかになる。
「ナビ! こちらは構うな、自分の身を守れ!」
『そんなこといえる立場か!』
言い合っているうちに横合いから多脚戦車がネクロノミコンに飛び掛かった。激しい衝撃と驚愕にナビは恥ずかしげもなく悲鳴を上げてのけ反り、のしかかる重量に耐えきれずもろともになって床に落ちてしまう。
フォックスはだから忠告しただろうにと舌を打ち鳴らしたが、彼と落下地点との間には警備員の格好をしたシャドウらが立ち塞がっている。すぐには駆けられない。他の面々も似たような状況だった。
しかたなし、ナビはわが身の半身を引き戻し、生身となって絡みつく多脚から転がり落ちる。
巨体の影の下で彼女は半ば叫ぶようにして言った。
「走れ!」
「って……どっち!?」
「あっち! ジョーカーがむかってきてる!」
指し示した方向にが目を向けると、なるほど確かに黒い影が飛び込んでくるところだった。影はまたなにかを訴えようと口を開けている。
彼の言わんとするところを理解するのは―――悪いことに―――のほうが早かった。
「フタバ、危ない!」
彼はナビの首根っこと腰を掴むと、振り子の要領で一度引いてからジョーカーに向けて放り投げた。
一拍遅れて轟音と足元を揺さぶる振動が襲いくるも、ナビは危なげなくジョーカーの腕に抱きとめられていた。人によっては羨むような体勢だったが、ナビはときめいたりはしなかった。それは彼女がこの少年を異性として意識していないからだとか、そもそも好みじゃないだとか、血の繋がらない父親と似た匂いがするせいだとか、そういう理由からではなかった。
ふり返った視界のどこを探してもの姿は見当たらない。あるのはただ、むき出しのコンクリート基盤に腹をこすりつける多脚戦車の巨体だけだ。どうやら走って逃れようとしたナビとを追って飛び跳ね、そこに着地したようだ。
そこというのはすなわち、つい今しがたまでナビがいた場所だ。
「あっ、あっ……ヒッ……」
青ざめて震えはじめた彼女を胸に抱えなおして、ジョーカーはそばの瓦礫の下に滑り込んだ。ナビを抱えたまま真正面からやりあうには相手が悪いとしての判断だった。なにより小柄な少女は過呼吸の症状を呈しはじめている。
「落ち着け、ナビ。……双葉、しっかりしろ。は大丈夫だ、みんなも―――」
とにかく落ち着かせようと声をかけるも、彼女は激しく首を左右に振るばかりだ。
「だいじょうぶじゃ、ないっ! なんにも大丈夫じゃない!」
「双葉……?」
長い髪をかき乱しながら彼女は叫んだ。
「の反応がないっ! どこにもみつからない!」
ヒュッと喉が鳴いたかと思うと、ナビはそのまま背を丸めて四肢を強張らせてしまう。その背を擦ってやりながらのジョーカーもどことなく青ざめつつ、彼女の言葉の意味を確かめるように胸の内で何度も反すうしていた。
―――反応がないって、それって……
瓦礫の隙間から多脚戦車に目をやるが、その腹に血のようなものは見当たらない。ジョーカーがナビに『大丈夫』だと言ったのは多脚が着地した瞬間にもそういったものを目にできなかったからだが―――
「どこに消えたんだ……?」
仮面の下で眉をひそめる彼の耳に聞こえるのはいくつかの爆発音と猫の鳴き声くらいだった。