22:I Put a Spell on You

 なにごともなく一週間も過ごせてしまうと、もしかしてこれですべてが解決されたのだろうかと思い始めてしまうものだ。
 そういうときこそ気を引き締めなさいと口をすっぱくする作戦参謀官のおかげもあって思い込むまではいかずに済んだものの、実際にはどこか拍子抜けしてしまっていた。
 浮ついているという自覚もあった。
 あともう少しで幼馴染を取り返せるという希望が、彼女をそうさせていた。
 具体的には―――
「なにをしているんだろう、私……」
 一人きりの寮部屋に声が虚しく反響する。
 入寮からひと月程度しか経過しておらず、またその身に抱えた事情から荷解きもろくに済ませていない室内は、衣類の詰められた大型のトランクと日用品と教科書類の詰められたダンボール箱があるきりで、年ごろの女の子の部屋としては殺風景なものだった。
 机やベッドといった家具の類はもともとこの部屋に誂えられていたもので、その上にも大して物は置かれていない。
 絵を描くための道具も、今はきちんとダンボールの中にしまわれている。
 それらしいものといえば、腰を下ろしたベッドに掛けられた毛布やシーツに、枕とそのカバーが彼女の趣味を反映した色柄をしている程度だ。
 そんな生活感の感じられない空間に、異彩を放つ物が一つ、机の上に置かれている。
 同じく机の上に放り出されたままの充電器に繋げられたスマートフォンが示す時刻は二十二時を回ったところだった。
「はあ……」
 重苦しいため息をついて、はベッドの上に横たわった。シャワーは済ませていたし、寝間着にも着替えているから寝入ってしまっても問題はなかったが、奇妙な高揚感が眠りを遠ざけていた。
 机の上には、群青色のリボンを巻いた長方形の箱がある。
 どこにでも売っているような、高価でもなんでもない既製のチョコレート菓子だ。
 普段ならそれは『ただのラッピングされた贈答品』でしかない。けれど二月に入り、世間は少し先のイベントに向けて商業主義的な盛り上がりをみせている。
 いつも通りの帰り道も、目先のそれに向けて商魂たくましく飾り付けられていた。いわんや立ち寄った食品スーパーでもコーナーが設けられて、主婦や学生たちの足を止めさせていた。
 その帰り道にはもちろん、喜多川が一緒だった。そもそもスーパーに立ち寄ったのは彼の要請に従ってのことだ。
 も明日の昼用に簡単な惣菜かパンでも買っておこうと店内へ踏み入った。時間帯ゆえの賑わいのこともあるから、早足で済ませるつもりだった。
 けれどその華やかな一角に差し掛かったとき、ふと思ったのだ。
 ―――ああ、そういえば毎年、紬と友チョコなんていって交換していた。今年もできるよう、その日までに彼女を取り返したいな。
 決意も新たに、それじゃあと一つを選んで買い物かごに入れたとき、入り口で別れた喜多川のことが頭を過った。
 ―――彼もこういうの、喜んだりするんだろうか?
 想像したがあまりうまくはいかなかった。そもそも異性にチョコレートを渡した経験自体が彼女にはなかった。
 でも……これだけ世話になっているのだから、一つ二つ、三つ四つ渡してもバチは当たらないだろう。
 そう結論づけてもう一つをかごに放り、彼女は急いで会計を済ませた。買ったものを鞄の奥のほうへ押し込んだのは、万が一にでも買い物の内容を知られたくなかったからだ。
 意識は現在に戻る。
(浮かれすぎ。受け取ってもらえるかも分からないものを―――いいや、そもそもお礼の代わりなんだから受け取るくらいはしてもらえるだろうけど……いやいや、そうではなくて……)
 ぼふ、と音を立てて、は枕に顔を埋めた。
 浮かれてる。その自覚があったればこそ、罪悪感に似たものと気恥ずかしさはますます大きく膨れ上がり、彼女を眠りから遠ざけた。

 それでも枕に顔を突っ伏していればいずれは眠りが訪れるもの。朦朧とするなか身体を仰向けに転がした彼女の意識は、天井の蛍光灯近くを蒼く輝く蝶が横切ったところで糸が切れるように消失した。
 再び意識を取り戻したとき、彼女は見知らぬ場所にいた。
 蒼い光に照らし出された円状の空間だった。鈍く輝く石壁には等間隔に鉄格子が並んでいるのだが、不思議なことにそのいずれもが開け放たれていた。
 ぽっかりと空いた薄闇の空間は、もうここに囚われる者はないと彼女に教えているかのようだった。
 それにしても、はて。は首を傾げるが、やがてポンと手を打って納得した様子をしてみせる。
「わかった、夢だ。明晰夢というやつか」
 夢を夢だと自覚できたそのとき、人は夢をコントロールできるのだという。
 思い通りの空想を夢として再現できる……当然として、は幼馴染との再会を願ってふり返った。
「なんだ、今回はもいるんだな」
 しかしそこにあったのは見慣れた狐面だ。
 は度肝を抜かれて後退り、カーペットのたわみに足を取られて尻もちをついた。
「あいたぁ……なんで祐介?」
「ご挨拶だな。なんでとはなんだ」
 フォックスは口をへの字に曲げて不満を表したがそれ以上は言及せず、起き上がるに手を貸してやってから『前回』与えられた座席に腰を落ち着けた。
 驚愕と落胆、そしてかすかな喜びにまばたきをくり返すの瞳は彼だけでなく、奇抜な衣装に身を包んだ他の面々が揃っている。自身は寝る前に袖を通した寝間着ではなく何故か制服姿だ。
 そして彼女は、蒼いワンピースの見慣れぬ少女の姿を捉えてますます大きく目を見開いた。
 少女は銀の髪を揺らして小さく笑う。
「前回みなさまにお越しいただいた際、あなたはここへの入場権を有しておりませんでした。けれど今や、あなたは自らの≪力≫を手中に収めた。トリックスターの介添人としての≪力≫を―――」
「ああ、もしかしてあなたが噂の……」
 少女は目を細めて優雅に一礼してみせた。
「ごきげんよう、ラヴェンツァです」
「わああ、似てない」
「おイナリのものまねがひでーだけだからな?」
 奇妙な反応を返したに首を傾げるラヴェンツァの向こうから、椅子の上で膝を抱えるかっこうのナビが律儀にツッコミを入れてやった。
 見回せば、半円状に配置された椅子に皆々腰掛けている。その椅子に一つ空きがあるのはの席か、はたまた姿を見せない頭領のものだろうか。
 倣って腰を下ろすべきか迷う彼女の背を押すように、牢の一つからのんびりとした声が届いた。
「騒がしいな。いい夢見てたところだったのに」
 あくびを噛み殺しながら進み出てきたのはジョーカーだった。どうやらこの空間への彼にとっての入り口は、その牢の中に誂えられた粗末な寝台らしい。
 彼は仲間たちから投げかけられる挨拶に軽く手を振り、顎をしゃくってに着席を促した。そのまま、彼自身は輪の中央、重厚なマホガニーのテーブルに寄りかかる。
「ふわぁ……今日はなんだ?」
 ついに噛み殺し切れなかったあくびを漏らしつつ、彼はラヴェンツァに問いかけた。
 ラヴェンツァはうやうやしく一礼すると、一度ジョーカーを見上げ、次いでの顔を確かめるように一瞥すると、姿勢を正して一同に向き直った。
「こちらでも少し調査をして参りましたので、そのご報告に上がりました」
「俺たちが呼び出されている側では?」
「祐介、黙ってて」
「はい」
 女王陛下のお叱りに頷いたフォックスには目もくれず、ラヴェンツァは腕に抱えたぶ厚い本を開いて、ゆっくりと語り始めた。
「すでにトリックスターにはお伝えしましたが……改めて判明したことも併せて、はじめからお話します」
「乳海撹拌は端折っていいぞ」
 苦笑混じりのジョーカーの言に仲間たちは首を傾げる。そもそもの言葉の意味を理解できない者もあれば、知っていてなお何故そんな太古の時代から話が始まるのかと不思議に思う者もいる。
 さておき、ラヴェンツァは含みのある笑みを湛えたまま口を開いた。
「発端はやはり、みなさまがかの神を討ち倒したことにあります」
 なんだっけそれ―――迂闊な誰かが口をつく前にとノワールが続きを促した。
「去年のイブの話だね。だけど、それがどうして?」
「あのとき―――世界はメメントスに呑み込まれつつありました。その結果、あなたがたの奮闘は衆目に暴かれることとなった。幸い多くの者はその眼で目撃したものさえ忘れてしまいましたが……限られた人々は今もそのことを記憶しています」
 ラヴェンツァのみならず、全員の視線がへ向かう。彼女がということではなく、かつて彼女が語った幼馴染の記憶、それを思い返してのことだった。
 ラヴェンツァは然りと頷いて言を重ねた。
「立花紬と、他にも幾人か。その中に今回の元凶が……あの空間に引きずり込まれて直接か、それともなにか≪眼≫のようなものが意図せずして巻き込まれたのか……なんにせよ、それは事態を見守っていたのでしょう」
 怪盗たちは顔を見合わせた。
 あの戦いの場によもやそんなものまでが紛れ込んでいたとは―――
 思えどしかし、メメントスが顕在化したあの異様な場なら、それもあり得るかと納得はいく。
「だけどさ」
 疑問を挟んだのはパンサーだった。律儀に小さく挙手した彼女に顔を向け、ラヴェンツァは無言で続きを促した。
「あのさ、結局敵って神さまなの?」
「……そう呼べるかどうかは、まず神の定義を決定する必要があるかもしれませんね」
 いたずらっぽい笑みを浮かべたラヴェンツァではあったが、少年たちにはそれが彼女流の冗談なのか、はたまた本気でここ―――様々な意味でバランスが取れているとは言い難い少年少女たちばかりのこの場で、なにが聖なるかなを決定させようというのか……
 閉口するモルガナを除いて唯一、多少なりとも彼女の人となりを知るジョーカーは呆れた様子だ。仮面の下の目を細め、つま先で床を叩いて少女を嗜めてやった。
 性質の悪いジョークに付き合えるのは俺だけだと主張するその靴音に、ラヴェンツァは小さく、どこか勝ち誇ったように喉を鳴らした。
 それから、きちんと質問に答えた。
「超常の力を持つという意味では、そう呼んで差し支えないかと思われます」
「あ、そう」
 気の抜けた相づちに頷いて、ラヴェンツァはさらに続ける。
「あれは―――あれらは物質的にも存在こそしていますが、なんと申し上げればいいのでしょうか……自我を持った概念的な生命体とご説明するのが最も近い表現になるかと……」
 しかし続けられた言葉には誰も反応することができなかった。スカルにパンサー、モナやフォックスに、クイーンとノワールも、もちろんも眉をひそめて困惑を示している。
 ナビだけがふうむと唸ったきり天井とにらめっこをし始めたが、説明してやる気はなさそうだ。期待も皆あまりしていなかった。
 ラヴェンツァは緩く首を振って再び口を開いた。
「あなたがたを含めたあらゆる生命体とまったく違う組成の、似たような性質を持った未知の生命体とでもお考え下さい」
 少なくともそれで話には充分、と彼女は言う。
「わかった。いや、今回ばかりはあまりよく解っていないけど……だけど、なぜ彼ら―――性別があるかも疑問だけど、とにかく彼らは、なぜ紬を、私をこんな目にあわせたの? 目的は?」
 さらなる疑問符を突き付けたのは困惑を強めただった。この場で唯一顔を晒した彼女の感情は誰よりも明瞭だ。
「似たような性質と申しましたね。あなたがたヒトも、多く生物のご多分に漏れず、本能の根源に刻まれた目的があるはず」
 迂遠な答えには肩を落としたが、代わりにとノワールがポンと手を打った。
「繁殖、かな?」
 ラヴェンツァは再び、はっきりと首を縦に振る。小さな顔には薄っすらとした笑みもあった。
「仰る通りです。あなたがたの場合は―――……コウノトリがキャベツ畑に」
「あ、ラヴェンツァ殿、そういう配慮は結構です。むしろ気をつかわれたほうがいたたまれないので」
「……んん、では、あなたがたがたヒトの場合は肉交によって繁殖を行いますが、あれらはまったく別の手段を取ります」
 あけすけに表されてもそれはそれでやはりなんとも言い難い居心地の悪さがある。文句などつけようもないが―――
 ナビはごまかすように咳払いを一つ、睨み続けていた天井からラヴェンツァに視線をおろした。
「情報の伝播か。拡散による複製は、たしかにいきものの繁殖に似てるかもな」
 曰く、噂等の情報の伝達によるコピーと変化は、遺伝子の進化する仕組みと類似性があるとのこと。
 しかしこの説明にも疑問符が増えただけだったし、ナビにはやはりそれ以上を説明してやる気はなさそうだ。したとしても、より難解になることは目に見えていた。
 つまり、いつも通り次に明確な理解を示したクイーンが苦労を背負いこむ羽目になるだけだった。
「ミーム的な性質を有しているということね。ああ、えっと、だからね……まず自我をもった概念っていうのは……」
 苦心する彼女を見兼ねたのか、ジョーカーは助け舟を出してやる。
「つまり、あちらさんはバズりたいんだよ。情報そのものが本体みたいなものだから、人に伝われば伝わるほど数を増やせるってわけだな」
「あー、あー……イイねの数がイコールそいつの子どもの数ってこと?」
「そんな感じ」
 実際には情報の複製なので子どもという解釈はやや間違ってもいるのだが―――
 曖昧に頷いたジョーカーの影で、クイーンは重苦しいの息をついた。
 またその傍ら、フォックスも己が理解しやすい形に話を組み替えて納得してみせている。
「秋葉信仰のようなものか」
 ちょうどつい最近も触れた話題だ。それに関する知識や記憶を呼び覚ますのは容易だった。
 低いささやき声に脳を刺激されたかのように、もひざを打った。
「なるほど。わかってきた。江戸の大火から秋葉さんが広く厚く信仰されたように、大衆に自らの情報を伝えるために火事を起こしたいんだ」
「火事で済めばいいがな。今とてゼロではないが、かつての大火事ではせいぜい百年程度しか保たなかっただろう」
 つまり、と二人は顔を見合わせてしかめた。
 江戸の大火といえば数多く存在するが、最も多くの被害者を出した明暦の大火では十万以上の死者が出たとも伝えられる。この火難により火除地が設けられ、またその加護を求めて秋葉権現が持て囃されることとなった。
 それ以上の災害となると―――
 悪い想像は二人から全員に広がっていったが、その心配は無用と打ち消すようにラヴェンツァは静かに語った。
「はるか太古の時代であるならばいざ知らず、現在のあれらはそこまでの禍を呼び寄せられるほどの存在ではありません。それでも十分力なき人々には脅威でしょうが―――先に討ち倒した神格たちに比べれば、今ならば赤子の手からおもちゃを奪うより容易いことでしょう」
 それ故、本来ならば『なにも起こるはずがなかった』のだと彼女は告げる。
「イレギュラーがあったんだ」
 言を継いだのはジョーカーだった。彼はまっすぐにを見つめていた。
「君の幼馴染もあの場にいた。君へのクリスマスプレゼントを選ぶために―――」
 言い方が悪いと誰かが悪態をついたが、彼はかけらも気にすることなく続ける。
「これが君なら問題にはならなかった。意識はされていたかもしれないけど、目を付けられることはなかったはずだ」
「だけど、なぜ? どうして紬なの?」
「彼女には」
 腰を浮かしかけたを制したのはラヴェンツァのどこか恥じ入るような声だった。
「……彼女には、素質があるのです。ワイルドの素質、トリックスターとしての―――」
 全員の視線がジョーカーに向かう。彼女のいう素質とやらは、彼が間違いようもなく持つものだからだ。
「本来なら、あの方にはあの方の旅路がありました。そこには私の兄弟姉妹のいずれかが相伴うはずですが、事態がこうなっては私が事に当たる他なく……」
 どうもラヴェンツァは己ときょうだいの不始末を恥じらっているらしい。
 ベルベットルームに存在する彼女たちには彼女たち独特のルールや規則が存在しているらしいことは皆程度は違えど察せている。今さら責め立てるつもりもないが、ただはまだ理解できないと困惑の色を濃く湛えたままだ。
 幼馴染が某かの特別な≪力≫を有しているらしいことは解った。それが目の前の少年と同じものだということも、理解とは別に納得はできる。
 問題は何故彼ではなく、彼女だったのかということだ。
 完成されたトリックスターと、まだ≪力≫に覚醒すらしていなかったはずの少女では、どう考えたって前者のほうが優れているではないか。
 声にならないこの疑心を読み取ったかのように、ジョーカーは答えた。
「因果関係が逆なんだ。あれはまず俺に目を付けた。そして考えたんだろう。『アイツは神や悪魔の姿をとる無数のペルソナを使役した挙げ句、その≪力≫で偽物とはいえ神を討ち斃したんだから、その≪力≫は自分たち神や精霊にも匹敵するんじゃないか』……そんなところだろう。実際のところ、俺の力がどの程度のものかは分からないけど」
 だけど、とジョーカーは真紅のグローブに包まれた手をひらひらと振る。
「さっきラヴェンツァが言ったけど、現在のあいつらには俺を取り込むほどの力はないらしい」
「捕まってたくせによ」
「うるさいぞスカル。だいたいもう全部終わったって思いっきり油断してるときだったから……ああもう、俺のことはいいんだよ。とにかく連中が今できるのは、せいぜい力を持たないやつを囲んで悪趣味なものを押し付ける程度だってこと」
 そうだろ、と同意を求めるように言った途端、翻した彼の手の中に能面が現れる。
 には見覚えのない増髪の面だ。被っていた者にはどのような面か確かめる術は少ない。あの異界では鏡面を探す暇はなく、撮影も不可能だった。
 なにより手品のような真似に驚きつつ、は放って寄越された仮面を受け取った。どうも彼はずっとこれを手渡す機会を伺っていたらしい。
 ―――それなら普通に渡してくれればいいのに。キザだなぁ。
 素直な感想を飲み下して、はジョーカーに向き直った。彼女は彼の言葉と投げ渡された仮面の意図するところを正確に理解していた。
「そうか。わかった。君を見て天啓を得た彼らは、代替品として紬を利用することにしたんだね。ちょうど彼女には意のままに操れる存在もあった……」
 よしんばジョーカーが封印以上のことをされたところで、怪盗団の面々が従うかと言われれば、さて。コラテラルダメージとして流される可能性は大いにあった。もちろん救出のための労は現実にそうであったように惜しまないだろうが―――
 ジョーカーは笑って彼女の発言を肯定してみせる。
「そうだな。だから彼女は連れ出され、俺は寝てるところを確保された」
「ま、ジョーカーを御せるやつなんざそうそういねぇわな」
 かかと笑ったのはモナだ。ちょこんと椅子に収まった彼はどうやっているのか短い脚を組んでふんぞり返っている。自らが導いてきた少年が敵に恐れられていることがおかしくてたまらないらしい。
 それは誰にしたって同じことだ。敵が多いということは、彼を脅威に思う者が多いということでもある。それは怪盗団の存在意義の一つでもあった。
 ラヴェンツァにしても、己が扱き上げた男がそういう扱いを受けることに愉悦を覚える。私のトリックスターは、姉や兄らのと比べたって一番に違いない、と。
 そう思うと、俯けていた顔も上がる。
「そう―――そうです、アルカナを辿る旅路を終えた彼の≪力≫は生半なものではありません。けれど彼女のほうはまだ覚醒したばかりの器に過ぎない。それゆえ彼奴らは……」
 金の瞳はを、その手に収められた能面に向かう。
「あなたに、器を満たす儀式を行わせた。儀式とはすなわち人身御供です。物質的な肉の身体を持つヒトに、ヒトの身のまま、神をその身に取り込ませ、神格化させる。そしてそうなったあなたをヒトが……自死や異形らにではなく、人間が自らあなたを捧げようとする、その行いこそが儀式の最終工程です―――人身御供とは古来より、ヒトがヒトの意思によってニエを神に捧げる行いなのですから」
 牢獄はシン、と静まり返った。完全な無音というわけではなく、人々の集合的無意識のどこかに繋がっている場所だからか、どこか遠くには連続した反響音がある。それはちょうど地下トンネルを通る電車の走行音に似ていた。メメントスが失せてなおそのような音が響くのは、あの場所があってもなくても人々の意識の根底に地下鉄めいた場が存在しているということなのかもしれない。
 なんにせよ、沈黙の中にスカルの間の抜けた声が響いた。
「じゃあこいつって、神なの……?」
 まじまじと見つめられて、ははてと首を傾げる。そういった自覚は彼女には存在しなかった。
 もちろん、ラヴェンツァは緩く首を左右に振ってみせる。
「儀式は未完で済んでいますので、違います。ギリギリのところではありましたが」
「あ、やっぱヤバかったんだ」
「ええ。ヤバかったのです」
 頷きつつのオウム返しに、パンサーは勝ち誇ったように胸を張った。
 はこれに不服そうな顔をするが、目ざとくそれを認めた先輩たちに睨みつけられて直ちに背すじを伸ばす羽目になる。
 また続けられた言葉に青ざめることにもなった。
「とはいえご安心ください。そもここにいる時点で完遂されていないことの証明です。どの段階にあっても、儀式の完成はすなわち彼女の死なのですから」
 どうやって安心しろというのか。
 はよっぽど叫びたくなったが、しかしこれはある程度は予測できていた言葉でもあった。
 様々なものが彼女を『ニエ』呼ばわりするのだから、その幕切りも想像つく。
 問題はそれがどのような形で訪れるかだ。
「……俺が囚われた以上に、お前たちが巻き込まれたのはそのためだろうな。なんにしたってどこかのタイミングでには死んでもらわなきゃならなかったんだから、仮面付きを倒すのにある程度以上の実力を持った人員も必要だったんだろ」
「ダレがやるかってんだよ」
「んだんだ」
 モナとナビは揃って強く頷き合った。
 今さら確かめ合う必要もない。コロシはしない、掟ですらないない不文律だ。
 ジョーカーは仲間たちの固い意志を感じ取ってふっと口元を緩めた。
「ま、あちらの狙いがはっきりしたのは幸いだな。おまけにそれが俺たちにとっても好都合となれば―――」
 主の不在をいいことに、ジョーカーはついに寄りかかっていたテーブルに尻を乗せる暴挙に出る。さらに脚を組み、両手をついて、ふんぞり返りまでする。
 モナはちょっとだけ毛を逆立てたが、ラヴェンツァが無言でいるのを見て口を閉ざした。
 そもそもここはあくまで、彼の心の有り様が反映された場所の成れの果てだ。すべき仕事が終わった以上、二人の主がここに戻ることはもうないだろう。
 さて、ジョーカーはつま先を揺らしながらしばし思案した後、ラヴェンツァに問いかける。
「その儀式とやらが完成したとき、立花紬とボスは姿を見せると思うか?」
「……敵に関しては、正直に申し上げますが、分かりかねます。ですが、立花紬のほうは確実に姿を現すでしょう。ここまで丹精込めて育てた贄です、万が一にでもしくじりたくはないはず。集めた≪力≫を儀式によって昇華させ、間違いなく受け取らせるには、近ければ近いほど良いはずですから」
 再び立ち上がりかけたを手で制してジョーカーはうーんと唸った。
「そして今度は、彼女を使ってなにか―――大勢の人の記憶に焼き付くような災害を引き起こそうってわけだ」
 地震か異常気象か、はたまた火山の噴火や大津波か。怪盗と客員は想像して再び身震いする。
 十万で済む規模かさらなる被害が出るのか―――出るとしてそれはこの国に限った話なのか、世界規模なのか。国内だけに被害が留まったとしても、それが未曾有の規模となれば影響は世界中に及ぶだろう。
 具体的な国家や経済、人種的な危機を想像したわけではないだろうが、スカルは胸にこみ上げたものを堪えきれないといった様子で吐き出した。
「まさかさぁ、ジンルイメツボーとかいっちゃったりする?」
「馬鹿なこと言わないでよ。そんなわけ―――」
 嘲りに鼻を鳴らしたクイーンであったが、しかし受けて応えたラヴェンツァの言に凍りついてしまう。
「場合によってはあるかもしれませんね」
「えっ」
 彼女の声色にふざけた様子は窺えない。どうやら真剣に言っているらしいと牢獄の空気は冷え込むが、この寒々しい場所に慣れ親しんだジョーカーは気にもせず笑っている。
「実際になにが起きるのかは神のみぞ知るってやつだな」
 ついには机上にあぐらをかいて背を丸めた彼にモナはやはり咎めるような視線を送ったが、それも受け流されてしまう。
「つまり俺たちは人類の生き残りをかけた戦いを仕掛けられてるわけだな」
「知らない間にタイトルマッチのリングに上げられていたってことね」
 ふんと鼻を鳴らしたのはクイーンだ。
 不服そうに見えてその実、仮面の下の瞳には並々ならぬ闘志が燃え盛っている。そこには純粋な闘争であれば心の底から楽しんでやろうという魂胆が垣間見えるが、残念ながら今回も舞台は濁りきったものだ。
 一方でナビはどことなく自慢げに背を反らしてスカルにニンマリとした笑みを差し向ける。
「ほらな? わたしの言ったとーりだろ?」
「あ? なにがだよ」
 肩をすすくめたスカルにナビはふんぞり返って言った。
「強いほーが生き残る」
 言葉にかつての記憶を胸に返して、彼は低く笑った。
 なんであれ生き物を殺傷することに対する忌避感は未だ残るが、なるほど正真正銘の縄張り争いか主権争いだったというわけだ。
「俺らがウィルソン? それともハセガワかよ?」
 その例えわかんないとナビは首を振った。
 防衛王者と挑戦者だとスカルが説く声に耳を傾けながら、ジョーカーは再び、今度は別の方向に問いかける。
「あとはこっちの陽動にかかってくれるかどうかだな。首尾はどうだ、フォックス」
「ちょうど今日仕上がったところだ。念のため起きてすぐ仕上げを確認しよう」
 応えた彼に満足げに頷いて、ジョーカーはまた脚を組み替えて不遜な笑みを浮かべた。
「出来は完璧にしておいてくれ。、あんたもだ」
「ああ、わかってる」
 の瞳にはかつてないほどの真剣な輝きがある。
 いまや幼馴染を取り返す希望が、具体的な算段となって目の前に現れているのだ。そうならない理由のほうが見つけるのは難しいだろう。
 ジョーカーはやはり満足げにして、全員に向けて言い放った。
「もう逃げ道はない。俺たちもあっちにも。頂上決戦といこうじゃないか」
 パチンと指を鳴らして、テーブルから飛び降りる。
 ヒールが石床を叩く音が鳴り響いて会議の終わりを告げた。
 夢の中で夢に落ちる感覚にたたらを踏みながら、は天井と怪盗たちを見つめていた。
 彼らの戦いが己と幼馴染の辛酸辛苦の発端だったと知らされてどう思ったのかと訊かれなかったことは彼女にとって僥倖だった。