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09:Op:Tightrope Ⅰ
一通りの報告を聞き終えて、嫌な予感が的中したと新島は腹立だしげに言い出した。元より近ごろの怪盗団を取り巻く状況に気を張りっぱなしだったところに雨宮たちからの報告が入ったのだ、彼女の心労からくる胃の痛みは刺々しい態度として現れている。
とはいえそんなもの、仲間になる以前の彼女を知っていればかわいいものだ。実際に当時の彼女とひどく言い合った高巻などは、いつもと変わらぬ調子で首を傾げている。
「嫌な予感って、なんに対しての?」
やわらかそうな金の髪が窓から射し込む鈍い陽の光を浴びて輝いている。垂れた犬の耳を連想して新島の口元がかすかに緩んだ。
「この件に関わる際、金城の話をしたでしょ? 私たちは以前、彼を改心してその組織を不能に追い込んだ。だけど末端や競合組織には手を付けていない……」
「そりゃそうでしょ」
そんな枝葉の先のことまで把握しきれないと高巻は目を白黒させている。その通りだと新島は頷いて、視界にかかる横髪を指先で払い除けた。
「渋谷周辺の……裏社会とでも言えばいいのかな、そういった法外のものはここ近年、金城の支配下にあった。それを私たちが改心し たことであの一帯は今、主人のいない空白地帯になっているのよ」
以前から独自に細々と調べていたのだと明かす彼女から少し離れた窓際で、喜多川が不愉快そうに鼻を鳴らした。
「フン、なるほど。水は低いところに流れるというわけか」
吐き捨てるような彼の言に新島は再び頷く。
「新興や海外組織、あるいは元から様子を窺っていた連中が金城の後釜を狙って勢力を増しているそうよ。いずれ問題になるとは思っていたけど―――」
次に反応したのは椅子の上にあぐらをかき、背を丸めて頬杖をついていた坂本だった。
「あ……? 待てよ。まさかそれが、俺らのせいって言いてえの?」
「それこそまさか、よ。ま、でも見ようによってはそうとも捉えられるかもね」
坂本の舌打ちが屋根裏部屋に響いた。
平日の放課後、午後五時を過ぎた部屋はすでに薄暗い。部屋の主である少年が電灯のスイッチにやっと手を伸ばすのと同時に部屋の隅、日中たっぷり太陽光に晒されてまだほのかに暖かい布団の上でまどろんでいた双葉が口を開いた。
「けどそんなとこまで面倒見きれんだろ常識的に考えて。そもそも違法な貸し付けやらおクスリの販売なんてケーサツ案件だし」
意外なくらいに明瞭な発声に、なんだ起きていたのかとそばで様子を見守っていたモルガナが粗末なベッドから飛び降りる。そのわずかな衝撃に促されるようにして双葉もまた起き上がった。
「そういうことね。私たちの目的は世直しだけど、全てを叩き直せるほど万能にはなれないわ」
そう思い知らされたのはつい最近のことだが、そうでなくとも世の悪の目を一つ残らず潰すなど不可能だなんてことは、少し冷静になって考えれば解ることだ。のぼせ上がっていた事実をまた認識して新島は苦々しく続ける。
「人の欲望に果てなんてものはないってことかな。それこそ死にでもしない限り―――」
どことなく消沈した様子で語られるうちの『死』という単語に反応したのか、奥村は膝の上に置いていた手を小さく握った。
「……くん、きっと今も辛い気持ちでいるんだよね。大丈夫そうだった?」
屋根裏を照らし出す古ぼけた蛍光灯の明かりは黄色っぽく、彼女の頬に落ちる影は濃い。雨宮は安心させようと穏やかに笑ってみせた。
「メシ食う程度の気力はありそうだった。一、二週間はほっといても大丈夫だと思う」
「水と塩さえあれば一週間はいけるぞ」
「おイナリは黙っとれ」
明かりをつけてなお薄暗い部屋で喜多川と双葉が火花を散らしはじめる―――雨宮はそんな二人を冷めた目でしばらく観察していたが、やがて飽きたかそれ自体に意味がないと気がついたのか、咳払いをして一同に向き直った。
「話を戻すけど……真の言う勢力を増してる一団の中に、例の違法貸金が混じってるってわけだ」
「それがターゲットってこと?」
「ああ。以前は金城の下部組織として活動していたのが、頭が改心されたと知るなり経歴洗浄して今の会社を立ち上げてる」
「変わり身の早ぇこったぜ」
モルガナはトンと足音も軽くテーブルの上に飛び乗った。すると間を置かず高巻の手が伸ばされ、彼の耳の下のやわらかな毛を弄びはじめる。日が落ちかけて気温が下がりつつある室内で暖を求めたのだろう。
「その、社長? がやっぱ黒幕? 名前は分かってんの?」
同じくのそのそと這い寄ってモルガナの腿を揉む双葉が答える。
「いちおう、代表は工藤ってやつ。工藤経助」
「パレスあった?」
「あるぜ。だがキーワードも場所もまだわかりゃん」
今度はモルガナが。しかし呂律が回っていない。
であれば、次にすることはさらなる情報の精査だろうか。場所にせよキーワードにせよ、まずはその工藤某に接近せねばなるまい。行動パターンの割り出しやスケジュールの確保ができればそれも自ずと知れてくるはずだ。ひとまずは、自宅住所の割り出しを急ごう―――
そのように話をまとめようとする雨宮を冷たく厳然とした声が遮った。
「ちょっと待ちなさい。勝手に話を進めないでよ」
もちろんそれは、瞳に知性の光を湛えた新島だ。彼女は苛立った様子でつま先を揺らし、傍目に変化はないが後輩たちを怯えさせている。
やっぱりお叱りが飛んだかと、雨宮は肩をすくめた。
「動くなって言いたいのか?」
返されたのは冷たい眼差しだったが、言葉は思いのほか温かみに満ちていた。
「言ったってきかないくせになに言ってるの、好きになさい。だけど慎重によ。細心の注意を払って」
雨宮だけでなく、部屋中の子どもたちは脱力して肩を落とした。お説教ではなく注意喚起であったことに失望したというわけではまったくなく、まるで母親かなにかのような言い様に必要以上に緊張を落としたというだけだ。
そしてそんな仲間たちの反応にこそ苛立った様子で、新島は眉をひそめている。お説教にせよ注意にせよ、されるほうに原因があるのだ。怯えたくなければ襟を正せばいいと年長者は部屋中を見回した。
「……蓮、先に言っておくけど」
「はい」
「連絡は早めにしなさいよ」
そのネタいつまで引っ張るつもりだ―――
言い返そうとして、しかし雨宮は口を閉ざした。そのほうがいいに決まっていた。
「とりあえず、まずは場所から特定していきましょう。皆、本当に慎重にやってよ」
「了解」
返る言葉が程よい緊張に満たされているのを感じ取って、怪盗団の情報統合参謀本部長官はやっと満足げに頷いた。
ところが、この『慎重』が良くなかったのか、パレスの場所もキーワードもなかなか掴むことができないまま一週間も経過してしまう。『慎重』にならざるを得ない理由があるのだから致し方なしというものではあるが、の様子を窺うこともできないまま時間だけが経過していくことに双葉は憤りを感じているようだった。
「チッ」
この日三度目の舌打ちに、雨宮はそろそろ諫めるべきかと身を起こした。
休日の今日、彼女は朝から屋根裏部屋にやってきてはこのようにして安眠妨害をくり返している。
「双葉、舌打ちやめなさい。みっともない」
「んあ? してた?」
「してたよ」
「すまぬ」
おざなりな謝罪に雨宮はため息をついて寝台から起き上がった。部屋の中央に引きずり出されたテーブルの上に飲み物やら菓子やらラップトップやらを広げた双葉は、まるで彼女こそがこの部屋の主だと言わんばかりにふんぞり返っている。ただしその表情はどこか落ち込み気味だ。近ごろの緊張状態に参ってきているのかもしれない。
そう思うと惰眠を貪って喜悦に浸る気も削がれるというもの。さりとて彼女の前で着替えるわけにもいかず、雨宮は寝間着のまま部屋をうろつきはじめた。
ところが双葉のほうはそんな彼の心情などよそに咎めるような視線を送ってくる。
「いつまでパジャマでいるつもりなんだよ。わたしですら着替えるくらいのことはしてるというのに」
「そう言うのなら出てって」
「遠慮すんなよ〜」
などと意地悪く笑ってはスマートフォンのカメラを立ち上げたりもする。雨宮はすぐに彼女から邪悪な機械を取り上げた。
「あーっ返して!」
「モルガナ、やるよ」
「おっと」
ポンと投げられたスマートフォンは動向を見守っていたモルガナの肉球に危なげなく抱き込まれる。彼はどうやらすぐに雨宮の意図に気がついたようで、受け取ったものを抱え[どこ?]て階下の喫茶店に駆け下りていった。当然それを追って双葉も姿を消してやっと、少年は一日の活動を開始するための準備に取り掛かった。
三十分後、ぶすくれた双葉が腕にモルガナを抱え、ポケットにスマートフォンを入れて戻ってくる。雨宮はその間にすっかり身支度を整えていたから、彼女のほうも彼の意図を察し、パンツの柄なんて知りたくもないと避難していたのだろう。
それにしては随分長いこと下に居座っていたようだが……雨宮は目ざとくその理由を見つけて苦笑する。
「双葉、口。クリーム付いてる」
「おう?」
「逆、逆」
どうも娘に甘すぎるどこかの親父がおやつを与えていたらしい。そしてその人は猫にも甘い。モルガナのほうもちょっと気まずそうに口元を拭っている。
自分にはなんにもナシかと少しだけ拗ねたような心地になりつつも雨宮は屋根裏部屋に留まった。
ちょうどメッセージの着信を教える振動があったからだ。
『ハズレだったわ』
短く結果を告げる坂本からの通知には何故かラーメンの画像が添付されている。それにグループチャットの面々……怪盗団のメンバーたちは距離を隔てたそれぞれの現在地で揃って肩を落とした。もちろん坂本の食レポとも呼べない評価に落胆したのではない。これは単なるカモフラージュで符丁の一つだ。
実際に坂本が今居るのは先週の作戦会議の折、いくつか挙げられたパレス候補のうちの一つ、港区にある工藤名義の高級賃貸―――を通り過ぎた先にあるラーメン屋だった。場所の特定に直接赴く必要はあまりないが、すべての候補が潰れた今、彼はなんらかの糸口を掴めないものかと足を運んでいる。
怪盗団と警察組織は今となっては明確な敵対関係にあるが、あちらには現場百遍という言葉もある。情報は足で稼ごうという目論見だった。
けれどそれも成果はなかったようだ。
雨宮は返信に迷うふりをしながらがら双葉に目を向ける。彼女はもののついでとモルガナを床に降ろしてやっているところだった。その口からは舌打ちこそないものの、ため息めいた吐息が漏れ出ている。
揺れるモルガナの尾を眺めている間に坂本の追撃があった。
『まずくはねーんだけどなんか求めてたのと違うんだよな。ひと味かふた味足りないってやつ?』
これも隠語だ。もう一か所か二か所、調査に足を運ぼうかという提案だった。
『下手な冒険より近所のお店が一番だったりするわよね』
それに対する新島からの返信もまた。これは「家に帰れ」だ。坂本は雑談に乗るような―――あるいは本当に新島の言に同意しているかのように、
『それはある。やっぱ食べ慣れた味が一番っていうかさ……』と文字情報に妙な説得力を籠めて返した。その後も他の面々を交え、どこそこの塩がよかっただの、とんこつが、みそが、やっぱりしょうゆが……
すっかり脇にそれてただの雑談と化した議場に雨宮は―――憤慨した様子を隠しもせず、足音も荒々しく階段を降り始めた。
「おっ、おーい? どした? なにいらついてんだ?」
「……オマエまさか……」
雨宮は財布を握りしめて決然と言った。
「ラーメン食べてくる」
「ええ……カップラーメンじゃだめなのかよ?」
「いいわけがあるか」
「あーんずるい、わたしも行く」
「オマエついさっきカレー食ったばっかだろ? まだ食うのかよ」
「カレーとラーメンは入るところが違うんだよ! ゆくぞモナ!」
話も聞かずさっさと降りていってしまった少年を追って、双葉は出しっぱなしのパソコンとモルガナを抱え、登ってきたばかりの階段を駆け下りる。
階下の惣治郎は雨宮からラーメンの話を聞き及んだのか、呆れた様子で窓越しの彼を見つめている。そこで足を止めているのを見るに、モルガナにせよ双葉にせよ、どちらかが、あるいは両方が追ってくることは織り込み済みだったようだ。
「いってくる!」
「あいよ。……夕飯はいらねぇな?」
「それはそれ! これはこれ!」
「マスター! ワガハイは、ワガハイはいるぞ! 頼むぞマスター! ニャーッ!?」
嵐のように騒がしく出ていった子どもたちと猫に苦笑しつつ、惣治郎は一人になったのをいいことに紫煙をくゆらせはじめた。
「なんやねん」
やる気のないツッコミを双葉が入れたのはそれから三十分後のことだった。
四軒茶屋の駅から電車に揺られて渋谷まで出て、ここだと目をつけた店に入った途端の出来事だ。昼時はとっくに過ぎた店内はさほど混雑しておらず、カウンター席に四人と、四つあるテーブル席の二つにそれぞれ二名様―――うち一つはどちらも嫌というほどよく見知った顔だった。
「お前らもかよ」
半笑いで手を振る坂本はまだわからないでもない。無類というほどではないが、好きな食べ物として真っ先にラーメンを上げる人物なのだから、二杯目のどんぶりを求めてここにやってきている……そう納得してやってもいいだろう。
問題はその対面で堂々としている高巻だ。
「ニャッ、アン殿!」
「こらモナ、しーっ」
「なんでいるんだ?」
首を傾げながらも歩み寄り、雨宮と双葉と、ついでにモルガナは同じテーブルに腰を押し込んだ。
「だってあんなラーメン談義されたらさぁ……お昼まだだったし」
耐えられなかった、とこぼす彼女から事情を聞くことしばし、どうやら談義の中に登場した店名のうち、現在地から最も近い場所を選んだということらしい。それだけなら店選びの動機は雨宮と同じということになるが、じゃあ坂本は何故いるのかと問われれば、高巻に連れて行けとしつこくせがまれたからだという。
謎の疎外感を拗らせて、雨宮はどことなくアブラっぽいテーブルに突っ伏した。
「誘えよ」
ところが二人の反応はそっけない。
「いやチャット送ったけど?」
「どーせ見てないんでしょ」
「ほんとだきてる」
双葉はメニューを片手にスマートフォンに目を落とす。すると怪盗団のグループチャットには確かにそんなやり取りが残されていたし、なんなら新島と奥村は坂本からの誘いに対し昼食はすでに済ませたと断りを入れていた。喜多川からの反応がないのは……いくつかの候補が思いつかれたが、それは他ならぬ彼の名誉のために黙殺された。
とりあえず今分かるのは、雨宮がまた既読無視どころか通知にさえ気がつかないままでいたということだ。彼は再び突っ伏して両手で顔を覆った。
「このネタやっぱまだ引っ張れそうじゃね? おい誰か真に告げ口しとけよ」
「よし! まかせろー!」
「もう許して……」
「どんまい、リーダー」
「オマエらいいからなに食うか決めろよ。店員さんさっきからチラチラこっち見てんぞ」
呆れたモルガナが鞄の中から教えてやって、若者たちはやっと注文を済ませた。チャーシュー麺が一つとつけ麺が一つ、この店の『基本』らしい醤油とんこつが二つ。
舌鼓を打つ間にもう一つのテーブル席にいた客は勘定を済ませて店を辞し、追うようにカウンター席の一人も去っていった。引き換えに二人連れが入店するが、こちらは少年たちより一つか二つ年上程度の若者だ。
『監視はなさそう?』
麺をすする合間、行儀悪くスマートフォンに触れて高巻が問いかける。
『盗聴なんかの痕跡はない。だけどあっちのオッサンはどうだろ』
同じく、顔の半分もありそうな大きさのチャーシューにかぶりつきながらの双葉が。彼女はまた少し困った様子で眉尻を下げた。
『店んなかじゃモナに探らせるのもなー』
『ラーメンも食えねぇしなにしに来たんだよこいつはよ』
『そういうこと言うと俺が噛まれるからやめてくれ』
鞄からこっそり首だけを伸ばしたモルガナは、雨宮の手元を覗き込んですぐ彼の指に牙を立てた。ワガハイだって食えるもんなら食いたいに決まってるだろ、と。
「……あ、ここテイクアウトもやってるって」
「なにっ? レン、レン、わかってるよな? 頼むぞ!」
「あーはいはい……」
猫を鞄に押し込み、雨宮はどんぶりから顔を離して店内を見回した。壁に貼られたメニューの中には確かに持ち帰りのセットが混じっていた。
ただしこの場合その確認はついでだ。見回した先、若者の二人連れがこちらを盗み見ていたがそれは高巻が目当てと思われる。二人でヒソヒソと声を潜めて小突きあっては鼻の下を伸ばしているのがなによりの証拠だろう。食べ終わってお冷を口にするスーツ姿の男はどうだろうか―――考えている間に男は立ち上がり、勘定のためか手を振って店員を呼びつけている。
問題はなさそうだとみて、雨宮は坂本に顔を向けた。
「駄目だったか」
「あ? あーね。他にそれっぽいもんも見つかんなかったわ。つか、マジでクソでっけぇマンションでよー……」
「ちょっと、食べてるときにクソとか言うな!」
「杏も言ってるからな、それ。やめれー」
「行動範囲内はあらかた出し尽くしたと思ったんだけどなぁ」
スマートフォンこそ置いたものの今度は頬杖をつきはじめた雨宮に、高巻の冷たい視線が突き刺さる。彼は慌てて背すじを伸ばし、『オカン』のようなお小言から逃れようと早口になって告げた。
「もう先にキーワードから当たっていこうか?」
「どんなやつかもわかってねぇのに? そっちのが難易度高くね?」
「なら接触……は、今はまずいか」
「怒られるだけで済まされたらラッキーだよね、それ」
うーんと唸って高巻はお冷で口の中をすすいだ。
すっごく美味しいけど脂が強い―――太りそうだ、などと思いつつの彼女の隣で、黙ったままの双葉が首を伸ばすモルガナの口元にこっそりチャーシューのかけらを運んでやっている。猫の舌には少し熱いが、あまり時間をかけると周りにバレるといささか強引に口に押し込む。
「アチッ」
「こぼすなよ」
すっかりモルガナ専用になりつつある鞄はどれだけ払っても拭っても内側が毛だらけで、今さら少しの汚れを気にすることはない。しかしそれと、とんこつ臭のするスープと肉片をへばりつけられるのは別問題だ。
ハラハラしながら見守っていると、モルガナはどうにか大声を出して注目を浴びることも、鞄をとんこつ臭くして雨宮を泣かせることもなく済んだ。
それを見てよしとして、双葉は一同に向き直る。
「あのさ、がなんか知ってたりしないかな」
「あー……でも別に直接会ったりはしてないんじゃないの? さすがに」
「直接の接触はなくても、やつのある意味無謀な行動力は侮れん。なにか知ってることがあるかも」
「そういや跡つけたりしてたな」
そう言って、坂本は過日を胸に返したのか眉間にしわを寄せる。もうひと月以上前の出来事だ。こんな状況になるとは想像もつかなかった時期だが、だからといって平穏無事ということもなかった。
あえて触れまいと口を引き結んだ坂本に首を傾げつつ、双葉はレンゲでスープをかき混ぜながら続ける。
「場所にせよキーワードにせよ、あいつならなんかしらのヒントくらいはもってそうじゃないか?」
問題があるとすれば接触は慎重に行わなければならないということと、どうやって口を割らせるかということくらいか。ただしその二つこそが最大の難関でもある。
パレスの攻略はいつもいつも綱渡りだが、今回は格別だった。ターゲット自体も極めて厄介で、内には虫がたかっていた。
それもルートの確保を済ませ、あとは予告状を叩きつけるだけとなった今、怪盗たちは今後の計画を隠し通す必要があった。わずかなりとでも察知される可能性は排斥すべきを念頭に動いてきたが……
「やるだけやってみるか」
「大丈夫なの? ほら、むこうにまで……監視がついたり」
不安げに眉を寄せた高巻の視線がさっと店内を走った。二人連れはもう彼女に関心はないようで、何事かを交わし合いながら麺をすすっている。新たにやってきた男性客も監視……公安部の刑事というには少し若すぎるように思えた。
雨宮はただ軽く肩をすくめる。
「監視がはじまってたっぽいころにも遊びに行ってるから今さらだ。交友関係もあらかた抑えられてるだろうし」
「そっか。じゃあ、いいのかな……?」
―――あんまり良くはないだろう。
雨宮にだって自覚はあった。
この土地に来てからの知り合い、友人の概ねは怪盗団絡みだと。中にはもうとっくにこちらの身上を見抜いているひともいるし、そういう人たちにまで警察組織の監視や捜査は及んでいるだろうことは想像に難くない。ましてや計画中の作戦が上手くいけば、自分のことについての聴取か、悪ければ留置される可能性だってある。逮捕まではいかないだろうが―――いや、どうだろう。自分の件と切り離しても未認可薬の取り扱いに、弾こそ出ないが本物そっくりな模擬拳銃の売買あたりは一発アウトじゃないのか?
深く考えるのはやめよう、と雨宮は軽く首を振った。
それで考えがまとまったと見たのだろう、坂本が最後の一口を飲みこんで問いかけた。
「いつ行くん?」
「うーん……」
唸り声とともに彼は答えた。
「これ食べ終わったら行くか」
歓迎は期待していなかったが、しかしやはり、顔を見せた相手があからさまに不機嫌そうにしている姿を見るとなんともはや、その見た目との相乗効果もあって後退りしたくなるような心地にはなる。
「……来るなって言ったはずだろ」
低く囁かれた声には怒りが滲んでいた。
幸いと言えることに、家の門前には変化はない。経年による錆の浮いた門戸にブロック塀が繋がり、その向こうに木造の古ぼけた二階建ての家屋が佇んでいる。ただしやはり、ラジオノイズに似た駆動音は失われたままだ。
それが大きく目の前の少年の精神を削っているのだろうとは察せられるが、さてどうやって切り崩していこうか―――
「……俺はそれを承知したつもりはないよ」
雨宮は肩から下げた鞄をそれとなく指先で引っ掻いた。中に隠れるモルガナを呼ぶためだ。
「蓮、お前な……」
「ニャーッ!」
顔を突き出したモルガナがの言葉を遮って鳴き声を響かせる。雨宮の耳には『まったくしょうがねぇな、ワガハイがいなきゃなんにもできねーのか』と聞き取れるそれは、しかしには今のところただの猫の鳴き声だ。居丈高なセリフが聞こえなければただただ愛らしい。
「モルガナ、おまえもか?」
相好を崩したわずかな隙を突いて雨宮は吶喊した。
「工藤経助―――」
モルガナもまた。鞄から飛び降りての足元を通り抜ける。
「あッ!? こらモルガナ、入っちゃ……いやそうじゃなくて、蓮、お前なんで……!」
股下を潜って土間から式台に飛び乗った猫と少年とを交互に見やっては狼狽した様子を見せる彼の姿は、謀った張本人である雨宮のほうが申し訳なく思えてくる有様だった。
「顔色が変わったな。知ってるのか?」
けれど追及の手を緩めず尋ねると、はひとまずニンゲンのほうに対処するべきと定めたのだろう、再び眦を釣り上げて彼を睨んだ。
「なんのつもりだ……!」
「別に。どんな人なのか知りたいだけ」
「はあ……? そんなこと知ってどうするつもりだ?」
彼らの目当ては今のところ本当にそれだけだ。目論見通り情報を有していると知った今、退却する理由のほうが見当たらなかった。
「話して」
一歩踏み出した雨宮の目元は長い前髪と眼鏡のフレームに隠されてからは窺えない。彼はいつかそうであったように、その影に隠れた眼差しに得体の知れないなにかを感じ取ってつばを飲み込んだ。
けれどこのときばかりは、彼もすぐに首を縦には振らなかった。
「……駄目だ。帰れ」
低く唸るような返答に雨宮は子供のように唇を尖らせる。
「なんでさ」
気楽そうなその様子に、未だ続く父親の不在という彼にとっての非日常にすり減った精神を逆なでされたのだろう、は目を見開いて雨宮に腕を伸ばして迫った。
「名前調べたんならわかってんだろ!?」
襟元を掴まれた衝撃と叩きつけられた怒声は雨宮のみならず、玄関マットの上で座視していたモルガナさえも驚かした。
ただ雨宮を揺さぶるの瞳に恫喝の色は見えない。そこにあるのは焦りと怒りのみだ。
続く言葉は明確に彼らを慮るものでもあった。
「親父みたいになったらどうすんだ! お前も、フタバだって!」
言わんとするところはすぐに察せられる。怪盗たちが知る限り、工藤某とやらはなんらかの手段……おそらくは金銭絡みの脅しや妨害によって他者を操り、人ひとりに大怪我を負わせるような欲望の持ち主だ。どう考えたってまともな精神じゃないし、それを実行できるだけの現実的な力を有していることも問題だろう。関わろうとすればいつ矛先が自分たちに向けられるかもわからない。
けれどそんなことは雨宮も仲間たちも想定している。客観的に見れば多少楽観視している部分はあるだろうが、彼らにはこのような危機を幾度となく乗り越えてきた実績もある。
それ故の危惧は、雨宮たちの危惧でもあった。危険という意味では、真っ先に直接的な危害を加えられた男の子息である彼のほうが当てはまる。
「あんたはどうなんだ?」
「お、俺はいいんだよ。俺は……」
「よくはない」
極めて真っ当な切り返しを喰らって、はばつが悪そうに手を離し、顔をそらした。
「……だいたい、なんでそんなこと知りたがるんだ。そんなこと知って、どうなるっていうんだよ……」
雨宮は彼の弱りきった様にではなく、自らの悪党ぶりを自覚してフッと口元を歪ませる。傍目にはそれは悪い笑みに見えるのかもしれない。
彼にはが言葉を詰まらせる姿が明確な隙と捉えられていた。横撃を喰らわせるのに充分な。それは少なくとも弱っているトモダチに向けていい類の感情ではないだろう。
「俺はずっと言ってたはずだ」
「なにを」
「もし、俺が―――」
ニャッ、とモルガナは短く、鋭く鳴いた。ヒトの言葉に置き換えるとそれは『おいコラ! なに言おうとしてやがるこのバカもん!』となる。
相手の弱いところを突いて崩すのはもっとも基本的な戦術だと、まったく構いもせず雨宮は続けて言い切った。
「俺が怪盗団の一員だったら、こいつを改心してほしいって思うか?」
あやしく囁きかけた少年には今度こそ総毛立って後退った。
「この上まだそんな冗談……」
「冗談? そうかな」
顔の向きはそのままで、は視線だけを彼に向ける。
そこに立っている少年というのは、見た目にはこれといった特徴のない、一見しただけならどこにでもいそうな、どちらかといえば地味な印象を受ける凡百に過ぎない。
もちろん彼はその見た目通り、なんら特殊なところをもたないごく普通の少年だ。なにか人と違うところがあるとすればそれはただ『死ぬほど』諦めが悪いというだけで、ほかは普遍的な十代の若者と変わりない。
彼の唯一の特殊性である諦めの悪さはたいてい常に、長い前髪と度の入っていない眼鏡に隠されて、多くの者は関心さえ払わずに通り過ぎる。気がつけるのはなにか困難に足元をすくわれて躓いた者だけだ。彼らはたいていそこで立ち往生をくらって足を止めている。例えば今ここで、うなじの毛を逆立てて困惑するのように。
こいつはただ者じゃないと思い知らされるような絶対の自信を湛えた瞳に彼は大いに揺さぶられていた。
「……俺は、俺は……だけど改心じゃ……」
惑う彼の姿に目を細めて、雨宮は駄目押しと言い放った。
「双葉があんたのことを心配してる。これは前も言ったな。あの子を泣かすな」
それは伝家の宝刀だ。女の涙というものはいつの時代も、世にあるあらゆる少年たち―――あるいは少女たちを否応なしに奮い立たせる力を有している。
果たしてはいくばくかの逡巡の後、ぎゅっと唇を噛んで稀代の大悪党に向き直った。
「……わかった、俺が知ってることを話してもいい。だけど条件がある」
「取引ってことか。いいよ。言えよ」
そちらからどうぞと顎をしゃくって促す雨宮の態度をどう捉えたのか、は器用に片眉を上げてみせた。いわんやその背後のモルガナなどはあからさまな溜息をついている。
「……あんたが本当に怪盗だっていうんなら、訊かせてほしいことがある」
「なに?」
「ビッグバンバーガーの社長、いただろ。あの人のアレは……改心の結果なのか?」
それこそ、そんなことを訊いてどうするんだと言い返したくなるような質問だった。けれどたった今取引だと告げた口で有耶無耶にするわけにもいかず、雨宮は改心の手段を含めて説明してやった。
つまり、パレスだとか、ペルソナだとか、シャドウだとか、しゃべる猫だとかを大真面目に。
話を聞き終わるころには、は完全に半眼になって呆れ返っていた。
「……あのさ、たしかに俺もゲームかなりやるけど、それと現実とをごっちゃにするのはさ……」
「その言い方クスリでもやってんのかって言われるより傷つくからやめて」
「だってさ……人の心から? 悪い欲望を盗み出す? その上モルガナと会話? いやー……」
ないわー、と渋い顔をするの背後では引き続きモルガナが、今度は別種の苦々しさのこもったため息をついている。
―――ま、でもこの反応はある意味じゃ正常か。ニンゲンってやつはジブンたちで決めつけた常識ってやつに縛られて、目の前にあるものでさえ無視することがあるしな。
皮肉っぽく笑うモルガナではあったが、それでは話が進まない。
どうしたものかと腕を組む雨宮に向けて彼は鳴いた。それもやはり、の耳にはただの「ニャー」だ。
「おいレン、もういっそのこと見せてやったらどうだ? メメントスあたりに連れ込んでやりゃ、嫌でも理解すんだろ」
「それはさすがに、危なくないか?」
「おい猫と会話するなよマジでほんとに」
「ワガハイは猫じゃねぇ!」
「これもなにか言ってるの?」
「猫じゃないってさ」
「猫だろ……頭痛くなってきた……本気なのかよ……」
疑わしげな眼差しに、雨宮とモルガナは確然たると首を縦に振る。
「……じゃあほんとに、そこで……パレスとかいうところで、そいつのシャドウ? を―――」
「別に倒す必要はないよ。オタカラさえ盗み出せればいいんだし」
「ああ。そうか、そうだな」
ふー、と長く息を吐いて、は玄関扉に背を預けた。首を伸ばして見上げてくるモルガナの怒りのこもった瞳には気がついていないらしい。彼はまだ半笑いのまま言った。
「それで? ナビアプリに場所とキーワードが必要なんだ? 設定凝りすぎだろ」
「設定じゃないんだってば」
うなだれたその鼻先に雨宮がスマートフォンを突きつける。画面には彼の言うナビゲーションアプリ……イセカイナビがすでに起動されて入力を待っていた。
「小道具まで。なに? フタバが作ったの? やるなぁ」
「だからー……」
スマートフォンを構えたままの雨宮の手に、の大きな手が重なった。短く切り揃えられた爪と、皮膚には小さな火傷痕……眉をひそめている間にそれは音もなく奪い取られた。
「あちょっと」
指先が液晶の上を滑るさまを止めるでもなく眺めていると、すぐに投げ返される。
「こんな冗談のためにわざわざ用意してきたのか? お前らも暇だな」
呆れたような風情は相変わらずだが、どうやら怒りや軽蔑の感情はなさそうだ。わずかに感心している様子さえ窺える。いらぬ不興は買わずに済んだようだが、彼らとしては認知世界の存在を信じてもらわねば取引にならないから、それはそれで問題ではあった。
「ったく、この石頭め……」
「ひどいなオイ」
どっちがだよ、とモルガナなどは先からずっとため息をつき通しだ。
さてどうやって信じさせたものか。やはりメメントスあたりに引っ張り込んでその目で見させるしかないか―――
雨宮がそう考えていると、表門にあたるその場からではなく、家屋のむこう、工場に繋がる小路のほうから一人の男がうつむきがちにやってくる。真っ先に気がついた彼の気まずそうな視線を追い、もすぐに男の存在を目にして目を丸くした。
「あ……大見さん……」
大見と呼ばれた男は、がっしりした体型の四十代半ばと思わしき人物だった。短く刈り上げた頭にはちらほらと白髪が混じり始め、日に焼けた額にはしわが刻まれている。
工員の一人だとどこかぎこちなくが告げる合間に、彼は軽く会釈をしてみせた。
丈夫そうなカーゴパンツも同じ素材のジャケットも薄汚れているところを見るに仕事着だろう。そんな格好でむこうからやってきたということは、工場でなにかしら作業をしていたのか。それは再開の見通しが立ったということか―――
久しく耳にも目にもしていなかった明るい兆しに雨宮は他人事だというのに嬉しそうに表情を綻ばせたが、対しては怪訝そうにしたままだ。
「大見さん、今日はどうしたんです。まだ工場を開けるって話は聞いてないですけど」
男は応えることなく大股で距離を詰めた。
雨宮とモルガナはハッと息を呑んで瞠目する。初対面であるはずの男の顔には見覚えがあった。大見という名にも聞き覚えがある。
「おいレン、コイツは例の……の親父さんをやったヤツじゃ」
全身に緊張を漲らせて頷いた雨宮に、もまた目を見開いた。
「お前ら、なんでそのこと知って―――」
少年は思わずと眉をひそめた。彼はが先から明らかにモルガナの言葉を聞き取っていることにも、近寄ってくる大見の首に巻かれた妙なモノにも違和感を覚えていた。
それというのは毒々しい赤色に点滅する小さなライトの付いた、やたらと頑丈そうな首輪だ。
雨宮のほうを向き、男には背を向けているの肩に手がかかった。
「―――そいつ! シャドウだ!」
少女の声が鋭く警戒を発するとともに新たな影が素早くと大見の間に割って入り、片方を強烈に蹴り飛ばした。
もんどり打って仰向けに倒れたのは大見のほうだった。彼は起き上がろうともがいたが、途端かん高いビープ音が鳴り響き、それを合図とするかのように爆発が起きる―――爆心地は彼の首だった。
耳をつんざくような爆音と衝撃にブロック塀と地面、玄関や縁側沿いのガラス戸のことごとくが粉砕され、細かな破片となってあたりにばら撒かれる。一同もまた揃ってその場から弾き飛ばされるが、こちらは誰もバラバラになることなく、受け身を取った際手のひらにすり傷を負う程度で済まされる。
もしもあれがもっと近距離でのことだったら……想像して青ざめる雨宮のそばに尻もちをついたは、彼などよりよっぽど蒼白になって膝を震わせていた。
「なんっ……!? 大見さん! 大見さんッ!!」
よろめきながら立ち上がり、まだ炎のくすぶる爆心地に向かおうとする彼を、先に飛び込んだ影―――坂本が押し留めた。
「落ち着けって! あいつは本人じゃねぇ、シャドウなんだよ!」
「なに言って……」
「レンが説明してやっただろ。この空間の主が認識する、認知上の存在だ」
羽交い締めにされてなお手足を暴れさせるの前に、モルガナが二本足で立ってはふんぞり返っている。この期に及んでまだ信じられんか、と。
「よく見ろ。ホンモノだとしたら血なりカラダのパーツなり落ちてていいはずだろ。だがそんなものはどこにもありゃしねぇ」
あるのはただ抉られて焦げついた地面と砕かれた塀、割れたガラスとひしゃげたスチールの窓枠ばかりだ。
それらを一つ一つ指し示す小さな肉球付きの手に、は目を白黒させながらその場に膝をついた。
「あんた、誰―――いや、なんなんだ?」
ポカンと口を開いた彼に、坂本はプッと吹き出し、モルガナはそれにこそ憤懣やる方ないと地団駄を踏んだ。
「モルガナだよっ! 見りゃわかんだろーが!!」
「いやわかんねーよ普通は」
「そもそもモルガナは猫じゃ―――」
「じゃねーよ!」
怪盗たちにとってはお馴染みのやり取りだ。はまだ混乱の最中にありそうだが、程よく驚きと緊張が解れてくると状況もみえてくる。
雨宮はまず、我が身を見下ろしてふむと唸った。いつも通りの、その辺りを歩いていてもコスプレ認定されないごく普通の格好だ。しかしモルガナは四本脚ではなく二足歩行の二頭身で、感覚からしてジャンプ二回で屋根まで上がれそうでもある。
なるほど、と雨宮は一人納得して手の中に視線を落とす。先の爆発にも負けず握り続けたスマートフォンがまだそこで、ナビゲーションアプリを起動させたまま待機していた。
「、さっき俺のスマホに触っただろ」
「あっ、ああ……だけどあんなの、ただの小道具じゃないのか」
雨宮の手の中、イセカイナビには予め入力してあった工藤経助の名に続いて、住所欄にはこの近辺が、キーワードには……
「モニュメント……? 記念碑か? どういう意味だ?」
誰に向けるでもない問いかけもいつものことだ。慣れないだけが困惑するなか、慌てるでもなくゆったりとした足取りで双葉と高巻が姿を現した。
「おっす、久しぶり〜」
「お邪魔しま〜す……でいいのかなコレ。あ、ケガしてない? もしあったら言ってね、治すから」
二人もいたのかとか、治すってなにと尋ねたくとも、にはそれができない理由があった。目の前で二人の少女―――ついでに背後の坂本と雨宮―――の身につけていた衣服が瞬時に、ボディラインをはっきりと浮かび上がらせるフィティッシュファッションめいた格好に変化したからだ。
それだけで様々な意味でひっくり返りそうになっていたところに、地震とも違った鳴動によって彼は本当に床に転がる羽目にもなる。
「うおっ!? ンだこりゃ……おいナビ、どうなってんだよコレ」
「見りゃわかんだろ。警戒されたっぽいな」
双葉が手を振るとそれだけで空中に投影型らしきタッチコンソールとモニターが現れる。それにもまたは目を丸くした。まるで未来もののSFだと。
「工藤本人が? それともシャドウが侵入を感知したのか?」
「シャドウのほうじゃないの? ウチらまだ全然むこうに接触とかしてないし」
ほら、と艶のある素材のグローブで包まれた高巻の指先が振動と音の発生源を指し示した。
パッと見のそれは、怪獣映画かなにかに出てくる巨大生物だ。例えばヤドカリのような、貝の殻などを被った甲殻類が見上げるほどの巨大さを得たような―――
ヤドカリならば胸脚があるべき部分から突き出しているのは幅だけで普通自動車一台分はありそうな無限軌道だ。農業用のトラクターや建設用トランスポーター、雪上車やスノーモービル、あるいは戦車であれば普通は一対か二対であるものが、これにはその巨体を支えるためだろう、遠目にも八つは並んでいるのがよく見えた。それが回転しながら家々と道路を粉砕しているのも。
またヤドカリの殻にあたる部分には一見するとビルのようなものが生えている。ただしそれは一般的な建築様式とは大きく外れたいびつなものだ。増床を繰り返した超弩級戦艦の艦橋のような……
ひっくり返って仰向けになったままの姿勢で、は奇妙な抑揚の笑い声をあげている。あまりにばかばかしい光景から現実逃避しようと試みているらしい。
「すっごおい、おっきーい」
「オイこいつ大丈夫か? なんか別の意味でヤバくね?」
すぐそばにしゃがみこんだ坂本が目の前で手を振ってやってみても、彼は正気を取り戻さなかった。
雨宮は彼と謎の巨大先頭車両とを見比べて、小さく息をつく。彼にしたってこの光景はこれまでの経験を踏まえても狂気の沙汰だ。くだらないとまでは言わないが、常軌を逸している。
とはいえそれも―――
「いつものことか」
全くその通りだと、仲間たちは神妙な顔をして頷いてみせた。