三度目ともなると雨宮も慣れたもので、微塵も緊張することなく川上の前に立っている。
彼女が何かを言い出すよりも先に口を開きすらした。
「違います」
途端女教師の眉間に深く刻まれたしわを眺めて、雨宮はしてやったりと口元を緩める。それこそが気に食わないと川上はますますしかめっ面をして、ふんと鼻を鳴らした。
「分かってるわよそんなこと。でも訊けって言われてるの、こっちは!」
怒りもあらわにつま先で床を叩く音が無人の廊下に響き渡る。雨宮の目はつい昨日
が姿を現した特別教室の一つと、同じく目の前で閉ざされた防火壁のあるだろう場所を川上越しにじっと眺めて彼女の気が落ち着くのを待った。
愚痴らしき言葉をいくつか吐き出して、それで川上は気が晴れたのだろう。こんなことを君に言ってもしかたがないと話を締めた彼女は、重苦しい溜息をついてまた彼を置き去りにしようとする。
「先生」
雨宮は彼女を呼び止め、振り返ったその鼻先に昨晩新島からSNS経由で渡された画像を表示させたスマートフォンを突き付ける。
「この人知ってる?」
もちろん雨宮には確信があった。新島からは画像とともに事の―――彼女が経験したちょっと不可解な現象を除いた―――顛末を聞かされていたから、彼もまた川上が彼女を知っている、あるいはそれ以上の情報を握っているのだと知っている。
果たして川上は息を呑んでもともと少し悪かった顔色をさらに悪くさせた。
「知ってるんだ」
雨宮はスマートフォンを手元に返してほくそ笑んだ。
己の不覚を呪うように呻いて、川上はその笑みこそを睨み付ける―――
「……まあね。一応、知らない仲じゃなかったし」
それでもこたえようと口を開く彼女に、雨宮は一縷の望みを見出して矢継ぎ早に問い掛けた。
「なんて名前? どんな人? 今はなにをしている?」
川上はその鼻先に手を突き返して彼を静止させた。
その眼には胡乱げな色がありありと湛えられ、はっきりとこの少年を非難する意志が垣間見えた。
女教師はこの問題児に、彼がしたようにいくつかの問いを投げる。
「その前に、なにを考えているのか説明しなさい。どうしてこの子のことを調べてるの? まさか君までくだらない噂を信じてるってんじゃないでしょうね?」
「噂?」
思いもよらぬ単語の登場に首を傾げた少年に、川上は攻撃の色をわずかに引き下げた。
組んだ腕の指先と、つま先はまた苛立たしげに床や腕を叩き始める。
曰く、数日前から続いている不可解な現象―――
の突然の失踪。割られた昇降口のガラスに、消失する物品に消えては現れる鍵、火の気もないのに鳴り響いた非常ベル。これらと時を同じくして、幽霊を目撃したという人物が現れ始める。それも一人や二人ではない、所属も学年もまったく別の少年少女たちが複数人だ。
噂はすっかり学校中に広がって、今や様々な現象の影に幽霊が関連付けされている。
雨宮がこれを知らないのは、彼が校内に親しいと呼べる友人がほとんど―――全く―――ぜんぜん―――いないからだろう。
この事実に若干がっくりしつつ、それでも彼は『幽霊のウワサ』とやらに思いを馳せた。
幽霊だなんてものは端的に言って彼の大好物だ。オカルトだとかホラーだとか、恐怖経験によって呼び起こされる興奮と覚醒はそこらの違法薬物なんかよりよほど彼を刺激してくれる。その一方で彼はこういった趣味嗜好を『子供っぽい』と自覚している。だから余人にガキだと罵られても怒らない。それは紛れもない事実で、彼には微塵も改善する気が無いからだ。
しかし―――多くの人はそうではないだろう。思春期に入ったらそういうものから卒業する人がほとんどだ。
それがここに来て幽霊騒ぎとは、都会の進学校にはちょっと不似合いな釣り書きと思えた。
ただ、これも説明しようと思えばすることが可能だ。
失踪からはじまり、ガラスが割られて、窃盗らしき事件と非常ベル。これらが立て続けに起きたことで、生徒たちの心に不安という影を落とした。それが表面化する者もいれば、表向きは平気そうな顔をする者、あるいは不安があることにすら気が付かなかった者もいるだろう。
いずれにせよ、意識無意識にかかわらず思春期の子どもたちはこの原因不明の連続する現象になんらかの結論を求めたがったに違いない。
それのようにして生み出されたのが《幽霊》という共通した幻想だ。
おそらく噂の発信源となったのはごく一握り、ほんの一人や二人といった数だろう。
けれど大なり小なり不安を抱えた子どもたちには、そのたった一人か二人の証言が爆発的に伝播する。おそらくこの年頃に最も強い感受性や繊細さを発揮する女生徒を中心に、集団ヒステリーのごとく。
つまりこれは、『花子さん』なのだ。
雨宮は一応の結論を得て一人納得する。
前世紀の半ば頃に全国に広まったこの少女の存在は、この現在に至ってもまだ根強く語り継がれる学校の怪談の《トリックスター》だ。
女子トイレの三番目の扉を三回ノックして「花子さん遊びましょ」と語りかけることで現れる―――
その後のパターンはいくつかに分かれる。最もスタンダードなものは様々な過程の後に死ぬというものだが、反して願いを叶えてくたり、一緒に楽しく遊んだり、悩みの相談に乗ってくれたりといったものもある。
あるいは花子さんは子どもたちを悪霊や怖い大人から守ってくれる良い霊だという話もあるが、これは九十年代に放映されたアニメの影響だろう。
とはいえこれもあながち間違いとは言い切れない。
そもそも噂が流布された背景には、発祥の年代が関係している。
戦後間もないこの国の治安はまだ回復し切ったとは言えず、学校という子どもと少数の大人だけが集まる場所はまだ安全とは限らなかった。その中でさらに一人きりにならざるを得ない場所―――つまり、トイレは、犯罪者や変質者が潜むのに格好の場所だったと推察できる。
実際の事件の有る無しにかかわらず、女児らの親は「あまり一人でトイレに行かないように」と言い含める。当然子どもは「どうして?」と言い返したのだろう。
そして多くの悪霊や悪魔、妖怪や妖精、様々な想像上の生き物が生み出されたのと同じように、親たちは口を揃えて言った。
「幽霊が出るから」と。
花子さんの人物像は後付で、核はただ「トイレに出る幽霊」の一つだ。そこには親が子を想う気持ちが籠められている―――
そうとも、核だ。
現在の秀尽学園高校、その生徒たちの間で広まる『幽霊のウワサ』。諸々の破壊や紛失、失踪は後から無理矢理結び付けられたに過ぎない。
幽霊の類には、噂の類には、必ずそれを生み出すなんらかのきっかけが存在する。
「……まさか」
雨宮は伊達眼鏡の下の目を細めて小さく首を横に振った。
またその胸中には深い納得がある。川上の態度に、先の攻撃的な目つき。あれはつまり……
「彼女は平坂美穂さん、去年卒業する『はずだった』女生徒よ」
大きな声ではないはずなのに、悪い想像を確定させる言葉は静かな廊下に不気味なほどに反響した。
思わぬ事実に瞠目する雨宮に、川上はやっと彼に悪気など微塵もなかったと理解して警戒を投げ捨てた。とはいえ、悪気はなくとも悪趣味であることに変わりはない。瞳には今度は叱りつけるような色が宿った。
「つい最近のことよ。去年の年の暮れに、登校途中トラックに轢かれて……即死だった」
ゴクリとつばを飲んだ雨宮に一歩近づき、川上はその手の中のスマートフォンを覗き込んで続けた。
「これ、卒業アルバムを撮影したものよね。これは彼女のクラスメイトがどうしてもって願って入れられたの。平坂さんは友達の多い子だったから。せめて、一緒に卒業したことにしようって」
ふっと女の目が遠いところを見つめて焦点がぶれる。
おそらく彼女の中にある死者との思い出を胸に返しているのだろうと察して、雨宮は写真を画面から追い出して頭を下げた。
「……ごめんなさい。そうだとは知らなかった。先生を傷付けるつもりじゃ……」
しおらしい態度を見せる少年に、女教師は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「別に。君が思ってるよりこういう生徒って多いものだし。私はもう慣れてるわ」
ひらひらと手を振る彼女の細い手首と疲弊を覗かせる顔色に、雨宮は思わずと問い掛けていた。
「本当に?」
これは不意打ちだったようで、川上はわずかに動揺を滲ませる。
腕を組み、正対していた身体をずらして窓の外の中庭に目線を投げる。分かりやすい防御姿勢だった。
「本当かどうかって君にとってそんなに大事なこと?」
声もまた先までよりほんの少しだけ高い。緊張によって声門が狭まっているのだとは簡単に察せられた。
雨宮は背筋を伸ばして応えた。
「大事なことだ。俺は―――」
よく通る声で彼は語る。
―――ちゃんと全部わけを知りたい。下世話な好奇心や野次馬根性で言うんじゃない。助けが必要かどうかを判断するために、自分自身に叛くことなくいるために、なにが正しいのか、間違っているのかの判断を他者に委ねないために……
川上は逸していた視線を少年に戻した。彼女は少年の長く癖のある前髪と伊達眼鏡のガラスの下の瞳に、確固たる信念が燃えているのを目撃した。
「俺はちゃんと、先生のことも知りたい」
……妙齢の女教師は奇妙な顔をしてみせた。驚いているような、喜んでいるような、照れているような、困っているような。
少なくとも、ご立派なお説の最後に出る言葉としてはちょっと場違いだと彼女は思った。
またこの少年は己の言葉が相手にどう受け止められるのかということをあまりよく吟味しなかった。
川上は彼を捨て置いて職員室に足を運びはじめる。
「あれ? 先生?」
「さっさと教室に行きなさい」
雨宮は首を傾げつつ「また電話する」とその背に言ってやった。
同日の放課後、怪盗団は秀尽学園にではなく、そこを少し離れた大きな通りの交差点に集合していた。
狭い歩道の片隅に伸びる電信柱の足元には花が添えられている。小さなカップに水が満たされ、そこに差された仏花はこの暑さに耐えかねているのだろう、少しだけ萎れていた。
平坂美穂なる少女は、ここで大型トラックの内輪差に巻かれて亡くなったのだという。
「ああ……」
感嘆ともため息ともとれる声を新島が上げた。彼女の目は、電信柱の根元に向けられている。
「思い出した……平坂先輩。どうして忘れていたんだろう。あなたたちも、覚えてない?」
水を差し向けられて、秀尽生である高巻と坂本が困ったように互いを見交わした。
「事故があったのは覚えてる。朝からすっごい救急車やパトカーが走りまくってて……でも、それだけ」
「俺はあんまり。時間被ってなかったし。同じ学校のヒトがってのは聞いてたけどよ……」
少年たちは沈痛な面持ちで萎れかけた菊の花に目を落とした。
いつもとはちょっと違うシゴトだとは思っていたが、まさかこんな事実を知る羽目になるとは。
この場合はまったくの部外者となる雨宮とモルガナ、喜多川もまた神妙な面持ちで口を閉ざす他なかった。
人が一人死んでいるという事実は子どもたちの心に暗い影を落とした。死による永遠の別れを、その意味を知らぬまま経験した者も中にはいるが、そうだとしても、ほとんど歳の変わらない誰かがここで、これからまだ長く続くはずだった命を落としたという事象は受け入れがたい。
顔も名前も知ってしまえば、その思いはより強まった。
いったい平坂なる少女は、どんな人物だったのだろう。なにを思って生きていたのか、未来にどんな想いを馳せていたのか。それらはすべて、もう二度と知ることはできないのだ。
重苦しい空気を打ち払ったのは少年たちに歩み寄った一人の女性だった。小さな花束を手に、涼しげな色合いのワンピースと足元はウェッジソールのパンプス。肩から下げられたショルダーバッグのストラップには、ミツバチを模ったらしいキャラクターもののチャームがぶら下がっている。少し年上らしいその人にやや不釣り合いなそれは七月の強い日差しを眩く照り返し、不思議そうな様子を見せる彼女の頬を照らしている。
「ねえ、きみたち、秀尽のコだよね?」
かけられた声に驚いて一斉に振り返った少年たちの顔の内の一つを見て、女はやっぱり、と親しげな笑みを浮かべる。
「新島さんだよね? 覚えてる? 一応去年まで生徒会で書記やってたんだけど……」
ぽんと己の胸を軽く叩いてそう訴える彼女に、新島は背すじを伸ばして頷いてみせた。確かに彼女が語る通り、新島にはこの女性とともに生徒会の活動に従事した記憶がある。
しかし彼女はすでに卒業生だ。今さら母校になんの用事があるというのか。推察する少年たちの目線は自然と彼女の手の中、小さな菊の花がまとめられた花束に吸い寄せられる。
答えは分かりきっていたが、それでも新島は問いかけた。
「先輩はどうしてここに? ここは、その―――」
言い淀む新島の態度に、続けられる言葉をすっかり察してしまったのだろう。元秀尽生のその女性は、苦笑して電信柱の根本にしゃがみ込んだ。
鞄からミネラルウォーターのボトルを取り出し、萎れた花を抜き取って水を入れ替える。その手に迷いの類は見受けられない。
女はどこか寂しげな眼差しをカップに差した花に向けながら答えた。
「美穂とあたし、仲良かったから」
予測できていた答えではあった。仏花を携えてこの場に現れた以上、彼女が平坂美穂なる人物と浅からぬ縁を持つ人物であることは、誰にだって想像できることだった。
それでも言葉を失った彼らに苦笑して、女はさらに詳細な訳を語ってみせた。
「美穂の家のほうに行くとあの子の親がね、泣いちゃうから、だからここに来てんの」
「あの……お墓参りとかじゃ、ダメなんスか?」
気安い言葉遣いと声の調子に我を取り戻したのか、坂本が戸惑いがちに口を開いた。
振り返りもせずに女はこの疑問に答えた。
「お墓に入ってないの」
「えっ?」
「美穂の親がね、まだ手放したくないって。そばに置いておきたいって……ただの骨なのにね? まあ、あたしもなんにも無い場所に延々花置いてってるんだから似たようなものだけど……」
女はやっと振り返り、立ち尽くす少年たちを仰ぎ見た。その瞳が言葉もなく問いかけている。
あなたたちは? どうして美穂が死んだ場所に集まっているの? 物見遊山や好奇心―――?
答えたのは雨宮だった。彼は申し訳なさを滲ませつつ、それでも仲間たちをここに導いた責任を果たそうと顔を上げた。
「俺が、今年になって転入してきて、事故のことを知らなかったんです。それで話を聞いて……現場にだけでも、手を合わせようかと……」
誤魔化しの言葉に女はどこか悲しげに、しかし嬉しそうに顔をほころばせた。
別の目的があることには気が付いているだろうが、それでも彼女は明るい声でもって応えた。
「そっか、美穂もきっと喜ぶよ。賑やかなの好きなヤツだったし」
寛容な赦しの言葉に、雨宮だけでなく少年たちと猫までもが安堵の息をつく。女はそんな彼らの様子に小さく喉を鳴らし、また足元に目を落とした。
「あたしも、続けられる限りはここに来るつもりだから、また会ったら、そのときは一緒してよ」
言葉に雨宮はわずかに眉を寄せる。その内容にではなく、次の機会を示しながらまったく期待の籠められていない声色に彼は悲しみを覚えた。
彼女はきっと何度もここへ足を運んでいるのだろう。卒業を間近にして命を失った友人を偲び、幾度も。それは彼女が取り換える前の花の様子や、手慣れた動作が証明していた。
そしてそのとき、きっとほとんどの時間を独りで過ごしたに違いない。たった一人で、もはや言葉を交わすこともできない友人のために。
少年は義務感によってではなく、かといってこのひとへの同情心からでもなく頷いてみせた。
「もちろんです」
それがどのような心持ちから吐かれた言葉なのかは誰にも解らなかった。本心からかもしれないし、嘘かもしれない。ただの一時しのぎである可能性もあった。
けれど不思議な説得力が宿ってもいる。少なくとも、一度二度、三回くらいはここでまた顔を合わせることもあるだろうと想像させる程度の。
女は振り仰いで目を細め、心の籠った声でもって言う。
「ありがと」
彼女の瞳は潤んで、涙を湛えていた。平然と振る舞い、今の今までまったく平気だったものが少年の言葉によって形を取り戻して刺激したのだろう。
下唇を噛んで涙を堪え、しばらく彼女は呼吸を整えるのに時間を要した。
それでも、一分もかからない。ここに現れたときと同じ姿を取り戻し、呼吸を落ち着かせるために大きく息を吸った彼女は、小さくかぶりを振ってから静かに両手を合わせた。
その両隣に新島と高巻が同じ様に身をかがめ、スペースの問題で後ろに立たされた少年と猫たちは目を伏せて頭を垂れ、黙祷を捧げた。
死は永遠の別れと言うけれど―――その人のことを忘れずにいる人がいる限り、絆というものは決して断たれないのだと、少年たちは実感を伴って確信した。
女と別れた怪盗団は無言のまま秀尽学園前の路地に戻っていた。
その沈黙はたった今まざまざと見せ付けられた永遠の別離というものに各々思うところがあったからだが、あまり沈み込んでばかりもいられないと坂本がわざとらしくおちゃらけた声を上げる。
「つまり、なに? 俺ら死んだヒトの心の中にいたってことになんの? あんの?」
「なにがだ?」
応えたのは喜多川だった。彼はどうやら、坂本の冗談の類に付き合ってやるつもりでいるらしい。
さて、坂本は一度うーんと唸って、難しい顔でもってたった一言、
「心……?」
疑問形のこれに喜多川はなるほどと頷いてみせた。
「あーあー……そうだな、たしかに……」
言葉の意味を咀嚼して、よく吟味して、そして彼は素っ頓狂な声を上げた。
「えっ!? 心? ど、どうなんだ? あるのか……?」
何故か動揺する彼に、坂本こそが困ったように首を左右に振る。
「なにその反応……いや、わかんねえけど。解んないから訊いてんだけど」
「そ、そうだな。そうか、うん……死んだ人間に心はあるのか、哲学的な問いだな……」
喜多川は真剣な面持ちで考え込み始めた。聞くともなしに耳を傾けていた雨宮などは確かに興味深い題目だなと胸中だけで同意する。
死者に≪心≫はあるのか―――
そんなものは生者である若者たちに分かるはずもない。そもそも心というものがどこにあるのかすら、未だ明確な答えは出されていないではないか。
一般的には脳こそが思考の中心であるとされるが、では思考はイコール心なのかと問われれば、それはまだ議論の余地があるところだろう。
これは突き止めると人間の明確な≪死≫がどの段階で訪れるのかという事柄にも繋がってくる。
現在では肺、心臓、そして脳の三つの停止が確認された場合にその個体は死亡したと認定される。けれどもしも……
もしも≪心≫というものが、これらのいずれでもない、あるいは物質的な肉体にではなく、≪魂≫とでも呼ばれるものに宿っているとしたらどうだろう。≪心≫がまだ生きているのに≪死≫んでいると判定されて、肉体が失われてしまったら―――
雨宮は小さく首を振って薄ら寒い想像を振り払った。
彼の目の前では、高巻が壁に背を預けながらうーんと唸っている。
「そもそもさ、あそこってその、平坂さんのパレスなの?
さんのじゃないの?」
これにモルガナが困ったように猫の顔をしかめて首をひねった。
「それも分からん。だがあのピリピリとした感覚、いつものパレスと違うとは思うんだが……」
怪盗団の導き手であるところの彼が解らないと言うのであれば、少年たちに言えることは何一つとしてありはしない。
新島は話を進めようと手を振って仲間たちを己に注目させてから口を開いた。
「そこは今は置いておきましょう。出来ることからやっていくしかないんだから。
さんがどうしてその亡くなった平坂先輩らしき女生徒と一緒に居たのかも気になるけど……」
「そっちも今ンところノーヒントだよな。もうさ、もっかい
さんと話したほうが早くね? ていうか、もう三日目だろ。体力的にもあっちは限界だと思うんだけどよ」
「そうね……今はあれこれ考えるより、彼女を無理やりにでもパレスから連れ出したほうがいいかもしれない」
坂本の提案に深く頷いて、新島は意味有りげに笑ってみせた。いまいち作戦というものに縁の無かった怪盗団に筋道というものをもたらす理知的な輝きがそこにはあった。
「なんか、作戦でもあんの?」
首を傾げた高巻にではなく、雨宮に視線が向けられる。
「言ってたよね。鍵が無くなったかと思ったら元の場所に戻っているって」
「あ、ああ」
戸惑いがちに答えた彼にまた満足げに頷いて、新島はポケットを漁り始めた。
軽い金属音とともに少年たちの眼に愛らしいマスコットの取り付けられたキーホルダーが掲げられる。
「
さんはパレスの中で化学室のドアを鍵で施錠していた。つまりあのとき彼女は、職員室に保管されているはずの鍵を持っていた。このこととパレスの内から外への影響を併せて考えれば、鍵が消えたり現れたりする現象は彼女の仕業と考えて間違いないでしょうね。そしてこの消失と出現は頻繁に起きている……これはつまり、
さんがあちこちの鍵を持ち出しては、律義に元の場所に戻しているってことよね?」
「まあ……そういうことになるかな。でもなぜ?」
「そこは分からないわ」
バッサリと切り捨てて、新島はまたマスコットを揺らしてみせた。
「けど、一つ分かることもある。彼女は無断で鍵を持ち出してまでして、校舎の中を見て回ってるの」
「……それが?」
少しだけ苛立った様子の高巻が結論を促した。
新島は肩を竦めてマスコットをその手の中に握り込んで彼らの視線から覆い隠した。
「校内にはね、彼女の手の届く範囲に鍵が存在しない部屋もあるのよ」