09:All or Nothing at All

「Ver.1.2!!」
 つい二十時間ほど前には項垂れて特定には時間がかかると告げたその場所で、双葉は両手を掲げ、目を爛々と輝かせて半ば叫ぶように告げた。その手にはスマートフォンが握られ、更新されたらしい『イセカイナビ・改』が堂々と掲示されている。
 集った少年たち―――新島と奥村の姿はない。さすがにこの時期、頻繁な呼び出しに応じるのは難しかった―――は、不気味なほどにテンションを高めている双葉を前に、右に左にとそれぞれ首を傾げている。
「なんか数字微妙に増えた気がすっけど、結局どうなったん?」
 訝しげな坂本の問いかけを、双葉はぐふふ、と怪しげな笑い声で迎迎え撃った。
「昨夜からあれこれ試しまくった結果、の言ってたとおりだってのが解ったんだ」
「おや、役に立てたのかな」
「うむ! おやくだちだぞ!」
 両手で拳をつくって力強く頷いた双葉は己の足元にをしゃがませると、犬や猫にするように「よーしよしよしよしよし……」と撫でまわし始める。
 は特別抵抗することもなくされるがままだ。ただしその視線は他の面々に助けを求めてしっとりと濡れている。それはさながら大量のひよこにまとわりつかれて身動きの取れなくなった猫の姿だ。
 こみ上げる笑いをどうにか噛み殺しつつ、高巻は双葉の手からを引っ張り出してやった。
「いやもう、なんなのそのテンション。双葉、ヘンなオクスリとかキメてないよね?」
「シツレーな! せいぜい怪物と雄牛と鮫くらいだ!」
「あ、ダメなやつだこれ。どうする? ルブランに届ける?」
「まあ待て。せめて結果報告くらいは聞いてやろう」
 物理的にも精神的にも上から差し伸べられた喜多川の手に、双葉は思い切り顔をしかめつつも口を開いた。
「……前バージョンとの一番大きな違いは、経由場所を指定できるようにしたとこだ」
「ほう?」
「正確には、経由っていうか、ボットネットみたいなもんを魔術概念的に再現、構築して、それでまったく関係ない地点にDRDoS攻撃をしかける。こっちからの接続を弾くためにあのねこ……かどうかもわからないし、なにをしてるのかもわかんないけど、これでむこうは一秒か二秒くらい停止する。そこを狙ってこの場で本命を起動して、この場所で入るってすんぽーよ」
「なるほど、わかった」
 いつもの如く素早く頷いたに、高巻と坂本は目を見開いた。
「マジで? ほんとに?」
「ぜってー分かってねぇよな!?」
「むしろそんな難しいことは言ってないと思うんだけど……」
 ねえ、と同意を求めるように見つめられて、喜多川は然りと頷いて返した。そこには確かな自信が宿っている様子だ。
 坂本と高巻は期待とともに彼の解説に耳を傾けた。
「大手門に見せ勢を配して矢や投石による牽制を行い、そちらに手勢が集中している間に搦手門から攻め込むんだろ?」
「いやその例えもわかんねぇよ……」
 揃って肩を落とした二人ではあったが、とにかく入れることは確からしい。念のためと新島と奥村に「今からいってくる」と更新用データを添えて送信させてから、いざやと双葉を促した。
「ぐふふ……わたしの徹夜の成果、とくとみよー!」
「いや夜は寝なさいよ」
 奇妙なテンションの原因はそれか。
 高巻は襲いかかった目眩と浮遊感に眉をひそめつつ、律儀にツッコミを入れてやった。

 果たして少年たちは茜色に染まる無音と無人の空間に現れる。
「ふふふっ、くふふふふっ! どうだみたか! これがわたしの実力だっ! ふぁーっはっはっは!」
 ナビの高笑いもよく響くことこそが、そこを異界と証明していた。
 しかしそうであるならば、得体の知れない怪物がうろついている場所でもあるということだ。スカルはまなじりを吊り上げてナビを叱りつける―――
「静かにしろってオイ……!」
 その視線の先、ナビがサーチを行うまでもなく、広々とした駅前のロータリーを奇妙な生物が横切っている様が覗えた。
 ぱっと見は浮遊する赤ん坊のようだが、周りの風景も併せてみると明らかに縮尺がおかしい。三、四メートルはあろうかという巨体に、腕はないくせに背中から未発達なそれが翼のようにいくつも生えている。顔は窺えないがこの様子ではろくなものではないだろう。
 少年たちは物陰で息を潜めて奇形の赤子が立ち去るのを待った。
 その間に、ナビが周辺の走査を済ませる。
「……うん、迷い込んだやつ、この辺にはいないな。モナは……あっ」
 驚きの声を上げて、ナビはぱっと後ろを振り返った。
 雑居ビルの間に身を置いた彼らの後ろには、屋内から伸びた配管に繋がる室外機が控えている。その上に、茶色を基調とした黒の虎模様と先が割れた鍵しっぽの大猫が立っていた。
 彼は鼻の上にしわを寄せ、拗ねた様子で子どもたちを睨みつけている。
「なんじゃもう、ずるいぞ。昨夜から妙な手を使いおって」
「あ、デカ猫」
 思わずとスカルがもらした表現に、猫又は毛を逆立てた。
「猫又大明神なるぞ!」
 牙を見せて身体を横に、明らかな威嚇姿勢を取るが、大きさに反して迫力はあまりない。
 パンサーは目線を合わせるように上体を折り、膝に手を置いて彼に顔を寄せた。
「ねえ猫神サマ、モナ見つかった?」
 その瞳は切実さから濡れている。心の底からかの黒猫を思う気持ちのあらわれだ。言葉を紡ぐふっくらとした唇には艶があり、白磁の肌をより強調している。耳の上で結ばれた金の髪は茜色の光を透かし、ピジョンブラッドのルビーのように輝いて猫の目を強く刺激した。
 猫又は、怒りとは別の理由で毛と、それから鼻の穴を膨らませる。
「むむっ……すまぬが、あれからさっぱりじゃ。そなた、名はなんと申す?」
「私? パンサー、かな」
「パンサー……耳慣れぬが良き名じゃ。どれ、近うよれ。わしを撫でる許しをやろう」
 鼻息荒くずいと頭をつき出した猫又にパンサーが手を伸ばすより早く、少年たちはがパンサーを庇うように前へ進み出た。
「オイコラクソ猫」
「それ以上我らの姫に近寄らないでもらおうか」
「姫て」
 二人の言いようにパンサーは顔をしかめる。
大切に扱われること自体には悪い気もしないが、敵意もなさそうな猫を相手に姫扱いをされても釈然としない。
 ありがたいけど、なんかズレてる。
 そう思う彼女の前に、真剣そうな表情の増髪までもが立ち塞がった。
「お下がりください、パンサー姫」
「乗らなくていいよ……恥ずかしい……」
 いよいよいたたまれなくなって両手で顔を隠したパンサーに、ナビの追い打ちがかかる。
「仮面サーの姫」
 これは前三人と違って明確に揶揄する意思が垣間見えた。
 パンサーはじろりと小柄な少女を見下ろすと、
「ナビ、あとで話あるから」ドスの効いた声で脅しつけた。
 けれどナビはケラケラと笑うばかりだ。仲間たちの実力が数値として目に見えているナビには、性差による優位性や区別など意味のないことだ―――パンサーなら、ほんとにセクハラされそうになったら二秒で相手を燃やしちゃうよ―――。
 ともあれ、姫君を守る忠実な三騎士に睨まれた猫又はすっかり拗ねてその場に伏せってしまった。
「なんじゃもう。ええじゃろちょっとキレイなおなごに触ってもらうくらい……」
「そういうの、俺らの世界じゃイヤガラセになんだよ」
「ほえー、猫にはわからん話じゃのー」
「ここで成敗しておいたほうが世のためか……?」
「こにゃ! その物騒なものを下げんか!」
 刀をチラつかされては流石の猫又も好々爺然とした安易な態度を崩さざるを得ないのだろう。再び毛を膨らませた彼に満足げにして、フォックスは刃を収めた。
 これだけ脅されればおかしな気も起こすまい。増髪は壁に背を預け、本来の目的のための議論を再開させた。
「ねこちゃん、見つかっていないのか……ナビも反応を捉えられていないとなると、この辺りにはもういないのかもしれないね」
 対面の壁に寄りかかってフォックスが応じる。
「そうだな。となると捜索範囲はまた広めに取ったほうがいいだろう。別れて探索するか?」
「そうすっか。あー、ナビとパンサーは別チームにして……」
 脚の速さや立ち位置を考慮して、誰と誰をどうやって組み合わせるべきか。当然ナビがいるチームは多く距離を移動することになるから、なるべく体力のあるやつを―――
 ああだこうだと話し合う子どもたちの足元を、室外機から降りた猫又がこれみよがしに歩き回った。
「待て待て、こらこら、二本足」
 脚と脚の間に毛皮をこすりつけながら行き来する彼をうっとおしく思いつつもシカトを決め込んでいた少年たちであったが、声をかけられては反応せざるを得ないのだろう。代表としてスカルが低い声を彼に返した。
「あ? まだいたのかよ?」
「ふん、無礼千万なるぞ小童め。帰れと言うとろうが……」
 不遜な少年の態度に気分を害したのか、猫又はきつく彼を睨み返すと口の中で再びあの『念猫』を唱え始める―――
「あっ! 待って!」
「はうん」
 伸ばされたしなやかな腕が猫又の躰を捕らえ、魅惑的な双丘に引き寄せた。背に身体、腹に細く柔らかな指が当てられ、猫又はたまらず蕩けて念猫を中断させてしまう。
「パンサー、グッジョブだ」
 両手でサムズアップしたナビはさておき、パンサーは尖った耳に砂糖や蜂蜜より甘く囁きかける。
「おねがぁい、猫神サマぁ。ウチらどうしてもモナを探したいしぃ〜、ここのこと調べなきゃなのぉ」
 増髪は仮面の下で真顔になって傍らのスカルとフォックスを見上げた。あれでいいのか? と。
 彼らは黙って首を振る。答える必要はなかった。何故なら彼らの目の前で、猫は液体のように溶けてドロドロになっている。 
「んにゃ……にゃふふ……し、しかたあるまいにゃ。そうまで言われては……あふぅん……」
 ゴロゴロと喉を鳴らす様だけならば愛らしいが、その正体と声色はなんともはや。
「エロ猫……」
 機嫌を損ねまいと小声で吐かれたスカルの言葉は本質を表している。
 尖った耳に届かなかったのは幸いだろう。おかげで彼は少年たちの捜索に協力まで約束してくれたのだから。

 そのようにして、スカルとナビ、そして増髪の三人で西へ、パンサーとフォックス、猫又の三匹で東へ別れて探索を開始する。
 フォックスは別れ際、『いざとなったらこの刃を振るうことになるやもしれん。先に言っておく、すまん』と告げていった。ジャージに着替えた―――これ以上着る物を失ったら俺は人としての尊厳まで失いかねん―――後ろ姿には、並々ならぬ決意が刻まれている様子だった。
 それに比べて西組の平和なことといったらない。怪物の姿も影もナビの走査範囲にもかからず、少年たちは気兼ねなく雑談などしながら悠々車道の中央を歩いていた。
「なんつーの? 気のコントロール的な……せいって感じに使うんだよ」
 雑談はいつしか力の行使における講釈となった。
 とはいえ感覚派のスカルに教師役は荷が重い。増髪は仮面の下で難しい顔をして唸りっぱなしだ。
「あれ、私サイヤ人みたいなことさせられてる?」
『ばかやろう気のコントロールはクリリンが一番ってそれ一番言われてるから』
 地上を歩く二人の頭上を浮遊し、常に警戒とモルガナの捜索を行い続けるナビはあまり実の在ることを喋らない。あったとしても彼女のペルソナとでは少し具合が違っているから、有益なアドバイスはできそうになかった。
 少年漫画を題材に盛り上がることしばし、スカルは『かめはめ波とビッグバンアタックのたとえ』を懇切丁寧に説いた末、増髪を優しく促した。
「とりあえずやってみろって。全力じゃなくて、絞るみたいな感じ」
「うーん……ヤトノカミ……?」
 疑問系とはいえ呼び出しには違いない。彼女の背後から、ぬるりと大蛇が顔を覗かせる。
「お、出た。そこからなるべく一番弱そうなやつ使うんだよ。できること解ったりしねぇ?」
「ん、ん、ん……んー……」
『いろいろできそうな感じではあるんだよな。あのへび、けっこう小技見せてきたし』
 分裂とか、毒とか、脱皮に移動の妨害。
 浮かぶナビから下される具体的な単語に、増髪は己の中に宿る神霊に問いかける。
(あなたはなにができるの?)
 背をチリチリと焼く様な焦燥感めいた感覚に歯を食いしばりながら閉じたまぶたの裏には、鮮明なイメージが浮かび上がっている。
 それは赤い目をした小さな白い蛇だ。
 彼はなにも答えず、ただじっと彼女を見つめ返すだけだった。そこに責めるような色はない。かといって親しみや憐れみも、一切の感情は存在していないようだった。
 ―――解ってる。私が憎いんだろう。悪徳の極みのような所業と、呆れ果てているんだろう。
 増髪は己を観察し見守る二人の視線を感じてきつく口を引き結んだ。
「うぐ……ッ」
 カッと目を見開いた彼女の前には一本のカーブミラーが佇んでいる。その鏡面に一筋、切れ目が走ったかと思うと、次の瞬間には粉々に砕け散った。
「ストップ!」
『しまって!』
 スカルとナビが同時に吠えた。スカルはまた、無意識のうちに前へ突き出されていた増髪の腕を掴んで下げさせる。
 途端に増髪は力を失い、ヘナヘナとその場に腰を落としてしまう。
「うお、立てっか? とりあえず鼻血出さずにペルソナ出すとこはいけたな」
『威力もまあまあ、下弱Kくらい。相手次第でハメられそうだな』
「それは喜んでいいのかな……?」
 増髪は震える膝を叩きながらどうにか立ち上がった。空腹と疲労こそあったが、先日のように意識の消失や発熱といった症状までは自覚できない。あるのは昼を抜いたまま突入した体育の授業がマラソンだった日の夕方、そんな感覚だった。
 無事立ち上がり、空きっ腹を押さえつつも背筋を伸ばした彼女に、スカルは鞄からおやつの食べ残しであるブロックタイプの栄養調整食品―――ポテト味―――を差し出してやった。
「いんだよ。できることからコツコツとってやつが大事なんだって。ほれ、これ食っとけ」
「あ、ありがとう……」
『いいなーわたしも食べたい』
「それで終わりだから諦めろ。増髪に食わせねぇとダメだろ」
『……たしかに今のでもHP削れてる……しかたない。たんと食べろよ!』
「飲み物ほしい……もぐもぐ……」
 一本を口に咥えたまま周囲を見回せど、残念ながら異界に稼働する自販機は存在しない。していたとて、得体の知れない飲料にしても食料にしても、口に運ぶ気にはとてもなれないだろう。
 最終的には頭上から水筒が投下された。中身はナビがルブランで淹れてもらったコーヒーだ。
「っ!? おいしっ……えっなに。香りが……なんか、すごい……」
「なにその小学生みてぇな感想」
『あーっ! ぜんぶ飲むなー!』
 近くに化け物が寄ってこないのをいいことに、彼らはそのままわあわあ騒ぎながらさらに前進した。
 しかしナビが捜索を行う以上、スカルと増髪の役目は主に彼女の護衛となる。二人が目視で同じことをするより、ナビがスキャンしたほうが何倍も何十倍も効率的だからだ。
 そのナビにしても、すでに何度となくくり返した動作だ。タッチひとつで範囲内のスキャン開始から拾い上げた情報の精査までを自動で行うマクロも組み終えている。
 となれば敵が現れない限り、スキャン地点にたどり着いてしまうと、三人はただぼけっと突っ立っているばかりになってしまう。
 護衛任務となると難しそうかとも思えるが、これでは東側を任せたパンサーたちに申し訳なくなってくる。
 そういうわけで雑談とはいえ、話題は可能な限り状況に相応しいものが選ばれる。先の増髪の修行めいたものにしてもその延長だ。
「そういやよ―……」 
 スカルは頭を捻って、この場に最も相応しい猫物の名を上げた。
「いやもうさ、ていうかさあ? モルガナのやつ、消えたんじゃねーのかよっていう……」
 とはいえ内容は愚痴めいている。
 増髪も軽くとはいえモルガナ消失の瞬間については聞き及んでいるから、果敢にもスカルの苛立ちを伴う喜びに花を添えてやる。
「復活した?」
 それは五本の薔薇だ。
『神の子かよ。チートだわ〜マジねーわ〜』
 不満げに言うものの、ナビの声は隠しようもなく弾んでいた。モルガナの存在が今も近く、居場所こそ解らずとも在ると知って喜んでいるのだろう。
 それはスカルだって同じことだ。
「ほんとねぇわ。あいつ、さっさと戻ってこいってんだよ」
「二人とも、本当にあのねこちゃんが好きなんだね」
 微笑ましげに吐かれた増髪の台詞に、スカルとナビは勢いよく吹き出した。
 彼女の発言は真実を言い当ててこそいるが、こうもあけすけに言い表されてしまうと照れや恥じらいより反発が勝ってしまう。
「や、別にそんなんじゃねーし!? 好きとかそういうんじゃねーし!」
『あっ、あいつのことなんて全然好きなんかじゃないんだからねっ!?』
「なんだそのツンデレのテンプレみたいな言い方」
 かかと笑って二人をいなし、増髪は車道の上を横切るデッキの手すりから無人の大通りに目を向けた。
「本当に、ねこちゃんのやることっていうのはなんなんだろうね。君たちにも心当たりはないの?」
「ねぇなぁ……この際ぶっちゃけるけどまさかほんとに見つかるとか思ってなかったし」
『おぉいっ! といいつつ同意。いてくれたらいいなとは思ってたけど、なんであいつまだ存在してんだってかんじ』
「存在自体が危ぶまれてたのか」
「まーな。だいたいあいつ、なんだっけ? ヘルメットルームの人らに創られたんだろ?」
『ベルベットルームな。被ってどうする。わたしらの最後の戦いが終わって、それで存在意義が消えたから、メメントスと一緒に……あ、これか』
 ナビは言葉の途中で自己完結して手を叩いた。
 増髪もまた同じものを察し、代わりにと言ってやる。
「ねこちゃんに存在意義がまだ残ってる?」
『ぽくね? もしくは新しく発生したかだ』
 そしてその意義こそが彼の語ったここでやるべきことなのだろう―――
 確信をもって呟かれた言葉に、スカルは期待のこもった眼差しを向けた。
「ンで? 具体的には?」
『知らんが』
「おうコラ期待させるだけさせといてそれかよ」
『こんなんモナに直接訊けばいいだろ』
「そのモナが見つかんねーんだろうが」
 スカルは脱力して増髪の隣にもたれかかった。
 見上げた空は相変わらずの茜色だ。耳には風音さえ聞こえない。人の多さや雑然とした街並みに飽き飽きすることもあれど、まったくの静寂を前にしてはごみごみしさが恋しくなる。
 無いものねだりとはこのことか。忌々しく思うことも多かったあの猫も、いなければどうにも張り合いがない。
『ところがどっこいしょ』
 増髪曰くツンデレめいた思考に、ナビの珍妙な発言が被せられた。
「どっこいしょ?」
『ちょっと戦闘準備して。まだ遠いけど、進行方向的には通るはずだから』
 どういう意味だと訝しみつつも二人がそれぞれ武器―――増髪は途中にあった階段の手すりを引き剥がしたもの―――を構えた。
 しかし、待てど暮せど、敵の気配や物音といったものはやってこない。先日の蛇のように隙間から音もなくやってくるのかと思いきや、ナビはご機嫌な鼻歌を垂れ流すばかりだ。
「おい、ナビ? どういうことだよ」
 しびれを切らしたスカルが問いかけた途端、彼と増髪の前に空中投影モニターが現れる。
 そこに映し出されたものに二人は仮面の下の顔をしかめた。
『あっち、あそこ』
 より高度を上げたナビがトライアングル型の下方に取り付けられた衝突防止灯らしきランプの一つを点滅させる。どうやら方向を示しているらしいと顔を向けると、茜色の空に黒点が一つぽつんと浮かんでいた。
「あれが、これ?」
 戸惑う増髪の前にあるヴィジョンには、一匹の鷹に似た翼と脚を備えた、熊のような生き物が雄々しく滑空する姿がある。
 スカルは額を叩いて天を仰ぎ、神とか仏とかに勘弁してくれよと文句をつけた。
 鷹熊は、脚に一匹の黒猫を掴んでいた。
『ギニャーッ!! ワガハイなんて食べても美味くねーぞ! 離せぇ! 離すなぁ! わああ!』
 ライブ映像から垂れ流される黒猫の泣き声に、スカルは力を失ってデッキの柵に身を預けた。
『あの体格差じゃ食べてもおやつ感覚だろなー』
「どうする? どこか、巣かなにかに着地するのを待つ?」
「いや、いいわ。俺がやる……」
『電気ビリビリ。モナにはキッツいだろうけど、まあしゃーない』
「動物虐待……!?」
「いーんだよ。あいつも言ってただろ」
 黒猫曰く。ワガハイは猫ではない。
 スカルは黒点が近づいてくるのを待って、一欠片の躊躇もなく雷撃を浴びせかけた。
 ダメージが入っているかどうかは解らないが、なにしろ電気刺激だ。一応筋組織等で形成されている異形の肉体は不随電流によって羽ばたきも、滑空のための姿勢制御も崩されて勢いを失い、すぐに高度を落としはじめた。
「増髪、頼む」
「わかった!」
 傍らに立ってこれを見上げていた増髪と手を打ち合わせ、スカルは再びだらしなく柵にもたれかかった。
 一方で増髪は床を踏みしめて飛び上がり、手すりや手近な街灯、そしてナビのプロメテウスを踏み台に大きく跳躍する―――
『わたしを踏み台にしたぁっ!?』
 さらなる高度へ至った少女の肢体はすぐに自由落下する熊鷹に取り付き、首尾よく猫を奪い取った。
 またその異形を踏み台に勢いを殺し、目を回す黒猫を抱き締めてもとの位置に着地する。この間十秒ほどの早業であった。
 いくらか遅れて、巨体が離れた道路に墜落する。轟音と衝撃はスカルたちの居るデッキ網にまで至ったが、震度にすれば二程度だろう。彼らは何事もなく、目を回す黒猫を囲んだ。
「スカル、やりすぎだ。焦げてるよこの子」
「構いやしねぇよ。丸焦げになったことだってあんだからよ」
「思っていたより修羅場くぐり抜けてるんだね……」
 腕に抱えた黒猫を慈しむように撫でてやりながら、増髪もまたスカルに倣って柵に背を預ける。
 ナビはしばらくぶつぶつと文句を言いつつ空中をふわふわと浮かび、他の敵が来ないかを探っていたが、やがてそれもないと判じて二人と一匹に合流した。
「増髪このやろ!」
「ごめんよ。ちょっと高さが足りなくて」
 おざなりな謝罪にナビは頬を膨らませたが、増髪の腕でぐんにゃりと伸びたモルガナの姿に思うところがあるのか、すぐにしぼんで焦げた毛皮に手を這わせた。
「……あっちにも連絡した。合流しようってさ」
「了解。そんじゃ、増髪ちょっといいか? ナビ、そいつの腕持っとけ」
「ん? あー……ほいよ」
 歩き出してしばらく。モルガナの身体には蝶ネクタイとカラー付きのハーネスが装着された。

 ……もちろんそれにモルガナが不満を抱かないわけがない。
 彼は目覚めて状況を把握するなり増髪の腕から逃れ、紐に引っ張られて床に倒れ伏した。
「やめろーっ! ワガハイは猫じゃないっ! ニンゲンなんだぞ! ニンゲンを紐でくくって連れ歩くたぁとんだプレイじゃねーか!?」
「うるせーぞクソ猫! なら逃げようとするんじゃねーよ!」
「引っ張んじゃねぇよバカスカル! ワガハイにだって事情があんだよ!」
「なぁにが事情だ心配かけさせやがって! つか、お前あのまんまじゃあのバケモンに食われてただろが!」
「だからってワガハイにまで電撃浴びせるこたないだろ!? 味方相手にワンモア取ってどーすんだ! 意味ねーだろ!」
「ちゃんと増髪にバトンタッチしましたー! 意味ありますぅー!」
 『クソガキ』もかくやと言い交わす少年と猫を前に、増髪は困った様子でナビに目を向けている。
 ナビは静かに首を左右に振った。
「なにもいうな。これがこいつらのフツーだ」
「そうか……わかった……」
 項垂れながらも、増髪は散歩を拒絶する猫のように電柱にへばりつくモルガナを引っペがした。
「ううっやめろぉ、ワガハイはぁ……だいたいなんでオマエまでいるんだぁ」
 器用に前脚と後ろ脚を捕らえられ、腕に抱きかかえられたモルガナは、いかにも悲しげな眼差しを増髪に向けている。
 その言葉には当然増髪だけでなくスカルとナビも首を傾げた。
「私のことを知っているの?」
「モルガナ、どういうことだよ」
 詰め寄った髑髏面に、モルガナは尾を垂らした。
 もはや言い逃れもできぬと観念したのか、彼は床に降ろしてくれと乞い、逃亡はしないと愛しい女の名に誓ってみせた。
 それでも念のためとハーネスから伸びた紐はナビの手に委ねられ、四足を地につけたモルガナはうんざりした様子で語りはじめる。
「ここがパレスとも違うことはさすがのオマエらももうわかってるだろ。ワガハイは、ここの調査のために潜入しているんだ」
 見つかっちまったけど、と苦々しげに吐いて、モルガナは尾でアスファルトを叩いた。
 二手に別れる前に決めていたいくつかの集合場所のうち一つに該当する場所だ。大型車両進入禁止の看板の下、膝を折り畳んでモルガナと相対するスカルが続きを促した。
「それあれか? 例のあの、鼻の長いじいさんに頼まれてか?」
「キノピオ?」
 すかさず増髪が瞳を輝かせてそばのガードレールに預けていた腰を浮かせかけたが、これはモルガナの怒号が阻止せしめる。
「無礼だぞオマエら! 我が主をそのように呼ぶことは許さんからな! ……あと別に主の思し召しとはちょっと違う」
「じゃ、あれか。あの幼女」
 ナビのもの言いにモルガナが再び牙を剥く―――
 突き立てられる前に、彼らの姿を見つけたパンサーが小走りに駆け寄った。
「あーっ! ほんとにいるぅ! モナ! このバカっ! 心配したんだからね!」
 その後をさして急ぐでもなくフォックスがやってくる。彼はパンサーにきつく抱き締められて天国と地獄を行き来するモルガナの姿を見止めると、愉快そうに目を細めた。
「ふっ、本当に紐で繋がれているのか。お似合いだぞ、愚か者め」
「ふぎゅう……アン殿〜っ、くるっ、くるしいっ……」
「あ、ごめん」
「感動の再会だね。全米が泣いた」
「誰も泣いてないし二回目だし」
「ふふふ、ツンデレ」
「それもういーよ……」
 がっくりと項垂れたスカルにまた含み笑いをもらして、増髪はいつものように頷いてみせた。
「わかった、やめよう。さて、部外者が口を出すのもどうかと思っていたけど、どうやらそうではないみたいだから口を出させてもらうよ。ねこちゃん、続きを聞かせて。君は誰の意思でここの調査をしているの?」
 パンサーとフォックスもハッと息を呑む。真剣なその眼差しに促され、モルガナは渋々と求められるところを差し出した。
「ワガハイにここの調査を命じたのはラヴェンツァ殿だ」
「ラヴェンツァってあの……なんだっけ……?」
「思い出せ。ほら、『ごきげんよう、ラヴェンツァです』と言っていただろう」
「え? もう一度言って?」
 声真似まで織り交ぜられたこれに反応したのは増髪だった。フォックスは至極真面目な顔でこれに応える。
「ではもう一度、ごきげんよう……」
 そしてモルガナの怒号がこれを遮った。
「いらんわ! もう分かったし聞き苦しいんだよそのモノマネ! それ以上の侮辱は許さんぞ……!」
「どーどー、おちけつ。おイナリ、しばらく黙ってろ。念のため増髪も」
「えっ!?」
 唐突な名指しに衝撃を受けて身体を震わせた増髪の肩に、嫌味なくらいの親しみの籠められたフォックスの手が乗る。彼は仮面の下に満面の笑みを湛えていた。
 その手が叩き落とされるバシッという音を耳に、モルガナは尖ったそれをピクピクと揺らす。それから、ため息を一つ吐き出してゆっくりと語りはじめる。
「ワガハイ自身、オマエらと別れたあのとき、消えたと思ったんだ。けど実際のところ、認知世界のワガハイは消えても肉のカラダであるところの『これ』は消えずに残り、ラヴェンツァ殿も好きに生きろと仰った。だからアイツのところに帰ろうとしたんだけど……ほらぁ……」
 尾の先端の白い部分をぶるぶる震えさせて、モルガナは渋い顔を浮かべた。
 増髪を除いた全員が彼の言わんとすることを察して同じ表情をつくった。そこにある感情は共通している。奇跡なんかではまったくない必然だった。
 モルガナはちらりと増髪を見上げたが、そこにある能面は不思議そうに首こそ傾げても質そうという気はないらしい。
「まあ、それで、帰ろうにも帰れなくって」
 ならばと簡単に己の置かれた状況を付け加えて、モルガナはさらに続けた。
「どうしたもんかと思っていた矢先、ラヴェンツァ殿に火急の要件と連れ戻されて……そこはベルベットルームだが、オマエらやワガハイの知る牢獄じゃなかった。たぶんあれは、アイツ以外の誰かの心の姿―――」

 そこは暗い水面に浮かぶ和船の上と思われた。想像に基づいているのは四方を障子と襖に囲まれ、外の様子が窺えなかったからだ。かすかに揺れる船体と水音から、彼はそこが水の上と判じた。
 行燈から溢れる蒼い輝きに照らし出された座敷の上に、彼の上司であるところのラヴェンツァがちょこんと正座をしている。
 彼女は言った。
「トリックスターは捕らえられました。またも、です。この私がいながら不甲斐ないことですが……なにぶん突然のこと、あれでは対処のしようもありませんでした。いえ、待って、もしかしたら『あの人』はそういうのがお好きであえて……?」
 猫はきちんと前脚と後ろ脚を揃えて話を遮った。
「ラヴェンツァ殿、どういうことなのですか? アイツが?」
「ええ。彼のほうはこことは違うところに押し込められています。意思を封じられ、身動きもできません。不幸中の幸いか、現実のほうはそれなりに快適に生活しているようですが」
「ではワガハイが救出に参りましょう。二足歩行は難しくなりましたが、技術と力は失われておりません。直ちに」
 と、モルガナはそこを発とうとしたが、今度はラヴェンツァがそれを遮った。彼女の小さな手は、ぎゅっとモルガナの尾を握りしめていた。
「お待ちなさい。此度あなたを呼びつけたのは、彼の救助のためではないのです」
 ではなんのためにと苦痛にヒゲを広げる猫にラヴェンツァは重ねて言った。
「暗い夜道はおまえの鼻が役に立つと言うでしょう」
「それトナカイですしもう時期も過ぎました」
「……とにかく、鼻です! その鼻で探してほしいものがあるの!」
「あ゛〜〜〜っ! ラヴェンツァ殿ぉ! そこはだめえぇ〜〜っ!」
 尾を捕まえる手に力がこもり、モルガナはあられもない悲鳴を上げて座敷を転げ回った。
 その哀れな姿に我を取り戻したのか、ラヴェンツァはパッと手を離すと咳払いを一つ、表情をきりりと引き締めなおした。
「んん……任を終えたばかりの身に申し訳ないとは思いますが……モルガナ、おまえに新たな使命を授けます」
「ううう、はい。ラヴェンツァ殿、ご命令ください。いかなる命も主の名にかけて果たしてみせます」
 小さな忠義者に小さく微笑んで、ラヴェンツァは重々しく告げる。
「ゆらぎの野に降り立ち、そこに根ざした彼を捕える鎖を破壊するのです。それと同時に私が彼を連れ出します」
「はっ! お任せください!」
 うやうやしく頭を下げ、尾を上げた猫に、少女は満足げに頷いて立ち上がった。しかし彼女は動き出すことなく、しばらくその場に立ちすくむ。揺れる船体には慣れていないからなかなか動き出せないでいるのか―――

「……足が痺れてたってオチじゃねぇだろうな」
 モルガナの回想はそこでスカルの苦々しい声に遮られた。
 モルガナはムッと鼻の上にシワを寄せたが、否定も肯定もせず押し黙ってしまう。どうやら当たりらしいとみて、少年たちの間に横たわっていた緊張が霧散し、どこかへいってしまった。
 ラヴェンツァは彼らからすれば未だ謎に包まれた部分の多い存在だ。あるいは付き合いの長そうなあの少年にしても解っていないことのほうが多いのかもしれない。いずれにせよ、そんな彼女のいかにも年ごろの子供らしい部分を聞かされれば、話の重大さに反して気は抜ける。
 くすっと小さく笑って、パンサーは寄ったままのモルガナのシワを指先でつついた。
「そんで? その鎖ってのは見つかったの?」
「……まだ」
 鼻先をくすぐられ、猫はむずかって顔を逸した。その様は己の不甲斐なさを悔いているようでもある。
 パンサーは笑みを深めると、優しく狭い額をひと撫でして立ち上がった。
「じゃ、探しに行こっか!」
「ぱ、パンサー! だけどワガハイは……!」
「だーめ! アンタはウチらと一緒にいんの! そうじゃなきゃダメ!」
 パンサーの言葉に仲間たちは一様に頷いた。
 増髪だけは事情を知らないからか、相変わらず不満げに口を閉ざしている。とはいえ同道には異議もないのだろう。興味津々といった様子で一同を眺め回してもいた。
 モルガナの視線はそんな彼女に向かう。
「ワガハイは……」
 明らかに意味の籠められていそうなその様子に、増髪のみならず皆が首を傾げた。
「そういや、増髪のこと言ってねぇよな。なんでこいつのこと知ってたんだよ?」
 率直なスカルの問いかけに、モルガナはまたも押し黙り、尾の先を揺らした。
 重い沈黙はしかし気まずくなる前にナビが断ち切る。
「それもラヴェンツァから聞かされてたんだろ?」
 推測に過ぎないが、言葉には確信が籠められていた。モルガナは渋々と首を縦に振り、すっと増髪から視線を外した。
「……そうだ。オマエらと一緒にいるとは思ってなかったけどよ……」
「いたらなんかマズい?」
 問いかけたのはパンサーだったが、彼女のすぐ隣に立つ増髪も、縋るような視線を猫に送っている。
 ここにいてはなにか問題があるのだろうか。
 不安げに揺れる瞳に気がついたパンサーの手が、ぐずる赤子をなだめるように増髪の肩を優しく擦った。
 そのさまを眺めて、モルガナは首を左右に振った。
「いや、問題ない。オマエらなら大丈夫だろ」
 声には安堵しているような響きもある。
「はぁん? なんぞそれ。やめろよーモナ、そういう『今は話すべきときではない』とか『話してもどうせわからない』みたいなの。読んでて一番イラッとくる展開だからな?」
「やたらとキモチ籠もってんね……」
 さりとてナビにもそれ以上に追及しようという気はないのだろう。この猫がこう言う以上、問題はないのだ。……おそらく。たぶん。怪盗団の導き手たる猫にだってわからないことはある。
 けれど事が増髪に関することであるのならば、ここで必要以上に問い詰めて藪から蛇を引きずり出してはたまらない。蛇はもう一生分くらいは見た。
「てか、おイナリと増髪やたらと静かだな? なんで二人して口押さえてんだ?」
「だ、黙ってろと……!」
「言ったのはお前だろう!」
 フォックスに右手を、増髪に左手を取られてナビはその場でプリマのように回転させられた。
 ほんの三週間目を離した程度では、この緊張感の無い様子は変わらないらしい。モルガナはまた重苦しいため息をつく。
「まったく、オマエらってやつは……フッ、ニャフフっ、バッカだなぁ」
 けれどそれは見せかけだけだ。彼は徒労感に包まれながらも胸の奥底からこみ上げる暖かなものを否定しきれなかった。
 やっぱりここが自分の居場所だ。もう二度と離れたくない。
 なによりこの場所に必要な『アイツ』を取り返さなければ―――
 決意を固めたモルガナの瞳を覗き込んで、ナビは口頭でファンファーレを流してやった。
『モルガナが ふたたび なかまになった!』
 続けられようとした言葉は、目を回して床に崩れ落ちる彼女とともに喉奥に引っ込んだ。
 それにわざわざ言葉にする必要もない。モルガナははじめから彼らのパーティーの一員だ。
「へっ……そんじゃ、お姉さま方にも連絡してやんねーとな。モルガナ、ちっと覚悟しとけよ? 春、すっげぇ心配してたからな」
「むっ……いや、仕方がないさ。甘んじて受けよう」
 それでは、と帰り支度を整える―――といってもこれといってやることはない。せいぜい服に付いた埃を払うくらいだ。
 一応、あいさつもしてから行くべきだろうか。
 思い立って辺りを見回したスカルは、モルガナ以外の猫の姿が見当たらないことに首を傾げた。
「あれ? なあ、あの猫どこ行った?」
「彼ならこちらへ向かう最中に離れた。積もる話もあるだろう、と。遠慮してくれたのかもしれんな」
 答えたフォックスに、スカルは肩をすくめて、
「意外」と返す。
「同感だ」
 頷き合う少年たちは、次の瞬間足元からびたんびたんとなにかが地を叩く音を耳にする。
 なんだと見下ろした先にあった姿に流石に気まずさを覚えて目をそらすが、後の祭りだ。
「ほんに無礼な小僧どもじゃの」
 短い尾で地を叩いていたのはもちろん猫又だった。彼はフンと鼻を鳴らし、少女たちに囲まれる黒猫を眺めて溜飲を下げた。
「ふむ、万事よく収まった様子。であればわしはお役御免じゃの。善哉善哉」
 瞳には温かな光が湛えられている。子どもたちの姿を見つめ、心からこの光景を喜んでいるのだろう。
 その姿は親と言うには年寄り過ぎるし、友人と言うには互いのことを知らなさ過ぎる。強いて言うならばそれなりに挨拶をする仲の隣人といったところか。
 少年たちは顔を見合わせ、妙に面映い感覚を追い払うように肩を竦めた。
 スカルにしても、黒猫を囲んで笑いあう少女の姿というものは悪くないものだった。フォックスなどは手でフレームをつくり、その中に少女たちを収めてはうんうんと唸っている。
 彼らの足元で猫又は然らば御免と言うなり踵を返し、足音なく立ち去ろうとする。己の役目はもはや終わったとして。
 けれど彼は再び、天使の腕に閉じ込められた。
「待って!」
「はぅん」
 パンサーが猫又を背後から捕まえて、抱きしめていた。背に当たるやわらかな二つのものに、腹毛をまさぐる細い指に、彼はあられのない声を上げた。
「あふうん」
「台無しだわこのクソ猫」
「ぱ、パンサー……おのれぇ……」
「やはり成敗すべきか」
「ちょっとうらやましい……」
「どっちがだよ」
 白けた空気を漂わせる傍ら、パンサーは演技ではなく心からの甘い声を彼の尖った耳に囁きかけた。
「モナのこと、探してくれてありがとね。ほんとに感謝してる」
 なお強く、しかし苦しくない程度に抱きしめられて猫又はドロリと溶ける。
「むほほっ、極楽極楽」
「エロ猫……」
 スカルは今度こそ隠す気もなく堂々と吐き捨てた。
 さておき、留め置いたのは礼を伝えるためだけではない。スカルはパンサーと猫又の前にしゃがみこんで、用件を伝えんと口を開いた。
「てかさ、俺らまだお前に用事あんだよ」
「あー? なんでわしが……」
「頼むって! なっ!」
 両手を合わせて拝むような仕草をすると、それがいかにもおどけた調子であっても猫又はうっと呻いて聞く姿勢を取る。どうやら頼られると弱いという側面は、相手の性別に関わりがないらしい。
 ならばとフォックスもまた猫又を拝み上げた。
「頼む。いくつか質問をさせてくれ」
「むっ、むむっ、むむむーっ……仕方がない。申せ。わしは寛大である」
 フンと鼻を鳴らし、猫又はパンサーの腕からアスファルトの上に降り立った。
 尊大な態度の猫を相手取るのはいつものこととスカルは慣れた様子で問いかける。
「さっきモルガナが言ってたやつ……俺らのリーダーがどっか捕まってるらしいんだけどよ、猫神サマ、なんか知らねぇ?」
 大して期待しているわけではなかった。知っていたらラッキー程度の心持ちで投げかけられた問いに、猫又はヒゲをピクピク震わせながら答えた。
「ふぅーむ、そうさな。わしは知らんが、あやつなら知っておるやもしれん」
 猫又の言葉は子どもたちにとっての福音と同等であった。
 モルガナなどは目を見開いて悔しそうに身体を震わせている。こんな近くに情報が転がっていたなんて……黒猫は、頭と尾を垂れ、ぺたんと力なく地に伏せた。
 ナビの手が慰めとからかいのために伸ばされるのを視界の端に留め、フォックスがさらなる問いを投げる。
「あやつ、というのは?」
「天狗じゃ」
「てんぐぅ? ってあの、鼻の長い?」
 猫又の答えにスカルが素っ頓狂な声を上げた。猫又はそれが楽しいのか、猫の顔をにんまりさせて喉を鳴らす。まるで孫を前に昔話をする老人のような風情だ。
 彼は少しだけ自慢げに胸を反らして頷いた。
「うんむ。鼻がデカくて赤ら顔のあやつじゃ」
「そんなんまでいんのかよ!」
 流石のスカルも、天狗くらいは知っている。頭に六角形の帽子を乗せた、赤い顔に鼻の長い、背中に翼を生やしたアレだ。
 さりとてそう身近なものでもない。唸る彼に代わり、再びフォックスが問う。
「天狗か……パレスでなら幾度か刃を交えたが、ふむ、興味深い。その天狗とやらはどこに?」
「さての。わしも長らく見ておらん。今はどこにおるのやら……」
 猫又はゆるく首を振った。若者たちは手がかりが途絶えたかと肩を落とす。
「―――天狗か。秋葉原あたりに居てくれたりしないかな」
 つぶやいたのは増髪だった。
 これに少年たちは不思議そうにまばたきをくり返し、言葉の意図を確かめようと彼女へ視線を送る。
「あ、いや。地元に秋葉さんって神社があるんだけど、そこで天狗も祀っていて……」
 向けられた期待の籠った眼差しに増髪が慌てて応えると、フォックスはぽんと手を打った。
「秋葉山の天狗伝承か」
 増髪は嬉しそうに胸の前で手を合わせ、うんうんと頷いて返した。
 しかしその笑顔はすぐに陰ってしまう。
「まあ、名前が似てるから思い付いただけなんだけど」
 話の腰を折ってすまないと頭を下げる彼女に、フォックスは顎をさすりながら「そうでもない」と告げてやった。
「まったく的外れという話でもあるまい。君の言う秋葉山と秋葉原には少なからず繋がりがある」
「そーなの?」
 小首を傾げたパンサーに一つ頷き、フォックスはそのわけを語り始めた。
「そも秋葉原という地名は秋葉の原……江戸時代にあった大火の経験から、延焼防止のために造られた原っぱからきている。今でこそ建物が密集しているが、当時他にも神田や千代田にも同様の防火地帯が広く取られていたんだ」
 増髪は深く頷いて彼の言わんとするところを汲み取り、まだ理解の至っていなさそうなスカルらに向けて言を引き継いだ。
「秋葉さんの主なご利益は火災除けなんだ。だから防火地に秋葉の名が冠されたんだろうね。そしてこの秋葉さん……秋葉信仰の中心である秋葉権現って神さまは、天狗の姿をしているとされるんだよ」
 へえ、と感心とともに頷いたスカルたちは、それならばと手を打った。
「んじゃ、行ってみっか? 他に手がかりもねーし」
「アキバか……パーツ屋覗きにいってもいい? あとゲームみたい」
「遊びに行くんじゃないんだぞ、ナビ」
「いいだろちょっとくらい。それに、わたしとおまえが揃ったら、天狗探しなんてチョチョイのチョイだっ!」
 嗜めるモルガナにナビの腕が伸び、すばやく抱き上げる。モルガナはギャッと悲鳴を上げたが、この場には乱暴にしてやるなと注意してやれる存在はいないままだ。
 まあこういうのもたまになら、悪くない。
 モルガナは大人しく少女の腕に抱かれたまま、スマートフォンを片手に予定を確認するパンサーの声に耳を傾けた。
「じゃあ予定合わせて行こっか。時間制限あるから集合も早めで、真と春もいけるかなぁ……」
 そのように次の目的を定めた子どもたちに、猫又はうんうんと頷いては微笑ましげに目を細めている。
「行くのか? ならば気を付けよ、天狗はともかく、道中にはまた性悪な蛇がで出るやも。あーやだやだ……」
 立ち上がったスカルは心配りに溢れた猫又に鼻を鳴らすと、自信たっぷりに笑ってみせた。
「心配すんなよジイさん! 俺らケッコー修羅場くぐり抜けてっから!」
「ほ! 抜かしおるわ、小童めが!」
 言い返す猫又もまた楽しげだ。
 しかし、坂本竜司という少年はどこまでいっても迂闊で、警戒や注意という点においてはどこか抜けているところがあった。それは裏返せば彼がおおらかな自信家であることの証明であり、他者を無闇に疑わず心を寄せるという意味でもある。
 彼は朗らかに言ってのけた。
「そもそもその蛇神サマならうちの増髪が吸収しちまったし、もう出てくるこたねーだろ」
 あたりは、シンと静まり返った。
 そも彼らは先に猫又に向け、蛇を斃したとは伝えても、そこから先の出来事は語らなかった。
 増髪がその蛇神を吸収し、その力を行使する場面も、彼は目撃していない。
 猫又は丸い瞳をさらに丸くし、ポカンと口を開いて舌と牙を見せたまま硬直していた。
 その様は明確に驚きと、そして悲しみを示している―――
 神を名乗る以上、どれだけこちらに親しげにしてもあの蛇神のように襲いかかってくるかもしれないと、スカルと事情を知らぬモルガナ以外は、はじめからずっと警戒していたのだ。
 意図してのことでなくとも、吸収とはすなわち、神喰いの如き行いだ。これを歓迎する神はそうそういないだろうとして。
「バカ竜司……!」
 辛うじて呻いたパンサーであったが、その背には今や嫌な汗が伝っている。
 彼女の視線の先に佇む猫又の瞳には涙が溢れつつあった。
「あ、あ、あやつ、敗れたのみならず、喰われたといいのか? にゃんたることじゃ」
「あ、いや、それは。わざとじゃねぇよ? なんでそうなったのか分かってねぇし……」
 スカルはまだ自分がしでかしたことを理解していないのだろう。どちらかといえば猫又の涙のほうに慌てた様子を見せ、両手を振っては彼を慰めようと必死になっている。
 しかしどれだけ伝えようとも、猫又は躰を震わせ、うめき声を上げるばかりだ。
「おお……おおお、おお……」
「猫神さま?」
 そこに次第に悲しみだけでなく、怒りや苛立ちが混ざり始めたことを聡く読み取って、パンサーはじりりと後退った。フォックスもまた、刀の柄に手を置き、すり足でもって彼女の前に立ち塞がる。
 猫又の口から、恨み言がこぼれ落ちる。
「ああ、にゃんたることよ。よもやあやつら、本気で愚かなならわしを復活させるつもりでおったか。とうの昔に変革の主が絶えさせたというに、よりにもよってこのような形で……おおお……」
 そこで少年たちははたと気がついて、顔を見合わせた。
 てっきり知り合いを喰われた事実に憤っているのかと思いきや、どうやら彼の怒りはこの場にいない他の誰か、あるいは誰かたちに向けられているらしい。
「ジイさん、アンタなに言って―――」
「黙りや、小童。ずずーっ」
 猫又は鼻をすすりながら力なく首を振った。
「年若いおぬしに言うてもわかるまいよ。ああ、悲しい……」
 彼は唐突に老け込んだように見えた。気がつけば艶のあった毛皮はくたびれ、ゴワゴワになって毛先がもつれている。腰は曲がり、ピンと伸びていたヒゲもみるみる間に縮れてしまった。
 けれどしわがれた声にはますます迫力が宿り、今や地を震わせる―――
「すまぬが、そなたらを帰すわけにはいかなくなった」
「へっ……」
「どれが贄じゃ。正直に申し出よ。さすれば他の二本脚は帰してやる」
 踏み出した前足が地を踏むと、ズンと衝撃が生じる。
 猫又はいまや、四足をついたまま少年たちと目線を合わせるほどに巨大化していた。
 口元から覗く牙は鋭く、瞳には剣呑な色がある。明らかな敵意に誰もが震え上がった。
 先に刃を交えた蛇神もそうであったが、この猫の神もまた格上の相手だと、ナビのサーチ結果を待つまでもなく窺い知れた。
 これまで見せていた好々爺然とした態度も結局は、これほどの力があればこそ。小生意気なガキどもの戯言と聞き流してくれていたに過ぎないのだろう。
 戦えばただでは済むまいという確信が誰の胸にもあった。
 ならばと増髪は拳を握った。
 他の面々にしても、彼の言う『贄』というものの意味こそ解らずとも、それが誰を指しているのかは理解していた。
 だからこそ、名乗り出よう足を踏み出そうとする増髪を、フォックスが押し留めた。
 互いに顔は窺えないが、一瞬交えた視線の中には多くの意図が籠められていた。
 それは概ね、以下のようなものである。
『いくらなんでも彼には勝てない』
『ずいぶん見くびられたものだな』
『じゃあ勝てるつもりでいるのか?』
『自信はないがやる価値はある』
『ないよ』
『ある』
『ないって』
『うるさい。黙っていろ』
『なにも言ってませんけど?』
 二人が声に出して喧嘩をし始める前に、猫又は鼻を揺らして増神に視線を定めた。
「おお、におう、におうぞ。憎き蛇めのにおいじゃ。そこな娘、そなたか―――?」
 いよいよ猶予は無いとまた踏み出そうとする彼女の前に、次に立ち塞がったのはスカルとパンサーだった。
 二人もまた、目でもって訴える。
『バカなこと考えてんじゃねぇよ』
『自己犠牲とかウチらもうコリゴリなんだよね』
 フォックスに比べればずいぶん穏やかな主張だった。
 またナビははっきり声に出して訴える。
「それもある意味一種の姫プレイだぞ。やめとけ」
「でも」
 震える声を懸命に絞り出そうとする彼女の前に、最後に黒猫が立ち塞がった。
「コイツらに諦めるって考えはねぇよ」
 だからオマエが諦めて引けと居丈高に告げる小さいほうの猫の姿に、増髪は項垂れて言葉を失った。
 その間にナビは猫又に向けて語りかける。
「ねこ、おまえには助けてもらった。わたしたちはおまえとやり合いたくないんだよ。頼むからそこどいてくれ」
「ならぬ。おとなしくそこな娘を差し出せい!」
 解りきっていた返答だ。ナビは唇を噛んで己の半身を呼び寄せた。
『それはだめっ! トモダチ渡して自分だけ帰るなんてサイテーだろ!』
 頭上から響き渡った声に、子どもたちは一様に頷いている。
 猫叉も、感心しきりと頷いて、嬉しそうに目を細めた。
「立派な心がけじゃ。天晴なりとわしとて見逃してやりたいが……だからこそわしがやらねばならぬ。童よ、そこを退け!」
『みんな、戦闘準備……できてるな! よし、いつもどおりやるぞ!』
 威勢のいい号令に、怪盗たちは応とこたえた。