はいこれ、と言って差し出されたものに、喜多川は思わずと顔をほころばせた。
 冬の日の放課後、校門前で待ち合わせて合流を果たしたのは授業が終わってすぐのことだった。昼の時間は彼女のほうの都合で顔を合わせることができなかったから、こうして対面すること自体が喜ばしい。
 なにより、当然貰えるものと分かっていたのだとしても、それでも、照れた様子で小さくなって俯いて、突っ張るようにして前に出された腕にあるものを見て喜ばない理由が無かった。
「ありがとう」
 礼の言葉を返しつつ受け取ったのは、艶のあるサテン生地のリボンが取り付けられた、どこかのブランドのショッパーだ。
 やっと顔を上げたは、大げさなくらいに恥じらいながら
「お、お誕生日おめでとう……」と掠れた声で言い添えた。
 去年だって祝ってくれたのに、今さらそんなに恥ずかしがるようなことだろうか。
 思えど口にはせず、少年は目を細めて明るい新緑の色をした彼女のマフラーと、その下の紅潮した頬を見つめる。なんだかまるで、よく実ったりんごの木のような色の組み合わせだと思えたのだ。
 それも口にすることはなかった。彼の関心は強く己の手中に収められたこの日のためのプレゼントに寄せられていたし、彼女のほうもそれを確かめてほしいと言わんばかりにチラチラと視線を寄越していたからだ。
「中を見てもいいか?」
 それでも念のため確認すると、彼女はますます緊張を高めて、それでもかすかに首を縦に振った。
 いったいぜんたい、この態度はどうしたことだろう。去年は朗らかな様子で和紙画帖を手渡してくれたはずだが……しかしその違いを分からないほど彼もとぼけるつもりはなかった。
 去年と今年では決定的な違いがあるのだ。
 ただの友人と恋人となれば、それは当然、受け渡すこと自体の意味合いや、渡す物に籠められる気持ちも違ってくるものだろう。
 つまり、彼女のこの態度はなにかしらの深い意義を籠めて誕生日のプレゼントを選んでくれたということの証明だろう。
 ウキウキしながら紙袋の中に手を突っ込んだ彼の指先に触れたのは柔らかな感触だった。覗き込んで得心する。
「なるほど」
「……だ、駄目だったかな……」
 今や縮こまって震え、再び俯いて露わになったうなじは寒さ以外の要因からうっすらと朱に染まっている。
 喜多川は苦笑しつつ包装を取り払い、柔らかなウール地を己の首に巻き付けた。
 青を基調としたタータンチェックのマフラー自体は珍しい物でもない。ブランド物とはいえ十分手の届く範囲のものだったし、また生まれ月の関係からプレゼントに防寒具が選ばれるのはよくあることだった。
 ただ、目の前の彼女もまた同じブランドの、同じ柄の、違う色を身に着けているというだけのこと。
「なるほどな」
 意地の悪い心地でもって同じ台詞を繰り返すのは、様々な感情が折り重なった結果だ。
 あまり大っぴらに恋人らしい振る舞いをしたがらない彼女が、怪盗団頭領が自由を奪われた今の状況に自ずからはしゃいだ真似を自粛しようと努める彼女が、やっと想いを伝えて通じ合うことができた今も不安そうにするばかりのこの子が……
 お揃いの! アイテムを! 自分に寄越したんだ!
 胸の中で獄中の友人に大声で告げてやって、それで満足して落ち着きを取り戻す。
 目の前ではがまだ俯いて己の手指をせわしなく動かしていた。
「ふ、深い意味があるわけではなくて……自分で使って、良い物だと思ったから、きみにもと……制服に合わせてもいいし、皆似たような物を使っているから変に目立ったりもしないし……」
 言い訳めいた言葉も出る。
 一つ一つに頷いて返してやりながら、この羞恥心の強さをどうやってすすいでやったらいいものかと思案するが、妙案が飛び出ることはなかった。
 代わりに再び礼の言葉を口にする。
「ありがとう、。嬉しいよ」
 これにはやっと顔を上げて、はにかんだ笑顔を彼に向けた。
「うん……そうだね。私も嬉しい。きみが生まれてきてくれてよかったと思うよ」
 これほど嬉しいことはないだろう。
 喜多川は胸の内からこみ上げる大きな感情の流れをコントロールすることに多大な努力を要した。
 好きな女の子から、命そのものを祝福されて喜ばない者はいまい。かといって、喜びのままに動いて触れたり振り回したりすれば彼女を困らせることは目に見えている。
 ―――でも、隠すようなことでもないのだから、人目があろうとそのように振る舞うことになんの問題があるのだろう。
 そもそもお揃いとして物を差し出してきたのは彼女であって、受け取る側の己が遠慮する理由は無いんじゃないか?
 そう思って、腕を伸ばす。すっかり冷えた手を握ると、彼女は大げさなくらいに身体を震わせて彼を見上げた。
 その瞳いっぱいに己の姿が映り込んでいることに充足感を覚えて息をつく。彼はこれをもっと得たいと欲した。この胸が満たされるような、けれどもどかしくて、物足りないような、腹の底と背がざわざわと落ち着かない感覚に浸っていたい……
「なに?」
「いや……」
 喜多川の視界は気が付けば彼女だけに埋め尽くされていた。
 りんごのように赤い頬、新緑の色のマフラー、切りそろえられた前髪に、艷やかな唇。
 そういえば、あのどうしようもない友人がいつだか言っていた。
 あいつ、環、いい匂いがするんだよ。言ったら予備のやつくれた。すげーいい匂いするんだけど、嗅ぐ?
 本当に鼻を寄せて確かめようとした少年と何故か自慢げに「どうだいい匂いするだろう」と笑っていた彼を目撃した猫が毛玉を戻しそうな顔をしていたのが印象的だった。
 記憶と嗅覚は強く結び付けられるものだ。
 そうなると少し困るなと喜多川などは思う。だってこうして顔を寄せるたびにあの靴下猫の吐き気をこらえる顔を思い出しては気が削がれるというもの―――
「近い」
 声とともに彼は突き飛ばされて半歩後退った。匂いが消えて記憶も遠ざかる。
「……なぜだ?」
「人前。校門」
 お揃いなのに? とよっぽど言い返してやりたかったが、それをぐっとこらえてただじっと視線を注ぐに保つ。これはさほど難しいことではなかったが、しかし注視される方はそうでもないのだろう。また俯いて、目をあらぬ方に向けてローファーの先でアスファルトを叩いている。

「な、なに……」
「今日はこれだけか?」
「……杏たちのほうを、手伝おうかと言ったら、怒られた。じゃあ、双葉のところで調べものの続きをさせて欲しいと言ったら、来たら絶交だって……絶交って、小学生じゃないんだから……」
 つまり彼女はこの後の予定は無いと言いたいらしい。
 それは喜多川も同じことだった。この前日、同じように手伝いを打診したところ、お叱りの言葉とともに一日の暇を与えられたのだ。
 二人の関係性がやっと落ち着くべきところに収まったことはすでに怪盗団の―――獄中の友人と夢のように消え去った靴下猫以外には周知の事実だ。だからというわけではないだろうが……
 高巻が言うには、アンタたち『彼』に気を使ってまだデートもしてないんでしょ。いい機会じゃん。今日くらい好きにしなよ。とのことだ。
 そういうことならばと喜多川はすでにそのつもりでいたが、彼女のほうはどうだろうか?
 握ったままの手を引いても、は抵抗しなかった。
「じゃあ、そうだな」
 喜多川は満面の笑みを彼女に差し向ける。
「もう一つ欲しいものがある」
「……なに?」
「このあとの時間。門限まで」
 照れて顔を俯けても、彼女はやっぱり抵抗することも、立ち止まったり歩調を緩めることもしなかった。
 つまり、答えはイエスだ。
 首周りにある柔らかな感触と手の中にあるこの上なく暖かな感触によって、彼はすっかりご機嫌で、寒さから切り離されているかのようだった。