心当たりがないことを告げると川上はほっとした様子で雨宮を開放した。
 逸る気持ちを堪えつつ教室に入り、席についた雨宮はモルガナが机に潜むのも待たずスマートフォンを取り出して、怪盗団の面子が集まるSNSのグループチャットを表示させた。
 そこにはすでに高巻、坂本、喜多川と、そして新島が発言を残していた。
 はじめに新島がこう発言する。
さんが家に帰ってないそうなの』
 すると直ちに喜多川が
『誰だそれは』と問い掛けて、高巻が『昨日まで調べてた子。ほら、例の「ギャッ」ってやつ』と教えてやって、坂本が『さっきリーダーが川上にレンコーされてったんだけど、まさかそれか?』と投げかける。
『レンがレンコーされていったのか』
『そうそう。センコーにレンコー……いやいや、ふざけてる場合じゃねえわ』
『ホームルームまでには戻るでしょうけど……』
『あ、リーダーきた』
 スマートフォンから顔を上げると、一つ前の席で高巻が素知らぬ顔をしている。
 雨宮はすぐに文言を送信した。
『来たよ。おはよう』
『うむ、おはよう』
『挨拶はいいから』
 目の前の高巻は背を向けたまま落ち着きなくつま先で床を叩いている―――
 彼女としては、同学年の女子が一晩行方知れずと知って気になっているのだろう。ましてつい昨日まで関心を寄せていた相手だ。
 一方で、男子二人はのんびりとした様子を見せている。
『けどよ、まだ一日も経ってないだろ? どっかで遊んでて帰りそびれたんじゃねぇの?』
『感心はできないが、よくある話ではあるな』
 仕方のない意見ではあった。彼らは川上の深刻な表情を見ていないし、喜多川に至ってはそもそもの顔すらほとんど憶えてもいまい。雨宮だって川上のあの目の下のくまがなければ気楽な姿勢でいられたかもしれない。一晩くらいでなにを大げさなと。
 楽観的な思考は新島の発言に叩き潰される。
さんがいなくなったのは、正確には昨日の昼から。それも携帯以外はなにもかも全部教室に置いて、昼休みの間によ』
 おまけに、とさらに続けて曰く。
『唯一身につけているはずの携帯には繋がらない。いえ、繋がるんだけど、ノイズが走るだけで声もなにも聞こえないそうよ』
『どういうことだ』
『なんか、ヤバくね……?』
 楽観視はできないと承知したらしい。雨宮もまた予想以上の事態に顔をしかめた。
『荷物もそのままっていうのは奇妙だな』
『だね。フケるにしても最低限、財布くらいは持ってくよねフツー』
『そうなのか?』
『いや、知らないけど』
『そうか。それにしても、なぜ昼休みの最中に消えたのだろう』
『たしかに……変質者に連れてかれたとかってんなら昼は変だよな。俺らも先生らも普通に校舎内にいたんだし』
『目撃情報は?』
『それは今先生たちが順次事情聴取中。私も昼休みに手伝うよう言われてるから、あとで報告するわ』
 雨宮は得心して一人頷いた。なるほど、つい今しがたの川上のあれは事情聴取の一環だったのか。
 グループチャットはまた後ほど話し合おうと締められている。雨宮は「了解」とだけ返してスマートフォンを机の中に突っ込んだ。
 見下ろすとモルガナがやり取りに目を通して怪訝そうな顔をしている。声を出すわけにはいかないが、しかし彼がなにを言いたいのかは解っていた。
 自分たちがの周辺をうろついた途端に居なくなるというのは、少し出来過ぎなのではないか?
 言葉にこそしなかったが他の面々も似たようなことは考えているだろう。
 雨宮は疲れ切った川上の表情を思い返しながら、深く重い息を吐き出した。

 放課後になって、少年たちは渋谷の駅の連絡通路に集合する。
 昼の間にすでに済ませていたが、改めてこの場に彼らを招集した新島が現状を語って曰く―――
「朝も言った通り、さんが消えたのは昨日のお昼休み。聞き込みの結果、昼休みの終わり頃までは教室で他の生徒と昼食を取りながら歓談していたそうよ。その後、昼休みが終わる直前、一つ前の授業、体育館に忘れ物をしたとかで、一人で教室を出た。このとき体育館はすでに施錠されていたけど、鍵を管理する教師のもとに来た生徒は一人もいなかった。つまり彼女は、この間に消えたということになるわね」
 通路に誂えられた手すりに腰を預け、新島はさらに続ける。
「ちょうど私たちが生徒会室を出たタイミングかしら。祐介、あなたに進捗の報告をしたわよね」
「ああ、受けたな。ログも残っている」
 言って、喜多川はスマートフォンを手繰る。表示されたタイムスタンプと自身の記憶を照合させつつ、新島はまた更に言を継げた。
「この頃に最後の目撃証言があって……先生たちは見間違いだと言っていたんだけど……渡り廊下を歩いていた生徒が彼女を見掛けているのよ。彼女は慌てた様子で走っていて、そこですれ違ったそうなの。で、その直後に、体育館に用があるのかなって振り返ったんですって。鍵がかかっていることを教えようとして」
「……それで?」
 言葉を止めた新島に、恐る恐るとモルガナが問いかける。彼女はすぐには答えなかった。
 あるいは、答えられなかったのかもしれない。
 教師たちは見間違いだと言ったが、彼女もまたそう思っているのか、その表情には強い戸惑いの色が浮かんでいた。
 それでも、ここまで引っ張って「やっぱりなし」とはできないのだろう。新島は意を決したように顔を上げると、重々しく「振り返ったときにはもう、彼女の姿はどこにもなかった、って……」と告げた。
 沈黙が降り落ちて、若者たちの間には周囲の喧騒だけが満ちる。
 聞かされた話に対する彼らの見解は一致している。
 なんだかまるでよくある怖い話みたいじゃないか。
 最も強くそう思ったのは喜多川で、彼はそれを隠すこともなく口にした。
「ばかばかしい。そばの角を曲がるなりしたのでは?」
 これは彼が他校生であるが故の疑問だった。この少年はそもそも秀尽学園高校内部の構造を知らないのだから、当然とも言えた。
 これに高巻が答えてやる。
「体育館の近くに曲がり角って……あることはあるけど、壁があるわけじゃないから普通に走ってったんなら見えるはずだし……フェンス飛び越えて目隠しの向こうに隠れることもできるかもだけど、すれ違ってすぐにってのは、うーん……竜司、あんたならできる?」
「んー……助走付けてなら出来なくはねぇと思う。けど、完全に隠れるってのは難しいんじゃね。しかもさんってそんな走れるわけじゃねーだろ?」
 坂本の答えに多分ねと応じて、高巻はショートブーツのつま先で陽光を跳ね返す石床を落ち着きなく叩いた。
 新島の話を聞いていると、まるでという少女は煙のように消えてしまったかに思える。
 だがいくらなんでも、人一人が振り返る間に消えてしまうなど、どう考えたってあり得ないではないか。
 そもそもなんらかのトリックを用いて消えたのだとして、その動機が思い当たらない。
さんの家や周りの環境に、問題は見当たらないんだろ?」
 確認のつもりで雨宮が問い掛けると、その視線の先で新島は確かに首を縦に振った。
「昼休み中に改めて確認したけど、先生方から見てもそういった問題に心当たりは無いそうよ。彼女の親御さんにしても、一晩で学校に連絡してくるくらいだもの、相当心配しているみたい」
「つまり夜遊びを頻繁にするタイプでも無い、と」
 ふうむと唸って、雨宮は癖のある前髪を指先でいじる。視界が狭まって思考に没入できればなにか閃きがあるかと思ったが、これは上手くいかなかった。
 これといった天啓もなく、額を突き合わせて思案することしばし。
 鞄から飛び出してゆらゆらと揺れるモルガナの尾に視線を吸い寄せられたまま、喜多川が発言する。
「彼女……さんとやらに原因が無いのであれば、やはり外的要因があるのでは?」
 しかしこれに、やはり同校生の四人は唸る。
 外的要因……つまり、が自主休校や陰鬱な学生生活からの遁走を敢行したわけではなく、他者によってそこから連れ出された可能性はあるか、ということだ。
「朝も言ったけど、授業中とかならともかく昼休みってのがなー……部外者がいりゃ中庭あたりでメシ食ってる奴らが見かけるだろうし……」
 首をひねる坂本に、また高巻が追随する。
「体育館裏あたりから侵入ってのも出来なくはないだろうけど、すれ違ってから振り返る一瞬で女子一人を死角にまで引っ張り込むのはキツいんじゃない?」
「ふむ……人よりも宇宙人に誘拐されたとでも言ったほうがまだ可能性が有りそうだな」
「第四種接近遭遇―――アブダクション・ケースか」
 唐突に飛び出した『宇宙人』という単語に、何故か雨宮が嬉しそうに食い付いた。
 また始まった。モルガナはヒゲを揺らしてため息をついた。
「真、最後にさんを目撃した人の時計が止まっていたり、奇妙な光を見たりは―――」
「するかっつーの」
「ンなもん見てたらそれはそれで騒ぎになってるわ」
 高巻と坂本の指摘に、雨宮はなんだとと眉を釣り上げる。
「宇宙人は常に俺たちの動向を窺って連れ去ろうとしているんだぞ。秀尽にも一般的な高校生のサンプル収集として一回くらい来てるかもしれない」
「ないなーい。だいたいウチュージンて、小学生かっての。ほんッと子供なんだから……」
 呆れた様子で髪をかき上げた瞬間、少女の豊かな髪からふわっと甘やかな芳香が立ち広がる。
 雨宮は拗ねたように口をへの字に曲げたが、それ以上はなにも言わなかった。その姿は高巻の言った通り、まるで小さな子供のようだ。
 しかし新島はこの一連のばかげたやり取りに、どうしてか深刻そうな顔をしている。
「ナニそのマジっぽい顔。まさかお前までウチュージンがとか言い出さねぇよな?」
 真っ先に彼女の表情に気が付いた坂本が問いかけた。
「まさか。でも、宇宙人のほうがまだマシだったかもしれないなって」
「はぁ……?」
 怪訝そうな顔をする坂本の目前に、スマートフォンが差し出される。そこには彼にとっても見慣れたアプリケーションが起動されていた。
「ナニこれ。イセカイナビじゃん」
 なんだなんだと視線が集中する。新島はモルガナにも見えるようにと膝を折ってしゃがみ、スカートの裾を押さえながら一同を見渡した。
「その案内履歴なんだけど、ほら、これ……」
「あれ……なんであのコの名前が?」
 ニャンと鳴いて首を傾げたモルガナの尾の先は、掲げられたスマートフォンの画面を指し示している。
 そこには確かに『』の名前が記されていた。
「わざわざ入れたの?」
 率直な高巻の疑問に、新島は小さく首を振る。
「ううん、どうも昨日の私たちの会話を拾ったみたいなの。それで、その時間が……」
 彼女の指が詳細を表示させた途端、少年たちは揃って顔をしかめた。それがあまりに『出来過ぎている』ように思えたのだ。
 タイムスタンプが示しているのは昼休みの終わりごろ。それはちょうど、が消失した時間と一致している。
 しかし―――
「妙だな」
 モルガナの言う通り、これは奇妙なことであった。
 そもそも、イセカイナビは通常のナビゲーションシステムとは異なり、この物理的法則に則った現実世界と人の心の内的な世界を繋ぐためのものだ。
 そここそが怪盗団が『改心』を行う場だが、これは誰にでも存在するものではないし、つい昨日にが怪盗団にとって取るに足らない相手であると確認したばかりだ。
 つまり、ナビゲーションが完了したログが残るはずがないのだ。
 そもそもスマートフォンの持ち主である新島が導かれていないというのも奇妙な話だった。
 そばにいる者を誰彼構わず引き込むこともあるが、それにしたって新島は生徒会室にいて、は体育館付近にいたはずだ。彼女が精神世界に誘われたのだとしたら、新島を始め、そばに居た坂本や高巻、雨宮にモルガナ、他にも多くの生徒が巻き込まれていたはず。
 イセカイナビが起動して、だけを案内した、とは思い難い。
 しかし―――
「ちょっと偶然とは思えないのよね」
 横髪を耳にかけて難しい顔をする新島に、仲間たちは顔を見合わせる。
 真っ先に口を開いたのは喜多川だった。
「仮にもし彼女がイセカイナビの影響によってパレスに入ってしまったのだとして、それは一体『誰の』パレスなんだ? 彼女にパレスは存在しなかったんだろう?」
「うん……」
 頷いて、高巻は腕を組んだ。ううむと唸って考え込むが、推理や考察は彼女の得意とするところではなかった。
「あ~……わっかんない。さん、マジで誰かかなんかのパレスに入っちゃったの?」
「さあな。ンでも、誘拐とか家出って感じでもなさそうだし……俺らがさんのこと調べてからの昨日、だろ?」
「ログもある。色々と奇妙なこともあるけど……」
 己の言葉にこそ雨宮は顔をしかめた。
 もしも彼女の《消失》に自分たち―――怪盗団やペルソナ使い、異世界やパレスといった要因が関わっているのならば、彼女を見つけ出すことが出来るのは自分たちしか存在しないことになるのではないか。
 あるいは他の、どこかにいるかもしれないペルソナ使いが彼女を発見してくれるかもしれないが……それは望み薄だろう。
 雨宮は顔を隠す伊達眼鏡のブリッジを押さえて思考する。
 にはおそらくペルソナ使いを判別する《能力》がある。それは一体なんだろう? 見た目には現れない不可視の力を感じ取るようなものだろうか。だとしたらあの「ギャッ」はそれによって発せられたものということになる。
 そして彼女がその《能力》によって消えたのだとしたら……?
 なんにせよ、やるべきことは決まっていた。
「……真、ナビのログ、もう一度見せて」
 差し出された案内履歴に目を通す。、学園、ホラー。三つの単語が並んでいる。
「この学園って、オマエらの学校だろ?」
「たぶんね」
 答えて雨宮は立ち上がる。
さんがいてもいなくても、確認はしよう。色々おかしな点はあるけど、少なくともイセカイナビは案内を一度完了してる。ということは、ナビが俺たち以外の誰かをパレスに導いたんだ」
 それが誰なのか。そして何故、その者だけがパレスに誘われたのか。
「それを知るにはあれこれ考えるよりこっちのほうが早いだろうし」
 ひらりと手を振って尾するよう促した彼に、少年たちは首を傾げつつも後に続いた。

……
 校門前に舞い戻った秀尽学園生らと一匹の猫、そして一人の他校生は、他の生徒を巻き込まないようにと部活が終わり、生徒のほとんどが学校を出るのを待ってイセカイナビを起動した。
 果たして彼らは誘われる。
「……たしかに、こっちのほうが早かったね」
 いまや常ならぬ真紅の装束でボディラインも顕に身を包み、同色の仮面で顔を隠した高巻―――パンサーが苦笑しつつ言った。
「つーかマジでなんで? ていうか、これ、ダレのパレスだよ」
「ナビにの名がある以上は彼女のもの……だと思うが……」
 パンサー同様つい先ほどまで着用していたはずの制服から妙な仮装めいた姿に変じた坂本と喜多川―――スカルとフォックスが見上げた先、秀尽学園高校の正面門の向こうには、つい先ほどまでとなんら変わりない姿の校舎が佇んでいる。
 空の色が紅く染まっていなければ、衣装に変化がなければ、自分たちはまだ現実世界に身を置いていると思ったかもしれない。
 そして衣装が変じているということは即ち―――
「なるほど、私たちはさんに警戒されているものね」
 鉄仮面で顔を隠した新島―――クイーンがつぶやく。
 然りと頷いて、ジョーカーは足元で二足歩行に姿を変えた相棒を見下ろした。
「モナ、その尻尾はどうした」
 二本の脚で立つ二等身の猫は、呼び掛けにぶるりと身を震わせて己の長い尾を抱え込んだ。それは毛が逆立って、いつもの二、三倍は膨らんでいる。
「な、なんか……ワガハイもよく分からんが……なんか、変だぜ、ここ」
「そうか?」
「ジョーカーは感じないのか? こう……すご~く、嫌な感じがする」
 せっせと毛並みを整える小さな相棒に、ジョーカーは―――彼だけでなく、全員が顔を見合わせていた。
「特になんとも……? アンタたちは?」
「うーん? なんとなく寒い気はすっけど……」
「俺は別になんともないが」
 否定する少年らに、しかしクイーンは鉄仮面の下の眉をひそめてそれを指し示した。
「フォックス、あなたの……それ」
「ん?」
 振り返った彼の腰から下がるファーチャームの・ようなものは、モナの尾と同じように膨らんでいるではないか。
「うわっ!? なんだこれは」
「ヘイヘイフォックスビビってる~」
 そんな彼の一部分を見てにやりと口元を歪めたスカルに、いかにもぶ然と、口元を逆さに歪めたフォックスの腕が伸びる。
「誰が……ッ!?」
 その手が襟を掴むか掴まないか、という瞬間、バチッと音がして、目に見えるほどの紫電が奔った。
 二人の少年は思わずと仰け反ってうめき声を上げる。
「ッてぇ! ンっだ今の……」
「……静電気?」
 顎と手をそれぞれ押さえる彼らに、パンサーは目をむいてまた二人を指さした。
「アンタたち、すっごいハネてる」
「はぁ?」
 なにが、と互いを見やる二人の目は、やがてお互いの頭部で止まり、パンサーと同じく見開かれる。
 まったく趣を違えた少年たちの毛髪は明らかに帯電して逆立ったり浮き上がったりしていた。
「なんだこれは。うわ、すごいくっつく」
「どうなってんだよ……あーッ、クソ、ピリピリするっ」
「モナの言う嫌な感じはこれが原因?」
 言いつつクイーンはやっと身繕いを終えたモナに目を向ける。彼はまたスカーフを整えながら「さあな」と軽く返した。
 そんな騒ぎをよそに校舎と紅い空を見上げていたジョーカーは、ふむと唸って、こちらもまた指先に纏わりつく毛にも構わず頭を掻いた。
「いつもと違う、か……」
 普段ならパレスの持ち主とその周辺を探ってからの攻略が常態だが、今回はその逆だ。パレスがあって、その持ち主が本当にかも分からない。
 しかしやるべきことは決まっている。
「パレスがあるのなら『オタカラ』もどこかにあるはずだ。探してみよう」
 校門を通り、昇降口をくぐった彼らの前には、明かりの落とされた廊下といくつかの扉やその影が現れる。
 フォックス以外にとっては見知った光景だが、しかし彼らにしてもまた、非常灯や自動販売機のほのかな明かり、そして窓から差し込む紅い光だけの世界は見慣れない。
「う……ちょっと、なんか……」
「……なにも言わないで、お願いだから……」
 女性陣はすでにげんなりと言わんばかりに尻込みする様子を見せている。一歩を踏み出すだけでやたらと反響する足音がそれを助長していた。
「今、そこを誰か通らなかったか?」
 またフォックスが真面目そうな顔と声でそんなことを言い出すから、二人はますます小さくなって互いの手を握りあった。
 もちろん彼は面白がって言っているのではなく、シャドウの襲撃を警戒して言っている。ちな)。)さこめ
 一方で―――
「秀尽って七不思議とか、ないの?」
 ジョーカーは明らかに怯える彼女たちを面白がってこんなことを言い出したりする。
 今年の春に転校してきたばかりで、その身上から校内にあまり友人の多くない彼としては単純な好奇心からの問いでもあった。
 さて、これに嫌そうな顔をしつつ秀尽生たちが答えて曰く。
「あるわけないでしょそんなん……中学のころはあったけど、ウチらもうコーコーセーなんだからさ」
「そうよ、ばかばかしい。そんなものあるわけないわ」
「んー、俺も聞いたことねぇな」
 とのこと。
 ジョーカーはがっかりして項垂れたが、今度は先頭をいってオタカラのニオイを探っていたモナが顔を上げる。
「なあ、ナナフシギってなんだよ?」
 人の文化に疎い彼ならではの疑問ではあった。
 ひとまず普通教室棟の一階をぐるりと回ろうと決めた彼らは、歩きながら『ナナフシギ』の概要を猫に教えてやった。
「学校によくある、怪談話ってやつかなぁ。なんでかどこの学校にも似たような話があるんだよね」
「トイレの花子さん、走る銅像、勝手に鳴るピアノ、動く骨格標本、会話する肖像画と、増える階段に……アレ? 今いくつ言った?」
「六つだ。俺のところだと、他に動く胸像、トイレの赤いちゃんちゃんこ、校庭を走る幽霊、図書室の呪いの本、四時四十四分に踊り場の鏡を覗くと色んなものが現れるとか……」
「七つ以上あるじゃない……でも、大体のパターンは決まっているのよね。結局都市伝説の伝播と似たようなものじゃないかしら」
 理性的なものの見方でまとめようとするクイーンにモナはなるほどと頷いてみせる。
 もちろんと言うべきか、ジョーカーがそれで終わらせるわけもなかった。
「でも、その中でも口承で伝わるにしては、花子さんの広まり方はおかしくないか? 花子さんの話が出始めたのって昭和初期だろ? あのころ、伝達手段は今よりずっと限られる。だというのに、一時に全国の学校へ広まったというのは、やっぱり『なにか』があったんじゃないか―――?」
「なにかって、なによ」
「さあね。でも、子供たちの間に『彼女』を生み出すなにかしらのトリガーがあったのは確かだ。それがテレビやラジオなのか、あるいは漫画や、共時性による幻想か……もしくは……」
 勿体ぶって間をおいて、踵を鳴らして立ち止まる。
「本物の幽霊、とか……」
 ニヤッと笑って振り返った彼は本当に憎たらしいほど楽しげな顔をしていた。
 ちょうど女子トイレの前でもあった。
「やってみる? 俺たちは入れないから、パンサーとクイーンだけで」
 立てた親指で示された彼の背後にはぽっかりと開いた暗闇がある。内部にも採光のための窓があるはずだが、不思議とそれが漏れ出すことはない。
「やるわけないじゃん。ウチらそんなことしに来たわけじゃないんだから」
 素っ気ないパンサーの反応に、しかしジョーカーは挫けない。挫けたほうが良かった。誰にとっても。
「なんだ、怖いのか?」
「……誰もそんなこと言ってないでしょ」
「そう? それにしては、大した時間がかかるわけじゃないことに渋るんだな」
「はあ……?」
「だってそうだろ。三回ノックして呼び掛けるだけだ。応答を待ったって一分もかからない。やっぱりビビってるんだろ?」
 この上なく分かりやすい挑発だった。スカルでさえもやれやれと肩をすくめてばからしいと目で訴えている。
 しかし―――
「舐めてんの? いいよ、やって来てあげるからそこで待ってなよ」
 パンサーはムキになって言い返した。
 手を握られたままのクイーンが瞠目して声を失うのにも構わず、彼女とモナを引っ張ってヒールの音も高らかに女子トイレに入ってしまった。
「ちょッ、ちょっとパンサー……!」
「ワガハイもっ!?」
「やるって言ったらやるの!」
 かくして廊下には男子だけが残される。
「おっまえな~~……」
 未だ静電気によって浮いた髪をがしがしとかき回したスカルが恨みがましげに彼を睨みつけるが、ジョーカーはへでもないと楽しげに目を細めるばかりだ。
「パンサーはああいうところがかわいいよね」
「否定はしねぇよ? しねぇけどよ、なんかあったらどうすんだよ……」
「ナイナイ。すぐに戻ってくるって」
 軽い調子で手を振って笑う頭目に、処置なしとスカルは頭を振った。
 まったくこいつは……。思えど、しかし彼がふざけている内はまだ余裕があることの証明だ。スカルは息をついてそばの壁に寄りかかった。
 ジョーカーの言う通り、戻ってくるのには一分もかからないだろう。戻ってきたときパンサーがどんな顔をしているのかということなら、彼だって少しは楽しみだった。
 静まり返った廊下に、少女たちがノックをする音だけがかすかに響く。
 それに反応したわけではないだろうが、ふとスカルの視界の端、フォックスがまとわりつく虫を追い払うように腕を振った。
「おい、モナ、袖を引くな。しつこいぞ」
 彼はこうも言った。スカルとジョーカーは顔をしかめて彼を見た。何故ならモナはついさっき、パンサーに引っ張られてトイレに連れ込まれたばかりだからだ。
 そして彼らは、痩身長躯の袖を引く艶のある黒髪をおかっぱにした少女の姿を目撃する。
「は―――?」
「え、なんで……」
 呆然とした二人の声に、おかっぱの少女が顔を上げる。それは一般的に称して愛らしい顔立ちをしていた。
「おにいちゃんたち、なにしてるの……?」
 問いかける声もまた、少し舌ったらずで可愛らしい。
 しかし相好を崩すことはできなかった。その少女の手や顔や、赤いスカートの裾から覗く細い脚が、薄暗いことを差し引いてもあまりに白く、その瞳に生気とでも言うべきものが見当たらなかったからだ。
 そしてちょうど、トイレの中からパンサーのやけくそみたいな声が響いた。
「はーなこさんっ! あっそびーましょーッ!!」
 呼びかける声に少女は顔を上げて、あり得ないところまで口角を上げて悍ましい笑みを浮かべた。
 ぎょっとして後退る間こそあれ、少女は薄らいで姿を消し、そして女子トイレからは悲鳴と共にパンサーが、クイーンとモナを抱えて飛び出してくる―――
「でッ、出たァ! 今っ、トイレの中から返事がぁ!!」
「えッ!? そっちで!? こっちにもなんか今、うわーッ!?」
 素っ頓狂な声を上げたスカルの目には、ひと塊になって廊下には折り重なった少女たちと猫の真後ろに先ほどの少女が佇んでいる姿が映っている。相変わらずの邪悪な笑みとともに。
 指でもってそれを示した彼に、反射的にクイーンが振り返る。
 彼女の目と鼻の先に、下弦の月とでも表現できそうな少女の口があった。
「い……やあーーッ!!」
 クイーンは絶叫とともに立ち上がって、立ち並ぶ少年たちを突き飛ばして猛烈な勢いで走り出した。
「ちょっと待てクイーン! 落ち着……わあぁっ!?」
 その足元にモナがしがみつくが、クイーンは足を止めずにそのまま疾走する。
「オっ、オマエらぁ! こっちはワガハイがなんとかッ、するからぁ! そっちは任せ―――ぬわあぁぁ……」
 ドップラー効果を伴って角に消えたモナの言い付けに従って、少年たちは改めて異常な様子の少女に目を向ける。
 少女は赤い口元をますます歪めて「あそぼうよ」と、やはり舌ったらずに言った。
 その手は傍らで膝をついたままのパンサーの腕に触れている。
 彼女はその冷たさに震え、それから一度大きく、ひきつけでも起こしたように身体全体を跳ねさせると、声も無く前のめりになって床に倒れた。
「え……」
 なんの前触れもない仲間の昏倒に少年たちは瞠目する。
 その様がおかしかったのか、少女は大きく口を開いて笑いだした。
「アハハハ……おにいちゃんたち……ヘンな顔……アハハ……」
 言葉にならない恐怖を覚えて、ジョーカーは咄嗟に己の仮面に手を添えた。
 窓から入る仄かな紅い光を跳ね返すような蒼い炎の輝きに照らし出されたのは鮮やかな色の翼を広げた巨鳥だ。
 そのものが五色のさえずりを上げたかと思うと、嗤う少女の身を包むように強烈な閃光が迸った。
 悲鳴を上げながらパンサーのそばを離れた少女を追うようにまた雷光が走る。スカルが片目の海賊を従えてその逃げ道を塞ぐように立っていた。
「ボサっとしてんなフォックス! 畳み掛けんぞ!」
「う、うむ―――これ、大丈夫か? 児童虐待と言われないか?」
「アホかぁッ! 虐待しちゃダメな児童がこんなんなるわけねぇだろ!」
 いまや少女と思わしきそのものは宙に浮かび、天井に貼り付いてけたたましい笑い声を上げていた。口は大きく裂け、そこから覗く歯はみな鋭く尖っている。スカルの言う通り、それはもはや児童とは呼べないだろう。
「落とすぞお前ら。片付けろ」
 ジョーカーは冷徹な声で言うなり拳銃を構え、天井を掴むその手と足を過たず撃ち抜いた。
 たまらず少女の姿をとった異形は床に転がり落ちる。すでに走り出していたフォックスの刃がそれを迎え、その身を二つに切り裂いた。
 傷口から鮮血ではなく黒いもやのようなものが噴き出し、異形はまた甲高い悲鳴を上げる。
 勝利を確信した少年の首に、しかしかっと目を見開いた異形の腕が伸びる―――
 それもまた、触れる前にスカルのビッグ・ブーツによって顔面を蹴り飛ばされて落ち、今度こそ異形は真っ黒な泥のようなものと化してそのまま崩れ落ちた。
「ごくろう」
 何故か居丈高に宣言するジョーカーに、スカルが鋭い目線を送り、フォックスは相手をするのも疲れると倒れたままのパンサーに駆け寄った。
「お・ま・え・なぁ! どーすんだよ! クイーンとモナはどっか行っちまうし、パンサーが倒れたじゃねーか!」
「まさかこんなことになるとは……」
「冷静になってる場合か! ったく。ほら、アイツら追おうぜ―――」
 得物を担いでジョーカーの横を通り抜けようとするスカルに、しかし制止が呼びかけられる。パンサーのそばに片膝をついたフォックスが二人を振り仰いでいた。
「なあ……パンサーが息をしていないんだが」
「は?」
「うん。……うん。脈も無いな……」
 振り返ったスカルの目に、抱えられた姿勢でぐったりとした少女と、その細い手首を取って脈をみる少年の姿が映る。
 スカルは反射的に飛び寄って、パンサーの鼻先に手を添えた。確かに、指先に呼気は感じられない。
「おい……おいおいおいおいッ! よりにもよってモナが居ないときにかよ! どーすんのォ!?」
 頭を抱えて喚く彼に、同じく駆け寄ったジョーカーが声を張り上げる。
「もっとよく調べろッ! 心臓に近い場所を探れば……!」
「心臓に―――近い場所―――ッ!?」
 ……少年たちの視線は蒼白な顔をして動かない少女の心臓の辺りに集中した。
 そうとも、どれだけ脈が弱くても、止まっていない限りは心の臓に近いところに触れれば少なからず鼓動は感じられるだろう。しかし、けれど、でも―――
 自発呼吸が無い時点で確認する必要はあるのか。そんなことをしている暇があるのなら、回復を得手とするモナやクイーンを探しに行ったほうがいいのでは。
 思うが、しかしこれは千載一遇のチャンスでもあった。この機会を逃せば恐らく一生をかけても触れることの叶わないものが目の前にあるのだ。
 また更に否定する声がそれぞれの内にあった。
 そんな卑怯な真似が許されるのか? ここで汚らしい手段を取るくらいなら、彼女が目覚めてから土下座でもしてその足元に縋りついたほうがまだ男としての矜持は守られるのではないのか?
 結論が出ることは無かった。
「な、なに……してるの―――?」
 かすかな声に少年たちは直ちに得物に手を伸ばして振り返る。
 そこには廊下の角から蒼い顔を覗かせる少女の姿があった。そしてそれに、全員が少なからず見覚えがある。
 特にジョーカー……雨宮にとっては、忘れられない顔だ。あの怯えた、まるで幽霊や悪魔でも見たような表情。
 本当に、どうして彼女はこちらを見るとき、あんなに怯えた顔を見せるんだろう……
 なにかが喉につかえたような苦しさに胸を押さえる。しかし、彼は己と仲間たちを客観的に見て、今回に限ってはすぐにの表情の理由を理解した。
 薄暗い学校の廊下。コスプレ集団が気を失った(こちらもコスプレにしか見えない)少女を囲んでいる―――
 その発想に至ったのは、どうやらジョーカーだけでなかったらしい。スカルもまたすぐさまその場から飛び退った。パンサーの身体を支えるフォックスだけがその場に取り残されて、ただじっと廊下の角から顔を覗かせる少女を睨み返している。
「な、なにをしているのかって訊いてるの……! なにかの撮影? そうだったなら、邪魔をして、ごめんなさい。でも―――」
 戸惑いと怒りと共に、少女は角から身体を滑り出させた。そしてそのままらしき少女は蒼い顔に、しかし明確な怒りを湛えて一歩を踏み出した。
「そうじゃないのなら―――」
 前へ踏み出すごとに怯えはなりを潜め、少女の顔は怒りを露にしはじめる。
「その子から離れてッ!」
 意外な発言であった。威嚇するような表情もまた。
 けれど勇ましい発言とは反対にその声も膝も震え、目には怒りの影に確かな恐怖が垣間見える。
 それでもは一歩一歩と踏み出し、ついには少年たちと未だ意識の戻らぬパンサーのそばにまで歩み寄った。
「なにしてるの。は、離してってば!」
 震える指先がフォックスの眼前に突き付けられた。
 彼はまじまじとそれを眺めて、かすかに首を振る。
「床の上に彼女を横たわらせるわけにはいかん」
「な、なら、私が介抱します!」
 フォックスは不満げな声を上げたが、我を取り戻したジョーカーたちによって引き離された。
 ぐったりとしたパンサーの肢体を受け取って、は意外な剛力ぶりを彼らに見せつけた。同じ年頃の女子である彼女の身体を、横にして見事に抱えあげてみせたのだ。俗に言う『お姫様抱っこ』であった。
「……えーと、それで……」
 探していた人物をやっと見つけ出したはいいが、なにやらひどい誤解を受けてる様子だ。ジョーカーは頭を掻いて、なんと言い表したものかと思案する。
 しかしは彼に構いなどしなかった。完全に不審者かなにかを見るような目で少年たちを一瞥し、パンサーを抱えたままどこかへ向かって歩き出してしまう。
「ちょっと、待って。君、彼女をどこに連れていくつもりだ?」
「……具合が悪い人がいるのなら、普通は保健室に行くものでしょ」
 ごもっともであった。
 はまた、胡乱げな目を彼らに向けつつも
「この子になにかヘンなことをするんじゃないのなら、ついて来て」と言った。
 少年たちは互いの目と目を見交わして、どうするべきかを思案する。
 そもそもこれは『本物』のなのだろうか? ここが彼女の作り出したパレスであるのならば、これは彼女の心の写し身―――シャドウであるかもしれないのだ。彼女をよく知る人物が作り出したものという可能性もあるが、その場合も結局は本物ではないことになる。
 これを判別できる猫型生命体は一体どこへ行ってしまったのやら。
 考えたが、原因は己にあるとジョーカーは頭をかく。
 とにかく今は彼女に従うしかないだろう。本物にせよシャドウにせよ、少なくとも害意は無く、パンサーを助けるつもりでいる様子ではあるのだから。
 ジョーカーはため息とともに人差し指を立てて彼女の背を指し示した。それはついて行こうと無言のうちに訴えている。
 元より二人は後を追う気でいたのだろう。特別反対意見が上がることもなく、少年たちは連れ立ってパンサーを抱えていくらかふらつくに従った。