10:Once First and Receive it From Him

 猫又は戦闘態勢を取った子どもたちを顎でしゃくり、なにかを促すように短い尾を揺らした。
 ―――初手はくれてやる。
 瞳がそう語っているのを見て飛び出したのは当然、スカルだ。増髪以外はこれを承知していたから、さして慌てることなく猛然と武器を振り上げた彼に追随する。
 紫電を纏った一撃は巨大な猫又の鼻柱を捉え、閃光を撒き散らしながら振り抜かれた。
 追ってパンサーの鞭が外から脚を絡め取り、フォックスの白刃がすり抜けざまに胴を斬り裂いた。いずれの一撃にも炎と氷が後を追うようにつき、猫又の肉体を焼き焦がし、氷結させる。
 しかし―――
「ぬるいわ!」
 猫又が咆哮を上げると、ただそれだけで少年たちとまとわりつく炎や雷撃、貼り付く冷気は振り払われてしまう。
「手心が見える。舐められたものよの」
 フンと鼻を鳴らして不満げな様子を見せる猫又には傷一つ見当たらない。唯一鼻先がわずかに焦げ付いているが、それだけだ。毛先を焦がすどころか切り落とすことさえ叶わなかった。
 吹き飛ばされた少年たちは、各々無事に着地すると、猫又よりよほど不満げな様子で言い返す。
「てか! その見た目だよ! やりづれぇんだよ!」
「ウチらだってホントに戦いたいわけじゃないんだから!」
「頼むから服は破ってくれるな、もう替えはないんだ!」
 やたらと切実に訴えた者はさておき、再び睨み合う彼らの背後で黒猫は悔しそうにうめき声を上げる。
「くう……すまんがワガハイ、このカラダじゃほとんど戦力にはなれねぇ……」
 猫の身では武器を握って前に出ることはかなわない。力不足を実感して歯を噛んだ彼に、スカルの叱咤が飛んだ。
「ンなこたわあってるよ! 援護くらいはできんだろ、バカ猫!」
 それはもちろん。ペルソナが使える以上当然のことだ。猫は目を見開き、尾をピンと立ててスカルに言い返した。
「当たり前だろ! そんなことも言われなきゃわからんのか、このバカスカル!」
 再び猫又に向かったスカルから「うるせぇ!」と返るものがあったが、さらに噛み付くより前にナビが割って入った。
『イチャついとるばあいか! モナ、わたしの上に!』
「誰と誰がだよ!?」
 牙を見せて怒鳴りながら、モルガナはナビとともに中空に浮かび上がった。
 一人取り残された増髪はしばらく口内でなにか呪いめいた懺悔の言葉をつぶやいていたが、やがて吹っ切れたのか彼女もまた戦線に踏み入った。
 とはいえ、その手にあるのはスチール合金の元手すりだ。鞭や鈍器、刃どころか激しい熱や冷気に、雷撃さえかすり傷一つ付けられない毛皮を前に彼女ができることは多くない。
 そしてそれは怪盗たちにおいても同じことだ。
 宙から衝突―――と呼べるほどのものでもない。猫又は爪さえ出さずに子どもたちを押し退け、ひらりと躱しては短い尾でつついている。
 まるで遊びたい盛りの子猫に弄ばれるぬいぐるみだ。
 そんな光景を見下ろして、ナビは頭を抱えたくなる心地をどうにか抑え込みながら目の前のスクリーンに指を這わせた。
 ―――いろいろカッコつけたことを言ったはいいが、正味な話、増髪のしようとしたことは最適解に近い。弱点らしい弱点も見つからず、やたらと硬くてすばやくて、無限に近い体力を有している相手など、どう相手取ればいいというのか。
『くっそ、こんなのチートだろ!』
 この場に『アイツ』がいれば、このイカサマめいた相手の強さの根っこを掴んでくれたりもするのだろう。
 毒づきながらも手と目はモニター上にすくい上げた無数のパラメーターを読み取り、並び替えては解を求めて動き回っている。
 諦めるつもりはなかった。
 同時にばかばかしいともナビは思っている。
 大して長い付き合いがあるわけでもない、思い入れがあるわけでもない相手のために頭を悩ませ、足元では仲間たちが使い古された雑巾のように振り回されているのだ。
 おまけに敵は、大恩ある猫又だ。
『ああーっ! もーっ!』
 ついに喚いて脚をバタつかせはじめると、半身までもがフラフラと揺れる。その上からせっせと援護を行っていたモルガナにとってはたまったものではない。
「コラぁ! 集中しろナビ!」
『いったぁ!』
 輝く不明金属のボディであっても、それは彼女そのものなのだから猫に爪を立てられればそれなりに痛みもある。
 ナビは悲鳴を上げて非難するが、しかしモルガナのお叱りももっともだ。この少女が集中できていたとは言い難い。
 彼女は歯噛みしながら再び地上へ目を向ける。
 するとちょうど、足元をすくい上げられて放り投げられたスカルが立ち上がり、飽きもせず突進しようとしているところだった。
 彼は呆れるほどのタフネスとパワーが売りの突撃隊長であるから、その立ち回りに今さらケチをつける気にもなれない。それにパンサーやフォックスに、モルガナのフォローもある。
 攻撃こそ通らないが、阻害は効いているし、こちら側の支援は問題なく使えている。
 つまりあの猫又も、本当に無敵というわけではない―――
 眉をひそめたナビの視線の先で、猫又は飛び込んでくるスカルに向けてチョイチョイと手招きするような仕草をみせた。
「あいたぁ!」
 途端スカルは見えないなにかに脚を払われたかのようにその場で前転し、顔面を地に叩きつけた。
『あ、念動攻撃』
「地味にいてぇ!」
 ちくしょう、と吐き捨てて立ち上がったスカルのそばに、フォックスと増髪が立ち並ぶ。
「どうするの」
「知らん。ナビに訊いてくれ」
「いてえよー、鼻がぁ……」
 スカルの鼻先に、無言で販促品らしきチラシの差し込まれたポケットティッシュが差し出された。どうやらどこかの駅前に新しくスパ施設ができるらしい。
 引ったくるようにしてフォックスの手からそれを受け取り、スカルはちらとパンサーに視線を送った。
 彼女はいくらか離れたところから油断なく猫又を睨みつけている。
 その高火力が通用しないとなると、搦手が必要だ。
 問題はそれがどういった手かさっぱりわからないという点だろう。
「あークソ、なんか猫又の弱点とか心当たりねぇの?」
 フォックスと増髪は顔を見合わせて唸り、やがて声を揃えて、
「遺体の枕もとに刃物を置く」と答えた。
「イタイってなんだよ! 誰も死んでねぇよ!!」
「そもそもわしはヒトのご遺体に悪さなんぞせんわい」
 猫又までもがスカルの隣から呆れた眼差しを二人に向けている。
 フォックスと増髪は互いに互いを指差して責任を押し付けあったが、結論が出るより先に猫又の腕が二人の間に振り下ろされた。
 地を抉る肉球から飛び退いて逃れた増髪を追って、猫又はあぎとを突き出した。大きな口からはそれに似合いの大きく鋭い牙が覗いている。
 増髪は咄嗟にスチール合金の棒を前に出し、己の代わりにとその口へ差し込んだ。
 ガチンと音がして合金が歪むが、増髪は構わず渾身の力を込めてこれを振り抜いた。
 力比べは一瞬のことだった。牙と腕と、間に挟まれた長物はすぐ軋轢に負けてへしゃげてしまう。
 増髪は咄嗟にそれから手を離して飛び退った。追って猫又は地を蹴り、彼女の腹や首を狙って腕を振る。
 その背後から怪盗たちが一撃を浴びせようと、彼は少しも構いもせず、執拗に少女を追った。
 退避という手もなくはなかったが、その猛追こそが選択肢を狭めている。
 何故彼女をそこまで―――
 猫又を下すことさえできればその答えが手に入るかもしれない。そう思うと、怪盗たちはなお意固地になってしまう。
「なんだってソイツばっかを狙うんだよ!」
 スカルは短い尾を手で掴み、少女の細い喉笛に喰らいつこうとしていた牙を阻止せしめた。
 忌々しげにふり返った猫又は彼をきつく睨みつける。
「知らぬのならそのままでよろしい。童が余計なことに首を突っ込むでない」
「ガキ扱いすんな!」
 戦いの最中、荒い語調になるのはパンサーの悪癖と呼ぶべきところだろう。撃ち込まれた炎塊が壁をつくり、猫又と増髪の間を隔てた。
 猫又はため息をつきつき、死角から逆袈裟に振り上げようとする刀を弾き返す。
「くっ……!」
 チョイと軽く除けられただけで大きく腕が持っていかれてしまう。しかし猫又は無防備にさらされた腹に一瞥もくれず、尾を振ってスカルの手を振り払った。
 その眼はやはりじっと、炎の壁のむこうの少女を見つめている。
 まるで相手にされない屈辱と、曲がりなりにも級友である少女の命を狙われて、フォックスは頭に血が上る感覚を抱いた。
 腕を引き戻して刃を鞘に収め、少年は怒りも露わに声を張り上げる。
「そもそもなぜ彼女を贄と呼ぶ! なにへの贄だというんだ!」
 それは八つ当たりに近い文言だった。
 ここまで延々、なにか秘密を抱いているらしい少女と異界の関係性、そこで出会ったあの蛇の神の言動―――募るばかりの疑問に反し、警戒させてはならぬと増髪にはなにも問わずに済ませてきた。
 フォックスとしてもそのことに不服はない。彼は多少人と違う感性を有していたとしても、紳士たる心得をそれなりに備えている。
 一方で彼は正義漢と表されて間違いのない人物だ。その自負もあったし、涼しげな見た目に反した中身を備えていると怪盗団の頭目からお墨付きを頂戴したこともある。
 そういう人物が、長々腹芸を―――それも味方や仲間と思える人物に対して、続けられるわけがなかった。内側に位置する相手だからこそ、誠実でいたいと思うが故の短気さだった。
 この点に関してはスカルのほうが危ぶまれがちではあるが、彼はそも増髪が隠し事をしていることにストレス自体を感じておらず、自覚さえなく極めて自然体のまま接している。それは誠実さを欠いているという意味ではなく、もっと単純に、深刻な事態を招くかもと想像さえしていないおおらかさの証だ。
 さて、猫又は繊細なほうの少年の焦燥感を鼻でせせら笑い、しかし和らげてやろうというのか、彼の問いにひげを揺らしながらたつきを与える。
「そりゃおまえ、ニンゲンが捧げられる相手など決まっとろうが」
 わずかな取っ掛かりから答えを想起するのに時間はかからなかった。フォックスはハッと息を呑んで目を見開き、喉を震わせた。
 もとより贄とはその年に収穫されたばかりの稲を指す。多く魚や鳥も含まれ、豊穣の祈りと感謝を示すため、神に捧げられる食物を表すための語だ。
 なんらかの暗示や隠喩ではなく、そのままの意味として、増髪は贄と呼ばれていたのか―――
 得心してすぐ、少年の胸には次の疑問が湧き上がった。
 だけどじゃあ、どうしてそれがあの子でなければならないんだ?
 猫又はこれには答えることなく、後ろ脚で地を蹴ってばね細工のように大きな跳躍をしてみせた。一メートルを超す体高から生み出される跳躍は少年たちの頭上を、炎の壁さえ軽々越え、増髪の眼前に着地する。
 その身体能力に驚き、増髪が硬直したのはほんの一瞬のことだったが、猫又にとっては充分な時間だった。
 彼は少女の胴より一回りも太い腕を前にくり出し、鋭い爪でもってその身を引き裂いた。
「許せ、娘―――」
 悲哀に満ちた声とともに少女は崩れ落ちるが、猫又はしまったと顔をしかめて彼女を見下ろした。
 細い胴を二つに裂くつもりでいたが、血こそ溢れても彼女はまだ生きているではないか。
 ―――手心はこちらにもあったか。これではなぶり殺しだ。
 猫又は慌ててとどめを刺してやろうと身を乗り出したが、同時にその巨体を覆うように影が落ちる。
「ニャーッ!」
 なんだ、と見上げた彼の直上に、黒い車体に黄色のラインが入った一台のバスが落下した。
 それがなんであるかを少年たちは把握している。
 増髪がくずおれたのを目にしたモルガナが咄嗟に宙に身を躍らせ、車に変じてボディプレスを仕掛けたのだ。
「やっ、やった! 変身できる!」
 しかしどうやら、モルガナ自身も己がこの異界ででもバスになれるとは思っていなかったらしい。
 なんとも分の悪い賭けだが、配当は高かった。
「増髪ッ! 治したげるからこっち見なさい!」
 圧し潰された猫又と重石と化したモルガナの脇を通り、駆け寄ったパンサーが増髪のそばに膝をつける。汚れるのも構わず引き裂かれた腹に手をやると、彼女の半身が現れてこわごわ傷口を覗き込んだ。
 固く目をつむった女神が手を振るとたちまち傷口はふさがり、跡一つ残さず消え去った。
 ホッと息をつき、パンサーはすぐに増髪の腕を掴んで立ち上がらせてやる。
「大丈夫? ごめんね、痛かったでしょ。なんなら、アンタだけでも―――」
 『イセカイナビ・改』を利用して異界から退出してくれていい。
 そう告げようとしたパンサーの背に、猫らしからぬ雄叫びがぶつけられた。
「フギャッ!」
 勢いよく身を起こした猫又の背から振り落とされ、モルガナの変身も解けてしまう。ただの猫の姿となった彼はころころ転がり、スカルの手に拾い上げられる。
「いって! ツメたてんなってんだろ!」
「ワリぃ、つい」
「乳繰り合っている場合か」
「誰と誰がだよ!?」
 駆け出したフォックスの背に怒鳴りつつもスカルも脚を前へ踏み出す。
 二人と一匹の視線の先で、咆哮の生んだ衝撃にふらつくパンサーを増髪が支えてやっていた。
 傷をふさいでもらった以上消耗は前者のほうが大きいはずだが、何故か後者のほうが全身を震わせ、ひどく怯えている。
 治癒されたとはいえ、痛みに恐怖を覚えたか。
 これ以上はさせまいと少年たちは足並みを揃えて猫又の大きな背に躍りかかった。
 陣風まとわりつかせて黒猫が爪を立てる。この際爪はおまけだ。生み出された真空が猫又の上毛を刈り、やっとその下の柔らかくみっちり詰まった副毛が晒される。
 フォックスはそこに刃先を滑り込ませると、引き切る要領で副毛を刈り取った。
「ああーっ!?」
 つるりと拳大に禿げ上がった毛並みを見るなり、猫又は悲鳴を上げた。
「よっしゃ! このまま全身ハゲさせてエジプトのネコみてぇにしてやんよ!」
「なんちゅうことを言うんじゃこの悪童めが!」
 スカルの背後に立つ彼の半身は本体以上に愉快そうに手を打ち鳴らしていた。すると一拍と置かず禿げた部分に紫電が落とされる。
 猫又ははじめて堪らぬと言わんばかりに仰け反った。
『むっ、効いてるぞ。やっぱりその毛皮がぜんぶ弾いてたんだ。そのまま丸刈りにしてやれ!』
 まともなダメージがやっと通ったとはしゃぐナビに、しかしフォックスは渋い声を返す。
「すまんがそれは難しそうだ」
 その目は手元に落とされている。鞘から覗く研ぎ澄まされた白刃は見つめる瞳を写し返すが、美しい曲線を描くはずの刃先は奇妙な凹凸に歪められてしまっていた。
「刃が欠けた。剛毛すぎる……」
『やくたたず! 草刈り機以下! 変態!』
「変態は今関係ないだろう」
「いや否定しろよ」
 どうにも緊張感を欠く一団に喝を入れたのは燃え盛る炎だ。目にも止まらぬ速さで飛来した炎は猫又の耳の先端を掠め、はるか後方に建ち並ぶ大型商業施設の壁面を焼き焦がした。そこには見て解るほどの怒りが籠められている。
 感情に任せた一撃が猫又の身を焼くことはなかったが、炎を従える少女の眼差しは彼を射竦めた。
「さっきから意味わかんない……! イケニエだとかナラワシだとか、ちゃんと説明してよ!」
 高らかにヒールを鳴らして進み出たパンサーは仮面の下の整ったかんばせを憤怒に染めている。
 猫又は返す言葉を持たないかのように口を閉ざした。あるいは、炎に照らし出される彼女の触れ難い美貌に声を失っているのかもしれない。
「なんとか言いなさいッ!」
 風切り音を響かせ、猛然と鞭が振るわれる。
 当たれば本来皮膚をやすやす切り裂くものは、しかし猫又の分厚く詰まった毛皮の前に傷一つ与えることはかなわない。
 ならばと炎を纏わせ、さらに猛攻仕掛けるパンサーに、男たちは慌てて加勢する。
 その身を守る毛を刈り取れたとはいえ、拳一つ分だ。俊敏に動き回る小さな的に攻撃が当たることはなかった。
「もうよせ―――おまえたちがわしに敵う道理はない」
 慈悲の籠められた言葉を紡いだ口に、スカルの一撃が打ち込まれた。それは牙に当たり、硬い音とともにはね返される。
 たたらを踏んで舌を打ち鳴らした少年は、負けん気の塊のような目つきで老猫を睨みつけた。
「だからってなんにも説明されねーでハイそうですかって帰れるわけねぇだろうが!」
「それに、だ」
 怒鳴って身を捩ったスカルの脇から、一本の白刃が伸びる。
 スカルの影に潜んでいたフォックスが繰り出した突きは鋭く伸び、猫又の鼻先を掠めた。わずかに裂かれた薄い皮膚からは、はじめて赤い血が滴った。
「俺たちには逆転の≪切り札≫がある」
 痛みによって猫又の瞳に憤怒の炎がちらついた瞬間、少年たちはもろともその前腕に殴り飛ばされていた。
 入れ代わりに飛び込んだのは炎の波だ。遅れて、黒猫が追い風を送る。
 またたく間に広がった赤炎は地を空を舐め、猫又のひげの先をわずかに焦がし、目を眩ませた。
『―――よし! いいぞ、今だ!』
 天からナビの啓示が下る。
 子どもたちがなにかを企んでいるのは明白だったが、猫又はまだ悠然と構えて迫る熱気を鼻息で吹き散らした。
 彼はまた、鼻先の小さな傷を舌でひと舐め、目を細める。
 人の仔にこれほどまでの気概があるとは、喜ばしい。
 苛立ちと怒りもあるが、それを覆い尽くすほどの愉楽もあった。
 さて、次はなにがくる―――
 身構えた彼の鼻に、忌々しくも懐かしいニオイが触れた。暗くひんやりとした場所を好んで足元を這い回る生き物のにおいだ。
 彼は予感に衝き動かされてその場を飛び退こうとしたが、炎さえ巻き込んでのたうつ巨大な『それ』が叩き込まれるほうが早かった。
 それは巨大な蛇の尾だ。絶えず変化する赤と黒、黄色と緑の幾何学模様が浮かぶ太い一本の絡み合う縄―――
 尻尾は飛び退こうとした猫又の腹を捉え、絡みついて振り抜かれた。
 激しい衝撃と暴風が後を追って塵や瓦礫を巻き上げ、残り火を圧し潰して通り抜ける。一拍置いて尾はふつと消え、放された猫又は豪速球もかくやと遠くのビルの壁面に叩きつけられた。
「はあ、はあ、はあ……ああぁ……」
 静寂が取り戻されると、後には少女の荒い呼吸音とうめき声だけが残される。
 その背後に浮かんでいた大蛇は、フンとどこか嫌味っぽく鼻を鳴らしてから彼女の中へ戻っていった。
 同時に、増髪は力を失ってその場に膝をつく。
「増髪!」
 駆け寄ったパンサーが慌ててその身を確かめると、どうにか意識は保たれている様子だった。
「だ、だい、だいじょうぶ……今日は、うぷっ、前よりキツくない……」
「いや鼻血出てるから。ほら、きれいにしなさい」
「うぐっ」
 差し出されたのはセレブの名を冠されたちょっとお高めのポケットティッシュだった。増髪はありがたく一枚を頂戴して鼻を押さえた。
 なんということはない。毛皮の剥ぎ取りがほぼ不可能と判明した時点で増髪に例の力を使わせると決定した子どもたちは、目くらましのために一斉に動いた。
 そして、隙を見つけたナビの号令に従って増髪の『ブッパ』が決まったと、そういうことだった。
 モルガナはこの力の凄まじさを初めて目撃するからか、目を白黒させながら感嘆の息をつくばかりだ。
 鼻を押さえて青褪める少女を一瞥し、黒猫は小さくかぶりを振った。
「―――戻ってこないな。今のうちに撤退しようぜ」
『いや、待って』
 鼻をひくつかせるモルガナを制したのは、未だ半身とともに空中に留まるナビだ。
 彼女は猫又が放り投げられた方向をじっと睨みつけながら、ふうむと唸って脚を組み変えた。
『こりゃ気絶してるっぽいな。さすがの毛皮も、ビル一つ突き抜けるのはこたえたらしい』
「まーじかよ。ほんとやべぇな」
 猫又に殴り飛ばされてすっかり埃にまみれたジャケットを片手に、スカルも増髪に歩み寄ってその顔を覗き込んだ。
 また彼は、ニヤッと口角を釣り上げる。
「特訓の成果出たんじゃね? やるじゃん」
「だと、いいんだけど。ねえ、おやつもうないの?」
「ねぇよ。悪ィな」
「あ、お腹すごい空くんだっけ。なら私、チョコあるよ」
 パンサーは肩に下げていたショルダーポーチから、どう考えてもそこに収まるはずのない大きさの菓子袋を引っ張り出した。
 疑問が挟まれるより早く細い指が一つをつまみ、増髪の口元へ寄せられる。
「あーん」
「あ、あーん……」
「ふふっ、おいしい?」
「うん、甘い」
「もひとつ食べる? はいア〜ン……」
「い、いや、自分で―――」
「は~や~くぅ!」
「あ、あー、ん……」
「ふふふっ!」
 イチャつくとか乳繰り合うとは、本来こういったやり取りに向けられるものなのではないだろうか。
 手ずから与え、与えられる少女たちを眺めて、スカルとモルガナは遠い目をどこかへ向けた。
 そこへ髪や服に絡む土埃をどうにか払い落としたフォックスが合流する。
「やはりジャージに着替えて正解だったな」
 したり顔もよく似合うが、しかし一般に芋と称されるジャージに身を包んでいては、気障な仕草も笑いの種だ。
 子どもたちは呆れながらも小さく笑った。
 さて―――
 もう危険はないだろうとナビもまた地上に降り立って待つことしばし、すっかり元の通り、現実世界で見かけた大猫のサイズに戻った猫又が、よたよたと覚束ない足取りでやってくる。そこに怒りこそあれ、もはや敵意は失われている様子だ。
「むうううぅ……ずるいぞ! あんにゃの反則じゃ! 認めん! わしはぜーったい認めんぞ!」
 地団駄を踏むその尻には、くっきりと十円玉大の禿ができてしまっている。
「往生際がワリィぜ、ジイさん」
 そんな彼を鼻で笑ったのはモルガナだ。
 まだ見上げる程度にはサイズ差のある猫同士が睨み合う。
「しかしな若猫、ありゃあの蛇めの力ではないか。そなたらの力ではあるまい?」
「っせーなぁ。いんだよ。勝てばカンジンって言うだろ」
「……勝てば官軍、だろ」
「そうそれ」
 力の抜けるようなスカルの発言に、フォックスは両手で頭を掻きむしって重いため息をもらした。
 傍らパンサーはティッシュの一枚を猫又の鼻に押し付けた。滲んでいた血が拭われると、きれいなピンクの鼻が現れる。
「とにかく、ウチらの勝ちだから! もうこの子に手ぇ出したりしないでよ!」
 申し訳なさを誤魔化すように吐き出された言葉と逸らされた視線に、猫又は今度こそ力なくその場に伏せった。
 口からは諦観のため息。
「わかった、わかった。ああ、口惜しや……」
 最後の足掻きと、猫又は下から少年たちを見回した。
「……その娘を放っておけば、おそらくそなたらにとってもろくなことにはならん。はよう手放したほうが身のためじゃぞ」
 親切心からの忠告は、しかしやはり、突っぱねられる。踏み出したナビは猫又のそばにしゃがむと、すっかりくたびれた毛皮に優しく手を這わせた。
「だめ。トモダチ」
 そうでなくたって、我が身可愛さに他者を突き出すような真似はできない。
 断然とした言葉に、猫又はニンマリ笑ってひげを揺らした。
「フッ……人の仔よ、天晴なり」
 老人が孫や隣近所の子どもを褒めるような、優しい声色だ。温かみと慈愛に満ち、己の敗北よりも子どもの成長と勝利を喜ぶ、大人の特権とでも呼ぶべきものがそこには籠められていた。
 にわか、猫又の周囲を優しい雰囲気が取り囲んだ。思わず照れくさくなるような、生ぬるい、さりとて湯冷めするほどではない程よい温度―――
「それじゃあそろそろ」
「ぶにゃっ」
 それをぶち壊して氷塊を投げ込んだのは他でもないナビだった。彼女は優しくなでていた手を止めると大猫の首根っこを押さえ、引っ張り上げて腕の中に抱え込んだ。
 もちろんそれは、逃亡防止のためだ。
 今や子どもたちは猫又を囲み、黒光りする銃口を彼に向けていた。
「えっ……え? 今そういう雰囲気じゃなかったよね? なんで?」
 一人ついていけていない増髪が狼狽するが、返されたのはいやに楽しそうな声だけだ。
「なんてーの? これがウチらの交渉スタイルっていうか……」
「さあ、出すもの出してもらおうか? ん?」
 モルガナは猫の手で器用にスリングを構えている。
 感心するより前に増髪はますます青褪めた。なるほど、自分も一歩間違えればこれをやられていたというわけか、と。
 とはいえ引き金から指は外されているから、誰も本気で発砲しようというわけではないのだろう。
「オラ吐けぇ! あらいざらい話してもらうぞ!」
「ニャーッ!?」
 ナビはまたみっしり詰まった猫又の腹毛を揉みしだいた。暴れる手足の裏を銃口でつつき回されて、猫又はついに口を割る。
「わかった! わかったと言うに! やめいやめい!」
「最初ッから素直にそうしてりゃ良かったんだよ」
「まったくだ。猫という生き物は喋ればどいつもたちが悪い」
「そのケンカ買ってもいいぞ、フォックス」
「なに? いくら出す?」
「出さねぇよ! 言葉のアヤだよ!」
「うちねこ黙っとれ。おイナリも。さぁて、なにからいくかな。まずは―――」
 チラ、とナビは増髪へ目をやった。仮面の下の顔は窺えないが、彼女は小さく顎を引いてナビを促した。どうぞ、と。
「……増髪をニエにしたのは、やっぱり神サマなのか?」
 猫又は、腹を見せる姿勢のまま首を縦に振った。
「その通り。わしらの如きものじゃ」
 断言にフォックスは狐面の下で眉をひそめる。
「人身御供ということか。なんとも時代錯誤な話だな。いや、だからこそ愚かな習わしと言ったのか。復活とも」
「そうよ。古のころにはもう、かように野蛮な燔祭、望むは人にも神にもよくないと、荒々しくもよき神がやめよと唱えたと伝え聞く」
 猫又は昔を懐かしむように茜色の空を見上げ、その眩しさに目を細めた。短い尾は、懐古とそれによって湧き上がる切なさに震えている。
「しかしその後も、山に川に、海に沼に、娘や子を捧げる悪しき因習は幾度も蘇った。そのたびわしらは戦った。野蛮な行いは改めよと人々によく言い聞かせもした。それでやっと、ここしばらくは落ち着いたと思うておったに……」
 今まさにここで、悪習が蘇ろうとしている。
 語って、猫又は深く長いため息を吐き出した。
 いい加減離してくれと手足が揺すられると、ナビは素直に彼を解放してやった。逃亡の意思はもはや誰の目にも映らない。
「……生け贄……?」
 吐息のようにかすかなささやき声は増髪からこぼれ落ちたものだ。
 気遣うような視線がスカルやパンサーから向けられたが、彼女はそれらに気がつくことなく己の顔を覆うものを撫で上げた。
 呆然としているというよりは、なにかひどくショックを受けているのであろうことが仮面の上からでも窺い知れた。
「そんなの聞いてない……私はそうとは、聞かされなかった……」
 引きつった声には驚きや不快感を全員が示した。
 けれど少女は向けられるものの一切に構わず、動かない身体を無理矢理に這わせながら進み、猫又に鬼気迫る様子を突きつける。
「どういうことなの? 紬を返してくれるって、嘘だったの―――」
 どういうことだとは少年たちこそがぶつけたい言葉だったが、震える手が柔らかな猫又の毛に触れる直前に力尽きたのか、がっくりと降ろされる様を眺めて彼らは口をつぐんだ。
 その場に蹲った増髪は、罪人が許しを乞うかのようだ。背を丸め、頭を垂れて額をひび割れて汚れたアスファルトにこすりつけるみじめな姿に、誰も声をかけることはできなかった。
 猫又は、瞳に憐れみと惻隠を湛えてそっと彼女の肩を叩いた。
「面をあげよ」
 あたたかな肉球に促されて、増髪はのろのろと顔を上げる。仮面は相変わらず彼女の表情を隠していたが、震える腕がその顔色を教えていた。きっと青褪めているのだろう。
 それでも彼女が顔を上げてくれたことに、猫又は安堵の吐息をもらした。
「さてどうしたものか。わしがそなたに教えてやれることは多くない。なにせ、わしらつま弾き者じゃからの」
「……神にも派閥があるということか?」
「さよう。主張の違いから、普段は互いに不干渉を貫いておる。しかし……あの蛇を喰らったとなれば話は別じゃの。彼奴らめ、なんとむごいことを」
 震える少女にじっと視線を注ぐ猫又に倣って、フォックスは増髪へ目を向けた。彼女のそばにはとっくに銃を下ろしたパンサーが膝をつき、動揺する彼女の背をさすってやっている。
 むごいとは、どうやら例の蛇神に向けたものではなく、増神にこそ寄せられている言葉のようだ。
 彼女は己が生け贄とされることを知らない様子だった。また、何者かから行方不明になった幼馴染、立花紬の返還を約束されている―――
 フォックスもまた銃口を下げて猫又に向き直った。今すぐ増髪から話を聞くのは難しそうだとして、ぐっと様々な疑問や焦燥感を呑み込むと、別の問いを猫又に差し向ける。
「彼女を人身御供にする目的はなんだ?」
「真実はわからんが、ふつうは喰うためじゃな。わしだってかりかりしたのやちゅーるとかいうの、捧げられたら嬉しいもん」
「刺し身とかじゃないんかい」
 流石にこの雰囲気の中ふざけきることができなかったのか、ナビの指摘は声が抑えられていた。
 それを感心すべきか、そもそも言うなと咎めるべきか。迷っているうち、フォックスははてと気がついて首を傾げた。
「ご老猫、あなたは昨日、俺たちを追い出す直前、腹しか膨れぬと言っていたな。もう一度問おう。食欲以外になにか―――」
 フォックスは、もう一度増髪を見澄ました。まだ俯きがちな少女は話を聞いているのかいないのか、なだめるパンサーの手にすがってどうにか身体を起こそうと足掻いている。
 少しの躊躇の後、彼は改めて問いかけた。
「なにか祭儀的な意味があるのか?」
 これに猫又は、やはり嫌そうに顔をしかめる。
「ほんに賢しい童よのー……」
「すまんな」
 一欠片も申し訳なさを感じさせない謝罪を受け流し、猫又は短い尾をふりふり語りはじめる。
「わしらにとってなにかを喰うという行いは、その相手の力を取り込むと同義じゃ。例えば、わしが空を飛ぶものを喰えば、わしは空を自由に飛び回れるようになるじゃろう。しかしな、これはそのへんの小鳥を喰えばいいというもんではない。それでは腹しか膨れん。力を得られるのは、力あるものを喰らったときに限った話じゃ」
 例えば、神やそれに近い力を持つものがこれに該当する。
 猫神はまた、それ故ただここへ迷い込んだヒトを食べたところで腹しか膨れないと語ったのだと述べる。
「わしとて生まれたばかりのころは、そこの同族より小さくてかわゆいもんじゃった。それはもうご婦人がたにキャーキャー言われての」
「それがどうしてこうなっちまったんだよ」
「時の流れって残酷」
 今度こそ明確に揶揄する声がスカルとナビから飛んだ。 
「口の減らん小僧どもめ」
「つまり、あなたは生身の猫から生まれて神力得て化け猫に至ったということか」
 こちらは至って真面目に、しかし猫又にとっては侮辱に近い文言をフォックスが垂れ流す。彼の目はやはり、一種の熱心ささえ伴われて猫又の二又尾を見つめていた。
 ―――まだ疑問は残る。なにか特別な力……ペルソナさえ使えなかった増髪を喰らう意味はあるのか。今ならばあるいは、あの大蛇の力を取り込むこともできるかもしれないが……それならば、直接あの大蛇を食卓に並べればいい。
 そも増髪は己が力を吸収できることさえも把握していなかったではないか。
 この様子と併せて考えるに何者かが彼女を謀ったのか、はたまた彼女がこちらを欺こうと初めから演技していたのか。
 重なるばかりの狐疑に、フォックスはうーんと唸った。
 さらなる思考に潜ろうとする彼を、化け猫呼ばわりに腹を据えかねた猫又の怒声が遮った。
「口のきき方に気をつけよ、誰が化け猫じゃ!」
 正しい主張にはすぐさまモルガナの嘲笑が飛ぶ。
「アンタ以外にいねぇだろ」
「おまえだって似たようなもんじゃろう!」
「ワガハイはニンゲンだっつぅの!」
「あーはいはいはい……てかさ、つまり? 猫神さまは元は普通の猫だったけど、神さま食べて神さまになったってこと?」
 お決まりのやり取りを遮ったのはパンサーだった。彼女はふらついて呆然とする増髪を支え、肩を貸してやっている。瞳がチラチラと彼女を窺っているのは、気を紛らわせようと振った話題に再びのショックを受けたりしていないかと心配しているのだろう。
 猫又はそんな彼女の意図を察しているのだろう。ぶすくれつつも律儀に応えた。
「神を喰った憶えはない。たぶんな。わしが喰らったのは狐狸妖怪の類よ」
「妖怪!? いるのか!?」
「うわっなんじゃまた食いつきおって気色悪い! 離れんか!」
 猫又は先よりずっと嫌そうに、カッと目を見開いて迫った狐面を押し返した。
「こちらであれやこれや見ておろうが。あれがおまえたちの言う妖怪の元ネタじゃよ」
「あれが……? 本で見たものと大分違っていたが」
「知らんよそんなの。どうせ伝聞を描き起こしたもんじゃろ? ヒトの口を膾炙するうち、間違ったり変化したりして伝わったんじゃろ」
「そんなぁ……」
 力なくへなへなと地にへたる少年はさておき、すっかり銃も鈍器も収め、手近な瓦礫に腰を下ろしたスカルが問う。
「てーことはさ、俺らもアレ食ったらパワーアップできるってことか?」
「オエッ……正気かよスカルぅ……」
 足元のモルガナやパンサーは嫌悪感も露わに彼を睨みつけたが、相反してナビやフォックスは興味深げに猫又へ視線を送った。
 しかし、大猫は首を振る。
「できはするやもしれんが、おすすめはせんの。単純に旨くないし、毒のあるやつもおる。なにより人の身に耐えられるかもわかりはせん」
「ゲ、マジか」
「まじじゃよ。わしとてはじめて喰ったあとは三日三晩のたうち回る羽目になったわ」
 当時の記憶を思い返したのか、猫又は舌を伸ばして身震いする。
 嫌々会話に耳を傾けていたパンサーは、増髪をスカルの隣に座らせてやりながらはてと首をひねった。
「でも……『彼』は平気そうにしてたよね。あんなにたくさんの神さまだとか悪魔だとか……」
 彼女が語るのは当然、かつて怪盗団を率いていた頭目のことだ。ワイルドの素養を持ち、複数の仮面―――神や悪魔、精霊や悪霊、様々な伝承や神話に謳われる存在の力を使い分け、いくつもの危機を切り抜けた彼らの≪切り札≫。
 ナビはかの少年の真っ黒な後ろ姿を思い描きながら、かすかに首を左右に振った。
「そりゃ、あいつの場合はムシャムシャするわけじゃなくて、仮面として取り込んでたからじゃないか? そもそもリアルな肉じゃなくてシャドウだし」
「それはそうなんだけど。あれもある意味、食べてるって表現できるかなって」
 二人の少女が語ることに、猫又は好奇の視線を送った。
「そんなやつがおって、おとなしく食べられてくれるってんなら、とんでもないごちそうじゃろうなぁ」
 舌なめずりをしながら吐かれた言葉のほうが、子どもたちにとってはとんでもなかった。
 増髪を除いた全員が、サッと顔を青褪めさせる―――
「ね、ねえモルガナ? リーダーってさ、なんか、捕まってるとか言ってたよね……?」
「は? は!? オイオイオイそれまさか……!」
「お、落ち着け! やつは煮ようが焼こうが喰えるようなものではないだろう!」
「いやおまえが落ち着けおイナリ。どうなんだ? モナ」
 辛うじて平静を保ったナビが問う。
 モルガナは、少しだけ考える間をおいて答えた。
「……アイツは無事なはずだ。囚われてはいても、危害は加えられてねぇ……と、思う。たぶん」
「たぶんて」
「ラヴェンツァ殿はそう仰ったんだ! 封じられているだけだって……」
 またわあわあと言い合う子どもたちを眺めて、猫又は小首を傾げた。
「なんじゃあ、ほんとにそんなやつがおるのか? ほえー」
 どうやら彼は与太話か誇張されたものと捉えていたらしい。
 ふむと一つ唸ると、彼はやはりまだ信じ切っていない様子で安易に語る。
「でもまあ大丈夫じゃろ。確かにごちそうじゃが、そんなもん同時にとんでもない劇薬でもある。好んで食べたがるやつもおるまいて」
「ど、どゆこと?」
「神ってもいろいろおるじゃろ。わしみたいなかわゆいのから、あの蛇のようにキモチワルイやつもおる。それそのものが死や災いである輩も、高貴すぎて胃がもたれるようなのも。その者は、そのあたりきちんと選んで取り込んでおったのか?」
「あ、いや……割と無差別だった気も……」
「見た目からしてヤバいやついっぱいいたよな。ほら、アレみたいなやつとか……」
 具体的に表現するのははばかられるとナビは濁したが、それでも想起されたものにパンサーの顔いっぱいに嫌悪感と恥じらいが滲んだ。愛欲と死を司る緑色の魔王の姿を胸に返してしまったらしい。
 あえてそれには触れまいと、スカルは別のものを思い描いた。
「クソでっけぇのもいたよな。あの偽神ばりにデカくて最終兵器みたいなやつ」
「毒キノコのような見た目のものがいた気もするな。いかにも死神らしい姿を取るものもあった」
 いたいた、と頷きあう少年たちの姿に、ますます猫又の首が傾いていく。
「……いったいそやつ、どういう人物なんじゃ? ほんとに人間か?」
「たぶん……」
 自信なさげに項垂れたナビの足元で、モルガナが毛を逆立てる。
「いや多分てなんだよアイツは間違いなくニンゲンだよ!」
「なら下手に手出しはできまいて。捕らわれておるのなら、かえって安全なくらいやもしれんの」
 誰だってわざわざ隔離した危険物にいたずらに触れたいとは思わないだろう。
 そう結んで猫又はかかと笑い飛ばしたが、少年たちの不安を完全に拭い去るとまではいかなかった。それどころかその笑い声はかえって彼らの気落ちぶりを加速させている。
 ともあれ、今これ以上この猫又から聞き出せることは―――山ほどあるが、しかし増髪の状態を顧みるに、ここらで切り上げたほうがいいだろう。
 判断を下したナビに異論を唱える者はおらず、猫又も特別止めはしなかった。彼としては、そもそも人間である彼らにみだりにここへ踏み入ってもらいたくない様子だ。
 そんなことにはお構いなしと、スカルは朗らかに手を掲げる。
「じゃ、またな。呼んだらなるべく早めに来てくれよ」
「なぬ? まだ来るつもりか?」
「当たり前だろ。ワガハイたちの用件、いっこも減ってないんだからよ」
「わたしら的にはいっこ減ったけどな。モナ探し」
 言って、ナビは疲れたなぁともらしてはこれみよがしに己の肩や首に手を触れる。
 モルガナは文句の一つでも返そうとしたが、彼女の口元がこの上なく嬉しそうに綻んでいるのを目撃してしまうと、どうにも。辛辣なものはなかなか出せなかった。
「……悪かったな。ワガハイだって……」
 ほんのちょびっと、爪の先くらいは寂しかった―――
 決して口から出ない素直な気持ちなどお見通しと言わんばかりに、仲間たちは薄く微笑んでみせた。
 猫又はしばらく黙ってそんな子どもたちの様子を見守っていたが、やがて猫にはない肩をすくめるような仕草をすると、わざとらしくため息をつく。そこには父性を伴う威厳が湛えられている。
「はあぁ……わかった、わかった。なるだけすぐ駆けつけるでな。あまり無茶はするでないぞ」
「うん。ありがと、猫神さま」
 輝くようなパンサーの笑みを向けられると、彼はすぐに威厳を放り捨てた。液体のように蕩けて床に伏せ、熱っぽい視線を彼女に捧げるばかりだ。
「猫殺し」
 ぽつりとナビがつぶやいたことに、モルガナが牙を見せた。
 足元で交わされるやり取りを他所に、スカルはスマートフォンを掲げて『イセカイナビ・改』を立ち上げる―――
 戻ったらまず、試験から解放されたころだろう先輩たちに事の顛末を伝えなければならない。それに、先からずっと口を閉ざしたきりの増髪の様子も気にかかる。
 そろそろ彼女から、もっと深い事情を聞き出さなければならないだろうか。
 思って、スカルはそばで増髪を立ち上がらせるために手を差し伸べるフォックスに視線をやった。お前はどう思う? と目でもって訴えようとして。
 しかしそこに居た少年は、狐面の下の目を大きく見開いて、取ったばかりの増髪の手を勢いよくスカルに押し付けようとしている。
 驚きながらも咄嗟に放り投げられたものを受け取って、スカルはそのまま駆け抜ける友人の背を目で追った。
 そこではナビとモルガナが、間にパンサーと大猫を挟んで睨み合っている。
 一団のさらに向こうに、巨大な影が落ちていた。その影から一度だけ見かけた姿が這い出ようと蠢いていた。背に無数の腕を翼のように生やした赤ん坊―――
 猫たちはすでにその存在に気が付いて毛を逆立てていた。当然ナビも感知しているが、元々の身体能力の差か、まだ準備動作にすら入れていない様子だった。
 いわんや、パンサーはまだ事態に気が付いていないらしく、呑気な顔をして大猫のふかふかの胸毛に手を伸ばした姿勢のまま。
 迷った挙句、フォックスはナビのほうに手を伸ばして襟を掴むと、振り回すような勢いで後方へ放り投げた。
 これは正解だった。パンサーのほうはモルガナが飛びつき、その場から退避させている。
 問題があるとすれば、その赤ん坊の狙いが彼女たち二人のどちらでもなかったことだろう。
 パンサーとモルガナの足元に赤い液体が滴り落ちる。瞠目する彼らの眼前で、大猫が鋭い針のようなものに貫かれていた。
 どれだけ斬りかかろうとほとんど傷らしい傷も負わせられなかったというのに―――
 驚嘆に固まるフォックスの目が、彼の尻にできた小さな禿を見て止める。針はそこから侵入し、今や先端を猫又の顎の下に覗かせていた。
「この―――」
 こみ上げる怒りそのまま、モルガナの背後に深い青色で全身を包む彼の半分が立ち上がった。その手の金色の杖が一振りされると、一陣の風が通り抜けて猫又を貫く針を、その根本である赤ん坊の背から伸びる腕ごと引き裂いた。
 追って飛び込んだフォックスの一閃が本体を斬り捨てる。
 悲鳴を上げた異形は水の詰まった袋のように弾けると、表皮といやに赤黒い液体だけを残して動かなくなった。
 まったく同じタイミングで猫又の身が受け身も取らず地面の上に転がり落ちる。
「ちょっ、なんで、あいやそれより、今治すから!」
 パンサーは膝を折って猫又に手を添え、傷を塞ごうと己の半身を呼び寄せる。駆け寄ったモルガナもすぐにそこへ加わった。
「うぐぐ……にゃんたること、このわしが……」
 もちろん彼は油断などしていなかった。異形が腕を伸ばした瞬間、彼はモルガナとともにパンサーを庇おうと飛び上がり、その胸元に手を伸ばしていた。
 そうしたのはなにも不埒な感情からでは決してなかった。少しくらいは狙っていたが。
 そもそも彼には、異形に狙われる理由が無い。神喰らいの話を先ほど彼自身がしたばかりだが、異形たちにはおおむねほとんど知能と呼べるものが無く、力を得ようとより強力なものに襲い掛かることはない。それ故狙われるとしたら見た目にも美味そうなパンサーだろうと彼は動いた。ナビはちょっと、食べるところが少ないし、小骨が喉に引っかかりそうだと。
 しかし不気味な赤子は間違えようなく猫又を狙っていた。そうでもなければ、小さな禿を狙って針を通すような真似はすまい。
 何故だ、と痛みに悶えるうち、彼は答えにたどり着いて歯を噛み鳴らした。
 その視線の先には、震える能面が佇んでいる。
「ウソでしょやだやだ! なんでぇ!?」
 涙目になるパンサーの視界にはまた、尾の先から光の粒に変じつつある猫の巨躯が映っている。
「おいおい、こりゃあ……」
 驚きのあまり動きを止めたモルガナの目と鼻の先で、猫又の身は花火のように開いて解けると、燐光放ちながら真っすぐに増髪の仮面にぶつかった。
 声もなくのけ反った少女は一度大きく痙攣すると、力を失ってその場に膝をついた。
「なんだよこれ。またかよ、冗談だろ……」
 そばにいたスカルが慌てて増髪を支えてやったが、彼女はなにも応えなかった。どうやら今の衝撃で気を失ったらしい。
 静寂が訪れたなか、放り投げられたまま這いつくばっていたナビはまじまじ彼女を眺めて告げる。
「ねこ、吸収されちゃった……」
 震えて引きつる彼女の声に、誰もなにも応えられなかった。