……
「うわあっ!!」
息を吹き返すように目覚めて一番、悲鳴を上げた少年は粗末な簡易寝台の上に横たわっていた。ビクッと痙攣した途端手と足にずしりとした重みと冷たい感触を覚える。それからジャラジャラと喚く鎖の鳴き声……
べったりと汗をかいたその身は黒と白の横縞に包まれている。
せめて黒のジャケットがあればエルヴィス・プレスリーごっこと洒落込むのに。
まだぼんやりとする思考の中でそんな益体もないことを思いながら、つい今しがたの悪夢のような光景を振り払おうと小さく頭を振り、頭上を仰ぐ。
そこには石畳の床と鉄格子、そしてその向こうに鏡写しにそっくりな双子の少女が立つ姿があった。蒼い看守服を身にまとった二人は人形のように整ったかんばせに冷たい目して逆さまの彼を見下ろしている。
「俺は死んだのか?」
かすれた声で問いかけると、少女たちは冷ややかな目に嗜虐的な輝きを湛えて小さな唇を歪めてみせた。
「安心するがいい、まだ生きている。まだ、だがな」
「これは救援です。ありがたく思いなさい」
「救援……? 普段は見ているだけなのに」
どことなく恨みがましげに吐かれた台詞に、双子の片割れのうち警棒を握りしめているほう―――カロリーヌがその手の電磁警棒を振り上げて鉄柵をガンと激しく叩いた。
「生意気な口をきくな、囚人!」
「まったく……助け甲斐のない男ですね」
呆れたように軽く頭を振るもう一人、ジュスティーヌはまた、手元の紙束を確認するように視線を落とした。
「ふん、いいか、囚人。そもそも我らが手を貸すのは、この事態がイレギュラーだからだ」
「私たちのリストにも記述がありません。これはお前の更生にまったく関わりのないこと」
雨宮は目を細めて癖っ毛を掻いた。どことなく据わったその瞳は、どういう意味だと彼女たちに問うている。
双子は血の巡りの悪いこの罪囚に憐れみの目線と言葉でもってこたえた。
「よく聞け。主は今回のこの事態を重く見ている」
「それゆえに助力をお与えになると仰っているのですよ」
意外な発言だった。ちらと彼女たちのさらに奥、よく磨かれたマホガニーのテーブルに着いた不気味な老紳士の様子を窺うと、真上から光を浴びた彼がその目元の影の下から少年を見つめている。
そこにあるはずの感情の類を判別することはできない。ただ、重々しく滑り出した声には小さな棘が存在するようだった。
「お前が今立ち向かわんとしているのはあるべき定めから逃れたもの」
迂遠な物言いに眉を顰める少年に双子から咎めるような視線が向けられる。彼はそれにまったく構わず、不遜な態度のまま起き上がってのろのろと床にあぐらをかいた。
「如何なる手法であっても『この世界』から抜け出すことは許されない姦悪だ」
「……この世界」
おうむ返しに呟いた少年に、老紳士は抑揚のない静かな笑い声を上げた。
「宇宙とも、時期とも、次元あるいは周期とも、好きな言葉で表すがいい」
「意味が解らない」
「理解は必要はない。お前がすべきは物質的法則から逃れた罪人を削除することだ」
「削除……」
また言葉を真似た彼に双子のほうが不快感を露にした。しかし主の前で勝手に発言することもできず、背すじを伸ばしたまま彼を睨みつけるに留まる。
少年は双子の苛立ちなど意にも介さず、膝に肘を着けて頬杖をついた。居丈高な老紳士や看守たちの態度は前々から気に食わないと思うこともあったが、今日は一段と腹立たしい。
―――まるでこの老紳士こそが『この世界』の創造主であるかのような口ぶりではないか。
そんなことがあってたまるか。
思うが、しかし今考えるべきは地上的宇宙の創造主の姿ではなく、ただ一人、助けに行くと約束した少女のことだけだ。
……別に、本当に、≪雨宮蓮≫があの少女に惚れたという事実はない。好ましいか好ましくないかの二択であればそれは当然前者だが―――
この牢に繋がれた少年が本当に欲し求めるものは一つの観念だ。
これを他者に求めるとき、その実在を証明するために彼はこれを体現しなければならなかった。
何故なら己がそうであるということは、同じ存在がこの無限の多様性に溢れた物質的宇宙のどこかに必ず、一以上の可能性で存在するということの証になるからだ。地球という惑星に人類という知的生命体が存在していることで宇宙人の存在を否定できないのと同じこと。
だから、彼は
を助け出さなければならない。
約束をしたから。彼女が彼を信じたから。守らねばと心に決めたのだから。
そもそも行方不明になった同級生を心配して探す行為は彼にとってそれほど大げさなことではなかった。
もっと言えば、
は笑うとなかなかかわいらしくて、聞いていた人となりと違って度胸があって、胸もけっこう、だいたいこれくらい―――
「いやだから、そういうんじゃなくって……!」
「なにを思い悩んでいるのかと思えば」
「放っておいてくれ……」
「元よりそのつもりだ。独りのときに存分に楽しむがいい」
「やめて……」
格子に手を付けて項垂れた彼に、双子の看守は意味を汲み取れずただ首を傾げている。
ため息とともに妄想を吐き出して、少年は顔を上げた。
「救援と言ったな」
「ああ」
「具体的には?」
老紳士は答えず、ただ双子に目を向ける。
受けて、少女らは囚人に向き直って口を開いた。
「ふんッ、貴様も性根まで腐っているというわけではなさそうだな?」
「良いことです。普段の更生にもこれくらいの気概を見せてもらいたいものですが……まあいいでしょう」
「まず、現実……夢の外でお前の頭はつい先ほど潰されて、脳漿を撒き散らす結果となっている」
「意外とたくさん詰まっていましたね。すっからかんでなかったとは……人は見かけによらないものです」
「やっぱり俺は死んだんじゃないか」
「最後まで聞け!」
一喝に少年は肩をすくめた。与太話をしたのはそっちが先じゃないか、と。
「なにか?」
「……なんでもない。続けて」
「よろしい。あなたは死にました。これはすでに確定された事象です」
「頭部を粉砕されて生き残れる人間はそう多くないからな」
「だからそれを無かったことにして差し上げます」
「その上さらに連コを許可する」
「ボーナスゲームとも言えますね」
突然飛び出した俗っぽい表現に少年はあからさまに顔をしかめた。己の命をそんな百円玉一枚で二回遊べるゲーム筐体の様に表されたくはなかったのだ。
「なんだその顔は。引っ叩くぞ」
「生意気ですね。せっかくチートコードを用意したというのに」
「チート……?」
つまり、とリストを捲ったほうがこたえた。
「あなたはあのシャドウと戦う意志がある限り絶対に死にません」
「腕をもがれようが足を吹っ飛ばされようが、頭をぺしゃんこに潰されてもな」
マジのガチのチートでPARで改造セーブデータじゃないか。
怪訝そうな顔をする彼に、警棒のほうがふふんと自慢げに鼻を鳴らした。
「どうだ? 嬉しすぎて言葉も出ないか? んー?」
彼は正直に答えた。
「卑怯すぎないか」
「馬鹿者! ルールを先に逸脱したのはあちらだ!」
「あなたが日頃からしていることに我々もまた倣っただけです」
つまり、と少女たちは声を揃えて尊大に言い放った。
「悪法には悪法を」
少年は苦笑いするしかなかった。
とはいえなにかにつけて更生を迫るのが常のここの連中が力を貸してくれるというのであれば断る理由はない。その動機はいささか引っかかるが―――
「どうせ俺に選択権なんてないんだろう」
虚無的に口角を上げた彼に、老紳士は緩く首を左右に振った。
これは意外なことだった。怪訝そうな顔をする彼に老人は諭すような口調で言う。
「もちろんやる、やらないの自由くらいはある」
しかし言葉とは裏腹にぎょろりとした眼には企みがあった。
少年の脳裏にいつか聞いた、あるいはこれから耳にするはずの声が蘇る。
これはゲームだ。勝ち目のない、極めて理不尽なゲームである。勝敗はすでに決し、足掻くことに意味は見出せないかもしれない。けれど―――
反撃のチャンスはまだ失われていない。
そしてこれはそのための小さな、指先をかけることができるかできないかというほんの小さな取っ掛かりだ。
少年はすでに心を決めていたが、それでも最後に一つ尋ねた。
「俺が乗らなかったら、あの子はどうなる?」
答えたのは顔を見合わせた双子だった。
「お前たちの世界で言うところの『神隠し』とでもいうものになるんじゃないか?」
「しかし、彼女の存在の有無による影響はありません。大衆は少女の一人のことなどいずれ忘れるでしょうから」
「お前もそうだ、囚人。更生が成った暁には自由を手にし、この事態そのものを忘れるだろう」
「それもまた理の内のこと。恥じる必要も、思い悩む必要もありません。なぜなら忘れているのだから」
明らかに小馬鹿にしたような態度の二人に、少年は聞こえるように舌打ちをしてやった。
「聞こえているぞ囚人!」
「聞かせたんだ」
「態度の改善が見られませんね」
「ほっとけ」
それぞれに律儀に応えて、老紳士がほくそ笑むのを見つつ彼は立ち上がった。
いつまでも座り込んでこの双子の相手をしている理由は―――それはそれでからかい甲斐のある相手だからいつまででも楽しめそうなものだが―――そこまでないから、軽く身体を解してから、改めて寝心地の最悪なベッドの上に寝っ転がる。
寝ると来る場所から立ち去るのに一番手っ取り早いのはも一度寝ることだ。
猫にもう寝ようぜと促されなくたって寝付きはいいほうだった。
「ふんっ! はじめから素直にそうしておればよいのだ!」
「励みなさい、囚人。過程のみでは愚かでないことの証明にはなりませんが……」
寝物語のように双子の看守の声が響く。
それはよく彼を眠りに……現実の世界に導いた。
「果たした結果こそがお前がただの馬鹿でないことの証となるだろう」
「その手に何を得て戻るか……楽しみにさせてもらいましょう」
「お前もせいぜい楽しむがいい」
「お好きなだけコインを回収なさい」
「上手くすれば1UPも叶うかもしれんな?」
「残機が増えたところで更生は進みませんけどね」
やかましい。と、訴えようとする意識は、すとんと現実に落ちて途絶えた。
そして彼は激しく頬を平手打ちされて覚醒した。
「ジョーカーっ! しっかりしなさいッ!!」
ぼやけて揺れる視界の中央に、怒り顔を仮面の下に湛えたクイーンが映っている。
「……遅かったな」
ぼやくように応えた彼に女王は唇を尖らせた。
「仕方がないでしょう。先方にだって予定ってものがあるんだから」
胸ぐらを掴んでいた手を離し、ちらと無限に広がる空間―――その中央に聳える赤い柱とその前に佇んでこちらを睨め付ける平坂の姿を捉える。二者間の間にはスカルが立ち塞がり、傷一つ負っていないフォックスが震えるパンサーを庇うように膝をついている。モナはまた懸命に彼女を治療してやっている様子だ。
ジョーカーは状況を確かめて、小さく頭を振りながら立ち上がった。
「その様子じゃ『彼女』は来てくれたんだな」
「ええ。だから私が来たのよ」
「よし―――」
推測するに、自分たちはパンサーが絶叫したところまで巻き戻された、あるいは事象のすり替えが行われたのだろう。
「どうせならパンサーが落とされる前にしてくれればよかったのに……」
呟きの意味が理解できずに顔をしかめたクイーンになんでもないと告げてから、ジョーカーは平坂に目をやった。
彼女の傍らでぐったりとした
の様子に変わりはない。まだ生きてはいるはずだ。あの双子たちは
に関して無駄とは言わなかった。
平坂は彼から
を隠すようにじりっとすり足でその前に立った。
「なにが起きたの……殺したはずなのに!」
ジョーカー以外の者はなにを言っているんだと眉をひそめた。どうやら彼女は改変や巻き戻しの影響を受けていないらしいと見て、ジョーカーはわざとらしく大仰に肩をすくめてやった。
「俺たちにはちょっと変わった協力者がいてね」
「誰のことだ?」
わざわざふり返って問いかけたフォックスに苦笑しつつ、一歩を踏み出す。ベルベットルームやそこの住民たちのことを説明するのには、今は状況が悪い。
「後でな」
手のひとふりでもってこのちょっと奇矯な精神性を持つ友人の好奇心を抑えこんで、また一歩前に出る。
平坂は不快そうに顔を歪めた。
「……邪魔をしないで。どうせあなたもこの子のことなんてすぐに忘れる……」
「そうかもしれない」
「帰って。この子は私とずっとここにいるの。この子もそれを受け入れてくれる」
「断る。彼女の意思を勝手に決めるな」
手の中のナイフの感触とコートの下の拳銃を確かめつつ進む彼の頭にあるのは『消滅』という単語だった。
あの老人はこの憐れな死者の抹消を望んでいるようだったが、雨宮蓮にそんなつもりは毛頭無かった。
かといって言葉でその悲しみや怒りがすすげるとも思えない。
だからクイーンの遅参を許したのだ。必要なのは時間だけだった。
「意味のないことをこれ以上する理由はないでしょ。私は消えたくないの……ただそれだけ。そのためにこの子が必要なの……!」
唸るように訴えた平坂の手が
の無防備な首にかかる。
ジョーカーは脚を止めて声を張り上げた。
「あなたを忘れていない人は今もいる!」
「そんなの、いつまで続くかなんて分からない! 明日には? 一ヶ月後には? 一年経ったらどうなっているのかなんて……!」
少女の怒りのボルテージに比例するように柱の表面がざわめいた。巻きひげのようなタコの足のようなアレがくると察して、ジョーカーは後ろ手に仲間たちに防御、および回避の支持を出してやる。
同時に平坂は喉も裂けんばかりの大声で悲痛な現状を訴えた。
「私にはもう時間の感覚も解らないのに!!」
応えて柱から、あるいは床や壁から管が首をもたげる様に立ち上がる。無数のそれらは鞭のようにしなり、蛇のようにのたくりながら少年たちに一斉に襲いかかった。
衝撃と轟音が空間を支配する。
嵐のように荒れ狂う脈管は若き怪盗たちを滅多打ちにしたが、合図のおかげかジョーカー以外の者は上手く逃げおおせたようだった。もちろん無傷とはいかないが、しかし頭目の様子と比べればかすり傷のようなものだ。
「いっ……てぇ……! こういう場合、痛覚も切っとくものじゃないのか……!」
チートと言っても当たり判定の消失や無敵ではなく、単にHPが一以下にならないというだけではないか。
悪態をつくこと自体はいつものことだ。ブツブツと口の中でなにかをボヤいたり、あれは違うこれも違うと呟いたり、ちょっと待てよと考え込んだり―――
「ジョーカー!」
悲痛な声を上げたのはその背に飛びついたモナだった。
なにしろジョーカーは、立っていられるのが不思議なくらいに『おかしなこと』になっている。
「ばばば、バカモノ! なんで避けないんだ! 余裕ぶっこいてる場合じゃないぞ!」
「わかってる……」
背中に立てられた爪の小さな痛みにこそ顔をしかめて、しかし次の瞬間与えられた治癒の力が彼の肉体を元の通りに治してくれる。
ジョーカーは首の調子を確かめるように手を当て、右に左に揺らしながら、モナを背中にくっつけたまま、瞠目する平坂に語りかけた。
「大賀睦美はどうなんだ」
ピクリと平坂の拳をつくった手が震える。
「君にとって彼女も有象無象の一人に過ぎないのか。どうせ忘れ去られると思っているのか?」
平坂はこたえなかった。ただ卑屈な眼を彼に向け、未だのたうつ管を己の周辺にさまよわせている。
ジョーカーは……≪雨宮蓮≫は己の経験に基づいて彼女に訴えた。
「友達なんだろう。彼女のことを信じてやれ」
それは彼が『そうして欲しかった』ことだった。お前は間違ってないと、正しいことをしたんだと、誰かに肯定して欲しかった。そういう経験に基づいた言葉だった。
しかし平坂には通らないのだろう。卑屈な色はそのままに、声も無く手が振り上げられる。
背に張り付いたモナのことを考えるとさすがに先の痛打を再びくらうわけにはいかない。
とまた距離が空くことを忌々しく思いながら飛び退ろうと脚に力を籠める―――
けれど彼は元より独りではなかった。
彼はとっくに、欲してやまないものの原石を手中に収めている。
「そうだよね。うん……そうだよ……」
囁くような声とともに焔の塊が飛来し、鎌首をもたげた管を一つ残らず焼き払った。
ふり返れば、フォックスに支えられた格好のパンサーが、ふらつきながらも立ち上がろうと足掻いている。
「本当にあの子がそう思っていたんだとしても、だとしても……なにも言わないでいるのは、あの子が私を傷付けないようにってしてくれてるのかもしれないじゃん……」
ギリッと平坂が歯を噛む音がジョーカーの耳に届いた。彼女はまた己と彼らの間を塞ぐように管を、あるいは汚れた紙片を呼び集める。
「それなら私は―――志帆のこと、信じる。たとえ恨まれてたって、憎まれてたって……そんなの関係ない! あっちがどう思っていようが、私は信じてる!」
立ち上がった少女は今や無限の空間すら焼き尽くさんばかりの熱気をまとい、支えていたはずの少年に退避を余儀なくさせている。彼は低い声で「加減しろ」と訴えていたが、そんなものが聞き入れられるわけがなかった。
「幻覚だかなんだか分かんないけど、あの子にあんなこと言わせるなんて、ゼッタイ許さない!」
怒号とともにパンサーの背後に立った艶やかな女が鞭で床を叩いた。すると熱気が焔の形を取って真っ直ぐ平坂に襲いかかる。
加減しろ、とは怪盗団に共通した見解だった。なにしろ平坂のすぐそばには意識のない
が居るのだ。
待てと言う暇もなく怒り狂うパンサーの感情そのものは平坂に、彼女を守るように折り重なった紙片や管にぶち当たって熱と煙、そして振動をまき散らした。
間近に立ちすくんでいたジョーカーなどは煙に視界を奪われてたたらを踏んでしまう。方向感覚こそ失わずに済んだが、熱にやられた目ではさすがの彼も煙の向こうを見通すことなどできなかった。
「……雨宮くん……」
それでも、このほとんど白い空間の中、燃え落ちる紙片から上る黒煙によって視界は黒く染まっているが、雨宮はこの己を呼び付ける声を間違いなく耳にした。
思考と背中のモナを置き去りにして彼は走り出していた。
「ンぎゃっ!」
背後で床に転がったネコ型生命体が悲鳴を上げたが、構うことなく煙と焼け焦げてブルブルと震える管の網の下に滑り込む。
「雨宮くん……!」
己を呼ぶかすかな声を聞き取って、彼は腕を前に突き出した。
指先に冷たい手が触れる。
彼はその手をよく覚えていた。一度ならず二度も己の手から逃れた小さな感触―――
三度目は無いと摑み、渾身の力を込めて引き寄せる。
少年は今よりずっと幼い頃に読み聞かされた絵本を脳裏に思い描いた。人より大きな根菜を引っこ抜く話。そういう心地だった。
「……思ってたより……早かったね……」
果たして腕の中に収まったカブ―――もとい、一人の少女は力なく、しかし皮肉めいたことを口にする。
ジョーカーは苦笑して彼女を抱き上げた。
「約束しただろ。助けに行くって」
「うん……」
感嘆の声を漏らして、
は少年の肩に頭を預けた。
その身に力が入らないのは失血による衰弱もあるだろうが、なによりこの少年が身を預けるに足る相手であると安堵していることの証のようだ。
ジョーカーは、≪雨宮蓮≫はこの腕の中に収めた全幅の信頼というものに息をつく。
別に彼女のことを特別好きじゃなくたって、それは彼の身に力を与えた。
語として表せばそれは「カッコつけなくちゃいけない」というようなものだ。それは世の一般的な男子一同をより強くする魔法の一種だった。
ジョーカーは
に向けて器用に片目をつぶってみせると、抱えた腕に力を込めて黒煙の中を横切った。