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02:Wishful Thinking
翌日の午後、一行は四軒茶屋の裏路地に位置する喫茶『ルブラン』、その屋根裏部屋に集合していた。そこは怪盗団のリーダーである少年の下宿でもあった。
彼は午前中から乗り込んできた喜多川をしつこく「裏切者」と罵ったが、それでもルブラン自慢のカレーとコーヒーを振舞って歓待するのを忘れなかった。
「裏切ったつもりはないのだが」
全員が揃ってもまだ恨みがましげな少年にさすがの喜多川もうんざりして反論する。するとまた、高巻がモルガナのブラッシングに励んでいた手を止めて話題に食いついた。
「にゃふふぅ……極楽ぅ……」
「ていうかさ、祐介。一緒に出掛けたりもしてるみたいなこと言ってたよね」
「ああ。気晴らしに幾度か付き合ってもらっていた」
「どういうところに行ってたの?」
「映画とか」
「映画」と坂本が反芻する。
「プラネタリウムとか」
「プラネタリウム」と新島が。
「の買い物に付き合うこともあった」
「一緒にショッピング」と高巻。
「青春してんなー……っておい! それはワガハイの尻尾だ! やめろ! なんで噛むんだ! ヴニャーっ!」
モルガナが悲鳴を上げたのは嫉妬に狂った屋根裏部屋の主がその尻尾に噛みついたからだ。しかし高巻の冷ややかな視線を浴びて少年はすぐに我に返り、居住まいを正す。
「それで、手作りの弁当を作ってもらっていた、と」
「その通りだが……どういう着地点だ?」
首を傾げる喜多川に、一同は白けた目を向ける。
「まあ……うん、なんでもいいや……」
ため息を一つ。高巻はこほんと咳ばらいを一つして、両手を打ち合わせた。
「よし! 作戦会議しよ!」
「そうね。まず、さんのことなんだけど……もしかしたらって名前かしら?」
新島の言葉に喜多川はぎょっとして背筋を伸ばす。
「なぜ知っている?」
「これ」
と、新島は鞄から一枚の用紙を取り出した。綺麗に畳まれたそれを全員に見えるようにテーブルの上に広げる。
「全国統一模試……?」
「その成績優秀者の名前と都道府県と学校名。ほら、ここ見て」
とん、と新島の指が列記された人名の内一つを指し示す。
「……洸星高校……ほんとだ」
感心したような声を上げる高巻に新島は頷いて更に続ける。
「さんの名前に聞き覚えがあって調べたの。まさか同じ試験会場に居たことがあったなんてね。それで……悪いとは思ったけど、イセカイナビで検索もかけてみた」
「かかったのか?」
恐る恐るといった様子でモルガナが問いかけると、新島は慎重に首を縦に振った。
「……なぜだ? に暴力を振るっている相手ではなく、自身が歪んだ欲望を抱いていると言うことか?」
「ナビに引っかかったってことは……そうなる、んだよな?」
言いつつも坂本は自信なさげにモルガナを窺った。靴下猫はこくりと首を縦に振る。
「けど妙だな。ユースケ、お前から見てそのって子は歪んでいるような様子はあるのか?」
少し考えて、喜多川は答えた。
「思い当たらない。は俺にはいつも親切だった。他の者へも斑目や金城のような振る舞いはしていないはずだ」
「……聞いている怪我の様子から考えても、自傷ってことは無さそうよね」
うーん、と頭を悩ませる中、坂本が頬杖をついたまま控えめに手を上げた。
「かなり前にテレビで見たたけなんだけどよ、DVってされる側も心が病んじまうとか何とか……」
「そう、そうね」
新島が同意する。
「例えば相手が父親や母親であった場合、大抵の場合子供は親である加害者を庇うのだそうよ。自分は意味もなく殴られているのではない、これは自分のためのにしていることなんだ……って」
「殴られてるのに?」
高巻が信じられないと呟くのに、しかし喜多川は俯いて
「そういうものだ。何があろうと……親なんだ。だから……」と返す。その瞳がほんの数か月前までの己と師を見ているのは誰の目にも明らかだった。
「ごめん祐介、私……」
「構わん。気にするな。確かに今となっては信じ難いことだ」
「何があろうと親は親、か……ていうか、これビンゴじゃね?」
「ええ。さんの交友関係を調べなければなんとも言えないけど……まず疑うべきはさんのご両親でしょうね」
「なあユースケ、のオヤの名前って分からないのか?」
「わからん」
きっぱりと言い切った喜多川に、一同は肩を落とす。
「ホントになんにも知らないんだね……いや、私らもお互いの親の名前とか知らないけどさ」
「教えようか?」
冗談めかした言葉に高巻の眉尻が釣り上がる。
「リーダーうっさい! とにかく、じゃあまずさんの家族の名前だよね。こういうの、どうやったらわかるのかな」
「祐介、さんの自宅の住所か電話番号はわかる?」
「わからん」
「まあ……それもやっぱ俺らも把握しあってはないよな……」
「今あるのはさんの名前と高校くらい、か……」
考え込む新島に、しかしそれで充分だと声を上げた者がいる。
「えっ……?」
「祐介、洸星高校の番号くらいはわかるだろ」
「あ、ああ……しかしそれが何になるんだ?」
「少し静かにしてて」
疑問の声を手で制し、少年は己のスマートフォンを手の中で操作する。やがて呼び出し音が響き始めると受話口を耳に当て、電話越しの相手と何事かを話し始める―――
「お忙しいところすみません。そちらの生徒さんの定期券の入ったパスケースを拾っちゃって……ええ、はい、はい……」
少年の指が何かを求めてちょいちょいと動かされる。真っ先に察した坂本がその手にペンと紙を渡してやると、ウインクが返された。
「はい、駅に預けておきますので、念のため持ち主の保護者の方のお名前をお教え願えますか? はい、はい、ええ、そうです。多分聞かれると思うので…………まどか……ですね。わかりました。いえ、それは結構です。はい、これから駅の窓口に向かいますので、その時に保護者の方のお名前もお伝えします。はい、では……」
コトン、と音を立ててスマートフォンがテーブルの上に置かれる。そばの紙には「円」と書かれていた。
綴られた名前と少年の顔を交互に見やり、坂本が感嘆の声を上げる。
「マジかよすげぇな……」
「前に定期落とした時、親の名前も聞かれたんだ」
「暗証番号的な? 本人確認の為の」
「多分そうね。リーダー、お見事」
ドヤ顔をして髪をかき上げる少年に苦笑しながら、一同は改めて記された「円」の文字を眺める。
「これは……ハハオヤか?」
「男でも女でもよさそうな名前だけど、恐らく……でも、姉って可能性もあるわね」
モルガナと新島のやり取りを鋭く喜多川が断ち切った。
「母親だ」と。その声には確信が宿っている。
「確実なの?」
「いいや。だが、は以前『サユリ』を見て『お母さん』と呟いたことがある」
「それって班目の野郎が公表したほうか?」
坂本の問いかけに首肯でもって応え、喜多川は記憶を辿るようにこめかみを指先でさする。
「世間一般には未だ『サユリ』は謎の笑みを湛える女でしかない。だが、彼女は初見であの笑みに込められた意味を見抜いた。『サユリ』が見るものになにかを訴えかける絵であることは間違いないが……的確にそれを見抜いた所に、彼女の精神性が表れていると俺は思う」
「母親、か……」
怪盗団の面々はいずれも共通した点のある経験を持つ者の集まりだ。両親が健在の者もいれば片親の者もいる。喜多川や新島はどちらも不在の家庭で育った。そのような境遇でなかったとしても、思春期の少年少女たちにとって「母親」という存在が子に躾以上の暴行を加えているという場面はどうにも想像しがたいものであった。
「とにかく入れてみよう。……円」
程なくしてイセカイナビが反応する。
『ヒットしました』
「あっさり見つかっちゃった……」
「一歩前進、だな」
喜ばしげな坂本に対して、しかしモルガナは器用にも猫の顔を渋く歪ませる。いち早くその表情の変化に気が付いた少年が声を上げた。
「どうしたモルガナ」
「んん……確かに一歩前進なのは間違いないんだが……分からないことが多すぎると思ってな」
「まあ、そうかもね……」
毛先を指でいじりながら高巻が同意する。モルガナはその憂いを含んだ表情を見上げて続けた。
「ユースケが見た怪我の症状から、とやらが暴力を振るわれているのは間違いないだろう。けど、それがこのハハオヤによるものかどうかはまだ分からない」
その通りだと全員が首肯する。
「それに自身にもパレスが存在しているってのが引っかかる」
「今までそういうことはなかったのよね?」
新島の問いかけに今度は彼女以外の全員が頷いた。それを見て、新島は続ける。
「仮に……さんがこの母親に虐待されているとして、パレスが二つあるというのはどういう状態になるのかしら」
「どういう状態、と言うのは?」
首を傾げた喜多川に応えて、新島は彼へ目線を向ける。
「全く別にそれぞれ独立しているのかしら、ということよ」
「んん? なになに?」
新島の発言が示すところを掴みかねて坂本と高巻がそれぞれ違う方向へ首を傾ける。なんだか仲の良い兄妹のように思えて、新島の表情は少しだけ和らいだ。
言葉を継いだのはモルガナである。
「母親ってことはマスターとこいつみたいに近くに住んでるってことだろ。だからマコトはパレスが隣接している、あるいは……」
「重なっている……?」
こいつ、という言葉に反応した少年がぱたぱた動くモルガナの尻尾を捕らえながら言う。モルガナはするりとその手から逃れつつ頷いて見せた。
「メメントスは無数のニンゲンの無意識が重なった存在だろ? パレスは強烈なニンゲンの欲望の具現化であって、ぼんやりとした無意識の集合体とは正反対のものだけど……とハハオヤがすごく近しい関係であるなら、あそこみたいにまとまった一つのものとして顕現するのはあり得ない訳じゃないと思うぜ」
一同はしばし沈黙した。二人の人間が共通した欲望を抱き、その象徴であるパレスが絡み合っている……楽しい想像とは言えなかった。むしろおぞましく、人の精神の深淵を覗いた気にすらさせた。
やがて、沈黙を引き裂いて新島が呟く。
「共依存……」
言葉は屋根裏部屋に染み込むように広がった。
「きょー、いぞ、ん?」
聞いたことのない単語に、坂本がまた首を傾げる。
「簡単に言うと、お互いに依存し合う状態のこと。一概にそれだけとも言い切れないんだけど……例えば、私が杏の身の回りのお世話をすることに生きる意義や喜びを見出して、杏に自分では着替えすらさせないようにするとするでしょ」
「真にか……なんかすごい厳しそう……」
「杏?」
「なんでもないですっ」
「コホン……それで、杏もその状況を受け入れて、私に世話されることが生きる上での全てになる。そこに他の人が入り込む余地は無い。すごくざっくりだけど、だいたいこんな感じ」
「なんか不健全な感じはするな」
飾り気のない感想を漏らしたのは坂本だった。的を射ていると新島が頷いてみせると、坂本はそれを受け取って喜多川に問を投げた。
「それっぽい感じあったか?」
「世話好きではあると思うが……俺に対して過剰という程では無かったはずだ」
「それは多分、さんの本命が祐介じゃなかったからでしょうね」
ピクリと喜多川の方眉が、彼の意識とはまったく無関係に跳ねた。彼自身もそれが不快感を表しているのだと数拍遅れて気が付く程で、ただ一人それを目撃した高巻だけが驚いて目を見開いている。
「杏?」
「え、あ、なんでもない。えっと、それで、じゃあ、さんが本当に依存してるのが……」
「恐らくこの「円」だと思うわ」
もっとも、これらはあくまでも推測に過ぎないけれど。と締めて、新島は怪盗団のリーダーに目線を向けた。その目は判断を仰いでいる。
足を組んだ少年はしばらく指先で自身の前髪をいじっていたが、やがて
「推測で動くわけにはいかない」と言った。
続けて「パレスに潜入するにしても、キーワードも場所も不明じゃ動きようもないし……もう少しって子の情報と状況を知りたいな」とも。
全くその通りであった。
精神世界とそこに形成される人間の歪んだ欲望の具現化であるパレスには、その者の名前と具体的な場所、そしてその場所を象徴するキーワードが必要だ。
怪盗団の意思はまとまっていると言ってよかった。後は承認を受けるだけだ。
全員の顔を一度見回して、一つ頷くと少年は口を開いた。
「まず彼女の住所が知りたい」
「尾行して、家を割り出すとか?」
高巻の言葉に「それだ」と坂本が食いつくが
「それには彼女がどこにいるのか掴まなくちゃいけないわね」という新島の言葉に潰される。
「あーそっか、まずどっかで見つけないとダメだよね。夏休み中じゃ学校にも来ないだろうし……」
「なあ祐介、どうにかしてと接触できねーの?」
「……わからん」
「わからんて。なんだそれ」
「に拒絶されてから連絡を取ろうとしていない。すべきではないと思ったのだが……」
喜多川の手が彼の数少ない持ち物の一つであるスマートフォンに触れる。
「待って祐介。さんに連絡するのならもう少し考えてから……」
「あ」
「え?」
「既読が付いた」
「……リストから削除されてたり通知を切られてたりはしてないみたいだね」
肩をすくめる高巻の表情は苦笑と呆れの中間にある。隣で新島が困ったように怪盗団の長を見やる―――
「遊びに誘え」
「なに?」
思いもよらぬ少年の言葉を受けた喜多川が瞠目する。発言主の目元を隠すクラウンパントの奥の瞳は真剣で、わずかな焦りも滲んでいる様子だった。
「いいから早く。さんは今、来ると思ってなかったお前からの連絡に動揺しているはずだ。畳みかけろ」
「わ―――わかっ、た」
慌ただしく手元を動かす喜多川の一挙手一投足に全員が注視する。
『また気晴らしに付き合って欲しい』
既読はすぐについた。
喜多川は腹の底にひりつくような感覚を覚える。それは期待からくる緊張であったり、焦りからのものだ。
数秒か数十秒か、あるいは数分後に返信は来た。
『どうして?』
普段なら、以前ならば気安い了承の言葉か申し訳無さそうな謝罪が来たはずなのにと思うと、喜多川の心はひどく落ち込んだ。スマートフォンを手放したくすらなった。しかし、身を乗り出してきた「ジョーカー」の手が脇腹を突き、彼に正気を取り戻させた。
「しっかりしろ。いいか祐介、返信が来たってことは脈アリだ。向こうの疑問の声はシカトしていい。とにかくなんでもいいから繋げろ」
「あ、ああ……わかった……?」
勢いに押されて喜多川がに立ち向かう傍ら、他の怪盗団メンバーは円陣を組んで囁きあった。
「ねえねえねえねえっ、これって、これって!?」と、瞳を輝かせた高巻が。
「他に手作りの弁当の理由あるか!?」と、悔しげに眉を寄せた坂本が。
「えっと、そういうこと、よね?」と、どこか恥ずかしげに頬を染めた新島が。
「でもよ、ユースケはどうなんだ?」と、ヒゲをピンと広げたモルガナ。
「この際それはどうでもいい。芸術以外に興味なんてありませんみたいな顔して、やるな」と、楽し気に口元を歪めた「ジョーカー」。
「ほんとだよ! あーどうしよ、テンション上がってきた。で、どうする?」
「一対一は不味いだろ。祐介じゃ何するかわかんねぇ」
「じゃあ、皆で?」
「ワガハイを除けば男女比的にもちょうどいいんじゃないか?」
「そうだな。名目は「女子が一人足りない」ってところか」
「どこにしよっか」
「大人数で行くのに不自然じゃないとこだろ? 海とか?」
「体に傷跡があるとなると、水着になることを嫌がって拒否されるかもしれないわ」
「なるべくワガハイも同行できるところにしてくれよー……」
「ここにドームタウンの割引券がある」
「さっすがリーダー! じゃあいつにする?」
「早いほうがいいだろ」
「待って、こちらで日時を指定するとそれを理由に断られる可能性がある」
「あっちに合わせりゃいいんじゃないのか。幸いなことにワガハイたちは今フリーだ」
「よし、ではそのように」
円陣は素早く解散した。喜多川などは仲間たちがやや下世話な会話を繰り広げていることに気が付きさえしなかった。
「祐介、ここに誘え」
「えっ?」
振り返った喜多川の鼻先に、遊園地の割引券が突きつけられる。
「……どういうことだ?」
「お題目はこうだ。『友人が遊園地の割引券をもらった。最大六名。期限は夏休みいっぱいまで。現在の参加者は男子三人、女子二人』そしてお前は俺たちになにがなんでもどうしてももう一人女子を連れて来いとせがまれた―――」
窓から差し込む夏の強い日差しを反射して、少年の伊達眼鏡がキラリと輝く。そこには謎の気迫があった。背後で素知らぬ顔をしてこちらの会話に耳を立てる他の者たちからも、有無を言わせぬオーラが立ち昇っている……
皆、そんなにを救い出すことにやる気を見出してくれているのか。喜多川は見当違いな、そして彼らにとって都合のいい勘違いをして挑んだ。
「少し静かにしていてくれ。直接話したい」
言いながら少しでも電波状況の良い場所を求めて窓際に立つ。
その指が通話ボタンに触れようとするのを見て高巻が立ち上がらんとする。それは坂本によって素早く阻止された。傍らの新島などはいつの間にか課題用のノートを開いていたが、その手元は意味をなさない一筆書きの図形を描くばかりである。
モルガナに至っては普段なら絶対に近寄りもしない男の足元に擦り寄り、ぴょんと窓枠に飛び乗って特等席をせしめる始末だ。
そんな仲間たちの様子を眺めて、怪盗団の長は小さく喉を鳴らした。
某なる少女にはこの上なく申し訳ないが、楽しいことになってきた―――
さて、呼び出しのコール音が十回鳴ってもは応じない。それでも喜多川は諦めなかった。なんと詰られようとやめるつもりはない。彼は決然として応答を待った。
気持ちが伝わったのか、コール音は十五回になったところで止み、受話口の向こうからホワイトノイズが流れ出す。
「か?」
再び立ち上がりかける高巻の腕を坂本が掴む。
「遅かったな。何か用事の途中だったのか」
沈黙の向こうには微かな人のざわめきがあった。どこか静かな……しかし無人では無い空間にいることが察せられる。
「、声を聞かせてくれ」
パキッと音を立てて新島の手元のシャープペンの芯が折れた。
『……ごめんなさい……いま、図書館で勉強していたから……外に出るのに……』
声はわずかに上ずって乱れている。なるほど、室内から外まで走って出たのだろう。得心して喜多川は続けた。
「急かすような真似をしてすまなかった」
『平気……あ、あの……』
「どうした?」
『何を……何から……話したら……頭が真っ白で……私は……』
「構わない。俺はまたお前の声が聞けて嬉しいんだ。もっと何か、なんでもいい、喋ってくれ」
極めて慎重に、しかし渾身の力を込めて、坂本の手がティッシュ製のボールを屋根裏部屋のベッドの上に叩きつける。
『ご……ごめんなさい……私は……もうきみと……』
「俺はそれを承知した覚えはない」
『喜多川くん……お願いだから……』
「ではなぜ応じた。無視すればよかっただろう」
『……それは……』
「俺たちは仲の良い友人だと思っていた。お前は違うのか?」
バシッとモルガナの尾が窓の桟を強かに叩いた。
『違わない。けど、でも、私は……』
「、俺は諦めるつもりはない」
音もなく高巻が机に突っ伏し、震え始める。
受話口からは長い沈黙だけが返され、その動揺ぶりが伺えるようだった。喜多川は首だけを巡らせて背後にいる「ジョーカー」を見る―――
彼は力強く、自信有りげな面持ちでサムズアップしてみせた。
「、暇な日はあるか」
『えっ?』
「暇な日だ。先にチャットで聞いたろう」
『そんな、でも、えっと……』
「友人らに遊びに誘われている。だが、面子的に女子が一名足りん。せっつかれたが、俺にはお前以外の心当たりがない」
再びの長い沈黙。
やがて受話口からは消沈した声が返された。
『ごめんなさい……やっぱり私は、もうきみと出掛けることはできない。喜多川くんに誘われれば皆喜んで行くだろうし、誰か他の子に声を……』
喜多川はその先を言わせなかった。
「お前でなければどこへ行ったってなんの意味もない!」
突然の声量にモルガナが驚いて毛を逆立て、坂本は床に崩れ落ち、高巻はピクリともしなくなった。新島はもはやペンを手放して両手で顔を覆っているし、屋根裏部屋の主は何故か満足そうに幾度も頷いている。
そして……
『は……はい……わかりました……』
何故か敬語でが了承する。
喜多川は首尾よく彼女の予定を聞き出し、約束を取り付けた。
「、いいか」
『うん……はい。うん……』
「また弁当を作ってきてくれないか」
『は、はい……』
「楽しみだ」
『はい……』
最後には消え入るような声を残して、通話は終了した。
振り返る。
そこには椅子の上でだらしなくあぐらをかいて漫画雑誌に目を落とす坂本と、スマホをいじって遊ぶ高巻、真剣な面持ちで課題に取り組む新島と、学校図書のラベルが貼られた本を読みふける少年がいた。そこに窓枠から戻ったモルガナが加わって、何事もないいつもの怪盗団のアジトの姿が再開される。
喜多川は席に着いて
「予定が取れた。明後日なら一日中空いているそうだ」と言った。
「そっか~よかったぁ~さんと会えるのぉ、楽しみぃ~」
高巻の白々しい棒読みに、しかし喜多川は頬を綻ばせる。
「ああ……楽しみだ。あいつに会えるのがこんなに待ち遠しかったことは無い」
「ッッッッ!!」
ガタン! と音を立てて立ち上がったのは新島だった。その顔は紅潮し、心なしか頭からは湯気が上がっているようだった。
「喉がッ、乾いたわねッ!? 私、まま、マスターのコーヒーが、飲みたくなっちゃった!」
「そうだね~私もぉ~コーヒー飲みたぁ~い」
棒読みの高巻が便乗して、女性陣は二人そろって一階へ逃げ出した。
恐らくもう戻っては来ないだろうと確信しながらもその背を見送る二人と一匹の目には哀愁が宿っている。理解できていないのは喜多川だけだろう。
彼は呆然と「杏と真はどうしたんだ」などと口にしている。
「お前ってすごいわ。知ってたけど改めて言うわ。スゲーなお前」
怪盗団の特攻隊長「スカル」こと坂本竜司の手放しの賞賛に、しかし喜多川は
「何を言っているんだ?」と首を傾げた。
約束の日、約束の時間、約束の場所に果たしては現れた。
「、こっちだ」
「あ、喜多川くん……おはよう、ございます……」
長袖のカーディガンを羽織るのは彼女のいつもの服装だ。そういえば、学校でも季節問わず長袖を着用していたなと今更ながらに思い当たる。手には喜多川が頼んだ通り、昼食が入っているのだろう大きな鞄を抱えていた。
その荷物を率先して持とうと手を伸ばしたのは坂本だった。
「お荷物、お持ちします! 坂本っす!」
体育会系そのものの挨拶と姿勢である。何故かもう一人、伊達眼鏡の少年も同じノリで続いた。
「押忍、こちらです、どうぞ!」
当然と言うべきか、は突然の展開に混乱して目を白黒させる。
「え? あ?」
「男子やめろ! さん引いてるから!」
ひょこ、と喜多川の長身の影から顔を出した高巻が一喝する。それでも荷物持ちをさせる手を止めるつもりは無さそうで、彼女はやんわりとの腕から大荷物を受け取ると、そのまま坂本たちに押し付けた。
「はじめまして、高巻です。高巻杏。これ、もしかして私たちの分も?」
「あ、はい。ご迷惑でなければ……」
「全然! ていうかタメでいいよ!」
高巻の朗らかな様子はからも笑顔を引き出すのに十分な効力を持っていた。細い首を傾けたの顔がやっと和らぎ、喜色を覗かせる。
「うん。よろしく、高巻さん。えっと……あ、もしかして……」
「え?」
「班目展に居た? 初日、喜多川くんと一緒に」
高巻は凍り付いた。確かにの語る通り、班目展の初日、高巻は喜多川に案内されて展示会を一通り見学していた。その場には坂本たちも居たのだが……彼らはすぐに退散してしまったし、高巻の容姿は何をしていたって目立つものだ。人違いだと言ったって誤魔化せるものでは無いだろう。
「ああ、そう言えばも来てくれていたな。あの時はありがとう」
「どういたしまして」
穏やかに笑いあう二人を他所に、一行はその胸中で声を合わせた。そういうことは先に言えよ、と。
「あ、あ、あは、あはは……うん、さん?」
「ん?」
「違うからね」
「え?」
「それだけは本当に無いから。勘弁して」
高巻の瞳は真剣そのものである。は訳も分からずに頷く他なかった。
静かな怒りを湛える高巻とそれに気が付きもしない喜多川、そんな彼に頭痛を覚える他の面々―――場の空気を払拭しようと新島が声を上げた。
「えっと……それなら、私のことは覚えてるかしら?」
はしばらく瞬きを繰り返して
「もしかして、全統で一緒でした?」と答えた。
「そうそう! よかった、やっぱりさんってあなただったのね。祐介から聞いてもしかしたらって思ってたの」
白々しい―――とを除く全員が思ったが、これは予め話し合って決めていたことだった。
「こんな所で一緒になれて嬉しいわ。新島真よ、よろしくね」
「はい!」
思惑通り、は共通点のある相手の存在にすっかり緊張を忘れてくれたらしい。
「作戦は一先ず順調だな……」
鞄の中からモルガナが囁く。頷いて、一行はを伴い入場口へ向かった。
「やっぱ最初はこれっしょ!」
小走り気味に先導する高巻の楽しげな様子には誰も逆らえない。
若者たちはしばし、刺激を求める彼女に振り回され続ける―――
「うええ……ぐるぐる……するぅ……」
先を行く高巻と新島、の数歩後を歩きながらモルガナが悲鳴を上げる。もちろん彼は鞄の中で、周囲の客はおろか、もその存在には気が付いていないだろう。
そんな彼を横目でちらちらと確認しつつ、坂本が肩をすくめた。
「あいつ目的忘れてんじゃねえか?」
「かもな」
それでも彼らは制止を呼びかけようとはしなかった。高巻も新島も、ももうすっかり打ち解けたのだろう、楽しげに何事かを囁き合っている。
「だが、こういうのも悪くない」
喜多川の言葉に男たちは苦笑して同意する。構図を決めるためのフレームを指で作る彼の目には女たちの溌溂とした笑顔が映っていた。
昼時になって手製の弁当が広げられると、男子一同は両手を合わせてを拝み上げた。
「女子の手作り弁当……ッ」
「ありがたやありがたや……」
「三日ぶりの米……」
「いやあんたたち、さん困ってるから」
高巻のツッコミ通り、はまた困り顔に戻って両手を振っている。
「どうぞ、食べて。あ、おにぎりもちゃんとラップ越しに握ってあるから……」
聞いているのかいないのか、いただきますを言い切る前に食べ盛りの男子高校生たちは各々好みのおかずに齧り付いた。
「欠食児童か」
呆れながら高巻がまたツッコミを入れるが、もはや声は届いていないのだろう。喜多川はともかくとして、残りの二名は毎食成長期の男子らしい量を食べているとは思えない食欲である。
そんな男どもを呆れた目で眺めつつ、高巻はペットボトルのお茶でまず唇を湿らせて、それから箸を手に根菜を煮たものを口に運んだ。
「うん、美味しい。こういう味のもの食べるの久しぶりかも!」
「杏ったら、それじゃ何を言いたいのか分からないわ。……うん、私も、誰かが作ってくれたご飯って久しぶり。すごく美味しいし、嬉しいわ、さん」
賞賛の言葉には照れたように笑って、自身も箸をつけ始めた。
「ん、この卵焼きあま~い」
「高巻さんちはしょっぱい派?」
「んー、ていうか、卵焼きってあんまり食べないかも。卵なら茹でてサンドイッチの具とか、焼くなら目玉焼きとか……」
「どっちかって言うとしょっぱい方だ」
「私の家も卵焼きは塩かダシだけど……うん……」
興味を惹かれて卵焼きに手を伸ばした新島が咀嚼の合間に漏らすと、は少しだけ不安げな顔になる。しかし……
「甘いのも美味しいわね……!」
新島が瞳を輝かせはじめると、ホッと息をついて肩の力が抜けていく。
「ねえさん、これってお砂糖どれくらい入れる?」
「ほとんどお菓子を作るのと同じ感覚。スプーンに山盛りで二杯くらいかな」
「そんなに入ってるの……!?」
高巻の手が一瞬の躊躇を見せるが、しかし欲求に屈したのか、すぐにまた動き始める。
「杏は少しくらい太っても平気だと思うけどね」
冗談めかした新島の言葉に、高巻は小さく首を左右に振った。
「んーん、私、モデルの仕事頑張るって決めたんだ。だから少しは気を使わないと……」
「高巻さん、モデルのお仕事してるの?」
「あ、言ってないっけ?」
初耳だと答えるの目はテレビの向こうの人物を目撃したような驚きと羨望の色があった。
「すごい。でもそうか、高巻さんスタイルいいし納得かも……」
まじまじと全身を見つめられ、流石の高巻も照れを隠せないのだろう。身を捩って頭をかいた。
「え、えへへ……そんな、大したものじゃないんだけどね。でも、だからこそ頑張ろっかなーって……」
「すごい! お仕事にしようと、プロ意識を持って挑んでいるんだ。立派だなぁ」
飾り気のない素直な賞賛の言葉で追い打ちを食らって、高巻は撃沈した。羨ましいとか、やっぱりちょっと人とは違うよね、などと言われることはこれまで多々あったが、職業として意識していることを褒められるのはあまりない。今はまだリハビリ中の親友の顔を高巻は思い描いた。彼女もそう言ってくれていたっけ……
「それにしても……新島さんは生徒会長、高巻さんはモデルをやっていて、喜多川くんは洸星で……みんなどこで知り合ったの?」
一同の手がほんの一瞬だけ止まる。
この質問だけはどこかで必ずされるだろうと推測して、あらかじめ答えと回答者を定めていたのだ。
果たして回答者―――新島真は笑顔で語った。
「もともと私たちの学校でこの三人がつるんでて……ほら、この子たちって目立つでしょ? それで私が彼らに問題行動はないか調べろって先生に頼まれて。それと同じくらいに、祐介が杏に絵のモデルを依頼したのよね?」
「そうそう。結局それは流れちゃったんだけどね」
高巻の合いの手を受けて、新島はますます軽快に、脳内に書かれた台本を読み上げる。
「それで杏たちは四人でつるむようになって、私が話を聞きに行って……そうしたら、先生たちが心配しているようなことは何も無かったし、私もこの子たちと一緒にいるのが楽しくなっちゃって……それでなんとなく、こうやって遊ぶようになった、ってところかしら」
怪盗団の面々はその胸の中で新島に喝采を送った。
事前に準備してあったとはいえここまで坦々と演技ができるとは。我らが参謀殿は役者でもあったらしい、と。
とはいえ、新島の内心は平静を装う外面とは違って冷や汗をかいている。時期や経緯をあえて曖昧にしたのは自然さを装うためだったが、それがかえって不自然になっていなかっただろうか……もしも己も気が付かない矛盾点があったとして、それを突かれたときどう誤魔化したものか……
そんな胸中などつゆ知らず、は微笑んでこたえた。
「そうだったんだ。なんだか面白いね。喜多川くんもだけど、坂本くんたち、もしかして問題児みたいな扱い?」
「待て、聞き捨てならん。竜司はともかくとして俺が問題児だと?」
「え?」
全員がきょとんとして喜多川を見た。
「……いや待て、それこそ聞き捨てならねえから! 俺はともかくってなんだよ!」
「違うのか?」
「違わない」
すかさず喜多川の隣から混ぜっ返す声が届いて、坂本はますますいきり立った。
「お前が言うなっつーの! 黒板にでかでかと怪盗団のマークまで描きやがって……!」
「ちょっと竜司!」
はっとして坂本は口を閉ざしたが、覆水盆に返らず。が小首を傾げて彼を見つめていた。
「怪盗団?」
「あ、あー……っと……」
「怪盗団って最近流行ってる噂? もしかしてきみ……」
緊張が走る。
この場に集う内を除いた全員が昨今世間を騒がす怪盗団の一員だということは誰にも明かせない秘密である。
知られるわけにはいかない―――
動揺を悟られぬうちに対処せねばと心を決めたときである、明るい声でが言った。
「怪盗団のファン?」
こういう展開、前にもあったな。鞄の中からモルガナが呟いた。彼はやれやれと息をつくと、先ほどからこそこそ投げ込まれてくる弁当のおかずを啄む作業に戻った。
「あ、ああ―――そうなんだ。そういうの、好きで……」
「そうそう、こいつすげー熱烈な怪盗団のシンパなんだよ!!」
誤魔化しの言葉に坂本が乗り、肩に肘を預けて癖のある黒髪をかき回す。されるがままの少年に、は瞳を輝かせて両手を打った。
「実は私も。本当にいるのかはわからないけど……そうだったらいいよね」
意外性のある発言であった。
は更に続ける。
「ピカレスクロマンって言うんだっけ。かっこいいよねぇ」
にこやかな少女の笑みには裏も陰りも見当たらない。純粋な憧れがそこには見受けられた。
「アルセーヌ・ルパンとか……」
坂本の腕を払い、少年が眼鏡のつるを抑えてふむ、と唸った。
「海賊ならキャプテン・キッドとか」
払われた腕を組み、坂本が深く頷いた。
「日本だと石川五右衛門の逸話とか……」
喜多川はまた、声に出して同意する。
「アンチ・ヒーローとも言うのかな。憧れるんだ。……変かな?」
男たちは声を揃えてこたえた。
「いいや、変じゃない」と。
各々が被る仮面―――ペルソナを褒め称えられて悪い気がするはずも無い。気持ちは分かるが気色は悪いと高巻はため息をついた。
鞄の中から「ゾロは? 怪傑ゾロは?」とモルガナが声を上げたが、それはアルセーヌの繰り手である少年によって潰された。
さて、は安堵して続ける。
「よかった……そういう小説が好きなんだけど、皆あんまり読まないよね。お母さんにも「そんな本は読まなくていい」って怒られるし……」
母親というキーワードに新島の手が止まる。深く聞き出すべきは今か、それとも……
しかし迷う間に坂本が言を継いでしまう。
「あー、わかる。うちもお袋がすっげーうるせーんだよ。漫画ばっか読んでんじゃない! つってさぁ」
「どこのお家もそうなのかな」
「どうだろ。うちお袋しかいねぇから、それも関係してんじゃね?」
難しい話題をあっけらかんと晒す坂本に、はわずかに目を見開いた。
言葉を選ぶような間が空いて、やがて語り出す。
「私の家もお母さんしかいないよ。だから、っていうのはあるのかもね」
「あ? そうなん? えー、じゃあさ、本以外にもアレコレ言われね? 勉強しろとか掃除しろとかあれ手伝えこれ手伝えってさ。俺なんかしょっちゅうパシられんの」
「あはは、言われる言われる。でも仕方がない。お母さんだって大変なんだから、私たちも少しは負担しないと」
言葉だけを聞けばただの親孝行者の台詞でしかなかった。
全く別の印象を与える要因となっているのはやはり、彼女の口元に残されたごく小さなかさぶただろう。
皆意識的に目に入れないようにしてきていたが、彼女の言葉の意図するところを深く考え始めるとどうしても視線はそこに吸い寄せられた。見てはいけないと意識すればするほど―――
そしてという少女はそこまで鈍感では無かった。もはや定番となった困り顔に手を添え、傷痕を視線から遠ざけるように顔を逸らす。
「あ、ワリぃ、ちょっと気になって」
思わずと坂本が謝意を告げると、はすぐに両手を振った。
「いいの。やっぱり気になるよね。ごめんね、なんか変な空気になっちゃったね」
取り繕おうと精一杯の笑みを浮かべる少女の姿は痛々しい。喜多川が思わず腰を浮かしかけたのを少年の腕が制し、代わりにが立ち上がる。
「私、ちょっとお手洗いに」
高巻がそれに倣った。
「じゃあ私も。真も行く?」
「そうね。あなたたちは片付けをお願い」
新島の命令に、男子一同は背筋を伸ばして了承を示した。の用意した昼食はちょうど全て平らげられたところだ。
ぞろぞろと連れ立って花摘みに向かう彼女たちを見送り、広げられた包みや空のペットボトル、丸められた銀紙等をビニール袋に放り込む男たちはしばし無言であった。
半ばほど片付いたところで、坂本が我慢できずに声を上げた。
「俺、やっちまった?」
ニュッとカバンから顔だけを出してモルガナが答える。
「いや、よくやった。お前のおかげであの子の家庭環境も見えてきたぞ」
「お、おお……そっか……」
モルガナから賞賛されるのが珍しい坂本は面食らったような顔をして頭をかいた。何か役に立てるようなことしたっけかと呟くのに、モルガナはやっぱりリュージはリュージだな、と大きなため息をつく―――
そんな一人と一匹の傍らで喜多川は落ち込んだ顔をしている。手こそ止まらず動いているが、その目は虚ろだ。対面でそれを眺めていた少年の手から空のペットボトルが投げつけられても、当たるまで彼は気が付かなかった。
「あいた。……なにをするんだ」
「しょぼくれた顔してたから」
「しょぼ……俺は別に」
「してたよ。どうした?」
「……竜司はすごいな、と」
「また俺? え、なに、今日はそういう日?」
「黙ってろ」
「あ、ハイ……」
友人二人のいつも通りの調子に救われたような気持ちになったのだろう、喜多川は口の端を綻ばせた。
「俺は今まで本当にのことをなにも知ろうとしていなかったんだなと再認識したんだ」
「そんなもんじゃないのか。なんとなくでも彼女の境遇を察しちゃったら普通は遠慮するものだろ」
「かもしれない。だが、竜司はしなかった。なぜか今はそれが……俺に出来なかったことを平然としてのけるのが……悔しくてたまらん」
男二人と一匹はギョッとして喜多川を見た。彼は落ち込んでいる様子ではあったがいつも通りに見える。だからこそ非日常を強調しているとも言えた。
「独占欲」
ポツリと呟いた少年の言葉に喜多川は首を傾げる。
「何だそれは。いや、言葉の意味はわかるが」
「竜司がさんに心を開かせたのが気に食わないんだろう。だから、独占欲」
「そう……なのか。てっきり、己の意気地の無さに対する苛立ちとばかり……」
「重症だな」
「何がだ?」
癖のある黒髪を指先でいじりながら少年はううむと唸る。傍らで坂本が声を上げた。
「もう言っちゃっていいか?」
「任せた」
「おう」
何事だとやはり疑問符を浮かべるばかりの喜多川の正面に移動して、坂本は真っ直ぐ彼の目を覗き込んだ。
切れ長の瞳は長いまつげで縁取られている。落とされた影が頬に落ち、彼を余人の目に美形と呼ばせるに至らしめているのだろう。悔しいが、見た目だけなら坂本だってこの男がイケていることくらいは認めていた。
だが、中身は自分とどっこいどっこいのポンコツだとも思う。
「お前さ、のことどう思ってんの?」
問いかけに喜多川は即答した。
「友人だ」
「聞き方が悪かった、うん。あー……のこと好きなの?」
これにも喜多川は即答した。
「ああ、好きだ」
予想外の返答だった。坂本にとっても、他二名とっても。
「え、うそマジ? そこ即答できんの?」
「当然だろう。でなければここには居ない。ああ、もちろんお前たちのことも好きだ」
「あ、そういうこと……」
ガクッと崩れ落ちた坂本に代わり、今度は少年が喜多川の前に立った。
「俺も祐介は好きだよ」
違うそうじゃない―――モルガナは思わず鞄から飛び出しそうになったが辛うじてこらえ切った。坂本は耐えられなかった。
「祐介『は』ってなんだよ! 俺はぁ!?」
「でもそれは友達としてだろ。異性としてはどうなの」
「無視しないで!」
「お前は男だろう」
「俺じゃなくて。さんの話な」
少年の後頭部を小気味良い音を立てて叩いた坂本を眺めながら、喜多川はやっと答えに窮した。
このような話題を彼らと取り扱うのは初めてではなかった。杏や真は女として有りや無しや、そういう下世話で年頃の少年らしい意見をぶつけ合うこともあったが、当然そのときの名が上がることはなかった。それは単に二人がを知らなかっただけではあるのだが……
想像して、喜多川は顔をしかめた。何故だか二人にそのような目でを見て欲しくないと思えたのだ。
喜多川は己が感じたことを素直に伝えた。
「分からないが、しかしお前たちにをそのように想われるのは……上手く説明できないが、嫌だ」
「なるほど」
一つ頷いて少年の手はゴミ拾いに戻る。
「心配しなくても俺も竜司もさんを狙ったりしないけどね」
喜多川とて人の子だ。ここまで言われて意図を汲み取れないほどの朴念仁ではなかった。
彼らはを恋愛感情で見ているのかと問いかけているのだろう。それは理解できる。
しかし……喜多川には答えることが出来なかった。好きかと聞かれればそれはもちろんイエスだ。しかしそれはあくまでも友人愛、隣人愛としてであり―――
「妹みたいって感じか?」
坂本の手が喜多川の肩のやや下あたりの空間を撫でるような仕草をみせる。
「の頭この辺だろ。ニ、三歳くらい年下っても通りそうじゃん?」
「妹……」
そう言われるとしっくりくるような気がしてくる。
喜多川は納得したつもりになって、深く頷いた。
「そうだな。妹と思っているのかもしれん。……お前らにはやれんぞ」
「急にそれっぽいこと言い出したぞコイツ」
「妹ねぇ……」
少年はわずかに鼻を鳴らし、そんな訳ないだろうと心の中で呟いた。
妹に対してあんな顔をする兄がいるかよ。と。
しかし過保護な兄貴という仮面が喜多川を安らかにさせていると見て敢えて口にはしなかった。