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11:Op:Tightrope Ⅲ
地下鉄駅はパレスの中央やや北を東から西へ横切る形で三つ存在しているが、そのうち一つは完全に崩壊し、入り口自体が塞がれてしまっていた。このため怪盗たちは残りの二つのうちからより本体に近いほうをまず調べようとそちらへ足を運ぶこととなる。
崩壊した街に空から灰が断続的に降り続け、降り積もるそばから消えていった。
「先に入ったときも感じたが……退廃的な光景だな。一種の美しさがある」
一歩踏み入るなりそう言ってのけたのはフォックスだった。他に誰がそんな感想を抱けるというのか、続く一同は呆れた様子で首を振っている。
「言いたいことは、わからなくもないけど。非現実? 非日常? のキワミだよね」
辛うじてパンサーがフォローめいたことを告げると、こちらはまあまあの反応がある。
「あー……ンだな。パレスはドコも妙っつうか、なんかそいつのカンセー? が出るよな」
「そうなんだ?」
スカルのすぐ後ろを歩いていたが疑問符を浮かべた。コスプレめいた派手な衣装の一団の中にあって学校帰りの格好のまま、黒一色の学ラン姿の彼はかえって奇異に映るかもしれない。本人もそれを自覚しているのか少しばかり居心地が悪そうで、合流したときからあった重そうなリュックサックも縮こまるようにして彼の背に貼り付いている。
そんな彼の疑問に怪盗たちは過去を胸に返して渋い顔をしてみせた。王城だとか、美術館だとか、銀行、墓所、宇宙基地にカジノ……
大物の動きを確かめるために先行して侵入していたジョーカーとモナが合流するころには、これまで踏み入った他者の心をすっかり語り終えていた。
先遣隊によると大型は駅からはるか南方をゆっくりと移動中とのこと。履帯と主砲に負ったダメージもそのままであることから、さっさと地下に潜ってしまえば脅威にならないだろうと判断された。
「そいつがその場所をどう捉えているか、ねぇ……」
そういうことならさっさと行こうと地下に存在するホームを目指して階段を降りるなか、はなにか深く感じ入る様子でつぶやいた。
「じゃあここはなんなんだろう。人類滅亡後の世界って感じだけど」
「だが人類は死滅していなかったっぽいし、そこに謎の塔があって、それが本体らしいとなると……聖帝十字陵だったりして」
先頭を歩くジョーカーが冗談めかして言うことに、一同は気の抜けた声を上げる。どうやらそれは同意に近いものだったらしく、彼らはそのまましばらく古いマンガを肴に雑談に興じた。
地下へ続く階段はさほど長いものではなかったが線路へ降りるにはいくつかの通路を進み角を曲がらねばならない。どこから電力が供給されているのかは不明だが構内は白熱灯やLEDライトに照らされ、道程にシャドウの姿が一つもないことに首を傾げても、平らかな歩みが止まる理由は積もる埃と崩落した天井の瓦礫以外には見つからなかった。
そのようにして二十分も進んだころ、話が『果たして自分たちは聖帝と戦って勝てるだろうか』というところに至った辺りで、彼らの足はふいに止まる。
「あ? ンだよ……」
威嚇するような低い声とともにスカルが睨めつけた先には、塗装も剥げかけた鉄格子が道を塞ぐように佇んでいた。ジョーカーの手が恐る恐ると触れてみてもなんの変化もないことからして単なる障壁の類のようだが、扉やスイッチのようなものは見当たらない。
「あちゃあ……これはちょっとやっかいだな」
言ったのは最後尾で投影型モニターとタッチコントロールに囲まれたナビだった。彼女の眼は進路の確認をしがてら、鉄格子の周辺を壁の内部に至るまで走査し終えている。
「開けられないの?」
警戒のため背後に目をやるクイーンが問いかけると、ナビはうーんと唸って腕を組んだ。
「そういうタイプじゃないんだよ。これもう完全にただの壁」
「壊しちまうか」
「よし、やれ」
「任せろ、斬り捨ててくれる」
「思い切りが良すぎるでしょ」
壁際で膝を折ってしゃがむパンサーが前のめりになる男子三名に冷たい視線をくれてやり、ナビはまたこの脳筋バカどもめ、と毒づいてため息をついた。ノワールは……そっと持ち上げかけていたグレネードランチャーを背中に隠した。
最後の一人を見なかったことにして、クイーンは手にした構内の案内図に目を落とした。勢い込んでいたジョーカーたちの動きは停止していたから、彼女から注意すべきことはなにもない。
「他の道を行こうか。ちょっと大回りになるけど、こっちからいけば……」
「んだな。安全第一―――ってコラぁ! モナを押し込もうとすんな!」
「いやいける。がんばれモナ!」
「ふンぎぎぎ……」
猫型生命体の後頭部にはジョーカーの手が添えられている。小型軽量タイプの仲間を格子のむこうにやって探らせようということなのだろう。確かに、猫は頭さえ通ればどんな隙間もくぐり抜けるという。
なにより単身での潜入ならば彼の右に出る者はいない。大きく迂回することなく先へ行ける道を見つけ出すことも容易だろう。期待の籠った視線が揺れる尻と尾に向けられ、やがてスポン、と軽快な音を立てて頭が鉄棒の間を通り抜けた。おお、と歓声が上がり、ガッツポーズめいたものまで取られるが、しかし……
「あっ」
モルガナは本人の主張するところが真実であるのなら、猫ではないのだ。
短い足と長い尾が振り回されるが、それだけだった。彼はもはや、前にも進めず、後にも退けず、その場に縫いつけられている。
「……動けにゃい……」
パタ、と尾の先の白い部分がタイル床の上に横たわり、非難の眼差しはジョーカーに向けられた。
「なんでこんなことした、言え」
「いけると思ったんだ」
「バカ! アルティメットバカ!」
「いていて、いったい」
ナビがジョーカーの背や尻を手のひらで叩いて折檻する間、他の面々はどうにかしてモナを救出しようと手を尽くす―――といっても、こんな事態は完全に想定外だ。彼が囚われている以上、下手に叩くことも斬ることもためらわれるし、爆発や火炎などもってのほかだ。
どうしたものか、と怪盗たちは額をつき合わせて唸りあった。
「こういうのなんかで見たことあるんだよね。ほら、マンホールとかに引っかかっちゃったスズメとかさ」
「ああ、石鹸で滑らせるんだったかしら……? それともオイル?」
「どっちも持ち込んだり、してないよね。どうしよう……」
「やっぱ壊すしかないんじゃね? モナには悪ぃけど、我慢してもらって」
「やはり俺の刀で斬ったほうが早いのでは?」
その背後で、金属が擦れあう、それにしてはやけに重い音がする。あるいは錆びた古い扉を押し開けたときのような……ふり返った彼らの目に飛び込んだのは、がモナを片手にぶら下げている姿だった。
「あれ? どうやったの?」
ぐんにゃりするモナを肩に乗せた少年は軽く肩をすくめてもう一方の手に握った物を一同の前に差し出した。そこには一見するとレンチのような、しかし柄が短く、口部はやたらと厚みがある工具が握られている。
「……なにそれ?」
「パイプカッターだよ。持ってないのか?」
「初めて見たけど」
は、困っているような、呆れているような、その中間の表情をつくってみせた。
「潜入、なんだよな?」
「え? うん」
素直に頷いたパンサーに、は困惑のほうを強めた。
「他のパレスにもこういう行き止まりってあったんだろ?」
「おう、クソ大量にあったわ」
スカルの言には呆れが勝った。
「そういうとき、どうしてたん?」
「別の道を探して迂回していたが?」
不思議そうに首を傾けるフォックスに、はいよいよ混乱した様子で縋るような目をクイーンとノワールに向ける。
「これまでずっと? 全部、ですか?」
「……まあ、そうね。うん……」
「えっと……はい……」
はもはや無言になって、モナを肩に乗せたままパイプカッターを鉄格子に押し当て、格子を形成するパイプの一本を切断してみせた。すでに一本、モナを救出するために切り落とされていたから、格子にはいまや人ひとりがくぐり抜けるに十分な隙間ができている。
「なにそれずるい」
ナビから一通りの折檻を受け終えたジョーカーが言うことに、は今度こそ呆れ返って天井を仰いだ。
「これね、そのへんのホムセンで売ってるよ。一万ちょい」
「あ、けっこういいお値段すんのね……」
「それ一つで一月は余裕で暮らせるじゃないか」
「三千円くらいのもあるよ。ただまあ、安いやつだと切れるものも限られてくるから、やっぱそれなりにいいヤツ買ったほうが後々―――そうじゃなくて。え? お前らこれまでマジで迂回ばっかしてたの?」
一同のもとに戻された彼の顔には、信じられないと書かれていた。
「正面突破もする」
「潜入、だよな?」
ぐうの音も出なかった。辛うじてジョーカーが宝箱の鍵開けならツールを使用すると主張したが、それはかえって道程における手ぶら感を強調しただけだった。
は本当に、心底不思議そうに尋ねる。
「潜入道具とかないの?」
怪盗なんだろうと語尾に添えるように言われて、仲間たちの視線は一斉にジョーカーへ向けられる。しかし彼が取り出せたのは逃走用の煙幕くらいのもので、あとは傷薬だとか、ジュースの缶だとか、火炎瓶やスタンガン……
「ちょっとこの焼きそばパンいつの!?」
「冷やし中華ってコレ夏季限定のやつじゃね……?」
持ち物の確認と広げられたアイテムの一覧には仲間たちも驚かされていた。主に賞味期限について。
「……捨てなさい」
「えっ……別に問題ないよ」
「捨てなさい」
「今までも食べたり飲んだりしてただろ」
「諦めろ、ジョーカー」
訴えも空しく、いつ鞄に詰め込んだのかもわからない食料はその場に投棄されることとなった。
それでやっと本来の筋道を取り戻せた少年たちは、今度こそ通路の奥へ進んでいく。道中の会話はパレスを最終処分場代わりに運営することは可能か? という議論に費やされた。建築残土や焼却灰、化学薬品等の産業廃棄物を可能な限り放り込んでパレスを崩壊させることで、現実における処分場の負担軽減、およびそれによる費用の高騰を低減させることができるのではないか。だとして、土や灰はともかく薬品等はパレスの持ち主に悪影響があるのかないのか、そもそも現実から失われた質量はどこへ消えるというのか―――特に結論が出ることもなかったし、誰も本気でやろうというつもりもなかった。やり方もわからないし、結局は聖帝同等の暇つぶしだ。
益体もないおしゃべりに興じつつたどり着いた改札口はあるべきはずの自動改札装置が撤去され、代わりに搬入用と思わしきハンドリフトやゴンドラ、壁に立てかけられたサイコロやパレットが置き去りにされていた。
「読み通りみたいだな」
壁際に停められていたフォークリフトの影に身を隠し、ジョーカーは首を巡らせて背後のに視線をやった。その口元に湛えられた笑みはどうやら、彼の推察の良よさを喜んでいるようだ。
受けた彼は称賛の言葉に照れくさそうに頭をかくが、しかしこの場合は手放しで喜んでばかりもいられなかった。
荷役自動車のむこう、ホーム付近はほの明るい通路と違って眩しいほどに照らし出され、荷運びに従事するらしいシャドウらが行き交っている。そのいずれもがきちんと人の形をしてこそいるが、普通の従業員とみなすにはみすぼらしい格好をしている者がほとんどだ。汚れ、すり切れた作業服から、ただのボロ布を身体に巻きつけているだけの者までいる。なにより、そのような格好をする者たちの首には一様に見覚えのある首輪が巻かれていた。
「おいおい、まさかの聖帝説当たりか?」
声を潜めてスカルが吐き捨てる。その顔に浮かぶのは苦々しい笑みと滲み出る嫌悪感だった。ばかばかしい雑談でしかなかったことがここにきて現実味を帯びてきていることに苦笑するが、それだけで済まされないのは荷物の積み上げに従事しているシャドウの姿が原因だろう。
みすぼらしい格好に爆発する首輪付きの労働者たちと、一人か二人の監督官らしき人物はどう見たってフィクション―――あるいは現実―――の奴隷労働の現場だ。
「おまけに」
の隣で膝を抱えていたナビが天井を指差した。追って視線をやると、そこに奇妙なものがぶら下がっている。人の頭ほどの大きさをした筒のように見えるが、円周を囲むように入った切れ目から細長いパイプ状のものが突き出し、赤く点滅する小さなライトとともに左右にゆっくりと振れている。どうみたって『ただの』監視カメラではなさそうだった。
「タレットか」
うめき声とともにジョーカーはますます身を低くする。今のところ範囲に踏み入ってはいないようだが、点滅するライトはおそらく動作か熱による人感センサーだろう。触れれば自動砲台が攻撃してくるに違いない。
だけど、と疑問を挟んだのはノワールだった。
「どうしてあそこの人たちには反応しないのかな?」
「そうね。あの人たちが着けている首輪で識別されているんじゃない?」
どう? とクイーンから水を向けられたナビは視線を空中にさまよわせた。どうもそれは答えに迷っているというより、ゴーグルの下でなにかを追っているような仕草だ。
やがて彼女は満足げに頷いて、抱えた膝をポンと控えめに叩いた。
「おっしゃるとおりだわ。あの首輪から独特のパルス波が出てる。多分それがセンサーを無効にしてんだな。それとあそこの―――」
とまた指差した先に、糊のきいた警備員服を着たシャドウが気だるげに佇んでいる。小さな指はその首に下げられたネックストラップを示しているようだ。
「あいつが持ってるのもそうだな。さすがに目視じゃ確認できないけど、たぶんチップかなにか入ったカードだ」
「ぶんどるか?」
肩に担いだ得物を揺らすスカルがどことなく期待を籠めた声で言った。長い道程の割に一度も戦闘せずにやってきたから、そろそろ暴れたいと思っているのかもしれない。
それも悪くないなとジョーカーもまた顔を隠す仮面を指先で撫でる。怪盗らしくはないのかもしれないが、ひと暴れも自分たちのセオリーの一つだ、と。
ところがナビは呆れるでも諫めるでもなく首を振り、淡々と告げる。
「やめといたほうがいいだろうな。タレットのセンサーにアラートシステムが絡んでる。起動したが最後、制御してるメインコンピューターにまで侵入がバレちゃうぞ」
下手につつかないほうがいいと肩をすくめた彼女に、ジョーカーとスカルはこれ見よがしに落胆してみせた。
「解除はできないのか?」
フォックスはいつも通りだ。手にした刀を抜くでもなく、落ち着き払った様子でじっとシャドウたちの動向を見澄ましている。あるいは彼もまた奇襲する機会を窺っているのかもしれない。
いずれにせよナビはまた首を横に振った。
「できなくはないけど、ここからじゃ難しいな。なんかしらの制御用端末があればそこからシステムの書き換えができるだろうけど……」
「では、ここでは仕掛けるしかないか」
「やっぱそれしかないの? 私は構わないけどさ」
パンサーの目はまた、気遣わしげな色を伴ってに向けられる。戦闘となればやはりどうしたって彼の存在が気がかりになるということだろう。は申し訳なさそうに目を伏せた。
もちろんパンサーとて彼が足手まといだなどと言いたいわけではない。これは訊くまでもなく判然としていて、自身も我が身を恥じ入りこそすれ、彼女の言を恨むような気持ちは爪の先ほども湧いてはこない。ただ状況をややこしくしている己をもどかしく思うだけだ。
そんな彼の心情を理解しているのか、クイーンはあちこちへ視線を這わせながら言った。
「あまり事を荒立てたくはないわ。ようはここを問題なく通り抜けられればいいんだから―――」
「あっ、ねえ、じゃああれはどうかな?」
そう言ってノワールが指し示したのは、今まさに線路上のコンテナ車に積み上げられる鋼鉄の箱だ。
反対側のホームだったはずの場所はこちらよりさらに大規模な改造が施されており、天井を支える柱の何本かが撤去され、大規模な荷物集積所のようになっている。山と積まれたコンテナの他に、鉄骨や切り出された岩、分解された建築機材などが整然と並べられている。
おそらくはジョーカーたちが侵入してきた駅よりさらに遠くに鉄材の加工場や採石場などに直接繋がる路線があって、これら資材はそこを通ってここへ集められたのだろう。
あるいはパレスでのことだから、こういった建築資材も採掘や加工を行われるのではなく無から認知によって生み出されているのかもしれない。こういうものは線路を伝ってやってくるものだという強固な思い込みがあればそれも可能かもしれない。
さておき、そうやって集められた資材はここからさらに地下鉄の路線を利用して中央に送られるようだ。パレットの上に積み重ねられたコンテナは、シャドウらの繰るフォークリフトやクレーンによってせっせとコンテナ車に移されている。
ノワールの提案はつまり、そうした箱の中に潜り込んで運送してもらおうということだった。ジョーカーは少しだけ思案したのち、どうせ暴れる機会はいくらでもあるかと頷いてみせた。
「よし、それでいこう」
決まりとなればあとは動くだけ。怪盗たちはオレンジ色に塗装されたコンテナに目をつけて影の中を移動しはじめた。
すると必然的に彼らの足は搬入作業に従事するシャドウらと接近する。疲弊した様子のそれらは怪盗たちの存在に気がつくことはなかったが、ジョーカーはふと足を止めてしまう。
「っと、なんだよ。どしたジョーカー」
すぐ後ろに続いていたスカルが黒衣の背にぶつかってたたらを踏んだ。ジョーカーは彼にそのわけを教えようと顎をしゃくって積み上げられたパレットとドラム缶のむこうを示した。
その意味を真っ先に悟ったのは列の真ん中に置かれただった。
「……あの人たちの顔、見たことが……」
潜められたその声に反応して他の面々も眉をひそめた。大小、濃淡の差はあれど、彼らにしても記憶と一致する人物がちらほらと見受けられたからだ。
認知世界におけるシャドウというものは、現実世界に生きる人々の無意識、そこに眠る共時性が作り上げた存在が核になっている。パレスの主によって本来あるべきところから吸い寄せられたそれらが、主の認知に沿った姿形や自己認識を植え付けられて相応の振る舞いをしているというわけだ。
それはも事前に説明されて知っている。過日のほとんど事故みたいな潜入の際、目の前で爆死した大見はシャドウであって現実の本人にはなんの影響もない、と再三に渡って教え込まれた。
けれどそれと、やせ細った身体に傷をつくり、その上にみすぼらしい衣装をまとい、疲れ切った表情でまだ働かされている姿はまた別の問題だった。彼らの姿はすなわち、パレスの主が彼らをそう認識しているということの証明なのだから、こみ上げる不快感をいなすのはそう簡単なことではなかった。
彼らというのはつまりにとってのご近所さんや工場で働く従業員たちであり、ジョーカーたちにとっては先に保田某を陥れた際、猫探しに協力しようと申し出てくれた人たちだ。ある意味では彼らはこの人たちを『利用した』と言い表すこともできる―――
なんにせよ接触の程度としては、ジョーカーたちにとってはすれ違っただけの相手にすぎない。それでも言い表し難い嫌悪感を抱くのだから、日常的に元となった人々と触れ合う少年はどうだろうか。
怒りに震える腕を優しく叩いたのはノワールだった。
「……今は我慢しよう? 改心さえできれば、こんなの全部大丈夫になるから、ね?」
いかにもお姉さんぶった言葉選びにはほうけた様子でまばたきをくり返し、やがては言葉もなく俯いてしまう。彼は己がまるで小さな子どもに戻ってしまったような気になって、それを歳の近い面々に見られていることが恥ずかしいと感じていた。かといって励まそうとしてくれている先輩を無視するわけにもいかず、彼は小さく顎を引いてみせた。
「……はい、わかってます。ありがとうございます……」
「うん。さ、行きましょう」
「うっす……」
さて、やっと足を前に出そうとする彼の背を、ナビはシラけた目で見つめている。
「ぐぬぬ……鼻の下のばしおって……」
「ん? なになに? ナビってば今面白いこと言わなかった?」
努めて小さな声で吐き出されはたはずの独言はどうしてかさらに後ろを歩くパンサーに拾われていた。ニヤつく彼女からの逃れようと歩幅を大きくしたところで前を行くノワールにぶつかるだけだ。おまけにこんな状況では、声を大にして否定することもかなわない。
「……ちげーから」
「ほっほぉ〜?」
「ちがうの、そういうんじゃないの」
「じゃあどういうのよ」
やり取りが前方を歩く少年たちに聞かれてしまうんじゃないかと戦々恐々とするナビは、しつこく絡みつこうとしてくるパンサーの手を払い除けつつ極めて真剣に言い放った。
「トモダチだもん。わたし一人でつくったトモダチ」
伸ばされた手は彼女の肩を捕まえ、優しくその胸に抱きこんだ。
「うはぁ」
背に触れるマシュマロのごとき感触にナビは珍妙な鳴き声をあげる。それは極めて小さな声だったので、近くを通るシャドウにも、やわらかさの持ち主であるパンサーにも聞き取られることはなかった。
なにより彼女は優しくナビにささやきかけている。
「だよね、がんばろ。私も張り切っちゃうから」
そのままナビはヒョイと抱え上げられて足を宙に浮かせた。まごまごしている間に目的のコンテナにたどり着いていたらしく、殿を務めていたはずのフォックスが道を塞ぐ木箱の上にいて、彼女に手を差し伸べていた。
「……? どうした? 早くしないか、ここまで来て見つかってはかなわん」
天色のグローブはきっと握れば丁重に持ち上げてくれることだろうとナビは察している。しかし……
トモダチと口にしたせいか、ナビは必要もないのに過日を胸に返してしまっていた。
それはやっぱり同い年の同性のほうが、気安い友だち付き合いというのはやりやすいんだろうかと思わせるような、そんな一幕の記憶だ。
―――おイナリめ。なれなれしくしやがって。わたしのほうがずっとのことをよく『解ってる』んだから。
いまさらながらにぶり返した怒りに押し黙る彼女をどう捉えたのか、フォックスは首を傾げている。
「なんだその顔は」
顔と言っても半分以上はゴーグルに隠されているが、ナビの口元は見事なへの字を描いていた。そしてフォックスにはそれが、なんだか微笑ましくてたまらない。クオッカワラビーかアルプスマーモットのようだと小さく笑った。
「フッ、変な顔……」
「んだとコラぁ」
「ちょっと、静かに……ってか早く登ってよ。アンタ軽いけどこっちにだって限界あるんだからね」
「むーっ」
ナビは頬を膨らませてフォックスの手を叩き落とした。
「痛い」
「おイナリはやだ。、こっちこいっ」
「えー?」
痩躯の後ろからひょこっと顔を出したは困惑気味だ。自分なんかよりペルソナによって身体能力の強化されたみんなのほうがよっぽど早く済むだろうに、と。
「ふっ、ふふっ、やってやれ。ナビはお前が『お気に入り』のようだからな」
「そっちが嫌われてんじゃないの?」
「かもしれんな。……ぷぷっ」
腹を抱えて引っ込んだフォックスが気安くの肩を叩いていったのも当然ナビは気に食わない。その前の軽口の叩き合いも。
「なんなんだよ。ああほら、フタバ、じゃなかった。ナビ、早く掴まってちょうだい」
「……デレデレしてんじゃねーぞ」
「手伝わせといてその態度。やーねこの子ったら。……いや誰が誰によ。別に春先ぱ……ノワールにはなんにも……」
「つーん」
「あーあ、拗ねちゃった」
「えー」
別にペルソナが出なくてもナビは容易に引き上げられたし、あとに続いたパンサーは補助もなく華麗に跳び乗ってみせた。
そのようにして待つことしばし、少年たちが潜り込んだコンテナは無事貨車に積み上げられて線路を進み、やがて行き止まりの停車場にたどり着いた。
集積場より広々としたそこは位置情報を参照したナビいわく、塔の足元を支えるピラミッド型の土台内部、塔の真下にあたる部分なのだという。また集積場は先に通ってきた場所以外にもあるらしく、停車場には複数のレールが整然と並び、その上に荷物を満載した貨車がいくつも停車していた。
当然、積荷を下ろす作業に従事するシャドウの数も、それを監督するシャドウの数も、先とは比べ物にならない。
「ご、ごめんなさい。そうだよね、こちらにもシャドウがいて当然だよね」
辛うじて潜んでいたコンテナからは脱したが、物陰に身を伏せてからこちらなかなか身動きが取れないでいる。しおれるノワールを責めるような輩は現れなかったが、さてどうしたものかと皆頭を悩ませてはいた。
「やっぱ強行突破しかなくね?」
「自動機銃はどうするつもり? ざっと見ただけで三機はあるわよ」
「ナビに操作……もちょっと厳しいよね。あそこの小屋にそれっぽいパソコンあるけど、あそこまで行くのに見つかっちゃいそうだし……」
「囮を出すか? 俺は構わんぞ」
「それなら、私も行きます。皆さんはナビちゃんの護衛についてもらえれば」
「待て待て落ち着けオマエら。暴れんのにタレットがまずいって話だろうが」
モナの尾がペチペチと勇み立つフォックスとノワールのすねを叩いた。
くすぐったいと足を引く二人をどことなく羨ましそうにしながら、ジョーカーはうーんと唸る。
ついで仲間たちから意見と決定を急かすような視線を向けられて、高台に目をやった。なだらかな傾斜からは張り出すように設置された警備所らしき空間がある。パンサーが言う『あそこの小屋』はこれだ。前面がガラス張りになっており、内部には光源やレールの操作を行うためだろう、大型のサーバーが何基かと、それに繋がるコンソールが覗える。
要はあそこを占拠してしまえばいいというだけの話で、やろうと思えばやれるだろうなという自信も彼にはあった。
問題は、全員で向かうのは流石に目立ちすぎるだろうというところにある。足の早いメンバーを厳選して速やかに行えば可能だろうが、しかしその中にナビは含まれない。ナビがいないのであれば、潜り込んだところでハッキングなど誰にできるというのか。
―――背中にナビを括りつけてみようか?
思案してみるものの、彼女がどんなに軽くともいつも通りの動きはできなくなるだろうなとジョーカーは自嘲するに留めた。
想像を見抜いたわけではないだろうが、ナビは冷たい視線を彼に寄越している。
「……なに?」
「べつにぃ。だから教えようかって言ったのにって思ってただけ」
「あー……」
そういえばそんな会話もしたなぁと頭をかいたところで名案が思いつくわけでもなし。
かといって万策尽きたかと言い出すにはいささか早い。ジョーカーはナビに視線を戻して問いかけた。
「実際やるとさて、タレットの停止にはどれくらいかかる?」
「あそこに操作システムがあるなら一分もかからない。けどそうでないのなら……最悪三十分はかかるかも」
というのも、普段のパレスにおけるハッキングというものは、なんだかんだ施設環境が良好であったことが大きいのだという。宇宙基地にせよカジノにせよ、電力もマシンパワーそのものも潤沢だった。では今ここはどうかといえば、崩壊したメトロに期待していいものかといったところか。そもそもまだ触れてもいないマシンを相手に明確な時間を告げるのは難しいと彼女は首を横に振る。
「そうか」
特別不満げにするでもなく頷いたジョーカーは、さてどうしたものかと腕を組んで唸った。
「……、なにかひみつ道具とかない?」
大して期待していたわけではなかったが、は思いもよらぬ吉報を返した。
「なくはないけど」
「え? マジで?」
大仰に驚いてみせたスカルに小さく吹き出してから、彼は高い天井を見上げながら語ってみせた。
「あそこに、見つからないで、かつフタバを連れて入れればいいんだろ? ならあれはどうだ?」
倣って天井を仰いだ怪盗たちの目に映ったのはコンクリの打設された天井を支える鉄骨とそこからぶら下がる照明、そしてそれらの調節や点検用に設けられたのだろうキャットウォークだった。
なるほど確かに細い足場は縦横無尽に張り巡らされているし、タレットに取り付けられたセンサーは水平方向にしか向けられていない。あとは単純に目視による発見だが、これも場所を選べばある程度は回避できるだろう。
しかし肝心のそこへに上がるためのはしごや階段は今のところ見当たらない。
残念ながらと却下しようとするジョーカーの手に、はまたリュックサックの中から取り出した物を押し付けた。
「……なにこれ?」
「ワイヤーロープ。巻取り式の。先端のフックを天井のどっかに引っ掛けられればあとはここのレバー回してもらって」
「準備良すぎじゃない?」
こんな展開を読んでいたわけじゃないだろうがと訝しげにするジョーカーに、はただ肩をすくめた。
「俺から言わせればみんなが手ぶらすぎるんだよ」
「もう先にカバンの中身見せとけよ。他にはナニ持ってきてんだ?」
足音もなく近寄ったモナはひらりと彼の背に飛びつき、驚く彼が嗜めるのも聞かずリュックサックの中身を明らかにした。
「おー……いや見てもわかんねー道具ばっかだな。これは?」
「石材用ドリル」
「へー、おもしろ〜い。ねえこれは?」
「金属用のノコギリ」
「ふむ、興味深いな……これは?」
「ガラス用のカッター」
「色々あるのね。スプレー缶みたいだけど、これは?」
「そっちはシリコンスプレーです」
「えっと、これは……ガムテープ、じゃないよね」
「ダクトテープですね」
「……いや多すぎだよ! たしかにワガハイらの装備は不十分かもしんねーがそっちはそっちで持ち込みすぎだ!」
「モナ、声でかい」
幸いにして積み下ろしの現場は騒がしく、モナの声は誰にも聞き取られずに済んだ。
しかし彼の言にも一理ある。怪盗たちが好奇心から手に取った諸々の他にすでに一度活躍したパイプカッターと、ジョーカーの手にそれなり以上の重量を感じさせるワイヤーロープ……
いずれも工具に数えられる物品だが、一通りを並べると、なんとも、これから泥棒に入るかのようではないか。
「え……? 泥棒に入ったんだよな……?」
「そうだけど、そうだけどぉ……泥棒と怪盗は違うんだよぉ……」
短い手足を振って熱く訴えるが、ぬかに釘だ。はただただ不思議そうに不思議な生き物を眺めている。
とにかくこれでモノは揃った。はじめから揃っていたとも言える。
「それじゃ、ここは俺とナビで行く。皆は待機だ」
ロープの耐荷重を確かめたジョーカーの背にはすでに不満げなナビが括りつけられている。
「ジョーカー、髪からそうじろうのにおいする」
「加齢臭ってこと!?」
「おしい、カレー臭だな。あとコーヒー」
「音がイヤだ。ルブラン臭と言え」
「オマエらマスターにつくづく失礼だな……」
呆れた様子のモナはの頭の上でロープを振り回している。少しでも距離を稼ごうとしての足掻きだが、その姿には西部劇に登場するカウボーイのように見えなくもない。
「おい、しっかりワガハイを押さえといてくれよ……おりゃっ!」
ヒュッと空を切ってロープとその先端のフックが宙を舞った。
こんな見た目だが怪盗団随一の器用さを誇る猫のようなナニカだからと任せたが、一方でパワーという点では物足りないのがモナだ。果たして届くのかと拳を握って見守っていると、ふいに追い風が吹いてフックを浮かせ、音もなく優しくキャットウォークの手すりに引っかかった。
「……いやそれ反則じゃね? ペルソナ使うのはナシだろ」
「コイツはワガハイの一部だぜ? ワガハイがワガハイ自身を利用してなにが悪いってんだ」
ハン、と吐き捨てて床に飛び降りたモナの背後には、丸っこいシルエットの紳士が細剣を抱えて重々しく頷いている。
ここまでの間近で見るのは初めてだからだろう、はちょっと腰を引かせていたが、まばたきをくり返すうちにモナの半身はかき消えてしまった。
そのうちにジョーカーはナビを背負ってとっくに天井にたどり着いている。
『お、ラッキー。制御システムもここにあるぞ』
そんなナビの声が届くのにも時間はかからない。遠目に見た高台の警備所内には、ジョーカーが警備員らしきシャドウを器用に絞め落としている姿が見える。
「ふむ、見事な三角絞めだな」
「ちょっと変則入ってない? 器用なものね」
まだ人の形を保っているシャドウの首と真上に掲げさせた右腕を右足で固め、さらに左足を顔に掛けて口を塞いでいる。唯一自由なはずの左腕がだらりと垂れ下がったままなところを見るに、不意打ちで外したか折るかしたのだろう。
リングの外の仲間たちが好き勝手な実況や解説、あるいはオブザーバーを務めている間に絞め落とされたシャドウは崩れ、ナビはひらひらと片手を振って見せている。
『……ジョーカーじゃなくてわたしをっ、見ろよっ!』
おざなりな謝罪の言葉にナビはますます腹を立てるが、後にしなさいと背後のジョーカーに言われてしぶしぶ指示を飛ばした。
『このへんのマップもここにあったから、いったん合流しよう。倉庫っぽいところがあるからそこに』
一度腰を落ち着けて、マップを見ながら進行方向を決めようと告げて通信は途絶える。
通信機器があるわけでもないのに何故声が届くんだろうとは不思議そうにしていたが、それこそがナビの能力だと言われれば納得するしかない。とにかく、『そういうもの』なのだと。
なるほどなぁと気の抜けた声が出るのと停車場を照らし出すライトが落とされるのは同時だった。
硬質的だが鈍い音を立てて一斉に落ちた明かりとそれによって訪れた完全な暗闇に、シャドウたちは戸惑いと驚嘆の悲鳴を上げる。
バッテリーやエンジン、あるいは人力によって動くフォークリフトやハンドリフト以外も動きを止めていることから、単純にライトをオフにしたのではなくこの区画の電源そのものを落としたのだろう。
そしてまた、一同の眼にはナビによる認知の操作が加えられ、暗闇の中に3Dフレームのみで描画されたオブジェクトが浮かび上がる。妙にグニャグニャした動くものはおそらくシャドウだろう。
「手抜きが過ぎる。美しくない」
失望感もあらわにフォックスは嘆いたが、ナビの返答はそっけない。
『戦闘しないんだし、そこは省エネ。ぶつからなきゃなんだっていいだろ』
「そうかもしれんが、こういう部分にこだわりを見せてこその職人技だろうに」
『おにぎりでも眺めてろ! ほらいけ! 非常用電源に切り替わるまで時間ないぞ!』
ナビの罵倒の後ろでジョーカーが「俺はちゃんと見えてるけどね」と主張していたが、それはきれいに聞き流された。
ところで、とはこれもまたナビからもたらされた支持線に従いながら思う。
―――全力で走ったり跳んだりされたら、そのペルソナとかいうの持ってない俺は置いてかれちゃうんじゃないの?
疑問は直ちに解消された。
「暴れないでよ」
「パイセンそっち持った? んじゃ行くぞ」
右をクイーンが、左にはスカルが。
「え?」
声を上げるが早いかは浮遊感に包まれ、二人に担ぎ上げられていた。形としては、三人で組む騎馬戦に近い。
シャドウたちのように悲鳴を上げるわけにも驚嘆の叫びを上げるわけにもいかず、は自らの口を押さえて背を丸めた。なにしろナビの用意したフレーム描画は足元からコンテナの高さまでしかなく、通路入り口に下げられた高さ制限の標識は暗闇の中に没したままだ。頭をぶつけてはたまらない。
「ちょっと楽しそう。いいなー」
「そうだな。俺も上がいい」
パンサーとフォックスがのんきに言ってのけるのを耳に、はなら変わってくれと訴えたい気持ちを懸命に堪えた。
……それはまあ、確かに。体格の関係で常に土台にされるばかりの人生だった。モデルらしく女子平均より抜き出たパンサーや痩躯であることを差し引いても長身のフォックスがうらやましがるのもそういう理由だろう。
しかしここには取るべきはちまきも帽子もないのだ。
「なら変わって」
我慢ならぬと低く訴える彼に、二人は「遠慮します」と声を揃えて返した。