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26:Long Rord Ahead
≪道≫は確かに拓けたが、それはそう呼んでよいのか疑わしいものだった。
モルガナが言ったように、≪道≫というよりは≪穴≫だ。泥と岩盤で構成された岩山に無理くり穴を穿ち、それを道と言い張るような、そんな無茶な道程だった。
なにしろほんの一メートルを進むだけで車体は激しく跳ね上がり、車中は悲鳴に包まれる。
「舌、噛みそ……イテっ!」
早々と負傷したのは車体本人―――本猫―――であるモルガナではなく、シートにしがみついて目を回していたスカルだった。
他の面々も舌を噛むほどでなくとも、座席から転がり落ちて誰かのオットマンにならないよう必死だ。
「ねぇっ! もっとなんとかならないの!?」
ほとんど泣いているような声でパンサーが訴えた。
「仕方がないでしょ!? こんなの誰が運転したってこうなるわよ! 諦めなさい!」
ハンドルを握り、アクセルペダルをベタ踏みするクイーンも、悪路と呼ぶことさえ生ぬるい通道に苛立ちを隠そうともしていない。
メメントスは―――メメントス未満の人の無意識の洞穴は、崩壊寸前の砂の城だ。尖った岩石とぬかるみは常に鳴動し、上からは砂岩がまばらな雨のように降り注いでいる。
そこを進もうというのが土台無理な話だったのかもしれない。
幸いなのは道がほとんど一直線であるということだろう。水平方向にずっと続いている以上は、あの地下深くの牢獄にたどり着くようなこともあるまい。もちろんそこは消したはずなのだから、あってたまるかと怪盗たちは声を大にして訴えたいところだろう。
ではこのまま真っ直ぐ進めばいいのかといえば、それも違うと助手席のナビは訴える。
「あばばば……モナ〜っ! どっか道分かれてないか!? このまんまじゃたどり着けないよ!」
『ワガハイが知るかっ!』
答えは素っ気ない。
どころか、全員が彼女に食らいつき始める。
「ナビ! どういうこと!? 道はあなたが分かるって話だったわよね!?」
「このまま進んでたらウチらどーなんの!?」
「行き止まりだったらやべぇだろ! 戻れんのかよ!?」
スカルの言葉に一同は反射的に後方をふり返った。
別段崩れ落ちて道が塞がっているというようなことはないが、時間の問題に思えたし、遠ざかった入り口付近はどうなっていることやら―――
なにより車幅も大してない。Uターンして方向転換は難しいだろう。一度変身を解いて向き直ればいいかと言われればそれも、戻らねばとなったときそんな時間の猶予が与えられるかどうか。
無謀だったかと冷や汗を垂らしつつ、それでも諦め悪く、ノワールは運転席に身を乗り出してナビにかじりついた。
「ねえナビ、道が分かれてってどういうこと? このまままっすぐじゃ駄目なの?」
ナビは舌を噛みそうになりながら応えた。
「えっとな、異界の反応はもう見つけてるんだ。ただ、この方向じゃない。あっち!」
細い腕が左を指し示す。
クイーンはチラとそちらを横目で伺ったが、あるのはただ真っ黒な岩盤ばかりだ。ここまでの道程でも分かれ道や扉といったものは見かけていない。
であれば、このいかにも硬そうな岩肌のむこうにあるということだろうか?
「しからば」
激しい走行音で満ち、揺れて弾む車内にフォックスのやたらと冷静な声が響いた。
その手がモルガナカーのドアにかかり、ぐっと力を込めて横に滑らせる。それだけで音はさらに強く、風切り音が混じり始める。
大声を出すのが億劫だったのか、はたまた必要ないと思ったのか、彼は仮面の下からに目配せを送った。
もちろん彼女はその意図するところをよく理解している。
「わかった、任せて!」
さすがに狭い車内には無理だったのか、屋根の上に貼り付くような形で彼女の半身が現れた。
それはいつものごとく膨れ上がった腕を振り上げ、渾身の力を込めて岩盤を殴り抜いた。
打撃による衝撃に洞穴全体が揺れ、反動に車体は片輪を浮かせておつりをくらう格好になる。サオトメが殴りつけたのは進行方向に向かって左の壁面だったから、車体は右側の壁に擦りつけられる羽目になった。
『アイダダダッ!』
普通の車だったなら塗装が剥げ、板金が凹むほどの衝撃だ。モナはこりゃたまらん、と悲鳴を上げ、変身を解いてしまう。
当然、放り出された少年たちもひと塊になって泥と岩の上に転がり落ちる。
「ぐえっ!」
顔面からぬかるみに落ちたスカルの上にパンサーの尻が乗った。
他の面々は、辛うじて受け身をとって着地に成功している。
その内、スカートの裾を翻したは、一拍も置かず再び半身の拳を振り上げた。
腹の奥底を揺さぶるような轟音と振動が全員を襲う。モナなどは二本の足では踏ん張りきれず、泥の上をコロコロと転がる羽目にさえなった。
しかしそれでも、堅牢な岩盤にはヒビが入っただけだ。
「うわっ、めちゃくちゃ硬い!」
なんの飾り気も面白味もない感想を漏らしたの肩を、クイーンがそれなりに力を入れて掴んだ。
「……やるならやるってまずは宣言しなさい……!」
「おめーもだよ!」
そのさらに後方では、パンサーの下敷きになったままのスカルがフォックスの尾を引きちぎらんばかりに掴んでいる。
揺さぶられるがまま彼は言い訳するつもりもなさそうな、場に不似合いののんびりとした語調で言った。
「反動があってもこの道幅だ。横転もできんだろうと思っていたが……」
「ちったぁワガハイのボディのことも考えろよ!?」
「ああ、あの程度は耐えてくれるだろうと考えたのは間違いだった。すまなかったな……」
「なんだとぉ!?」
フォックスのほうが真剣に申し訳なさそうにするからか、モナは尾で激しく床を叩き始めた。
砂岩は相変わらず小雨のように降り続けている。そんな中、やっとる場合かと律儀に指摘してやるナビと、やっと起き上がったスカルとパンサー、無言の圧力をかけるクイーンとかけられるを、そっと脇に除ける優しい手がある。
「でもヒビは入ったからね。お手柄だよ、ちゃん」
ノワールの言に唯一仮面で隠されていないの顔に自慢げな笑みが浮かんだ。
「ちょっとノワール、あんまり甘やかさないで……」
拗ねて唇を尖らせたクイーンだったが、しかし目にしたものに目をむいて後退る。
「とりあえずこれ、やってみるね? ダメだったら、みんな、後詰めをお願いします」
愛らしい声とともに、構えられたグレネードランチャーから直ちに擲弾が発射された。
そのぽしゅっという軽い音は一度きりでは済まされず、二度、三度と続けて発され、壁にぶち当たっては爆炎と衝撃を撒き散らした。
まばらな雨はいっとき土砂降りと化したが、ことごとくをノワールは不可視の盾で反射して済ませてしまう。
果たして少年たちの触覚や嗅覚に、ヒヤリとした湿った空気と草いきれが押し寄せる。
もうもうと立ち込める粉塵はそれらを含んだ風によって流され、やがて彼らの目にぽっかりと開いた≪穴≫の中の≪穴≫が晒し出される。
「キタコレ!」
ぐっと両手でサムズアップしたナビの反応を見る限り、どうやら穴の先は目的地にたどり着くためのジャンクションらしい。
後詰めは必要なさそうだ。むこうから吹き込んでくる風は明確にそのことを教えていた。
穴の先に飽きるほど見せられた竹やぶ無限回廊があるかと思いきや、そこは以前と明らかに様子が違っていた。
鬱蒼と青く茂っていたはずの竹はそのほとんどが茶色く変色し、空を覆い隠すほどあった葉はすべて枯れ落ちてしまっている。それに覆い隠された石畳もまた、規則正しく並んでいたはずのものが崩れている―――
「そっか、このコたちが斃されちゃったから……」
一度は遠慮容赦なく焼き払った身だが、これほどまでの荒廃ぶりを突き付けられたパンサーの顔色は優れない。携えた例の絵巻物を見下ろす眼には申し訳なさがいっぱいに湛えられていた。
しかしその嘆きもすぐ、呆然とする仲間たちの様子に釣られて消えてしまう。
「なに? どしたの?」
「よく見ろ、パンサー。上だ」
モナが二足歩行のままでいることにも軽い驚きを示しつつ、彼女はその小さな手が指した上―――星々が瞬きつつある薄暗い空に目を移した。
「えっ……なんで……!?」
彼らが知る限り異界は常に夕刻のまま固定された場所のはずだ。その時間帯、傾いた陽が放つ可視光線はその波長の長短と強弱から赤く変化する。しかし彼らの前に今あるのは、ゆっくりと流れるちぎれた薄雲と濃い紺碧だった。
もっとよく見て確かめようと怪盗たちは素早く回廊を走り出した。
もとは入り組んだ迷宮だったはずの場所をすんなりと抜け、見覚えのある街路と民家、踏切のそばにやってくるまで、さしたる時間はかからない。
彼らをはじめに出迎えたのは、吹き付ける横風だった。次いでそれに乗った香ばしい匂い……
誰かの腹が、ぐうと音を鳴らした。
一瞬フォックスのほうに視線が集まるが、しかし鼻を鳴らして匂いの正体を探ると、それはすぐにモナへ移る。
食欲を刺激する香りのもとは、どうも魚あたりを焼いている匂いに思えてならなかった。
「モナ……」
視線があちこちから突き刺さると、彼は慌てて前足と尾を振って弁明の機会を求めた。
「しょーがないだろ!? こんなイイにおい、腹の一つや二つ鳴るに決まってんじゃねーか!」
「バカネコ、そうじゃねえって」
スカルの言い様にモナはなんだとと眦(?)を決したが、すぐにその言わんとするところを汲み取って息を呑んだ。
風も香りも、今までこの場にはなかったものだ。
これまで異界を観測した限り、ここが示すのは多く不変のみであって、空気が自然に動くことも、人間が由来するにおいも存在していなかった。
怪盗たちは再び天を見上げる。そこにはやはり茜色はなく、夜に移りつつある紺色に星が瞬く天蓋があった。
そしてなにより、建ち並ぶ家々からは暖かな明かりがこぼれ落ちている。
耳にはそばの路線がきしむ音とそこを走る電車の走行音が届いた。すぐに踏切がカンカンとけたたましい警告音を発し始める。
「動いてる……」
呆然とつぶやいたの目の前で、ゆっくりと遮断桿が降りる。ほどなく、イエローのラインが入った車体が通り抜けていった。
奇妙なのはその箱型の電車内に人の姿がほとんど見られなかったことだ。この時間帯ならばもう少し賑わっていていいはずだが、一車両に一人か二人程度しか確認することは叶わなかった。
単に高速で移動するものに動体視力が追いつかなかっただけかとも思えるが、しかし七人もの若者が意見を同じくするのだから、見間違いや見逃しはないと判じていいだろう。
だとしても疑問は尽きない。彼らは本当に存在するものなのか、はたまたシャドウに類する現世から落ちる影の一種か。
後者ならば今までなかったはずの存在が突然わき出したのは何故か。
前者としたら、これまでの前提が覆されることになる。異界への侵入にはの存在が必要であったはずだが、彼女は内側であるここにいるし、そもその能力自体を失ったはずだ。
「思ってたよりヤバいことになってるかもな」
想定が甘かったか―――
焦りを滲ませてナビが言った。
すると同調するように腕組みをしたモナが低く唸る調子で告げる。
「悪いニュースはまだあるぜ。さっきからタチバナのニオイ……あの子から奪われたものの在り処を探ってるんだが……」
「見つからないの?」
「いや、それらしきニオイはすでに掴んだ」
ただ、と語尾に添えられたものには不安げに小さな身体をじっと見つめる。
モナはもう一度、確信を得るために鼻を引くつかせてから言った。
「あるにはあるが、そこらじゅうからするんだ。それも具体的にどことどこでってんじゃない、なんなら今ここにもある」
「どっかから漂ってきてる、とかじゃなくて?」
パンサーの問いにモナははっきりと首を縦に振った。複数に分かれてではなく、薄く引き伸ばされて全体が覆われているようだと。
怪盗たちは顔を見合わせてううむと唸る。潜入してから先はモナの鼻だよりだったからだ。
それが頼れないとなると、当然お鉢はナビに回ってくる。
「だいじょーぶ、それはなんとかなる」
視線を受けて応えた彼女の前には空中に浮かぶモニターがいくつもあって、そこにはすでに様々な場所が映し出されていた。
渋谷のスクランブル交差点をはじめ、都心部の数々の場所が様々な角度から捉えられた映像は、録画や静止画などではないようだった。
それらを指して、ナビは仲間たちにぐるりと目を配った。
「これ、街頭カメラの映像。今までこういうのは拾えてなかったんだけど、それは動いてないんだから当たり前って話で……」
これまでナビが表示させてきたものは彼女自身の内にある膨大な映像記憶から引き出したか、常に持ち歩いているPCから抜き出したか、あるいは距離が近ければ能力によって稼働させた―――いずれにせよ、これだけ広範に渡る箇所を大した労力も支払わず差し出せるのは、本当に久しぶりのことだと彼女は告げた。
「どこまでかは辿れてないけど、動力が供給されてるのは間違いない」
空や風、そしてニオイに複数の人の姿と、今彼女が示したものも含め、不動と不変を貫いていた空間が動き出している。
断言したナビに一同は眉をひそめる。
ある程度の変化は織り込み済みではあった。実際これまであったへの干渉は断たれたとみえるから、異界にもなにか……一つか二つ、数えられる程度のなにかが起きているだろうとは誰もが思っていた。
しかしどうやら、あの球体たちが立花から奪った≪力≫で引き起こしたものは異界全体と、少なくない規模で現象界にも影響をもたらしている様子だ。
「あとなんか……なんだろ、モナも言ったけど、なんか薄いもんがそこらじゅうに……なんだこれ?」
ナビは「ちょっと待ってて」と告げてモニターに指を滑らせはじめた。そこに表示されたタッチキーボードでなにやらマクロを組んでいる様子だが、具体的にそれがどんなものかは誰にもわからない。
自身の内にある記憶と知識と現状の異界の様子を比較し、この変化がどこまで至っているのか、またそれが一律であるのか……もしもより変化が大きい、あるいは極端に少ない場所があれば、その近辺の映像を手繰り寄せる。
この一連の作業を説明してやるつもりは、ナビにもあまりなかった。
―――それより手と目を動かしたほうが早い。
ほどなく彼女はいくつかの地点に当たりをつけた。
「ンだこりゃ……」
示されたものにスカルが飾り気のない感想を漏らす。
一同の前には特大のモニターが浮かび上がり、そこに片側二車線の道路が映し出されている。首都を巡る中央環状線よりさらに内側、最都心部を回る首都高速都心環状線だ。
少し前まで異界で見かけもしなかった車が流れているのは見間違いではないだろう。ただ不思議なことに、運転席に人の姿はほとんど見受けられない。
これも、電車と同じだった。数十台に一人か二人、うつろな表情の人の姿がハンドルを握っていたり、助手席や後部に座していたりする。
それはそれで大いに問題ではあるが、スカルが「ンだ」と言ったのはもっと別のものに対してだ。
高速道路のあちこちに、鮮やかな緑色の垂れ幕か旗か、薄いものがあちこちに掛けられ、風になぶられてハタハタと揺れている。
これに一同は奇妙な既視感を覚えた。
「まさか……」
つぶやいたの声は震えている。押し隠そうと努力はしている様子だが、固く握られた拳やわななく唇からは恐怖や失望とともに強い怒りが垣間見える。
その様は彼女が『ブチ切れる』寸前だと物語っていた。
―――実際、モルガナカーに乗り込んで両国方面から首都高速に入ると、そこにある光景には目を見開いて歯を噛み鳴らした。
そのわけは皆も承知している。
環状線道路のあちらこちらに、横に縦に張られているのはどう見たってヤマト―――立花紬から奪われた彼女の一部だったからだ。
例えばそれが衣服の類であれば、それはそれで怒りを覚えるだろうが、これほどまでのものにはなるまい。それよりも「どうして?」という疑問が先行するはずだ。
しかし今彼らの目に映るのは、衣服や装飾といった一部分ではなく、立花紬のペルソナそのものだ。人の形をとっていたはずのものが、どうやったというのか平らに薄く、いびつに引き伸ばされてしまっている。
そしてどうやら、それこそが『外』にあるものを『内』に引き寄せている様子だった。
布のようにされたそれが風を呼び込み、人や物や、エネルギーの類と時間をこちらに流し込んでいる。
ナビの走査で解るのはそこまでだった。
また彼女は蒼白になって告げる。
「これで全部じゃない。手足とか、身体の末端部分は目に見えないくらい薄く引き伸ばされてる。さっき言ってた『なんか』はこれだ」
「ワガハイの鼻に引っかかってたのもそうだろうな。こりゃあ……」
モナも歯切れが悪い。
ペルソナ使いたちは各々想像を働かせた。己が使役するもう一つの自分、それが薄く、都心部を覆うほどに伸ばされるとは―――
そうなって、自分というものは保てるだろうか? 保てたとして、それは果たして苦痛を伴わずに済むものなのか。精神がこのような形に変容して、正気でいられるのか?
クイーンはなにも言わずにアクセルを踏み込んだ。
道はいくらか混み合っていたが、交通法規を守る必要がない彼らにとってはいないも同然だ。
向かう先をナビに指示してもらう必要ももはやなかった。
薄く引き伸ばされた幕はかつて城があった場所に近づくほど密集し、外堀があったあたりに繭のようなものを形成していた。
例の球体たちの姿は見られない。それが距離の問題なのか、姿を隠しているのか、弾き出される直前までのように靄と化したままだからなのか……
疑問は尽きない。
「てかよ、アレ全部回収すんの?」
スカルの言うアレとはもちろん、引き伸ばされて陣幕のごとく張り巡らされたヤマトのことだ。
「取り返すってんだから、そうでしょ」
答えたパンサーにしても自信はなさそうだった。なにしろすでに相当な量を手さえ触れずに通り過ぎてしまっている。
ノワールは、唸り声を上げて飛び出していきそうな、飢えた猟犬めいた様子のを片手間になだめすかしながら小首を傾げた。
「結構な量になりそうだけど……モナちゃん、どう? いけそうかな?」
『いやなにワガハイにそのまんま積みこもうとしてんだよ。まずは元の状態に戻してやんねーと』
呆れた様子でモナは返すが、さらなる切り返しが彼を沈黙させた。
「どうやって元に戻すんだ?」
フォックスはモナのみならず、全員の意見を求めて車中を見回した。
「……薄く広げられてるんだから、折りたたんで重ねて、圧縮する……?」
「それでイケんの!? 立花さん大丈夫!?」
「すまん。適当こいた」
「こくなっ! 今はやめろ!」
項垂れるナビの頭に軽いげんこつを寄越してからスカルはバリバリと頭をかいた。彼にだって妙案など有りはしないからだろう、仮面の下の表情は苦々しい。
とはいえ、じゃあ帰ろうなどというつもりも毛頭ない。
こういう場面が今までの怪盗活動の際なかったわけでもない。
解らないことがあるというのなら、聞き出せばいいだけだ。色仕掛けなり恫喝なり、おしゃべり仕方はいくらでもある。
―――むこうにその気があるのであれば。
いずれにせよ繭はもう間近に迫っていた。
見上げるほどの距離近くまで寄っても妨害はなく、障害らしい障害といえば通り過ぎていく車くらいだ。
徒歩に切り替えて路側帯を一列になって進む彼らのそばを、無人か、あるいはうつろな目の運転手を乗せた車体が猛スピードでとおり抜ける。
スカルはいくらか青ざめながら言った。
「これやっぱ轢かれたら轢かれんだよな?」
「ここでは日本の言葉で話せ」
今度はナビがスカルの背にげんこつをお見舞いしてやる番だった。
スカルはつまり、この車に実体はあるのかと問いたいらしいとやっと聞き出して、ナビは平静な様子で答えた。
「あるよ」
端的なそれにスカルのみならず、全員が眉をひそめる。ここまできて事故でリタイアなんて目に遭うのはごめんだった。
ナビはまた、前方に待ち受ける繭を指して言う。
「あれ、あっこがリアルと繋がってる。繋がって、どんどん重なってきてる。わたしたちの世界がこっちに引きずり込まれてるって感じかな……」
「え? それヤバくない?」
「うん、ヤバい。だけど融合の速度自体はすごくゆっくりだから、まるごと全部が置換されるには何ヶ月もかかるんじゃないか? 小規模な範囲……例えばこのへんだけでなんかしようってんならそれでも充分だろうけど」
「すでに連れ込まれている人々が確認できているからな」
フォックスの指摘に、ナビはううむと唸って腕を組んだ。
もちろん先から度々見かける人の姿は無視できない存在だ。
しかし急務とまでは思えない。何故なら彼らは一様に五体満足で、異形に襲われるようなことも今のところない。
そもそもナビがこの場所を特定するために覗き込んだあちこちの映像にも、異形らの姿はちらとも窺うことはできなかった。
ならば本命をさっさと片付けようとここまで急いだわけだが、その本命の姿が見当たらない。
「周りぐるっと見てもみつからないし、やっぱあの中かー?」
「中ねぇ……入り口みたいなのあんの?」
「それも探してるんだけど……」
いまいち捗らないと置いて、ナビは背後のモナをふり返った。しかしそちらも芳しくないようで、力なく首を振るばかりだ。
一同は落ち着きなく足を運びながらもやがて繭の目前にたどり着いたが、やはり入り口のようなものは見当たらなかった。
さてどうしよう―――
潜む場所もない所で立ち往生をくらっていると、頭上から声がかかった。それは忌々しいものであったが、ある意味では救いの手でもあった。
『なぜいる?』
『迷い込んだか?』
『紛れ込んだか?』
『なにをしにきた?』
『どうやってここへ?』
『どうして?』
同時にかかった複数の問いかけに少年たちは一斉に頭上を仰いだ。
そこには待ち望んではいないが、しかし今最も求めるうちの一つ―――六つ―――である姿があった。球体を取り戻しているが、しかしひと回りほど小さくなっているようにも思える。
怪盗たちは一斉に得物を構えたが、斬りかかろうとまではせず様子を窺うに留めた。
どういうわけかそれはあちらも同じことのようで、ゆらゆらと不規則に揺れては不明瞭な声で何事かを言い交わしている。
お互いに戸惑いを抱いているのは明らかだった。
やがて球体が述べる。
『なにをしに来た?』
これに、はカッと眼を見開いて吠える。
「なにをふざけたことを! 紬の≪心≫を返してもらいに来たに決まっている!」
飛び出しそうになる彼女が堪えられたのは相手の反応が思いもよらぬものだったからだ。
『なに―――?』
表情があれば怪訝そうに眉をひそめていただろう声は、この上なく呆けたものだった。それこそ、思いもよらぬ言葉をぶつけられたと、彼らは全身で訴えていた。
からかって遊んでいるつもりなのかと、一度は弱まりかけた心火が再び燃え上がろうとした瞬間、彼らは笑声を響かせ始めた。
『なにもわかっておらぬのか』
『ここまで来ておいて』
『その目は飾りか?』
『節穴じゃ、節穴じゃ』
嘲りに満ちた笑い声に、いよいよの堪忍袋の緒も切れそうになる。それをすんでのところで掴んでせき止めたのは、こちらのほうがよほど飛び出していきそうな風情のスカルだった。
彼は一歩前に踏み出すと、腕を横に伸ばしての進路を塞ぎ、恫喝や尋問めいた調子で球体たちに語りかけた。
「あんま舐めた口きいてんじゃねぇよクソが……! 俺らがナニを解ってねぇってンだ!?」
―――威勢はいいが、それじゃチンピラだ。
モナはため息をつきつき、彼に倣って前へ進み出た。
「そうだな―――解ってないと言われるのは心外だ。ワガハイたちは≪心≫のエキスパートだぜ。そんなに言うんなら教えてもらおうじゃねーか」
へ、と卑俗な笑いを漏らした彼に球体たちはいささか気分を害したのか、怪盗たちの退路を断つようにゆっくりと旋回をはじめる。
それでも答える気はあるらしく、順繰りに彼らは言った。
『ヒトは髪を切るな』
『爪もな』
『トカゲは尾を掴まれれば自らそれを切る』
『クモやミミズも同じことをする』
『なんとなれば、我が身可愛さゆえ』
『多少の痛みや不便さは仕方のないこと』
迂遠なもの言いには全員が程度の差はあれど苛立ちを覚える。
なによりその内容だ。今度はパンサーが耐え切れないと声を張り上げた。
「だから! 立花さんのはアンタらが盗んだんであって、あの子が自分から切り離したわけじゃないんじゃん!」
ふざけるなといくらか口汚く訴えるが、彼女へ返されたのは憐れみのこもった妙に優しい笑い声だった。
『そういう受け取り方もできる』
『そうだなたしかに』
『あれはわしらのものじゃ』
『吾らの一部だ』
『そうなった』
『今も』
つまり、彼らにとって立花紬は自らのうちの一部であるから、我が身を守るために切り離したのだと、そう言いたいのだろう。
そんなつもりもなさそうだが、少年たちの怒りを煽るには充分な見解だった。
それでもまだ冷静さを保つ……ように見えるフォックスが、次に言い返した。
「貴様たちの悍しい身の一部であるがゆえに立花さんは害されたと? であれば、俺たちで取り返すまでだ。はじめからそのつもりで来ているのだからな」
『聞いたか?』
『聞いた』
『フフフッ―――』
『笑っては悪い』
『しかし』
『ホホホ、堪えきれん』
嘲笑にフォックスのこめかみに青筋が浮かぶ。
しかしこれも、彼が刃を抜き放つより一発の銃声が先んじた。
「……あの個体に銃撃は無効ね。ナビ、記録して」
「んっ、した。番号ふって共有……させた。銃撃無効から時計回りに一から六まで」
パッと一同の視界に矢印と数字が浮かび上がる。ナビの能力による認知への干渉が一同の視覚に及んだものだ。1のタグが付けられた個体には、ご丁寧にピストルのマークにバツ印が重ねられていた。
手に握ったリボルバーから硝煙をたなびかせるクイーンは、さも当然のことのように鷹揚に頷いて、ふっと銃口に息を吹きかけた。
対する球体のほうはダメージもないからか、これといって焦る様子も見せてはいない。けれど不快には思っているのだろう、旋回しつつも小刻みに身を震わせている。
二の数字を付けられた球体にノワールが銃口を向けた。細い指先は引き金にかかり、今にも火を吹かんと力が込められていた。
「悪いけれど、長話に付き合うつもりはありません。結論からおっしゃっていただける?」
不遜なその態度に、彼らはますます激しく身体を震わせた。
『よかろう』
しかし声に宿った高慢さは消えないまま、まるで絶対的な優位を確信しているかのようだった。
『髪や爪や尾はお前たちの一部だ』
『間違いなく』
『しかし切り捨てたそれはお前か?』
そんなわけがあるか、と答えようとする最中、彼らは顔面を蒼白にさせて言葉を失った。
『ヒトの発展ぶりはいつの世も目覚ましい』
『しかしまだ時期尚早というもの。それとも―――』
『私たちの知らぬ間に、お前たちはそれと自らを繋げる術を身につけたのか?』
つまり……
立花紬とそのペルソナ、すなわち肉体と精神は完全に切り離され、修復は不可能だと球体たちは述べている。
『わしらでさえ、あの二つを繋ぐものの再生はできぬ』
それは事実上の死の宣告だった。
廃人同然の状態になった立花紬を救う術は、この異界にも外の現象界にも存在しない。はじめから、彼女もまた死ぬ定めにあったということだ。
「そんな……そんなの……!」
悲鳴に近い金切り声をは上げていた。その手には怒りの発露に応じてか、いつの間にか金砕棒かマカナとでも呼ぶべき長物が握られている。
取り戻すことができないと断言されてしまった以上、彼女にできることはもはや一つしかない。仇討ちだ。
「許さない……! あんたたちだけは絶対に―――!」
地を砕くほどの勢いで飛び出していった彼女を止められる者はいなかった。身体的にも心情的にも追いつけず、またそうすることに躊躇して取り逃す。
彼女の背後には半身が拳を振り上げていた。
打ち下ろされた二つの打擲は間違いなく球体の一つに突き刺さったが、しかしその手に手応えは感じられないまま彼女は地に足をつけてた。
驚愕しながらも身を反転させ、改めて球体らに対峙し直す。そのころには他の面々も得物を構え、臨戦態勢を取っていた。
球体たちはため息のようなか細い呼気をついて、縦に揺れ始める。
『せっかく帰してやったというのに』
『大人しくしておればいいものを』
『まだ間に合う』
『家に帰れ』
『子どもはもう家に帰る時間じゃ』
『素直に諦めよ』
諦観を求めて訴える声は優しげだった。老人が孫やひ孫を見守り、諌めるような、そんな声色だ。
おそらくそれは嘘偽りのない親切心や慈悲の心から吐き出されたものであろう。
ただしそれがひどく選択的なものであることもまた明らかだ。
は悔しそうに歯を噛んだ。
何故その慈悲の網から立花紬や名前も知らぬ極小数の人たちだけがこぼれ落ちる羽目になったのか―――
例えばそれが、親子の情や友人間、恋人間といった特定の関係上であるのならまだ理解もできる。えこひいきは誰しもしがちな、よくある選択的な慈悲の一つだ。
もちろん、三諸の主と呼ばれる存在が本当に神であるのなら、これまで語られ、自らも語った通り真実人という存在を大切に思っているのなら、大多数のための極めて少数の犠牲はやむないこと考えるのも、その理屈は理解できる。
けれど納得することは決してできない。はその当事者だからだ。彼女とその幼馴染と、彼女の目の前で失われてきた幾人かは、切り捨てられるほうの存在だった。
それはかつての彼らそのものだ。
「悪ぃが、素直に帰るわけにはいかねーな」
ニヒルだが愛らしいモナの声と言葉に、は顔を上げて丸まりつつあった背すじを伸ばした。
視線の先で、パンサーはにむけて片目をつむってみせる。
「ウチらって諦めの悪さも『ウリ』の一つなんだよね」
「リーダーがリーダーだかんな」
皮肉っぽく笑うスカルの手には、こんなときだというのにスマートフォンが握られている。
そも怪盗団という集団を立ち上げたのはこの少年たちだ。
リーダーの選出は消極的選択でこそあったが、今となってもそこに異議を唱える者は決して現れない。実力にしても、精神的な支柱としても。今この場に姿がなくとも、彼は間違いなくこの奇妙な、まとまりのない、個性の塊で滑稽な集団の頭領だった。
けれど彼に言わせれば、その根底にある方向性を定めたのはこの三人―――二人と一匹―――だ。
この少年があのとき、自らこそが命の危機に瀕してなお逃げろと訴えなければ、彼は立ち上がれなかった。
この少女があのとき、怒りを堪え切れずただ感情のままにあの王様気取りを殺さなかったからこそ、無軌道にならずに済んだ。
この猫が導かなければ、≪力≫こそあれ活用の仕方を知らないままただ屈していただろう。
本人たちにあまり自覚はないが、これらこそが怪盗団の根底にあるものだ。
通り過ぎていく車のヘッドライトが点灯されはじめる。それはいよいよ空が暗く沈み始めたからだ。星々の瞬きが暗雲に覆われつつあった。
『うげっ!? なにこれっ、敵性反応多数―――』
早々己の半身に乗り上げてモニターを覗いていたナビが悲鳴を上げる。
空を覆っていたのは暗雲などではなく、浮遊する奇妙な肉塊だった。
それらは人の形をしていて、ふくふくとした頬の赤ん坊に似ていた。ただし両の腕は根本から切り落とされ、引き換えにか背に翼のように無数の腕を生やしている。なによりその身は赤ん坊どころか、三、四メートルはあろうかという巨体だ。
見れば、空だけでなく地上からも大量の異形たちがじわじわと集まりつつあった。
『やむを得まい』
諸々の精霊の主はため息をつきつき言った。
『まずはそなたらをさきがけとしよう』
言葉と同時に足元が大きく揺らいだ。またさらに大きな影が怪盗たちの頭上を塞ぐ。
巨大な泥の塊のようなものが空を塞いでいた。不定形ではあるが生き物らしく、規則正しく一部を上下させ、触腕らしき緑の蔦を伸ばし道の左右を塞ぎ、トンネルを作り上げる。
まずいと思ったクイーンが後方を窺うころには、退路はひしめく異形らに塞がれつつあった。
上下左右と後方を取られ、なおかつ道は未だに無数の車体が行き来している。あちらにとっては都合のいいことに―――ある意味では怪盗たちにも幸いなことに―――それらは異形の肉体と接触してもすり抜けるだけだ。
対して彼らは、高速で行き来する車体に触れればただでは済まされない。この場合はパレスと違って排除も不可能だ。現象界にどんな影響が及ぶかも解らない。
ちょうど一台のトラックが通りかかった。それが生み出す振動やうねりは間近に迫るとよりく肌に感じられる。異界の影響下であっても、やはりダメージは大きそうだ。
それでも怪盗たちに焦りはさほどなかった。
かつて切り捨てられるほうの存在であった少年たちは、今もってなおどちらかといえば社会の爪弾き者で、異端者だ。ちょっと変わってるとか、普通じゃないと言われる。特別視されるような存在であることに変わりはない。
助けが必要だったはずの彼らは遠慮や謙虚という名の免罪符によって見捨てられ、死ではない破滅に追いやられるところだった。
立花紬やはどうだろうか。あるいは、すでに文字通り食い物にされた幾人かの犠牲者たちは。なにか人とは違った、抜きん出た特質や才能があったのかもしれない。
それによってあらゆるものを奪われると言うのであれば、それは不幸なことだろう。
けれど別の面から見れば最上の幸福でもあった。
何故なら『彼』はそういう者の前にしか姿を現さない。
「俺がいないのにパーティをはじめるなんて、酷いじゃないか」
通り抜けようとするトラックの荷台の上から、一つの黒い影がひらりと飛び降りた。
必要もないのに空中で一回転を披露してみせてから着地した少年は、癖のある黒髪をかき上げてキザっぽく鼻を鳴らし、悠然と立ち上がった。
晒された意外と幼気な面立ちはドミノマスクに覆われている。
「まだこっからだよ。でも遅刻な」
なにしてたんだよ、とスカルはひじで黒衣の少年の脇をつついた。
それにくすぐったそうに身をよじりながら、彼はちょっと照れくさそうに答える。
「気がついたら反対方面に行ってて……慌てて引き返したんだけど、今度は道が混んでて」
それで、今のトラックに当たりをつけて同乗させてもらったのだという。
スカルはその肩にひじを乗せて寄りかかると、耳元に「田舎もんかよ。だっせぇ」と罵り言葉を寄せてやった。その手に握られたスマートフォンは未だに通話状態のままだ。
「うるさいな」
ツンと顔を逸して、彼はスカルを追いやった。ついでにと彼は耳に挿し込んだままのコードレスイヤホンとマイクを取り外す。
もちろんそれは、猫の姿で比較的どこにでも侵入が容易な輩が昨晩中に届けた物だ。
なんということはない。彼は彼自身の心に現れる牢獄を伝ってここへやって来たというだけだ。道のりにはそれなりの苦労もあったが、語るほどのことでもなかった。
なにより見栄を張りたがる怪盗団の頭領は、そういう水面下の苦労を隠したい。誰だってそれに付き合ってやるくらいの気持ちの余裕は持ち合わせていた。
「さて……」
彼は真紅のグローブを直しながら言う。
「それじゃあショータイムといこう。派手にやるぞ!」
ニヤッと口角を釣り上げたジョーカーに応えて、怪盗たちは全員笑ってみせた。