13:Hey, who turned out the Lights?

「いいかげんにしろ!!」
 怒号がルブランの屋根裏に響いて、部屋全体を揺さぶった―――と言えば大げさだが、実際に言ったほうはそれくらいの怒りを湛えて吠えている。
 パレスの攻略も完了して結果待ち、依頼もターゲットもない空白の期間。しかしなんともなし、誰にともなく怪盗団のアジトに集合した若者たちは、このボロ部屋で各々好き勝手なことを好きなようにして自由に時間を潰していたところだった。
 そんな中で大きな声が響いたものだから、誰もがびっくりして騒ぎの中心を眺めている―――
 そこには一匹の猫と、その前に正座させられている少女の姿があった。
 猫が言う。
「ワガハイ前も言ったよな? 言ったよなっ!? 触ってもいいけど触り過ぎんなって言ったよなァ!?」
 正座した膝の上で拳を握り、項垂れた少女がこたえる。
「あの、それは、ハイ。聞いております。はい。あの、すみません」
「別に構わねーよ? 触るのはよ! でも限度ってもんがあんだろーがっ! 触っていいとこと悪いとこがあんだろッ!?」
「はい。本当にそれは、はい。反省しております。はい、ええ」
「反省したなら行動に反映させろよッ!! なんでまたワガハイの尻を揉むんだよっ!!」
「猫のお尻って気持ちよくて……」
「セクハラだよッ!!」
「はい、すいません」
 しゅーんとうなだれる少女と毛を逆立てた猫のやり取りに、若者たちはまたかと息をついた。
 少女が無類の動物好きであることは周知の事実だ。猫のほうだって彼女が悪意をもってやっている訳ではないからと一定以内は受け入れているのだが……興が乗るとほぼ間違いなくやり過ぎる。彼女自身も感情のコントロールが効かないと理解してほどほどに済ませようとしてはいるらしいのだが、今のところ試みは八割がた失敗していた。
はアレだな」
 ひょい、と後ろからモルガナを抱き上げた佐倉が言う。その場にあぐらをかき、膝の上に置いて喉を優しくさすってやれば、猫はすぐに大人しくなった。
「構い過ぎて動物にストレス与えるタイプ」
「あー……うー……」
 心当たりがあるのだろう。正座を崩して床に手を付けたその背中は煤けていた。
 その背中に揶揄するような声を飛ばしたのは漫画雑誌から顔を覗かせた坂本だ。
「ハムスターとかは飼わない方がいーかもな」
 ぴくり、との体が震える。屋根裏に集っていた全員が察した。あ、こいつ既にやらかしたことがあるな、と。
「……昔……ほんとうに子供のころ……」
「待って、それ怖い話じゃないよね?」
 制止を呼び掛けたのは参考書に向かっていた新島である。は振り返りもせずに首を左右に振った。
「違う。触り過ぎてストレスでハゲさせて……かわいそうだからと、親戚の家に引き取られて行った……」
 ああ……とため息のような納得したような音が誰にともなくもれる。窓際の作業机でずっとクロスワードパズルに励んでいた少年が調子外れにドナドナを口ずさんだ。
 それに反応したわけではないだろうが、過日の小動物と過ごした日々をまざまざと胸に返したのだろう。は猫のようにぐんにゃりと萎れて、床に倒れてしまう。
、スカート、見えそう」
 高巻の声に窓際の少年が立ち上がる―――が、振り返った途端、彼の顔面には読み終わったらしい雑誌が叩きつけられていた。
 同時に、呻いて転がるのそばに影が落ちる。沈黙を保っていた奥村が彼女のそばにしゃがみ込んで、両手を広げていたのだ。
「人間も広い意味では動物だとおもうの!」
 奥村は、なぜか自信満々に言い切った。さあ! とを促しもした。
 それが彼女なりの場を和ませるための冗談であろうとはわかっていたが、それでも、はその豊かな胸に顔を埋めてしがみついた。同性の特権である。
「きゃっ! うふふっ、甘えん坊さんね」
 よしよし、とたおやかな手が後頭部を優しく撫でる。はうっとりとして喉を鳴らし、ますます奥村にしな垂れかかった。
 甘やかな香りが鼻孔をくすぐる。頭や背中を叩くリズムは心音と重なり、触れ合った肌の柔らかさや暖かさが安心感を産んで、の身も心もとろかすようだ。
「いい匂いがする……」
もするよ。あまーい香り……くんくん……」
 鳴らされた鼻が首筋をかすかに撫でる。そのこそばゆさに、はたまらず声を上げた。
「あ……春、くすぐったいよ、やめて……」
「ふふっ、もっと他に言うことがあるでしょう? ほら……」
「ひゃっ」
 奥村の指がの背骨を辿るように撫で下ろしていく。頚椎から胸椎、そして腰椎まで……年頃の女の子としてはややボリューム不足と言わざるを得ない臀部の膨らみにまで至る。柔らかな指先は尾てい骨の出っ張りを執拗に弄んだ。
 それから逃れようと身を捩りこそすれども、抵抗は弱々しい。指はまた、来た道を引き返すように登り、後頭部を撫でていた手と合流して肩甲骨を擦る―――
 ため息と嬌声の中間のような声がの細いのどから上がった。
「どう? ねえ、……」
「ああぁ……そんな……お、おねえ……」
 さま、と言おうとした少女の襟首を引っ掴んで持ち上げた者がいる。
「あらっ?」
「程々にしてくれ。がおかしな方向に目覚めそうになっている」
 大上段から奥村を見下ろすことにほんの少しの申し訳なさをにじませているのは喜多川であった。左手にはスケッチブックが、またの襟首を掴む手には鉛筆が握られたままになっている。
「まあ、ごめんなさい、失敗しちゃってたのね。モナちゃんと同じことをされたら気持ちがわかるかと思ったのだけど……」
 ほとんどぶら下げられるかっこうになっているを見上げつつ、奥村はしゅんとして肩を落とした。
 それでやっと、他の者たちは呼吸を取り戻す。二人の少女が床の上で絡み合う図というのはなかなか刺激が強過ぎる絵面であった。奥村の意図はさておき、彼女の手の動きは完全に……
 窓際の少年は今見た光景を忘れようと懸命に頭を振った。嫌いではないが、今はまずい、と。その視線の先には胡乱な目つきで沈黙を保つ男子二名を見る高巻の姿がある。
 奇妙な緊張感の中、最も近い距離で少女たちのじゃれ合いを目撃していた佐倉が呆然としながら言う。
「ここに塔を建てよう……」
「なんのだよ」
 膝の上の猫の言葉に、佐倉はただかすかに首を左右に振るばかりだった。
 さて、襟首を掴み上げられてつま先立ちになったままのもやっと我を取り戻して手足をばたつかせる。まるでひっくり返されたアルマジロのようだった。
「あの、祐介、下ろしてー……」
 応じて掴んでいた手が開かれると浮いていたかかとが床につく。はほっと息をついて胸を撫で下ろし、また床に膝をついてモルガナの額を一撫でした。辛うじてそこで手を止められたのが彼女の反省の表れだろう。
「こりないなぁ」
「うう」
「なにか代替品に置き換えることはできない? ぬいぐるみとか……」
 すっかり集中力が途切れてしまったらしい新島が伸びをしながら言うのに、の目が作業机の上に飾られた人形に向く。持ち主は慌ててジャックフロスト人形を取り上げると、シャツの裾をめくってその中に人形を保護してやった。
「これはダメ」
 歪な形に出っ張る腹を押さえながら訴える姿は滑稽だが、必死さは伝わってくる。新島はため息をついて立ち上がり、モルガナに歩み寄って「ちょっとごめんね」とことわりを入れてからその尻に手を添えた。
「ンぎゃ」
「う〜ん……この感触に似たものかぁ……」
「ひぇっ、マコトっ、んニャ、おっふ、っだーっ! やめんか!!」
「あ、ごめんなさい」
 猫からは怒りの、からは羨望の眼差しを受けて新島は立ち上がる。
「うーん……似たようなもの……ううん……?」
 手の平を見つめて口内で何事かをこね回す。どうやら近い物に心当たりがあって、記憶の中のそれを探っている様子だ。手指が感触を追うように握ったり開いたりを繰り返すが、掴み切る前に意識が横へ逸らされてしまう。
「人間も動物、か……」
 感慨深そうに呟かれた言葉は喜多川の薄い唇から吐き出されたものだった。彼はまた椅子の上に戻り、スケッチに取り掛かる。その手が先ほどよりも意欲的に動いているように見えるのは、今の文言になにか得るものがあったからだろうか。
 しかしまったく否定する余地のない一文である。人間が哺乳類サル目ヒト科に属する動物であることは疑う余地もないこの世の真実だ。
 しかし、ならば何故奥村はわざわざ『広い意味で』と冠詞を付けたのか。
 もちろんこれには理由がある。この場合が求める動物というのはいわゆる家畜や愛玩動物の類を主に指しており、普通この対象にホモ・サピエンスは含まれない。だから、奥村は敢えて『広い意味で』と言ったのだ。また彼女は愛でる対象として十分すぎる資格を有している。
 さりとて、奥村では務まらないことはたった今証明されてしまった。務まるには務まるがどこか別の方向へ、全速力で、天使のような無垢な笑顔で高い門をくぐり抜けて行ってしまう―――
「ひらめいた!」
 クロスワードパズルに背後から横やりを入れていた高巻が手を叩いて声を上げた。なんだと視線が集うのを確認してから、少女は指を立てて語り始める。
「ハムスターやネコがダメなら、もっと大きい動物ならどう? ストレスに強そうな……大型犬とか!」
 これに坂本が同調する。
「ああ、いいかもな。ハスキーとか……土佐犬とか?」
「ドーベルマン、レトリバー、ボクサー、セント・バーナードにサモエド……」
 つらつらと犬種を並べるのは佐倉だ。
 彼女たちは手元のスマートフォンで直ちに画像検索に取りかかった。
「でも……」
 奥村が少しだけ困った様子で声を上げた。口元に添えられた手はなにかを思案するように揺らめいて、彼女の抵抗を物語っている。
「大型犬ってお世話が大変だよ。ご飯の量もネコやハムスターとは比べものにならないし、散歩だってしてあげなくちゃ」
「そうね」
 新島は奥村の側に立って言う。
「特に大型犬は運動不足によるストレスが大きいと言うし。体の大きさに比例して声も大きくなるから、最近じゃご近所問題になったりすることも少なくないわ」
 これに画像検索をしていた三名は呻いて手を止める。軽々に飼えばいいとは言えないと気がついたのだろう。
 ストレス耐性が強く、大型で、触ることを嫌がらず、食事量が多くなくて、運動量もそこそこで良くて、吠えたりしなくて躾の難しくない生き物……
 そんなものはいるはずがない。
 どんな生きものにだってそのもの特有の性質があり、共に暮らすことを選択するのであれば人間とその動物はお互いにその習性を譲り合っていかなければならないのだ。
 ところが、窓際の少年はパチンと指を鳴らして立ち上がる。
「いや、ちょうど良いのがいる」
 彼は雑談に参加もせず仲間たちの横顔をスケッチしていた喜多川の、音に反応して顔を上げたその横顔こそを指して言う。
「祐介なら撫でまわしても文句は言わないし、食事は普通に三食でいいし、基本的には大人しくて静かだ。たまにうるさいし、ちょっとでかすぎるかもしれないけど」
 言い様に、奥村が思わずとくすっと笑う。彼女の目にはもうすでに喜多川の姿が犬として捉えられていた。サルーキか、アイリッシュセッター、ドーベルマン……
 話題についていけずに呆然とするを横目で観察しながら、だらしなく脚を放り出したまま坂本が誰にともなく問いかける。
「キツネって、ネコ? イヌ?」
「ネコ目イヌ科じゃなかったかしら」
 答えたのは新島である。坂本は顔をしかめた。
「どっちだよ。え? じゃあイヌってネコなの?」
「キバが生えてるやつはだいたいネコ目」
 今度は佐倉が。その手はモルガナのウィスカーパッド―――頬ひげの生えているところを指先で持ち上げている。モルガナはこれといって抵抗もせず、上下二本ずつ生えた犬歯を彼に見せつけた。しかし日常生活上でまったく役に立たない知識を得た坂本は大した感動も興味もなさそうに頷いただけだった。
「何の話だ?」
 キツネの話にようやく自分が話題の中心と気がついたのだろう。はてと首を傾げて疑問符を浮かべる喜多川に佐倉がしたり顔で教えてやる。
がおイナリを撫でまわしたいって話」
「え」
「違う! そんな話一度もしていなかったよね!?」
 声を大に両手を振って否定する姿に、佐倉は目を細めた。それは新しいおもちゃを見つけた子供そのものだ。
「なんだよ触りたくねーのかぁ?」
 意地悪く、ねっとりと吐き出された言葉をは直ちに否定しにかかる。
「ないよ! 馬鹿なこと言わないの!」
「ほんとにぃ?」
 問いかけながら、佐倉はモルガナを放り出して立ち上がり、意外なほどに俊敏な動きで喜多川に取り付いた。
「うおっ」
「うりゃうりゃ〜」
 小さな手が彼の頭を髪ごとかき回す。
「やめっ、ろ、ふた、ば―――」
「あははっ、おイナリ、爆発したみたいになった!」
 けらけらと笑ってのけぞる佐倉を振り落とし、喜多川は頭を押さえた。佐倉の言葉通り、彼の髪はすっかり乱れてくしゃくしゃになってしまっている。
「まったく……が、という話じゃなかったのか」
 呻きながらどうにか髪を戻そうと苦心する彼の言葉に、おやと顔を上げたのは奥村だった。
 彼女は声には出さずに、嫌がらないんだとその胸の内で呟いた。男女差による感性の違いかしらとも思う。
 女性は異性に触れられたとき、その相手に対しての好感度が下がるというが、逆に男性は異性に触れられたとき、その相手に対して好意的になるという。
 うーんと唸って、奥村は喜多川の傍らに立った。
 彼女のこの行動は予期しないものだった。誰もが驚きをもってその動きに注視する。最も大きな驚きを示しているのは、当然、喜多川だ。
 奥村はまず、先に佐倉が取り付いた折に彼が取り落としたスケッチブックと鉛筆を拾い上げ、テーブルの上にそっと置いた。
 そして、「えいっ」とかけ声一つ。喜多川の頬を優しく突っついてみせる。
「うっ」
 呻き声が上がる。特別痛くはなかったが、それでも衝撃が勝った。どちらかといえば、精神的な。
「あっ、ふふっ、柔らかい」
「当たり前だろう、おい、春、やめてくれ……」
「うふふ、えいえい」
 楽しげに頬を突く手から逃れようと立ち上がる。すると今度は別の手が彼の脇に伸びた。
「んっふ、くっ、はは! ええい、よせと言っているだろう!」
「おっと」
 振り払われて、少年は窓際に飛び戻る。
「なんだ、触られるのは嫌なのか?」
「相手によるだろう。まったく……」
 ふうん、と唸って、少年は唇の端を吊り上げた。
ならいいのか」
「ああ」
 こたえて、喜多川ははっとして己の失態を呪うように片手で顔を覆った。
 視線は再び彼に集中する。
 次いでのもとに。少女は床の上に膝をついて振り返った姿勢のまま硬直していた。
 すると、事態を見守っていた新島が彼女の手を取って立ち上がらせ、おもむろに喜多川に向けさせる。
「ひいっ」
 短い悲鳴の後、彼女の手は喜多川の顔を覆う手の上に着地していた。
 ひやりとして骨ばった感触に、の心臓は飛び上がった。
「……どうして悲鳴を上げるんだ」
 いまだ隠したままの口元から低い声が漏れる。
「いやだって、なんだこれ……なにこれ……」
「俺は」
 彼は手をおろし、つま先を睨んでいた目を上げて真正面から彼女を見つめた。
「お前に触れて欲しい」
 爆弾発言であった。
 誰もが目を見開いて驚きとともに彼を見、その動向を窺っている。
 そして彼は開き直った。

 広げられた両腕から逃れるように後退る。少年の目は据わっていた。
「さあこい」
 屋根裏は沈黙に包まれた。十秒を数えたところで窓際の少年が堪え切れずにふき出して、クロスワードパズルの縦二十四番『天然の代用甘味料。ガムなどに配合されることが多く、虫歯や口臭への予防効果が期待される』に向かって突っ伏した。
 その額が机にぶつかる音で心神喪失状態から復活したが言う。
「きみは正気を失っている」
 言っているほうが正気を失っていそうな声色だった。窓際の彼はまた、ひきつけでも起こしたかのように痙攣し始める。そばに立つ高巻が思わず背中をさすって無事を確かめるほどであった。その笑いが伝播したのか、佐倉がテーブルに突っ伏して同じく震え始める。
 他方で、喜多川はむきになって言い返した。
「俺は正気だ」
「正気なやつがそんなこと言うもんか。まずは落ち着くべき。この人たちの計略に流されてはいけない。彼らはきみを陥れて、私を混乱させて、それを楽しもうとしているだけだ」
「言い方」
 ぼそっと新島がツッコミを入れるが、は聞かなかったふりをして喜多川に指を突きつける。
「騙されないで。まずは落ち着いてよく考えるんだ。きみは彼らの言動によって思考を誘導されている」
「だとしても、俺はお前に―――」
「それはもういい!」
 吠えて、は力強く床を踏み鳴らした。かすかな衝撃ではあるが、しかし佐倉は椅子から上半身をだらりと落としてぶら下がる。彼女はやっぱりまだ笑っていた。
 そして少年はまた特大の爆弾を投下する。
「なぜだ。二人でいるときは許してくれるじゃないか」
 問題発言であった。ツァーリ・ボンバもかくやと全員がもろともに吹き飛ばされるような衝撃を―――精神的な―――受ける。
 爆心地では、喜多川が拗ねた子供のような顔でもってを睨みつけていた。
 二人以外の全員は喜多川を見、それからを見て、各々異なった心情でぎこちなく息を吹き返し始める。
「え……っと? ん……? ? ねえ、どういうこと? 私、聞いてないよ?」
 瞳を輝かせた高巻が両手を合わせて問いかける。もちろんと言うべきか、彼女は答えなんて求めていなかった。の様子を見れば、誰だって答えが知れたからだ。
 彼女は顔を青くしたり赤くしたりしながら突き付けたままの指をぶるぶると震わせている。それは焦りや羞恥といった感情からによるもの。
 つまり、喜多川は嘘を言っていない、ということだ。
「どういうことだ! お父さんは許さないぞ!」
 声に多大な笑いを含ませた少年が机を叩きながら喚く。当然彼はの父親なんかではないし、そもそも血縁関係者でもない。彼の顔面にはただただ場を引っ掻き回して楽しもうというかつぎ屋然とした笑みだけが浮かべられている。
「お前はいつの親父さんになったんだよ」
 なんの捻りもない坂本の指摘に、少年は心の底から楽しそうに「今」とこたえた。
 また奥村が羨望と憧れに誰よりも胸を高鳴らせながら問いかける。
「二人だけって……二人っきりってことだよね? わあ……」
 なにを想像したというのか、彼女は言葉の途中で真っ赤になって俯いてしまう。手指の先を合わせてもじもじとする姿はこれ以上なく愛らしかったが、にとってはたまったものではなかった。
「春! 変な想像してない!? 違うから!」
「あなたこそなにを考えたの?」
 新島の追撃には撃沈する。
 いまだだらりと軟体生物のように椅子と床とに渡って上下逆さまになったままの佐倉が八十年代フォークデュオユニットの代表曲、そのサビ部分だけを口ずさんでいるのをバックミュージックに、モルガナが雷撃処分を行った。
「で、なにしたんだオマエら?」
「なんにもしてないよ!!」
 叫んで、は床を蹴って飛び出し、階段を駆け下りて行った。
 勢いがつき過ぎたのか一度階段下正面の壁にぶつかり、それに店主が驚きの声を上げ、バタバタと騒々しい足音が鳴り、ルブランのドアベルが涼やかな音を鳴り響かせたのを最後に、怪盗団のアジトは静寂を取り戻した。
 窓のさんに吊り下げっぱなしだった風鈴が季節外れにちりんと一鳴き、かつぎ屋が舌を打つ。
「逃げられたか」
 脚を組み、頬杖をついて顔をしかめる姿は傍らの高巻の姿と相まって悪の組織の頭領のようだった。
「……なぜは逃げたんだ」
 喜多川が不可解そうに首を傾げる。しかし声は、どこか安堵の色も滲ませていた。
「お前はわざとやってんだろ?」
「なにがだ」
「あーもう」
 頭を振って、坂本は部屋の片隅にまとめられた女性陣の鞄の群れを指し示す。
も慌て過ぎだろ。忘れてってんじゃん」
「あら、本当」
 応じて新島が持ち上げる。軽く中身を覗いて、彼女は一同を振り返って困った顔を見せた。
「スマホも財布も入ってる」
「どうやって帰るつもりかしら」
「歩いてじゃね。ならやりかねないんだよなぁ」
 奥村の疑問に答えつつ、坂本が立ち上がって新島から鞄を受け取る。彼は後頭部を掻きながら
「渡しがてら帰るわ。これ置いといてもらっていい?」と言って読みかけの漫画雑誌をテーブルの上に放り出す。
「ん」
 首を縦に振った部屋主に、すかさず喜多川が異を唱えた。
「それなら俺が……」
「お前が行ったら追いかけっこになるだろ。通報されるわ」
 追い払うように手を振って、坂本は有無を言わさず鞄を担いで階段を駆け下りて行った。階下からかすかに店主とあいさつを交わす声が漏れ聞こえる。坂本は律儀に彼にも事情を、ごく簡単に説明している様子だ。
 それを遠く聞きながら、項垂れる。背後にはがっかりという書き文字がよく似合いそうな姿だった。
 哀愁すら漂う姿に、新島が問いかける。
「それで、実際のところは?」
「何もしてない」
「アンタの基準でしょ、ヘンタイ」
「へん……馬鹿な、俺はただ……」
「ただぁ?」
 いつまでたっても起き上がらないままの佐倉が問いかける。喜多川は、彼にしては珍しく戸惑ったように言い淀み、記憶を探るような間を置いてこたえた。
「手を取っただけだ。と、思う」
 屋根裏部屋は失望のため息で満たされた。
 ただ窓際の少年だけが高巻に向かって手を差し出し、おもむろに彼女の白魚のような手を握りしめる。
「これだけ?」
「ちょお、キミ、唐突になに」
「やめろバカ。被害が拡大するだろ」
 ひっくり返った佐倉が目ざとくそれを見つけて咎めるが、少年はどこ吹く風と高巻の手をいいように弄んだ。やがて手は少年が下、高巻が上になって重なり、二人の間、掲げるように前に出される。
「バルス」
 声を揃えて言ったのは少年と佐倉と、そして新島である。新島は小さく咳ばらいをして、そして高巻はやにわに握られた手を振り払った。
「遊ぶなっ」
「あら、私たち、ここに遊びに来たんじゃなかった?」
 くすくすと笑って奥村が言う。ベッドの上に優雅に腰かけた彼女は、どこか夢見るような心地でもって続けた。
「きっとには彼の言う『これだけ』が、大変なことなのね。誰か……特別なその人と手を繋ぐことが。ちょっとだけ、わかるな」
 振り払われた手をにぎにぎとさせて、少年が首を傾げる。
「そんなに難易度高いことかな」
「キミは女心をわかって無さ過ぎ」
「ええ?」
 ふんと鼻を鳴らして高巻が顔をそらすその気持ちが分からない、と彼はますます困惑して捻る。人の心の機微には敏いくせに、どうしてこういうことが解らないのか……呆れのこもった視線を向けられたことに彼は降参と言わんばかりに両手を軽く上げた。
「ちぇっ、竜司め、こうなるとわかって逃げたなあいつ」
「どうだかな」
 猫はひょうひょうとした様子でベッドに乗り上げる。間を置かず伸ばされた奥村の手が喉を撫でるのを、彼は平然と受け入れた。
「係う余裕がなさそうだなんて言っていたけど、そんなことはないみたい。むしろ、夢中過ぎて余裕がないの間違いじゃないかしら。そうでしょ?」
 奥村の言葉は、かつて彼女と高巻、新島がカラオケボックスでから聞き出した修学旅行先での出来事に起因している。敢えて決定的な単語を付けないのは自由意志を尊重してのことだろうか。それとも、彼女もまた面白がっているのかもしれない。
 いずれにせよ、喜多川は胡乱げな目を向けて問いかけた。
「なぜそれを知っている?」
 奥村は笑みを浮かべたまま凍りついた。
 とはいえ向けられる目線に咎めるような色はなく、ただ純粋に不思議がっている様子だ。
「あっ、私用事があったんだった!」
「奇遇ね、私もよ。春もでしょ?」
 唐突に、高巻と新島が揃って声を上げたかと思うと奥村の両サイドを捕えて引きずり上げる。捕まった宇宙人の如く両手を取られ、奥村は明後日の方向を見ながらうわ言のように言う。
「そ……そうね。うん、そう。そういえば用事があったんだったー……」
「だよね~! さー行こ行こ。それじゃあまたね!」
「それじゃあお邪魔しました。双葉、いつまでも床で寝てちゃ駄目だからね」
 置き土産にと釘を刺していく新島に佐倉は手を振るだけで返して床寝を続行した。
 慌ただしく階段を駆け下りて行く三人娘を見送って、部屋主はクロスワードパズルの雑誌を閉じる。ラインラインクロスはとっくにすべて埋められていた。
「姦しいな」
「文字通りな」
 ぽかんとした様子で呟かれた喜多川の言葉に大した感心もなさそうにこたえて、今度はツールボックスを引っ張り出す。そこで彼ははたと何かに気が付いたように立ち上がり、通学用の鞄を漁り出した。取り出されたのは無地と奇妙な図柄の印刷されたカードの二枚。彼はそれを喜多川に押し付けて満足げに頷いてみせる。
「あー?」
「よろしく」
「あー」
 気のない返事はさておき、少年はテーブルの上に置かれっぱなしだったスケッチブックを手に取った。何ともなしにページをめくる。
 現れたのは精密に写し出された高巻の姿だ。様々な構図やポーズの彼女が素描きされているページが続いている。
「やっぱり杏が多いな。この間はもういいみたいな口ぶりだったくせに」
「もういいとは言っていない。当然、杏は美しいままだからな」
「それはわかる」
「オマエらアン殿に色目つかってんじゃねーぞ?」
「いや、見た目の話だから……」
「アン殿は心も美しいだろっ」
「それも否定できんな」
 然りと頷く喜多川の隣で、またさらにページをめくる。すると、高巻の姿の合間にモルガナや双葉、坂本や奥村、新島……そして少年とが現れはじめた。どれも生き生きと描かれているのは、喜多川の目を通した彼らの姿だからだろう。
 他者の目を通して現れる己の姿……鏡を覗き込むのとはまた違う感覚に、少年はふっと口元を緩ませた。こいつには自分はこんなふうに見えているのか。ずいぶんと男前に描いてくれているじゃないか、と。
「もっとイケメンに描いて」
 それでもからかい半分に言ってやると、喜多川は顔をしかめて
「偽りを描くことはできない」とこたえた。
 失礼なやつだとスケッチブックを閉ざすと、佐倉が脚をバタバタとさせてそれを欲しがった。
「わたしも? わたしも描いたのか? 肖像権の侵害だ。訴えられたくなかったら見せろ」
「はいはい」
 手渡されたそれを受け取って、相変わらずひっくり返ったまま目を通す。佐倉はページを捲るたびにおお、とか、へぇ、とか言葉にならない感嘆の声を上げ、やがて自分の姿を見つけ出して沈黙する。
 モルガナが足音も密やかに歩み寄り、隣に寝そべって彼女が見ているものを覗き込んだ。
 そこにはざっくりとした線の塊がある。しかしそれが人と猫の姿を描いていると解るのが、技術というものだろう。膝の上にモルガナを乗せて笑う少女の姿―――
「わたし、笑ってる」
 ぽつりとこぼされた言葉は誰の耳にも届いていたが、誰も何も言わなかった。
 佐倉も返答を求めていたわけではないのだろう。じっと二次元上に写し出された己の姿に見入って、それ以上はなにも言わなかった。
 寄り添ったモルガナの目は自分と佐倉の隣に描かれたの姿を捉えている。
 筆は正直だ。痩せっぽちで小柄な彼女はどこか病的な姿をそのままに描かれている。少しくらいは美化してやったってバチは当たらないだろうにと猫に思わせる程度には、彼女の肉体は貧弱だった。
 偽りを描くことはできないなどと喜多川は言ったが、絵画の世界においてただ写実的であるということばかりが求められることはかえって少ないんじゃないだろうか。偉大な人物はよりそれらしく、憐れな者はよりみじめに……彼の作風はどうだっただろうか?
 記憶を探ったが、そもそもこれは素描で、まだ年若い少年の描くものだ。これからいくらだって作風は変わっていくだろうから、一概に『こう』と決めつけることはできなかった。
 ただ、モルガナはふうむと唸って尻尾を一振り、素朴な疑問を喜多川に投げかける。
「なあ、は描かないのか」
 手渡されたばかりの二枚のカードを見比べていた喜多川はそれにはたと動きを止めた。奇妙な間が空いてから、彼は問い返した。
「なぜ?」
「だって、オマエ画家だろ? 画家ってのはたいてい、惚れた女を描くもんじゃないのか?」
「杏を描いてるじゃないか」
「オマエ誤魔化すの下手だなー……」
 呆れたような声色に、喜多川は渋面を作ってカードをテーブルの上にそっと置いて視界から追いやった。
 モルガナの言っていることはあながち的外れでもない。さながら自分はロセッティだとも思う。いささか彼女たちに失礼な発想だが―――
「描こうとはしている。だが、なんというか……どうにも、こうにも……あー……」
 相応しい表現が見つからない、と彼は言葉を濁す。
「スランプは脱したんじゃないの」
 行儀悪くテーブルに腰をかけた少年が言う。喜多川は首を縦に振った。
「お前たちのおかげでな。だが、これはそういう不調とはまた別なんだとおもう。実を言うともうずいぶん前から取り掛かっていて……今なら描けるのではと筆を取りもしたが、上手くいかない。なんて言ったら伝わるだろうか。兎角、うまくできないんだ」
にモデルを頼んだら?」
「それは駄目だ」
 ぴしゃりと言い切って、テーブルについた肘を杖に顎を支えるかっこうになる。漏れたため息はずいぶんと重々しい。
には言うな。黙っていてくれ」
「なんで」
 ぱたんとスケッチブックを閉じた佐倉が問いかける。その手から自分の持ち物を取り返して、彼はこたえた。
「恥ずかしい」
 佐倉は床を叩いて吠えた。
「乙女かおめーは!」
 頷いて、喜多川はこたえる。
「そうだな。女子になりたい」
「なってどうすんだよぉ……」
「女子会をする」
「パジャマ品評会したりスイパラ行ったり? そんでやだ~かわい~とか言いながらインスタ映えする写真撮ったり?」
「うむ……」
 深く頷いた喜多川に、佐倉はぱったりと力を失って床の上に伸びる。その隣でモルガナが大きなため息を吐いた。
 そして、伊達めがねを抑えた少年が言う。
「俺は女子になったら美少女だと思うんだ」
 二人と一匹は沈黙でこたえた。
「あれ……竜司とか一目で食いつくレベルのになると思うんだけど?」
「とりあえずユースケ、オマエ明日に謝っとけよ」
「そだな。ちょっとからかい過ぎたし、わたしも後で謝っとくから、お前は直で言えよー」
「わかった。次はもっと上手くやろう」
「オマエ反省してねーな?」
「面白発言拾ったら共有しろよ。フォルダに保存するから」
「なんだそれは。検閲の必要がありそうじゃないか」
「ねえみんな? どうしてシカトするの?」
 佐倉が再び床を叩く。びくっと少年の肩が怯えたように跳ねると、タイミングを図ったように佐倉のスマートフォンが通知音を鳴らした。
 送信者は坂本であった。わざわざ佐倉に連絡を取ったあたり、やはり彼はこの状況を見越していたのかもしれない。
 あいつ、やりおる。呟いて、佐倉はメッセージに目を通した。
『捕獲完了。パッケージは予定通り受け渡しを完了した』
 佐倉は短く『ご苦労』とだけ返す。すると間髪入れず『めっちゃ怒ってんだけど』と返信がくる。
 呻いて、佐倉はスマートフォンを喜多川に放り投げた。
 危なげなくそれを受け取った彼もまた坂本の窮地を察し、スマートフォンを猫に押し付ける。
「いや、渡されてもワガハイなんもできねーかんな?」
 ひげがゆらゆらと揺れるのをじっくり眺めてから、彼はのっそりと立ち上がった。
「なんだよ、お前まで帰っちゃうのかよ」
「ああ。やはり追いかけるべきだろう」
「青春してんじゃねーぞおイナリのくせに!」
「意味が分からんが、賛辞として受け取ろう」
「褒められてないからな、ユースケ」
「なんだと……!?」
 驚嘆しながら、テーブルの上のカードを二枚取り上げる。喜多川はそれをひらりと振って示し、未だ硬直したままの少年に向かって言い放った。
「とりあえず、これは複製しておく。馬鹿な妄想はさっさと捨てろ」
「待った」
「ん?」
 振り返って見ると、制止を呼び掛けた少女は天井に向かって真っ直ぐ腕を伸ばしていた。
「実はさっきから起き上がれなくて困ってる。助けてから帰ってくれ」
 喜多川は黙ってポケットからスマートフォンを取り出し、無様なかっこうから抜け出せないでいる少女を記録してやろうとカメラアプリを起動した。

 後日、は新島からそば殻の詰まった枕を贈られた。これが一番モルガナのお尻の感触に近い、とのこと。
 怪盗団の頭脳担当の涙ぐましい努力によってが己の欲望を抑えられる勝率は二割から三割に上昇した。