が落ち着いて立ち上がるのを待って、少年たちは改めて彼女から事の次第を聴取した。
 一昨日合流した後に何があったのか、手近な椅子や机に腰を下ろして聞き取ったところをまとめると、彼女は確かに校門を潜ろうとするジョーカーに手を引かれたまま続こうとしたのだという。
 しかしその直前、その手を掴んで留めた者がいた。
 胸元まで伸ばされた黒髪に秀尽学園の制服。画像を確認させたところ、間違いなくそれは平坂美穂であったとのこと。
「彼女は行かないで欲しいって、私が必要なんだって」
「そんなことをさっきも言ってたな。どうして君なんだ?」
 ジョーカーの問いには困ったように首を傾げた。
「私が以前から彼女を校内で見ていたのを、むこうも気が付いていたんじゃないかな」
「うえっ!? 前からいたの? 校内に?」
「うん」
 素っ頓狂な声を上げたパンサーに平然と答えて、は続ける。
「彼女……平坂さんには探せないんだって言ってた。ここでも外でも彼女がなにかして、物を動かせる訳じゃないから、私みたいに鍵を持ち出してあちこちを探して回ることはできないんだって」
 それでこんなこそこそとした真似をしていたのだと申し訳なさそうにクイーンを見上げる。無断で鍵を持ち出してあちこちを漁り回ったことを咎められると思ったのだろう。クイーンは苦笑して肩をすくめた。
「生徒会長をやってるからってこんな非常識な場所で起きたことの責任追求までしないわよ」
 これにほっと安堵の息をもらした彼女に、クイーンはまた小さく笑った。
 しかし気になることはまだある。クイーンはやっぱり追求のために口を開いた。
「こちらから現実に影響を及ぼすことはできないと言っていたのよね。けど、昨日の非常ベルも、一昨日のガラスも確かに外にも同じか、似た現象として表れていた……」
 どういうことかしら、と呟いた彼女を、が再び緊張した様子で窺っている。
 慌てて、クイーンは手を振った。
「あなたが嘘をついてるって言ってるわけじゃないわ。もちろんその可能性を完全に消すことはできないけど、それは―――」
「平坂美穂が彼女を欺いている可能性もある、ということか」
 ポツリと落とされたフォックスの言に、クイーンは素早く二度首を縦に振った。
「そもそもどうしてあなたをここへ引きずり込んだの? 現実の校内でもあなたにコンタクトを取ろうと思えば出来たはずなんでしょう?」
 もっと言えば―――
 新島は人差し指を立てて空中を泡立てるようにくるくると回してみせた。
「そのタイムカプセルを手に入れたいのなら、現実で探させたほうが早いはずじゃない。なんなら隠したほうの人……多分大賀先輩だけど、その人に場所を聞くことだってできるんだし」
「そういやそうだな。んじゃつまり、平坂先輩には別の目的があるってことか?」
「そこまでは分からないけどね。でもあり得ない話じゃないでしょ」
 怪盗団とは額を突き合わせてふうむと唸る。
 現実の世界ではなくわざわざこちらに引き込んでまでしてにさせようとしていたこと―――
 ぽんと手を打ったのはパンサーだった。
「騒ぎを起こしたかったんじゃない? ほら、さんが行方不明になっちゃってから、現実の秀尽でも物が消えたり出てきたり、ガラスとか非常ベルとか……そんで昨日くらいから幽霊の噂の話、みんなしてんじゃん」
「え、なにそれ俺きーてない」
 間の抜けた顔を晒したスカルの肩を、ジョーカーが優しく叩いてやる。校内の情報源に乏しいという意味では、二人はとてもよく似ていた。
 虚しく慰め合う二人の少年を横目に、モナは尾の先で床を叩きつつパンサーを見上げる。
「だがその動機はなんだ? 幽霊騒ぎを起こして、ヒラサカとやらになんの得があるんだ?」
「それはぁ……」
 わかんない、とパンサーは項垂れてしまった。
「平坂先輩か……」
 ポツリと漏らしたのはだ。彼女は窓の外、紅い空をぼんやりと眺めながら手を揉み、疲労の滲む脚を揺らしながらぽつぽつと散発的に己の考えを述べた。
「去年、亡くなられたばかりの頃もそんな噂が立ったよね。死んだはずの平坂先輩が登校してきてるって。三年はもう登校しなくていい時期なのに」
 そういえばと、スカルとパンサー、そしてクイーンは顔を見合わせて頷いた。
「まあ実際、そうだったんだけど。でも、幽霊っていうのは、たぶんみんなが思っているよりずっと入れ替わりが激しいもので……長くても一ヶ月か二ヶ月もすれば、成仏? っていうのかな、突然パタッと姿が見えなくなる。でもあの人……ひと? 平坂先輩はずっとそこにいた」
 血まみれのまま足を引きずり、校舎のあちこちをまるで普通の学生生活を送るかのようにさまよっていたのだと、は平然と語ってパンサーとクイーンを青ざめさせた。
「けど噂はいつの間にか消えてたよね。誰も平坂先輩の話をしなくなった。私も怖かったからなるべく彼女の近くには寄らないようにして、話もしないようにした。そうやって、平坂先輩は忘れ去られた」
 もともと静かな職員室内は、このの言葉に水を打ったかのように無音となった。
 ある者はこれに罪悪感を覚えた。大した関わり合いがあった訳ではないが、それでも一年を待たず死者を忘却したことに後ろめたさを感じている。
 またある者は胸に強い痛みを覚えた。誰からも忘れ去られ、忌避されて居なかったことにされる苦痛を想像し、実感して、苦しみに眉をひそめた。
 ただ一人、フォックスだけがどこか穏やかな眼差しで己の利き手を見つめている。彼はまた、瞳と同じ優しさの籠もった声で言う。
「そんなものだ。人は生きていてさえも忘れ去られることがあるのだから、死したとなればなおのことそれは早まる。結局残されるのは、その人が成し遂げた事実と作品だけだろう。その人が描いた物だけが永遠に……不死者の如く遺される……」
 そして、と彼はまぶたを閉ざした。そこには憧れとともに焼き付けられた母親の姿があった。
「残された者はそれを慰めとするんだ。それがある限り、死した後も、人は容易く蘇ることができる……」
 感慨深げな彼の様子に、仲間たちは誰も口を挟むことができなかった。その胸に宿るものを慮れば、言葉などなんの意味も持たないと彼らはよく弁えていた。
 そしてはそれを知らない。
 無粋にも「それだ!」と元気のいい声を上げて立ち上がり、フォックスの狐面に指を突き付けた。
「それだよ、狐の人が言うやつだよ!」
「だ―――誰が狐の人だ! フォックスと呼べ!」
「変わらないと思うんだけど……まあいいや、フォックスさんの言う通り、具体的な物があれば簡単に思い出せるよね。写真とか、お土産とかさ」
 ああ、と少年たちは感嘆の息を漏らした。
「平坂美穂は自分の存在を思い出して欲しい」
 ジョーカーの言葉には大きく頷いてみせる。
「確かに、そういうカンジにはなってるかも。平坂先輩の幽霊見たって子、いっぱいいるもんね」
「ええウソぉ……そんなに噂になってんの……?」
「やーいボッチ〜私が一緒にお昼食べたげよっかぁ? 寂しくないようにぃ〜」
「うるっせぇーよ! コイツと一緒するからいいですゥ!」
 突っつかれてスカルはぐいと苦笑するジョーカーの腕を引いた。パンサーはそれに高笑いして勝ち誇っている―――
 フォックスは小さく鼻を鳴らした。
「くだらん。一人で食おうが二人で食おうが、そんなことは一々気にするようなものではないだろう」
「……今さらだけど心配になってきたわ。フォックス、あなた校内に相談できるような相手はいるの……?」
「フォックス……ワガハイで良ければたまにオマエのとこ出張してやろうか? あの、なんていうか……ほら、尻尾触っていいぞ……」
 ひらりと手元に寄越された長い尾と同情の籠もった視線を振り払って、少年は声を張り上げる。
「いらん! なんだその目は……やめろ! 今はこの事態の解決に務めるべきだろうが!」
「いや、ヤバくない? ウチらの中で半分はコミュ障じゃん」
「学校は勉強以外にもコミュニケーション能力を身につける場所だって意識したほうがいいよ。上っ面だけでも取り繕ったほうが―――」
「だからもおいいって!!」
 お説教めいた言葉が並べ立て始められたことに、スカルは慌てて両腕を振った。
「とにかく! さんは確保したんだし、一旦外に出ようぜ。なあ、腹減ってねぇ?」
「え? 私? いや、別にそんな―――」
 突然話を振られて、は首を振る。
 しかし……
 ぐう、と彼女の腹から胃が食物を求める音が鳴り響いた。
「……はい、お腹空いてます。できればお風呂にも入りたいです……」
 じりじりと皆から距離を取って、は項垂れた。
 なにしろすでに三日以上が経過している。外の世界の暑さと切り離されているとはいえ、さすがに様々な意味でも彼女は限界だった。
 であれば、事態の究明は後回しとすべきだろう。の安全さえ確保できれば、調査における懸念事項は減るのだ。
「平坂先輩の探し物の件は後回しにしよう。そちらは俺たちで引き継ぐから、さんには家に一度帰ってもらう、いいね?」
 提案に彼女が同意を示したことで、怪盗団は彼女を伴って校舎を出ることに相成った。

 引き返す道にシャドウの姿は見当たらなかった。
 なんの問題もなく校門にまで辿り着き、それでは現実の世界に帰ろうとして、しかし彼らは日が落ちるまでパレスと現実の世界との行き来を繰り返した。
 何故なら何度やっても、どういうわけかだけがパレスの中に取り残されてしまうのだ。
 それは彼女が精神的に脱出を拒絶するからではなく、極めて単純に、なにか物理的な力によって阻まれてのことであった。なにか目に見えない壁のようなものがあって、それが彼女だけを内側に留まらせている。
「どういうことだ……?」
 訝しげなフォックスの声に、見えない壁に寄りかかるを見つめながらクイーンが応えた。
「なにかが彼女をここに閉じ込めているのかもしれない」
「なにかって?」
「平坂先輩、かな……」
 パンサーの問いに自信無さげに答えて、クイーンは次に校舎の方に目を向けた。
「少なくとも彼女はさんに執着している節がある。ここを出られては不都合なのか、それとも探し物を見つけさせたいのか……」
「だとしたら厄介だな」
 忌々しげに応えたモナの尾は相変わらずわずかにだが膨らんでいる。彼はそれを懸命に撫でつけながらに目線を向けた。
「そのヒラサカとやら、どうしてかワガハイたちの前には姿を見せたくないようだ。なにか言っていたりしなかったか?」
 これにはうーんと唸って腕を組んだ。
「警戒するようにとは言われた。平坂さんの探し物の邪魔をするかもしれないから信用するなって。しちゃったけど」
 あっけらかんとした様子で重要なことを漏らした彼女に、クイーンは若干その鉄仮面の下の眉をひそめながら推察を並び立てた。
「怪盗団のはじめのシゴトはこの学園でだったわよね。ついこの間のものも情報源は校内にあった。そして彼女はそのころも校舎内をうろついていた……」
 げっ、とスカルが顔を青ざめさせた。
「まさか俺らがシゴトの話ししてたときそばにいたんか……!?」
「なくは無いかなぁ」
 は相変わらず平然としている。彼女にとっては死者の同席は日常となればこの態度も当然だろうが、しかし少年たちにとってはそうもいかない。一同は揃って仮面の下の顔をしかめた。
「平坂さんが現れないとなると、こちらから探さなければならないが……なるほど、厄介だな。ここが彼女のパレスとなれば、鬼ごっこは当然主が圧倒的有利だ」
「そうでもないんじゃないか?」
 フォックスの言を否定して、ジョーカーはいつの間に掠め取ったのか、クイーンが所持していたはずの鍵を指先に引っかけてくるくると回してみせている。
「目的は解らないが、探し物自体はハッキリしている。おびき寄せる餌にはなるさ」
 ニヤリと口角を釣り上げた彼に呆れるやら感心するやら、クイーンは手を伸ばして鍵を奪い返した。

 怪盗団とは校舎の中へ引き返し、一路生徒会室へ向かう。
 これなら帰還より先に探索を優先したほうが良かったかもしれないとぼやきながら、それでも辿り着いた室内で、さて、少年たちはあちこちを掘り返し始めた。
「この封筒は?」
「あー、それは……去年の部費決算のコピーね。バレー部がやたら幅を利かせていたころだから、ほら、見る?」
「ムカつくからいいわ。これは?」
「えっと……あ、学園祭のアンケート調査の集計。わあ、これ私が一年のときの。懐かしい」
「ちょっと会長〜そんな古いの取っといてどうすんのよぉ……」
「そんなに古くないでしょ? 過去の記録を頼りに今の運営をしてるの。必要だから取っておいてあるのよ、これは」
「ではこちらの……あいて、指切った」
「あーあ、大丈夫? これ使っていいよ」
 埃を被った紙束にあれこれと目を通すことしばし。
 遅々として進まない捜索を一気に押し進めたのはモナの盛大なクシャミだった。
「くんくん……くんく……ハックショイ!」
「うわっ、モルガナくん、大丈夫?」
「う、うむ……ずびび……オタカラのニオイがするんだが……」
 つつつ、と音も無く進んだ彼は、床に膝をついて書籍の間をさらっているの腰にしがみついた。
「ふにゃあん……ゴロゴロ……」
「わっ、あはは! もう、またぁ? くすぐったいよ、モルガナくん……あひゃひゃ!」
 背後から腰元、尻に頬ずりをされて、は笑いながら床に転がった。
 倒れた拍子に振り上げられた脚の間にちらりと見えるものがある―――
 思わずと身を乗り出した男子三名を、クイーンの蹴りが押し返した。
さん、スカート」
「おっと」
 身軽に体を起こした彼女はついでとモナを抱え起こし、また本棚に腕を伸ばす。
 途端、未だにゴロゴロと喉を鳴らしていた猫がカッと目を見開いて棚に収められた書籍を素早く蹴り落とし始めた。
「ここだぁッ!」
 なにごとかと視線が集中する先、モナの小さな手のさらに奥―――
 すっかり書籍が払い除けられた本棚の背板、そこに明らかに学校書類とは縁のなさそうな封筒が一枚、ひっそりと隠すように貼り付けられていた。
「あ!」
 モナの次に間近でそれを目視したが驚嘆の声を上げる。
「これだよ、あの子が探してって言っていたやつ! 絶対どこかに蜂のシールが貼られてるはずって言ってた!」
 モナから彼女に受け渡されたやや厚みのある封筒には、確かにデフォルメされたミツバチのキャラクターが封の役目を果たしている。
「ふむむ……くんくん……≪オタカラ≫のニオイ……?」
 モナは難しい顔をして鼻を鳴らすが、しかし次の瞬間また埃を吸い込んだのか、大きなクシャミをして床に転がり落ちた。
「≪オタカラ≫……って、これなの?」
 疑問符とともには封筒をジョーカーに差し出したが、受け取ったほうは困り顔でモナを見下ろしている。
「普通、パレスにおける≪オタカラ≫は始めは形を見せないものなんだが……しかし、っくしゅ、オマエらが埃だらけにするからぁ……はにゃが、鼻がきかねぇ……」
 ずびずびと鼻から液体を滴らせる彼から封筒を遠ざけつつ、ジョーカーもまた思案顔を浮かべた。
「モナの言う通り、普段なら予告状が必要になるんだけど……どうなんだろうな」
 顔を見合わせる一同に、は困り顔を傾けた。彼女にはまったく預かり知らぬ怪盗団とパレスのルールの話だ。今は説明しても仕方がないことだろうと封筒を振り、ジョーカーは踵を返した。
「とりあえず、これを外へ持ち出してみようか。平坂美穂が釣れるかもしれない」
「ちゃんと片付けてからよ」
「あ、はい……」
 怪盗団の作戦参謀官兼秀尽学園高校生徒会長の言葉に、ジョーカーは肩を落として従った。