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11:I've Got a Little Story
失意と疲労を引きずって辿り着いた少年たちを出迎えたのは、冷厳とした知性の瞬きだった。
かぐわしいコーヒーの香り漂う店内は薄暗く、普段ならつけられっぱなしのテレビも今は落とされ、お行儀よく沈黙を守っている。
大して広くもない店内の最奥に座していた彼女は、少年たちが全員店内に踏み入り、ドアが閉ざされるのを確認してから顎を上げて鋭い視線を彼らに投げつけた。
「説明してもらえる? どういうことなの?」
もちろんそれは、彼らの女王陛下こと新島真だ。
ただし彼女は怒っているわけではなく、不可解さからくる苛立ちに胃をやられかけているだけだ。睨むようになっているのは、こみ上げる痛みを堪えようとしてのことだろう。
それも当然のことだ。大きな試験の一つを終え、この上ない解放感に鼻歌なども飛び出しそうになっていたところに、『今日もう一度あっちに行ってみる』と朝方述べていた少年が新たに告げてくれたこと―――
『悪い、しくじった。ルブランに』
新島は、血相を変えて電車に飛び乗り、人目も憚らず大通りを駆け抜けた。
しくじったってどういうこと? 誰か怪我を? まさか、最悪のことがあったんじゃ―――
泣きそうになりながら飛び込んだルブランにはまだ誰も集合していなかった。店主の佐倉惣治郎も、集合や帰宅の報は受けていないという。それがまた、彼女の悪い想像を加速させた。
入ってすぐのところにへたり込んで涙を溢れさせた彼女を落ち着かせるのにずいぶんな苦労を支払ったとは、惣治郎の弁だ。
そういうわけで、カウンター越しに顔を覗かせる壮年の男もまた、少年たちを睨みつけている。
極めつけに、少年たちの背後で勢いよくドアが開かれる。激しくドアベルが打ち鳴らされたドアベルは、現れた少女の心地さながら少年たちを脅かした。
「みんなっ! 大丈夫なの!? 怪我とかしてないっ!?」
……奥村もまた、グループチャットに投げつけられた説明不足の集合号令にたっぷり悪い想像を膨らませてきたのだろう。全員が汚れていても五体満足で揃っていることに、ぽろぽろと涙をこぼしはじめる―――
「えちょ、うわ!? すいません!! ごめんなさい!!」
「ごめんね!? ごめん! ウチらみんな大丈夫だから! ねっ!?」
「ほ、ほら! モナ! いるぞ! 春が選んだハーネス、ちょー似合ってる!」
「わ、わー、そうだったのか! うっ、嬉しいなー! ありがとうな、ハルぅー!」
「竜司、二人に連絡を取ったのはお前だったな。なんと告げたんだ! 吐け!」
混乱を極める店内を鎮めたのは、他でもない店主の男だ。
彼は一人項垂れて青い顔をするに、
「お嬢さん、新顔かい。まずは座って休みな」と優しく声をかけてやった。
それで少年たちも我を取り戻してを座らせてやり、美味くとも刺激が強かろうと、コーヒーではなくお冷が彼女の前へ供された。
改めて落ち着きを取り戻し、坂本らはつい今しがたまで自分たちが見聞きした事の顛末を先輩たちに語ってやる。
モルガナの捕獲、猫又との戦闘、ホールドアップからの交渉、そして……
「あの猫さんが……そんな……」
奥村は沈痛な声を上げ、膝に座らせたモルガナをぎゅっと抱きしめた。
傍ら、新島は口元に手をやり、深く思案に耽る。
またも目撃を逃したが、あの大きな猫―――猫又大明神を名乗る彼までもが、の仮面に吸収された。
一度なればなにかの偶然と思われるが、二度目となると……
新島はモルガナに目をやると、静かな声で語りかけた。
「モルガナ、あなたは目撃したんでしょう。あの猫神が吸収される瞬間を」
「あ、ああ……」
「どう思う? 斃した神霊の力を吸収するなんて、まるで『彼』みたいじゃない」
彼女たちの対面、テーブルを挟んだソファ席で俯いて話に耳を傾けていたの、膝の上に置かれた拳がぴくりと震えた。モルガナの目にはそれは映らないが、しかし彼は気遣ってか、わずかに戸惑うような間をおいてから語る。
「たしかに、似ているとはワガハイも思う。吸収した相手の力を使うってこともな」
「そうね、それは私も思うわ。だけど、それは完全に彼と同じものなの?」
もしもそうだとしたら、つい先ごろ返り討ちにしてやったあの偽神めが背後で関わっている可能性があるのではないか。『彼』がそうされていたように、をはじめ、自分たちは再び謀略の盤面に、知らぬうちに配置されているのでは。
不安と不快感に彩られた瞳を見つめ返して、モルガナははっきりと首を横に振った。
「違うな。似ちゃいるが、同じじゃない。もしもコイツ……がアイツと同じだってんなら、そもそもワガハイが招聘されるはずがない。ラヴェンツァ殿はあくまでもワガハイたちのトリックスターを見守る者であって、他の誰かの面倒まで任されることは普通ないんだ」
ベルベットルームという不可思議な場所は、そういうルールに則ってトリックスターの旅路に力を貸すのだとモルガナは語った。
頷いて、新島は指先でテーブルを叩いた。
「となると……」
その瞳は、怒りでも苛立ちでもなく、厳然とした理性の光を湛えている。その前に嘘や偽り、誤魔化しは、おおむねほとんど通用しない。
「さん」
名を呼ばれて、ビクッと少女の肩が震えた。隣に座る高巻が心配そうに顔を覗き込んだが、彼女は決して顔を上げなかった。
「……無理強いはしたくないわ。でも、すでに二度、あなたは命を狙われている。多分この先もそうなるでしょうね」
「おい、真。言い方」
カウンターチェアに浅く腰掛ける坂本から指摘が飛んだ。彼は予めフォローに回るよう仰せ付けられていたから、これは新島の望みでもあった。
「う……だからね、あのね……」
怖がらせたいわけでも、脅したいわけでもないのと彼女は不器用ながらも懸命に訴えかける。
はかすかに顎を引いた。
「わ、わかっています。新島さんの仰っしゃりたいことは、わかります」
震えながら続けられた言葉は、彼女が新島と怪盗団の意図するところを正確に捉えていることを教えてくれた。
「私を助けようとしてくれているんですよね。わかります。だから、助けやすくするために協力をしろと求めている……」
「そう―――そうだね」
頷いて肯定したのは奥村だ。
「ちゃん、教えてくれる? まだ私たちに話してくれてないこと、あるんだよね?」
は素直に首を縦に振った。
しかしその口が言葉を紡ぐには、少しの時間が必要だった。精神的な状態もなによりだが、肉体的にも彼女はひどく疲弊していた。
新島は頬にかかった横髪を指先に引っ掛けて耳にやると、カウンターの向こうで難しい顔をする惣治郎に微笑みかけた。
「マスター、カレーとコーヒーをお願いします。この子、すっごくお腹空かせてるみたいだから、大盛りで」
惣治郎は少しだけ面食らったのか、眼鏡の下で二度まばたきをしてから、「あいよ」と気安く応えた。
は驚きと戸惑いも露わに新島と、奥のキッチンに脚を向けた惣治郎の背を見比べる。
「えっ、あの……」
「まずは食べて。あなたの場合、私たちよりずっと消耗が大きいんでしょう?」
でも、と戸惑うの様子に、奥村はぽんと手を打った。
「そっか。お話するのに、食べながらじゃちょっとお行儀悪いもんね」
恥じ入るように小さく頷いたに、そういうものかと感心したらいいのか、呆れたらいいのか。
どちらともつかぬ間に湯気の立つカレーとコーヒーがの前に設置された。食欲をそそる甘くスパイシーで、芳醇と呼ぶのに相応しい深みと重なりを感じる香りが少女の鼻腔をくすぐった。
すると耐えきれないと言わんばかりにの腹が鳴く。
彼女は両手で顔を覆い、この世の終わりもかくやと自らの肉体の仕出かしたことに絶望する―――
新島は思わずと吹き出して、肩を震わせてしまった。
「ふっ、ふふっ……ごめんなさい……ふふふっ、あはは……!」
「ちょ、真、笑いすぎだって」
「だって、んふっ、ふふふ……」
高巻からの苦言もなんのそのと言わんばかりに、新島の笑いは収まらない。
息の詰まるような緊張があっただけに、反動が大きいのだろう。恥じらうの姿はなにより、笑う自分自身さえもが今の彼女にはおかしくて堪らなかった。
馬鹿馬鹿しい。この姿をはじめに見ていたら、穿つ必要なんてないと解ったことでしょうに。そもそも、たった一つ、されど一つ。年下の後輩の扱いに困って慎重になり過ぎるなんてどうかしてたわ―――
新島は目尻に滲んだ涙を指先で拭い、改めてに食事を促した。
「あなたが食べている間は、こちらが喋るわ。それならいいでしょ?」
「えあ、ハイ……」
「さ、どうぞ、召し上がれ。ここのカレーは絶品だから、きっとあなたも気にいるわ」
笑顔の新島を、怪盗たちは不思議そうに眺めている。いったい全体、彼女はになにを聞かせるつもりでいるんだろうか、と。
の手がスプーンを握り、銀色に輝くその先端がルーに触れた瞬間、新島は核熱放つ爆弾を投下した。
「なにしろここは私たち―――心の怪盗団のアジトなんだもの。それなり以上のものが出てきて当然と思ってくれていいわ」
カウンターの向こうの惣治郎だけが苦笑する。あんまりハードル上げないでくれよ、と。
「ちょっ、真!?」
高巻は焦った様子で身を乗り出したが、新島は涼しい顔のまま、がスプーンを口に運ぶ様を眺めて楽しげにしている。
「もう隠す必要もないでしょ? ペルソナのことも知られちゃってるし、それに……一方的に秘密を明け渡せだなんて公平じゃないわ。取引をするのなら、フェアにいかなくちゃね」
そうでしょ?
微笑む彼女に、怪盗たちは彼女の実姉の影を見出してため息をつく。反論は誰にも思いつかなかった。
はそんな一同を眼だけで見回しながら、口の中のものを飲み下した。美味しいと歓声を上げたくなる気持ちも、この雰囲気の中では言い辛いと胃の中に押し戻される。
代わりにか、彼女は遠慮がちに問いかけた。
「……怪盗団って……去年いろいろニュースになっていた人たちだよね。それが、あなたたちだって? 本当に?」
「まーな」
坂本はちょっと自慢げに胸を張る。の瞳に羨望の色が垣間見えたのだ。やっぱり、こういう眼差しを向けられるのは悪くない。
しかしその一方で、高巻は物憂げに俯いている。
「ホントはあと一人いて……これで全員じゃないんだけどね」
そこに置かれた己の手を、よく磨かれた爪の先を睨みながら吐き出されたのは、どことなく寂しげな声だった。
は、次の一口を運びながら一つ頷いてみせた。もう一人いること自体はすでに把握しているとして。それ以上彼女がなにかを告げることはなかった。
カレーはまだほんの二さじ分しか減っていない。
「パレスについても説明してあるんだったっけ……じゃあ、そうね、改心事件の真相なんて、聞きたくない?」
新島が持ちかけるころには、気を利かせた惣治郎の手によって全員分のコーヒーとココアが用意されていた。
そのようにして新島が主となって語ったのは、昨年世間を賑わせた心の怪盗団の活躍と改心事件の裏側だ。
メディアを通じた情報しか得ていなかったは、その舞台裏に興味深く耳を傾けた。
そして、話は彼らの冒険の終わり、十二月の二十四日、クリスマス・イブに差し掛かる―――
大衆のパレスであるメメントスからオタカラを盗み出そうと最奥へ向かった彼らは一度、その歪んだ欲望から創り出された神格に敗れ、囚われた。
牢獄に繋がれた彼らは、人々の堕落ぶりに嫌気がさして、もういいや、なるようになればいいさと諦めもした。どうせかないっこないんだからと。
けれどただ一人、『彼』だけはしぶとく立ち上がり、不遜な態度を崩さないまま言った。
『休憩は終わりだ、さっさと出ろ』
そして彼らは優しさの欠片もない頭領に引っ張られるまま牢を出た。
そして―――
語られたことに、は最後の一口を飲み込んで感嘆の息をついた。
それは計算され尽くしたスパイスの調合や煮込み時間、野菜の大きさや米の炊き具合、それらすべてが調和したカレーなる完全栄養食に対する賛美であるのと同時に、頭の片隅に引っかかり続けていた記憶のピースがカチリとはまった心地よさからのものでもあった。
「そうか……ああ、そういうこと……」
感慨深げにつぶやく声を聞き取って、高巻は指先で毛先をいじりつつ首を傾げる。
「なにが? あ、まさか、バレてたとか……?」
「あ、いや。それは全然。ただ、紬が」
飛び出した名に、思わずと喜多川が反応する。
「立花さんが? 彼女がなにか言っていたのか?」
付き合いはなかったがクラスメイトだ。なにより、先に異界で耳にしたの悲壮な声はまだ彼の耳にこびりついている。
けれど、が語ったのはそういった深刻なエピソードではなかった。
「その、去年のクリスマスイブに、渋谷で白昼夢を見たって言っていたんだ。骨みたいなものに街が覆われて、血の雨が降って、地獄みたいになってたって。そしたら、そこに怪盗団が現れて……なんかでっかいのをブッ飛ばしたって」
さっきの話の通りだよねとわずかに興奮した様子で一同を見回す彼女に、双葉は然りと頷いた。
「それ、現実™。夢じゃない。ほとんどのやつはあんときの出来事忘れてるけど、ちょいちょい憶えてるやついるから、のおさななじみもそれだろうけど……これ、偶然かー?」
腕を組んで低く唸る彼女の前にも、カレー皿が置かれている。少し遅めの夕飯としてつい先ほど要求したものだ。隣に腰掛ける坂本と、更にその隣の喜多川の前にも同じく、大盛りが供えられていた。
喜多川はとっくに空になった皿を名残惜しげに一瞥してから、再びへ向き直り、語りかける。
「偶然などではないだろうな。関わりはある。そうだろ?」
「どうしてそう思う?」
食後のコーヒーに伸ばされかけていたの手がわずかに震える。
喜多川もまた、コーヒーに手を伸ばしつつ淡々とわけを述べた。
「すべての始まりではないが、君に関する一連の出来事は立花さんの神隠しに端を発しているとみていいだろう。だが、君の言動は不自然なほどその自覚や知識を欠いている。これはつまり、根本的な要因は君にではなく、立花さんのほうにあったということではないか……当て推量だが、なかなかいい線をいっているんじゃないか?」
悪魔のように黒い液体を一口すすり、喜多川は挑戦的な眼差しをに投げかけた。
それは彼女の体力はすでに取り戻され、精神的にもある程度回復したと見てのことだった。彼の見立てでは、単純なタフネスという意味でなら、この少女は己や坂本にも引けを取らない。
果たしては苦笑して、彼の言に応えてみせた。
「お見事。―――と言ってあげたいところだけど、実際には私にはそれが正解かどうかさえ解らないんだ」
背すじを伸ばした少女は俯くことなく、怪盗たちに相対してみせた。
「少し、長い話になるかも。時間は大丈夫かな」
古ぼけた時計が指す時刻は八時を過ぎている。彼らは一様に頷いて返した。
「あのとき……高巻さんと双葉ちゃん以外には一度直接お話したね。冬休みの最初の日……紬と異界に迷い込んだときのこと」
立花の祖母の家にまでたどり着いてやっと異変に気がついた少女たちは、やがて異形に遭遇する。
そしては一人、幼馴染の親友を置き去りにして逃げ出した―――
かつてそのように語った口で、はそれらを否定する。
「本当は、逃げたりなんかしなかった。逃げなかった。だけどそれは、望んでそこに留まったというわけじゃなくて、ただ恐怖に足がすくんで動けなかっただけ……」
指先が白くなるほどカップの取っ手が強く握られる。黒い水面にいくつもの波紋が浮かび、映り込む彼女の顔を歪めていった。
唇からは苦渋に満ちた声が漏れ出る。
「紬は、私を逃がそうとしてくれたんだと思う。今なら解る。たぶん紬も、あなたたちと同じような力を持っていたんだ。私にはなにが起きているのか見えなかったけど……だけど、私を庇いながらだったせいなんだろうね、紬は、よくわからないけど……なにかに捕まって、そのまま姿を消してしまった……」
だから、生死さえも不明なのだと、少女は唇を噛む。
それを眺めながら、怪盗たちは各々己の見てきたものを胸に返して納得する。
そのような経験があったからこそ、彼女は息せき切らして高巻を救い、無茶をしてでも怪盗団の本懐に倣い、友人を探す手伝いを快く引き受けたのだ。
だけどじゃあ、どうしてあんなに自分たちとの接触を拒んでいたんだろう―――?
湧き上がった新たな疑問に答えるように、は更に言を重ねる。
「それから、声が。たぶん紡を消したものの声が聞こえてきたんだ。紬を返してほしければ、試練を乗り越えろと」
「試練?」
誰にともないおうむ返しに、は律儀に頷いてみせた。
「それは六つあって、無事すべてを果たせれば紬のところに案内すると言われたんだ。だけど内容は告げられなかった。はじめは、転校のことなのかなとも思ったけど……」
「違っていたのね」
「はい。すでにお話した通り、転校してすぐ、何度も異界へ入り込むようになりました。だから、あっちに関わるなにかなんだとは思います」
新島は腕を組んでふむと唸った。
試練を突破しろと言う割にその内容を告げないとは、どういう意図があってのことだろうか。これでは彼女が試練に気がつかず、目の前にして立ち去ってしまう可能性さえある。不可能難題を前に右往左往する様を眺めて楽しもうとでもいうのだろうか?
―――おそらく。と新島は胸の内で述べる。
試練とはおそらく、先に斃した蛇や猫の神格のことを指しているのだろう。そしてその吸収こそが突破を示すと、新島は睨んでいる。
しかしそうだとしたら、ますますこれを告げないというのは不可解だ。
どちらも対峙に際して彼女以外の面々が揃っていなければ、戦いに発展したかも怪しい。なにより彼女単独では、決して敵いはしなかっただろう。
やはり、初めから突破させるつもりのない試練だとでもいうのだろうか。
(それとも、私たちが彼女に協力することさえも織り込み済みだった……?)
気がつかぬうちに眉を寄せていた新島は、しかし続けられたの言葉に推察を打ち砕かれて目を見開いた。
「それから声は、邪魔をする人が現れるとも言っていた。これもはじめはあのうろついてる化け物のことかと思っていたけど……」
「私たちのことを指しているかもしれないと?」
新島は思わずと前のめりになってしまう。ますますわけが解らないと、にではなく、その声の正体とやらに対して顔はしかめられている。
これには申し訳なさそうに縮こまる。
しまったまたやってしまったと新島が舌先を噛む傍ら、モルガナもまた難しい表情を浮かべている。
「そういや、ワガハイもそんな話をされたな」
「あー? 誰にだよ」
口にものを入れたまま返した坂本にあちこちから咎める視線が飛んだ。
モルガナもまたその一つだったが、今はいいやと諦めて、両前足をテーブルの上にそっと置いた。
「ラヴェンツァ殿は、ワガハイにこうも仰ったんだ。コイツ……には可能であれば接触するなと。アイツを捕らえた連中は、どうにもワガハイたちを、と接触させようとしている節があるからと。その理由までは突き止められていないとのことだったが……」
「んんん? なんで? どういうこと? さんはウチらが邪魔するかもって聞かされてんだよね?」
矛盾してない? と首どころか上体を傾ける高巻の瞳には、もはや溢れてこぼれ落ちそうなほどの疑問符が浮かべられている。
その間に、坂本は惣治郎の短いが厳しいお叱りを頂戴していた。彼は口の中をお冷ですっかりきれいに飲み下してから、一同に向き直る。
「でも、俺ら今んとこの助けにしかなってねぇよな? 邪魔とかしたっけ?」
「いや、全然。そもそも君たちがいなかったら、私はたぶんとっくに……」
生きてはいまいとは身震いする。
「じゃあ、誰かが嘘をついているってことになるね」
そう告げた奥村の前にはコーヒーだけが置かれている。
膝の上のモルガナは断然とした様子で応えた。
「ラヴェンツァ殿が嘘をつく理由はないぜ。主の意向は解らないが……なんにしたって、あのお方たちがアイツを、ひいてはオマエらを必要以上に不利な状況に陥らせることはありえない。多少の課題くらいは出すだろうが……それだって結果的にはワガハイたちのためになることだ」
「愛されてんな、わたしら」
双葉は嬉しくなさそうに顔をしかめ、カウンターチェアから下ろした脚をぶらぶらと揺らした。
それは惣治郎の死角だったからかお叱りが飛ぶことはなく、彼女は続けてを指差して述べる。
「ま、この場合どう考えたってを脅してるやつがうそついてんだろ」
そりゃそうだ、と子どもたちは頷きあった。
悪辣なやり口と辛辣な方法とでは、同じ試練を与えるにしても印象は大きく違う。まして前者には不透明な部分が多すぎる。
であれば、と喜多川は顎をさすりながら推察を並べた。
「初めから俺たちとさんは接触するよう仕組まれていたということか?」
「確証はないけど、おそらくは。さんが虚偽の情報を吹き込まれていたのは、その上で猜疑心を抱かせようしてのことだとすれば辻褄は合うわね」
「そんなとこだろなー。そんで、バッチリむこうの思い通りになってたってわけだ」
双葉はチラリとを一瞥して、意地悪そうな笑みを浮かべてみせた。責めるというわけではなく、ただ単純にからかうつもりでいるようだ。
とはいえ、今のにはそれに応えてやる余裕はない。彼女は項垂れて、きつくまぶたを閉じると謝罪を口にする。
「……黙っていて、すみませんでした。皆さんのご厚意を利用するような真似をしていたことも、認めます。本当にごめんなさい」
少年たちは顔を見合わせてどうしたものかと唸った。
誰も彼女の行いに憤っているわけではない。
彼女が被害者であることは明らかだったし、ここ二週間ほどの交友から、彼女が悪人ではないことも解っている。
それをどう伝えたらいいものか、と言葉を探すための沈黙が店内に満ちた。
けれど真っ先にこぼれ落ちたのは、新島の怒りに満ちた一言だ。
「許せないわ」
冷ややかで厳然とした言葉をは当然のものとしてうけとったのだろう。謝意を伝えようとますますこうべを垂れる。
「ですよね……ごめんなさい……」
しかしその謝罪に、新島はキョトンとした顔で慌てて両手を振った。
「へっ? あっ、いえ、違うのよ。あなたのことじゃないの」
「へぇ」
なんだか時代劇に出てくる下っぱのような奇妙な相槌を返して、はまばたきをくり返した。
まるで寝ぼけた子どものするような仕草だ。新島はくすっと小さく笑った。
「要するにあなたは脅迫されて異界で戦うことを余儀なくされていたんでしょう? これは立派な強要罪だわ。それもむこうは立花紬さんを人質を取っている。もしも相手が人間なら、たとえ未遂でも重い処罰が下されるような刑事事件よ」
「は―――」
「おまけに犯人は立花さんだけじゃなく、私たちのリーダーを捕らえているみたいじゃない」
再び、新島の瞳が怒りに染まる。
つまりはそういうことだった。
の幼馴染を消し、またそれを人質に彼女を異界へ引きずり込んだ輩は、同時に怪盗たちの頭目を捕えて封じている。
その何者かへ、新島は―――ひいては怪盗団の面々は、強い憤りを覚えている。
双葉はパチンと指を鳴らして椅子から飛び降り、声を張り上げた。
「それな! なーにやってっだあいつ!」
方やカウンターにもたれかかった喜多川は、どこかうんざりした様子をみせる。
「この際発端があいつであっても俺は驚かんぞ」
その隣の坂本は、彼の発言を受けて大袈裟にかぶりを振った。
「やめろよ、マジでそれっぽいじゃん。いやマジで」
高巻もまた、苦笑してみせた。
「持ってんだよねぇ……なんかそういう、ヤバいの引っ張ってくる運みたいなやつ」
その対面のモルガナと奥村は、互いに顔を見合わせてちょっと気まずそうに目を伏せる。
「そのおかげでここに居られるフシがあるから、ワガハイは文句も付け辛いんだけどな……」
「あはは……私も、あんまりどうこうは言えないかな……」
この場に集う面々をかつてまとめ上げて酷使したリーダーという少年は、たいへんな極悪人であった。
なにしろ比喩ではなく、人の心に土足で踏み入り、好き勝手に暴れ回った挙げ句に宝を盗み出していた。
少年たちの様子からそんな怪盗団の長の姿を垣間見て、は目をぱちくりとさせる。
「なんか、すごい人なんだね?」
「ああ……なんというか……そうだな、うん。すごいやつだよ」
いろんな意味で。それは良い意味でも、悪い意味でもある。
応えた喜多川に、はますます不思議そうにまばたきをくり返した。
そんな二人のやり取りを薄目で眺めつつ、新島もまたため息をついた。その手にはスマートフォンが握られており、一枚の画像が表示されている。
癖のある黒髪と伊達らしい眼鏡で目元を隠す少年が、こちらに向かって照れくさそうに笑っていた。誰も何故彼女がそんな写真を大事そうに保存しているのかは指摘できなかった。
「紹介しておくわ。『彼』は私たち―――怪盗団の頭領よ」
は黒髪の少年の姿を目に焼き付けるようにまじまじ眺める。
怪盗団のニュースを目に耳にするたび想像していた怪盗の姿とは、少し違っている。どこにでもいそうな、普通の少年だ。
それはこの場に集う面々にも言えることだろうが―――
その普通の子どもたちは再び顔を見合わせて、言葉を探している。
「うーん、それじゃあ、なんて言ったらいいのかな……そうね、私たちにもメンツってものがあるのよ。怪盗団のことを話題にする人もかなり減ったわ。実在を疑う人のほうが今はもう多いでしょうね」
「オワコン化著しい」
「そんなもんだろ。ムカつくけど」
「別にいいじゃない。忘れ去られたとしても私たちはここに実際いるわけなんだし」
けれど。だからこそ。と奥村は穏やかに微笑んだ。
「舐められるわけにはいかないんだよね。たくさんの人の口頭に上がらなくなったからといって、怪盗団が存在していたという事実は消えないんですもの」
私たちの成したことの意義と意味。そして今も獄中に繋がれることを自ら選んだ『彼』のためにも―――
「泥を塗られた上に、利用されるなんてまっぴら」
そうだよね? と一同を見回す奥村の愛らしい顔には、発言に反して優しげな笑みが湛えられている。
その笑顔は彼女の仮面の一つだ。内に隠した脆く柔らかい年ごろの少女らしい、か弱い一面を厳重に守る盾と鉾。
頷き返した少年たちの誰にもそれに心当たりがあった。
本音を言えば、またぞろ厄介なことになったと怖気づく気持ちが無いわけではない。怪我をすれば痛いし、敵意と害意を向けられればそれだけで充分恐ろしい。
しかし先に新島が語った通り、メンツというものがある。
怪盗団という存在は、その概念は、すべての人々に反逆と反撃を行っていいのだと知らしめるために存在するのだから、ここで黙ってやられっぱなしでいるわけにはいかなかった。
「ええと……つまり……」
にわか期待に瞳を輝かせはじめたに、彼らは力強く頷いて返した。
「ウチらのリーダーもなんかお世話になってるみたいじゃん? 売られたケンカは買ってやらなきゃね!」
高巻は片目をつむってみせた。
怪盗たちは再び、揃って首を縦に振る。
きっかけがにせよその幼馴染であるにせよ、頭目に手を出された時点で彼らがすべきことは決まっていた。
「さて、さん。今さら言うまでもないだろうが……」
「今後トモヨロシク!」
両手でサムズアップしてみせた双葉は、また高らかにファンファーレを口ずさんだ。
『 が なかまになった!』
それも今さらだ。もとより彼女は、立ち向かうために必要なものをすでに怪盗団から受け取っている。
……
少年は心地よいまどろみの中にあった。
暖かな羽毛布団に包まれ、夢と現実の狭間をクラゲのように漂う幸福に浸かることはこの上ない幸福と思える。
ふと、鼻先をかすかに甘い香りがくすぐった。同時に己のそばに誰かが佇んでいる気配―――
それは優しく少年に触れ、まるでゆりかごにするように穏やかにその身体を揺さぶった。
「起きて……起きて……」
聞き覚えのある声だったが、眠気に支配された頭はろくに回らず、それが誰の声だったのかを少年は思い出せない。
ただ、警戒するような相手ではないことは確かだ。
そのことに安心感を覚えた彼は、心地よいまどろみにしがみついて甘えた声を出す。
「ううん、あと五分……じゅっぷん……一時間……」
この快適さの中でなら一日中だって眠っていられると彼は思う。
なんなら、この優しい声の持ち主も隣に寝そべってくれればいいとも。それはきっと、世にある数々の黄金や宝石を手中に収めるよりずっと幸福なことだろうからと。
少年は気配に向けて手を伸ばした。
自分を起こそうなんて無駄なことは一刻も早くやめさせて、この腕の中に閉じ込めてしまおう。彼女も口先でこそ嫌がったって、きっと本心ではない―――
伸ばそうとした手はしかし、冷たく硬い感触に阻まれた。なにかが彼の手首を捕えて固定している。耳には金属同士が擦れあう耳障りな音が飛び込んだ。
「起きなさいっ!」
同時に耳元で怒鳴りつけられて、彼は一気に覚醒した。
突然冷水でも浴びせかけられたかのように混乱して、悲鳴を上げもする。
「うわああ! なにするんだよ母さん! そんなに乱暴に起こすことない―――」
彼は混乱の極みにいた。
心地よい夢を中断させる意地悪な輩なんてものは、彼にとっては母親か、あの黒猫以外には存在しないから、そのどちらかだろうと思って睨みつける。
薄暗い場所だった。ぬくもりは覚醒とともに霧散し、冷ややかな空気が彼を出迎えた。
それはまた彼の焦点が合うとともに、厳しい現実―――に限りなく近い夢―――を教える。
「ごきげんよう、トリックスター」
目の前で微笑んでいたのは、銀糸の髪を腰より長く伸ばした、蒼いワンピースの少女だった。
どこからどう見たって猫でも、ましてや彼の母親などでは決してない。
「……うあ……あああ……」
少年はうめき声を上げながら脚をバタつかせようと試みたが、足首には太い鉄の輪が絡まって冷たい石壁に固定していた。手も同じような状況だったから、彼は恥じらいに赤くなる顔を隠すことさえ叶わない。
少女は、どこかうっとりとした様子で彼に語りかける。
「落ち着いて下さい、トリックスター。大丈夫です。私、あなたに母と間違えられたことに恍惚とした気持ちを抱きました」
「忘れてくれ……」
「うふふ。この胸がキュッと締め付けられるような心地よい切なさ……とても忘れられそうにありません」
勘弁してくれ、と少年は項垂れた。首を上下左右に動かす権利くらいは、壁に無数の鎖と錠で縫い付けられた少年にも許されている。
少女はそんな彼の様子を眺めてはくすくすと喉を鳴らし、肩を震わせた。
「……なにしに来たんだ……」
誤魔化すように長い前髪の下から睨みつけると、少女はやおら背すじを伸ばして笑みを消し、きりりと表情を引き締めた。
「救出に来ました」
「珍しいな。直に手を差し伸べるなんて」
「それだけイレギュラーな事態ということです」
「そうか」
「ええ」
頷きあった二人の間に、沈黙が降り落ちた。
少年の身は、バツ印を描くように壁に貼り付けられている。両手両足をそれぞれ太く頑強な鉄の輪で直に壁に繋がれ、さらに同じく壁から伸びた鎖が首と胴、それから膝にいくつも絡まり、錠によってわずかな隙間さえなく締めつけられている。
彼は先の通り、首を上下左右に動かすくらいはできるが、それ以外の身動きは一切を封じられていた。
少年の視線の先、少女の背後には扉が一つ。小さなのぞき窓があるきりの、こちら側にはドアノブさえ見当たらない一枚板の戸だ。
部屋は四畳ほどの広さだろうか。四方の壁はいずれも石壁で、天井は木枠によって支えられている。足元は畳が敷かれているが、目は荒れて毛羽立っている粗末なものだ。
どうしてあんなに心地よい夢を見ていられたのかが不思議に思えるような状況だった。
そこに、救出と唱える少女がやってきた。少年は、彼女が動き出すのをじっと待ったが、しかしいくら待っても彼女は少しも動き出さない。
「……助けてくれないのか?」
ついに焦れてそう尋ねた彼に、少女はやっと困り顔を浮かべる。
「そうしたいのは山々ですが、想像以上に厳重に拘束されていたもので……」
ああ、と相づちを打つ。少年にはそのわけに心当たりがあったのだ。
「一度枷を外したからだろうな」
「まあ、さすが私のトリックスターです」
瞳を輝かせて憧れとも恋慕ともつかない眼差しを向ける少女に、少年は皮肉げな笑みを浮かべて返した。
「けどドアを開けるのに手間取ってるうちに眠らされて、このザマだ」
「趣味ではなかったのですね。安心しました」
「解けない拘束は好きじゃない」
鍵も謎も、人の心も、解いて中身を頂けるからこそだ。そうでないもの……はじめから開け放たれているものや、中身が粗末であるなら、興味はない。
そう主張する少年に、少女は深く頷いてみせた。
「お好きではあるのですね」
その納得のされ方は納得できないと訴えようとしたが、それはまた次の機会にしようと彼は動けない身体を捩らせる。
「助けてくれないのか?」
長いまつげが悲しげに震える。
「手持ちの道具では、難しいかと」
「チェーンソーはどうした」
「あれはベルベットルームの備品です。無断で持ち出すのは心苦しいですし、なにぶんかさばりますから。潜入には不向きと置いてきてしまいました」
「他には?」
「そうですね……」
と、少女は後ろをふり返った。
するとどうしたわけか、その小さな身の影には決して隠れないであろうサイズの物質が鎮座しているではないか。
「こんなものくらいしか」
少女が手をかざすと、冷たく輝く鋼鉄の身体がきしんだ音を立てながら左右に裂ける。覗いた暗闇の中は無数の針に覆われていた。
それが鉄の処女と呼ばれる中世の拷問器具であることくらいは、まだ少し寝ぼけた少年の頭でも理解できる。
問題は何故これがここにあるかだ。
「それ、チェーンソーよりかさばるよな? というか、それは備品じゃないのか?」
「これは私の私物です」
再び少年を振り仰いだ彼女は、どうしたわけかどこか自慢げだった。
なんにせよ、彼女の私物では鎖も鉄の輪も、錠さえ破壊することは不可能だろう。錠前くらいはと思わなくはないが、そんな器用さが果たして彼女にあるだろうか。
―――あったらとっくにやってくれてるはずだ。
少年は脱力し、せめて退屈しのぎくらいにはなって欲しいと願いを込めて、問いかける。
「ここはなんだ?」
果たして彼女はそれに応える。
「ここは夢と現の間、どこでもないどこか―――けれど、かつてあなたが囚えられていた牢獄とはまた別の位相にあたる空間……昼と夜、現世と常世、自己と他者、あらゆるものの境界線上に、あなたは再び囚われたのです」
ただしその言葉は彼をうんざりさせたようだ。天井に浮き出たシミを睨みながら、彼はこの上なく嫌そうな声を上げる。
「またか……」
そう言われて見下ろせば、その身を包むのは部屋の様相に相応しく薄汚れた黒と白の横縞だ。
少女はなにが楽しいというのか、またくすくすと笑声をもらす。
「ええ、『また』です。きっと何度でも、あなたは囚われることになるでしょうね」
「脅しに来たのか?」
「まさか」
笑って、少女はその場に腰を下ろした。手にしていたぶ厚い本を尻に敷いて椅子代わりに。
それは大事なものなんじゃないのか―――
咎めようとする少年は、ふとあることに気がついて眉をひそめた。
「力は使えないのか? それでこの拘束を破壊できれば」
「では、トリックスター、まずはあなたのペルソナを見せてください」
「え……」
言われて、彼は初めて己もまた力を使うことができるのだと思い出す。
そうだ、どうして忘れていたんだろう。こんな鎖、ペルソナの力を使えば一息でバラバラにできるはずだ。
しかし、どうしてか、彼には『力の使い方』がどうしても思い出せなかった。
「あれ……なんで……」
「この部屋に施された封印のせいです。おかけで私も、すっかり力の使い方を忘れてしまいました」
それじゃあなんのために来たのか分からないじゃないか。
指摘をぎりぎりのところで呑み込んで、少年はゆるく首を振った。
「本当は、ここへたどり着くころには封印も解かれている算段だったのですが……彼のほうはまだシゴトを終えていないようですね」
ふう、と小さくふっくらとした少女の唇から、物憂げな吐息がもれる。
少年はまた、うんざりだと言わんばかりに顔をしかめた。もともと悪い目つきは凶悪ささえ湛え始めるが、少女は少しも怯えたそぶりを見せない。
「どういうことなんだ。一から説明してくれ」
「そうですね……時間はたっぷりありそうですし……うふふ、まるで千夜一夜物語のようですね」
「寝ていいのか?」
「まあ、また寝顔を見せてくださるのですか?」
「勘弁してくれ……」
恥ずかしい一幕を思い返されて、少年は顔を伏せる。
それも、彼女の低い視点からは意味のないことだ。
最上の特権を与えられた少女は、穏やかに微笑んで彼を見つめると、夢見心地な口調でゆったりと語り始める。
「ふふ……さて、そうですね、どこからお話いたしましょう。そうですね、まずは世界がただの白い液体だったところから―――」
「もうちょっと最近のところからにしてくれ」
創生の神話から語られてはたまらんと、少年はぐったりしながら訴えた。