17:Go Through Fire and...

 自分の勉強ついでにの面倒を見てやることは、新島にとって必ずしも時間の浪費とはならなかった。
 他者へ教えを授けることは単純に知識の再確認にもなったし、自尊心がよく満たされる。
 思ってもみなかったが、なかなかどうしていいストレス解消法かもしれない―――
 ただしこれにはがよい生徒であるということも大いに影響しているだろう。
 基礎はちゃんとできているし、飲み込みも悪くない。記憶力もなかなかのものだ。少しケアレスミスが多いが、それは反復の中で修正できる範囲だ。
 それが新島の、この日の午前中からルブランのテーブルの一つを借りて面倒を見てやった末の所見だった。
 性格はいささか個性的ではあるが、やはり中身は普遍的な女子高生だ、と。
「昨夜はよく眠れた?」
「はい。割とどこでも寝れる体質なんです。あ、あと、モルガナくんが寝るまでずっと触らせてくれたので」
「へえ、珍しい」
 彼なりにこの新入りを気遣ってのことだろうか。あるいは彼にしても一人きりで過ごす屋根裏に耐えかねたのか……
 そのモルガナは今のところルブランの中には姿が見当たらない。
 が起きたときにはすでに消えていたらしく、惣治郎に言わせれば縄張りのパトロールだろうとのこと。
 どうもあの猫には猫なりの人間関係……もとい、猫間関係があるらしい。
「たまに見かけんだよなぁ。あいつがよその猫となんだかにゃごにゃごやってんのをさ」
「へえー……モルガナにもご近所付き合いとかあるのね……」
 感心したようにもらす新島の対面で、はその光景を想像したのだろう。かすかに肩を震わせている。
 正午近くなったころだが、店内に人の姿はない。ほんの一時間ほど前には珍しく二組の客がいたのだが、それもとっくに会計を済ませてしまっていた。店内には彼女たちと惣治郎だけだ。
 だからこそ喋る猫の話などできるというもの、は小休止とペンを置き、新島に語りかけた。
「モルガナくんってバイリンガルなんですかね。ヒト語とネコ語で」
「どうなのかしら。マスターにはモルガナの言葉が聞こえていないわけだし……」
 カウンターの向こうの惣治郎は渋い顔で頷いている。
「ああ、それも認知ってやつでしたっけか。あちらでモルガナくんが喋ると認識すると、こちらでも彼の声を聞くことができるようになる……と」
「そうよ」
「あれ、でも、モルガナくんは普通の猫とも会話できるんですよね? じゃあ、そのへんにいる猫もむこうに連れ込んだら喋れたりしません?」
「えっ?」
「ほら、あっちでは猫も蛇も、神様だからなのかもしれませんが喋ってたじゃないですか。もしかしたら他にも犬とか鳥とか、虫や色んな生き物と喋れるようになったり……」
 瞳を煌めかせるの子どもじみた発想に新島は苦笑する。確かに様々な動物と会話できるようになれば楽しいだろうが、しかし彼女としては更なる『敵』が増えるだけだと思う。
 例えばその辺りを飛んでいるハトやスズメがヒトと自在に意思疎通できるようになったとしたら、怪盗団は公安以上に厄介な相手の眼を気にしなければならなくなる。それを避けて屋内に篭ったとなれば、今度はネズミや虫に小型の爬虫類の耳に気を配る必要も出てくるだろう―――
 思えど微笑ましい少女の夢をわざわざ壊してやる必要もないかと新島は肩をすくめた。
 やがて本格的に昼時となってくると流石のルブランにも再び客が姿を現し始める。惣治郎はゆっくりしていけと申し出たが、長居するわけにはいかない理由もある、二人は遠慮をして店を辞した。
 それも突発的な行動ではなく、昨晩から予定されていたことだった。あとは双葉を拾って、集合場所近くまで移動して待つのみだ。
 ルブランから佐倉家へ向かう短い道中、ふとはことさら控えめに新島に声をかけた。
「あのう……真先輩、ちょっと個人的なことをお聞きしたいんですが」
「ん?」
 は新島の一歩後ろを歩いている。手袋に包まれた指をしきりにすり合わせては、俯きがちになっていた。
「なあに? どうしたの?」
 首を傾げて促した新島にむけて、はおずおずと口を開いた。
「こんな時になにをと思われるかもしれないんですが、その……祐介って付き合ってる人とかいるのかなって……」
「いないんじゃない? そういう話は聞かないわよ」
「そっ……うですか!」
「うん」
 破顔一笑と顔じゅうを綻ばせる彼女に釣られて新島も笑みを浮かべてしまう。決して憎い相手ではないのだ。彼女の安らかな顔を見られることは新島にとっても喜ばしいことだった。
 ―――でも今この子、なんて言ったっけ?
「……うんッ!?」
「えっ!?」
 小さな食品スーパーの前は時間帯に相応しくそれなりに人で賑わっている。は早く通り抜けようとしていたのか、素っ頓狂な声を上げて停止した新島に気が付かずその背にぶつかってよろめいた。
「真先輩? どうしたんですか。双葉ちゃんが待ってる―――」
 怪訝そうなの声は右から左に通り抜ける。新島の表情には今や、驚愕とわずかばかりの恐怖が垣間見えた。
 確かに、と彼女はかみしめる様にして思う。
 確かにほんの数週間前、自分には不向きだから懐柔は任せるとは言ったが―――
「ここまでしろとは言ってないわよ!?」
「なにがですか!?」
 再び理解不能な喚き声を上げた新島に呼応して、も上ずった声を上げた。軒先に並べられた野菜を見比べていた主婦らしき女性たちが怪訝そうな視線を彼女たちに向けているが、一切に構わず新島はの肩を掴んだ。
「騙されちゃ駄目よ!?」
「なにがですかッ!?」
 ―――少し先をいった角から、奇行に走る少女たちを眺める人影と猫影がある。ほんの数十秒ほど前に家を出ていた双葉と、彼女の出迎えにやってきていたモルガナだ。
 双葉はそろそろ新島たちが迎えに来るころだからと、約束の時間の十分前には玄関でじっと彼女たちを待っていた。しかし、散歩の終着点としてやってきたモルガナにご近所のネコ・ネットワークについての講釈を聞き終えるころになってもなかなかやってこない。すわなんぞあったかと立ち上がりこの角までやってきてみれば、果たして二人はちゃんとそこにいるではないか。
 あーよかった、どーせそうじろうがまたくだらないことを言って足止めでもしたんだな。あとでしかってやらなくちゃ。
 養父に対して思うようなことではないが、双葉はそれで済ませてモルガナとともに合流を果たそうとした。ところに新島の突然の発狂だ。一人と一匹はその場で踵を返して家に帰りたくなった。
 ……そういうわけにもいかないだろうよ。
 モルガナに急かされて、双葉はため息をつきつき歩み寄って新島をから引き剥がしてやった。
「ご、ごめん。ちょっと取り乱しちゃった……」
「なにがあったってんだよ……」
 その場を離れ、逃げるように駅へ向かう最中、モルガナは完全に呆れ果てて問いかけた。
 するとが新島に飛びついて口を塞ぐ。
「なんでもないよ! なにか深刻なことがあったとかじゃないんだ! 君たちが気にしてくれるような問題じゃない―――」
、キマっちゃってるぞ」
「えっ? ああっ!? すいません真先輩―――」
 首に絡むの腕から逃れ、新島は呼吸を整えつつ戦慄を覚えていた。
 ―――私が容易く背後を取られ、あまつさえ抜け出すことができなかっただなんて―――
 などというフィジカルファイターめいた思考はさておき、双葉は訝しがる視線を二人にじっと注いだ。
「……あったとしても双葉が懸念しているようなことじゃないわ。大丈夫よ」
「それはそれでつまんないなぁ」
「面白がらないの」
 乱された服装を整え直す新島に、は平身低頭謝っている。それにはどうやら誤魔化してくれた感謝の念も籠もっているらしかった。
(そこまで、とは言ったけど、これはこれで良かったんだよね……? 変な方向に落ち込まれたり、思い詰められるよりはよほどマシだわ。祐介にそのつもりがあったかどうかは知らないけど……)
 無いんだろうなぁと思いつつ、新島は渋る双葉を引きずって再び駅への道を進みはじめた。
 ―――今は、とにかく彼女の気を紛らわせることが肝要だ。明かされた非常手段とやらに手を触れるつもりも触れさせるつもりも誰にもない。
 腫れ物扱いは可哀そうだが、こればかりは慎重にならざるを得ないことだった。

……
 場所を変え、双葉を交えた勉強会はさしもの新島にしても疲労を覚えたが、幸いなことに集合時間まで平穏無事に過ごすことができた。のみならず新島もまた安堵の息をつきつき、三人と一匹は約束した集合場所へ向かった。
 異界への侵入も滞りなく。彼らはすぐに目的のものが隠されているのであろう場所を見つけ出しもした。
 ではそれで万事すべてが済むのかと言われれば当然そんなことはなく、彼らの前には住宅街に不似合いな長い回廊が待ち受けていた。
「なんで? ちょっとスカル、アンタ一回出て周りぐるっと見て来てよ」
「ざっけんな! ンなことしなくたってヘンなことはわかりきってんだろがっ!」
 彼らが踏み入ったのは住宅地にポツンと残された竹やぶだったはずだが、今目の前にあるのは左右と頭上を竹に覆われた石畳がずっと続いている光景だ。ふり返れば人の姿も影もない民家があって、それがより違和感を増大させていた。
 もちろん、やぶに踏み入る直前にはナビが走査を行ったが、それにもこのような長い通路は引っかかっていない。外観的にも数十メートルは続いていそうな直線通路があるようには思えなかった。
 迂闊に踏み込むわけにはいかない状況と光景だが―――
「……ニオイがする、アイツの。そのものってわけじゃないが、かすかに……」
 鼻先を震わせるモナの言を疑う者はいない。最もかの少年と長い付き合いをしてきた猫が言うのだから、間違えようのないことだろう。
 行くか行かざるかの答えは決まっていた。
「さっさと行こうぜ。ダラダラしてっとあいつに『遅い』って文句言われちまう」
 日の光の挿し込まない湿気た石畳を踏んで、スカルは大きく一歩を踏み出した。その後をモナとパンサーが。
「おい、少しは警戒しろ」
 苦言を呈しつつもフォックスが追い、増髪も慌てた様子で続いた。彼女の手にはここへ入る直前にへし折った車止めのスチール円柱が抱えられている。
 クイーンとナビ、ノワールは顔を見合わせて立ち止まったままだ。
「……ナビ、罠の反応は?」
「今のところはナシ。今のところはな」
「奥は分からないってことだね。どう考えても誘い込まれている気がするけど……」
「それは間違いないわ。でも私たちは行くしかない、と。ふう……どうしていつもこうなるのかしら……」
 ため息をついたクイーンの隣で、ノワールは苦笑する。
「仕方がないよ。『彼』が関わった時点で、こうなることは決定していたようなものじゃないかな?」
 だからこそため息をつきたくなるのだとクイーンは眉を寄せる。
 ナビは肩をすくめて二人の前に一歩踏み出した。
「ま、なるようになれ、だ。あいつが待ってる」
「……そうね。行きましょう」
 彼女たちもまた先を行く仲間たちに追いつこうと、早足気味に歩き始めた。
 そのようにして歩き出してしばらく、彼らは己の不覚を嫌というほど思い知らされた。
 左右をずっと背の高い竹とやぶに覆われた通路は、一本道かと思いきや無数の十字路が連なった迷宮だったのだ。
 碁盤の目のように整然と並ぶ細道は果てが見えず、迂闊に曲がろうものならすぐに現在位置を見失ってしまう―――
「まあこのわたしがいてそれはないけどな」
 と、ナビは胸を叩いた。
 彼女の並外れた記憶力にかかれば、幾つの角を右に左に、直進したかを憶えていることなど容易いものだ。
 延々続く同じ景色に辟易とし、また目を回しかけていた仲間たちはとっくに道筋を見失っていたから、ナビの発言に大げさなくらいに安堵してみせた。
「俺さ、実は今どこにいんのかわかんねぇんだよ……」
「実はでもなんでもないけどねソレ。や、まあ私もわかんないんだけど」
「こうも同じ光景が続いてはな……正直言って俺は飽きた。美しくないし目眩がする」
「大丈夫?」
 仮面の上から目元を覆ったフォックスに、増髪は不安げな視線を寄越した。彼は心配されるほどではないと首を振ったが、程度は違えど皆も同じものを覚えている。
 軽い目眩と浮遊感、どことなく落ち着かない感覚……
 奇妙なことはまだあった。確かに憶えきれぬほどの角を曲がってはきたが、距離としてはまだ十キロにも満たないはずだ。だというのに脚にはすでに疲労が溜まっている。スカルなどは先から嫌そうに膝をさする仕草を見せていた。
「……モルガナ、『彼』のニオイには近づいてる?」
 疲労と目眩に呼び寄せられた焦燥感を堪えつつクイーンが問いかける。
 モナは、鼻を引くつかせながら答えた。
「間違いなく近づいてるからそこは心配しなくていいぜ。アイツのニオイと……鉄かな、コリャ。多分、進めば例の鎖とやらが見つかるはずだ」
 再び少年たちは息をつく。迷子よりもなにより、ここまできて徒労なんて羽目に陥ることだけはごめんだった。
 道中に異形の類はほとんどみられない。時折ビニール袋に似た刺胞生物が転がっていたが、それだけだ。彼らはスカルがブーツのつま先でつつくと、いやいやをして逃げていってしまった。
「襲い掛かってこないね」
 はてと首を傾げたノワールは斧の刃先で傷つけないよう器用にビニール袋を小径の脇へ除けている。追いやられた個体もまた、薄い身体をくねらせて藪の中に消えていった。
 この環境に異形さえもが影響されているのか、それともこれがこの生き物本来の性質なのか……
 どちらにせよ、噛み付いてこないのであればちょっと道を譲ってもらうだけでいい。この点に関してだけ、道行きは容易と表してよいものだった。
 先導役はいつもの通りモルガナが務めている。その歩みに迷いはないが、彼の視線は幾度も戸惑いに虚空をさまよった。
「……ナビ、わかるか?」
 主語もない唐突な問い掛けだったが、殿を務めるノワールの前を歩いていたナビはすぐに頷いてみせた。
「うん……ここ、アレだな。いつものソレとは違う。そういうことだろ?」
「ああ。かといって、例のアレともちっと違ぇんだよな……それがコレの原因なんだろうけどよ……」
 アレとかソレとかコレとか言われて、仲間たちは顔をしかめる。
 そこから送られる二人だけで完結するなと咎める視線に、ナビは気だるげに肩をすくめた。
 モナはうーんと一度唸ってから述べる。
「ここはメメントスに似てるんだ」
 ナビと増髪以外の全員が仰天する。増髪に関しては、単純にメメントスのことをしっかりと理解しているわけではないからだろう。彼女は困惑気味に一同の顔を見回している。
 そのためか、モナは彼女のために軽く解説を差し挟みながら話を続けてやった。
「メメントスは大衆の無意識が実体化された場所だ。無数の人々のパレスだった……とはいえこれは消えちまったんだけどよ。とにかくあそこよりもっと……なんつったらいいのか、ニンゲンのさ、ニオイがないんだよ」
「人間のにおい……?」
 増髪は再び首を傾げた。メメントス云々ではなく、においという単語に反応したようだ。袖を鼻先に持ってきて鼻を鳴らしている。昼に食べたナポリタンの匂いがかすかにした。
 モナは再び、今度は先より長く唸った。
「う〜ん……だからよ、食べたモンのニオイとか、汗とか、化粧だとかシャンプーだとか……オマエらにはわかんないかもしれねぇけど、いろいろにおうモンがあるんだよ、ニンゲンには」
 そういった微かなヒトらしいものがこの空間からは感じ取れないとモナは訴える。
 互いを見やって、そんなににおうかと不安げになる若者たちにナビはゆるく首を振った。
「たぶん、モナがいってるのはわたしらヒトの、肉体に関わるものことだとおもう。わたしにはそっちはわかんないから推測だけど……こっちのセンサーに引っかかるものと合わせて考えたら間違ってないはず。ここは確かにメメントスと似てる。でも、ここはより隔離されてるんだ」
「なにから隔離されているというんだ?」
「そりゃカラダからに決まってんだろ?」
「あー……?」
 解らないとフォックスは両手を上げる。
 すると今度はクイーンが、やはり困惑気味に問い掛けた。
「肉体と精神が完全に隔離されている状態ということ?」
 ナビはわたしも正確なところが解るわけじゃないと一度断ってから続ける。
「それがニュアンス的には近いんだとおもう。大衆の無意識の、よりカラダから遠いところってかんじ……?」
「あー、だからモナの鼻にニオイが届かないのか」
 ポンと手を打ったのはスカルだ。
 しかし彼はすぐにまた不可解げな顔をしてみせる。
「で、それがなんだっての?」
 モナとナビは同時にため息をついた。
「んまあたしかに問題になるようなことじゃないんだけど。とりあえずここの妙な感覚はそのせいで間違いない」
「たぶんだが……アイツを捕らえるために用意されたか、ここが選ばれたのかもしれねぇな。前もあっただろ、そういうの」
「あー、あったね。特別囚が入ってるっていうからどんだけヤバいやつよって思ってたら『彼』だったってオチ……」
 そういう意味では、仕組みは解らないがここがメメントスに似た場所というのも、いかにも彼にお似合いと思える。
 パンサーは顎に手をやって空気の流れにざわつく竹の葉の天井を睨みつけた。
 とはいえ肝心の彼はこの特別扱いを喜んだりはしないだろうが―――いいや、彼ならこれくらいの扱いは歓迎の範疇だろうか?
 想像にパンサーはうんざりしたように首を振った。どうやら怪盗団の面々は皆似たりよったりなことを考えていたらしく、彼女とそっくり同じような表情を見せて、増髪を戸惑わせている。
「……とにかく、似ているってだけなんだよね? シャドウが現れたりしないのなら、このまま進もう?」
 ノワールの言に、一同は肯して歩みを再開させた。
 敵対するものが現れない限り道中は穏やかだ。少年たちは伸し掛かる疲労感や目眩を忘れるためにも他愛もない雑談を繰り広げ続けた。
 それは有意義なものではあったが、やはりここが異界の一部であることは忘れるべきではなかったのかもしれない。
「そういやよ、増髪が元通ってた学校ってどんなん?」
「鳥守女学院ってところだよ」
「女学院って響きやべーな。お嬢様学校だったりすんの?」
「まさか! それなら私は通っていないさ」
「そーなの?」
「そーだよ。校舎のすぐ後ろが山でね、たまに校庭にイノシシが入ってくる」
「タヌキは? タヌキは出ないのか?」
「たまに車道でぺちゃんこになっていたりなら……」
「なんと……」
「悲しみのおイナリ」
「タヌキってびっくりすると死んだふりしちゃうんだっけ……こっちでも時々電車が止まったりするわよね。あれはシカかな」
「モナちゃんも車や電車には気をつけてね?」
「いやワガハイはタヌキでもシカでもねーし……」
 会話の背後に金属音が混じっていることに気がつけたのはそれが間近に迫ったころだった。
 ナビはハッと大きく息を呑み、直ちに半身を呼び寄せると浮かび上がって全力で警戒音を発した。
『わああ!? なんでいるんだよ!?』
 なんだ、などと問いかける者は現れない。
 何故なら彼らの目にも後方、真っ直ぐに伸びて霞んだ通路の遠くに、ぼろ布をまとったそのものが忍び寄るさまが映っている。
 それはおおむね人の形をした人ならざるものだった。両の手にロングバレルリボルバーを携え、躰に巻いた鎖を引きずりながら浮遊する死神―――
「メメントスっぽいから、とか……?」
 辛うじてパンサーが先のナビの疑問符に答えたが、誰も耳にはしていなかった。
 ただ増髪だけが、
「ヤバいやつなの? 迎撃する?」と勇ましく肩に担いでいた円柱を構えて言う。
 その腕を強くフォックスが引っ張った。
「ジョーカーがいるならともかく、俺たちだけであんなものを相手にできるか!」
「そんなに―――」
 ヤバさの度合いをさらに尋ねようとした彼女の背を、クイーンは全力で前に押し出した。
「倒せてもそこで全員ガス欠よ! 走って!」
 わけも解らぬうちに走り出した増髪の眼前で、モルガナがひょいとプロメテウスの触腕に絡め取られて空中に浮かび上がった。
『わたしとモナで先導しつつ撒くぞ! ついてこいっ!』
「うげぇヌルヌルする」
『がまんしろ!』
 空中を滑るように動き始めた球体の後を追って、少年たちは全力で走り抜ける。
 背後の死神は時折リボルバーを構え、狙いも付けずに発砲をくり返した。そのたびに真横や足元で爆発が起こり小さくない負傷を負わされるが、それなりの反動があるのか攻撃のたびに死神はわずかばかりでも後退する様子をみせた。
 しかしそれを利用して撒くことは流石に不可能だろう。この狭い路ではモナに車になってもらった途端身動きが取れなくなってしまう。
 しかし、仕掛けを用意する距離くらいは稼げるかもしれない―――
 走りながら幾つかの打ち合わせを済ませると、クイーンは足を止めて腰元に構えたリボルバー拳銃の引き金を引いた。
 早打ちならば彼女のほうに分があるが、大した効果は見込めない。なにより死神は足を止めた彼女を中心に銃弾の雨を容赦なく降り注がせた。
 二、三発の弾丸が彼女の肩と脚、腿を傷つけて通り抜け、背後で爆発を起こした。他の多くはノワールが咄嗟に展開した鏡の盾が跳ね返す。
 痛みと爆風によってぐらついたクイーンの脇から、スカルとフォックス、増髪が飛び出して各々の得物を振るった。ただし狙いは死神そのものではなく、道の左右を塞ぐ青竹とやぶにだった。
「もっといる? いっぱいってどれくらい?」
 増髪の目線はスカルとフォックスを仰いでいる。彼らは困惑を浮かべて互いを見交わした。
 切り倒した竹は道を塞いでいるが、彼らでも滑らないよう気をつければ飛び越えられる程度の小山だ。中にはへし折られただけでまだ根っこと繋がったままのものもある。
「……どうだろうか。ナビ、どう思う?」
『わたしがしるかっ!』
「念のためもうちょい追加しとくかぁ」
「わかった!」
 威勢よく応えた増髪が円柱を振り回すと、道はさらに広く青竹に覆われた。
「ナビはたまに大ざっぱなのよね……」
「たまにかな?」
『そこ、聞こえてるからな! ていうかこれをわたしのせいにされるのは遺憾のイだ!』
「なあ火薬とか使わねぇの?」
「ああ、これでいい。もとを辿れば中国の―――」
「あ、いい! 後で聞くわ!」
「……後でと言ったな? 終わるまで帰さんぞ」
「それ私も居残るやつじゃないか……」
「俺は別にいいよ。お前らから仕入れたうんちくおふくろにしてやるとたまに喜ばれるし」
「あっ、ねえスカル。この間お話したの、試してみてくれたかな? ほら、コーラでお肉を―――」
 気の抜けたやり取りをよそに、パンサーはナビから託されたモナを抱えて己の半身を呼び寄せた。モナもまた。
「さっさと下がんなさいよバカども!」
 パンサーがピシャリと鞭で石畳と積み重なった竹の葉を叩くと、せっせと竹を折ったり斬ったりしていた少年たちは慌てて彼女の後方へ退避する。
「よし! やっちゃうよ!」
『いけいけやっちまえ』
 気合いっぱいのパンサーに対し、ナビはいつもの調子のままだ。彼女は彼女で、浮遊する球体の中で様々なデータを閲覧操作するのに忙しいようだ。
 パンサーの背後から放たれた火球は今やバリケードの手前までやって来ていた死神に向かって放たれる。もちろんそれもまた、敵自身にではなく手前に着弾した。
 瞬時に燃え広がった炎にも死神は怯まない。そのものにとっては炎など、大した脅威ではないからだ。
 しかしパンサーの腕の中に収まる猫が追い風をやると状況は一変する。
 炎がさらに強さを増した途端、強烈な破裂音が通路の隅々に行き渡るほど大きく響き渡った。
 それを合図に、少年たちは脱兎の如く走り出す。背後ではさらに激しく、連続して破裂音が鳴った。
 死神はダメージこそ負った様子はないが、しかし何某かの原因からその場を動けない。辛うじて前に出していた拳銃の引き金を絞るが、放たれた弾丸が通り過ぎるころには、怪盗たちは角を曲がって姿を消してしまっていた。
 ―――ここはメメントス・のようなものなんだろう? 認知の影響はあるのか?
 ―――アレがいる以上、多少なりともあると思うぜ。そもそもここの外でもワガハイ、車になれるわけだしな。
 フォックスは、逃げる傍ら潤沢にある資材を利用しようと仲間たちに持ちかけた。
 長い話を端折って彼は言った。爆竹には魔を退ける力がある、と。よしんばそれが通用しなくとも、パンサーの火力に炙られれば青竹とはいえ油を多く含む幹はあっという間に燃え上がり、視界を塞いでくれるはずだ。
 提案に乗り、やってみた結果、どうにか彼らは逃げおおせた。
 ただし安全を確信したナビが止まっていいぞと言ってやったころには、少年たちは汗だくになっていた。
「っべー……マジ、ねーわ……おえっ」
「靴履き替えといて、よかっ……あーもうダメ……」
 ヘナヘナと崩れ落ちる仲間たちのそばに着地して、ナビもどことなく疲れた様子を見せている。戦闘にこそ参加しないものの、彼女は今も警戒用のスキャニングを実行し続けているからだろう。
 一方でクイーンは渋い顔でジャケットに空いた穴に指を突き入れていた。傷は自分でさっさと塞いだが、服の穴まではそうもいかない。―――これ気に入ってたのに。私も次からはジャージにしようかな。
「ほら、いつまでも休んでいるわけにもいかないよ。立ちなさい」
 漏れ出そうになるため息をぐっと堪えて、クイーンはへたり込む仲間たちに喝を入れてやった。
 幸いというべきか、長い全力疾走は目的地のそばに彼らを運んでくれている。もうひと頑張りと思うと、彼らもどうにか立ち上がることができた。
 ほどなく彼らは行き止まりにたどり着いた。
「……ここ?」
 訝しげに問いかけたのはパンサーの前には夕日の射し込む開けた空間が広がっている。
 その足元から真っ直ぐに伸びた石畳は左右を玉砂利に覆われ、行儀よく直立した石灯籠が等間隔に生えていた。いずれもが苔むし、湿気によってかてらてらと鈍く輝いている。
 それらの奥にあるものを、誰もが足を止め警戒も露わに見つめていた。
 地面に小さな―――掘ったわけではないらしい、空間に直接空けたような穴が開いている。そこから伸びた鎖は竹の背丈を飛び越え、天に向かってずっと伸びているようだ。端はどちらにしても覗うことはできなかった。
「鎖、だね」
 ぽつとノワールが漏らした言葉に一様に頷くものの、誰もが踏み出すことはできずにいる。
 最奥に空いた穴の上には頭を垂れるようにしなる竹が何本かあって、その細い枝々に薄汚れた布切れが掛けられている。鎖とぼろ切れの組み合わせは、つい今しがた遭遇した死神を連想させる。垂れ下がった布の形状は、ともすれば吊られた罪人か奴隷のようにも思えた。
 どうしたものかと足踏みをする中から、パンサーは無理矢理身体を動かして一歩を踏み出した。
 あとちょっとで『彼』を取り戻せると思ったからだが、けれどそれはなにも恋という熱病めいた感情による焦りなどでは決してなかった。
 彼女の背後には増髪が怖気づいた様子で立ち尽くしている。そこに自分が怯える姿を晒すわけにはいかない―――
 フォックスが気がつけるようなことを、彼女が気がつかないはずもないのだ。自分の言動が少なからず増髪を戦いに引き込んだ要因になっていることくらい、なんならフォックスなどよりずっと早くパンサーは気がついていた。
 彼女は彼女にできる範囲で精一杯気を遣ってきたつもりだ。今この場においても。
「モナ、あれをぶっ壊せばいいの?」
「あ、ああ―――待て、罠があるかもしれん」
「わかってるって。ナビ、どうなの?」
「ん。ん、ん、んー……」
 珍奇なうめき声とともにナビは芋虫のように身体をくねらせた。電子情報の取り扱いは一級品でも、それらしいものの存在しないここではいつも通りとはいかない様子だ。
「そこの穴……そこから風が吹き上げてる。風っていうのは、ふつうの風じゃなくて太陽風に近い。薄いけど質量を感じる」
 なるほど、確かに風もないのにぼろ切れはかすかに揺れている。
 でも、と繋げてナビは動きを止めた。
「それ自体は罠じゃない。どっちかっていうと、そこの布のほうが気になる……モナ?」
「シャドウ……か? いやわからん。コッチのイキモノっぽくもあるが、シャドウっぽくも……ニャー?」
「なんかなぁ、ここ自体がどっちつかずっていうか、混じってるっていうか……ただでさえこの異界自体がみょーな反応だらけだし……」
「それな。ワガハイの鼻がよ、痛ぇんだよ。忙しすぎてよ……」
 猫と少女は顔を見合わせて重々しく頷き合った。
 結論としては、なにかがある―――目に見えるもの以外にも―――のは間違いないが、それがなんであるかは二人にも解らない、というところだろう。
 手元の穴にまだ指先を入れているクイーンは、どことなく拗ねたような調子で言う。
「鎖の破壊が優先でいいんじゃない? 帰りが少し怖いけど、皆で一斉にかかれば……」
「他に手はないのか?」
「無いってことはないだろうけど、ここであまり時間を浪費するわけにはいかないよ。あれがまだ私たちを追っていないとは限らないんだもの」
 ノワールの答えに、フォックスはふむと唸ってから一度後ろをふり返った。背後にあるのはとっくに見飽きた狭い道が静かに佇んでいるだけだ。今のところは―――
 彼以外に慎重を訴える者は現れなかった。それは軽率という意味ではなく、臨機応変……つまり、いつも通りという意味だった。そこは増髪というイレギュラーを抱えていても変わらない部分だ。
 とはいえまったくの無策というつもりもない。戦闘になった場合を考慮して簡単な打ち合わせを済ませ、彼らは今度こそそこへ踏み入った。
 すると待ちかねていたかのようにぼろ切れが動く。
 風もないのにふわりと一斉に浮かび上がり、枝々から離れて地に落ちた。次に生い茂る枝葉の切れ間から縄が垂れ落ちる。
 それは身構えた少年たちの前でぼろ切れに絡みつくと、『首』をつくって中空に吊り上げた。
「縁起の悪ぃてるてる坊主だなオイ」
 スカルの舌打ちに呼応するようにそれらは、やはり風もないのに左右に揺れた。
 その下から手や足は見当たらない。しかしまるで中に付属肢をもつ生き物でも入っているかのような膨らみがある。
 形態の変化はおそらくこの異形の威嚇か警告なのだろう。彼らは目のないはずの頭部から視線を感じていた。
 けれど足を止めるとそれ以上の変化は無い。様子を窺っているのはあちらにしても同じのようだ。
 その証拠に、小さな葉擦れの音に混じってひそひそと幽かなささやき声が聞き取れた。それが『縁起の悪いてるてる坊主』から発せられていることは明らかだった。布に覆われた頭部の口と思わしき部分が発声に合わせてべこべこと収縮をくり返している。
「ひっ……」
 クイーンの引きつった短い悲鳴が寒々しく響いた。
 その間にも異形たちはささやき交わしている。
 ――ニエだ――ニエが来た――聞いてない――どうする――わかんな――追い返す――待て――みもろの主さまに――ねえ――もっと深くすべきだった――待ってられない――待て――ま――足りてない――まだ――おなかすいた――介添人は――それより――にえ――まずいぞ――封印――ねむい――怒られる――飽きた――足りてない――ねえってば――ぼくたち動けないのに――どうするの――まずいよ――足す――封印――知らない――……
 こういう反応は予測していなかった。てっきり襲いかかってくるかと思いきや、この邂逅は予期せぬものだったらしい。会話からは戸惑いが汲み取れる。
 さりとてその雑然とした中からはいくつか予想できていた単語も拾い上げられる。
 ニエ―――間違いなく増髪を指した単語だろう。おまけに言葉を話すとなれば、吸収に値する神格である可能性も高い。これ以上増髪にそれを行わせるわけにいかない以上、怪盗たちにしても迂闊な行動は控えたいところだ。
 となれば予め定めた通り、吊り下がる異形たちは無視して鎖の破壊を最優先にすべきだ。
 いつもの如く、フォックスが先陣を切ってぶら下がる異形たちの間に踏み込んだ。石畳を中央に、右手に五つ、左手に七つ。その向こうにある鎖のみを目指し、疾駆する。
 ――あっ――やだ――なんで仮面してるの?――くるな――
 異形たちは躰を揺らして進路を塞ごうとするが、右をクイーンが、左にスカルが入ってこれを叩き返した。
 ――きゃあ――なんで仮面――いたい――
「いちいちうるっせぇなこいつら!」
「よかった、殴れる……!」
 心底から安堵するクイーンはさておき、フォックスは身を屈めることさえせず堂々と突き進んだ。
 吊り布は振り子のように揺れてなおも阻止せんと立ち塞がる。
 しかしこれは足元から吹き上がる突風が散らした。フォックスの足元には付き従うように猫が並走している。
 ――バラバラになる――あっ猫――つかまって――
「猫じゃねーよッ!」
 重奏のようなささやき声から想像はできていたが、めくれ上がったぼろ切れの裏には紫色のカメムシに似た生き物がびっしりと貼り付いていた。どうも群体めいた性質を有しているらしい。
 具体的な総数を読み取ったナビの悲鳴をBGMにフォックスは空間に空いた穴とそこから伸びる鎖に迫るする。口元には酷薄な笑みがあった。
 このまま一刀両断となるかと思われたが、抜き放たれた刃が鎖に触れる直前、新たなぼろ切れが四、五体、頭上から現れて攻撃を防いだ。悲鳴と思われる複数の耳障りな高音が重なり、ぼろ切れの下からは虫たちがぽろぽろとこぼれ落ちた。
 それでもフォックスの一閃を受け止めたぼろ布は堅く彼の刃先を掴み、押しも引きもできないほど強く捕らえている。
 ――どうだ――まいったか――
 勝ち誇ったささやき声がフォックスの耳元でする。くすぐったさと背筋が粟立つ感覚に目を細めながら、それでも彼は笑みを湛えたままでいる。
「悪いが俺は媒鳥だ。本命は―――ぬあっ!?」
「ごめんあそばせ!」
 意地悪げな笑みは直ちに崩された。三歩遅れて影を踏んでいたノワールが彼の本体を踏んで跳び上がった。
 その手には当然、刃厚のある斧が携えられている。
 振り下ろされた刃は間違いなく太い鎖を捉えたが、鈍い音が響くのみだ。傷は入ったが、両断とはいかなかった。
「く……増髪!」
「はい!」
 呼びかけに、ノワールのさらに背後から増髪が現れる。その背後で炎が揺らめいているのは動きに気が付いた他の個体が歩みを押し止めようとしたのをパンサーが炎でもって追い払った跡だ。
 身を低く屈めた増髪は一足飛びに踏み込むと、下方からノワールの付けたへこみを狙って円柱を叩き込む。鈍い音とともに鎖はたわみ、ジャラジャラと音を鳴らして激しく揺れ動いた。
「あっ……」
 悄然とした声が増髪の喉からこぼれ落ちた。鎖はまだ、辛うじて繋がっている。
 よくよく見れば船舶の係留等にも使われるリングの中央にスタッドが入れられているタイプだ。衝撃による変形にはめっぽう強い。
 増髪は歯を噛み鳴らしてさらにポールを振り回した。これは鎖を狙ったものではなく、フォックスの武器を捕らえて放さない吊り布を狙っている。
 ――いたっ――退散――どうしよ――
 どれほど虫がこぼれ落ちようともささやき声は変わらない。舌っ足らずで甲高い。幼い子どものようにも思える。
 なんにせよ、初撃で断ち切れなかった場合は退くと定めてあったから、フォックスたちは転がるようにその場から後退した。
 もう一度同じことができるかと問われれば、この場の面々では首を縦に振る者はいない。先の攻撃はほとんど不意打ちに近いものだからこそ可能だったのだ。
 さりとて、鎖はもはや半ば打ち壊されたリングの一つが辛うじて繋げているだけの状態だ。大きな衝撃を与えれば、それで解けてくれるだろう。
 勝利を確信した彼らには揺れる鎖の音がまるでルブランのドアベルのように聞こえていた。
 もちろんそれは気のせいどころか、現実は悪い方向へ加速している。
 広場への侵入には、つい今しがた少年たちがやってきた細い小径を通るしかない。長方形を描く四方はこれまでの風景と同様に竹林とやぶに覆われている。そして鎖の音は二つあって、一つは正面から。もう一つはその小径から近付きつつあった。
 言うまでもなくそれは≪刈り取るもの≫だ。
 忍び寄るものに気がついたらしい吊り布たちは訝しげにささやき合った。
 ――なにあれ――なかま?――あんなやつ知らない――誰――
「知らねえのかよ!」
 思わずとツッコんでから、スカルは頭を抱えた。そんなことをしている場合ではなかった。
 もう一度爆竹を試すかと視線をやった先で、吊り布たちはこれ幸いと鎖に集りつつある。修復か防護か、どちらにせよ行動を許せば破壊はより困難なものとなるだろうことは明白だった。
 かといって刈り取るものを放置するわけにもいかない。これ以上の接近を許せば全滅の恐れだってある―――
 ぞっと背筋を這い上がるものにスカルは蒼褪める。判断を求めてさらに見回した中に、彼の≪切り札≫は見当たらなかった。
 代わりに奇妙なものが映り込む。
 おそらく率先して力を使おうとしていたのだろう増髪を押し止めるパンサーの姿だ。彼女は唇を引き結び、形の良い眉をぎゅっとひそめている。まるでなにか重大な決断や悲愴な覚悟でも決めたかのような面持ちだった。
 再び背筋を這い上るものを覚えたのはスカルだけではなかった。今や増髪以外の全員がパンサーを注視し、穏やかでない様子をみせている。
 やがてパンサーはさっと一同を見回して告げた。
「みんな―――ごめん―――」
 増髪を捕まえていた華奢な手が離れ、細く長い脚もまた彼女から一歩遠ざかる。
「おい杏、まさか!!」
「よせ! やめろ……!」
 制止の声にも応えず、パンサーはただ申し訳なさを滲ませながらも己の仮面に手を触れた。
「……マジでごめん。許して……」
 なにが行われようとしているのか理解していない増髪だけがきょとんとしている。そのすぐそばで、高笑いも朗々と渡らせながらパンサーの半身が立ち上がる―――
「パンサーッ!」
 誰のものかも判然としない―――あるいは全員の悲痛な声に、轟音が被せられた。