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28:There's No Way Out
さてそれではとは地を蹴って飛び上がり、遮音壁を足継ぎに高速道路の外へ出ると、隣接するビルの壁に飛びついてそこにへばりついた。
地上八階建てのビルの窓枠に足をかけてなお見上げる大きさは、なるほど神を名乗るに相応しくも思える。
ただし直接地に足をつけてその体高というわけではなさそうで、繭から抜け出して全身を顕にしても脚らしき部位は見当たらず、下半身はスカート状の鎧でぷっつりと切れてしまっている。
そこに目をつぶれば見た目は完全に教科書にも載せられる埴輪の武人だ。ナビとジョーカーはしつこく『大魔神』を主張しているが、今のところ誰もそれは受け入れていない。
その歩みはホバー移動でもしているのか、安定していて、普通二本の足で歩く際にある身体の揺れはみられない。
なにによって浮遊しているのかも分からず、脚部があればそこを狙って転倒させるという手もあっただろうが、さてどうしたものか。
唸って、は壁を蹴ってさらに接敵する。あとに仲間たちが続いていることは足音から察せられた。
「やっぱり腕かな」
『もしくは目だな。がとびかかった瞬間狙って、ノワール、やってみてくれ』
「了解です。ちゃん、お願いね」
「わかった」
に続いていたのはノワールとスカル、それからパンサーとモナだ。ジョーカーとフォックス、クイーンは高速道路の上に残り、同じく残された異形らを片付ける算段でいるようだ。
『むこうはすぐ終わるだろうから、その間にこっちは改めて小手調べといこう』
話している間にも、高速道路上では射線に味方が入る心配が失せたからか、誰の仕業かまではわからない、容赦のない範囲攻撃に猿に似たなにかの群れが宙を舞っている。
なるほどこれは確かに、心配する必要は二重の―――彼らの身と背後を取られるという―――意味でなさそうだ。
後顧に憂いなしとは建物の壁や屋上を次々に飛び移り、あっという間に金の巨人の足元にたどり着く。
見上げる位置にある大きな顔が動いて、はるか下方の彼女を捉えた。途端、それは腰に履いた剣に手を伸ばす。
その巨体では素早くはなかろうと高をくくっていたは、次の瞬間ギョッとさせられる羽目になる。
丸太を十本は束ねたような太い腕が動いたと認識した次の瞬間には、そのあたりのビルなど簡単に両断できそうな剣が鞘から引き抜かれ、大きく振り上げられている―――
避けろと叫んだのは果たしてスカルだったのかナビだったのか、空を裂く音さえ激しい剛撃を、はその腕の中に飛び込む形で回避した。
そのままがら空きの胴を踏み台に、下ろされたままの腕に飛び乗り、駆け上がりながら拳を叩きつける。
効果のほどは知れないが、少なくともその視線を引きつけるには充分だった。
「そこですっ!」
鋭い号令とともに、ノワールのペルソナ、その口から突き出た五〇ミリ以上はありそうな銃口から弾丸が吐き出される。
瞬きする暇さえなく突き進んだ弾はわずかに狙いを逸れ、眼にではなく額中に突き刺さった。
ノワールはしくじったと目を細めたが、スカルがこれを好機と拾い上げた。
高速弾によって巨神は額を押されて顎を上げ、無防備に喉首を晒していた。そこに、の後を追って駆け上がっていた彼の一撃が突き刺さる。
駄目押しにと更に続いていたモナが、その背に貼り付いた。
「いてぇ! だからツメ立てんなって何回言わせんだよ!」
「悪ぃな。つい」
猫はにゃんと鳴いて風を巻き起こし、己の数百倍はあろう巨神さえも揺さぶるほどの嵐を引き寄せる。
「むっ……ううっ、オオォッ!」
うめき声とともに巨体が傾いだ。
揺れる身から怪盗たちは跳んで逃れ、それぞれビルの屋上や貯水槽の上に着地する。
嵐にはいつの間にか炎が紛れ、黄金の鎧に包まれた身を炙り、痛めつけた。
「さっさとそこに跪きな! 私まだ夕飯済ませてないんだから!」
恫喝ともご褒美とも取れるパンサーの一喝に巨神は雄叫びで応えた。
ビリビリと空気を揺さぶる低く太い声には、明らかな苦痛が混じっている。
『いいぞ、効いてる。この調子で削って!』
「了解! ジョーカー、さっさと来ないとウチらだけでコイツやっつけちゃうからね!」
「やっつけないで、吸収させてー……」
隣の建物のビルボードの上に立つが控えめに訴える。
それはもちろんパンサーも理解している。ただ今のところの手応えでは、本当にジョーカーたちが雑魚を一掃する前に斃してしまいかねない。
すでに一度偽神を斃した身と思えばこの実力差もやむなしか。少し手加減する必要があるかもしれない……
実際のところ、彼らの実力というものはほとんど限界に近いところに至っている。新参のはさておき、一年を通して戦い抜いてきたメンバーの力は間違いなくこの巨神に通用するだろう。
それには巨神が復活したばかり且つ≪力≫を取り戻しきっていないという条件も加わるが、それがあったとしても全員で掛かれば勝機も見える範囲だ。
よほどのしくじりがなければどうにかなる。
―――だけど、それでも。勝ち戦だけど、不安要素がないわけじゃない。
ナビは油断なくモニター越しの状況を睨みつけながら独り言ちた。
そこには未だ炎と嵐に巻かれて体勢を崩したままの巨神の姿と、群れを相手取るジョーカーたちの姿がそれぞれ映し出されている。
ナビが気にしているのはどちらかといえば後者のほうだ。
問題があるわけではないどころか優勢一方だが、だからこその懸念がチラつく。
『―――数が足りない』
「わかっている」
独り言にすぐさま反応したのはフォックスだった。彼はちょうど刃を振り抜いたところで、敵との距離が空いていたから、その隙間を縫って反応したようだった。
「アイツだろ、例の。あのでっけぇ赤ん坊みてーなやつ」
ナビを中継にしてフォックスの声を拾ったスカルが言った。建物の側面に取り付けられた看板にぶら下がった彼の前では巨神が姿勢を整えつつあって、未だ背に貼り付いたままのモナがそれを妨害せんと唸り声を上げている状況だ。
「たしかに、おかしい。ジョーカーが合流した辺りで―――っうわ!?」
「? どうしたの?」
ここにきて初めて見る形の異形―――もつれながらのたうち回る黒髪の塊を焼き払いながら、クイーンが反応する。辺りには髪が焼けるときの嫌なニオイが漂っていた。
「すいません、ちょっとバランス崩しかけて……よっと、あ、もう大丈夫です」
「こっちはよくない。クイーン、そいつに熱はよしてくれ。ひどいニオイだ……」
人より優れた五感を有するジョーカーはその悪臭に鼻をつまんで身震いしている。遠く離れた場所でモナが「そっちに残らなくてよかったぜ」と乾いた笑いを漏らしていた。
「空を覆うほどの大群だったはずだけど……いつ消えたのかな?」
連続した発砲音がノワールの声には被さっていた。よろめく巨体の鎧の隙間を狙った射撃が続けられているらしい。
「警戒したほうがいいよね。アイツら急にどっかから出てくるから」
例えば、尊大な猫又の身体を刺し貫いたときのように。あるいは戸惑う小虫らのことごとくを切り捨てたときのように―――
脳裏を過ぎったパンサーの記憶に呼応したのか、紫色に輝くカメムシに似た、しかしそれらしい悪臭のない蟲たちが羽音を響かせて現れた。
当然その羽音もナビを介して耳に届くからか、フォックスは鬱陶しそうに首を振る。
それはなにも音に対する不快感だけではないようだ。
「なにを企んでいるのか知らんがどうせ俺達にとってろくなことにはならないんだ。さっさと姿を現せばいいものを」
「やめろよ。そういうこと言うと痛い目見るんだよ。お前がじゃなくて俺が!」
「アンタのそれは声がデカいせいでしょ。自業自得じゃん」
「動きも大きくて派手だから目につくのよね。隙もあるし。もっと考えて動きなさい」
「えっ、なんで俺叱られてんの……?」
「うーん……頑張ってね?」
「どういう意味!?」
「オマエら、緊張感って知ってるか?」
呆れた調子で漏らすモナの視線の先で、が再び巨神に踊りかかっていた。
巨体はまだバランスを崩したままではあったが、混乱している様子はない。先にフォックスがしたように鬱陶しそうに首を振り、また剣を一閃する。
それから見た彼女は羽虫のようなものということか。なんにせよ巨大であるということは、たちにとってただそれだけで十分すぎる脅威だ。ましてや俊敏さも備えているとなれば、どう手を打ったものか―――
『はまじめだな。いいことだ。おまえらも見習え〜』
などとナビはからかうように言うが、も真面目にやっているというつもりはない。気の抜けた怪盗たちのやり取りに付き合う気がないだけだ。『そんなもの』より、さっさと幼馴染を取り返したい一心だった。
そしてもちろんと言うべきか、仲間たちはその心中を見抜いている。
先の斬撃を紙一重で躱したはいいものの、体勢を崩した彼女の背にスカルの手が伸び、あまり丁重とは言えない勢いで引っ掴んだ。
「一人で突っ込むなって!」
「わ、わかってるよ」
「やっぱわかってねぇよなぁ、ソレ……」
貼り付いたままのモナも当然そこにいる。
黒猫からもたらされた苦言には口をへの字に歪めたが反論のしようもないのだろう、黙って振り回されるがままになって、それでもしつこく巨神を睨みつけた。
厳しい顔つきには先のノワールの銃撃も、スカルの打撃の痕もみられない。パンサーとモナの攻撃も今まさにじわじわと塞がりつつある。
『自動回復持ちか? やっかいだな』
「なにか手は?」
「考えるより火力で押し込んだほうが早い」
「わかっ」
「それはマジでわかってないやつだから! ジョーカー、にヘンなこと吹き込まないで!」
変なことでもないだろうとジョーカーは反論しようとしたが、足元で群れをつくるビニール袋状の刺胞生物にまとわりつかれてつんのめってしまう。
それも軽く足を振れば猫かカモメに似た鳴き声をあげながら逃げていく。
大火力でもって叩き伏せるというだけなら、ジョーカーにとって……仲間たちにとっても別段『ヘンなこと』でもないが、今回に限っては交渉―――あるいは恐喝か強奪―――に持ち込まなければならない。
そういう意味ではいたずらに圧倒ばかりするべきではなかった。必要なのは制圧であって、せん滅ではないからだ。
とにかく囲んで動けなくしてやらなければ話ははじまらない。
ジョーカーは己の仮面を撫で上げながら、高慢な調子で鼻を鳴らした。
「少なくともこっちは火力で解決する」
踵が床を叩く音が高らかに響いた瞬間、蒼い炎とともに隻眼の戦神が現れる。またその腕に携えた槍の柄頭が足元を叩くと、虚空から轟音とともに閃光がほとばしった。
耳をつんざくような破裂音が続き、ジョーカーたちの前に立ち塞がっていた異形たちが次々にのけぞり、焼き焦げていく。
強烈な神の雷が通り過ぎたあとには、動くものは一つとして残されなかった。
「終わりだ! 次にかか―――おえっ」
「熱はよせと自分で言ったばかりだろうに」
漂う異臭にカッコつけきれなかった彼の背をさすってやるフォックスのかたわら、クイーンはさっと四方に目を配った。
焼け焦げたあとも痙攣してひくつく怪物たちの四肢や触手があちこちに散らばっているが、それ以外に目立つものはない。
「ナビ?」
『……んっ、だいたい消し飛んだ! まだ来てるのいるけど、ひとまずはこっちに合流して』
「すぐ行くわ」
応えて踏み出したクイーンの一歩先をフォックスが踏んだ。
跳躍と落下、着地のたびに揺れるその尾にクイーンの視線が吸い寄せられそうになるが、追いついたジョーカーのコートの裾が視界の端にかかると興味はそちらに移る。
「ジョーカー、≪切り札≫は使えるの?」
「どうかな。アレはあのときの状況があったから出てきたもののような気もする」
「そう。巨体決戦はなさそうね」
「残念だ」
心の底からそう言って、ジョーカーは天を仰いだ。
吐いた息が暗く沈んだ夜空に白く浮かび上がった。そういえば、侵入したばかりの時点では気にならなかったが、今は肌を刺すような冷たい風が吹いている。
天上で瞬いているものも星だけではないようだった。遠目に見える高いビルの屋上に取り付けられた障害灯が赤く点滅しているのが澄んだ空気の中よく見えた。そのずっと上でゆっくりと移動しているのは飛行機だろう。こちらに向かって真っ直ぐに近づいてくる赤と緑はヘリの航行灯か―――
思う間に、ヘリはけたたましい飛行音を鳴り響かせ、白い尾を残しながら彼らの頭上を通り過ぎていった。
きっとどこかのテレビ局の報道ヘリだろう。
少しぶりに顔を見せた怪盗団からの謎のお願いに続いて環状道路が通行不可になったのだから、きっと外では繋がりがあるとはやし立てられていることだろう。
それもおおむね、間違いではない。さりとて割れ窓の寓話かもしれないが、死ぬかそれに類する状況に追い込まれるよりはきっとマシだ。
宵闇の中でも輝く黄金の鎧兜に目を戻すと、ジョーカーはさてと足踏みをしながらかじかむ手を揉み合わせた。
「ただデカいだけなら≪切り札≫がなくたっていくらでもやりようはある」
尊大なもの言いにを除いた全員が肯してみせた。
「……あるの? やっぱり、火力?」
訝しげな声を返したに、ジョーカーは喉を鳴らした。
「もっとアツくてスマートなやつだよ。具体的には―――」
『囲んで叩く』
「さっきからずっとそれじゃないか」
呆れた様子を見せつつもは素早く飛び上がったスカルに続いた。
「こっちでいいのかよ」
「え? なにが?」
「フォックスのほう行かなくて……いやいいわ。今やることじゃねぇわ」
「あっちはクイーンが付いた。問題はなさそう」
「そーね。……いやその言い方だと俺に問題ありそうなんですけど」
「隙があるって言われてたから……」
「ほっとけ!」
さておき、囲んで叩くと宣言した以上、まずは包囲を完成させる必要がある。その隙をつくるため、派手な立ち回りをしようとスカルは目論んでいた。巨神の馬手に回った彼らとは正反対、弓手の下に潜り込んだフォックスとクイーンもそのつもりだろう。
そういうことならばとモナはスカルの背中から離れ、猫らしく身軽に建物の上を移動して物陰にするりと入り込んで姿を消した。同じくノワールもまた、影の中に身を潜める。
パンサーはといえば、地上に降り立って巨体の影の下を疾走している。
『急げよパンサー、あでも、気付かれてもだめだぞ。あっ、早すぎてもアウトな』
「注文が多いって……」
彼女の目的は敵の背後を取ることだ。もちろん巨神のほうだってこちらの目論見くらい察しているだろうから、ナビの言うとおりタイミングよく潜んで行わなければならない。
とはいえ陽動はうまくいっている。左右に別れた二人組は蝶やら蜂やら、羽のある虫さながら動いては巨体をよく翻弄した。
『いいぞコレぇ、パンサーも配置についた。ジョーカー、そっちはどう?』
「もう少し―――いいよはじめてて」
応える声が返るなり、陽動に動いていた面々は一斉に攻勢に移る。
まず左右の腕の影に潜った面々が、直上へそれを弾き上げた。すると無防備に掲げられた腕を中空に縫い付けるかのように銃弾が突き刺さる。
たまらずうめき声を上げた太い胴に背後から赤熱が襲いかかり、それを吹き上がる強風が絡みつかせた。
『もっとだ。膝をつくまで手を緩めるな!』
「わかっ……膝?」
「ねぇよそんなもん」
「着地させればいいかしら……?」
「叩き上げたばかりだが?」
『まぜっ返すな! 落とせ落とせ!』
耳元か首の後ろか、はたまた頭の中に直接響くナビの怒声に背を押され、再びスカルたちは動き出す。
「モナ、パンサー、右からいくぞ」
「オッケー! ……どっちから見て右?」
「そっちから見て右!」
おはし持つ方、と付け足したが火炎の中に身を投じると、炎は慌てた様子で彼女に道を譲り、鉄骨と見まごうばかりの大きさの剣を握る手を露わにした。
―――落とすって言った? よく考えたら、届かないじゃないか。
眉をひそめたの身体が一拍止まる。
その間隙を炎の中から見つめていた巨神の、弾き上げられた腕が左右ともにそのまま真下に振り下ろされた。
激しい地鳴りとともに空間全体が揺れ動く。地の底からではなく、地表から少しだけ浮いた場所に生じた揺れは空気に伝わり、広がって隙間なく立ち並ぶビルの窓ガラスをビリビリと揺さぶった。
「うえっ、気持ち悪ぃ……」
足元を離れた場所で起こった振動に真っ先に反応したのはモナだったが、他の面々も感じたことのない感覚に顔をしかめている。体感としては地震に近いが、足元からではない揺れには言いようのない不快感があった。
目眩に似たこれに一瞬呆けるものの、スカルはすぐに我を取り戻して即席の相方の行方を目で探った。
果たしては狭い路地の中、そこに詰め込まれた非常階段に貼り付いて目を回している。直撃こそ逃れたものの、間近であの振動を受けたからだろう、復帰にはしばらく掛かりそうだ。
「どっちが隙だらけだよ……!」
毒づきながらも踏み出したスカルであったが、辛うじて冷静さはまだ失ってはいなかった。飛び出す前に周囲に目を向けるだけの余裕もあった。
「―――俺が行く。お前は踏み台を頼む」
隣のビルからひらりと飛び降りた細身のシルエットに、スカルは舌を出して天を仰いだ。
「ずっりぃ……ヤだよ重いんだよー……」
「あっスカル聞いてくれ。ムショ暮らしのおかげでまた増えた」
「筋トレしてんじゃねーよ!」
弾んだ声に怒鳴り返して、スカルは踏み出しかけていた脚を別の方向へ向けた。
状況的にはさほど悪いわけでもない。
包囲はほぼ―――たった今が叩き落され、その救護のためフォックスが欠ける羽目にこそなったが、その分ノワールの活躍が光ったおかげで完成している。
中てることを度外視した制圧射撃は一撃必中の狙撃よりはよほど気が楽らしい。ばら撒かれる弾丸の景気のよさは巨神の動きを操る糸のようでもあった。
そこに踊るように揺らめく炎と、それを巻き上げてまとわりつかせる嵐がある。見開かれた巨大な眼は、ビルからビルへ、一流のスタントシーンかなにかのように駆け回る大型二輪に誘われている。
巨大なぶん広いはずの視界に落ちる影の中、ジョーカーは八階建てのビルの上を走り抜ける。給水塔の影の隅、返しのついた柵の上には、スカルが心底嫌そうな顔をして彼を待ち受けていた。
「しくじるなよ」
「わーってるよ!」
半ばヤケになっているのか、大きく跳躍したジョーカーがかけた声に、スカルはほとんど怒鳴り返すような勢いで返した。
その肩にジョーカーの足が乗る。
「ぐえッ……マジで重……!」
「だろ?」
自慢げに鼻を鳴らした頭領にスカルは忌々しげな舌打ちでもって応えると、それを合図に渾身の力を籠めて彼を空中に打ち上げた。
その足元ではちょうど、クイーンが移動の軌跡を示すように青い輝きを撒き散らしている。当然、巨大な神なるものの眼もそこに釘付けのままだ。
ジョーカーは空中で身をひねると、必要もないのに一回転してから姿勢を整えた。
その背後には六枚の羽を広げた地獄の総大将の姿がある。
それはなにかを思い悩むかのようにしかめられた顔で複雑そうに下方の状況を確かめると、翼をはためかせた。
するとはるか天空から飛行機やヘリの航行灯、ビルの障害灯の小さく懸命な輝きをあざ笑うかのような光の礫が、彗星の如き勢いで降り落ちる。
巨神の右肩目掛けて一直線に突き進んだ礫は激しい音と衝撃とともにそこへ突き刺さり、黄金の鎧を砕きながらさらなる衝撃を繋がる腕と首、顔面に撒き散らした。
さしもの巨体とそこに宿る頑強さもこれはたまらぬと身震いし、足元を駆け回るクイーンや飛来する銃弾から目を離す。
巨大な緑の瞳がまだ空中に留まるジョーカーを捉えた。
彼は気取った笑みを浮かべると、懐から拳銃を抜き出して構えてみせる。
「チェック・メイトだ」
そのカッコつけはどうなの? イケてるの? そうでもないの?
下方で仲間たちが真剣に議論する声と発砲音が重なった。
弾など出るはずのない精巧なだけのモデルガンから放たれた拳銃弾は衝撃の余波もなぶるように吹き付ける真冬の風も、なにもかもを無視して真っ直ぐに突き進む。
やがて驚愕に見開かれた瞳の中心、鼻の付け根に突き刺さる―――
ギャッと小さく甲高い悲鳴が上がった。
「おいおい、ここでか?」
辟易とした調子で吐き捨てたジョーカーの目の前に立ち塞がるものがある。放たれた銃弾は確かに狙い通りの場所に突き刺さったが、巨神にではなくそのものの眉間に穴を穿っていた。
水風船のように弾けたそれはジョーカーよりも一回りも二回りも大きな赤ん坊だった。両の腕はないが、代わりにか背から翼のように無数の腕を生やした異形だ。
いずこからか湧き出たそれが身代わりになって攻撃を防いでいた。
ならば、とジョーカーは仮面に手をやり、もう一度明星を招来する。
しかし、天から飛来した光は再び湧き出た奇形に受け止められ、空中で輝きとなって消えてしまう。その上小さくない爆発の余波が彼を襲い、姿勢を崩させる。
『ジョーカー! 避け―――』
悲鳴じみたナビの言葉の途中でジョーカーは横一閃になぎ払われた剣の切っ先に胴を捉えられ、その勢いのまま再び空中に放り投げられてしまう。
その軌道を追うように彼の肉体から吐き出された赤いものが撒き散らされる。
遠く距離のある夜闇の中に描かれる赤い線は、しかし仲間たちの目にはっきりと映り込んでいた。
「この野郎!! ざっけんじゃねえぞ!!」
矢も盾もたまらぬと飛び出したのはスカルだった。彼と同じかそれ以上に怒れる猿神を従え、得物を手に振り抜いたことでがら空きになった胴へ飛び込んでいく。
「待てスカル! むやみに突っ込むんじゃ―――」
モナの言葉は天から落ちた雷鳴にかき消された。
しかしその稲妻も、鎧の隙間から顔を覗かせた奇形を弾けさせるだけに終わっている。
スカル自身の腕も脚も、同じく隙間から這い出たものに、その背から伸びる腕に掴まれて中空に縫い付けられてしまっていた。
馬鹿野郎と誰かが彼を罵るより早く、彼は奇形らによってはるか下方の地面に叩きつけられる。
派手な音を立ててアスファルトを割り、背を強かに打ち付けられてなお彼は意識を保っていた。タフネスが『ウリ』の特攻隊長なのだから、これは辛うじて納得できる範疇のことではあった。
ただしそれはパレス、メメントスといった認知世界やこの異界のような、現象界とは法則を違える場所を知っているからこその理解だ。
「きっ、きみ、大丈夫―――!?」
かん高い悲鳴とともにスカルの耳に人の声が入った。
痛みを堪えて見回せば、彼が落下したのは『人通りの多い』駅前の大通りだった。すぐ左手には、漫画のキャラクターが描かれた大きな看板が掲げられている。
「……なんだ、こりゃ……」
驚愕に見開かれた目には、本来この場にあるはずのない人影が―――それも一人や二人ではなく、一部の者に至っては意識を保ったままの状態で、不安げに落下してきた重症の少年や天に浮かぶ巨大なものとを見比べてはどよめいている姿が映っている。
『こっちでも捉えた! 人がいっぱい……侵蝕が一気に進行したせいだろうけど、まずいよ』
焦りに満ちたナビの声に、スカルは傍らで心配そうに彼を見下ろす人々を無視して無理矢理に立ち上がった。
その耳に再び悲鳴が届く。
ほんの数メートル先、小さな飲食店の店先に奇形が浮かんで店内を覗き込んでいた。悲鳴はその店の中からのようだ。
―――そりゃそうだ、あんなんが店の前にいたら、悲鳴くらいあげるわ。
スカルはよろめきながら走り出し、震える膝に鞭打って地を蹴ると、その無防備な横っ腹を揃えた両足でもって蹴り飛ばしてやった。
「だ……ダブル・ライトニング・スカル・スタンプ……」
ほとんどうめき声と変わらない調子で辛うじてそう言って、蹴り飛ばされて店先を、行き交う人の波から離れた異形を人差し指で指し示す。
すると蒼い炎とともに猿神が現れてその頭部を叩き潰す。
……あまりダブルでも、ライトニングでも、スタンプでもないが、一先ずこの場の危機は去ったか。あとはなにか言われる前にとりあえず逃げて、後始末はかしこい先輩と後輩に丸投げしよう―――
動揺と困惑、混乱と恐怖で満ちる場から立ち去ろうと再び力を籠めた脚はしかし、すぐには動き出さなかった。
なんとなれば激しい地鳴りが辺り一帯に襲いかかったからだ。空間全体を揺るがすような鳴動もあった。
ただしそれは足の下からではなく、胸から上、頭やその少し上を発生源としているような、奇妙な揺れだった。
地震であればそれはそれで恐怖を覚えるが、それよりももっと不快感を伴う、胸の悪くなるような振動だった。
「そなたらにできることはもはやない」
巨大な神を名乗るものが言った。そこには憐れみと、幼子を慈しむような色が垣間見えた。
その、三度振り上げた腕にノワールの放った銃撃が差し向けられるが、それもやはりまとわりつく赤ん坊めいたものが受け止めて弾け飛ぶだけに終わる。
腕は止めるものもなくたやすく地面を叩いた。
再び起きた揺れが空間を揺らすと、その揺らぎの向こうから人が歩いて、あるいは小走りに、バイクや車、自転車にまたがって、現れる。
その場でぼう然と立ち尽くすだけの者もあれば、意識を保ったままの者もある。後者にしても、すぐに異変に気がついて怪訝そうにする者と気が付かぬままで分かれた。
『こっ、この揺れ! これのせい! 侵蝕が進んで―――止めて!!』
三度振り上げられた腕にナビが金切り声に近いものを上げた。
その懇願めいた号令にパンサーが業火を繰り、天を覆うほどの波を作り上げて浴びせかける。
それも、ここまで潜んでいたらしい赤ん坊たちが一斉に現れては壁となり、本体には届かない。
叩きつけられた拳は再び揺れを起こし、境界線そのものを押し広げて固定させた。
今や怪盗たちの足元や目の前、すぐそばの角の向こう、背後にある街路のあちこちから、戸惑いと恐怖から悲鳴が上げられていた。
「―――! 来い!!」
非常階段の手すりにしがみついて揺れをやり過ごしていたフォックスは唐突にそう叫ぶと、をふり返りもせず手すりを乗り越えて飛び出していった。
どうしたの、とも、何故、ともは問いかけずその後に続いた。
何故なら彼女の視線の先で、ぼう然としたまま立ち尽くす初老の男に赤ん坊が覆い被さろうとしているところだったからだ。
背から生えた腕を伸ばし、丸い肩を掴んで顔を寄せる姿は、それが膨れた巨大な赤子の姿さえしていなければキスシーンかなにかのようにも思える。
しかし、触れた皮膚はじわじわと男をその内部に取り込み、自らの中に収めようとしている―――
まばらな人影の中をすり抜け、駆けつけたフォックスが頭部から下を斬り落とすと、異形は水風船のように弾け、表面だけが地に落ちる。
一拍遅れて倒れ込んだ男に追いついたが手をかざすと、規則的な呼吸と心拍がすぐに確かめられた。
「……少なくとも表面的な部分に異常はないようだね。だけど今のあいつの動き、まるで取り込もうとしているみたいな……」
「俺にもそう感じられた。……ナビ? 今の光景は捉えていたか?」
かすかなノイズの後、ナビが応じる。
『見てたっていうか、今も見てるっ! あ、あっ! くそ、どうする、どうする……』
「どうしたの?」
ひどく焦った様子の彼女の声に、フォックスとは眉をひそめる。
今も、とナビは言った。しかし彼らの周辺に、そういった光景は存在しない。やたらと鼻につく濃い豚骨とニンニクのにおいはすぐそばのラーメン店からで、ここにある程度まとまった人が存在しているのはその前にできていた行列のせいだろう。そのうちの一人は意識を保っているらしく、先の光景に腰を抜かしてへたり込んでこそいるが五体満足だ。
であれば―――
「行くぞ!」
仮面の下の顔を青ざめさせたフォックスは、再びにあとに続くよう短く求めると、走りながら次にナビを頼った。
「ナビ、どこだ!?」
『そこからまっすぐと、左手三百メートル―――だめ! 数がおおすぎる!』
察してはフォックスの背から離れ、左に折れる。
果たして二人はそれぞれたどり着いた先で同じ光景に出くわした。そしてどちらもが駆け抜けざまに異形を叩き割り、首尾よく同化させられつつあった人々を助け出した。
同じ時、上に残された少女たちと猫は五階建てのビルの屋上で身を寄せ合ってこそいたが、そこかしこの影から湧き出るものに包囲されている。
冷たいものが背をつたい落ちていくのを感じつつ、パンサーは努めて平静を装って言う。
「一応訊いとくんだけど……誰か作戦とか、あったりする?」
『ぷ、プランB……』
「そりゃなにもねぇってことだろ」
急ぐでもなくじわじわと狭まる包囲に、彼女たちは自然と互いの背を預け合う格好になっていた。その中央に包まれる形になったナビの目には、現象界と異界の同化によって現れた人々が、今度はそこの異形に呑み込まれる姿がいくつも映し出されている。
いくつかは、地上のスカルやフォックス、が間に合って救い出せているが……
焼け石に水だ。圧倒的な物量での同時展開は怪盗たちの手に負えるようなものでは到底なかった。
「私たちも下に降りて救助をすべきじゃ……」
ノワールの進言に、クイーンは悔しそうに歯を噛んで首を横に振った。
「私たちが加わったところで対処療法でしかないわ。大もとを絶たなきゃ、イタチごっこするだけよ」
とん、と二人の肩と肩が触れ合った。
ひしめき合う赤ん坊型の異形の隙間から、まったく形の違う―――猿やキリン、鷹、熊……様々な動物を連想させる、しかし決してそれらと同等ではない異形さえもが姿を見せつつある。どうやら高速道路からこちらまで、あるいはまた別の方面から、いよいよここまでやって来てしまったらしい。
こうなっては包囲など、ましてや弱らせて膝をつかせ、交渉に持ち込めるとはとても思えない。今やそれはむこうが達成しつつあることだった。
けれどあちらにはそのつもりはないらしく、暗色の空には引き裂くように高々と腕が掲げられている。
「言ったはずだ。できることはない。衆生は相も変わらず逃げまどい、助けを求めて縋るものを探すばかりではないか」
声はやはり憐れみに満ちている。
「お前たちの働きも所詮その程度。なんの影響ももたらさなかったということ」
しかし同時に包囲は一斉に動き出した。背から伸びる腕を前に突き出し、網のように交差させて覆いかぶさる。その目はすぐに狭められ、悲鳴が漏れ出ることも叶わなかった。
ただ猫が一匹抜け出す隙間くらいは残されていたのか、スポンと勢いよくモナがはじき出されて床の上を転がった。
彼は尾をピンと立て、牙を見せて吠える。
「当たり前だ! ひと月ふた月っくれぇでニンゲンがそんな様変わりするわけねぇだろ! コイツらがしたことってのは、そんな表面的なモンじゃねーんだよ!」
彼は同時に己の半身を浮かび上がらせて、その手の中の金の杖を振るわせていた。
屋上の端から身を乗り出しつつあった大まかにヒトの形をしたものが、生み出された烈風に押されて次々に地上に叩き戻される。
「それに―――それに、ワガハイは消えなかった。今もって形を得て残ることを許された。その意味がオマエに解るか―――?」
もちろん、この猫はただの猫ではない。
時所によっては二等身になって二足歩行し、ペルソナを使役さえする。人語を解し、正しく用いることも可能だ。タマネギだって食べることができた。ときにはバスになって仲間たちの足を務めたりもする。
しかししてその正体は、人々の無意識の集合体から汲み上げられた猫サイズのナニかだ。
そのナニかを前に、神はやっと少し鼻白んだ様子をみせた。
「だとして……どうするというのだ? かの偽神を斃したときのように、数多の衆生の声は届かぬぞ。誰もお前たちの存在にきがつきもせぬ。貴様らにあるのはただ、個の力のみではないか」
諭すような声色だ。影にはほんのわずかな戸惑いが隠れていた。
そしてその様子を窺っていた悪党は、狡猾にもその同情さえ似た隙を見逃すほど甘くはなかった。
「そうでもない」
彼はすっかりぼろぼろになったコートの裾をはためかせて、隣のビルの給水塔の上で偉そうにふんぞり返っていた。
肩から腰にかけてつけられた大きな傷あとは、滴る血こそ止まっていたがまだ塞がりきらないのか、赤く染まってぬらぬらと輝いている。
その傍らには小さな人影が浮遊している。
虫の羽を背に生やしたいたずらっぽい顔の少女だ。彼を挟んだ反対側には、ランタンを掲げたカボチャがゆらゆらと揺れている。また足元には、青い帽子をかぶった雪だるまが一列に並んでは、何故か敬礼のポーズをとっている。あるいは不定形な汚濁の塊のようなものや、ツボに入った青い肌の悪魔であったり、角を生やした黒い馬だったり……
ただしそれらはいずれも、指が欠けていたり、脚が片方しかなかったり、目や耳や鼻の穴の数が足りなかったりしている。どうにも不格好で、形をしっかり保てているとは言い難いシルエットをしていた。
「ジョーカー! 無事だったのか、今度の今度こそダメかと思ったぜ……」
「俺もそう思ったよ。一回ラヴェンツァに蹴り飛ばされた気もする」
言ってジョーカーはペッとつばを吐き捨てた。着地点の近くにいた雪だるまと不定形な存在が慌ててその赤いものの混じった液体から逃れる。
「だけど、だけどこりゃ……」
モナはそんな不遜な態度とこの状況に目を細めて尾を震わせた。
「どういうことだ―――?」
言を継いだのは腕を掲げたままの神なるもののほうだった。
ジョーカーは低く喉を鳴らし、それによって痛む腹と吐き気を押し隠しつつ尊大に言い放った。
「これが俺たちのしでかしたことの答えってやつかもな」
地上にも天上にも、形の崩れた―――しかしいずれも怪盗たちにとって見覚えのある姿をしていたもので溢れかえっている。
それはどうやら、境界線のむこうから、はるばるやってきたもののようだった。