← ↑ →
23:Paved with Good Intentions Road
暗がりの中でナビは忙しなく手を動かしては画面の向こうの誰かに向けて囁いている。
『いたぞ、あいつだ。まだ気づかれてない……急げ、捕まえろ。ぜったいに取り逃がすな―――』
焦燥感に彩られた声にはすぐ、
「わかった」と応えるものがあった。
……
夕暮れの世界にあるのは、相も変わらず静寂と寂寞ばかりだ。ひやりとした空気が停滞し、誰かが一歩進むだけで足音が高らかに響くほど、なにもかもが静止している。
東京、渋谷の駅前に存在するスクランブル交差点は、日に数十万人が行き来する『世界で一番有名な交差点』とされている。
訪れたことのない者でも、数々の映画、ライブカメラやテレビの街頭インタビュー、バラエティや旅番組、ドキュメンタリー映像でその姿を目にすることは多いだろう。
それ故にまったくの無人という様を目撃したことのある者は極めて限られるはずだ。
夕陽に照らし出された空間は気温に関係なく寒さを覚えるほど広く、城壁のように囲む高いビルから落ちた影が異様さを増している。
本来ならば早朝であってなお疎らにでも人の姿が垣間見えるはず場所だが、駅の構内からゆっくりとその中央を目指して歩を進める彼女の瞳には一つとして動くものは捉えられなかった。
ゆっくりと歩み出たのは紺色のPコートに身を包んだ、十代半ばと思わしき少女だった。コートの裾からは黒のボックスプリーツスカートが覗き、そこから生える頼りなさげな脚は黒のタイツに包まれている。足元には傷だらけのローファーがあった。
そして奇妙なことに、その顔には仮面が貼り付いている。神女や巫を表す能面はすっかり彼女の顔を覆い、表情を覆い隠してしまっていた。
彼女はなんの迷いもなく広々としたスクランブル交差点の中央に進み出た。
停止した信号機は音も立てず、また光もしない。ただ彼女の踵がアスファルトを叩く音だけが、吸音材代わりの人の姿が無いからか、こだまのように遠くまで鳴り響いている。
空から降る茜色の光はさながら彼女を照らし出すスポットライトの一つのようだった。
そこは正真正銘、彼女の舞台だ。そのはじまりの合図として、増髪は手にしていた鉄パイプで足元を打ち鳴らした。
甲高く鈍い音が靴音の残響をかき消して辺り一帯に広がり、ドアベルや電話の呼出音のようになにかの耳目を引きつける。
「……もう待つつもりはない。残りの『試練』とやらも、今の私ならこなせるだろう」
朗々とした声は明確に誰かに向けられたものだった。
「聞いているはずだ。急いで。彼らに悟られたら、なにもかもがご破算だ。こちらにしても、そちらにしても―――」
低く唸るようなこの声に、しばしの静寂の後空間全体が応えた。
『その意気やよし』
『よしよし』
『うまくいっとる』
『あと一つじゃ』
『もうちょっとじゃ』
『ようやった、ようやった』
六つの声がするなり、天は裏返るように歪み、そこからドロリとしたものが滴り落ちる。
水をたっぷりと含んだ泥のような、タールか重油のような、粘性の高い液体だった。
それは、はるか天上から地面に落下すると、飛沫を散らしながら大きく広がって地を汚した。
『これが欲しいのだろ』
声とともに黒色の液体に泡がたちはじめる。粘ついた泡のうち一つが一際大きく膨らみ、弾けると、そこから青ざめた少女の首が現れた。
増髪は息を呑む。鉄パイプを握る手にはいやがおうにも力がこもった。
そこには彼女のあらゆる行動原理と根拠である存在の、立花紬の死人のような顔があった。
増髪は仮面の下で強く歯を噛み鳴らし、眉を寄せてどこにいるとも分からない相手を睨みつけた。
「返して……紬を返してッ……!」
血を吐くような心地で絞り出された声に、姿さえ見せない何者かはうめき声に似た笑声を響かせる。
『よかろう』
『近うよれ』
『案内しちゃろ』
『連れて行っちゃろう』
『来るんじゃ』
『もっともっと』
声は同時に囁きかけた。
六つの声音を聞き分けることは難しかったが辛うじて近くに寄れという指示を聞き取り、増髪はほんの十数メートル先に生えた幼馴染の生首に向けてさらに脚を踏み出した。
その歩みは大股で、力強く、怒りがこもっている。あまり女の子らしいとはいえなかった。
あと二、三歩でたどり着こうというところで変化は訪れた。
首を生やした汚泥から腕が―――決して少女のものとは思えない、三つの関節をもつ腕が伸び、縁に手を掛けるように地べたを掴んだ。
思わずと足を止めた増髪の目の前で、そのものは地面の中から這い上がる。
それは見上げるほどの大きさのムカデやヤスデに似た生き物のようだった。体表を覆う外骨格からは絶えず粘性の液体が滴り、縦長の身体は節ごとに肉々しい脚が生え揃っている。
また頭部には一対の触覚と、無数の眼らしき球体がポリープのように貼り付いている。口と思わしき部分には巨大な大顎が突き出していた。
巨大な多足類となればそれだけで恐怖感を抱きそうなものだが、それがなによりおぞましいのは頭部と胴部を繋ぐ間挿に一人の少女を埋め込んでいることだった。
「紬!」
叫び声に埋め込まれた少女は反応しない。
だらりと力なく垂れ下がった彼女の肢体には喜ぶべきことなのか、傷一つとして見当たらない。けれどその手足に血の気はなく、巨体の動きに合わせてブラブラと揺れる様は柳の枝を思わせる。痩せ細り、筋肉の落ちた肉体はまさしく枝葉のようだった。
増髪はうなじの毛を逆立てて吠えた。
「その子を離してッ!!」
アスファルトにひびが入るほどの踏み込みと咆哮に大百足は俊敏に反応した。
下段から振り上げられた鉄パイプの一撃を脚で弾き返し、さらに地面から身体を引きずり上げる―――
増髪は大きく飛び退りながら目で幼馴染を追うが、またたく間にそれは十数メートルは上に至り、立ち並ぶビルと頭を並べるほどの巨体を静謐の中に晒し出した。
見上げる彼女の瞳には今や燃え上がらんほどの怒りが激しく揺れている。
「―――オオタカヒコ!」
怒鳴りつけた彼女に応えて、その背後に巨大な影が現れる。
大まかに人の形をした黒い巨人は鞭のようにしなる腕を振り回すと大百足の胴をはっしと掴んだ。しかしビル壁に取り付いた無数の脚は止まらず、太い腕はすぐにピンと伸び切ってしまう。
「うっ、く……!」
綱引きめいた力比べに、増髪の口からは苦悶の声が漏れる。その背後の巨人も、太く短い脚に力をこめて咆哮を上げた。
引き合う力は拮抗しているように見えたが、長くは続かなかった。
大百足は掴まれた胴を捩り、いよいよ尻までを地面から引き抜くと、そこに生えた曳航肢らしき針のような突起を増髪目がけて突き入れる。
ハッと増髪が息を呑んだときにはもう、鋭い先端は目の前に迫っていた。
それが彼女の頭をスイカのように砕く寸前、華奢な肩がびくりと小さく跳ね、次いでふつと黒い巨人が姿を消す。
先端部ですら大人の腿ほどはあろうかという針は、しかし次の瞬間新たに現れた紫色に輝く小さな虫の集合体によってせき止められていた。
「あっ、クナトノカミ……」
気の抜けた声に虫たちは気分を害したのか、羽音を響かせると直ちにかき消える。
残された増髪もまた気を取り直そうとかぶりを振り、鉄パイプを構えて大百足の巨体を見据え直した。
するとはるか上方から彼女を見下ろす巨大なあぎとから、錆びついた声が降り落ちる。
『小賢しい―――』
苛立ちに満ちたそれは独り言に思えたが、身の丈に相応しい声量を有している。多く強い風雨に耐えるはずのガラスをビリビリと揺らした。
増髪もまた臓腑を揺すられる不快感に眉をひそめる。
しかしここにきて問答は不要と、仮面に手を添えるとはっきりとした声で呼びかけた。
「まずは降りてきてもらう! ヤトノカミ!」
蛇は直ちに彼女のそばに現れるが、すぐに力を発揮するとはいかなかった。
増髪は慌てた様子で言い添える。
「登るものがなければ、逃げられないでしょ?」
蛇は承知したと言わんばかりに首を振ると、巨大な―――しかし大百足と比べれば半分程度しかない背丈の大蛇に変じると、気泡音を上げて力をふるった。
大盤振る舞いだとささやく声は交差点を囲む高層ビルのことごとくが二分割される轟音にかき消される。
一刀両断された建物は幾ばくかの後、自重によってはじめはゆっくりと、やがて速度を得てずれ落ちながら崩壊する。舞い上げられた土埃には大粒の礫が混じり、一刃こそ躱したもののバランスを失して地に落ちた大百足の背面を雨のように叩いた。
当の増髪は周辺でも一際大きなビルの残骸の上に退避し、半身の醜く膨れ上がった腕によって土砂の雨を退けている。
不変と不動の世界には当然風もなく、土煙はすぐには晴れそうにもなかった。
もとより大百足に視覚はほとんど存在しない。複数の眼球を備えてはいるが、これはほとんど肉腫のようなもので、知覚の本命は触角による振動の感知だ。
それ故彼はじっと身を縮こませて崩壊による揺れが収まるのを待った。彼はヒトの子が知覚の際視覚や聴覚に多く頼ると知っていた。
一般にムカデの寿命は長くて十年ほどと言われているが、この大百足は齢百をゆうに超えている。もしかしたら、もっとずっと長生きしているのかもしれない。
とはいえそれは彼にとって重要ではなかった。彼はただ自身の生存と延命を願い、それを果たしたがために永らえてきたというだけだ。
ではその生は意義のないものなのかといえば、もちろん違っている。
ムカデは本来群れを作らない性質だが、永らえるうち彼の周りには同族によるコミュニティが発生していた。それは動物的な社会性とはまったく違い、結束と呼べるほどのものではなかったが、それぞれに帰属意識のようなものをもたらした。
長い時間を生きるうち蓄えた知恵や知識を、彼は仲間たちの繁殖のために費やした。それも見返りを欲してのことではなく、個としてではない種族全体的な、漫然とした意識のもと行われたことであった。
いつしか彼と彼の仲間たちは野に山に、湖に、国とも呼べる版図を築いた。
けれどそれも、長くは続かなかった。彼は人間に討たれて斃れ、すごすごとこの地に逃げ込んだ。
傷を癒す間の人間たちの進化の度合いといったらなかった。その足元、朽ちかけた葉っぱの下の王国はあっという間に衰退し、そうと知りさえしないうちに滅亡させてしまった。
やがて民は散り散りとなり、結束はもとの通りに解けてしまった。
それで、さて。この大百足は人間たちに復讐しようなどという気には、さっぱりなれなかった。
何故なら彼がいてもいなくても、同族たちは少なくなった住処をうまく利用し、なんなら人間の住処こそ格好の餌場とたくましくもささやかに繁栄を続けていたからだ。
それで、大百足はふーむと唸って溜飲を下げてしまった。
―――それなら別に。ここで隠居生活を満喫しようか。
かくして大百足はここ数百年、この土地でほとんどの時間を眠りに費やして過ごした。
何度か外の騒がしさに好奇心を刺激されなくもなかったが、覗き見た限り同族たちに変わりはなさそうだったから放っておいた。
それが、ほんのひと月と少し前、心地よいまどろみにうっとりと沈んでいたところ、おぞましい感覚を与えられて彼は飛び起きねばならなくなった。
彼は同族の趨勢以外にまったく関心を払っていなかったから、何故そうなったのか、そうされたのかも理解はできなかったが、己の頸に奇妙なものを埋め込まれたことだけは理解できた。
それがまだ年幼いヒトの子どもだということも辛うじて把握はできた。
老齢の域に達し、そろそろ寿命も尽きようかという老虫は、それによって自らの肉体に若いころのような力が取り戻されるのを感じていた。
力は彼に怒りを思い出させた。
己を追い詰めたあの憎き人間に復讐してやろうという気概に、六つの黒い靄の塊は揺れながら囁いた。
計画がある、と。
あれな娘はその身に力を蓄えている。我らはそれを儀式によって昇華し、取り込んで奪われた土地を取り返すための≪力≫とする。
御身はその最後のひと押しだ。
老いた虫はこれに乗った。
多くの同胞たちが土に帰ったように、己もまた礎となることに疑問も不満もなかった。どうせ正攻法では勝てない相手だ。そんな復讐もよかろうと。
つまり彼にとってこれは八百長以外のなにものでもない戦いだった。
直前それを不服と感じるやもと思うこともあったが、事ここに至ると奸計にかけるということは彼にとっても存外悪くないものであった。
圧倒的な暴力によって打ちのめすのもいいが、知略巡らせて絡め取るのもまた戦の妙か、と。
そのように久方ぶりの高揚感に浸る大百足のそばに、増髪はとっくにたどり着いていた。伏せる巨体を見下ろせる場所にしゃがみ込んで、息を殺し、様子を窺っている。
崩れ落ちる瓦礫の影に、街全体を揺るがすような衝撃に隠れて、まるで導かれるような足運びは、一端の怪盗さながらだった。
大百足はまだその接近に気がついていない。
その手に握りしめられた鉄パイプ如きでこの鎧めいた外骨格を砕けるとは到底思えない。唾を吐きかけたところでそれは変わらないだろう。
ならばと増髪は己の半身を呼び起こし、辺りをもうもうと包み続ける土煙を巻き込んで剛腕を振り上げた。
大きな空気の動きは当然、大百足に察知されている。けれど彼は目論見通り、その場を動くことなく拳が己の脳天を叩き割るのを待っていた。
片や版図を取り戻すため、片や幼馴染を取り返すため。二つの意志はしかし、さらなる計略によって遮られた。
それは一つの白刃だった。
鋭く研がれた刃の峰を用いて、フォックスが馬手の軌道を辛うじて逸していた。
「ぐっ……やはり、素晴らしい膂力だな……」
彼にしてもそれは至難の業だったようで、荒い息を吐きながら穿たれた足元をひと摘みの恐怖とともに見下ろしている。
それを見つめる増髪の表情は仮面の下だ。驚きか失望か、あるいは落胆があるはずだが、今のところ誰の目にも映ることはない。
大百足は唐突な闖入者の存在に驚きこそすれ、予め第三者の存在は聞き及んでいたから、すぐに気を取り直して排除せんとあぎとを持ち上げる。
それも、ミシン針のように地と硬い外骨格が穿たれて停止し、弾き返されてしまう。
軽快な発砲音の発生源には、短機関銃を構えたパンサーの姿があった。
彼女はトリガーに指をかけたまま声を張り上げる。
「HOLD UP! 一歩でも動いたら穴だらけの丸焼きだから!」
同時に空気が優しく撫でるように動き出して土煙を追い払った。
明瞭となった視界は、大百足と増髪を中心に彼らを取り囲むような形で怪盗たちが集っていることを教えた。吹くはずのない風はそのうちの黒猫が寄越したものだろう。
大百足は一先ず成り行きを見守ろうと息を殺して身を伏せた。
それを見て、クイーンが進み出る。
「、勝手な行動は慎んでちょうだい。ゲスト扱いでもあなたは怪盗団の一員なのよ」
厳しい声色に増髪は仮面の下の歯を噛み鳴らした。
相反する優しげな声はその背後からかけられる。
「つまりね、あなたにも掟を守っていただきたいの」
「掟―――?」
「全会一致ってやつだよ。話しただろ。……話したよな?」
不安げに一同を見回しているのはスカルだ。
増髪は是とも非とも言わず、ただじっと言葉に耳を傾けている。
そんな彼女のすぐそば、刀を鞘に収めたフォックスが言葉を引き継いだ。
「俺たちは今回のこの行動を承認した覚えはない」
「私は……私のほうこそ、君たち怪盗の仲間入りをした覚えはない」
「いいや、したぞ。わたしたちみんながそう決めたんだ、おまえにもしたがってもらう」
ナビの姿はその半身とともに上空にあった。立体的な包囲に増髪の拳に力が籠もる。
「邪魔をしないで―――」
声には奇妙な圧力があった。それが怒りによるものか焦りによるものかは誰にも――あるいは彼女自身にも―――わからない。
不安定な足場を身軽に飛び越えてほど近くまで寄ったモナは、そんな彼女を諭すように優しく語りかける。
「ラヴェンツァ殿の話はオマエも聞いただろ。被害はワガハイたちだけで抑え込める範囲じゃねぇ。なんなら外の世界全体に影響が及ぶんだ。バカな真似はよすんだ」
ゆらゆらと揺れる黒猫の尾の先端、白い部分を眺めながら、増髪は首を横に振る。
「世界だなんて、そんな大それたもの、知るもんか。私はただ紬を助ける。そのためにずっと頑張ってきたんだ……!」
唸り声に呼応して彼女の半身が立ち上がった。笠を被った女の顔は窺えないが、艷やかな口元には笑みが浮かんでいる。
「よせ、―――!」
固く握られた巨大な拳が小さな猫の肉体を潰す寸前、フォックスは半ば滑り込む勢いでその下に潜り、首根っこを捕まえてノワールのいる方向へ放り投げてやった。
砕かれたコンクリートの残骸は飛礫となって四方八方へ飛び散り、怪盗たちの目をくらませる。フォックスは辛うじてその隙間から、モナが首尾よくノワールの腕に収まる様を見て安堵の息をついた。
その一瞬の脱力を見透かしたように、身を伏せていた大百足が勢いよく飛び起きる。さらなる瓦礫の雨が辺り一帯に降り注いだ。
その中、轟音と悲鳴が響く中央を増髪は脇目も振らず走り抜けた。そして、山のように聳立する縦長の胴に一撃を叩き込む。
これはたまらぬと大百足が身をくねらすのが怪盗たちの耳目にも至ったのだろう。再び視界を塞いだ土煙のむこうから、パンサーは懸命に叫んだ。
「やめなってば! そんなコトして、立花さんは喜ぶの!?」
返る声は剣呑なものだった。
「あの子がどう思うかなんてどうでもいい!」
声のした方向に当たりをつけ、スカルは雷撃を迸らせる。当てるつもりもない牽制の一撃だ。威力は最低限に絞られている。
スカルの本命は言葉であった。彼もまた懸命に声を振り絞り、必死さをもって増髪に呼びかける。
「どうでもよくはねぇだろ! 人がたくさん死ぬかもしれねえんだぞ!」
「構わない! いくらでも死ねばいい! なんなら、この手でやったっていい!」
返答にスカルは絶句するが、再びの声はより明確に彼女の位置を教えていた。クイーンが光速を超える力の塊をそこに叩きつけると、一拍遅れて閃光が走り、爆風が土煙を吹き飛ばした。
現れた増髪は傷こそないもののすっかり埃まみれで、黒と紺のシルエットは今や灰色に変じている。
五体満足であることを喜ぶのもつかの間、背後に佇む彼女の半身はその腕に、なんということか引きちぎったのだろう大百足の外骨格の一部をぶら下げていた。足元を濡らすぬめるものは、大百足の体液だろう。
もはや猶予も容赦もする時間はないとフォックスは躍りかかった。
それでも、どうしても、手心は加わってしまう。鈍い太刀筋は鉄パイプに迎え入れられた。
「! 馬鹿な真似はよせ! 君はそこまで愚かではないはずだろう!」
鍔迫り合いを演じながら、やはりフォックスも懸命な言葉をかける。
そこに最も多くの時間を共にした己ならばという自惚れめいたものがなかったといえば嘘になる。仲間たちも似たような思惑は抱いていた。あるいは事態を見守るものにも、そうした懸念があったのかもしれない。
けれど彼女が返したのは怒りに満ちた咆哮だった。
「やろうとさえしなかった君が文句をつけるのか!? 私を殺せば終わると教えたのに! それが君の『善意』だとでも言うつもり!?」
返す言葉もなく瞠目したフォックスの腕からわずかばかりに力が抜ける。その小さな間隙に糸を通すように、増髪は身体ごと腕を強く押し込んで彼の刃を突き放した。
「なにもしないのが君の―――君たちの『善意』? 口先だけなら、誰だって善人になれる。心地よい言葉を弄して、慈悲をひけらかすだけなら、座ってたってできるようなことじゃないか!」
下げた鉄パイプの先端は手首が翻されるのに合わせて跳ね上がる。刃もないただの鉄の塊がフォックスの手を強く叩いた。
鈍い痛みに表情を歪めた彼はそれによってか、はたまたもっと別な要因からか、すり足で距離をおいて増髪をきつく睨めつける。
彼女は反論を待っている様子だった。同時に追撃の隙を窺っているようでも。
―――いやな状況だ。
フォックスは声には出さずそう思う。それはおそらく、『怪盗たち』に共通した思いだろう。
彼らに増髪を害する意志はなく、しかしして増髪のほうは必要とあらばそれを為すだろう覚悟の端部を見せている。
それだけならば数の利で押さえ込むことも可能だろうが、しかしこの場にはもう一柱、自ら捧げられようとする神格が在る。
じり、とブーツの底で瓦礫に降り積もった粉塵をにじったフォックスは、奇妙な振動を感じてますます眉を寄せた。
ハッと息を呑むより早く、二人の間を裂くように巨大なあぎとが地中から飛び出した。
「危ない!」
声と同時にフォックスは大きくその場を飛び退いた。増髪の様子は降り注ぐ土砂の雨と大百足の体表から滴る粘液、なによりその巨体に遮られて伺うことができない。
舌打ちを残して、フォックスはさらに後退する。
増髪にしても、この巨大昆虫にしても、斃してはいけないという大前提はこの上なく厄介だった。
「くそ―――! 次はないと言ったはずだろうが!」
思わずと喚いた彼に大百足は顎を向ける。その下にぶら下がる少女の存在ももちろん、彼らにとっての足枷だ。
打つ手を探る眼に映るものは多くない。ならばと耳を澄ませると、俯瞰から剣戟を観測していたナビの警句が突き刺さった。
『チェックシックス!』
死角に警戒しろ―――と言われても、今や全員にとって全方位が死角だ。
あるいは大百足のように視覚情報以外の知覚を行うか、蛇のように熱感知を行う器官を有しているか……
そういえばと思い至るころには、再びの斬撃が空間全体を切り裂いていた。
辛うじて直立していたビルの残骸がますます小さく刻まれて崩れ落ちると、衝撃が強風を呼び、視界はさらに不明瞭になった。
その中に崩壊による鳴動さえひれ伏させる絶叫が響く。空気を震わす金切り声は、人のものとは到底思えない。
「―――! やめろ!!」
身を低く屈めていたモナはヒゲを震わせ、半身を引き連れて風を繰った。
吹き飛ばされた粉塵の中に少女のシルエットを捉えたのはノワールだった。彼女は十数メートル先にある灰色の影に向けて走り出しながら、誰にともなく告げる。
「私がやります!」
勇ましい発言に返るものは響かなかったが、ノワールは一つ頷いて斧を握りしめる手に力を籠めた。
砕けたコンクリート片や鉄骨の転がる足元を蹴り、一足で増髪に肉薄する。
足音で接近には感付いていたのだろう。増髪は振り下ろされた斧の一撃を鉄パイプで迎え入れたが、先のフォックスの刃を受けたばかりだからか、鋼鉄の塊は厚みのある刃にたやすく両断されてしまう。
「うえっ!?」
「あらっ?」
素っ頓狂な声を同時に上げた二人は一瞬顔を見合わせるものの、直ちにもう一人をそれぞれ呼び出して向かいあった。
片やビビットな色彩を身にまとう髑髏と女、もう一方は巨大な弓手を掲げる手弱女だ。見た目からは、力の差は判然としない。
「私たちの≪力≫をご覧あれ!」
妙に演技じみた台詞と大仰な仕草でノワールが手をかざすと、髑髏の口が開いて六本の銃身を備えた二〇ミリ口径の機関銃がぞろりと顔を覗かせる。
あまりのギャップに笑いたくもなるが、増髪だって彼女の半身がこうした能力を有していることは承知している。けれど今その銃口すべてが己に向けられているとなると、笑ってはいられない。
マズルフラッシュが目を焼く寸前、踏み込んだ増髪とサオトメはそれぞれ手を本体と半身に叩きつけた。
サオトメの拳は銃身を殴り抜いて射線をずらし、増髪自身はノワールに飛びついて華奢なその身を押し倒す。
少女たちはもつれ合いながら瓦礫の上を転がったが、双方の身がどこかに叩きつけられる前にクイーンとモナが受け止めてやった。
「ぐえっ」
ただし、モナは受け止めたというよりは、増髪とノワールの二人とクイーンの間に挟まれたといったほうが正しいだろう。クッションという意味では、確かに彼も緩衝材ではあった。
さておき、増髪は目を回しながらもどうにかクイーンの腕から逃れ出る。
「いい加減にしなさい! こんなことをして……」
「聞けません!」
増髪にとって間近にクイーンとモナが揃うことは危機であったが、同時に大きな機会でもあった。何故なら二人は強力な治癒能力を有している―――
「ネコノカミ!」
一拍置いて現れた大猫は、少し迷ってから三人に向けて肉球をふるった。
柔らかな感触はしかし次の瞬間意識を刈り取る剛撃に変じて少女たちを弾き飛ばす。
増髪は瞠目しながらもんどり打った。クイーンのみぞおちに突き込んだはずの一撃が鏡のようなものに跳ね返されて、明後日の方向にいってしまったからだ。それがノワールが咄嗟にしたことだとは知らぬ彼女に、クイーンの天地投げが見事に入っていた。
背中から地面に叩きつけられた彼女は目を白黒とさせながらクイーンを見上げている。
鉄仮面の下の表情はろくに窺えなかったが、そこに悪鬼羅刹の如き顔があるのだろうことは察せられた。
「制裁の時間よ、。覚悟はいい?」
増髪の喉がひゅっと鳴いた。
直後、彼女の頭のすぐそばを、クイーンの踵が踏みつける。地面にはひびが入った。
「だからパイセンこえーって」
苦笑混じりに言ってのけたのはいつの間にか駆けつけていたスカルだ。彼は片手に目を回したモナをぶら下げながら、もう一方をノワールに差し出している。
クイーンは憤慨した様子で鼻を鳴らしたが、構うつもりはないのだろう。受け流してスマートフォンを取り出すと、すぐに異世界ナビを起動させた。
「ナビ、急いで。全員帰還するわ」
『アイアイ、マム。すぐやる―――』
警戒漲らせて周囲と足元に視線を這わすクイーンに油断も気の緩みもない。
しかしそれをしてなお不意を突くことこそが彼を巨大なだけの虫とは違うのだと示している。
地中を移動して忍び寄った大百足は、その背に土と瓦礫を乗せ、大きく伸び上がった。すると仰向けに倒れたままの増髪の身体を押し上げるように地面が隆起し、それを跨ぐ形で立っていたクイーンはバランスを崩して転がり落ちる―――
スカルはモナを投げ捨て、ノワールをそっと崩れかけた壁の向こうに押しやってから走り出した。姿勢制御もままならぬまま仰向けに落ちてくる先輩を引っ掴んで、落下によるダメージを打ち消したところまで彼は完璧だった。
「うげ、重っ……なあ、ちょっと痩せたほうがいんじゃね……?」
「……多分だけど、あなたって喋らないでいたほうがモテるわよ」
「急になに!?」
ツンと逸した顔の先には大百足の口がある。地上に飛び出した巨体が南中に至り、重力に従って降り落ちてきているところだった。
二人は小さく頷き合うと左右に別れて飛び退いた。ほんの一瞬前まで二人が居た場所を大顎が抉り、巨体は粘液を撒き散らしながら再び地中へ潜り込む―――
その尾端の曳航肢を、逃すまいと膨れた腕が掴んでいる。
しかし引き止めるまでの力はなく、腕はその本体とともに地中に引きずり込まれていく。
「!」
まったくの反射によって、打算もなにもなくスカルは腕を伸ばしていた。
ふり向いた増髪の表情は仮面に遮られて目にすることは叶わない。
しかしスカルは驚愕の表情を浮かべて半ば叫ぶように言う。
「ちょっ……マジかよっ!?」
踏ん張ろうと脚に力を込める彼の腰を掴むクイーンもまた驚きと、どこか苦み走った表情を作っている。
果たして増髪は掴まれた腕を振り払って叫んだ。
「オオタカヒコ!」
鞭のようにしなる腕をもつ巨人は現れるなりそれを鋭く振るい、スカルの腹と胸を強かに打ち、クイーンもろとも弾き飛ばした。
二人がビルの残骸に叩きつけられるのと同時に増髪は地中に引きずり込まれて姿を消し、地表には静寂が取り戻される。
それも長くは続かなかった。
再び大百足が飛び出したとき、その背には泥まみれになった少女が貼り付き、半身の腕を深々と突き刺していた。
その腕が引き抜かれると耳をつんざくような絶叫が再び響き、剥がされた背板の一枚が降り落ちる。
衝撃にノワールはたたらを踏みながら辺りを見回した。粉塵は収まりつつあるが、仰け反って苦痛に身悶える大百足とその背に乗り上げる増髪以外に動く者の姿は見つからない。
モナは放り投げられた方向からして無事だろうが、パンサーとフォックスとは完全に分断されてしまったとみていいだろう。いわんやスカルとクイーンは、その無事さえ確認が叶わない。
ノワールは再び斧を手に己の一部を背後に呼び起こした。
「アスタルテ、あの子を止めて!」
声に応え、今度はマズルブレーキを備えた銃口が吐き出される。
「撃ちます!」
宣言と同時に大口径弾が発射された。
大型の弾薬はコリオリをはじめとしたあらゆる慣性力を振り切って真っ直ぐに増髪の肩に突き進んだが、寸前輝く虫の群れが現れて弾薬の軌道を反らしてしまう。
「あっ……」
そんな、と目を見開いたノワールがもう一撃を用意するより早く、今度は熊ほどの大きさもあろう猫が現れて短い二又の尾を振った。
低くしわがれた鳴き声が届くと同時に、ノワールの足元が火に包まれる。咄嗟に飛び退くと勢いを増し、壁のように燃え盛ってその視界を塞いでしまう。
「やめてちゃん、こんなのダメだよ―――」
懇願の声はまたたく間に炎に呑み込まれた。
それを確認さえせず、増髪は暴れ続ける大百足の肉体をますます痛めつけた。
そもそもこの気味の悪い虫の肉体の中に幼馴染が埋まっているということからして彼女には許せなかった。
振り落とされまいとしがみつく傍ら、鋼鉄のような虫の背板を砕き、引き剥がしては内側の肉と器官を抉り、破壊する。
やがて彼女は太い神経索を掘り当てた。構造から見て、脊椎動物の大脳に対応する頭部と胴部を繋ぐ中枢神経だろう。
巨大な腕はなんの躊躇もなくそれを掴んだ。
すると大百足は溺れるカエルのような奇妙なうめき声を上げ、身体を前後にガクガクと揺らし始める。口には粘ついた液体が泡を立てていた。
繊維の束を構成する糸は太く硬い上に粘性を有している。渾身の力を込めて引き千切ろうとするが、捻じれこそすれ断裂にはなかなか至らない。
苛立ちは蛇の姿をとって現れた。
大蛇は気泡音を響かせ、仇敵でも前にしたかのように荒々しく牙を突き立てる。
大百足はさらに激しく縦長の身体を暴れさせたが、やがてひときわ大きく尾端を跳ねさせると、それきり手脚を虚しく振り回すだけとなった。
直立する力も失せたのか、どうと横ざまに倒れる様はいよいよ死に至ったようにも思えたが、泡を吹くばかりの口からは辛うじてまだ言葉めいた唸り声が続いている。
辛うじて聞き取れる言葉の中に、恨み言の類はないようだった。今まさに彼の命を刈り取ろうとする増髪になど関心はないらしく、ただ自分の子どもたちとの思い出を胸に返しているようだ。
『あの子はなかなか大きくならんかった。身体も弱い。いい嫁をあてがってやらねば。よい子をたんと産む強いおなごじゃ。ああ、ああ、なんと賑やかしい……』
増髪は力なく地面の上に伸ばされた触覚を踏みつけ、握った拳を天に掲げる。その背後で、彼女の中のもう一人がそっくり同じ動きをしてみせた。
これで終わりだ―――
声もなくそう囁いて、増髪は腕を振り下ろそうと力を籠めるが、しかし直前になってその手首を絡め取るものがあった。
「待って!! ダメだってば! 話聞いてよ!!」
手首を絡め取ったのは真っ赤な革のムチだった。そんなものを臆面もなく振り回せる人物は、増髪が知る限り一人しかいない。
ゆっくりと首を巡らせれば、鞭を構えたパンサーと、傍らで忠実な番犬のように構えるフォックスの姿があった。
二人を見つめる表情はやはり仮面に隠されて窺えない。その能面の冷たさに背すじを粟立てながら、パンサーは懸命に言葉を紡いだ。
「助ける方法はこれ以外にもあるよって話したじゃん! 確かに時間はかかるかもしれないけど……」
「その間に紬が死んだらどうするの」
返された声は冷え冷えとしていた。
「それは……だけど、じゃあ、関係ない人が巻き込まれてもいいの!?」
「それについてはもう言った。知ったこっちゃない」
「、アンタ……!」
鞭を握る手に力が籠もる。ともすれば汗で滑りそうになる手のひらは、どうにか彼女の凶行を阻止しようと必死になっていた。
「ならば俺たちもお前の事情に配慮する必要はないな」
増髪はハッと聞こえるほど大きく息を呑んだ。フォックスの手にスマートフォンが握られていたからだ。その画面には異世界ナビを改造したナビ謹製のナビゲートアプリが起動させられている。
そこに表示された『緊急脱出』ボタンをタップするだけでこの異界から逃れられるのだということは、増髪こそがよく知っていることだった。
「やめて―――!!」
声を張り上げ、捕らわれた手首を強く胸元に引き寄せる。パンサーの手から鞭が離れ、彼女はつんのめって前のめりになった。
それはほんの偶然が重なった結果だった。
増髪は引き寄せた拳を真っ直ぐ前に―――フォックスに向けて打ち込もうとする。そこに、よろめいたパンサーの無防備な身体が躍り出た。
「えっ―――」
増髪は止めようと腕を引こうとしたが、間に合うことはなかった。
パンサーは悲鳴さえ上げずに強打をくらい、糸の切れた人形のように吹き飛ばされて地面に崩れ落ちた。
「あっ、あ……!」
「パンサー!!」
フォックスの手からスマートフォンが滑り落ち、空いた手が得物の柄に触れる。
二人の耳にか細いパンサーの声が触れた。
「だい……だいじょうぶだから……生きてっから……だから……」
やめて、と訴える彼女の声に、フォックスは安堵の息をつき、増髪は様々なものを振り払って息も絶え絶えな大百足に向き直った。
―――この上なお、意図してのことでないとは言え、仲間を手にかけてまでしてなお、まだ過ちを犯そうというのか。
増髪の動きを追って首を巡らせたフォックスの視線の先で、二つの拳が振り抜かれた。
痛打を受けた大百足の顎は砕け、激しく揺さぶられて頭部ごと間挿から弾け飛ぶ。
撒き散らされた体液が雨のように降り注ぐ中を、光に変じた大百足の成れの果てが通り過ぎていった。
歯を食いしばった増髪の顔面を衝撃が襲う。全身をえも言われぬ感覚が登り、最後には熱となって全身を巡る。何度も味わった吸収の感覚だ。
愕然とするパンサーとフォックスを尻目に、増髪はもはやなにも目に入らぬと覚束ない足取りで脚を進めた。
その視線の先、ほんの数メートルの距離に、すっかりやせ細り血の気の失せた幼馴染が倒れ伏している。大百足の肉体が消え失せたことで、彼女も解放されたのだろう。
「……紬……ごめんね、遅くなって。いま助けるから……」
熱に浮かされたような声を耳にして、フォックスは走り出した。
粘液と土砂、瓦礫にガラス片で埋め尽くされた大地を踏みしめる脚には隠しようもない怒りが満ち満ちているように見える。
「!!」
呼び声に少女は身体ごと振り返った。
右の脇腹から入り、つい今しがた怪物の頭を砕き割ったとはとても思えない華奢な左肩へ刃が抜ける。逆袈裟の一撃は、ものの見事に彼女の身体を両断していた。
吹き出した血と臓物が肉薄したフォックスの前面を汚し、震える少女の腕は行く先に迷った末に彼のコートの袖を掴んだ。
……
そういえば、とパンサーは言った。
「のコードネームどうする?」と。
一度は外れた仮面に紐を通し、頭の後ろで結んで止めた彼女は、その下で不思議そうにまばたきをくり返した。
彼女を囲んでいる仲間たちもそれぞれ仮面の下の目を瞬かせてはパンサーの言に首を傾げている。
「どうするって……増髪だろ?」
辛うじてスカルが言うことに、パンサーは腰に手を当てて唇を尖らせた。
「それって押し付けられたもんじゃん。なんかちゃんとあったほうがよくない?」
そもを増髪としたのは暫定的な処置であり、その後も用いられたのはがそれで構わないと受け入れてくれたからだ。
けれど今や増髪とは彼女に本来あったものではなく、ただのお仕着せと判明している。
であれば、我々のように相応しいコードネームが必要になる―――パンサーの主張はこんなところだ。
なるほど確かに。他の怪盗たちも異論はない。客員とはいえ怪盗の一員であるのだから、それなりのものを名乗ってもらわねばと彼らは頭をひねり始めた。
「は制服の印象つよい。つまりJK!」
「まんまじゃん。ったらあの破壊力でしょ、クラッシャーなんてどお?」
「破壊王ってんならハシモトだな!」
「名字じゃないか。力に注目するのであればサムソンかテセウスだ」
「それって男性のお名前だよね? もっとかわいい……タンケッテはどうかな?」
「戦車より爆撃機ってイメージかな。ボマーは?」
わいのわいのと張本人を置いて盛り上がる少年たちに、モナはやれやれと短い首を振る。
「オマエらなぁ……まずはの意見を聞いてやれよ」
「いや、私は―――」
ぱっと全員の視線が集まったことに気おくれしつつ、はしばしの間沈黙した。
なにかを深く、慎重に考えるような間をおき、やがてすうっと息を吸い込むと断然とした様子で応える。
「必要ないよ」
見つめる瞳が驚嘆に見開かれるが、は淡々と返すばかりだ。
「必要ない。元より顔も名前も、隠す必要はなかったんだ。私は怪盗じゃないんだから」
少年たちは沈黙した。
確かに、彼女は怪盗ではない。客員はあくまでも客員であって、真に怪盗団の一員というわけではないのだ。
その証拠に彼女はここまでなに一つとして盗んでこなかった。
ただ一方的に奪われただけ―――
は、少しだけ寂しそうに言った。
「それに君たちのように顔も名前も知らない人を助けるために立ち上がったわけじゃないから」
己はあくまでも状況に流され、自分自身と幼馴染のためにこうしているだけだ。
そう主張する彼女に反論しようとする者がいないわけではなかったが、彼女自身がそれを求めていなさそうだと察すると皆一様に口を噤んだ。
それ故、自分たちに関する点についての訂正を口にする。
「俺らも別にそういうつもりばっかってわけじゃねぇけどな」
苦笑混じりのスカルの言葉に、は曖昧に笑って返した。
傍らパンサーは大きく頷き、碧の瞳を猫のように細めてみせる。
「今回は特にそうだよね。気に食わないって理由が一番大きいし」
「売られたケンカ、だもんね」
ノワールはまた口元に手をやって穏やかに笑う。華奢な肩が震えるたび、ふわふわの髪が合わせて揺れていた。
この『場』にジョーカーの姿はない。
それは彼の現実における身の置きどころ故でもあった。小まめな出動は彼の立場を危うくさせる。
しかしそれは結局のところ些事に過ぎない。
彼が態度不適切とみなされて独房に送られようが、そんなことは知ったことではなかったし、どうせ彼ならそんな環境もいいように作り変えてしまうだろう。
一抹の寂しさを覚えないわけではないが、なにより姿がないからといって失ったわけではないことは、皆々承知していることだった。
モルガナは議論は終わりとみるなり、尊大に鼻を鳴らして胸を張った。
「さぁて、んじゃそろそろ行くか。、覚悟はいいな?」
大きく丸い、蒼の瞳は挑発的な光を湛えてを見上げている。
受けて彼女ははっきりと首を縦に振った。
「ああ。もちろん。準備はバッチリさ」
ぽんと胸と腹を叩くその瞳には並々ならぬ覚悟と気合が宿っている。
なにがあろうともやり遂げてやるといういくらか捨てばちな姿勢には不安があったが、あえてそれを指摘してやる者もいない。
それが彼女のスタイルだというのなら、合わせてやろう。
怪盗たちはそのように、先輩風を嵐のごとく吹き散らかして意気込んでいた。