19:Side By Side

 つい数時間前に訪れた異界の中でも特異と言ってよさそうな場所にそこはよく似ていた。
 見た目としてはかけ離れている。緩やかな傾斜のある地面には常緑樹が櫛比し、降り注ぐ木漏れ日に照らし出される山道には人の手が感じられない。鼻には青臭い草いきれが届いている。
 けれど吹く風はひんやりとしていて少しだけ肌寒い。湿っているのも相まってあの行き止まりの迷宮をよく思い起こさせた。
 これで前述の緑豊かな光景だけであれば、森林浴と洒落込むこともできただろう。あるいは気軽なトレッキングだ。
「これが……私の心……? なんか、ネバネバしてる……」
 どんよりと落ち込んだ様子の増髪が語った通り、青々と茂った木の葉から幹、太い根と豊かな土は、そこかしこが粘ついたなにかに覆われ、そこから燐光を放つ菌類の子実体―――つまりキノコが顔を覗かせている。
 試しにとナビが手近な木の枝を取り上げて突いてみると、キノコはヌチャッと嫌な音を立てた挙げ句に崩れ、糸を引いて木の枝にへばりついた。
 ―――納豆をかき混ぜたあとの箸。
 ナビの下した結論に、少年たちはこれの例えに食い物を絡めるなと叱りつけた。
 さておきそれさえなければ淡い緑色の光を放つ、大きさも形も様々なキノコの並ぶ光景はおとぎ話さながらだ。そこらの木の影から三角帽子を被った小人が顔を見せたとしても、驚きは薄いだろう。
 それが、今のところのの精神世界だ。
 厳密に言えばここはパレスではない。誰の内にもある精神、心といったものにこの菌類の如きものが絡みつき、固定して具現化させているのだとナビは語った。
「このネバネバはホントなら無いはずってことだよね」
 パンサーの独り言じみた言葉に、ナビは律儀にも首を縦に振る。
「たぶんだけどな。元からネバネバはしてないはず」
「そ、そうか、わかった。いやでも、こんなのが私の中にっていうのは、それはそれで、ちょっと嫌だな……」
「ちょっとで済むんかーい」
 ナビはまだ糸を引く棒を手に振り回している。遊んでいるように見えるが、彼女なりにこの物質を解析してはいるらしい。
 彼らがここ、のパレス―――の・ようなものへやってきたのは、現実におけるとある施設の外壁そばからだった。
 その場所が選ばれたのは、パレスの攻略に必要不可欠な人材を呼び寄せるためだ。
「おっ、ちゃんと合流できたな」
 急ぐわけでもなく進んでいた彼らは、ひらけた空間に足を踏み入れるなり二本の脚で立つモナに迎え入れられた。
 増髪はその姿をはじめて見るからだろう、声にこそ聞き覚えはあるが、はて誰だろう、何者だろうかと首を傾げている。
 なにより彼の背後、こちらに背を向ける少年は正真正銘、初対面だ。
 黒いロングコートに身を包んだ黒髪の少年はゆっくりとふり返った。目元をドミノマスクで覆い隠した姿は、なにをしたと言うわけでもないのに自信とそれに伴う尊大さに溢れている。
 その佇まいに増髪はすぐに彼が皆の≪切り札≫なのだと理解した。
 ―――ということは足元のネコモドキはモルガナくんか。
 納得して深く頷いたのはモルガナが彼女たちと別れ、現実のほうでも潜入任務を請け負っていたからだ。そのとき彼の背中には、『イセカイナビ』のインストールされたスマートフォンが括りつけられていた。
 難なく施設の一室へ侵入果たした彼はそこで少年と合流、さらにこちらへ侵入した。報を受けた他の面々が追う形でこのパレスモドキへやってきたというわけだ。
 増髪は深々と頭を下げた。
「はじめまして、です。ご面倒をおかけします」
 丁寧というより遠慮の勝る言葉遣いに、少年はふっと鼻を鳴らした。
「いいよ、もっと気楽にして。こいつらが世話になっていたみたいだし」
「世話をしてもらったのは私のほうだけど……わかった。君が、ジョーカー?」
「ああ。よろしく、
 馴れ馴れしく名を呼ばれたことに驚きこそあれ、不思議と不快感はない。増髪は仮面の下で笑みを浮かべて差し出された手を握った。
 さて、しかし―――
 増髪はキョロキョロと視線を右に左にと動かして、再び目の前の少年へ戻す。
 黒の衣装は似合っているのだろう。増髪にその良し悪しは判別付けづらいが、ただ非現実的であることは間違いない。二人を囲むように立つ面々にしても……仮面だけでも充分個性的だったところに、皆々、増髪にとっては珍妙と表現できる服装になっている。
 ライダースーツめいたものからはじまり、真っ赤なラバースーツ、群青に紅白の浪人結び、トゲ付の肩パットに近未来SF風味のボディスーツとルイ十三世時代のフランス兵士を思わせるキュロットとジレ……
 対して増髪はいつも通りだ。学校指定の紺のPコートに、下は制服のまま。何故なら彼女は昨夜からずっと、着替えを取りに寮へ戻る余裕さえ得られなかった。
 それも目の前の珍奇な光景に比べればなんということはない。コスプレ集団が菌糸の森に集っている。
(私もなにか……すべきなのかな……?)
 明後日の方向に向かい始めた思考をフォックスが遮った。低く抑えた声を横からささやきかける口元は、愉快そうに歪んでいる。
「あまり近寄るなよ」
 しかし声にはチクッとしたものが宿っていた。
 増髪は、過日を胸に返して黙り込む。
 ―――五分と経たず陥落させられるだろう。
 脳裏を過った顔と声は今このときにあるものとそっくり同じだった。
 二人の間にあるものは二人にしか解らない。ジョーカーは首を傾げている。
「なにそれ?」
「こっちの話だ」
「ふーん……?」
 右に傾げていた首が左に傾く。仮面の下の瞳は想像にきらめいたが、彼はそれを外に吐き出すほどデリカシーに欠けてはいなかったらしい。パンと手を打ち鳴らすと、緩やかに続く上り坂へ目線を向けた。
「まあいい、行くぞ。モナ、足頼む」
「あいよ」
「っても、どこ行くのかとか分かんのかよ?」
「いや?」
「おいおい……」
 スカルは額に手を当てて首を振り、呆れながらも彼のいい加減さを懐かしんだ。
 実力とそれによる傲慢さはジョーカーの頼もしさの一部だし、怪盗団の結成当時はそれこそ作戦などというものとは無縁だったものだ。
 信念こそあれ、それを示すための道すじが与えられるようになったのは彼女が加わってからのことだった。
「そんなに悩む必要もないわよ。ほら……これを辿ってみましょう」
 そう言って作戦参謀であるクイーンが指し示した先には、網状の菌糸が寄り集まったらしい太い根のようなものがある。
 よくよく見れば同じようなものがそこかしこにあって、奥へずっと続いている。ちょうど木々の切れ間を縫う白い糸のようだ。
 怪盗たちはその上を辿るようにして進みはじめた。
 道幅は広く、車体が通り抜ける余裕はあった。整備された道ではないからひどく揺れたが、徒歩で登らされるよりはと皆不満を呑み込んだ。
 目当てがオタカラでない以上、モナの鼻はあまり役には立たない。そもそもオタカラが存在していないと彼は確信をもって語った。
 なだらかな上り坂は長く、道も太い根も続いている。
「にしても……このネバネバによって具現化しているとはいえ、私の心の中に私自身が入ってよかったの?」
「あー……悪くはねぇよ。良くはねーけど」
 渋い顔でスカルが答えた。
 心の中に本人がという状況は初めてではない―――仲間たちの視線は自然とナビのほうへ向かった。
 そのナビは明後日の方向を見つめながら口内でなにごとかを噛み砕いたり吐き出そうとしたりした末、結局飲み下してしまう。
 おそらくそこには「ありがとう」といった感謝の言葉があるのだろう。
 微笑ましく見守る視線を追い払うように咳払いを一つ、ナビは増髪に答えようと背すじを伸ばした。
「だっ……ダイジョーブ、たぶん。何度もいうけど、ここはほとんど、ネバネバが本体。おまえの心でもあるけど、でも、居ることによって問題は発生しない」
 断言を後押しするようにモナは喉を鳴らした。
「むしろいてもらわなきゃ困るんだ。ワガハイたちがこっちに入っている間に、外から干渉されちゃたまらんからな」
「それにパレスって、そのヒトの認知が変化すると状態も変わるんだよね。このまま進めるんならモナの言うとおり干渉されちゃたまんないし、ドアとか鍵とか、道を塞ぐものがあるんなら本人がいたほうが話も早いし……でしょ?」
 同意を求める視線がパンサーからクイーンに向けられる。女王陛下は鷹揚に頷いた。
 彼女のそんな態度にか、増髪も安堵の息をつく。
「そうか、わかった。君たちがそういうのであれば、私はついていくよ」
 しかし彼女はそこで言葉を切らず、ただ、と不安げに続けた。
「考えるに、心ってものは記憶と密接に関係していると思うんだ。だからその、進むうちに、あー……いろいろと、あったりするのかな」
 怪盗たちは各々の記憶を探った。
 これまでいくつかのパレスを攻略してきたが、そこに彼女の言うような『いろいろ』な記憶は存在していただろうか。
 あるとも、ないとも。
 そもそもパレスとは歪んだ認知が生み出したものだ。当然、記憶自体もその者の感情や経験によって真実とかけ離れたものとなる場合もある。
 ではパレスモドキであるこの場所ではどうなのか―――
「おしゃべりはそこまで。ナビ、あれを」
 ハンドルを握っていたジョーカーが前方、太い幹のそばでうずくまるなにかを睨みつけている。
 指名されたナビはひょいと運転席に身を乗り出すと、ゴーグルの下からじっとそれを見澄ました。
「……幼女にみえる」
「そりゃ俺にも見えるよ。敵かどうかって訊いてるんだ」
 なんだと他の面々も前方に目を向ける。
 ナビはすばやく手を振ると、車内に投影型モニターを表示させ、そこに拡大と補正を行った幼女とやらの姿を映し出す。
「あっ」
 当然と言うべきか、増髪が反応する。彼女の心の中にあるものなのだから、彼女が知っているのは当たり前のことだろう。
「わ、私だ、これ」
「そう言われれば面影があるね。ふふっ、かわいい」
 日本人形みたいとノワールは頬を緩ませるが、しかし実際のところその頭に腕には例のネバネバが貼り付き、ほのかに青く輝く子実体が傘を広げている。
 そういう芸術作品と言われれば納得もできそうだが……フォックスはうーんと唸ると、
「かわいいがなんとも不気味だな」と切り捨てた。
「かわっ……ブキミ……」
 幼少時の姿に相反する形容詞を与えられて、増髪は仮面の下で複雑な表情を浮かべた。
 その間にも速度を落としこそすれ停車に至らない車は幼女とやらに近づいていく。
「で、結局なんなの?」
「この距離でも反応しないし、敵じゃないんじゃね?」
「増髪、思い当たることはある?」
 クイーンの問いかけに、増髪はかすかに顎を引いた。
「子どものころ、山で迷子になったことがあるので、それじゃないかと。今もたまに夢に見るくらいなので」
「ふぅん……」
 大変だったねと労りはするが、クイーンや他の面々にしても、その状況はあまり想像つかない。ただジョーカーだけが苦々しい表情で頷いている―――
 ナビはまたどことなく楽しげに言う。
「ていうかキノコ生えてる。なんかシュール」
「いい思い出じゃないから別に生えててもいいけどね」
 増髪もまた笑って応えた。
 そういう問題かと他の面々は呆れた様子をみせるが、それも人影のそばに寄るころにはすっかり消えてしまう。
「うえっ」
 真っ先に反応したのは笑っていたナビだった。彼女は思い知らされていた。頭や腕にキノコが生えているのは遠目からも窺えたが、そんなものはオマケ程度だったのだと。
 木の根に腰を下ろした少女は膝を抱え、虚ろな目をしてどこともつかないところを見つめている。その毛髪や日に焼けた細い腕から突き出るキノコの根は、皮膚の下で網をつくって広がっているらしい。ときおり呼吸するかのように蠢いているのがわかってしまうと、子どもたちの喉から引きつった声が上がった。
 菌糸の根は虚空を見つめる眼球にまで至り、表面を覆ってまぶたの端から涙のように垂れ下がっていた。
「やだあぁ……ねえこれ大丈夫なの? どっか痛いとかないよね?」
「い、いや、特には」
 しがみついて震えるパンサーに大げさに首を振って返すが、精神的な衝撃は大きいのだろう。増髪はいかにも動揺した様子で足先を揺らしていた。
「まだそんなに走ってないよな。そんでこれだろ? 先に行ったらもっとやべぇことになってんじゃねえのこれ」
「かもな。帰る?」
「バカ言ってんじゃねぇよ」
「いて」
 真後ろから頭を叩かれたのを合図とみて、ジョーカーは再びアクセルを踏み込んだ。
 車体が通り抜けるときも少女は反応しなかったが、代わりにか別に湧き立つものがある。
「むっ! 敵対反応!」
 吠えて立ち上がったナビの示した場所で、地面から盛り上がった菌糸が絡み合い球体を作りつつあった。
「なにあれ―――」
 言う間もあればこそ、膨れ上がった繭の弾ける音が被るように鳴り渡った。
 再びの嘆声と一部歓声が上がる。現れたのは文字通り、キノコ人間と表して差支えのない怪物たちだ。
「まあっ、マタンゴだね」
「マイコニドだ」
「ちがうよマシュラだって」
 歓声を上げた三人―――ジョーカーとナビとノワール―――は三つの名称を上げたが、いずれにしてもキノコが人の形をしているという点は共通している。
「いやもうなんでもいいよ……」
 どうする? と問われて、ジョーカーは答える代わりにアクセルを踏み込んだ。
 そんな彼の行動に驚いたのは増髪だけだった。速度を増した車体は真っすぐに三体をはね飛ばし、何ごともなかったかのように走行を続ける。
「……えっ……えー……? 今のいいの? アリなの? なにかこう、戦闘とかさ、するものじゃないの?」
 見た目には不気味であっても耐久性に乏しかったらしいキノコ人間らの成れの果てを眺めて茫然とするのも増髪だけだった。
 そんな彼女の姿を眺めて、フォックスは愉快そうに鼻を鳴らす。
「気にするな。いつものことだ」
「そうそう、メメントスじゃだいたいいつもこんなんだったしな」
「おまけに、確定。あれはシャドウだ」
 増髪に倣ってか後方を眺めていたナビの声に合わせるように、倒れ伏したキノコ人間らはパチンと弾ける。その残骸は地を覆う菌糸たちに溶けて戻っていった。
「消えた……?」
「正確には、元いた場所に戻っていったのよ」
 異界で遭遇した異形たちと違い、シャドウは明確に生物ではないのだとクイーンは説明してやる。
 人間の意識の底に横たわる普遍的無意識の層、共時性からも汲み取れる非人間的な存在の姿形をとって現れるものなのだと。
 この認知の力が支配する空間においては質量を発揮するが、物質としては明確に存在していない。意思や思考、感情に個性らしきものはあるが、果たしてそれが心や魂といった個人的意識と呼べるものであるかは疑問であるとも。
 増髪は深く頷いた。あれらは命とかけ離れた場所に位置づけられる存在なのかと、そのように理解する。
 またナビは補足するように述べる。
「シャドウはパレスの主に認知を操作されて支配下におかれてる場合がほとんどだ。けどこのパレスモドキの主は増髪じゃない。このきのこどもの先にいるやつがそうだな」
 心当たりがあるだろうと言われて、増髪は己の顔を覆う仮面を指先で撫でた。
 『これ』がそこここにベッタリと貼り付くネバネバと繋がっているのかと思うと、顔にあるのも指で触れるのもなんとなく嫌になってくる。
 改めて進行方向へ目を向ける。わずかな木漏れ日以外に光は少なく、キノコの放つ淡い緑色の光が辛うじて地面を照らし出している。
 道は相変わらず緩やかな上り坂だ。ほとんどが緩やかなカーブを描き、円錐状の地形に螺旋を描いて登っているのだと感覚が教えてくれている。
 地上からしか確認ができない以上は推測に過ぎないが、おそらく山を登らされているのだろう。
 走り始めてからまだ三十分も経過していないが、山の高さ次第、あるいはこの根の元がどこにあるか次第で、ずいぶん時間を取られそうだ―――
「できれば夜明けまでに引き上げたい」
 そんなことを話し合っていると、ふとジョーカーがいささかうんざりした様子で言った。
 それについては一同もおおむね同意するところだ。なにしろ今日はすでに異界でひと立ち回り演じたばかりで、明日も平日……つまり学校がある。
 それにしてもジョーカーの切実さは随一な様子だ。なんでと不思議そうに訪ねだパンサーに、ジョーカーは低く濁った声を返した。
「七時には起きなきゃいけないから……」
「いやそれは普通に起きろよ。なんなら俺のほうが早起きだよ」
「ばかやろスカルお前、九時には寝ろって言われるんだぞ寝れるか」
 ジョーカーはバックミラーに写るスカルのドクロ面を忌々しげに睨みつけた。
 仲間たちは顔を見合わせて肩をすくめ合う。
「ナカでのこととか、聞きたいような、聞きたくないような……」
「ああ、ジョーカーは現実でも捕まっているんだったね」
「まあね」
 大したことでもないと言わんばかりに軽く応じる。
 増髪はそんな彼の様子にもの言いたげに口を開いたが、そこから言葉が出ることはなかった。
 仮面の下の思案顔にも、誰も気が付かない。
 そういう意味では、彼女にとってこの仮面は唯一有意な存在であるとも言えた。
 それからまた三十分ほども進んだころ、七体目のキノコ人間をはね飛ばしてからしばらく、モルガナカーはゆっくりとブレーキを踏まれて停車する。
 広く幅を与えてくれていた木々がその密度こそ減らしたものの、一本一本の太さを増して道にはみ出しはじめたのだ。
 相変わらず菌糸の網に覆われているため種別は判然としないが、立派な樹幹に相応しい太い根もまた道に激しい凹凸を作り出している。このため生暖かいモルガナカーのシートに座っているのも限界だった。
「こっからは徒歩かー……うげ、足元なんかネッチャネチャするわ」
 言って足を上げてみせたスカルの靴裏と地面との間は、白い糸のように伸びた粘液によって繋げられている。
 彼のもう一本の脚には、モナが必死になってしがみついていた。
「ひいぃ……ワガハイの肉球が糸引いてるぅ……!」
「いってぇよツメ立てんな! ああクソ、ジョーカー! パス!」
「フギャッ!?」
 引き剥がされたモナはジョーカーの腕の中に放り投げられた。
「あーこの感触。モナ、今日あのまま泊まっていけよ。俺もう、お前がいないと眠れないカラダになってる」
 寝かしつけてくれと頬ずりをする少年に対して、猫は全身の毛を逆立てた。
 それもまたかつては日常的にあった光景だ。ふざけたふるまいをする少年と、それを叱りつける猫。
 クイーンは口元を緩ませて二重の意味での羨望の眼差しを送った。
「ちょっと羨ましいわね。靴を履いていてもこの感触は……」
「慣れないし、慣れたくはないね」
 ノワールもまた。もう一つの意味を押し隠し、あくまでも足元の感触に対しての不満を述べる。
 フォックスはそれに気が付いているのかいないのか、さらに深くなった森とそこに蔓延る菌糸の網と子実体を胡乱な目で眺め回している。
「見た目には幻想的で美しいのだがな……の精神に巣食うと思うと、そうも言ってられんか」
「発光するきのこってロマンだよな〜」
「わかる。ちょっとだけ。小さいのビンに入れたら照明によさそうじゃない?」
 メルヘンチックかも、と場に似つかわしくないことを明るく述べるパンサーに、ナビは「森ガール」と明らかに揶揄する調子で返してやった。
 とはいえパンサーがやれば、彼女の一種現実離れした風貌と相まって、ファンタジーにお決まりの妖精やエルフも本当に再現できそうだともナビは思う。
 フォックスもまた似たような光景を想像したのだろう。手指で作ったフレームにパンサーを収めてなにかわけのわからないことをつぶやいている。
 そこにジョーカーの魔手から逃れたモナが飛び込んでくる。
 彼は手から伸ばした爪をフォックスの背に立てると、そこにしがみついて出発を促した。
「行くぞオマエら! 早足っ!」
「痛い!」
「ネコイナリ。いや、きつねこ?」
「猫じゃねぇよ!」
 敵がいつ現れるともしれないのだから静かにしろとクイーンが叱りつけるとともに、一同はぬめる足元に嫌々、慎重に進み始めた。
 先頭をナビ曰くきつねこが、次鋒をスカルとクイーン、その後ろにノワールと一人浮遊して哨戒しつつのナビ、そして少し遅れて増髪と、彼女に足並みを揃えたジョーカーが並んでいる。
 最後尾の二人と前は少し距離があったが、ジョーカーがいて間違いはないだろう。一定で遅れるわけでもないと仲間たちはさほど気にもせず足を運んだ。
 それは増髪の思惑通りであった。
「あのさ……ジョーカー? ちょっといいかな」
「ん?」
 声量を抑えて語りかけられたことに首を傾げつつ彼は横へ視線をやる。足元は粘液と太い根に覆われて歩きにくいはずだが、二人は平然としていた。
「皆が怪盗団だと知って、君が処罰を受けていると聞いてからずっと疑問に思っていたことがあるんだ。訊いてもいいかな?」
「俺に? いいよ、どうぞ」
 促すと、増髪は少しだけ間をおいてから口を開いた。
「どうして君だけが『そう』なっているの?」
 彼女の言う『そう』とは、先も話題に登ったジョーカーの現実での処遇のことだろう。
 察して彼は隠すことでもないと答えた。
「そりゃ、俺が自首したからだ」
 けれど増髪は満足せず、かすかに首を左右に振る。
「そこじゃないんだ。私が知りたいのは、どうして君『だけ』ということなんだよ。皆、犯行―――とここでは言わせてもらうけど、それに加担していたんだろう? なぜ君『だけ』なの? 例の……あの人、シドウだったっけ? そいつの起訴を決定づけさせるためなら、他の皆の証言もあったってよかったじゃないか」
 それは、とジョーカーは少しだけ面食らったように目を見開いた。
 それを説明するのもまた、大して時間のかかることではなかった。なにしろ一言で済む。
 かつての『ターゲット』たちがそうであったように、シドウ―――獅童正義はジョーカーにとって『因縁』の相手だったからだ。
 決着をつけるために手段を選ばなかった。ただそれだけのこと。
 しかし見返したとき、本当にそれだけなのかと問われれば、少年は『違うかもしれない』と答える。
 もしもあのとき、あのイブの夜、出頭してくれと請われたとき……この少年がノーと言っていたら、どうなっただろうか。
 少年には、他の『誰か』が自分の代わりに行ってしまうだろうことが容易に想像ついた。
 それは、最初から最後までともに駆けてくれた親友かもしれないし、同じくずっと一緒にいてくれた女の子かもしれない。常識外れなふるまいが目立つ割に常識以上に義理堅い輩か、それとも人一倍責任感の強いひとか。一連の事件の根幹に最も近い少女は、親御さんが許さないだろう。けれど本人はその経験もあって、わけを知れば望むに違いない。同じ事情から、彼女もまた自ら罪を被ろうとするかもしれない。
 どれも少年の望みとは遠いところにあった。
 だから、『だけ』なんだ。
 そう言うのはやはり簡単だったが、彼はそのことをあけすけに語りたがらなかった。
 自分が大きく彼らに心を預けていることをこの新参者に語るのが、少しだけ恥ずかしい。そんな理由だ。
 ジョーカーは迷った末、増髪にもまた自分にとっての彼らと同じ存在がいることに思い至った。
「君の幼馴染は、どうしてここにいないんだ?」
 増髪は息を呑んで身を固くした。それは仮面とコートに隠されて見ることも叶わないはずだが、ジョーカーはまるで見えているかのように目を細めて続ける。
「君の幼馴染『だけ』がここにいないのと同じような理由だ。別に誰かに強制されたわけじゃないし、二、三年パクられるのと引き換えなら、安いもんだと思ったんだ」
「安くはないと思う」
「まあね。だけど後悔はしてない。君の幼馴染もそうだろうな」
「なんで君がそんなこと」
 返る声は震えていた。
 ジョーカーにはやはり増髪の仮面の下が見えているのか、そこにある表情を読み取ってほくそ笑んでいる。
「あんたが今怒ってるからだよ」
 増髪は再びハッと息を呑む。
 見透かされたという恥じらいと、それを指摘されたことによるさらなる怒りと苛立ちがそこにはあった。
 なんで今日はじめて会ったような人にそんなことが解るんだ。
 口をついて出ようとする言葉さえもお見通しだとジョーカーは言った。
「解るんだよ。俺と彼女は同類だ。いろんな意味で」
 不思議に思うことなどなに一つない。ただ己が納得できるようにしたというだけのことだ。それで周りの者がどう思おうが、怒ったり悲しんだりしようが、知ったことじゃない。
 その報いが一人一発の愛の鞭だったとは、増髪の理解の外の出来事だ。
 彼女は理解はできたが納得はできないと不満げな唸り声を上げたが、それ以上は言い返さずに話題を切り替えた。
「じゃあ、予告状はなんだったの? あれに書いてあった文章は……」
「そりゃ捕まってるときもずっと君の話は聞かされていたから、気になって―――」
「そこじゃない」
「あれ? またか……」
 癖のある黒髪をかいて少年は肩を落とした。
 実際、彼は長いこと彼女と彼女の幼馴染の話を聞かされていたから、真実どんな見た目だろうかとは気になっていた。それでやっと会えたと思えば不粋な仮面だ。彼は彼女にこれを押し付けた存在を強く忌々しく思う。
 それも増髪にとってはかなり、大分、相当どうでもいいことだった。
「小善って」
 問いかけには切実さが宿っている。
 彼女の手に渡された予告状にはこうあった。
 『小善の大罪人』―――。
 この場合の小善とはなにを指すのか、彼女はそう問いかけている。
「あの文面は君が考えたんだろう? どういう意味なの? 単語の意味は解るけど……」
「そんなに難しく考えなくていい」
「難しいよ……」
「真面目だな」
 ジョーカーはくっ、と一度低く喉を鳴らした。
 からかわれているのだと増髪が理解するには十分だ。彼女は唇を尖らせていかにもふてくされた様子をみせた。
「それくらいしか、取り柄がないからね」
 するとこれにジョーカーはますます笑みを深くする。
 長い話で人となりは充分理解していたつもりだが、なるほど。やはり目の前で実際にやり取りするまで解らないこともある。
 ―――真面目なことしか取り柄がないだって? とんでもない。
 これはもちろん、彼女の大いに不真面目な一面のことを指してもいる。そしてジョーカーにとってはそれこそが好ましく思えた。
「そうでもない。顔は見えないけど、それを差し引いても君はかわいいよ」
「かわっ……!? あっ、五分!?」
「なにそれ?」
 動揺して歩みを乱した彼女が転ばないようにと手を差し伸べてやりながら、ジョーカーは快活に笑ってみせた。
 結局、増髪の内にある疑問のほとんどは解消されないまま彼らは前を行く仲間たちに追いついてしまう。
 不整地の歩行に関しては、彼らに一日の長があった。
 仲間たちが滑ったり凹凸に足を引っ掛けて転びかけたりするなか、二人のペースだけが変わらない。自然とジョーカーたちが先頭に進み出て、その開けた空間に真っ先に足を踏み入れた。
「こいつは……」
 言ったジョーカーの視線の先には小さな社がある。大きさや佇まいから摂社に思えるが、付近に本殿や拝殿といった神社にお決まりのものは見当たらない。ただぽつんと祠だけが寂しく佇んでいる。
 苔むした屋根にはシダ植物が根を張っているが、手入れはなされているらしい。サイズにふさわしいしめ縄からは鈴緒が垂れ下がり、みずみずしい神饌が備えられている。左右には榊が、これも艶のある葉を誇らしげに広げていた。
 ただしいずれもが粘ついた菌糸組織に覆われている。
「お社だよね? どうしてこんなところに?」
 追いついたノワールが誰にともなく問いかける。その息はまだわずかに乱れたていた。
 うーんと唸って祠の中を覗き込もうと身を屈めるジョーカーの横で、増髪もまた腕を組んで唸り声を上げた。
 なにしろここは彼女の心の中だ。答えは彼女の中にこそある。ただし彼女自身にはこれに該当する記憶は存在しない。
 神社なら、地元に山ほどあった。規模もお祀りする神さまもそれこそたくさん。祭事の形態も様々あった。
 けれどこのような祠が心の中に出現するほどの思い入れとなると……
「記憶に、それらしいものはないね」
 困った様子で彼女が告げたことに、怪盗たちはどうしたものかと違いを見やる。
 わざわざこれを調査する必要は無いが、しかしこれまでのパレスでの経験を踏まえると見過ごすこともできない。たいていこういう場所に攻略のヒントだとか、先へ進むためのスイッチや鍵が眠っていたりしていたものだ。
「中って見ちゃダメなん?」
 罰当たりなことをスカルが言う。
 それは誰もが思っていたことだが、口にするのははばかられていた。日常的に宗教を意識することなく生活していたとて、根源付近に宿る神秘的なものへの畏れがあるのだろう。
 スカルもそれは抱いているが、ビビっていると思われたくなかっただけだ。
 けれど彼もまた、
「よし。スカル、やれ」とジョーカーがいつもの如く申し付けると、尻込みしてしまう。
 肉体的な痛みや精神的苦痛ならある程度は耐えられるだろうが、未知への畏れは程度が違う。天罰も神罰も怖くはないが、タタリだとかノロイと思うと、ちょっと腰が引けてしまう。
「えー、マジで? それマジで言ってんの? すぐ回復してくれる……?」
「するよ。……あ、待て確認する。回復持ってきてたかな……」
「開けるよー」
 カチャッと扉を封印する金具が外される音が響いた。
 ジョーカーとスカルが気の抜けたやり取りをしている間に、増髪がそこを開け広げていた。
「そりゃ本人のだもんね。ビビる必要ないわ」
 彼女に付き添ってすぐそばで見守っていたパンサーなどは、先を越されたことで肩を落とす男二人をせせら笑った。
 ふてくされるジョーカーたちを尻目に増髪の手が祠の内部を探る。指先にはすぐ、空気以外のものが触れた。
「なんだ……? 紙……?」
 引き出された手に握られていたのは古ぼけた画帳だった。
 デフォルメされた動物たちが笑顔を浮かべ、やはりデフォルメされた太陽の下で手を繋ぎ合っている。上部には大きく『じゆうがちょう』とポップな字体で記されていた。
「うわっ! 懐かしい!」
 裏返った声が増髪の喉から溢れる。
 どうやら心当たりがあるとみて、少年たちは彼女のもとへ歩み寄った。
「あっあー、これは、あれだ。幼稚園くらいのころ、紬と一緒に遊んだときに、らくがきしてたやつだ」
「へぇ……見てもいい?」
 楽しげに伸ばされたクイーンの手から、増髪は慌てて画帳を遠ざける。
「いやっ、その、幼稚園のころのやつですし、恥ずかしいから」
 嫌だ、と訴えようとするものの、クイーンの冷たい鉄仮面の下の瞳が悲しそうに震えるのを見ると、語尾はヘナヘナと萎れていってしまう。
 トドメはノワールの優しげな笑顔だった。
ちゃん、お願い。誰も笑ったりなんかしないから、ね?」
 呻いて、増髪はうやうやしく彼女たちに画帳を差し出した。
 現れたのはクレヨンやクーピー、色えんぴつで描かれたと思わしき動植物の姿だった。ときおり、ドレスを着た幼い少女らしき者が現れるが、ほかはおおむね草花に小動物、ポピュラーな大型生物……ライオンやトラ、ゾウ、キリンにカバ、サイ……そして形も色も様々な虫たちだ。
 クイーンとノワールはページをめくるたびに歓声を響かせて笑顔を見せた。
 しかし増髪は仮面の上から両手で顔を覆い隠して悲鳴じみた声を上げる。幼少期の微笑ましいお絵かきを見られるのがよほど恥ずかしいようだ。
 そうしているうちに他の面々も画帳を覗き込みはじめる。
 誰の目をしても拙い幼子のらくがき以外のなにものでもなかったが、不思議なことに誰もが微笑ましさを覚えて顔を緩ませていた。
 それこそを眺めて、フォックスは意地悪く言う。
「なんだ、今よりよほど上手いじゃないか」
 突拍子もない発言はいつものことだが、これには慣れたはずの仲間たちも目をむいた。
「そうかぁ? さすがにこれよりは俺でももうちょい、って今のの絵とか知らねぇけど。なあ今度見せて」
「ああ、いいよ。戻ったら写真撮って送るね」
「そっちはいいのね……私にもくれる?」
「わたしにもわたしにも。ラフはちょっと見たけど、完成形もみたい!」
「わかった」
 送るよと頷いた増髪の隣で、パンサーは私にもと要求しつつまじまじ画帳を眺め回している。
 そこにはナナホシテントウとハチワレ柄の猫がなんの脈絡もなく、またスケールを無視して並べられていた。
 それを指して、彼女は述べる。
「上手いとか下手とかはわかんないけど、でも、これ好きかな。ほらこれとか……あとこっちのページのさ……」
 ピンクのグローブに包まれた手が次々にページをめくっては、猫やライオン、モンシロチョウやキアゲハ、カエルやダンゴムシ、カモやアヒルを指名していく。
 ついには最後のページに至り、またはじめに戻っては「やっぱりこれも」と楽しげに並べ立てられる。
 増髪は戸惑った様子でいるが、フォックスはどういうわけか自慢げだ。
「フッ、さすがだな、パンサー。いい目だ」
「ええ? そうなの……? ううん、今よりこちらのほうが上手いと言われると、さすがにそれはないと思うんだけど……」
 いよいよもって戸惑いを強める彼女に、波紋を呼んだ張本人はやっと答えを口にしようとする。
「技巧的な話ならば君の言う通りだ。ただ……」
 しかしそれは直前になってジョーカーに奪われてしまう。
「楽しんでいるのは伝わってくるな」
 彼もまた、真紅の指先で画帳に描かれた一つを撫でる。彼のお気に入りはどうやら、立派な角をもったカブトムシらしい。漆黒の鎧にシンパシーでも覚えているのか、それとも単に男心をくすぐられたのかもしれない。
 発言を奪われたことに肩をすくめるフォックスの傍ら、仲間たちはなるほどと頷きあう。
「あー、そういう? ハート的な? ソウルに響くサムシング的な……」
「そんな感じ、なのかなぁ。わかんないけど。てか、もっと単純にカワイイの! 小さいコがってのもあるかも?」
「誰でもかけそうだけどかけなさそうってのもポイント高いぞ。グッズかスタンプ化して小銭稼げそう」
「あっ、こいつワガハイに似てる! ……いやワガハイは猫じゃねぇけど、柄がな?」
「うふふ、ほんとだ。ねえ、じゃあこっちは、ジョーカーに似てない? ほら、色の配置が……」
「ならこっちはノワールじゃない? ほら、こんな色のワンピースこの間来てたわよね?」
 増髪は、自分がかつて囲んでいたはずの画帳を中心に置いてはしゃいだ様子を見せる彼らを見つめて、うーんとうめいた。
 彼らが言いたいことはよくわかっていた。
 それが最も優れた賞賛であることも。
 自分の描いたもので誰かが楽しんでくれている。その出来栄えや技術的なところに注目するのではなく、ただそれを見て笑い、喜びをあらわに友人たちと語り合っている。
 かつて彼女にとってのそれは、幼馴染の少女だった。あれらを描いてるとき、常にその少女が一緒に居た。
 あの子に楽しんでもらおう、喜んでもらおう……がなにかをするとき、理由はいつもそうだった。あの子に笑ってみせてほしい―――
 悟りに至って、増髪は得心する。
「ああ、そうか。だから祠なんだね」
 彼女の隣で、輪から抜け出して鑑賞していたフォックスだけがこの言葉を耳にしていた。
 彼は素直に首を傾げる。
「なにがだ?」
「根拠かな。動機とも言えるかもしれない。『道徳の根拠』……」
 フォックスはしばし沈黙して言葉の意味を理解しようと努めた。
 やがて小さく頷くと、画帳の納められていた祠に目を向ける。
「なるほど。それであの形か」
 道徳の根拠とは多くの場合、神として形容される。唯一であったり絶対であったり、偶像を作ることを禁止されたり、名を呼ぶことすら畏れ多いとされることある。
 いずれにせよ人は、それが存在するが故に道徳的であろうとする。神はいついかなるときもあなたを見ている、と。
 だからこそ増髪は悔しそうに唇を噛んだ。
「なんでこんな小さくなっちゃったんだろう……」
「立花さんが遠くに越したからでは?」
「たぶん。あの子のために絵を描く時間はずいぶん減ったもの。他のことで頑張ろうとはしていたけど……」
 口惜しげな彼女の様子は、フォックスの好みの画角ではなかった。
 俯いているより背すじを伸ばして勇ましくしていたほうがこの子は美しいと、彼は言葉でその背を叩いた。
「あまり実っていなさそうだがな」
「うるさいな!」
 果たして増髪は期待通りに顔を上げる。
 惜しむらくはその顔を、忌々しい仮面が覆っていることだろう。
 早く取り去ってしまうべきだ。似合う似合わない以前に、これは彼女をすっかり隠してしまっている。良いところも、悪いところも。

 そんな二人の様子を横目で眺めて、ジョーカーはハンドサインをいくつか作る。
 仲間たちはそれに頷いたり、首を振ったりしながら受け答えする―――
「えっ!? マジで!? そうなの!?」
「バカ! 声がデカい!」
「あ、させん。すいません……えー、いつ? いつの間にそんなことになってんの?」
「元気だせ、スカル」
「落ち込んでませんけど!?」
「だから声がデカいっての!」
「あなたもね、パンサー」
 クイーンはため息をつきつき、チラリと無言の中で語られた二人に目を向ける。幸いなことに彼らはそこでの会話―――なにか真剣な様子で強く主張し合っている―――に夢中になって、スカルの大声には注意を払っていない。
 それから、未だ手でなにかしらのメッセージを作り続けるジョーカーに目を戻す。
 クイーンが頷くと、彼は満面の、悪魔のような笑みを浮かべた。
「面倒に巻き込まれたかと思ったが、楽しくなってきたな」
「ほどほどにね……?」
 ノワールは不安げにそう言うが、ジョーカーは軽薄な様子で片目をつぶっただけだった。