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04:Plan For Someone
ルブランの屋根裏部屋に戻った雨宮らの前には先に帰らせたはずの仲間の姿があった。どうもなにかあるとみなした高巻が皆をここへ誘ったらしい。
お題目は来月の半ばに待つ中間試験対策だ。実際に部屋主不在だったはずの屋根裏部屋の中央にはテーブルが設置され、その上に教科書と参考書、ノートと筆記用具、それからお菓子とジュースと漫画とゲーム機のコントローラー……
お題目はぜんぜん守られてはいなかった。
いつもならここに喝を入れて監督官を務める新島さえもが古ぼけたコントローラーを握ってキャーキャー言っている。おそらく多人数の圧に負けてちょっとだけと触れてみたら存外楽しくなってしまったのだろう。
「やった、私の勝ちっ!」
勝どきを上げたのは高巻だ。対戦格闘ゲームという概念が出来上がるより前に発売された対戦格闘のゲームをトーナメント方式で進めていたらしい。テーブルの上に置かれたルーズリーフにはすでに坂本と喜多川の名に大きなバツ印がつけられていた。
「あっ、おかえりなさい」
トーナメントには参戦せず観るにつとめていた奥村が雨宮らの姿を見つけるなり嬉しそうに顔をほころばせた。他の面々は鞄から床に降りたモルガナがコホンと咳払いをしてやっとゲームから顔を離して帰還を知る。
「おー、おつかれー」
手をあげる坂本とまばゆい笑顔を見せる高巻に、素知らぬ顔で居住まいを正す喜多川、そして気まずそうにコントローラーを棚の上に戻す新島と……それぞれ違った反応を示す仲間たちに肩をすくめて、雨宮は空いた席に、モルガナはテーブルの上、双葉はベッドの上に腰を下ろした。
手のつけられていないペットボトルに目を向けると「それアンタたちの」と高巻が両手をひらひらと振る。なるほど確かに、体に悪そうな蛍光緑の炭酸飲料は双葉がよく好んで飲むメーカーのものだ。
よく見ているものだと感心しつつ、雨宮はやっぱり彼が好んで購入するコーヒー牛乳の紙パックに手を伸ばした。
「帰っていいって言ったのに」
ストローを口にくわえながら言ってやると、仲間たちは揃って軽く首をすくめた。
「だってねぇ……明らかなんかある感じだったじゃん」
「それに明日は祝日だ」
高巻の言に付け加えるようにして喜多川は部屋の壁に貼られたカレンダーを指し示した。秋分の日は昼と夜の長さが等しくなる日とされる。なに故にその日が祝日とされているかは知らないが、休みは休みだ。時間は十分あるということだろう。
見回せば他の面々も二人の言葉に同意するように頷いている。気持ちは一つということらしい。
雨宮は少しだけ遠慮がちに奥村のほうをみやったが、ぬるくなったペットボトルの紅茶に口をつける彼女もまた静かに微笑んでいる。
現状怪盗団が挑んでいるパレスは彼女の父親のものだ。しくじれば彼女自身にも塁が及ぶ。これは可能性の話ではなく、確定した事実としてのことだった。
惻隠の情を示して笑う彼女の寛大さに……なにより仲間たちの世話焼きぶりに雨宮は苦笑する。
「おせっかいな連中だな」
これにヘッと鼻を鳴らしたのはモルガナだった。彼の前には小皿に移された牛乳がある。彼の見た目が猫だからといってジュースやコーヒーが飲めないということもないが、皿に入れて出すとなると選択肢は自然と狭まる。それで結局「じゃあ牛乳でいっか」になるのがいつものお約束だった。今のところモルガナがこれに不満を漏らしたことはないが、それは雨宮がせっせとマスターの目を盗んであれやこれやを与えているからだろう。
さておき、猫じゃないし飼われてもいないと主張する猫が言う。
「オマエが言うのかよ。よくまあこんだけ集めやがって……」
『こんだけ』『集め』られた者たちはしたり顔で怪盗団の頭領に目を向ける。
今度は彼が問われる番だった。
「さ、話してもらうからね。なにがあったの?」
……
が抱えているらしい厄介ごとのおおよそを語り終えて、雨宮と双葉、それからモルガナもくたびれたと各々飲み物に口をつける。
坂本はもとより半分くらいは聞き及んでいたが、高巻らにとっては寝耳に水だ。双葉に親しい友人―――それも異性の―――がいたことも驚きだが、それがいかにもなトラブルを抱えた同年代というのも、まるで誂えられたかのように思える。
彼らの視線は自然と雨宮に集まった。
「……なに?」
「いやー、やっぱなんかもってんなぁって思ってよ。蓮ってトラブル引き寄せるフェロモン的なやつ放ってんじゃねえの?」
「ええ……におう?」
げんなりとした様子でモルガナの鼻先に腕を持っていった。猫はふんふんと鼻とひげをふるわせたが、彼には汗のにおいと制汗剤、それからコーヒーの香りくらいしかわからなかった。
とはいえモルガナとしては坂本の言に全面的に同意する。
コイツには他のヤツにはないナニカがある―――そういう意味で「ああ、まあにおうな」と言ってやると、雨宮は大仰に驚いて椅子ごと階段そばまで後退った。
「え、え、そんなに? やだ、ボディソープ変えようかしら……柿渋とかそういうやつに……」
「そういう意味じゃねえよ」
明らかにふざけきった彼の態度のせいか、ツッコミにはやる気がない。
そもそも、今回に限っては完全に雨宮だけが誘引したとも言い切れない。きっかけをつくったのは双葉のほうだ。
「いうてわたし自身もこいつがいなきゃと会おうともおもわなかっただろうし、やっぱ蓮がにおってんのかもな」
「臭うって言うのやめて」
「すっごいどうでもいいから話進めるんだけどさ、嫌がらせってその……クン? の周りで起きてんだよね」
どうでもいいとまで言い切られてしまうとそれはそれで釈然としないが、これ以上のおふざけは許さないと新島の瞳が厳しく光るのを見て、雨宮はただ黙って頷いた。
「そんで、ストーカーとかじゃないんでしょ。じゃあ保田ってヤツはなんのためにそんなコトしてんの?」
高巻の言葉はいつでも率直だ。華やかな見た目に反し、飾り気がなくわかりやすい。
ふむと唸ってこれに応えたのは喜多川だった。
「真っ先に思いつくのは地上げ屋か」
「なんだそれ。から揚げの一種?」
坂本の間抜けな発言に、屋根裏のあちこちからこれみよがしなため息がもれる。その中で高巻だけが口を結んで不思議そうにまばたきをくり返しているから、おそらく彼女も単語の意味を理解していないのだろう。
とはいえ『地上げ屋』など昨今聞かなくなって久しい言葉だ。学校の授業で教わるわけでもなし、この集団の中で最も『イマドキの若者』らしい二人が知らないのも無理からぬことか―――新島はひりひりと痛むこめかみを指先でさすりながら欺まんを己の胸に吐き、それから二人に向き直った。
「その『あげ』じゃないわ。地上げっていうのは、土地を買うこと。本来なら真っ当な交渉を行ってね」
「もっと言うと―――」
奥村が遠慮がちに口を挟んだ。
「商売だから、やっぱり仕入れ値より売り値が高くなくちゃ困るよね? だから土地の利用価値を高めるために買ったあともあれこれ手を加えたりするの。土地を平らにしたり、権利関係の整理に、相場や地価の調整……」
ポンと手を打つ音が彼女の声を遮った。
「ああ、それだ。真の言ったとおり、本来ならば真っ当に売買の交渉、契約、仲介を行うんだが、春の言う地価の調整というやつがくせ者なんだ。そのとやらの家のまわりは工場町なんだろう?」
「ん? うん」
喜多川からの問いに雨宮は昭和の香り残る下町情緒を胸に返しつつ頷いてみせた。ちょっと騒がしいが活気の感じられるものづくりための拠点は、思い返すだけで少年の好奇心やロマンを求める心をくすぐるものがある。鉄さびとか、巨大な歯車だとか、謎の工具や唸りをあげる機械だとか……
喜多川はそこにある光景を見抜いているのかのように明快に、いくらかの実感も伴わせて続けた。
「古い建物というものはたいてい、住居であれ作業所であれ、防音性は低い。どういった物を扱うかによるが、工場となればニオイもあるだろう」
雨宮はまた頷いた。
確かにあのとき、そばを流れるどぶ川からはかすかな不快臭がたちのぼり、塗装場でもあったのか熱気とともに有機溶剤の独特な臭気が鼻をついた。耳にはあちこちからあふれる金属音や機械音が触れてもいた。どれも人によっては耐えられないものかもしれない。
喜多川にはやはりそれが視えているのか、然りと繋げて言を重ねる。
「線路や車通りの多い道近くの物件はものによるがたいてい安いだろう?」
長い問答の末の結論に、再び、今度は雨宮だけでなく坂本や高巻も頷いてみせる。
「あー、つまり? そういう安い土地を買って、高く売るって商売ね。それはわかったわ。もうカンペキ」
うそぶく坂本をよそに、高巻はもう少し深い理解を得ている様子だ。
「だから嫌がらせするんだね。そういうのがあったら今住んでる人たちも早く手放したくなって、そしたら足元見てふっかけられるだろうし……」
「そういうこと、かな。でもそれだとやっぱり個人や一つの建物にじゃなくて、特定の範囲に嫌がらせを行う理由としては弱くない?」
唸って口元に手をやった新島に、奥村はごく控えめに、否定のため首を振る。
「えっと、まとまった大きな土地のほうが利用価値は高いよね? 大型のショッピングモールやアミューズメント施設に、タワーマンションなんかも建てられるだろうし……」
だから、土地目当てという推察は十分当てはまるだろうと奥村は言う。
「民間じゃなくても行政機関が学校や公営住宅の建設用地を求めて広い土地を必要とすることもあるかな。もしくは道路とか、空港とか……」
後者に関しては土地面積を推測するになさそうだと付け加えて彼女は一同を見回した。
「んじゃやっぱ土地目当てか?」
「今のところはそれくらいしか候補は思いつかんな」
ふーんとおざなりに応える坂本の手にはスマートフォンが握られている。現状、主な加害者である保田のフルネームを知っているのは彼だけだ。表示されたパレスへのアクセス手段であるアプリにはすでに『保田康広』と入力されている。
しかしいつまで待ってもアプリはうんともすんともいわなかった。名前だけでもパレスの有無は確認できるはずだが、保田には歪みと呼べるほどの欲はないということか―――
しかし拍子抜けこそすれ、誰もこれに落胆はしなかった。納得できる結果ではあったからだ。
なにしろ保田の振る舞いは聞き及ぶ範囲だけでも下っぱ然としている。地道な嫌がらせの内容もそれを見咎めたへの対応も、いかにもなチンピラだ。彼自身の欲望にではなく、誰かの思惑に従っているだけの存在でしかなく、彼は枝葉の一つ、それも末端にあたる存在でしかないのだろうと想像が思い至るのに時間はかからない。
「黒幕がいるっていうのはお約束だが……カネシロみたいなやつか? ギャングだかマフィアだかよ」
口のまわりに白いものをつけたままのモルガナが言う。その愛らしくも間抜けな、発言とちょっとかみ合わない姿に、新島は頬を緩ませつつ首をひねった。
「それもありえるけど、手口の荒っぽさっていうのかな、ちょっと粗雑な感じがするのよね。金城はもう少し慎重だったし、最低限入り口は友好的だったでしょ?」
例えば、と新島はかつてのターゲットの一人だった金城なる男の手口を双葉と奥村に説明してやる。
まず判断力の低い若年層に『簡単に稼げるアルバイトをしないか』と誘いをかける。相手はその中身を知らされぬまま受け渡しを行い、報酬としてちょっと割のいいバイト代を受け取る。ところがこの荷物は違法薬物やいかがわしい金品であり、現場を撮影ないし録音した物証をチラつかせて脅迫する、というわけだ。
思い返せばケチくさい犯罪だったが、被害者は額の大小に差はあれどかなりの数にのぼっていた。その割に手がかりを掴むにもなかなか苦労させられたし、警察さえも手をこまねいていたというから、よほどうまく脅しつけていたかあるいはなにかしらの後ろ盾があったのかもしれない。
翻って考えるに今回の件と決定的に違うのははじまりからして暴力的であるという点だ。勧告や交渉さえなくいきなり排除しにかかっている。シャドウ相手ならばまだしも、現実に生活する人々に対して。
彼女はまたため息のように薄くゆっくりと息を吐いて、誰に向けるでもなく思いついたことを虚空にささやきかけた。
「よほど捕まらない自信があるか、もしくは急いでいるか、急かされている……?」
ここまでくると確証もなにもない想像だ。新島自身もそれを自覚しているのだろう。これは特別さらなる追及をはじめたりせず黙り込んだ。
その横顔に坂本が問いかけた。
「ギョーセイがって可能性はどうなん? たまに聞くよな、道路つくんのに立ち退き要求されたりってやつ」
春が言ってたのもそういうやつだろと坂本は奥村にも視線を投げる。
彼女たちは顔を見合わせてうーんと唸りあった。
「無いとは言い切れない、ってところかしら。春はどう考えてる?」
「……私は、無いほうに近いかなと思うの」
それはどうして? と返されて、奥村は言葉を選んで慎重に己の考えを述べた。
「手口が荒っぽいって言ったよね? そこが私も気になっているの。例えば都が反社会的な組織に土地の買収を仲介させたとして、そのつながりをうまく隠し通せたりするかな? 仮にもし事が露見しなくたって、今は被害に遭われた人たちだって情報の発信が簡単にできるでしょう? もちろんその対策だって可能だろうけど、そこまでの手間をかけなきゃならないほど有用な土地とは……その、ごめんなさい。ちょっと、思えないかなって」
都心からは少し離れているが、じゃあといって他県へのアクセスに優れるわけでもない。どれだけ安く買い叩けたとしても他諸々に金も手間も時間も取られすぎて採算が取れなさそうだと奥村は話を結んだ。
「んじゃそっちの線は無さそうか」
「可能性はゼロじゃないよ?」
「ま、そのへんもいろいろ掘ったらわかってくるだろ」
今はそれより、と双葉が議論をせき止める。
一同の視線は自然と頭目へ向かうが、彼はまだ黙ったままだ。そのままいくらかの間が屋根裏部屋に満ちる。
残暑の厳しい東京の夏は、夕方になってもセミの声が路地に反響してやかましい。窓に吊り下げっぱなしの風鈴の音はより夏の残り香を強調させていた。
すっかり空になった紙パックをみみっちくすする行儀の悪い音をそこに混ぜ合わせてからやっと、雨宮はストローを口から離した。
「……なんにせよまずは目の前の問題を排除してやりたいな」
咎める視線こそあれど反対する声は上がらなかった。大した接触があったわけではないが、世にも珍しい双葉の友人とかいう少年の存在は少なからず彼らの好奇心をくすぐっていた様子だ。
ただし問題は多い。
「でも改心はできないんだよね。そしたらどうしよっか? 直接現場をおさえる……が、ダメだったんだっけ」
言って高巻は整った眉をぎゅっと寄せ、小さく唇を噛んだ。の怪我は遠目にもちょっと驚くようなものだったから、それを思い返してしまったのだろう。
対して双葉は平静な様子だ。直接会話した彼女は、あの少年がやたらと頑強で少しも堪えていないと確信しているのかもしれない。覗き込んだ液晶から溢れる光を度のきつい眼鏡の表面に反射させながら、ゆらゆらと頭を揺らしている。
「そうそう。そこんとこもなーんかちょっと引っかかるんだけど……」
「ってーと?」
「んや……うーん……わからん!」
お手上げだと両手を掲げる双葉に、高巻は大げさに肩を落とした。
双葉が『引っかかる』というのであれば気に掛けるべきだろうが、しかし結論の出なさそうな受け答えを続けるにはこの屋根裏は少しばかり気温が高い。湿気もあった。
新島は汗でほおに貼りついた横髪を指先で払った。
「それは気がつけたら報告してもらうとして……それとは別に相手の行動パターンを分析しておいて」
「できるけどなんで?」
「要は物証があればいいんでしょ。嬉しいことに相手は最初からそれをばら撒いてくれているんだから、そこを押さえればいいだけよ」
一種冷徹ささえ感じさせられる怜悧さを瞳に湛え、新島はフッといかにも相手を見下しているかのような笑みを浮かべた。今のところは誰もあずかり知らない事柄だが、それは彼女の姉にそっくりだった。
なんにせよ、彼女が味方であるうちは頼もしい以外のなにものでもない。彼女の視線の先では黒猫がやっと口の周りの異変に気がついて懸命に毛づくろいをしている―――
「あー、これもわかったわ。完ぺき」
再び坂本がしたり顔で頷く。モルガナは一拍遅れて顔を上げると、不思議そうにひげを広げた。
「モルガナ、よろしく」
「んニャ?」
それから一晩経って、若者たちは祝日の午後から再び屋根裏部屋に集合した。
そこに少女の正直すぎる悲鳴がこだまする。
「うわモナくっさ!」
無慈悲に叫んだ双葉の前に四足揃えて佇むモルガナからは、なるほど確かに―――なんとも説明し難い、すえたにおいがたちのぼっている。
そんな彼女の背後から雨宮が階段を小走りに登ってくる。その手には濡らした大判のタオルが掲げられていた。
「とりあえず応急処置。モルガナ、今日の夜は風呂入れよ」
「シャーッ!」
かたく絞った濡れタオルで全身を無遠慮に拭われる屈辱にか、モルガナの喉からは威嚇音が出ている。暴れることはぎりぎりなさそうだが、床につけられた前脚は爪が出ていた。
そのままあますことなく拭き清められ、しっとりとした彼は心もち体積が減ったようにみえる。いつもはツヤツヤの毛並みも、乱暴にこすられたせいですっかりボサボサだ。
こんなんじゃあの子に笑われちまうと必死になって毛づくろいに励むモルガナに鼻を寄せ、双葉はまた彼を傷つけるようなことを言い放った。
「これはこれで濡れたケモノのニオイだな。あ、ケモノか……」
「誰が……って、そこまで? ワガハイそんなに? えっ、やだぁ……」
「な? 傷つくだろ?」
項垂れた小さな頭にドライヤーで風を送ってやりながら、雨宮は神妙な面持ちを浮かべている。モルガナはそんな彼を潤んだ瞳で見上げ、そっとひざの上に肉球を置いた。
「ウン……ごめんな、レン……」
「許すよ……」
妙な共感と友情が育まれつつあるのを双葉は薄目で見つめている。
―――すっごくどうでもいい。モルガナはともかく、ニンゲンのほうは今のところすき好んでニオイを嗅ぎにきてくれる相手もいないくせに。
さすがに口にはしなかったが、このときちょうど、結果報告を求めて急かしたがる彼女の心情を汲み取る者がやっと現れる。
「うーっす、なにやってんだお前ら」
「竜司。おはよう、早いな」
「もう昼過ぎてるからな? 下もう全員集まってんだけど、上げていいか?」
「ん。モルガナ、いい?」
「もーちょっと!」
ますます慌てて毛づくろいに励む猫に、坂本は不可解そうに首を傾げた。
……
新島の要請に従って保田康広の行動パターンを監視カメラ等の映像データから分析し終えたのは昨日、作戦会議が一旦の終結をみせてから二時間弱ほど経過してからのことだった。そのとき時刻は夜の十時、居残って雨宮とゲームに興じていた坂本が帰りがてらの運搬役を請け負い、保田の今のところの住居近い駅までモルガナを送り届けた。
そのモルガナは予め教えられた道順をたどり、建て売りの新築住宅の一つに向かう。家主の不在は承知済みだった。
難なく鍵を開け、屋内に侵入した彼の役目は物証探しだ。十中八九あるだろうと予測はされていたから、それを確信に置き換えるだけでいい。
果たして彼は山積みのビラを発見する。百枚ほどが一つの束としてビニールロープで括られていて、それが全部で七つあった。明かりのない中覗き見るに、一束ごとにそれぞれ内容も添えられた画像も種類が違っているようだ。
とはいえそれらが訴える方向性は同じだ。わい雑で下品な言葉とポルノめいた画質の粗い画像は、猫の目にも汚らしく映った。
「悪党ってやつはどうしてこう下劣な連中ばっかりなんだ? 少しはワガハイのようにエレガントにやってみろってんだ」
肉球を駆使したピッキングがエレガントかどうかは意見が別れるところだろうが、モルガナにとってはそういうものなのだろう。
彼は部屋をぐるりと見回してフンと嫌味ったらしく鼻を鳴らした。
その嫌味を受け取る相手はゴミや残飯にたかる虫や小動物くらいだ。今のところ目に見える場所には出てこないが、モルガナの耳とひげはその気配を感じ取っている。
鼻が利かないのは、あるはずの新築独特の香りがすでにたばこ臭さとアルコールが腐ったにおいに散らされてしまっているせいだった。
リビングの片隅、積み上げられたビラの周辺はそれなりにきれいにされているが、ほかはひどいものだ。ビールの空き缶やコンビニ弁当の空き箱がぎっしり詰め込まれた地区指定のゴミ袋が三つも四つも転がっている。臭気はそこからきているのだろう。
その割に生活感といったものはあまりない。行動パターンの分析からも明らかだが、保田はここをほとんど待機か休憩に使っているらしい。家具は窓にカーテンが掛けられているくらいで、カーペットどころかテーブルさえない。それらしいものといえばコンセントに繋げられたまま蛇のようにくねるスマートフォンの充電器と、枕代わりらしき半分に折られた座布団、それから小型の冷蔵庫くらいだ。冷蔵庫にはゴミ袋の中の空き缶と同じ銘柄のビールが隙間なく詰め込まれていた。
昼間は例の雑居ビルに詰め、日が暮れはじめるとここにやってきて夕食と待機、人通りの減った深夜にやっと動き出すということか。あるいは他に寝床があるのか、ここへは立ち寄りさえせず別の日の夕方に帰ることもあるようだ。
今日の不在も深夜徘徊か寝床に帰っているのだろう。
おかげてゆっくり家探しができる。泥棒ではないが泥棒めいた真似をする猫はリビングを横切り、カウンターテーブルむこうのキッチンに足を運んだ。
「あん? なんだコリャ……」
はてと首を傾げた彼の目に映ったのは、先までの殺風景さとは相反した大型の冷蔵庫だった。
飛び乗ったシンクにも電気加熱式のコンロにも、使用の形跡はろくにみられない。湯くらいは沸かしただろうが、ここで料理が行われたことは今日まで一度もないだろう。
対してそばに置かれた冷蔵庫は、ゆうに五百リットルはありそうな大きさでモルガナを威圧している。
「まさか……いや、さすがに……」
ぶつぶつ、うにゃうにゃ、うめきながら冷たいコンロの上を歩き回ることしばし、モルガナは覚悟を決めて冷蔵庫に躍りかかった。
鬼が出るか蛇が出るか、もしくは死体―――勘弁してくれ―――か。
重い戸をどうにか開け広げた彼の前に現れたのは幸いなことに鬼でも蛇でも、ましてや死体でもなかった。
半透明のビニール袋がいっぱいに詰め込まれている。もちろんその中身はニンゲンのパーツではなく、なんの変哲もない家庭から出る生ゴミだった。卵の殻だとか、果物や野菜の皮にくず、丸められたティッシュや油を吸ったキッチンペーパー、空になったドレッシングの小袋……
なるほど、こうやって冷蔵しておいて、必要になったら取り出すということか。
納得し、冷気と悪臭からさっさと逃れようとドアを押した瞬間、彼に不幸が訪れた。
庫内に積み上げられた生ゴミの袋が音もなく崩れ、油断しきっていた猫の額中にぶち当たる。とたん緩く縛られていただけの口からゴミがあふれ、自慢の黒い毛並みに救いを求めるようにまとわりついた。
「ギャーッ!? くっせ! くっせぇ!!」
コリャたまらんと身震いをしてゴミを落とし、モルガナは素早く逃げ出した。
見たいものはおおむね発見していたから退きどきでもあった。散らばったゴミを保田は不審に思うかもしれないが、隙間を残して開けたままの窓とそこかしこに付けておいた足あとにはすぐ気がついてくれるだろう。
―――猫が侵入した。
間違いのないことだった。
場所はまた屋根裏部屋に戻って、報告を受けた二本脚の怪盗たちは各々の調子で大任を務めあげたモルガナをねぎらった。
「―――それで、ここからどうすんの? あいつがやりましたって言うにしても、忍びこんだって言うわけにもいかないし……」
豊かな金の髪を指先に絡めながら高巻は言う。
そもそもモルガナの言葉は彼がしゃべる猫だと認識した相手にしか届かない。警察や近隣の住民をメメントス等に侵入させるわけにもいかないだろう、と。
答えたのは雨宮だった。
「犯行の証拠があるのなら、あとは言い逃れできようがない状況をつくってやるだけでいい」
再び、高巻は疑問を口にした。
「どうやって?」
彼は笑ってこたえる。
「タイミング次第かな」
「んー?」
結局その日のの件は報告だけに留まり、怪盗たちはパレスのほうへ足を運んだ。
奥村はいくらか恐縮した様子を見せていたが、オタカラへのルート確保まで攻略が進むとそれも消え、緊張と決意に表情を引き締め直した。
―――これで父の暴走を食い止めることができるのか。
無言のうちに問いかける彼女に、怪盗たちは頷いてみせた。
……
予告状を叩きつけた怪盗団はまたしても見事に悪党の心からその歪みの根源を盗み出した。
あとは改心の効果が現れるのを待つだけと胸を撫で下ろすのも束の間、雨宮のいう『タイミング』が息つく暇もなく訪れた。
土曜日の夜、空はあいにくの曇り模様で、下がりきらない気温と高い湿度せいで不快指数は高い。そのわりに木造の住宅……掃除の行き届いた家のダイニングにはどことなく甘い香りが漂っている―――
「くんのお父さんってまだお仕事?」
古めかしいソファに浅く腰かけた高巻の視線は家主の息子である少年に向けられている。彼は所在なさげにテーブルのそばに立っていたから、自然と彼女は上目遣いになっていた。
「え、や、親父は……今日は会合。町内の、自治会のやつ……」
その声はわずかに上ずっている。どうも彼は普段なら家にないはずの女っ気に緊張しているらしい。あるいは高巻の目を奪われるような容姿に心を乱されているのか……
面白がるでもなく、高巻はかすかに首を傾けた。やわらかそうな金の髪が肩から落ちて、わざわざ私服に着替えてやってきた彼女の胸元にかかる―――
思わずと目で追ってしまって、彼は慌てて視線を柱に掛けられた振り子時計に向けた。時刻は五時を過ぎたばかりだった。
「忙しいんだ。こんなときに押しかけちゃってごめんね」
「それは、むしろありがとうございますっていうか、これが済めば親父も少しは楽になるかなって……」
「そっか。だよね、そうなるよう私もがんばるから!」
申し訳なさそうにしかめられていた表情が一転、花の咲くような眩しい笑みが浮かぶ。ちょうど視線を彼女に戻していたはそれをまともにくらって後退った。力こぶをつくるように掲げられた白い腕はやっぱり眩しい。
他人事に眺めていた男子三名と猫一匹は、そういえば高巻杏という女の子はそういう存在だったのだと思い出す。
―――なんかすっかり慣れちゃってたけど、杏って一撃必殺の美少女だったな。
なんとも贅沢な話だった。
その一撃必殺の美少女は、ほどなくして猫を抱えると雨宮を伴って家を後にした。今日の彼女の主な役目はモルガナの運搬だ。彼にはハーネスも装着済みだから、傍目には猫の散歩をしている高校生のカップルかなにかに見えるだろう。
仲良くしろよと厳命された途端に高巻の白々しい大根演技が光り出すのだが、それは閉ざされた玄関扉のむこうの出来事だったから、幸いにかの高巻に対する印象は、
「マジかよレベルたっけぇ……」に固定されたままだ。
聞かせるつもりもなさそうな低くかすれたつぶやき声を聞き取って、双葉は愉快そうにニンマリとして自らを両手で指し示した。
「ここにもおるぞ、ほれ、ほ〜れ」
からかう気満々で言われては、もそんな気にはなれない―――容姿という意味なら、彼女だって充分過ぎるくらいかわいいと彼もちゃんと思っている。
「お触りは厳禁だぞ」
問題は言動だ。
「あーはいはい。フタバもかわいいかわいい」
「コラーっ!」
もっとちゃんとほめろと拳が飛んだが、には少しも痛くはなかった。
そうやってじゃれ合いながら戻ったダイニングにはまだ坂本と喜多川が残っている。
「俺ら瓶詰めだから」
「……後詰め、な」
「あーそれ」
は作戦の概要こそ聞かされているが詳細までは知らされていない。それ故お前たちは行かなくていいのかと問うと、そんなやり取りが返される。
実際のところ彼らの本当の任務は 子守り兼護衛だが、これはにも双葉にも―――当の二人にさえも伝える必要はないと伏せられている。
坂本あたりは薄っすらと己の役割に気がついてはいるが、喜多川のほうは、さて。そういうことならばと気を利かせたが出した茶の一つと茶菓子の二つ三つに嬉しそうに食らいついている。どうも家の古めかしい佇まいによくわからない親近感を抱いているらしい。
「……そういえば、」
楽しげに細めた目で部屋を見回していた喜多川が、ふと口を、物を食べること以外で開いた。
「君のお父上は会合だそうだが、ご母堂はどちらに?」
「あ、それ俺も気になってた。なに? 夜勤? なんなら俺ら外で待つけど……」
追随して坂本も身を乗り出した。唯一双葉だけがギョッとして身を固くする。
「ちょま、このバカども―――」
そんなプライベートなこと訊くんじゃないと間に割って入るより早く、の大きな手がダイニングの片隅を指し示した。
「あそこ」
彼らの誰も入ったときには気がつけなかったが、壁に埋め込まれるような形でひっそりと仏壇が置かれていた。まだ新しく、仏具もよく手入れされているのか鈍く輝いている。備えられた花も菓子も果物もみずみずしい。木彫りの仏像のすぐ下に置かれた小さな遺影に写っているのは三十代半ばから四十代ほどと思わしき女性だ。肩幅が広く、いかにも健康そうな骨太の人物で、歯を見せた快活な笑みがその性格をよく教えている。どことなくに似ているようだった。
喜多川は食べかけのどら焼きを皿に戻すと両手をテーブルにつけて頭を下げた。
「すまない。あまりに配慮を欠いた発言だった。謝罪させてくれ」
「え? いいよいいよ、時間も時間だし気になるのが普通じゃない? その理由がああだともなかなか思いつかないでしょ」
だが、とまだ申し訳なさそうに眉を寄せる喜多川と、その対処に窮すると、ついでに気まずそうに俯く双葉を純繰りに眺めて、坂本はどうしたものかと頭を掻いた。
喜多川の気持ちも解るし、気にするなと応えるの気持ちも、彼にはよく解った。双葉がどう思っているのかはちょっとわからない。片親の不在を恥じたことなど一時もないが、それを知った相手というのはいい意味でも悪い意味でも厄介なものだ―――
胸を悪くするような記憶が胸に蘇りかけて、坂本はゆるく首を左右に振った。
「なあ、線香ってあげてもいい?」
結局坂本が提示したのは折衷案だった。言ってからこれは案外悪くないんじゃないかと彼は思った。個人への礼儀を示しつつ、無礼への申し訳なさをそそぐ。おまけに相手に特別気を遣わせることもなく。
なんだ俺ってやっぱり気遣いとかできるんじゃんと自画自賛する胸中には気がつかないまま、は安堵にか顔を綻ばせて仏壇の前に置かれた座布団を手で示した。
「おう、どーぞどーぞ。母ちゃんも喜ぶよ」
じゃあ遠慮なくと坂本が立ち上がると、喜多川もその意図を察したのか膝をにじって彼に続いた。
「……おい待て、いきなり火をつけるな、先に手を合わせるんだ」
「うっせぇなあ。俺のかーちゃんかよお前は」
「おぞましいことを言うな。……なぜ三本も四本も立てる。一本でいいだろう」
「他の連中の分もって思って」
礼儀作法に疎いからか則る気がないからか、不調法な振る舞いをみせる坂本のそばで喜多川ははらはらしている。しかしやがて彼のほうも、畏まった席でもないのだから口やかましくするほうが無礼かと口を閉ざした。そもそもこの家がどの宗派に属しているかもわからないのだから、仏具をひっくり返しでもしなければ御の字だろう。
そうやって二人が手を合わせると、束の間部屋は無言と煙に包まれる。見たい番組も特にないからとテレビも電源が落とされたままだ。どこからかモーター音に似た重低音が響いてきているが、耳障りというほどのこともない。
静寂は少年たちには心地よかった。双葉だけが気まずい心地のまま、あぐらをかいていたのを何故かわざわざ正座にして、その膝の上で拳を握っている。冷房の利いた室内は涼しいはずだが、額にはじんわりと汗がにじんでいた。
「わっ、わわ、わー……」
「夕陽のガンマン?」
「コーンの缶詰だろ」
「クロちゃんじゃねえの」
ふり返った男どもが双葉の奇妙な鳴き声に好き勝手な憶測をつける。それも双葉にとっては面白くなかった。
なんだかおいてけぼりにされた気がする―――
かといって拗ねたような気持ちになってしまっていることを悟られるのも悔しいと、双葉は唇を引き結んですっくと立ち上がった。つもりだった。
「双葉ー!?」
少年たちの前で双葉は前のめりになって崩れおちる。慣れない正座などしていたせいで、細い脚はすっかりしびれてただの棒と化していた。
「……どうした双葉、なにをしているんだ」
上から喜多川が心配しているんだか小ばかにしているんだか判別つけがたい声をふりかけてくるのもやっぱり面白くない。双葉はしびれの及んでいない膝でよちよちと歩みを進めると、まだ彼が尻を乗せている金色が眩しい御前座布団をぐいと引っ張った。
「わっ、わたしも! やるから! どけおイナリ!!」
「構わんが。なぜ怒っているんだ」
「うるさいなー!」
一番うるさいのは誰だよとすでに茶菓子に戻った坂本がはやし立てるが、幸いなことにこれは双葉の耳を通り抜けるだけだった。