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03:On the Other Side
そのように話が結ばれるころには場所は電車内から駅のホームに移っていた。話題の中心である男も一つ前の駅で降り、姿どころか影を踏むことすらできなくなっている。
この判断を下したのは雨宮だった。住居が確定しているのなら今無理をして追う必要はないだろうからと。
平日の放課後、まだ日も長い九月の空は明るく、ホームには下校途中らしき学生が慌ただしく行き交っている。私服姿の双葉はいささか目立つが、左右を制服の雨宮と坂本に挟まれると体格差から辛うじて埋没してくれた。
なによりホーム隅、日がジリジリと照りつけるベンチに陣取る彼らにすき好んで近寄る者も、わざわざ眺めて耳を立てる者もいない。話は滞りなく続けられた。
「じゃあ竜司、話してやって」
「あいよ。……っても、そっちの話と繋がるかどうかはわかんねぇけどよ」
冷房のよく効いていた電車からじっとりとした暑さと日の光に晒されたホームに移ってしばらく、けだるげに脚を投げ出す坂本の手には早々と空になった炭酸飲料のペットボトルが握られている。
彼はプラスチックのボトルを指先でへこませながらに向けて口を開いた。
「あいつ……保田ってんだけど、俺の近所じゃ有名なやつでさ、いわゆる半グレ? ってやつ」
―――曰く、保田なる男は五年前までは老人を主に狙った詐欺グループの一員として働いていたのだという。
しかしグループの摘発を受けて逮捕、起訴から実刑判決をくらい、保田という男は長らく世間から存在すら忘れてさられていた。
やっと刑期を終えて出てきたのがちょうど一年ほど前になる。それから半年ほど経過して、数カ月前この保田なる男はふらりと坂本少年の前に姿を現した。
「あんま嬉しくはなかったな。もともとケチくせぇっつうか……俺がもっと小さいころ、ゲーセンだカラオケだであいつにカツアゲされたって話もあったし」
そうした行いがやがて組織的な詐欺や恐喝にまで発展していき、ついには逮捕されて少年院―――逮捕当時は未成年だった―――に送られるところまで行き着いたのだろう。
だから、の語ったような一連の嫌がらせ行為も、なにか金銭的な利得が発生するのであれば関わっている可能性は否定できない。
苦々しくそう告げた坂本に、は遠慮がちに尋ねる。
「それってさ、なにか確実な証拠、とか、ある?」
「物理的にって意味ならねぇよ。俺がこれを知ってんのは、あークソ……さっきも言ったけど去年の終わりっくらいに声かけられたからだし」
収監されていた保田はそこで何某かの組織と接触、釈放と同時に所属を移し、そこでの新たな事業の開始に携わることになったのだという。どういった意図かは知れないが、そこで使える人員を欲してこの少年に―――当時、校内で暴力沙汰を起こして孤立していた彼に目をつけたということらしい。
吐き捨てるようにして応えて、坂本は空になったペットボトルを握りつぶした。その低く唸るような声色に双葉が怯えたような表情を見せていることには、まるで気がついていない。
「たぶんあんとき出てきたばっかで、一度は家に帰ったんじゃねえかな。そんで俺の話でも聞いて思ったんだろ。受け子やらなんやらさせんのにちょうどいいやってよ……」
「竜司」
雨宮は彼に本来ある寛容さ―――良く言えばおおらか、悪く言えば無神経で鈍感―――を思い出させるために、やはりの死角になるところをちょっと強めに殴打した。
「いてっ」
「それで? 具体的にはなんて声をかけられたんだ?」
我を取り戻したのか、それとも気を散らされただけなのか、坂本はひりつく痛みに唇を尖らせている。そこにはもう先の不穏な色は見当たらなかった。
「……リフォーム? リノベーション? をやるとかなんとか……古い家を安く買って、きれいにして売るってやつ?」
脇腹をさすりさすり、坂本は記憶をさらいながら夏日に鈍く輝く架線を睨みつける。
激しく照る太陽に頭頂部を熱されてか、はしきりにそこに手のひらを当てながら器用に肩を落とした。
その胸中を双葉が代弁する。
「なんそれマトモ」
「……だね」
リノベーションは近年注目を集める改修施工だ。まだ耐久年数の残る空き家や空き室に大規模な工事を行い、新築同然に原状回復させる―――業務内容としては至極真っ当なものに思える。
まるで毛むくじゃらの犬ではないかと双葉は足をバタつかせはじめた。
「フタバ、やめろよ。言ったろ情報はなんでも欲しいって」
それに話もまだ終わってない。
苦笑しつつのに見つめられて、坂本ははっきりと顎を引いてみせた。
「なんか、普通の工事会社じゃないっつってたかな……実際に家に手を加えるんじゃなくて、別のなんかを使えるようにするんだって」
「具体的には?」
問いかけたのは雨宮だった。暑さに耐えかねてか日に焼けたくないのか、鞄から引きずり出した大判のタオルを頭から被る彼の姿はなんだか怪しげな魔術師かなにかのようだ。
坂本は困り顔で頭を掻くと、つま先で床のタイルを叩きながら答える。
「ちょっとおぼえてねーわ。ただ、俺にさせたいのは工事の手伝いとかじゃないとは言ってたかな。こづかいやるからちょっと手伝えって」
「ふーん……いくらだ?」
「そこ聞く前に帰ったから知らね」
でもどうせ高くはなかっただろうと、坂本は再び大きく息をついた。
「まあ、そんな感じ。俺が知ってんのはそれくらい」
肩をすくめる彼はもうすっかりいつもの気楽な様子を取り戻している。
暑さはともかく、肩が重くなるような雰囲気が和らいだとみて、双葉もまたいつも通りの調子で坂本に突っかかった。
「なんでそんな案件黙ってたんだよ」
当時はともかく今は≪手段≫があるじゃないか。
言外に含んで告げられたことに坂本は肩をすくめている。
「今日あいつ見るまで忘れてたんだよ。さっきも言ったけど、俺がなんか言われたってだけで証拠らしい証拠もねぇし」
「だからもしかしたら、真っ当なリフォーム業者に鞍替えしたかもしれないって?」
「微粒子レベルでも存在してるかあやしい話だな」
茶化す雨宮と双葉に反し、は相変わらず苦笑している。
「それはそれで極端な話だけど、本当に心を入れ替えたって可能性は否定したくはないよね」
「甘いぞ! ちんすこうよりあまいっ! 人がそんな簡単に改心なんてするもんか!」
冗談めかしてこそいるが、そこに籠められたものに雨宮と坂本は視線を下に落とした。
悪人たちを≪改心≫させるために自分たちが日頃どれほどの労力を支払っているか……
名前と居場所、そしてキーワードの入手をしてやっと仕置き対象の心、そこに形成されたパレスに侵入する。そこからその空間の核にして歪んだ欲望の根源であるオタカラにたどり着くまでのルート確保と、また現実に戻って予告状を用意、送付してオタカラを盗める状態に持っていき、またパレスに侵入して今度こそ奪取して≪改心≫がはじまる―――
世間は怪盗団をスマートなプロ集団ともてはやすが、実情は泥臭い。最近になってやっと作戦参謀と電子情報のプロフェッショナルが加入して、それらしくなってきたばかりだ。
それ以前はもっといきあたりばったりだった。
あの猫に導かれるままただ突き進むばかりで―――
「……改心、か」
ポツリとつぶやかれたの言葉に怪盗たちは身を固くした。
先からずっと過ぎっていることではあった。行き過ぎた迷惑行為に困っているというのであれば、怪盗団を頼ってみてはどうかと告げる機会をうかがってもいた。
けれど今は……
「い、今はだめだぞ!」
「えっ?」
「ちょっ、オイ……!」
思わずと声を上げた双葉に、坂本が待ったをかける。
「今はって、なにが?」
しかしはすでに首を傾げてしまっている。
「……怪盗団に依頼するつもりか?」
俯いた雨宮の言に彼は眉をひそめた。とりあえずそれで不用意な双葉の発言は流されたとみて雨宮は……怪盗団の頭領は重ねて告げる。
「怪盗団なら、の周りでおきてる嫌がらせも止められる。きっとね。すぐにとはいかないかもしれないけど」
その視線は今は軽い鞄に注がれている。すぐにとはいかない理由はこれだ。今はモルガナがいない。
そもそも今日の遠出だって猫探しが目的だったのだ。の依頼を受けるにしても、こちらの件が片付くまで、しばらくは動けないだろう。
けれどそれはには関知し得ない事象だ。
なにより彼は迷うこともなく首を左右に振ってみせた。
「俺はそういうつもりはないよ」
言葉でも否定してみせる。
「……どうして?」
「そ、そうだよ。困ってるんじゃないの?」
「それもそうなんだけど……うーん、特別理由があってってわけでもなくて、やっぱりこういうのは自分でケリつけたいから」
雨宮は眉をひそめた。
前提として聞かされた話の中に自身は登場していなかったからだ。あくまでも近隣の住民が嫌がらせを受けているというていで進められて、彼は相談を受けたか義憤からか、当事者以外の立場として関わっている様子だったではないか。
ところが彼は『自分でケリを』と言った。あるいは彼の父親が自治会長を務めているといっていたから、家族という範囲を自分と言い換えただけなのかもしれないが……
なんにせよ、件の嫌がらせとやらは彼のもっと身近なところにまで至っているんじゃないか―――
黙って思索にふける彼の隣で、同じような推論を重ねたらしい双葉は不安げに偉丈夫を見上げた。
「、バカなこと考えてないよな?」
心配そうな声には朗らかないつもの笑みを浮かべてみせる。
「もちろん。大丈夫だよ。確証が持てたら……いや、それ以前か。ヤバくなったらすぐ警察に行くつもりだからさ」
「ならいいけどさー」
まだぶちぶちと小うるさく独言する彼女にはますます笑みを深くする。
多少棘があっても気遣いからの言葉だ。どうやら彼はくすぐったく感じているらしい。
双葉はすぐに微笑ましく見つめられていることに気がついて立ち上がった。
「なんだその目は! 噛むぞ!」
「やめなさい」
歯をむいてオオカマキリが威嚇するような姿勢をとる彼女を雨宮が小突いた。
そうしていると二人は兄妹のようにみえる。坂本とは顔を見合わせて笑った。
「そういえば―――」
それで話題を区切ったことになったのか、はふと首を巡らせて皆を見回しはじめる。
「今日はあいつは? ほら、モルガナくん」
湿気た熱気の中に冷たいものが混じった。奇妙な緊張感には不思議そうな様子で瞬きをくり返している。
雨宮は誤魔化すように早口で応えた。
「別にいつも一緒にいるわけじゃ」
「でもこないだ俺んち来たときも連れてたよな?」
切り返しは早く、二重の意味で彼をギョッとさせた。
「……バレてたのか」
「わからぁよ」
ケラケラと笑うに企み事はなさそうだ。ただ単純に、付属品のように捉えた猫の不在を疑問に思ったのだろう。
そしてそれはまた別の疑惑を呼び寄せる。
「まて。俺んちってなんだ。いつの間に」
双葉は再び威嚇のポーズ―――コアリクイ―――をとる。
「あ、俺わかっちゃったわ。こないだゲームしてたっての、それだろ?」
ニヤニヤと笑いながら言ったのは坂本だ。ひじで背をつつかれて雨宮もニヤッと笑った。
「バレたか」
「あ、ごめん?」
「いいや」
は一瞬申し訳なさげに眉尻を下げたが、元より訪問の事実自体はいずれ知れることと隠す気もなかった。こうなってはさっさと明らかにしたほうがよさそうだし、隠したり誤魔化したりしたほうがかえって話が拗れるなと雨宮は素直に、しかし目的は伏せてあの日にあったことを明らかにする。ただし、再会のきっかけは偶然の産物と偽って。
双葉は訝しがったが、そうなのかと視線を送った先のは彼の意図を察して頷いている。
「あのとき鞄から尻尾の先出てたんだよね。でも今日は見えないから……モルガナ、お留守番なの?」
けれどあの猫のこととなると坂本は途端に居心地悪そうに身じろぎをしはじめる。
「……別にいいだろ、猫一匹いなくたってよ」
「まあそうかもだけど。でもいないよりいるほうがいいだろ」
気まずく思っているだけのことだが傍目には不機嫌そうに映るのか、部外者のは戸惑いもあらわに言い返した。
坂本は視線を逸してホームの下へ落とし、反論もせずに黙り込む。
雨宮もまた無言のまま度の入っていない眼鏡の下で目を細めた。なにかを言うべきだとは思っているのだが、モルガナが喋る猫と知らないの前で『ケンカしちゃいました』とは流石の彼も言い出せない。
仕方がないなと息をつきつき、双葉が苦手なはずの対外折衝を担当する。
「モナはちょっとな。今はいないんだよ。今は、な!」
語尾を強めて黙り込む少年たちを睨みつけてやる。
今日だって本題はモナのはずだったのにうまくいかなかった。それもこれも全部目の前で情けない顔をして明後日さんと見つめ合う男子のせい……ほうれん草なく唐突にキレ散らかして飛び出していった猫のせい……主張を聞き流して無神経でつれない態度ばかりをとった女子のせい……あるいは悪気はなくともお株を完全に奪い取っておちょくった自分自身……
誰が特別悪いということはなかったはずだ。強いて言うのならタイミングが最悪だったというだけで。
まとまらなさとままならなさに双葉はじんわりと汗のにじむ頭を掻きむしって細い脚を再びバタつかせた。
兄のような少年がまたそれを咎めて口を尖らせ、坂本は相変わらずどこでもないところを睨みつけている。
はそんな彼らを外から眺めて、不思議そうにしながらも柔らかく言った。
「そっか、残念だな。今日こそは撫でさせてくれるかなと思ったんだけど……まあでも、次は会えるよな?」
それはいつかのように双葉の心にしみ入ると、ささくれだった部分を優しく温める。
「うん。次は、モナも一緒。捕まえといてやるから、存分に腹に顔うずめて深呼吸するといいぞ!」
ビッと音がしそうなほど強く立てられた人差し指を見つめて、はやはり目を糸のようにして笑った。
双葉にとってという少年はおトモダチである以上に、見通しを良くする光明のようなものであった。
なんとなれば彼が『そうなるといいな』というと、たいていの物事がそのとおりになるからだ。
例えばゲームなら、彼が示した方向は手薄であることが多く、攻めればたやすく打ち破ることができた。劣勢になれば守りの要所を的確に見抜いて死守し、彼女を勝利へ導いた。
双葉が知る限り―――つまりネット上―――の対人交渉においても深い洞察力と柔軟な人当たりは他者をいとも簡単に陥落させる。いつでも彼はことを有利に運んで彼女に潤沢な物資を約束し、果たしてきた。
いわんや現実にも、友人として目の前に現れて双葉の望みを叶えた。
怪盗団が彼女の前に立って引っ張っていく存在であるなら、彼はそのはるか後方から道を照らす投光器のようなものだった。
そして今回も、彼が『そうなるといいな』といったとおりになった。
モルガナが帰還した。新たな仲間を一人連れて。
それから怪盗団はパレスの攻略に取り掛かった。
仕掛けは厄介だが解けないものはない。道を阻むシャドウも、今のところ十分対処可能な範疇だ。
怪盗団は順風満帆といってよかった。
その日も大きな怪我もなく目標地点までを踏破し、オタカラへのルート確保も目前まで迫り、意気揚々と帰宅の途についていたところだった。
「あれ、じゃないか?」
一週間前と同じ台詞を吐いて立ち止まった双葉に、前を歩いていた高巻は足を止めてその視線の先を追った。
場所は今回のパレス―――オクムラ・フーズ本社ビルからいくらか離れた、雑居ビルが多数居並ぶ大通りだ。駅も近いここは場所柄学生よりネクタイ姿の社会人が目立ち、校章の入った白いシャツに黒のスラックスという彼の出で立ちは、その身丈とあわせてひどく目立っていた。
それを言ってしまうと学生の集団……一人は私服で、他も規定より崩した格好の若者たちも十分目立っているが、それはさておき。
夕闇に早々と点灯された街灯の下、は立ち止まってポールに背を預け、俯いてスマートフォンを睨みつけている。
ふーむと唸って、高巻は率直に問いかけた。
「誰?」
「双葉のトモダチ」
答えたのは坂本だった。彼もまたの存在に気がついて、双葉より一歩遅く、皆より一歩早く立ち止まっていた。
同じように足を止め、新たな登場人物を観察し終えた喜多川は興味深げに息をつく。
「ほう、珍しいな」
「おイナリに言われたくねーなー」
「なんだと」
「てか男子じゃん。ほっほー?」
「そういうんじゃねーよー」
余計な詮索や想像、ついでにヘンタイのお小言はゴメンだと手を振りふり、双葉は雨宮に目線をやった。
―――ちょっと声かけてきてもいい?
―――まあ、いいよ。待ってるからあんまり長くはやめてね。
眼鏡と眼鏡で語り合って、二人は手を差し出しあった。そこには鞄から引きずり出されて腹を上にしたモルガナが乗せられている。
「んニャっ!? なんだ……オイ、なんだよ!?」
「ヨシ! モナみせてくる!」
そして双葉は足音も軽く駆け出した。
「おいフタバ! どーいうこっちゃ……ニャーッ!?」
その腕の中で振り回されるモルガナの悲鳴を聞き流しつつ、少年たちは苦笑しあう。
「あくまでもお友だちってことなんだね、うふふ」
「なーんだ、つまんないの」
「みんな、先帰ってくれてもいいよ」
「そうね。固まって立ち止まってちゃ目立つものね」
「そういうことなら、俺は先に失礼する。蓮、集合の連絡は早めに頼むぞ」
「はーい……」
うなだれる雨宮を中心に白けた空気がひろがった。
ただそれはあまり長続きもしなかった。
双葉が悲鳴じみた声を上げて、スキップするような軽やかな足取りを、俊敏なものに切り替えていたからだ。
「! どっ、どうしたんだよ、それ!」
ほとんど衝動的に飛び出した彼女の姿はにとって唐突に現れたように思えたのかもしれない。項垂れていた頭を素早く上げると、目を皿のように丸くさせてハッと息をのんだ。
「フタバ!? なんでここに……」
それで雨宮たちも二人の動揺のわけを知る。彼の左ほお、目のきわのすぐそばまで大きなガーゼが当てられ、右目はまぶたが切れたのか、まだ赤いかさぶたと青タンがこちらは小さな絆創膏の下から覗いている。
彼は慌ててそれを大きな手で隠そうとしたが、それはあまりうまくいっているとはいえなかった。
「なんでもないよ。これは……」
「なんでもなくはないだろ」
そのころには大股で歩み寄っていた雨宮が双葉のすぐ後ろにまでやってきていた。
「蓮までいるのか……ああ、モルガナも。やっぱりお前たちっていつも一緒なんだな」
「ごまかしてるつもり?」
呆れたような声色の裏に隠された静かないらだちをは敏感に読み取っていた。気まずそうにガーゼを撫でると、力なく笑って首を左右に振った。
「……これは、ええと……お前たちには関係ないことだから、気にしないで―――」
拒絶の言葉を上ずった双葉の声が遮った。
「関係なくなんてないっ!」
先の位置から動かずに動向を見守っていた一同も驚くような声量だ。そばにいた雨宮もモルガナもも、彼女のかつてない様子に驚いて硬直している。
双葉自身も己の声量に驚いていた。ふだんあまり使われることのない声帯が突然の酷使にシクシクとした痛みを訴えはじめてもいたが、それでも彼女は必死になって拙い言葉をに差し出した。
「わっ、わたしとおまえは、チームだろ? 違うの……?」
けれど彼は小さく唇を噛むと、
「それはゲームの中のロールプレイだろ」と素っ気なく返すだけだ。
モルガナが唸り声を上げ、雨宮は双葉の隣にまで進み出た。
「」
名前を呼ぶだけの短い発声は、それだけで充分彼の怒りの強さを教えている。そばにある丸いほおに影を落とす眼鏡の下、瞳がウルウルと揺れていたから、それもやむなしというものかもしれない。
もとより怪盗になる前から彼はそういう男だった。女の悲鳴とか、涙とか、子どもや小動物の弱った姿に弱い。双葉を怪盗団の仲間の一人として頼もしく思うと同時に、庇護対象の一人として捉えている。
はそんなことなど知りもしないが、しかし己がひどい言葉を使ったのだということくらいは理解できているのだろう、視線を足もとに落とすと、そちらのほうがよっぽど泣きそうな調子で「ごめん」と告げた。
双葉はすぐに彼を許した。なにしろ顔面には目を引く派手な怪我がある。青タンをつくるような事態に遭って己を遠ざけようとしたのだろうと、彼女はすでに察していた。
そのように双葉が許すのであれば雨宮がやることはない。モルガナも脱力して双葉の腕からぬるりと抜けて飛び降りる。
―――でも、釘を刺すくらいはしておくか。雨宮は口元を歪めて肩をすくめた。
「双葉を泣かすな」
「はっ!? 泣いてないよ!」
ふり仰いだ双葉が腕を振り上げるが、彼は防御姿勢すらとらずにニヤついた顔をに向ける。
「こいつのバックにはヤバい人がついてるんだ」
「えっ……?」
「例えば黒い粉末を利用して人を誑かす男―――」
……雨宮の言う『黒い粉末』は焙煎されたコーヒー豆を挽いたもので、そこから抽出された液体、つまりコーヒーによって人―――主に女性―――を誑かす男というのはもちろん、純喫茶ルブランの店主、佐倉惣治郎のことだ。その人は双葉の養父だから、バックについていると表して間違っているということもない。
「それから漆黒の毛で身を包んだ、鋭い牙と爪をもつ獰猛な獣」
彼の言う黒猫には確かに鋭い牙と爪がある。獰猛かどうかは……相手によるだろう。今は双葉の足元で呆れて尾を振り、先っぽで少年のすねを叩いている。
さて、緊張もほぐれたと見て雨宮はまたさらに一歩、モルガナを越えて前に踏み出した。
「あっコラ! ワガハイをまたぐな! 無礼だぞ!!」
「モルガナってよくしゃべる猫だよね」
「猫じゃ……あー! もー!」
地団駄を踏む猫という珍しい生き物に和んで顔を緩ませているは雨宮が悪い顔をしていることに気がつかない。
「それじゃあ」
「え?」
「うげぇっ」
声に反応して上げられた顔に、タイミングよく持ち上げられたモルガナの腹毛が押しつけられる。滴るほどではないが汗のにじむ顔に、黒く細く短い毛をたっぷりとこすりつけてから開放してやると、日に焼けた少年の顔は毛だらけになってしまっていた。
ぼう然とするのほんの目と鼻の先に雨宮は居る。沈みゆく夕陽を背に、長い前髪と眼鏡のフレームが影を落として表情は窺えない。
もちろんは彼が巷に喧騒を振りまく怪盗団の長だなんてことは知らない。けれどその影に隠れた眼差しに得体の知れないなにかを感じ取ってつばを飲み込む。
雨宮はそんな彼の警戒心をせせら笑った。
「話して。なにがあった?」
それは例の保田なる男についての続報で、そう長い話でもなかった。
昨晩再び保田の姿を人気のない街路に見つけたは彼のあとをつけ、近所のアパートのごみ捨て場に生ゴミをバラまこうとしている現場を目撃したのだという。それだけならこぼれ幸いというだけの話だ。そこで証拠写真を収めるなどで済ませればいいものの、義憤に駆られた少年は思わずと声を張り上げ、不用意に駆け寄ってしまった。
問い詰めるも保田はゴミ袋を破いてしまっただけだと、このアパートの住民ではないがゴミの処分に困っていたのだと、それで悪いと知りながらもここへ捨てに来たのだともっともらしく語った。
少年はそんなはずはないとなおも食ってかかり、足早に立ち去ろうとする保田の腕を掴んだ。二人はしばらくその場でもみあい、やがて彼のしつこさに辟易としたのだろう、保田が彼を殴り倒した。それが左ほおのガーゼだ。
そしてこの少年はそれで怯んだりもしなかった。立ち上がって掴みかかり、一発やり返したのだという。
それでまたお返しをもらって、右のまぶたを切った。
そのころにはアパートの住民が窓や玄関から顔を出し、誰かが通報したからか、巡回を頼んでいたからか、思いのほか早くパトカーが到着して二人の間に割って入った。その間にも何発かは彼もやり返していた。
仲裁に入った警察官はその場で二人から事情を聴き取るが、もちろんそれは食い違っている。
ならばとアパートの管理人にごみ捨て場を捉える監視カメラの映像を確認させてもらったのだが、保田はカメラの位置を把握していたのか、映像からは生ゴミをばら撒くために袋の口を開ける手元も、少年に不意打ちを喰らわせた拳も死角になって映ってはいなかった。
結局その場は双方ともに厳重注意ということになったのだが、去り際保田は少年をニヤニヤと眺めて、
『さんちの子だろ。お父さんも苦労するだろうね』と言い捨てていった。
少年は戦慄と憤りに震えたが、ほどなく彼を迎えに姿を現した父親は、怒りに顔を赤らめてこそいれど、五体満足で怪我の一つもありはしなかった。
じゃあそれで安心できるのかといえば、それはノーだ。保田の発言は明らかに脅迫であり、今すぐでなくとも今後なにかあることを示唆している。
それで、彼はこの日の明朝から保田の家を監視し、学校をサボってあとをつけ、この辺りまでやってきたのだという。
まだセミの声がやかましく響く大通りの車道を挟んだむこう、並ぶビルのうちの一つを見上げながら、は口をへの字にして語り終えた。
地階部分は印刷加工や文具を取り扱う店が入っており、木陰の下からでは窺えないが二階から上には英会話教室といくつかの企業がオフィスを構えているらしい。
そのうちの一つが保田の勤め先ということか。
物憂げなため息をついたは、ためらいがちに傍らを見やる。
そこにいるのは雨宮と双葉と、彼女に抱えられたモルガナだけだ。他の面々は初対面がこうも多くては話し難かろうとこの場を辞している。
「……な? お前たちには関係ない話だろ? 怪我は単なる俺の自業自得。ここにいるのも……逆恨みみたいなものだよ」
の口元には自嘲が浮かべられていたし、文言には笑ってくれと求めるような色がある。
雨宮は素直にそれに乗ってやった。
「そうかもな」
一方で双葉はその意図を汲み取れなかったのだろう、咎めるような視線を彼に送る。
「おい、蓮、そんな言い方ないだろ」
しかしそれはすげなく聞き流される。
「だってそうだろ。途中で立ち止まっていたらよかった。そしたら双葉が泣くほど心配するようなことにはならなかったじゃないか」
「だからっ! わたしは泣いてないっ!」
揶揄するような彼の発言に双葉は頬を紅潮させて喰らいついたが、雨宮は徹底的におちょくるつもりでいるらしい。妙にかん高い声を出しつつ双葉に向き直ると、
「よちよち双葉ちゃん、えらいえらいねー」などと言っては頭を撫でている。
「きもちわるぅい! セクハラぁ!」
「えっ……普通に傷つくこと言うなよ……」
「オマエら、そのへんにしとけ」
そんな場合じゃないだろとたしなめるモルガナには不思議そうにまばたきする。よくしゃべる猫だとまた思っているのかもしれない。
雨宮は双葉を放り出してまた真面目な顔を装った。本心は誰にも知れたことではないが、続く言葉は間違いなく真剣に吐かれているようではある。
「けど、お前のバカな行動のおかげで分かったこともある」
包み隠す気もなさそうな言いようには苦笑し、双葉は相変わらずへそを曲げている。今度ばかりは怒りの内訳のいくらかは彼にも向けられているようだ。バカなことをするなと忠告したのはほんの一週間前のことだというのに……
「保田って男はマトモじゃない。生ゴミのこともそうだし、殴ってくるっていうのも度を越している」
軽くはたく程度ではなくグーパンだったんだろと問うと、首は遠慮がちに縦に振られた。
惜しいなぁと雨宮は他人事に考える。そこで殴り返していなければ、一方的な傷害事件として取り扱われていただろうに、と。同時にその思考を自分自身でも薄情だと考えもする。言えば双葉やモルガナ、この場からは帰してしまったが、高巻や坂本あたりからはお叱りを喰らうかもしれない。喜多川あたりも案外よくぞやり返したと賞賛の言葉を送るかもな―――
そうとも彼はやり返した。いささか短絡的で直情的に過ぎるが、理不尽を前にきちんと抵抗を示したのだ。もちろんカッとなって手を出すのはいただけないが。
雨宮はうーんと唸って指先で長い前髪をいじった。この友人のためになにをしてやれるだろうかと思いながら。手っ取り早いのはやはり≪改心≫だが、しかし一度きっぱりと拒否されている以上あの方法をとるべきではないだろう。であればもっと現実的な、真っ当な手段でもってあたることになるが……
さて。
「双葉」
呼びかけると少女はすぐに反応して腰に下げたデイバッグからラップトップを取り出してみせた。
「あいよ。とりま、このへんのカメラ映像もらっとく」
「あそこのビルに入ってる連中の情報も」
「うい。ちょっと待って」
テンポよく交わされるやり取りに、は焦ったように割って入った。
「待ってよ、なにしようとしてるんだ?」
「ん? は知らないのか? 双葉の特技は……」
「クラックでしょ? 知ってるよ。だからなにをって訊いたんだよ!」
「大きな声だすな。バレたらどうするんだ」
ガードレールを背もたれ代わりにしゃがんだ双葉はそう彼を咎めつつ指を素早く動かし続けている。その上に影を落としながらは必死な様子で言葉を募らせた。
「フタバ、やめろ。手を止めてくれよ。そんなことさせるために話を聞かせたわけじゃない」
「じゃあどうする? このままやられっぱなしか?」
「それは……それは違うけど、だけどお前たちの手を借りるつもりは」
躍起になって腕を振る彼の足元から高らかな打鍵音が響いた。と同時に、雨宮ほど冷たくはないが奇妙なほどに平坦な双葉の声が告げる。
「終わった」
ふり返って背後に視線をやった先、雑居ビルの入口では天井からぶら下がるカメラが彼女の真似をするようにゆっくりと首を巡らせはじめていた。すでにその支配下にあるということだろう。
あ然するをよそに雨宮はしたり顔をして頷いている。
「よし。じゃあそれで奴の行動が出るのを待とう。、確認次第連絡するから今日はもう帰っていいぞ」
「なに言って」
遮るように意外なくらいに力強い手がよく鍛えられた肩を掴んだ。体格は彼のほうが小さいはずだが、は何某かに縫いつけられてその場から動けなくなってしまったようだった。
それというのは雨宮の瞳にある言い表し難い自信のようなものだ。絶対に揺るがない信念にも似た確信のようなもの―――
は首を振ってこのプレッシャーを追い払った。そのころにはもう手は遠ざかり、彼は双葉を伴って離れつつあった。
少し遅れてついていく黒猫だけが気づかわしげに後ろをふり向いて彼を見上げている。
「ニャッ」
猫は短く鳴くと跳ね上がって雨宮の肩に飛びつき、そのまま口が開けられたままの鞄の中にするりと入って姿を隠した。
雨宮はフッと短く息を吐いた。なににかは判然としないが、笑ったのかもしれない。
「モルガナも早く帰れよってさ。もう飯の時間だって」
はますます不可解そうに眉を寄せる。眉間に刻まれたしわは深く、苦渋で満ちている。
ネコがしゃべるわけはないし、ニンゲンがその言葉を理解することも現実にはあり得ない。もしかしたら技術革新によって完全な翻訳機がつくられることもあるかもしれないが、少なくとも今この時にはまだ存在していない。
にとっては猫との会話なんてものはファンタジーだ。今のところは……
双葉はもう一度だけふり返って、
「だいじょーぶ、うまくやるよ。いつもみたいにな」と言い残していった。