「――ところで、気が付いたことがある」
 豪華客船の形をとった獅童正義のパレス、その狭い通路で、ふとジョーカーがつぶやいた。
 目の前には仕掛けの施された部屋があって、ナビがその部屋を覗き込みながらクイーンと道順を確認しあっている。手持ち無沙汰にそれを眺めていたスカルが、なんとなく嫌な予感を覚えながらも彼の声に反応してやった。
「なによ」
 言外にまたくだらないことじゃないだろうなと含ませながらのそれににっこりとして、ジョーカーは櫛比する仲間たちの間をすり抜けて部屋と通路の境に立った。
 彼はそのままゆっくりと腕を前に突き出したかと思うと肘までを進入させて一つ頷き、首を巡らせて目だけを背後にやった。
「これくらいまでなら見逃してもらえるらしいな」
「肘までじゃせいぜい電灯のスイッチくらいしか届かないんじゃない?」
 首を傾げるクイーンに、ジョーカーはわかってないな、と首を左右に振ってみせる。
 そして彼は興味深げに動向を見守っていた仲間の背を唐突に強く押した。
「まずフォックスを部屋に入れる」
「うおっ!? なにす……チューッ!」
 転がり落ちたネズミが憤懣やるかたないと言わんばかりに小さな手足を振り回している。笑いを堪え切れない少女たちは一斉にそれから目を逸らした。
 さて、ジョーカーはまたその内の一人の手を引っ張って腕だけを部屋に進み入れさせる。
「そしてブレイドの手だけを部屋に入れる」
「なんとなくやろうとしていることが分かってきたけど、引っ張らないで」
 少年は一言も耳に入らないと言わんばかりにまだ床の上でジタバタとして説教めいたことを口にしているらしきネズミを摘まみ上げた。
「そしてこうだ」
 そっとブレイドの手のひらの上にネズミが安置される。一同は妙な緊張感をもってそれを見守った。
 見守られているほうはしげしげと手の上に納まった友人の姿を眺め、やがて
「なかなかの重さ。それにこの体毛の色、体長に対する尾率、小さな耳……ドブネズミかな」と興味深げに述べた。
 ジョーカーはやっぱり聞いていないようで、何故かどことなく自慢げに宣言する。
「完成だ。撫で回していいぞ!」
 ブレイドは直ちに首を左右に振った。
「嫌だよかわいくない」
「ヂュッ!?」
 衝撃を受けたネズミは手のひらから転落し、床を転がって廊下へ戻った。――小規模な爆発音――
「おかえり」
「ただいま……」
 ひっくり返って天井と見つめ合う彼はどこか哀愁を漂わせていた。
「手触りと大きさが条件と思っていたけど、一定のかわいさも必須か」
 ジョーカーの言にブレイドは肩をすくめて肯定とも否定とも取れる態度を見せた。どうやら他にも彼女なりの愛でる対象を定める基準があるようだが、それを明かす気はないらしい。
 すると、横たわっていたフォックスが起き上がって彼女に詰め寄った。
「うわ! 近いよッ!」
「なぜだブレイド! 俺がかわいくないと言うのか!?」
「むしろかわいいつもりでいたんかい」
 手持ち無沙汰に豊かな金糸の髪を指先で弄んでいたパンサーからツッコミが飛ぶが、フォックスは構わない。なんでなんでとブレイドの肩を掴んで揺さぶる必死な様子に、ノワールなどはくすっと小さく笑いさえした。
「かわいげって意味なら十分ね。ふふっ、ブレイド、あんまりイジワルしちゃダメよ」
 なんとも年上の余裕を漂わせた発言である。
 ブレイドは揺さぶられながら唇を尖らせて、
「ネズミになろうが女になろうがネコになろうがフォックスはフォックスなんだから、撫で回すとか……セクハラじゃないか」と訴えたが、ノワールはやっぱり微笑むばかりだ。
「あら、ハラスメントはされる側が決定するものでしょう? フォックスが嫌がらなければそれはセクハラとは言えないのではなくて?」
「あー、うー」
 ぐんにゃりとして背を反らした少女の様子を見かねたのか、スカルが助け舟を出した。
「つってこの状況はブレイドに対するセクハラだかんな? やめてやれって」
 促して揺さぶる手を払い落としもしてやる。
 渋々ブレイドを開放したフォックスは、しかしまだ不満げに彼女を見下ろしている。
「なに?」
「別に」
 可愛くないと言われたことが不満なのか、いつも以上にムスッとした彼の様子にジョーカーはくつくつと喉を鳴らした。
 それにしても――
 不思議なのは、ブレイド……が「かわいい」と思うものの基準である。大きさが重要なのかと思っていたが、そういえば彼女は以前、奥村を羨ましいくらいに愛で、あるいは愛でられていたではないか。人間サイズも可能ではあるらしいが、しかし愛らしいという点でもって怪盗団の女性メンバーを見れば、全員等しく愛らしい。身体つきはそれぞれ特徴が違っているが……
 じろじろと無遠慮に彼女たちを眺める視線に気が散ったのか、己の半身と共に意識を広域化させていたナビがうっとおしそうに彼を振り返った。
「なんだよぉ。変な目で見るなっ」
 別にお前のことばっかり見ていたわけじゃないんだけど。反論しようとして、しかしジョーカーは肩を竦めるに留めた。
 また彼女の発言を拾ってこうも考える。
(変な目。変な目ね。どういう目だよ。そんな恰好しておいて、見るなってほうが変だろ)
 口にしないだけの賢明さは持ち合わせていた。
 とはいえこれは怪盗団男子一同の共通した見解である。
 なんだって彼女たちはああ身体のラインがはっきりするか、一部をやたらと強調した衣装になっているのやら。
 ブレイドに至っては他の部分は厳重に隠されているくせに、腹の一部がむき出しになってへそが露出しているではないか。
 うーむ、とジョーカーは唸って、まだどことなくもの言いたげに明後日の方向を睨んでいる彼女に向かって言ってやる。
「ブレイド、ぽんぽん痛くならない?」
「はあ……?」
 あまりに唐突すぎる発言に、ブレイドどころか全員が怪訝そうな顔をして彼を見る。
 少年は澄ました顔でそのわけを語ってやった。
「ブレイドは腹が出てるだろ。ここ、やたらと空調が効いてて涼しいし、お腹冷えないかなって」
 じっ、とまたへそに視線を注ぐと、釣られるように一同の視線が彼女の腹に突き刺さった。
 とっさにそれを手で庇うものの、ブレイドの顔は強い羞恥と怒りによって赤く染まっている。
「なんなの急に。私にまでお兄ちゃんぶらないで」
「え?それは 違う。俺はお前に対してはお父さんぶってるんだ」
「なお悪いよっ! ああもう、皆も見ない!」
 ブレイドの左手がへそを守り、右手が皆の視線を追い払う。
 しかし、することがなくて退屈なのか、パンサーがこの話題に乗っかった。
「実は私も気になってたんだよね。ブレイド、なんでおヘソ出してんの?」
「それを言ったら皆、似たようなものじゃないか」
「私は露出してないもん」
 いや、してるだろ。と、男性陣は声に出さずにちらりと彼女の白くまばゆい胸元――その峡谷を見やった。
 しかし彼女の言いたいことがわからないわけじゃない。胸元とヘソでは見かける頻度が違う。ヘソを大胆に露出させたファッションもあるにはあるが、少なくとも彼らが知る限り、はそういうタイプの女の子ではないはずだ。
「うう……知らないよ。私だって隠れているほうがよかった」
「それはダメ」
 ほとんど反射的に、語気を強めてジョーカーが言った。
 冷たい視線が突き刺さる――
 それにも臆さず、決して屈することなく堂々と彼は言い切った。
「そこはチャームポイントだろ。ブレイドの。普段ならめったに見えないわけだし……水着のときですら出てなかった」
 なるほど確かに、とノワール以外の全員が頷いた。しかしその目は冷たいままだ。
「きみ、いつもそういうところばかり見ているの」
 ブレイドの顔はもはや隠す気もない強い軽蔑の念に彩られている。
 ジョーカーは自信満々に、胸を張って
「見てる!」と宣言した。
「アウローラ! そこのド変態を消し飛ばせ!」
 呼びかける声に応じてブレイドの半身が立ち上がる。逆光によって顔の見えない女は、しかし何故だか怒りと恥じらいによって顔を歪めているように思えた。
「うわっ、ペルソナ――ヴァルキリー!」
 咄嗟に仮面を付け替えたジョーカーの前に、馬に跨った女戦士が現れる。アウローラが投じた輝きは、その手に握られた剣によって打ち払われた。
「チッ! こっちはどう!?」
「それなら……バロン!」
 構えられた騎兵銃型モシン・ナガンに、次は銀の毛並みを揺らした四足の獣が躍り出た。その毛並みは銃弾を受け流し、壁に穴を空けさせる。無傷とまではいかなかったが、ジョーカーにはかすり傷しか与えることはできなかった。それも少年が手を軽く一振りする内にかき消える。
「もーっ!」
 牛のような鳴き声を上げて地団駄を踏む少女に、ジョーカーは高らかに笑った。
「フハハ! 俺に歯向かおうなんて二年早かったな!」
「二年で追いつけんのかよ」
 背を反らして勝利宣言をする彼の背に、スカルの拳が入れられる。特別痛くはなかったが教育的指導は効果的だったらしく、ジョーカーは直ちに平静な様子を取り戻した。
「さて、ナビ、道は分かったか」
「ほんとどっかにスイッチでもついてんのかオマエは〜……」
「あんまりシリアスになられすぎても困るけどね」
 クイーンは苦笑しながら、彼はコレでいいのよと肯定してやる。全体のフォローを請け負う彼女がそう言うのであれば、怪盗団の面々からはこれ以上文句の言いようがない。それに、ジョーカーのおふざけ癖はいつものことだ。
 ナビは小さく息をつき、それから大きく吸った。
「あそこんとこの通気口から入ってまっすぐ行って右曲がって出た先でスイッチ押して隣の部屋から通路に出て直進してまた右に行ってスイッチ押したら戻って今度は直進からの右折してずっと真っ直ぐ右折部屋スイッチ戻ってさっきの角を左に行って部屋から通路!」
 一息で言い切って、ナビは憶えたか、と一同を見渡した。
「黄金餅か」
「言ったわたしもくたびれた」
「俺たちはこれからくたびれるんだけどな」
 ウンウンと頷き合うジョーカーとナビを横目に、少年たちはやれやれと小さく頭を振った。二人がよくわからないネタで盛り上がるのもまた、いつものことだった。
 さて、それからしばらく行ったり来たりをくり返し、やっとセーフルームにたどり着いて一息入れようとなったところで、ジョーカーがまた益体もないことを言い出した。
「で、ブレイドのかわいいの基準なんだけどさ」
「また私か。今日はやけに食いついてくるね」
「そういう日もある」
「なくていいよ」
 入り口近くの壁に背を預けていたブレイドがツンと顔をそらして不快そうに鼻を鳴らす。
 もちろんそれで引くような男であれば、そもそも話題に出したりしないだろう。ジョーカーは真紅のグローブに包まれた手でおもむろにパンサーを指し示した。
「パンサーはかわいいだろ」
「そりゃ、そうでしょう。わざわざ言うまでもないよ」
 戸惑いがちに答えたブレイドに、示されたパンサーは満足げにその金の髪をかき上げた。たったそれだけのことで立ちのぼる華やかな芳香さえもが目に見えるようだ。誰が見たって、パンサーは見惚れるようなつくりをしていた。
 満足げに頷いて、ジョーカーは次にとクイーンを指し示す。
「クイーンは? かわいい? それともかっこいい?」
「ええ? う〜ん……」
「ちなみにこのかわいいはモルガナ扱いが出来るかどうかだからな」
「あ、そうなの? ふ〜ん、ブレイド、私のことそんなふうに見てたんだ? へ〜?」
「いやちょっと、待って、それならパンサーもかわいいの中に入らないよ。クイーンも無理だ」
 慌てた様子で手を振る彼女の様子にパンサーは快活な笑い声を上げ、クイーンはどうしてか少しだけがっかりした様子で肩を落とした。
「ふむ……ノワールはもうすでに実証済みだな」
「そうね、ブレイドは私のこと大好きだものね、ふふっ」
 冗談めかして小首を傾げるノワールに、ブレイドは口を引き結んだ。積極的に肯定したくはないが、しかし強く否定することもできなかったのだ。なにしろ彼女は、やわらかい。
「じゃあナビは?」
「わたしかっ!? いいよこいよ!」
 だらしなく床に寝そべっていたナビが勢いよく起き上がりつつ言う。何故か彼女は自信満々に己の胸を叩きもした。
 ブレイドは目を細めて
「ないよ」とだけ短く答えた。
「なんでぇ!? あっ、うわ! これけっこうキズつくぞ! ブレイドのばかっ!」
「俺の気持ちが解ったか?」
「解りたくないけど、解ったぁ」
 喚いて床を転がるナビに、フォックスがふんと鼻を鳴らした。クイーンもまた重々しく頷いている。
「ふむ、今のところノワールだけで他はアウトか……じゃあ、スカルは――」
「俺ぇ? 聞くまでもなくアウトだろ?」
 別にかわいいつもりもない、とブレイドの隣、同じく壁に背を預けて地べたに直接座り込んでいたスカルがわずかに顎を上げる。ここまでリスト入りしなかった連中を見れば一目瞭然だと手を振る彼の頭には、しかし先ほどからずっとブレイドの手が添えられている。
 ブレイドはまた、意地悪そうな笑みを浮かべて上から彼に囁いてもいた。
「若いうちから染髪や脱色を繰り返していると早くにハゲるよ」
「やめろや」
「近親者に額が広い人や丸まった人は? 三親等内にいると確率がぐんと上がるって」
「知らねーよっ、やめろってんだろ……」
「毎日こんなふうに固めてるとなると近い将来額から後退し始めて――」
「わーっ! わぁーっ! やめーっ!」
 喚いて少女の手を叩き落とす音と、フォックスが床を叩いた音が重なった。
「なぜだ! どう考えてもスカルとなら俺のほうがかわいいだろ!!」
「自己評価たっけぇなーおイナリ」
 だらりと四肢を投げ出したままのナビの指摘は彼の耳には入っていないようだった。怒りというよりは屈辱に打ち震えるフォックスに、ジョーカーはこの上なく楽しそうに前へ進み出た。
「よしブレイド、俺は? 俺の家系は父方も母方も三代遡ってもフサフサだぞ!」
 またスカルの髪に手を伸ばそうとしていた少女は、ちらりと彼を一瞥すると、ふっと侮蔑の表情を浮かべて
「君が一番無いよ」とこたえた。
「なんでだ……」
「だっせぇなジョーカー」
 膝をついてくずおれた少年に、モナはかかと笑って尾を振り回す。
 その先端の白い部分にブレイドの手が触れた。
「ニャッ!?」
「そして一番かわいいはモナ」
 こねるように尾を撫でる手に、モナの背中の毛がぞぞぞと逆立った。
「やめろブレイド、うにゃにゃにゃ……」
 ヘナヘナと力を失って四つ足をつく。ブレイドはまったく構わずにその小さな身体の顎や耳を撫でさすった。
「あーん、ゴロゴロ……ワガハイはぁ……猫じゃ……ふにゃふにゃ……」
「最近わかってきたんだ。モナが猫でも人間でも、きっと愛で方は変わらないって。はーやわらかい……」
 つまり――
 少しだけ拗ねたような風情のまま、クイーンが己の中で立てた推測を語り始める。
「つまり、カタチはそこまで重要じゃないってことね」
「この宇宙では、ものの大きさにさほど重要な意味はない。姿形に惑わされるな。大きさの概念を取り払うのだっ!」
 上体を起こしたナビが重厚に述べるが、誰もその意味を理解することはできなかった。
「ナビの言っていることはよく分からないけど……そうね、大きさも関係ない。毛皮の有無も」
 うーんと唸る一同に、ブレイドは呆れ果てたと言わんばかりに天を仰いだ。まったくくだらない。そんなことよりももっと考えるべきことは沢山あるだろうに、と。
 腕の中ですっかり力を失って喉を鳴らすだけの存在と化した猫型生命体を抱きしめて、ブレイドは口を尖らせた。
「モナ、あれなんとかして」
「ぐるぐる……なんとかってなぁ、ジョーカーを御せるやつなんてそうそういないぜ」
「攻撃はすべて防がれてしまうし。まったく、ワイルドの力とやら、忌々しい」
「敵役みたいなこと言うんじゃねえよ……ほらっ、離せっ」
「あっ! モナ〜……もうちょっとだけ……」
「もうやだっ! 今日の分はオシマイだっ!」
「ちぇっ」
 まだ名残惜し気に手をわきわきとさせる少女に、モナはぶんぶんと尾を振って距離を取る。
 それを眺める『かわいくない』の烙印を押された者たちは、パンサーを除いてやっぱり納得がいかないと言いたげな目をしていた。
 モナはため息をついてそんな彼らを見上げ、やれやれと頭を振る。
「なあオマエら……本当にワガハイみたいな扱いを受けたいのか?」
 言われて――少年たちは眉を寄せた。
 蚊帳の外からスカルが「俺はエンリョしとく」と訴えたが、誰もそれには言葉を返さなかった。そもそも彼は不名誉な烙印を押されずに済んでいる。
 つまり――どんな扱いだろうが、結局それが問題なのだ。
「俺たちに個々の役割はあっても、平等なはずだ」
 重々しくジョーカーが告げる。
 彼の後ろからノワールがおっとりとした声で「そうね。みんな怪盗団の仲間だものね」と明るくこれを肯定した。
「そうだ! 俺たちは仲間だ! だからブレイド、平等に俺たちを愛でろッ!」
「ええ……ちょっとなにを言っているのか解らないんだけど……」
 謎の勢いでもって激しく詰め寄ったジョーカーに、ブレイドは後退る。
「私は別に。ブレイドには愛でられるより愛でたい派かな」
 パンサーはのんびりとした様子で己の毛先をいじっているが、しかし他の者――ジョーカーとナビ、そしてクイーンとフォックスはそうではないらしい。ブレイドはまたじりりと後退った。
「四対一は卑怯じゃ」
「数は戦術の基本よ」
 じりっ、とクイーンがすり足で前に出る。
「そもそも愛でるってなに」
「ううー……っ、わたしをホメろっ、イイコイイコしろっ!」
 立ち上がって、ナビが威嚇するオオアリクイのようなポーズを取った。
「セクハラになるんじゃ」
「ハラスメントはされるほうが決定するもの、だろ?」
 踵を鳴らしたジョーカーが底意地の悪そうな笑みを湛えている。
「ちょっと、待ってよ」
「今為せなければ、以後も出来んということだ」
 ゆらりと立ち上がったフォックスが。
 いずれの目にも獲物を追い立てる獣じみた輝きがあった。
 後退し続けるブレイドの背が壁にぶつかるのにそう大した時間はかからなかった。そもそもそんなに広い部屋じゃない。
 圧倒的不利を悟った彼女がすべきことは降伏か逃走だった。
 ほんの少しの逡巡の後、ブレイドは逃走を選んで踵を返し、セーフルームから飛び出した。
 謎の行動理念に従って迫る仲間たちより外を跋扈するシャドウのほうがよっぽどかわいかったし、彼女の戦法によって敵に大きく居場所を知られる危険性があることを全員が知っているため、シャドウとの接触を防ぐことを優先するだろうという打算もあった。
 果たして仲間たちはその思惑に乗った。真っ先にスカルとノワールが飛び出して後に続き、すぐに彼女をつかまえて宥めてやる――
「アンタたちのやり方じゃムリムリ。もっと優しく迫んないと」
 続けてパンサーが手をひらひらと振りながら。
「その言い方だとまるでパンサーが優しくしたことがあるみたいに聞こえるけど?」
「わたし今でもたまにあんときのこと夢に見るんだけど……」
 倣ってクイーンとナビが。通路に出た彼女たちはしばらくパンサーの『優しさ』の定義を熱く議論していた様子だが、それもすぐに耳に届かなくなった。
 残された二人の少年と猫は互いの顔を見合って、落胆したような、安堵したようなため息をつく。
 ただモナは部屋を出る際、小さく
「なあ……ホントに聞きたいんだけどよ、マジでされたいか? オマエらで言ったら延々やわ〜くくすぐられるようなもんだぞ、アレ」と問いかけた。
 ジョーカーは直ちに答える。
「別にされたくない。ブレイドの反応が面白いだけ」と。
 結局彼はいつも通りであった。重々しいため息がモナの猫口からもれた。
 さて、最後の一人は胸を張って、正々堂々と言い放った。
「俺はされたい」
 正直者であることは美徳であるが、しかし、モナは眉間のあたりにしわを寄せて渋い顔をしてみせる。正直は美徳だが、包み隠すべきこともある、と。
「言っとくが、そんないいもんじゃねーぞ」
「愛でられてなにが不満だ?」
「不満とかじゃなくてだなぁ……ちぇっ、オマエにはわかんねーよな、あの感覚は」
 人と猫のような謎の生き物の感覚の差を指して言うと、フォックスは何故か大きく頷いてみせた。
「確かに――俺とお前では様々なところが大きく違っているから、物理的に不可能なこともある。だが、概念として愛でられるという感覚にさほど違いはあるまい」
「そうかもしれんが。そうかもしれんが……そういうものじゃないと思うなぁ……まあ、もしもそういう日が来たら――」
 特大のため息とともに振り返って、猫は言った。
「ワガハイはお前をイケニエに差し出して我が身の安寧を図るぞ」
 どうせそんな日は来ない。と言外に含めて言われた言葉に、フォックスは肩を竦めて応えた。
 彼もまた言葉の外で訴えている。なにがあっても不思議じゃない認知の世界を今後もいくのであれば、その内我が身が猫に変じることもあるかもしれないじゃないか――