27:Evil with Us

 その笑顔というものは、例えば誇らしげだったり、楽しげだったり、苦し紛れのものだったりはしなかった。
 どこか攻撃的な種類のもので、これから起こる暴力的な顛末を楽しんでやろうという、あまり上品なものとはいえない魂胆が垣間見える。悪党が浮かべる冷酷なものに近かった。
 包み隠さず言えばそれはの趣味とはほど遠い。穏やかで静かな、けれど確かに存在する緑のものや様々な生き物が彼女の好みだ。例えば、#Natureというタグが付けられるような。
 さりとて事ここに至って、ネイチャー系を気取るつもりもない。あるいははじめからそんなことも忘れていたのかもしれない。
、やれ」
 パーティのはじまりの合図に鏡開きでもさせようというのか、ジョーカーは顎でしゃくって初撃を命じた。
 そのようにやれと命ぜられれば疑問を差し挟まない程度には、彼女も充分この集団に感化されて、馴染んでしまっている。
 彼女が目を付けたのは天井を作る泥の塊だった。見覚えがあったからだ。初めて入った異界で、その蔦に絡め取られ、締め付けられ、あともう一息で完全に腕が引き千切られるところだった―――
 背を駆け上った寒気を振り払おうと、壁を作る蔦に握った拳を叩き込む。そこには当然、あのときはなかったもう一つの拳が合わせられている。
 蔦のように見えたものはどうやら真実それの腕であったらしい。とその半身の拳にしなやかな筋と、その強靭な糸の束が千切れていく感触が返される。
 振り抜かれた拳が壁の一部に大きな穴を穿った。そこから都心部の夜景と、さらに迫る異形らの影が垣間見えた。
 ……実際のところ、昨晩球体たちを謀るため仲間たちへ向けた言葉のうちのいくつかは、嘘偽りない彼女の本音だ。世界の危機だとか人類の存亡などより、幼馴染の命のほうがにはよっぽど大事だった。
 それを見抜いていたからこそジョーカーは彼女を『小善』と称したが、しかし今やそれは失われることが確定している。
 にとってこの戦いに意味なんてものはほとんどなかった。仇討ちと意気込んでみても、こみ上げる虚しさを完全にかき消すことはできないままでいる。
 そういう意味ではジョーカーから下される偉そうな指示は、にとってありがたいものだった。なにも考えずただひたすらに目の前のものを破壊するだけでいいという状況は、いくらか彼女の気を紛らわせてくれている。
 そういうつもりでやってるの? ―――あちこちから突き刺さる視線にジョーカーは口をへの字に曲げた。
「過保護だな」
 後方から忍び寄った猿に似た異形をいなしつこぼした彼のそばには、まだスカルが立っている。
 彼は手にした長物の先でジョーカーがいなした猿のようなものの頭を打ち返しつつ、肩でジョーカーの背を突いた。
「当たり前だろっつか、どうすんだよ。マジで。真面目に! このままじゃあの子……立花さんがヤベぇだろ」
「まあな」
 精一杯低く押し殺されたスカルの言葉に短く応えて、ジョーカーは飛び込んだ二体目を再び彼のほうへ受け流した。
 それもまた、フルスイングが打ち返す。
「今まで廃人化がなんとかできたことってあったか?」
「無いな。冴さんの場合は計画の段階で潰したし、他の連中も……ただ……」
「ただ? ンだよなんかあんの?」
 息のあったコンビネーションというよりはまるで流れ作業だ。それで後方の守り十分と言いたいところだが、異形らの動きは平面ではなく立体的なものだった。
 は次々に左右を塞ぐ蔦を破壊し続けているが、すべてを打ち壊すにはまだ時間がかかるだろう。その不気味なトンネルを伝って巨体が二人の頭上に迫りつつあった。
 ブロック状の焼豚に似た生き物だった。体表は黒いが、魚鱗癬めいたひび割れからは内側の鮮やかな肉色が覗いている。そこから未発達ですべやかな手足を生やし、それでもって器用に蔦を掴んで渡ってくる。
 巨大な口は二人を丸呑みにしようと大きく開かれていた。
「俺たちが知っている廃人化と決定的に違うのは、立花さんがペルソナ使いだってことだ」
「まあ……そうだな。そんで?」
 もちろん二人はその動きを察知している。
 彼らのすぐ背後でパンサーが炎の塊を作り出していることも。
「俺たちのペルソナも、元はシャドウだ。それがなんか……いろいろ……あって、上手く≪力≫として使えるようになっただろ?」
「あー、そうね……? お前はなんか俺らともちょっと違うけどよ」
「それだよ。立花さんは俺と同じだ。そして俺は、手にしてそう日も経たないうちにアルセーヌを一度手放してる」
「そういや……つまり? お前みたいになんか別のペルソナを入れりゃいいってことか?」
 一際大きく焼豚の口が開かれた瞬間、炎塊が喉奥に投げ込まれる。後を追うように鞭が空を切り裂いて走り、顎を叩いて無理矢理にその口を閉ざさせた。
「状況が違いすぎるからなんとも言えないけど、やってみる価値はあるんじゃないか?」
「まあ……入れられそうなもんもあるしな」
 言って二人は素早く互いの位置を入れ替えた。ジョーカーは後方に正対し、スカルは右手側面に身体を向ける。
「シヴァ!」
「ヤトノカミ!」
 同時に唱えた二人の背後から、後方へは射撃が、側面へは斬撃が飛んだ。
 側面のほうは呑み込んだ炎の塊にまで刃が至ったのか、緑の壁を突き破って空中に放り出された巨体が爆発する。
 さて、方向性は定まったが問題はまだある。『それ』をどうやって実行に移すのかだ。
「どうしたもんかな……」
 爆風によって乱れた長い前髪を指先でいじりながら、ジョーカーはつぶやいた。
 現実、言ってみたはいいものの妙案があるわけでもなし。そもそもこの方法だって成功する保証はない。
 どうしたものか、は嘘偽りのない彼の本音であった。
 そして状況はひらめきをもたらしてはくれないし、思索を進めさせてもくれなかった。ふーむと唸っているうち、ジョーカーの耳にアスファルト舗装された床がひび割れる音が届いた。
『散開! チャージくるぞ!』
 同時にナビの警告が全員に向けられる。
 後方―――江戸橋方面から猛然と突き進んでやってくるものがあった。それはキリンに似た長い首をもち、でっぷりと肥えた胴体をゾウのように太い四肢が支えている生き物だった。
 その強靭な後ろ足がひときわ強く地を踏みしめ、折りたたまれたかと思った瞬間、巨体はさらなる勢いを得て突進する。一トンはあるだろう巨体は瞬時に音速へ達し、やがてはそれさえ置き去りにした。
「うへっ」
 他の面々はともかくジョーカーにとっては初見だったからだろう。彼は慌ててそこを飛び退り、ずいぶん数を減らした緑の触腕にしがみついてぶら下がった。
 その足元、ヒールのすぐ真下を巨体が擦過していく。靴の裏が削られるような衝撃に身体をなぶられ、彼は強風に揺れる柳の枝のように揺さぶられる。悲鳴じみたうめき声も通り抜けたあとに響いた爆音にかき消され、結局彼は吹っ飛ばされてしまった。
 黒いシルエットがアスファルトに叩きつけられるのと同時に、キリンに似た異形は再び膝を折って急停止する。
 通り抜けたあとは平たい爪の生えた足裏と衝撃波によって舗装が剥がされ、下地の砂や砂利が晒し出されている。急停止された箇所に至っては、その更に下、路盤と、さらに路床までもが顔を覗かせてしまっていた。
 まずい、と声を発したのはクイーンだったが、彼女はそこから遠すぎた。
 突如として開いた大きなくぼみに、ちょうどやってきた一台のバンの前輪が落ちた。運転手の姿は見えないが、遠目にも無人の運転席でハンドルが大きく切られたところが観察できた。このことからもやはり、ここでの変化が現実にも及んでいるらしいことが窺える。
 さておき5ドアロングタイプの車体は唐突に前傾したからか、くぼみに鼻柱を突っ込むと勢いのまま後輪を浮かせ、直立する。
 おそらくは輸送用のトランスポーターなのだろう。車内に積まれたオートバイが固定具から逃れてガラスを突き破り、顔を覗かせる。
 倒立した車体はなおも勢いを殺せず、前転するかっこうになった。
 そのまま床に叩きつけられ、あわや大惨事かと怪盗たちは息を呑んだが、その寸前スカルが滑り込んで車体を支えた。
 また転倒したバンの後続車を、フォックスとノワールが次々にせき止めて停車させている。いくつかは止めきれずに追突したが、いずれもが前後のバンパーがへこむ程度で済まされていた。
 それで一息つけるわけもなく、あちこちからクラクションが響き始めるのと同時に、守りが失せた後方からどっと異形らが押し寄せる。
 その群れから、ロケットのようにいくつもの巨体が飛び出した。キリンのようなものは対処を学んだのか、今度は長い首を振り回し、路面や遮音板を砕きながら突き進んでくる。
 スカルはまだひっくり返ったバンを彼なりに優しく横たわらせている最中だ。フォックスやノワールでは間に合わない―――
「モナ! やるよ!」
「ニャー!」
 パンサーは右手の鞭で足元を叩き、左手にモナを掴んで炎をキリンたちの胸に叩きつけた。ぶ厚い皮膚の下の脂肪を溶かしながら燃え上がる炎を、モナの追い風が吹き上げる。
 火だるまと化した異形らは汽笛に似た咆哮を上げ、太い脚をもつれさせて転がり、のたうち回った。
 しかし燃えながらなお突進するものと、さらなる個体が躍り出る。
「二人とも、下がって―――!」
 振り回される頭部にいくつものエネルギーの塊が突き刺さった。一拍遅れて青い輝きがパッと辺りを照らし、キリンたちを爆裂させながら弾き返す。
 クイーンはそのまま走り抜けると異形らの鼻先までたどり着き、群れをすり抜けてやってくる車体の足元に靴先を突き立てて滑らせた。
 路盤から器用に引き剥がされたアスファルトは波のようにのたうちながらタイヤに巻き込まれ、車に搭載された緊急ブレーキを作動させた。
 そこに後続車が同じくブレーキを踏みながら追突する。
 クイーンの頭上には大きく口を開けた肉塊と、熊と鷹が融合したような異形が迫りつつあった。しかし彼女は一つも構わずに停止した車体のフロントバンパーを掴んで脚に力を籠めた。
 ……十八歳の少女が上げるにはちょっと不似合いな雄叫びとともに、渾身の力で触れた車体とそこに連なる後続車たちは押し返される―――
 こういうの私の仕事じゃないのに。
 クイーンは胸中で恨み言を述べつつも、しかし本来ここに立つべき輩―――スカルのとっさの判断は責めるどころか賞賛されて然るべきだとも思っていた。彼が支えてやったバンの運転席に居るだろう人物は、怪我こそしているだろうがそれによって死は免れたはずだ。
 功績への褒美の具体案はさておき、異形らは―――なにによってかは判らないが―――触れられるものとそうでないものがあるらしい。細かく分別してみたくも思うが、そんな時間はなさそうだ。
 身を低く屈めて歯を避けたクイーンの背を、いくつかの爪が引っ掻いて浅い傷をつくっていった。歯を食いしばった彼女は最後のひと押しと力を籠めて連なった車体を押しやると、低い姿勢のまま腰をひねって踵を振り抜いた。
 鈍く高い音を立て、軸から弾き飛ばされたタイヤが転がっていく。
 これで先頭車はしばらくの間動けない。クイーンはやっと息をつくと、這いつくばった姿勢からバネのように飛び上がってそこを退いた。
 すると大きな口だけの頭が直前彼女が居た場所のアスファルトを齧りとった。タッチの差で逃したことを悔しがっているのか、それとも口に入るものがあればなんでもいいのか……口バはもぐもぐと口を動かして、逃れたクイーンを睨みつけている。
 一瞥さえ返さずクイーンは頭上を仰いだ。そこにはちょうど天井をつくる泥の塊、その頭らしき部分がある。
 瞬きをしながら待っていると、低く地を這うような咆哮が泥の塊から発せられた。遮音板を掴んで壁をつくる触腕が震え、泥の頭がガクンガクンと上下に振られる。散らばった泥は幸いなことにただの泥のようで、地に落ちても異臭を放ったり融解させたりというようなことはなかった。
 クイーンは視線を前方、また距離を詰め始めた異形の群れに戻した。
 そのすぐ真横に、が膝をつけて着地する―――さらにその背後で誰かが「スーパーヒーロー着地!」と叫んだ―――と、クイーンは拳を打ち合わせて踵を鳴らした。
 二人の少女は一瞬視線を交差させ、言葉もなく互いの半身を呼び起こす。
 直ちに繰り出された二つの拳は前方と上方に向かった。
 迫る異形の群れは押し返される波のように散らばり、頭上の泥は頭部を砕かれて全身を崩していく。
 また彼女たちの後方、繭のほど近くではちょうどフォックスとノワールがわずかな間隙に息をついていた。二人の前では足元から切り離されたアスファルトが壁のように直立し、歪められて奇妙なオブジェと化している。
 それもまた車の流れを、もともとバンの転倒によって一部が停止していたものを、すべての車線において完全にせき止めていた。
『―――よしっ、これでちょっとは安全だぞ!』
 ナビの前にはこの場を俯瞰から覗く映像が表示されている。ただしそれはこちらからのものではなく、『外』のこの場所を映すカメラのものだ。
 転倒したバンから運転手が這い出してきていることと、車の流れがこの場で完全に停止していること、そして煙や炎がないことを確認して、ナビもまたホッと息をついた。
 ―――もちろん、膨大な交通量を誇る首都の中央環状線が停止させられればその損害はいかほどのものか……そういう意味ではちっとも安全などではなかったが、ナビはその事実からは都合よく目を逸らすことにして、高みの見物を決め込む球体たちに視線を移した。
 舞台を均したからといって状況はまだ怪盗たちに有利とは言い難い。
 天井を務めていた泥がによって取り払われたこともあって、浮上する球体たちからはよりよくその奮戦ぶりが見て取れた。
 車は停止しても無尽蔵に湧き出る異形らの勢いは衰えず、また壁や穴は容易に突破されてしまう。ならばと迎え撃つ子どもたちの頑張りを、彼らはゆらゆらと不規則に揺れながら見下ろしている。
 そのうちの一つがやがてうなり声を上げた。
『ふう〜む』
 不思議そうな調子のそれに他が続く。
『いつの世もそうであった』と。
 独り言のようではあったが、しかしなめらかで耳ざわりの良い声は距離があっても皆の耳によく届いた。さらなる言葉も。
『いつにしても必ずお前たちのようなものが現れる』
『近ごろは頓に』
 なんだと怪盗団のたちは仮面の下、あるいは前髪の下の眉をひそめる。言葉の意味ももちろんだが、発言の意図を図りかねてもいた。
 構わず彼らは続ける。今度は明確に問いかけているような調子だった。
『なにゆえか?』
『なにゆえお前たちは現れる?』
 剣戟に混じって、球体たちは語った。
 様々な生き物が一つの意思―――善しきにつき悪しきにつき、それら枠組みにかかわらず、なんであれ、なにか大きなものに纏まろうとするとき、必ず現れるものがあるという。
 大きなうねりを伴う流れの前に立ちはだかり、防ぎ止め、すっかり変えてしまうそれは、全体から見渡せば川底に沈むちっぽけな石ころに過ぎない。しかし同じく沈む小石たちとはまったく異質で、見るからに異彩を放つ。それがあることで結果的にものごとが良い方向に向かうこともあれば、最悪の事態に行き着くこともある。
 そうであるにもかかわらず、結局なにも果たすことなく押し流されるものも、長い歴史の中もちろんあった。
 1のタグが付けられた球体は心底不思議そうに尋ねた。
『なぜ異分子は現れる?』と。
 声には余裕が滲んでいた。安全な特等席から高みの見物を決め、芝居の内容にけちをつけるような、そんな調子だ。
 現実、昨晩通用したはずの攻撃が今の連中には通らない。先まではピストルのマークにバツが付けられたもののみだったのが、炎や雷に風、水か氷らしきマークにまでバツ印が付けられている。いずれも無効だとナビが判じて視覚上に表示させたものだった。
 昨夜といったいなにがどう違うっていうんだ―――
 歯噛みするナビの足元で、やっとジョーカーは立ち上がった。
「……そんなことも解らないのか?」
 緩慢な動作のわりに高慢な態度は相変わらずだ。
「必要だからだ。俺たちのようなものがな」
 もちろん彼はふっ飛ばされて転がされただけだから、大した怪我もしていない。ちょっと手のひらを擦りむいたくらいだ。
 ではなぜ今の今まで、この益体もない問答の間も続けられる攻勢の中寝っ転がったままでいたのかといえば、彼は延々『どうしたものか』の答えを探して深く思索を進めていた。彼がそうして―――戦いの最中にあっても―――独りでうんうん唸っているのはいつものことではあった。
 ただし今は、そこにさらなる問が紛れ込んだことでいくらか機嫌を損ねている。
 さりとて球体は少年のいらだちなど気にも留めず、ただその返答を吟味しようと唸るばかりだ。
『必要悪ということか?』
『あるいは秩序のための闘争?』
『逃避のための依存?』
『安心のための座視?』
『利便のための汚毒?』
『もしくは……』
 円を描いて回る球体たちは疑問符を浮かべながらゆっくりと密度を上げていった。
 その動きにどんな意味があるのかは誰にもわからない。彼らにしても、ジョーカーが前髪をいじる仕草の意図は理解できないだろう。
 そこに意味なんてものはない。単なる癖だ。
 けれど球体らのほうの動きは彼女にとっての好機であった。
「サオトメ―――」
 重量のある長物を振り回し、飛び上がって遮音壁を足継ぎにさらに跳躍したは、一所に密集した球体たち目がけて得物と半身の力を全力で叩き込んだ。
 やはりと言うべきか、その手に手応えはない。
 それでもは諦め悪く空中で身を捩り、反転して再び力を呼び起こす。
「アカキノカミ!」
 現れた巨虫は無数の腕に大太刀を構え、固まったまま彼らを見下ろす球体たちに飛びかかった。
 それもやはり効果らしい効果はみられない。
 眉をひそめて着地したが舌打ちを響かせると、ちょうどそばに立っていたフォックスとノワールが咎める視線を送った。
 とはいえ口に出してまでして諌めようとはせず、代わりにか、フォックスは先の問の答えをいくらか補足してやった。
「罪悪なくて世は成り立たんということだな。なんとなれば貴様らもまたそうだろう。完全な慈悲などというものがあったとして、それだけで世は回らん」
「ないほうがきっと良いは良いのかもしれませんけど……」
 頬に手を添えてうーんと唸ったノワールは、片手間に半身を呼び出しては頭上の鷹熊を撃ち抜いていた。
 フォックスもまた、問答を終えるなり身を翻し、空間ごと断裂するかのような一閃を走らせる。
 やっと車体の避難を済ませたスカルは手を打ち鳴らして砂埃を払いつつ、鼻を鳴らした。
「クソみてぇな大人がいなきゃ、俺らみてーなクソガキは反抗の方法も知らねぇまま大人になっちまうってこったな」
 露悪的なこの態度に、相変わらずモナをぶら下げたままのパンサーは不快感に思いきり顔をしかめた。
「冗談じゃないっての。あんなの二度とゴメンだし」
 嫌悪感たっぷりに言い返しつつも、でも、とパンサーは思う。
 ―――あの経験がなければ、自分はあの子以外に心を開かないままだったかもしれない。斜に構えてひねたまま、誰にもかれにも不信感を抱いていては、誰にも受け入れられることはなかっただろう。
 肯定は決してしたくないし、やり直せるものならやり直したいとも思う。それはスカルも同じことだ。
 けれどそうしたとき、きっと今ある自信や自己への肯定感は失われてしまう。大事な友人、あるいはそれ以上の存在とともに。
 それだけは絶対にごめんだった。
 『彼』と出会うためには、なにか不運がなくてはならなかった。その巡り合わせは最上の幸運だが、それ自体が最大の不幸だ。
 なにより最悪だと思うのは、そこに意図も、意志の介入さえ許されないまま生じた大なり小なりの、取り返しのつかない他者の犠牲があったということだ。
 歯噛みする二人を遠目に眺めて、再びノワールはうーんと唸った。
「お金にがめつい人がいるからこそ経済が回るって側面もあるよね」
 利己主義は経済活動の根源的な動機といえるが、しかし利己的であることはしばしば悪とみなされる。
 クイーンは迫るキリンのようなものや焼豚と大口、頭部が肥大化した猿に似たものを次々に叩き返しながら、やはりうーんと、かなり重々しく唸ってみせた。
「野心がなければ、人は誰も大成しないでしょうし……いえでも、程度による……?」
 その脳裏にはかつて謀略によって心の暗部を増幅させられていた姉の姿がある。あれが本来の彼女でないことは承知しているが、しかしあの苛烈で残虐な一面もまた、欠かすことのできない一部なのだとも理解している。
 それがあったればこその地位と今の生活だ。
 でもでもやっぱり、あんなお姉ちゃんの姿、二度と見たくないわ―――
 煩悶するクイーンの脳内を見透かしているのか、その頭上でナビはちょっと呆れたように鼻を鳴らした。シスコンにつける薬はない。
 さて彼女に関しては、ただ一方的に奪われるばかりだったとも言える。前年引き起こされた一連の騒動は彼女の母親の研究に起因するのだからまったくの無関係でもないが、しかしその母さえ奪われて、それを必要悪とは誰にも言えまい。
 その上でナビは尊大に告げる。
『みんながみーんな善人になっちゃったら、個は失われる。画一的な存在じゃ種の保存に不向きだなんてことは、長生きしてりゃわかることだろ』
 彼女より数百、場合によっては千年は年かさの相手に向けて『オロカモノめ』と吐き捨てて、ナビはモニターにかじりついて忙しなく手を動かし始める。
 ジョーカーは仲間たちの意見を総括して言った。
「人には罪悪が必要なんだよ。俺たちは自分自身だけじゃ自己を確立できない。それと同様に、罪悪が失われたら善性も見つからなくなる。そうなれば、秩序は今度こそ完全に失われるだろう。俺たちごとすべてな」
 だから、この戦いに意味はない。お前たちが真に人を思いやっているというのであれば、その行動は逆効果だ―――
 熱心さを宿して語られた言葉に球体たちは額をつき合わせて視線を交わしあった。ただしそこに額も眼もあるのかはわからない。
 やがて彼らは、
『詭弁だ』
 冷笑とともに怪盗たちの主張を一蹴した。
『よしんば悪性が必要として、程度は見極められなければならぬ』
『今の世が均衡を欠いていないと言い切れるのか?』
『そもそなたらがかの偽神と相対する羽目になったのは人の堕落のせいではないか』
『≪力≫を得るに至った過程はどうじゃ』
『根本的な原因が別のところにあるとして、それを許容できるのか?』
『お前たちこそ他者の悪辣なふるまいに虐げられてきたではないか』
 なによりも、と球体たちは再び離れてさらに高く浮かび上がる。
『そなたらの奮戦は衆生には娯楽であった。その危機が間近に迫ったときでさえ衆生は縋るばかりで、自ら武器を手にする者は現れもしなかった』
『……あっあー、みんな、傾聴セヨ』
 朗々と響き渡る声の下に潜められたナビの声が重なった。先からずっと手を動かしていた成果がやっと出たと告げる声は、必要以上に強く『E』を叩いた音とも重なっている。
『こりゃ攻撃とおんないはずだよ。ありゃ投影か幻影か……とにかく本体はあそこにいない』
 怪盗たちは無言のうちに頷きあう。
 先にがまとめてなぎ払おうとした攻撃がすり抜けた時点でおおむね予想はできていた。そもそもあの一撃自体、ナビが密かに下した指令にが従ったものだ。
「で? どこにいるんだ?」
 意味ありげな問答も結局は時間稼ぎに過ぎず、この問いかけにもあまり意味はなかった。淡々とした調子のジョーカーの視線はすでに答えに向かっている。
 なにかあるだろうとはずっと―――全員が―――思っていた。高架の上を走ってなお頭を覗かせるいくつかのビルのうちの一つ、そこにへばりつく引き延ばされた立花紬の精神が形作る繭に。
 ジョーカーは一言の断りもなく仮面に手をかけた。
 もちろんそれはこの異界で外れることはない。人にとって外にあたるここでは、これなくして正気を保つことは難しいからだ。
 己を守る盾である仮面はまた同時に鉾でもあった。
「軽く様子見といこう」
 蒼い炎と千切れた鎖が足元から吹き上がると、彼の背後には無数の付属肢をもつ漆黒の蛇が立ち上がった。
 『軽く』『様子見』というわりに、周囲を取り囲む空気さえ凍結させかねない冷気が辺り一帯に広がり、数十メートル先にぶら下がる繭を取り囲む―――
「ちょっと! 待って!!」
 しかしその力の奔流は放たれる寸前、とその半身によって逸らされる。まっすぐ繭に向かうはずだった冷気の塊は空中に打ち上げられ、夜空をさらに冷やして一瞬ボタ雪を降らせた。
「……危ないだろ!?」
 下手をすればと彼女のペルソナに直撃していたかもしれないと珍しく本気らしい怒りを露わにするジョーカーに、もまた声を大に言い返した。
「この上まだ紬になにかあったらどうしてくれる!」
 ごもっとも、と言えるが、ここに至ってまだとも言える言葉に、ジョーカーは舌先を噛んでこみ上げるものを飲み下した。
 そうだけど。そうなんだけど―――
 じゃあどうするんだと返すより早く、少年たちの狙いを察した球体たちが動きはじめた。
『後がないのは、そちらも同じか』
『今を逃せば次はいつになるか』
『おお、急ぐぞ』
『十全とはいかぬが』
『時間もモノも足りぬが』
『されど今はこれで十分じゃ』
 それきり、球体らはふつと怪盗たちの前から姿を消してしまう。
 ただし迫りくる異形らは相変わらずだ。濁流のように押し寄せるそれらへの対処を緩めれば、あっという間に呑まれてしまうだろう。
 そしておそらく、これもまた時間稼ぎに過ぎないのだろう。
「ナビ! やつらの位置は!?」
『あっち! 繭んなか!』
「待ってよ、紬はどうなる―――」
 は再びジョーカーの行動を阻害しようと前へ踏み出した。
 ジョーカーには彼女を打ち倒して黙らせることもできた。この場合に限っては仲間たちも納得してくれる選択だろう。多少の文句はつけられるだろうが……
 それでもほんの一瞬迷う程度の弱さは彼だって持ち合わせている。仲間たちの誰かが同じ状態にされたら、相手が誰だろうと止めに走るはずだ、と。
「なるほど、そうくるか……」
「な、なにが」
 渋面でもってつぶやかれた言葉には不可解そうな面持ちで脚を止める。
 ……球体たちがこの状況を狙って作り出したのかといえば、それはやや疑わしい。彼らの狙いはそも立花紬、ないしこの少年であって、は単にそこに居合わせただけの『おまけ』だった。
 ふと、そのおまけの丸い頬に影が落ちた。屋根を作る泥の塊は彼女こそが斃したはずだが、いよいよ空を飛ぶものが押し寄せたかとジョーカーは天を仰ぐ。
 ―――怪盗団は、その性質上大抵常に後手に回る。被害者がいなければそもそも存在意義が発生しないからだ。
 『この状況』もいつものことだ。一度でいいから万全の状態で挑んでみたいと誰もが思ってはいたが、往古から現代まで戦いにおいて万全なんてものは存在し得ない。
「わーお」
 やる気のない歓声のようなものをジョーカーはこぼした。傍らのは、声もなく目を見開いて上を見上げている。
 視線の先では繭に穴が空き、そこからなにか巨大なものが突き出していた。
「人間の絶頂は同時に黄昏でもある、ってやつか?」
 低くつぶやかれた台詞に、事態を察して駆け寄ったパンサーが仮面の下で顔をしかめた。彼女は相変わらずモナを片手にぶら下げたままで、ここまでくる間に相当振り回されたのだろう、猫は軽く目を回していた。
「またリーダーがヘンなこと言ってる」
「ふにゃふにゃ……ぱんしゃー、おろしてくりぇえ……」
「あ、ごめん」
「暇なんだよ、ムショって。スマホも取り上げられてるから空いてる時間は読書くらいしかすることがなくて……」
「で?」
 同じく寄ったスカルは、足元でふらつくモナを踏まないようにたたらを踏みながら与太ごとの続きを促した。
「……神の怒りは眠っている」
 ジョーカーは『濡れた目をした老人』のような調子で言った。
「人間だけが、それを目醒めさせる力を持っている」
 ジョーカーを中心に仲間たちは身を寄せ合ってそれを見つめている。
 繭から這い出る巨大な手と腕―――きらびやかな金の具足に包まれた逞しい腕は、なるほど神の威容を誇るに相応しい。
「また巨大化か。よくもまあ飽きもせず……」
 うんざりだとフォックスは肩を落とす。
 確かに、思い返す限り彼らが対峙したボス敵というものは、大抵が巨大化か、あるいは大きな乗り物のようなものに搭乗してきた。
 例外もいくつかあるが―――
「お父様はその一歩手前だったのかな……?」
 どこか感慨深げで苦々しげなノワールが言う冗談には誰も反応してやれなかった。さすがにちょっと、ジョーカーでさえ遠慮が勝った。
 そのうち繭からは太い腕に相応しい厳つい顔が覗きはじめる。それは例えるなら、大魔神と言い表されるような顔つきだった。
 指摘すらためらわれる自虐的な冗談に咳払いを一つ、クイーンは気を取り直して乱れた横髪を指先で払った。
「まあ、その。出てきてくれるっていうのなら、こちらにとっては都合がいいわ」
「あー……だな。とりあえずまずはアレぶっ飛ばす方向でいいだろ」
 な? と視線を向けられて、は首を縦に何度も振った。具体的に殴り飛ばせそうな相手が出てきてくれたのは彼女にとってもありがたいのだろう。
 するとぽんと手を打つ音が一同の耳元で鳴った。頭上に浮かび続けるナビだ。
 また彼女ははしゃいだ様子で述べる。
『ひらめいた!』
「真面目に?」
『こんな状況でネタに走るわけねーだろっ!』
 おまえこそ真面目に聞けよとジョーカーを叱りつけてから、ナビは至って真剣に閃いたその内容を説明しはじめる。
『あのデカそうなのは立花紬のペルソナの力をたっぷり含んでる。余計なものもだいぶ混じっちゃいるが、おおむねほとんど、立花紬だ』
 そしてそれはまた同時に、『神』でもあるのだとナビは語る。
 そもそも連中は何故こんな手間のかかることをしたのかと言われれば、あの金の大魔神の復活のためだろう。
 この話をされたときフォックスは怒りから完全に聞き流していたが、ナビはきちんと聞いていたし、記憶もしている。
 本来七つであった球体たちは失われたその一柱のため、必要な≪力≫を贄に注ぎ込み、昇華したもので復活の儀を執り行うのだと。
 そして今復活は済まされた。それ故あそこにいるのは『神』に他ならないというわけだ。
、おまえにあの妙な≪力≫が植え付けられたのはそもそも誰のせいだった?』
「へぇ? 誰って……」
 は困った様子で辺りに視線を這わせた。
 異形らにとっても大魔神の登場は驚嘆に値する出来事らしく、今はみな動きを止めて天を仰いで静止している。
 もちろんと言うべきか、彼女が視線を向けたのはそれ生き物たちではなく、怪盗団の面々のほうだ。
 そもそも彼らが偽とはいえ神を打ち斃したからの現状で、だからこその犠牲とおまけだった。
 最たるは中心に立って気まずそうに前髪をいじる少年と言って差し支えはないだろう。
「……やっぱり俺のせいなんじゃないか」
 その恨み言が誰に対して発されたものだったのかは誰にもわからない。
 ただは申し訳なさそうに視線を伏せて指先をすり合わせた。否定はできないという意味だろう。
『まーつまり、そーゆーこと』
「いやわかんねぇよ」
『なんでや』
 わかるだろ、とこぼしところでスカルは首を振るだけだ。
 生ぬるい視線が集中していることにさえ気がついていなさそうな彼を憐れに思ったのか、はたまた愛おしく思ったのか―――どちらにせよたっぷりの憐憫の情を籠めてジョーカーは答えてやった。
「俺がやるって話だろ。あの大魔神を吸収するんだ」
『そーゆーこと!』
「できんの?」
 素早く入った指摘にナビは呻いたが、ジョーカーは平然としている。
「わからないけど……やることはいつもとあまり変わらないさ。そうだろ?」
「あー……盗めばいいってことだもんね」
 どことなく苦々しげな調子で漏らすパンサーの横で、は小さく「盗むっていうか強奪だよね」と囁いた。
「怪盗というか、やっぱり強盗……」
 囁き声を聞き取って、ジョーカーは悪党らしく口角を釣り上げる。
「大人しく盗ませてくれないほうが悪い」
「そんな無茶苦茶な理屈があるか」
 はがっくりと肩を落としたが、しかし怪盗団の面々は特別彼の言い分に文句もないのだろう。これまでの敵との戦いややり取りを思い返して苦笑したり、ゆるく首を左右に振ったりするばかりだ。
 そのうちフォックスはフッと気障っぽく鼻を鳴らしてみせる。
「だが、このほうが君にも解りやすかろう。囲んで殴って、屈服させるだけだぞ」
「言い方がね、ちょっとね」
 クイーンは呆れ顔だが、やはり訂正まではせず拳を打ち鳴らした。
『とりまおイナリの言うとおり、囲んでボコすところからはじめるぞ!』
「スタートラインがすでに凶悪」
『うるさーい!』
 ナビが一番うるさいんじゃないかと軽口を叩いて、もやっと口もとを緩ませる。確かに、フォックスの言った通り、そのほうが解りやすくはあった。
 見上げた金の大魔神は繭からはすでに上体が現れ、今まさに両の腕を用いて腰から下も抜け出そうとしている。
 囲んでボコすというにはややスケール感が大き過ぎる気がしないでもないが……
「さて、やるか。、先鋒は任せた」
 やはりなんとも、ジョーカーから下される偉そうな指示はありがたい。不思議と胸をすくものがある。
 この少年になにかを任せられるということは、そのように人に奇妙な高揚感を抱かせるようだった。