21:I thought so.

 はいこれ、と差し出されたUSBメモリに、喜多川は思い切り顔をしかめた。
「早いな」
「大したことない。シャドウもそんなに強くはないから。パレス自体も造りは単純だし」
「おい」
「本当に大丈夫だよ。なんてことないって。だからこそお宝の位置も掴めたんだよ」
「だから……」
「心配し過ぎ」
 これに関してし過ぎて悪いことはないだろう。言い返そうとして、しかし喜多川は口をつぐんだ。刺激は逆効果とも思えたのだ。
 しかしそれならば、なんと言えば彼女は立ち止まってくれるだろう。
 項垂れる喜多川に、はことさらに明るい声を出してみせた。
「それに、そっちが頑張ってパレスの攻略を完了させたんだ。私だってやり遂げなくてはね。そちらの決行は今日でしょう?」
「ん、ああ……」
 気のない返事には構わず、はそっと少年の腕に指先を触れさせた。
 もう屋外で過ごすには厳しい季節だ。制服の上にわざわざコートやジャケットを着用してまでして、二人はこの場に座している。
「怪我くらいはするだろうけど……でも、無茶はしないで」
 気遣わしげな言葉に、少年は彼女を不安にさせまいと笑みを浮かべた。
「心配ない、いつも通りにやるだけだ」
「うん……」
 これが終われば、少なくとも警察や公安からの監視は緩むだろう。根本的な解決にはまだ至らないが、少なくともこうしてこそこそする必要はなくなるのだ。
 そう思うと、少しは前向きになれる気もしてくる。少年は顔を上げて少女に向き直った。
「これが終わったら……」
「どこかに出かけようか」
 言葉の先読みをされて喜多川は苦笑する。彼女の聡明さはよく知っているが、このようなときにまで発揮してくれなくていいのに、と。
 それでもすぐに気を取り直す。目の前に道が開けていると知って、困難を前にしていても心は浮ついていた。
「どこがいいか、考えておいてくれ」
「分かった。そのためにも、頑張らないとね」
「お前は大人しくしていろよ」
「分かってる。大丈夫だって」
 満面の笑みと言い様に、しかし喜多川はわずかに眉をひそめた。
 彼の第六感とでも言うべき感覚が警鐘を鳴らしている。なんだか、嫌な予感がするぞ、と。
 となればここで彼女にくぎを差しておくべきか、やはり刺激しないほうがいいのか……
 迷う間に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「もう行かないと」
「ああ。また……明日か。お前にも招集がかかるはずだ。遅れるなよ?」
「もちろん。久しぶりにみんなと会えるんだから」
「そうだな」
 然りと頷いてみせると、少女はいかにも嬉しそうに、軽やかに踵を返した。
「しくじったりしないでね」
 それだけを言い置いて、は振り返りもせずに走り去った。
 見送る少年の目には何とも言い難い感情が湛えられている。微かな違和感がそうさせていた。
「……直感を信じるべきか、あいつを信じるべきかというところか」
 呟きに応じるように、何日か前の友人らとのやり取りが頭に浮かんだ。
 呆れたような声。負の信頼感。
 つまりはそういうことだった。


 時は少し遡る。
 この前夜、園から退出しようとする唐津壮一の手の中には一枚のポストカードが握られていた。
 それは愛車のワイパーブレードとフロントガラスの間に挟まれていたものだ。毒々しい黒と赤の彩色に、小さな文字が羅列されている。
 文章は以下のようなものだった。
『予告状-唐津壮一殿。あなたの罪状を以下に示す。一、児童虐待。二、児童手当の着服。三、各予算、寄付金の横領。四、津村浩輔少年の殺害及び死体遺棄。-罪を贖うべき時分はとうに過ぎ去った。よって司法の手に拠らず罰を受けるべきである。懺悔の支度をなさい。』

 言うまでもなくこの予告状の差出人はである。前日の帰りしなにこれを仕込み、いつも通りに就寝して学校へ通い、そして喜多川になにも告げずに済ませたのだ。
 もちろんこのようなふるまいには理由がある。
 一つはひっ迫した状況下に唐津パレスの攻略を提案して、戦力を分散させるような真似をすべきではないとの考えからだった。あちらに明智が同道する以上、普段通りの怪盗団を演出せねばならない。
 二つ目に、K……和光圭太の行方が掴めなくなってから三日が経とうとしていることが挙げられる。もしもどこかに監禁等されているのだとして、飲まず食わずのまま放置されているのだとしたらもはや一刻の猶予もない。
 そしてまたこのとき、は仲間たちの手を煩わせるわけにはいかなかった。
 その胸には強い自責の念がある。
 私がもっと早くから動いていれば、状況を甘く見すぎていなければ、もっと真剣に取り組むべきだった―――
 念は彼女を盲目にさせた。
 耳には明智の甘言が蘇る。それを打ち消すためのジョーカーの言葉も。
 あまり賢明とは言えない判断と行動だったが、彼女はそれに気がつくことは出来なかった。

 単身で踏み込むのはこれで四度目だ。一度目は明智を引きつけるため。二度目は探索域の拡大のため。三度目でやっとお宝の位置を把握し、ここに至っている。
 実際のところ、喜多川に語った内容に嘘はない。
 唐津がを大した存在とみなしていないからなのか、用心さえしていればシャドウの対処は容易だったし、城の構造は中世ヨーロッパ風の造りに忠実で予測が出来、ほとんど想像通りの構造だった。
 それは唐津がある意味で杓子定規という一面を持っていることを表しているのかもしれないとも思う。
 子供は大人の言うことを聞くべきだし、大人は子供が立派に成長できるよう養育する義務がある、と。その究極の形が現状なのだとは思いたくないが、そう思うと合点がいくこともある。
 しかしどんな理由があろうと、他者の意思一つで冒涜されるものなどあってはならない。
 子供の人権が強く訴えかけられるようになった現代において、唐津の思想は古臭いと言い捨てることができた。
「リップ・ヴァン・ウィンクルめ……」
 そびえ立つ巨大な門に続く狭い道を睨みつけながら忌々しげに吐き捨てる。
 『ブレイド』はほんとうに、一人きりでそこに立っていた。
 パレスの侵入地点周辺は相変わらずの曇天だが、覆い隠す殻を失った城の上には暗雲が立ち込めている。
 そこだけが夜のように暗く、崖下は完全に闇に包まれている。足を踏み外せばより危険な場所が待っていることは想像に難くない。
 予告状によって現れた唐津の警戒心によって警備は以前と比べ物にならないほど厳重になっている。真正面から挑むのは無謀だろう。
 そうなると、杓子定規はこの上なく厄介だ。
 そもそも城というものは砦であり、要塞だ。外敵の侵入を防ぐようにできている。それがこの断崖絶壁の世界にあって深い谷に囲まれているのだから、天然の要害と言うのに相応しい。
 堀代わりの断崖と城門をつなぐ跳ね橋こそ下ろされているが、そこから中庭へ続く道は細く狭い。
 お宝は内郭に構えられた主塔の最上階に安置されているから、中庭からさらに斜路を登り、主城門を潜って本丸へ至り、そこを突っ切って主塔へ……ということになる。
 問題はそれこそ数え切れないほどあった。まず、中庭から斜路へ至るには身を隠す場所がほとんど無いし、あったとして主城門前にはまた跳ね橋があり、これはスイッチを操作せねば下ろせない。また中庭には騎士や兵たちが集う兵舎や騎士館が建ち並び、シャドウたちは律儀にもここから湧き立って来るようだった。
 盾壁に囲まれた本丸には鍛冶場や工廠、礼拝堂や馬場といった施設が並ぶが、主塔へ続く道は開けていてやはり隠れる場所がない。
 警戒された状態で潜んで進むというのはなかなかの難題だった。
 主塔に辿り着いたとしてもまだ障害は残されている。この塔は入り口が二階にしか存在せず、一階に当たる階層には井戸があり、二階は居間、三階が城主のスペースで、四階が騎士の居室、更にその上に番兵の詰め所があって、最上段にお宝が安置されている、という塩梅である。
 これらすべてを警戒下でやり過ごして最上部へ向かうのはなかなかに骨が折れそうだ。
 しかし無策でここに来ている訳もなし。は鼻を鳴らして肩を回す―――
 要は、正面から行かなければいいだけのこと。
 幸いなことに城壁や盾壁に張り出しは側塔は少なく、こちらから見た主塔の背面には回廊も伸びていなかった。
 であれば、することは一つだ。内からではなく、外を伝って行けばいい。都合のいいことにハーケンもロープもそこらじゅうにぶら下がっている。
「体力勝負ね。得意分野だ、やってやる」
 呟いて、怪盗団の脳筋一派、その自席を争う少女は力強く乾いた地を踏みしめた。


……
 首尾よく新島冴のパレスを脱した一同はガラス張りになった駅の連絡通路から通りを慌ただしく走り抜ける警察車両を遠目に見下ろしていた。
「……大丈夫、だよね」
 不安げに震えた声を上げた高巻に、隣で同じく不安げな面持ちで俯く奥村がこたえる。
「あれだけ備えてきたんだもん。きっと大丈夫だよ」
 たおやかな手が伸びて、優しく高巻の背を撫でる。その温かさに胸の内のしこりが解けて消えていくのを感じて、高巻はとびっきりの笑顔を奥村に向けた。
「だよね! えへ……ちょっとバカなこと言っちゃった」
「ちょっとなの?」
 近くの自販機で購入した缶コーヒーで指先を暖めつつの新島が揶揄する声を飛ばした。膨らませた高巻の頬にはすかさず奥村の指先が当てられる。
「お、速報来てんぜ」
 少女たちのやりとりを横目に、手元でじっとスマートフォンを弄っていた坂本がどことなくはしゃいだ声を上げた。同じく地べたにあぐらをかいてラップトップを広げた佐倉が、歓声でもって後を引き継ぐ。
「おーおー、TwitterもRedditも4chもmastodonも5chもどこもかしこもお祭り騒ぎだ。燃料投下してやるぞ、喜べぇ愚民ども、うひひっ」
「フタバ……なにするつもりだオマエは」
「出てくとき護送車撮っといた! そーれ、ふぁいあいんざほーる!」
 極めて楽しそうにエンターキーを叩いた少女に、モルガナはこれ見よがしにため息をつく。
「あ、公安のほうもニュースになってんじゃん」
「こっちにインパクトで負けてる感否めねーけどな」
「でも、冷静な人は確かに注目してくれているよ」
「これで少しでもお姉ちゃんが動きやすくなってくれているといいんだけど」
「大丈夫。真のねーちゃんにも連絡はいってるけど、金絡みの話だし、ちゃんとパーティに参加してくれるってさ」
「うむ。後はアイツに任せようぜ。今ごろヒデー目に遭ってんだろうけど、まっ、日ごろの行いってやつだな」
 長い尾を一振り、一同に撤退を促すモルガナは、しかしここまで一言も発さずにむつかしい顔をして通りの明かりを睨みつける少年に目を止めた。
「ユースケ、大人しいな。どうした、今度は雨じゃなくて槍でも降らせるつもりか?」
「どうせ降るなら雪がいいなー」
「まだ早くね?」
「祐介ならやりかねないんじゃん?」
「あー、わかる」
 好き勝手に言い合う高巻と坂本に、喜多川は振り返って長い呼気を吐いた。ため息というよりはあれこれと巡らせていた思惑をすべて押し出してしまおうとするかのようだ。
「なにか心配事?」
 気遣わしげな奥村の声と笑顔に、彼はほんの少しだけ困ったような顔を見せて言い淀んだ。
 視界に落ちた前髪を払うその小さな動作の間に、彼の足元でラップトップを叩いていた佐倉が「あ」と驚嘆の声を上げた。
「あっあー、わたし、おイナリが言いたいこと分かった」
「ん? なに?」
 コーヒーのプルトップをやっと開ける気になって指をかけた新島が首を傾げる。
「ショー・ダウンには早かったようだ」
 つい今しがたまで潜っていたパレスの様子とかけて喜多川がこたえると、佐倉は然りと首を縦に振り、よっと掛け声とともにラップトップを開いたまま立ち上がった。
「あん? なによ、どしたん」
 それを見て坂本もまた腰を上げる。その視線の先では喜多川が眉間を親指と人差し指でつまんだ格好で呻いていた。
「今は二回目のベッティング・インターバル―――、家にいねーぞ」
「はあ? なに? どゆこと?」
 理解の遅れた高巻のそばを奥村が駆け抜けた。
「タクシーでいいよね? 止めてくる!」
 振り返りつつ叫んだ少女を見送って、一同は顔を見合わせる。
「おい、まさか……」
「オシオキ確定ってか……」
「今日くらいは大人しく……いや、今日だから動いたのか……」
って本当に、トラブルメーカーよね……」
 理解に至って頭を抱える三人と一匹を他所に、佐倉は喜多川に向かって問いかけた。
「どうするもこうするもないだろうけど、一応聞いてやる。どうする?」
 少年は、顔を上げて低い声でこたえた。
「オールインだ」
 見下ろせばすぐそばの車道でちょうどタクシーを捕まえることに成功した奥村がこちらに向かって手を振っているのが見える。
 少年たちは駆け足気味に彼女の元へ歩き出した。


 他方で、友人たちの心配と怒りによってか、ブレイドは小さくくしゃみをする。
「っくしゅ! は、は……っ、うー……」
 続けざまに大きなものが出そうになるのを手でもって抑え込む。ここまで来て巡回や見張りに見つかることだけは避けたかった。
 額には汗が浮かび、衣装もあちこちが砂埃にまみれていたが、少なくともその身に傷らしい傷は見当たらない。
 主塔の外壁に取り付きつつ上を見上げる。最上部はわずかに出っ張っていて、より濃い影を彼女の頭上に落とし、足元ではサロメの見えざる手が組み合った石材の隙間に突き立てられたハーケンを引き抜いて、次の足場を選んでいる。
「あー……高いところが苦手になりそう」
 ぼやいてまた少し高度を上げる。あまり時間をかけたくはなかったが、この高さに至って転落はしたくない。それこそ本当に、高いところが苦手になりそうだった。
 そのようにして、三十分ほどの時間をかけて最上部にたどり着く。覗き込んだ内部が無人であることを確認して、ブレイドはよっとかけ声一つ、お宝の前に身を滑り込ませた。
「はあ、はあ……ああ、明日は筋肉痛かな……双葉のこと言えないや……」
 汗を拭ってお宝に目を向けると、展示台の上は五十センチほどの長さの杖が浮かんでいた。
 おそらくはレガリアの類だろう。金の持ち手の先端に、繊細な透かし彫りの彫金がこれ見よがしに大きなダイヤを抱えている。
 しかしブレイドにはその美しさを堪能するつもりもないのか、無遠慮に手を伸ばして掴み上げると直ちに剣を吊り下げるベルトに差し込んだ。
「よし……」
 呟いて、開口部から塔の下へ目線を投げる。先ほどまで慌ただしく走り回っていた警備の兵たちの姿が減っているところを見ると、あちらも上手くやってくれたらしいと察せられる。
 ―――きっと今ごろ外では怪盗団の首魁が逮捕されたというニュースで大盛り上がりだろう。そして唐津もこれを目にしているはず。
 己に予告状を突き付けたはずの怪盗が捕らえられたと聞いて、唐津はどう思うだろう。その答えが眼下の光景だ。彼はすっかり油断して、警戒を緩めている。
 とはいえ、あまり気を緩められても困る。せっかく手に入れたお宝がもやに戻ってしまうかもしれない。迅速に撤退しなければ……
 疲労した身体に鞭打って、少女は用意しておいたロープを床に下ろす。帰りはこれで一気に下ってしまえばいいだけだ。
「よっ……と、皆に謝らないと。利用してごめん、って……」
 そうとも、ブレイドはこのために怪盗団の一連のトリックを利用している。彼らの勝利がなければ、この企てが成功することもなかったのだ。
 でもきっと、彼らはブレイドが無茶をしたことは咎めても、利用云々に関してはこう言うに違いない。
「気にしてないよ」と……
 ブレイドは素早く剣の柄に手をやって振り返った。
 想像の中の仲間の声ではなく、己の耳を確かに叩いた聞き覚えのある声―――
 得物を抜き放つ直前、発砲音が鳴り響いて衝撃がその身体を揺さぶった。
「あぐっ!」
 左の肩口を貫通した銃弾に引きずられるように壁に叩きつけられる。遅れて訪れた痛みはまるで熱せられた鉄杭を打ち込まれたかのようだ。
 衝撃と痛みによるショックは身体のみならず喉にまで至って声を震わせた。
「なぜ……っ、あ、あなたが……」
「人に頼まれたからさ」
 にこやかにこたえて進み出る。影から歩み出たのは、硝煙立ち上る拳銃を構えたままの―――
「明智吾郎……!」
「やあ、久しぶり。元気そうだね」
 肩を押さえてじりっと後退れば、その分彼は前に出る。やがてブレイドの背中は壁について後がないことを教えた。
「ごめんね、ちょっとしくじっちゃった。一発で心臓を撃ち抜くつもりだったんだよ。本当さ。君が思いのほかいい反応をするからずれちゃった」
「嘘でしょ」
 応えて視線を巡らせる。打開策を見つけようとするその眉間には銃口が突きつけられた。
「まあね。でも、そうしてたほうがよかったな。だってそうだろ、一日に二人も同じ所を撃つなんて、芸がないじゃないか。彼のほうは場所を変えるわけにもいかないし、どうしようかな」
 ゆらゆらと揺れる銃口に対し少年の目はブレイドのいかなる行動も見過ごすまいと輝いている。
 指一本でも動かせば、彼はなんの躊躇もなく少女の頭か心臓か、あるいは喉を撃ち抜くだろう。
「なんで……」
「ん? ああ……別に僕は君に恨みなんてないよ。でも、言ってなかったかな。唐津と僕にはちょっとした繋がりがあってね、ふっ、唐津のやつ、予告状を見て大慌てでそれを頼ったってわけだ」
 柔らかな笑みを湛えたかんばせは少女のように愛くるしいつくりをしているというのに、瞳には狂気じみた剣呑さがある。
 そして彼は穏やかな声で告げる。
「いつも通りにね」
 ブレイドは息を呑んで目を見開いて、想像や推測が確信に置き換わる瞬間を体験する。
「施設関係者の不自然な失脚や、自殺は、やっぱり……」
「ハ! やっぱり? やっぱりだって?」
 明智はこの上なく愉快そうに口角を釣り上げ、銃口を少女の額に強く押し当てた。
「それはこちらの台詞だよ。やっぱりなんて言うってことは、君ははじめから僕の正体に気がついていたってことだろ」
 穴でも開けようというのか、ますます強く押し付けられ、拗じられた額がわずかに血を滲ませはじめる。ブレイドは歯を噛んで苦悶を堪え、言葉の続きを待った。
「つまり、君が怪盗団の目だったってわけだ。やっと見つけたよ。なにしろ君たちのリーダーときたら女の趣味が幅広くって、なかなか一つに絞りきれなくってね」
「探す? なぜ?」
「そりゃ、君のせいで怪盗団への監視はどうもバレバレだったみたいだし……大事なときに尾行を撒かれて、公安の連中は顔を真っ赤にして君を探し回ってる」
「ふっ、変なの……私みたいなのを見つけようと、躍起になってるって……?」
「実際大したものだ。誇っていい。僕にとっては一石二鳥になるんだからね」
「なにが……一石二鳥なの」
 明智は腕を伸ばして少女の顎を掴み、剛力でもって顔を上げさせると銃口を眉間に固定した。
「君を殺すことがさ」
 大して広くもない主塔の最上部は水を打ったように静まり返った。
 明智は少女の言葉を待っているふうである。なにかを期待して待ちわびているとその瞳が語っていたが、やがて彼女が何も言わないでいるのに焦れたように掴んだ顎を揺さぶった。
「許しを乞えよ。そしたら、少しは気も変わるかもしれないだろ」
「はな―――して―――」
 切れ切れにそれだけ訴えると、少年はつまらなさそうに彼女を窓際の壁に叩きつけた。
 身体を強打した少女はしばらくゲホゲホと咳き込んでいたが、落ち着いてくると相変わらず向けられたままの銃を睨みつけながら彼の期待に背いてみせた。
「私ときみは、この点においてよく、似ていると思う」
「あ?」
「忘れちゃった? こういう、シチュエーションに陥ったら……きっときみもこう言うはず。『お前みたいなのに跪いて頭を垂れるくらいなら、死んだほうがマシ』……」
 してやったりと言わんばかりに口元が歪んだ。
「当たってるでしょ」
 少年は、心底つまらないと言わんばかりにしかめっ面をしてこたえた。
「ほんっとに可愛げも面白味もねぇ女だな。せっかく忙しい中わざわざ駆けつけたってのに」
 苛立たしげにかかとが鳴らされる。そのほんのわずかな振動に小さく銃口が逸れるのを感じて、少女はほとんど反射的に手を振り上げた。
 視界の隅でそれを捉えた明智の指が引き金を引く。吐き出された弾丸はしかし、スライダー部分を叩いた手によって少女のこめかみを掠って壁に撃ち込まれた。
 寸暇を与えず少女の右手が拳を作って振り上げられる。明智の額に青筋が浮かんだ。
「だからァ! そこをわざわざ狙いにくるなッてンだよ!!」
 膝をやって拳を受け、これ以上同じ所を狙われてはたまらぬと少女の肢体を蹴手繰り落とす。
「お前にゃわッかんないだろうけどな! 死ぬほど痛ぇんだよそこは!」
 利き腕を強かに踏みつけられながら、少女は中指を立てた。
「だから狙ってんじゃん……」
「本当に下品だなお前らときたら!」
 言葉に少女は喉を鳴らして少年を見上げた。彼の言う通り、その口元には下卑た笑みが浮かんでいる。
「そういうの、好きでしょ」
「冗談は仲良しこよしの連中とだけでやれよ」
「楽しんでたくせに」
 明智は目を眇めて口をへの字に曲げた。
 図星だった。彼女の言うことはほとんど真実だ。
「……認めるよ。確かに彼らと、君とお喋りするのは楽しかった。でも……」
 ただ、彼にとってその事実は今手を止める理由にも、この後手を止める理由にもならなかった。
「それがどうした」
 明智の手が、拳銃にではなく仮面にかかる。蒼い炎が足元から湧き上がり、それに伴って彼の半身が立ち上がる。
 それは倒れ伏した少女の細い首を掴み、ぶらんと中空に吊り上げた。
「お喋りはおしまい! それじゃあお望み通りに……あ、待った待った」
 忘れていた、と明智の手が首を吊られて暴れる少女の脚を避け、その腰に差された杖を引っこ抜く。
「これは返してもらうよ。じゃあ、改めて」
 パチン! と指が鳴らされる。
「バイバイ、まあまあ楽しかった。これは本当だよ!」
 せき止められていた血流と酸素が一気に行き来することに目眩を覚えつつ、少女は己の目に映るものをよく吟味した。少年の顔に浮かべられた満面の笑み、石造りの天井に張られた木製の梁、開口部の向こうに広がる暗雲、そして大きく口を開いた深淵。
 ―――こいつ、塔の外に人のこと放り投げやがった!!
 怒りと共に叫び出しそうになるのをこらえ、少女は明智に指を突き付けた。
「次は―――絶対に―――」
「あるわけないだろ、次なんて」
 言い切って、少年は宝杖を一振り、展示台の上に放り投げて戻すと踵を返して背を向けた。

 浮遊感に次いで強い風が少女の全身を叩く。左肩に空けられた穴から滴る血が落下の軌跡を教えるように赤い線を引いているのが見えた。
 主塔の高さはおおよそ30m。奈落の底までの距離は分からないが、仮に100mとする。重力加速度を9.8として、彼女の質量をmとしたとき、落下速度はおおよそ80から130km/h。つまり地面までは一秒半、奈落の底までなら五秒程度となる。
 地上に叩きつけられるかさらに奈落の底に落ちるかは判然としないが、いずれにせよこの状況を打開するのは難題と言える。
 ただ、彼女はやらねばならなかった。
 逆さまに映るパレスの風景の中、真っ赤なシルエットがこちらに向かって手を伸ばしている姿を捉えたのだ。
 歩廊の上、パンサーがスカルとクイーンに羽交い絞めにされている。おそらく塔から放り投げられたブレイドの姿を見つけて飛び出そうとした彼女を二人が慌てて取り押さえたのだろう。
 よりにもよって彼女に見られるなんて、と考えるだけの時間はあった。
 ブレイドは彼女のことをよく知っている。彼女がどうしてという少女を助けようと奔走したのか、その根底、心の奥底に刻みつけられた大きな傷のことを。
 彼女の親友は彼女の見ている前で校舎の屋上から飛び降りたのだと聞いている。結果的に一命は取り留めたが、二人は別離を選択させられた。なんてことないと彼女は笑っていたが、それが虚勢であることなんて、誰が見たって明らかだった。
 どうしてここにいることがバレたのかは分からないし、彼女にとって己がどの程度の存在かも分からない。
 けれど―――
 あの子に同じ経験を何度もさせるわけにはいかない。他でもない自分自身があの子を傷つけるような真似をすることは、この意思が及ぶ限り決して許されなかった。
 大きく息を吸って全身に酸素を供給し、痛みを振り切って剣を抜き放つ。渾身の力でもって分厚い鉄の塊を塔の外壁に突き立てると硬質的な不快音が辺りに響き渡った。
 強い衝撃が腕を伝って肩に至り、激痛をもたらす。痛いとか、痛くないとか、そういう範疇のものではなかった。彼女をして初めて感じる類の痛みであった。しかし歯を食いしばってこれをこらえ、駄目打ちと少女は仮面を掴み、乱暴に引き剥がして放り投げる。
 現れた半身はものも言わずに手にした剣を同じく外壁に突き立てる。また硬質的な音が響いて、それで少女の身体は停止した。
「はあっ、はっ、は……はは……はぁ……」
 放り投げた仮面が奈落に落下していくのを見送って、乱れた呼気の合間に乾いた笑いを漏らす。深く狭い、切り立った渓間から響く唸るような風音は、まるで獲物を逃して残念がっているように聞こえた。
 友人たちの見えたほうへ視線を巡らせると、へたり込んだパンサーを支えるクイーンとこちらに向かって親指を立てているスカルの姿があった。よくよく目を凝らせば、そのすぐそばでノワールとナビにしがみつかれ、顔面にモナを張り付けたフォックスが二人と一匹を引き剥がそうともがいているではないか。
 声の届く距離ではないが、彼らのやりとりが耳に聞こえるようだった。
 そして、立ち上がったパンサーが彼女に指を突き付ける。続けて鞭を構え、ぴしゃりとすぐそばの柱を強かに打ち付けた―――
(ヤバい)
 冷や汗を垂らした少女に、しかし他の仲間たちは処置なしと首を振っている。
「こんなことならいっそのこと落ちてたほうがよかったかな……」
 冗談を口にできる程度の余裕は取り戻していた。腰元に備えていたハーケンをサロメの手で外壁に突き立て、足場を確保してから頭上に目を向けるが、明智が彼女の生存と仲間たちの存在に気が付いた様子はない。
 どうやら本当に忙しい中駆け付けてくれたらしい。きっとこれからもう一人のほうの処分に取り掛かるのだろう。
 そちらは心配には及ばない。やれるだけのことはもうやり尽くしている。彼女が心配すべきは、ここからどうやって仲間たちと合流するかということだった。
 視線をまた向けると、やっと拘束を振り払ったらしいフォックスが歩廊の屋根に登ってこちらへ向かって来ているのが見える。できれば救出役は彼ではなくスカルにお願いしたかったが―――
 ここに至って注文など付けられようか。救助と同時に与えられるお説教のことを思って、ブレイドは小さくため息をついた。
 屋根を渡り、胸壁に飛び移って距離が詰められるとやっと声が届くようになる。
「ブレイド! お前というやつは……!」
「あーあー、聞こえない!」
「聞け馬鹿者! 今日という今日はお前に懲りるということを教えてやる!」
 怒り心頭と大股で駆け寄る少年に、ブレイドは大仰に首を左右に振ってみせる。
「だいたい、なんでバレたんだ!」
「お前のやりそうなことなどお見通しだ! この阿呆が!」
「お宝を手に入れるところまでは問題なかった! 彼が出てきさえしなければ―――」
「言い訳は後で聞いてやろう!」
 塔に隣接する胸壁の端まで辿り着いてフォックスは立ち止まる。それでも二者間の距離はまだ高さにして五、六メートルほど空いていた。
「そらみたことか」
「なにが」
「やはり大丈夫ではなかっただろう」
「うぐ……」
「はあ……飛び降りろ。掴まえてやる」
「待って……ふう、よし、行けるよ」
「しくじるなよ」
「そっちこそ……」
 憎まれ口を叩き合って、彼に向かって飛び降りる。
 果たして、少年はなんの問題もなく彼女の身体を掴み、少しだけバランスを崩して床に転がった。
「ううう……」
「……ブレイド……」
「なに……お説教は、少し待って……ああ、もう、いたた……」
「太ったな」
「殴られたいの」
「こっちの台詞だ」
 掛け声とともに上体を起こし、隣に転がる少女の頭をごく軽く叩いてやる。
「今はやめて……穴が空いているんだよ……」
 うう、と呻いて仰向けに横たわったその肩口は確かに血で染まっている。ぎょっとして眉を寄せるフォックスに、ブレイドは傷口を押さえて起き上がりつつその名を告げた。
「私がエスだって明智吾郎にバレた」
「それでか」
「そう。まさかこっちにまで来るとは……万が一があってもジョーカーにかかり切りになると思っていたのに」
「読みが甘かったな。あるいはそれだけお前の存在が厄介だったか……ほら、傷を見せてみろ」
「あーっ! 痛い痛い!」
 力強く肩を掴まれて悲鳴を上げる。仰け反った視界の端に駆け寄らんとする仲間たちの姿が見えた。
 一人足りないことを寂しくは思うがいずれも久しい顔ぶれだ。説教が待っていると分かっていても自然と口元が緩む。
「立てるか」
「ん」
 傷がないほうの腕が取られ、引きずられるようにして立ち上がる。それだけでも痛みは伴うが今は安堵のほうが強かった。
 ただ、ブレイドとしては先頭を走るパンサーの手元が気になって仕方がない。彼女の手にはしっかりと鞭が把持されている―――
「彼女のほうが、俺より『キてる』ぞ」
「見れば分かるよ……」
 ぐったりとしながら応えて項垂れる。足元に落ちた影が光量の関係で薄くぼんやりとしているのを観察しながら、ブレイドはなんと言い訳したものかと思案する。
 子供の命が掛かっていることなのだから容赦してくれないかな……
「ブレイド! フォックス!」
 呼びかける声に顔を上げる。
 どういうわけか相対する仲間たちの目線は二人にではなく、その背後、中空を睨みつけていた。
「伏せなさい!」
 クイーンの号令に、わけも分からぬうちにフォックスが動いた。ブレイドの身体を隠すように己の下へ抱え込んで身を屈ませる。大きな動作に傷が痛むのだろう、短い悲鳴を上げた少女の視界、フォックスの肩越しに彼女は警告の理由を見た。
 それは巨大な獅子のような生き物だった。背中に一揃いの翼を備え、前身は獅子、後身は蛇に足をつけたような姿をしている。雄々しく広げられた鬣の中心では見覚えのある顔が少年たちを睥睨していた。
「か……唐津……」
「なにっ!?」
 振り仰いだフォックスもまた異形の姿を確認したのだろう。巨体が落とす影に顔をしかめて得物に手を伸ばした。
 巨大な翼は羽ばたく度に強い風を巻き起こす。モナやナビなどはそれだけで吹き飛ばされそうになって、スカルにしがみつくことで辛うじて堪えている。
「バカでっけぇなオイ!」
「や、でも、わたしのお母さんほどじゃない―――うわっぷ!」
 趣味の悪い冗談の報いか、どこからか吹き飛んできた、装飾用の旛の切れ端と思われる布切れがナビの顔面に貼りついて彼女を黙らせる。
 じっと少年たちの様子を観察していた唐津が鼻を鳴らしてやっと口を開く。瞳には失望と多大な怒りが宿っていた。
「所詮子供のすることか……」
 声には蔑みの色もある。
「杜撰な仕事をしおって。小虫一匹片付けられないどころか増殖しているではないか」
 ひと際大きな羽ばたきでもって、獅子の身体がぐんと上体をもたげた。大木の幹のように太い腕が振り上げられる。
「もうよい。私が直々に処分しよう。一人も二人も、それ以上も大して変わらぬ―――」
 呪いのように吐き出された言葉にブレイドは目を見開いた。
 一人も二人も……誰のことを指しているのかなどと考えるまでもない。
 少女は怒りに任せて腕を伸ばし、今まさに己を叩きつぶそうとする男の影に向かって吠え猛る。
「やっぱり、あなたが! あの子たちを―――」
 殺したのか、と言わんとする声は振り下ろされる剛腕から逃れようと彼女を抱えたまま跳び退ったフォックスと、轟音によって遮られる。
 獅子の前足は組み上げられた石材の床や壁をものの見事に粉砕した。
 粉塵が舞い上がり、叩き割られた石材の破片が飛び散る。
「む……」
 視界を塞ぐ砂煙を翼の一薙ぎで吹き飛ばしたシャドウの前には、しかし人一人の姿も見当たらなかった。
 どうやら一撃の隙に逃げ果せたらしいと見て、獅子は咆哮を上げる。
 すると呼応するようにその足元に落ちた影から無数の泡がたち、鎧をまとった騎士の姿をとって立ち上がる。
「城門を封鎖し、跳ね橋を落とせ! 梯子を燃やし、徹底的に退路を潰すのだ! 生かして帰すな!」
 胴間声に騎士たちは構えた盾を拳で叩いて応じ、直ちに四方へ散っていった。
 唐津本人もしばらくその場で動くものの姿を探っていたが、やがて長い蛇の尾で地を叩いて舞い上がり、何処かへ飛び去って行った。
 後には静寂だけが取り残される。時折、崩壊した歩廊から小石が転がり落ちる小さな音が響き、その下で彼らは声を潜めて囁きあった。
「い……行ったみたいだぜ……」
 モナの言葉に、パンサーとナビ、クイーンとスカル、そしてへたり込んだノワールが手にしていた三十七ミリ回転弾倉式グレネードランチャーを床に取り落とした。
「あ、あ、危なかったぁ……」
 腕が振り落とされた瞬間、ノワールは自らと仲間の中間の足元に向かって最大装填数である五発を連続して叩き込んだ。それは歩廊の床を砕き、煙を上げて一同を下の通路に落とし、その上に唐津が砕いた壁や床の瓦礫が降り注いだ。
 ダメージはあるが、急場は凌いだと言っていいだろう。
「っだぁ……ちくしょう、服ン中、すっげー砂入った……」
「私も……うう、ここ来るまでで髪も口の中もじゃりじゃりになるし、もお最悪っ」
「ごっ、ごめんなさい、私、咄嗟で……他に逃げる方法が思いつかなくって……」
「いいのよ。助かったわ、ノワール」
「んむ、良くやったぞ」
 師匠たるモナのお褒めの言葉に、ノワールは照れくさそうに頬をかいた。
「あ゛ー……ていうか、ヤバいぞ。あいつ、あちこち封鎖どころか断裂させるつもりだぞ」
「そうなる前にお宝を頂戴して、撤退するしかないわね。今なら小者は封鎖に動いているでしょうし、急ぎましょう」
「あっ! それが済んだらオシオキだかんね、ブレイド!」
「その前にまず回復してやれよ……ってか、あれ?」
 鞭を振り回すパンサーから一歩距離を置いて、スカルは周囲を見回した。
 窓のほとんどない通路は薄暗く、瓦礫に埋もれた影響もあって埃っぽい。視界の悪さによって見えないでいるのかと思ったが、それにしては無口が過ぎる。
「あいつらどこ行った?」
 指摘に、少女たちと猫は間の抜けた声を上げて辺りを見渡した。
 どこにもブレイドとフォックスの姿がない。
「まさか瓦礫の下敷きに……!?」
 慌てて砕けた石塊に取り付くパンサーにモナが待ったをかける。
「い、いやっ、それなら悲鳴くらい聞こえたはずだ」
「そうね。それに最後に見たとき、少なくとも二人はシャドウの攻撃を回避していたから―――」
 記憶を探るクイーンの目が、少年が取った回避運動の軌跡を辿るように動く。
 それはやがて、自分たちが身を寄せ合う壁の対面、崩壊しきって暗雲を覗かせる崖側に辿り着く。
 同じく記憶のトレースが完了したらしいナビが言う。
「ふっ飛ばされて落ちてないかあいつら」
「……そう、ね……」
 ぎょっとして、しかし大声を上げるわけにもいかずに少年たちは顔を見合わせた。
 その内でノワールが顔を真っ青にして震えている。
「ど、ど、どうしましょう。私のせいで……!?」
「それはねぇっすセンパイ。あいつらんとこまでは爆発も届いてなかったはずだぜ」
 直ちに否定に入るスカルにパンサーが追随する。
「そうそう。あの辺はシャドウの攻撃で床が壊されて……」
「で、フォックスが跳んで避けて壁際に行って」
「衝撃でまとめてふっ飛ばされて……」
 結論を得て、パンサーとスカルは風の吹き上がる奈落を覗き込んだ。
「あ―――」
 何かに気がついたパンサーが身軽に瓦礫の端へ足を乗せ、身を乗り出して腕を伸ばす。翻って皆の前に戻った彼女の手には、フォックスの尾―――の、ようなものがぶら下げられていた。
 沈黙が横たわる。
 一同は『の、ようなもの』を見、お互いの顔を見渡し合って、揃って崖下に目を落とした。
「バカじゃないの? っていうか……バカじゃないのォ!?」
「ミイラ取りがミイラになってんじゃねーよドあほ!」
 ばっと身を乗り出した二人をクイーンとノワールが取り付いて引き戻す。そばには頭を抱えるモナとナビの姿があった。
「こういう時にこそ彼にいて欲しいんだけど……」
 ため息とともにクイーンが漏らしたが、顔を上げたモナがこれを即座に否定する。
「いてもなぁ。どうせアイツのことだから腹抱えて笑うだけだろ」
「さすがに心配くらいはするよね……?」
 ノワールが不安げに指摘するが、猫は静かに首を左右に振るだけだった。