13:NOT MY DAY

 時計の短針は夜の二時を指している。
 辺りは闇に覆われ、LEDライトが夜道と家々の輪郭を浮き上がらせていた。
 そのうちの一軒、三百坪はあろうかという豪邸のリビングルームには通されていた。
 飾り気はないが質の良い本革のソファ、輝くほどに磨かれた大理石の床の上に敷かれた絨毯は、繊細な織目が見る者を楽しませる。西側の壁には暖炉が誂えられ、まだ時期には早いだろうに小さな火が入れられてチラチラと踊っていた。
 南側に大きく開かれた開口部からはよく手入れのなされた庭が見える。青々と茂った常緑樹の緑が室内から溢れる光に照らし出され、表に風がないことを教えている。
 は小さく息をついて身をよじった。冷たい大理石の床が熱を持ったこめかみに心地よい―――
 ほんの三十分前、メメントスを飛び出した彼女は、まだ人通りがちらほらある渋谷の駅前に放り出された。
 当然と言うべきか、唐突に現れた珍奇な格好をした彼女に衆目は集中する。
 慌ててその場を辞そうとして、しかし一計を講じてわずかな時間彼女はそこに留まった。
 それはある意味では正解だったし、ある意味では過ちであった。
 やっと駅を出て沿線沿いの人通りの無い道を選んで走り出した彼女は、すぐに進行方向と退路を塞ぐ形で現れた車両に行く手を阻まれてしまう。
 それだけなら着地補助の機能があの奇妙な空間で行った無茶な動きで故障していたとて問題なく逃げおおせられただろう。
 車から顔や腕を覗かせた男たちの手には銃のような物が握られていた。おもちゃのようなシルエットのそれがワイヤー針スタンガンであると気が付いたときにはもう跪かされていた。
 意識が途切れた間に縛り上げられて連行されたのだと理解するには十分だ。
 は背後で燃える薪の音に耳を傾けながらどうしたものかと思案する。
 これまでも幾度かのしくじりはあったが、これは最大級だ。番犬に足を噛まれるのとはわけが違う。
 なにしろ彼女の前には、上等なスーツに身を包んだ齢六十ほどの偉丈夫が立っている。
 白髪混じりの頭を撫で付けた額には経年によるしわが刻まれているが、その下の鋭い眼には老いてなお消えぬ野心と渇望がギラついていた。
「阿藤勝利―――」
 は呪詛の言葉を吐くような調子で男の名を呼んだ。
 フードはすでに取り払われ、アシストスーツも、なんならウェットスーツも奪い取られている。辛うじてその身を隠しているのは薄手のタンクトップとショートパンツだけだ。手や腕は後ろ手に縛り上げられ、顔も身も隠すことも、抵抗も叶わない。
 それでもなお隠す気もない敵愾心と憎悪を籠めて見上げる少女を阿藤はあざけ笑った。
「こそ泥の面を見てやれば、なんとまあ……懐かしい顔じゃないか。お元気かな、のお嬢さん。たしか、さんだったかな?」
 カッとの瞳が見開かれた。歯を食いしばり、唸り声を上げて身を起こそうとするのを、彼女の背後に控えていた男が押さえつける。
「気安く私の、名前を呼ぶな……!」
「おお、怖い怖い。見た目は立派になっても、中身は一つも成長しておらんようですな」
 細められた男の目は彼女の同年代平均と比べればよく育ったと表してよい身体の輪郭をなぞっている。
 目配せを受けて、背後の男はの肩と頭を掴んで無理矢理に身体を起こさせた。
 その目線の高さに合わせて目の前にしゃがみ込み、阿藤は優しく囁きかける。
「絵が欲しいのなら言ってくれればよかったものを。おねだりの仕方はご両親に教わらなかったのかね?」
 問いかけの答えとして、は間近に迫った男の顔につばを吐きかけた。
 身一つにされた少女のせめてもの抵抗と思えば可愛いものだろうが、阿藤はこれを許さなかった。彼女の背後に控えさせていたもう一人に目配せを送ると、その手の中の物を腹に押し付けさせる。
 バチッと硬質な物が弾けるのに似た音が響き、は歯を食いしばって背をのけぞらせた。
「――――――ッ!!」
 その全身の筋肉は硬直し、痛覚が直接刺激されるような痛みに襲われている。不髄電流による作用と頭で理解できていても逃れることのできない苦痛は、ほんの数秒与えられただけで彼女の体力を刈り取っていく。
 けれどその敵愾心までもを奪うことはできなかったようで、解放とともにくずおれた瞳にはまだ剣呑な色があった。
 阿藤はうんざりしたように頬に付いたつばを拭い、それでもまだ優しい声色を保ったまま告げる。
「まったく、しおらしくしてみせればこちらも考えたものを……」
 おい、と呼びかけられて、部屋の隅で青い顔を見せていた女ははっと顔を上げた。この女は阿藤の愛人のうち特に気に入りの一人で、この家の名義上の持ち主でもある。
 女は預けられていた警棒を渡すと、こういうのは趣味じゃないと部屋を辞した。
 付き合わせる気もないと目で追いもせず、阿藤は受け取った物を見せつけるように体の前にかざした。バチッと紫電が走ったことで、それがただの警棒ではなくスタンガンの一種であると彼女に教えた。
「……サディスト野郎……」
 荒い息のなかどうにか毒づいた少女に、阿藤は肯定するように嗜虐的な笑みを浮かべてみせた。
 彼は再びの目の前にしゃがむと、ロッドを揺らしながら口を開く。
「あの絵を盗んで回ってたのは君だね。警察はどうにも捕まえられない様子だったが……誰かに協力してもらっていたのかな」
 返されたのは無言だった。阿藤は構わずに言を重ねる。
「まさか単独なんてことはないだろう。あの装備も下調べも、ずいぶん入念に行っていたようじゃないか。腕の立つ探偵でも雇ったのかな?」
「へっ―――バカバカしい。そんなのハードボイルド小説の中にしか存在しないだろ」
「ごもっともだ。現実にはそんなものはいやしない。探偵も―――」
 手の中でもてあそんでいたロッドの先端が少女の腹に押し当てられた。
「怪盗もね」
「うっ、あ……」
 やめろ、と口をついて出そうになる懇願の言葉を、電流こそが押し留めた。
 二度目の苦痛は八秒ほど続けられた。
「―――――ッ、はあっ! はあっ! はああぁ……!」
 反らしていた首をガクッと前に垂らして荒く呼吸を繰り返す少女の黒髪を掴み、顔を上げさせる。阿藤は冷たい瞳で見下ろしながら問いかけた。
「お前が噂の怪盗団とやらの一味か?」
 はほんのわずかに身を固くする。
 もちろん、彼女は阿藤の言う『噂の怪盗団』などと関わり合いはないが、しかし―――
 瞬きをするとそのまぶたの裏には一人の少年の姿が映る。伸ばされた背筋に、鋭い目つき。でも、笑うと年相応に子供らしくてかわいらしい。
 は冷笑を浮かべた。まぶたの裏の少年と、己と、そして阿藤らに向けられた笑みだ。
「そんな噂、信じてるのか? 人の心を奪う連中なんて―――」
 いるわけがない。
 そう続けられるはずの言葉は三度与えられた苦痛によって遮られた。
「少なからず、あのような連中の活躍によって得をする者と損をする者がいるんだよ。安心したまえ。私は怪盗団に対して好意的だ」
「はあっ、はあっ、はあ―――クソ、この―――」
「なにしろ彼らのおかげで奴の足元も盤石とは言えなくなった」
「……そうかよ。よかったなゲス野ろ―――」
 四度目。
 少女はもはや支えなくしては顔を上げることすら叶わなかった。
「吐け。そう何度も痛い目に遭いたくはないだろう」
「知ら……ない……っ」
「吐けば、命だけは助けてやるぞ」
「知らない……私と、アイツらは、関係ない……っ」
 前髪を掴まれ、持ち上げられた顔にはびっしりと汗が浮いている。苦痛に歪められた表情にはしかし、どこか決然とした様子があった。
「知ってたって、お前みたいなゲスにっ、描かれたもののほんとうの意味を知ろうともしないやつに……喋ることなんて、なにもないッ!」
 叫ぶようにして告げるなり、強烈な蹴りが少女の腹に突き刺さる。下から抉るように入れられたつま先は、ほんの数ミリ皮膚の下の臓腑全体を押し上げた。
 最も大きなダメージを受けたのは肺だ。わずかな動きと大きな衝撃に絞られたかのように酸素が抜け、それを察知した脳が慌てて息を吸うように指令を送る。しかし大きく開かれた口と喉は気道に酸素以外の物を取り込んでしまう。それは例えば空気中の埃や彼女自身のつばといったものだ。
 今度は異物を吐き出そうと反応した肉体が彼女を咳き込ませる。
 そうなれば、せっかく取り込んだ酸素がまた失われてしまう。荒く乱れた呼吸と咳き込みは二度三度と繰り返された。
「げほっ! がはっ、ひゅっ、ぁ……っ! ゲホッ! ゴホッ!」
 激しいせきはまるでおこりにかかったかのように少女の身体を丸め、痙攣と硬直を繰り返させる。自らの意思の及ばぬところで肉体が勝手に苦しみをもたらすのは、電流による強制的なものよりよほど彼女の体力を削り取った。
 それによって朦朧とし始めた意識が警鐘を鳴す。己を支えているのはもはや気力のみと、は懸命にそれを繋ぎ止めようとするが、阿藤はそれを許さなかった。
「君もあの小汚い犬のように片付けられたいかね」
 ビクッと少女の肉体が跳ねる。
 のろのろと上げられた顔には強い怒りと悲しみが同居していた。
「お前―――やっぱりあの事故―――お前が―――」
 男は酷薄な笑みを、普段なら人好きのする柔和な顔に浮かべている。
「……なんで……どうして私の……パパとママを、グリムを……おじいちゃんの絵まで……」
「どうしてかな。どうしてだと思う?」
「知るもんか……! なんでなんて……そんなの……!」
 引きつったような笑い声が阿藤の喉から上がった。彼は目の前の少女が震え、この上ない怒りと無力感に打ち震えていることに興奮している様子だった。
 その手が再びロッドにかかる。
「……ちくしょう」
 つぶやいたその喉元に火花放電を行う電極が向けられた。
 その瞬間、は奇妙な物音を聞きつける。それは彼女の背後、小さな火が揺れる暖炉から。カツンカツンという軽いが硬質的なものがいくつか落下する音だ。
 なんだと男たちが視線を向けた先で火はまたたく間に膨れ上がり、激しい炎と煙を噴き出し始める。
 しかし煙はともかく炎は一瞬のこと、火事の心配はないかと安堵の息をついたのもつかの間、今度はは邸全体の明かりが一斉に落ち、辺りは闇に包まれる。
「なんだというのだ! おい、どうなっている!」
「わかりま―――ゴホッ、ゴホッ!」
 咳き込んだ男は喉の奥に違和感を覚えて激しく咳き込んだ。痛みは無いが、妙にツンとくる―――
 その様子を確かめて、阿藤は舌打ちとともに煙から距離を取りつつ、咳き込む男たちに指示を飛ばした。
「おい、そいつをいつもの場所にしまっておけ。今の時期に警察に嗅ぎ回られても厄介だ」
 かろうじて返事をした配下に満足げにして、阿藤は部屋を出た。
 そちらの空気は清浄なようで、安堵とともに大きく息を吸う。すると同時に天井のライトが瞬いて明かりを取り戻した。どうやら非常用電源に切り替わったようだ。
 また慌ただしく駆け寄ってきた青ざめた女の姿に、阿藤は顔を綻ばせる。先ほど趣味じゃないと部屋を辞した女だ。少しとうは立っているが、阿藤はこの女の気の強い、しかし暗闇なんかを子供のように怖がる性質を特に気に入っていた。また彼女が彼を気遣うような口を利くから、ますます上機嫌になって抱き寄せる―――
 女を胸に抱いたまま、阿藤は更なる指示を駆け付けた黒服の男に飛ばす。
「いったいなにがあった? 状況を説明しろ」
「何者かが侵入し、電源に細工を行ったようです」
「捕らえたか」
「いえ……しかし屋根に登っていた輩は今斎藤たちに追わせています」
 満足げに頷きつつも、阿藤は厳しく言いつける。
「恐らくはあの子供の協力者だろう。他にもいるはずだ。一人残らず捕まえろ」
 返事とともに男は廊下の奥へ消えていった。
 残された阿藤と女はしばらくなんともいえないやり取りを交わしていたが、やがてそれぞれが出てきたところとも男が消えた方向とも違うドアをくぐって姿を消した。

 動かない身体はまるで月曜日の朝に投げ出されるゴミ袋のように放り投げられた。
 むき出しのままの膝や肘が凍結した床をこすり、皮膚が裂かれて血が滲み出る。
 痛みと同時に襲いかかった冷感に顔を上げると、彼女を『そこ』に放り込んだ男はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
 しかし男は何をするでもなく、手足の自由を奪われ、痛めつけられてなお消えぬ手向かいの気配に追い立てられるように重い扉の外へ出ていった。扉が閉ざされる直前、身震いをしていたのは恐怖よりも寒さによるものだろう。
 閉鎖とともに一切の明かりの失われたそこは四畳ほどの広さであろうか。どうにか起き上がって床面につけた尻も素足の裏も、ザラザラとした感触とともに痛みに似た冷たさを感じる。
 耳には獣の唸り声のようなモーター音。
 傍らに積み上げられたダンボール箱に足先で触れると、そこにも冷たさとざらりとした感触がある。暗さに慣れた目を凝らして見れば、それはどうやら霜のようだ。
 音と感触、そして目に映る光景からするに、業務用の巨大な冷凍庫に押し込められたらしい。
 判断して、はきつく唇を噛んだ。
 さっきの煙と異臭はなんだったんだろう―――
 考えるまでもない。おそらくはあの連中、ご同業者さんたちの手助けだろう。
 しかし、逃走するには至れなかった。痺れた身体はうまく動かず、縄抜けさえも果たせなかったのだ。
 後ろ手に縛られたままの手をきつく握り、肩の力を抜いて手首をひねる。幾度かその動作を繰り返すと、緩んだ縄から辛うじて手を引き抜くことができた。
 これがあの時できていればと悔しさに呻くが、それも長くは続かなかった。
 なにしろ霜があちこちに浮くほどの温度に設定された庫内だ。身に着ける物の多くない身はすでに末端が痛むほど冷えている。
「くそ……殺す気かよ……いや、殺す気なのか……」
 かじかんだ手でどうにか足首を封じる縄を解き、やっと立ち上がったころには全身がガタガタと震えるほどであった。
 吐く息は白く、唇は青ざめている。内側から扉にかけた手指は真っ赤に染まっていた。
 それでも渾身の力を込めて重い鋼鉄製の板を押す。
 ガチャンという音と抵抗だけがその身には返された。当然、施錠されているのだろう。
 ならばと冷気を吐き続ける送風部に目を向ける。なんらかの圧力を加えるなりして冷気だけでも止められれば、少なからず生きながらえることくらいはできるはずだ。
 かすかな空気の動きを頼りに、暗闇の中で天井近くに送風口を見つけ出すのには時間が要った。
 その時間こそが致命的だった。
 手を届かせるためにダンボール箱を積み上げようとするが、関節が強い熱と痛みを覚えてうまく動かなくなり始めていた。
 それでもどうにか階段状に積んだ箱の上に乗り上げ、手足を拘束していた縄を利用して霜の浮いたカバーを取り外すことに成功する。
 あとは単純だ。見るにかなり古い型の冷蔵装置らしいことは、ポッカリと開いた穴の奥で小さなプロペラが回転していることから見て取れる。カバーと縄を結びつけて回転する羽に絡むよう挿し込めばいい。
「問題は……」
 凍りつき始めたまつげの下の目を横に向ける。
 似たような送風口が複数、重いモーター音とともに未だ冷気を吐き出し続けていた。
「まあそりゃそうだよな。こんだけ大きな冷凍庫……」
 乾いた笑いを浮かべながら、は積み上げた箱の上から転がり落ちた。
 もはや体力はとっくに尽き、気力だけで身体を動かしていたのがここに来てすっかり折れてしまったのだ。泥のような倦怠感の上には眠気が伸し掛かってもいた。
 寝れば二度と目覚めないとは解っていてなお抗えない心地のよい誘惑は、不思議な暖かさを伴っている。
 そして少女は幻覚を見た。
 濡れた瞳の黒い毛の大型犬が、自分のそばに蹲っている姿だ。
 それは彼女がよく知る相手だった。かつては常に己のそばに控えていた愛犬の亡霊とも言える。
 そしてまた、この幻覚自体が馴染みのある経験だった。この黒い犬は、死してなおあらゆる暗がりに現れては彼女を見つめてきていた。
 潤んだ黒い瞳にはなにも映さない。静かな湖面のようにただ彼女の姿を返すだけだ。
 少女はぬくもりを求めて黒犬に手を伸ばした。
 するとどういうわけか、犬は「うわっ、冷たっ」と人の言葉を口にする。
「なん―――」
 驚愕に見開かれた目がやっと現実を捉えた。
 横たわった彼女の目の前に、膝を折った一人の少年と、猫を抱えた少女が一人立っている。どちらも見たことのある顔だった。
 は慌てて手を少年から離して問いかける。
「なんでここに……」
 凍りついた視界と暗闇の中でも、それが喜多川と奥村であることは判別できている。その腕に抱えられている猫にも、見覚えがあった。
 独り言めいた問いかけには奥村が答えた。
「私、自分で思っていたより気が短かったみたいなの」
 満面の笑みである。
 言葉を失ったの身体を、喜多川が慎重に抱き起こす。床に貼り付いた表皮がいくらか剥がれたような感触があったが、彼は死ぬよりましだと、にではなく己に言い聞かせた。
「やめろ、触るな……っ、私に触るな!」
「おい、暴れるな、こら……!」
 横抱きにされた格好で腕や足を振り回すが、力の入らない抵抗は胸に引き寄せられるような格好ですぐに抑え込まれた。
 そのように担ぎ上げられたことで高さを得た視界に、さらにまたほんの少し前に見た顔が映り込む。金の髪に碧の瞳は、どことなく呆れたような顔をしていた。
 そしてそれは、もまた同じことだ。
「くそぉ……なんでこっちに食いついてんだよ……」
「そういうこと言っちゃう?」
 気安く応えた高巻は、しかし小脇に大型のカルトンバッグを見せつけるようにぽんと軽く叩いて、片目をつむってみせた。
「ウサギが二匹いたら、二匹とも捕まえんのがウチらのやり方なの」
 この表現に、奥村はクスッと小さく笑う。
「ウサギかぁ、しばらくいただいてないなぁ」
「ああ、俺もしばらく味わっていないな」
「なんというか、ハルとユースケが言うことの受け取り方が違ってくるのはワガハイだけか?」
「や、だいじょうぶ。私もなんか、ん? ってなったから」
「どういう意味だ?」
「……なんだろうね?」
 ぞろぞろと連れ立って庫内を抜けた少年たちの脚が芝草を踏む。どうやらキッチンの裏に位置する搬入口付近にいるらしいことが窓の位置から察せられた。
 するとそこに、影の中からひょいと顔を出す者がいる。脱色した金の髪に細い眉、手にはガラクタの入ったゴミ袋を下げた少年は、彼らに向かってひらひらと手を振ってみせた。
「ういー、おつかれー」
 気安く言い放って合流したのは坂本だった。ゴミ袋の中身は、どうやら完全に破壊された≪グリム≫のスーツのようだ。
 各々軽く手を上げて彼を迎え入れると、一団から高巻が身を屈め、素早く先を行って植え込みの影に隠れて他の人影がないかと目線を走らせる。
 やがて『陽動』が上手くいっていることを確かめると、声も潜めてこの場に居ない人物に呼びかけはじめた。
「おーい、双葉? パッケージは二つとも奪取完了したよ。これから出るけど、リーダーはどうしてる?」
 雑音混じりの音声が応える。
『まことに引っ叩かれてのびてる』
「なにしてんのアイツ」
『二ケツすんのに腰じゃなくて乳鷲掴みにした』
「サイッテー」
 ため息と苦笑で満ちた場に、うめき声が重なる。
 喜多川の腕の中で動向を見守っていたが、今度は安堵から途切れそうになる意識を繋ぎ止めようと発したものだ。
 彼女にとってはまだここ―――認め難いが憎からず思う少年の腕の中でさえ安全ではないからだ。だから気を失うわけにはいかなかったし、可能であればここからも逃れるべきと鈍い頭を懸命に働かせようと苦心している。
 けれど……
……」
 名を呼ぶ声はこの上なく優しく、彼女の内にある凝り固まったものを溶かすようだ。
 未だ冷えたままの身体も、それを見つめる氷のような眼差しも、不思議な温かみに溢れている。
「俺から逃げようとするんじゃない。そんな気もないくせに」
 脅しつけるような言葉の奥には、強い熱が宿っていた。
 むべなるかな。は震える腕を伸ばして、慎重に彼の首にしがみついた。
「……あったかい……」
「む……寒いのか。 それならば、俺よりモルガナのほうが―――」
 奥村の腕から降りて足元から彼らを観察していた猫は、この上なく呆れ果てた顔を少年に向ける。
「バッカ、そりゃワガハイの役割じゃねぇよ」
 だが、俺などよりお前のほうがよほど体温は高いはずだろう。なんなら、杏や春に、竜司のほうが……
 言い募ろうとした喜多川を、のどこか夢見心地な声が遮った。
「キミがいい……しばらくこのまま……」
 温めてくれと乞われて、少年は背筋を伸ばした。敷地からはすでに抜け出していたから、その上背を晒すことにはなんの問題もない。
 それでも声を抑えて、しゃちほこばって彼は応える。
「あ……ああ。もちろん。お前が望むのなら、それくらい……!」
 荷物を担いで先頭を歩く坂本が口笛を鳴らしたが、彼はすぐに高巻の拳によって黙らされた。

 かくして、怪盗団は阿藤勝利の別宅から少女を一人盗み出したのである。

 ―――とはいえ、助け出されたお姫さまが協力的とは限らない。
 スタンガンによる火傷と打撲、冷凍庫で負った凍傷に、小さな擦り傷。それらの治療と同時に別室で奥村の暴走へのお説教と軽い仕置を済ませた彼らは、住宅地近くのホテルの一室に集まっていた。
 部屋はツーベッドルームで、中央のパーラールームから寝室に繋がる扉がそれぞれ二つ。バスルームとトイレもまた二つずつあって、パーラールームの大きな窓からは東京湾が一望できる―――
 部屋全体を包むラグジュアリーとでも言うべき雰囲気は、社長令嬢のちょっと羽目を外したお遊びと言うにはいささか若者たちには刺激が強いかもしれない。
 まして絆創膏や包帯に巻かれたは、後ろ手に縛り上げられてクイーンサイズベッドに転がされているのだ。
「なんかすごいイケないことしてる気分」
 どうにかこうにか合流を果たし、ルームサービスで運ばせた紅茶に口をつけながら言った少年―――頬には赤い紅葉が貼り付いている―――に、つい今しがたまで彼からお説教を受けていた奥村が苦笑する。
「だって暴れるんですもの。ごめんなさいね、さん」
 彼女の頭には何故かメモ帳で作られた三角錐に『DUNCE』と乱雑な文字で書かれた帽子がちょこんと乗っている。
「……ふんっ」
 顔を逸してあぐらをかいたの隣には、膝を抱えてラップトップをいじる双葉の姿がある。このためにこれ以上の抵抗を封じられているのだろう。
 それでもなお頑なな態度で彼女は言った。
「言っておくが……なにも話す気はないからな」
「あらら、強情」
 大して驚きも失望した様子も見せず反応した高巻は、もう一つのベッドに腰を下ろしてサイドボードの上のメモ帳に『DUNCE』と書き綴っている。
 その手はすぐさま紙を三角錐型にまとめ、これも帽子としての頭に乗せられた。
 低能帽。かつては行いの悪い生徒に対する罰として与えられることのあった帽子である。日本ではスカタン帽と言えば通じることもあるだろう。
 は歯を剥いて帽子を頭から振り落とした。
「なんだろうと言うことはないっ! ゴーモンでもなんでもしてみろってんだ!」
 威勢のいいこの発言に、少年が再び顔を上げる。何故か嬉しそうな顔をして。
「拷問だ、とにかく拷問に―――」
「ちょいお前黙ってろ。あー、なあさんさ、マジで俺らも困ってんだよ。助け合いとかは興味ねぇの」
 彼と同じテーブルについてこちらもルームサービスのクラブハウスサンドに齧りついていた坂本は、じっとに視線を送っている。そこには興味こそあれ、企みや裏がないことは一目で知れるだろうあけすけな光が湛えられていた。
 しかし彼女はまたそっぽを向いてしまう。
「ないね」
 答えもそっけない。
 するとここに、外のコインランドリーでの衣類を洗濯していた喜多川が憮然とした表情で合流する。
「おい、服から酢のにおいが落ちないんだが。あの煙は一体なんだったんだ」
 言って、喜多川は紙袋に収められた衣服を奥村に預け、空いた手で坂本の手元のクラブハウスサンドに手を伸ばした。
「だからお酢だよ。米酢煮詰めて片栗粉でとろみ加えて、他いろいろ混ぜたやつをガシャポンのカプセルに詰めたの」
「どれだけ濃縮させたんだ……う、ピクルスの味がする気が……」
 項垂れてなお食い気の失せない様子の彼は、ふと室内がいくらか緊迫した空気に満ちていることに気がついて首を傾げた。
「なんだ、まだの口を割らせてないのか」
「そうは言っても、手荒な真似は私たちのやり方じゃないでしょ」
 窓の外の風景を堪能していた新島がふり返って肩をすくめた。ちゃっかり高巻の隣をキープしていたモルガナなどは、これに深く頷いている。
 怪盗とはときに苛烈に、しかし常にスマートであるべし。
 と、主張したいかどうかは別として、には喋って貰わねばならないことが山のようにある。
 怪盗としての目的、手段、協力者の有無に、認知訶学への理解度とどうしてそれを知ったのか―――
 また先に奥村へ向けた発言の真意も気にかかる。
 双葉もそれを知りたがって、しかしどこか冗談めいたことを言う。
「レベル1あたりの拷問でもするか」
 パタンとラップトップを閉じ、枕元に置いての長い黒髪に手を這わす。彼女は嫌がって猫のように身を震わせたが、双葉は構うことなくその髪を乱雑に編み始めた。
 さて、紅茶を飲み干した少年が立ち上がる。
 彼は完全に戯れるつもりで口を開いた。
「レベル1くらいだろ? じゃあ俺とキスしようか―――」
「1だっつってんだろ聞いてたか?」
 直ちに双葉がそれを叩き潰して、彼をせき止めた。
「そんなに……? そこまで? どうなんだ杏」
「えー? 5くらいじゃない?」
「えっ!?」
 思っていたよりも高い数値に、今度こそ少年は衝撃を受けて膝をつく。
 追い打ちと新島が己の胸を手で押さえて彼を睨みつけた。
「相手によるものよね。見た目や言動に、関係性。いずれにしたってレベル1ってことはないんじゃない?」
「そうだね。でも私なら……」
 奥村などは何故か頬をぽっと染めて俯いてしまう。
 それを横目で眺めて坂本が所感を述べる。
「俺ら相手なら10は余裕で超えるわな」
「ウッ、想像させるな! うぉえっ」
 喜多川は顔を青くさせて食べたばかりのものが逆流しないように両手で口を押さえる―――
 モルガナもまた毛玉を吐くような仕草をしてみせていた。
「お前らおぼえてろよ。いつか絶対後悔させてやるからな」
 ギリギリと歯を噛む少年を見下ろして、は呆れた表情を浮かべている。
「バカ軍団なのかキミらは」
「ちょっと反論できねーな……」
「猫も喋るし……」
「だから猫じゃねぇよ!! オマエ、! ワガハイあんときの恨み忘れてねーからなっ!?」
 がなるモルガナの『尻』に、いつの間にか這い寄っていた少年の手が伸びる。揉み込むようにひと撫でされて、モルガナの毛が逆だった。
さん、聞かせてもらうぞ」
 引っかく爪も噛み付く牙も構わず彼は問いかける。
「だから話さないって……」
「君はレベルいくつだと思う?」
 沈黙とともに白けた視線が少年に突き刺さった。
 しかしは顔を赤くしてにじって逃れ、一際厳しい目つきを彼に差し向け、時間帯に相応しくない大声を出す。
「やってみろ! 好きでもないやつとキスするくらいなら舌噛み切って死んでやるっ!」
 ごもっともだと坂本が頷いてみせるその隣で、少年が立ち上がったことで空いた一人掛けのソファに落ち着いた喜多川が感心したような目をに向けていた。
「な、なんだよその目は……」
「別に。噛み切っていないなと思っただけだ」
「……あっ!?」
 は息を呑んで瞠目し、小刻みに震え出した。すると対面でそれを眺めていた高巻が好奇心に瞳をきらめかせはじめる。
「なにそれなにそれ? 今なんか面白そうなこと言ったよね? なになに? ほら喋っちゃいなさいよっ」
 ずいと身を乗り出した高巻に、は足をばたつかせて後退る。背はすぐにヘッドボードにぶつかって停止した。
「い、言わない! くそぉっ解けよぉ!」
「こらこら、暴れんじゃないの」
 伸ばされた腕がむき出しの膝を軽く叩くと、は大げさに身体を震わせた。
「触るなっ! クソぉ……なんでこうなるんだよぉ……」
 涙こそ見せないものの、しおれた様子を見せはじめた少女に少年は肩をすくめる。瞳にはありありと「ざまあみろ」と書かれていもいた。
 彼は立ち上がり、もとは己の席だった場所に収まって夜食を平らげる友人の肩を馴れ馴れしく撫でる。……手はすぐに叩き落とされた。
「祐介に手を出したのが運のツキだったな」
「あー、コイツそーいうとこあるよな」
「わかる。人の運吸い取ってる感じあるよね」
「妙に悪運が強いと感じることはあるが……なるほどな、そういうことかよ」
「まじで妖怪っぽいな。魔少年だ魔少年」
「……祐介、私の運、返してくれる?」
「あらあら、じゃあ私にも分けてもらおうかな」
「えー……」
 いつも通りの冗談を交わし合う少年たちに、は背を向けて顔を枕に突っ伏して倒れ込んだ。
 その腕を封じる結束バンドに鋏が当てられる。
「あれ、いいの?」
 首を傾げた高巻の視線の先で、新島が拘束を解いた。お役御免となったプラスチックの残骸はゴミ箱に放り投げられる。
「怪我もしてるし、暴れられても抑えられそうだし」
「ば、バカにしてんの―――いたぁ!?」
「ほらね」
「やめろ! 私に触るな! 触るなってばぁ!」
 つまらなそうに鼻を鳴らした新島は、その細い腕一本でものの見事にを封じ込めている。逃れようと足や腰が暴れたが、傍らで双葉は構わず編み込みを続行しているから、封じ込めは完璧な様子だ。
 離れた所からそれを眺めて、少年は喜多川にそっと耳打ちする。
「止めなくていいのか?」
「……あれはあれで」
「あ?」
 空になった小さなテーブルを挟んだ向こうの坂本が首を傾げたが、喜多川は素知らぬ顔で言を重ねた。
「彼女は敵ではないが、味方というわけでもない。妥当な扱いだろう」
「あっそ」
 かぶりを振って、少年はどうしたものかと思案する。
 連れ去られた彼女がろくな目には遭うまいと追い、忍び込んで連れ出したはいいが、その後のことまではあまり深くは考えていなかった―――
 実状はこんなものだ。いつも通りの自転車操業で、綱渡りとも言えた。
 とて怪盗団の介入がなければ今の状況など戯れに過ぎないようなことになっていたと解っているのだろう。本気で逃れようというのであれば、治療させるために高巻と二人きりにさせたときにできたはずだ。
 彼はちらと部屋の隅に投げ出しておいたままのガラクタに目を向ける。救出の傍ら坂本に回収させた≪グリム≫のスーツの残骸だ。どうやらすっかり壊れてしまったようで、少年らがつついたり叩いてもうんともすんとも言わなくなってしまっていた。
 あるいは、これが壊れてしまったことで心も折れてしまったというのか。
 歩み寄って脚部に取り付けるらしい外骨格を取り上げると、鋭い怒声が投げつけられた。
「それに触るな! 私の―――」
 どうやら心は健在であるらしい。ふり返った彼の視線の先では相変わらず新島に抑え込まれたまま、しかし瞳に明らかな敵愾心をギラつかせている。
 少年は口角を釣り上げて笑うと、ガラクタを床に戻して彼女に向き直った。
「君の、なに?」
「私の……」
 言葉の続きを推測して、少年は奪い取った。
「復讐のための道具?」
 部屋は静まり返る。
 忌々しげに目を細めたその身体から力が抜けたことを察して新島が離れると、は相変わらず小さな三つ編みを作り続ける双葉の手を振り払った。束ねられていたわけでもない髪はそれだけでほどけてもとの波打つ姿を取り戻す。
 はほんの一瞬、ちらりと喜多川を盗み見た。そこに込められた意思を感じ取って、彼は首を左右に振る。
「俺はお前のことなどなにも知らなかった」
 彼の言わんとしているところは、即ちの極めて個人的な身上だ。
 例えば、三年前に事故で両親を失い、定時定額支払いの死亡保険金で暮らしていたことや、家以外の財産はすべて謀略によって奪われたこと……
 もっとも金に関しては困窮するまでではない様子であることが彼女の生活ぶりからは窺い知れる。
 これらは喜多川の預かり知らぬところで友人らが聞き回ったところだ。全会一致の掟はどうしたと彼が問いかけたとき、仲間たちはとぼけた顔で「これは団の活動ではなく個人的に友達を心配した結果だ」と主張した―――
 さておき総合して分かるのは、は徹頭徹尾その目的を金銭としていないということだ。そちらに関してはなんならあと数年待ち、成人した折にでも追認を拒絶して遺産分割協議を無効に追い込めばいいのだ。端から視野にすら入れてすらいないだろう。
 であればなにゆえ彼女は『怪盗』になったのか。考えた末浮かび上がったのが少年が口にした『復讐』の二文字だ。
 そしてこれはどうやら当たりらしい。は歯を噛んで悔しそうに顔を俯かせている。
 怪盗団の≪切り札≫は勝ち誇ったように笑ってみせた。
「なあさん。助け合いに興味はないか?」
「それさっき俺が言ったやつゥ」
 揶揄の言葉が坂本から投げつけられたが、彼はこれを聞かなかったことにして、一歩彼女に歩み寄った。
「もちろん、合いと言う以上、俺たちだけに利益のある話じゃない。君にも利得のある話だ」
「取引ってことかよ……」
「そう。君は俺たちに情報を流す。俺たちは―――」
 の目はすばやく部屋に集う『心』を専属とする盗みの集団を見渡した。
 今や彼らは泰然とした様子で彼女の反応を伺っている。その色は様々だ。強い好奇心に、気遣うようなものもあれば、まだいくらか警戒を覗かせる者もある。必死さや縋るような目つきもあった。
 有無を言わせない強制力を湛えて彼女を見つめるものもある。
 言を継いで彼は言った。
「お前のその『復讐』とやらを手助けすることができる。これもお前は承知していたんだな?」
 問いかけた喜多川の口元には、一種虚無的な笑みが浮かべられていた。彼女にというよりは、己に向けられたものだ。自虐的ということもできるだろう。
 は唇を引き結んで、はじめて首を縦に振った。
 分かっていたことでも、喜多川は悲しげに眉尻を下げる。そうか、やっぱり、お前の好意的なふるまいはこちらの感情を揺さぶるための手段でしかなかったのか、と。
 けれどそれならば、今首を縦に振ったのは―――
 希望的観測によって顔を上げ、彼はまたに述べる。
「阿藤勝利やら、どうもきな臭いじゃないか。俺たちにも一枚噛ませてもらうぞ」
「なんで……」
 強い語調に少女は項垂れて目を逸らした。シーツの上によったしわを見つめる瞳には困惑が浮かんでいる。
 それを見て、高巻は金の髪を指先に巻きつけながら微笑んだ。
「ウチらの唯一の掟が全会一致だからね」
「この調子じゃ、ユースケはオマエの改心に賛同してくれそうにもないしな」
 脚を組んだ彼女の隣、モルガナもまた前足を交差させ、その上に顎を乗せている。ゆらゆらと揺れる尾は彼の呆れや諦めに似た心情を表している様子だった。
 双葉などはごろりと大きなベッドに横たわり、スマートフォンを天井に掲げてそこを覗き込んでいる。
「そもそもこいつにパレスないんだよなぁ……」
 然り。の心にパレスが存在しないこともまた、すでに調査済みである。その行いの是非はともかく、彼女は歪むほどの欲望を持ち合わせていないのだ。
 それは即ち信頼に足るということでもないが―――
 怪盗団の頭領は楽しげに指を鳴らして全員の視線を己に引き寄せた。
「対して君のターゲットである阿藤勝利にはパレス―――つまり、君の言う俺たち向けの舞台が存在する。ついでに言えば、俺たちにはやっこさんを改心させる動機もある」
 元より≪グリム≫を捕縛しようと思い立ったのは現状怪盗団を取り巻く状況の改善のためだ。世間が彼らを残忍な悪党であると誤認する状況を是正したいからこそ、もう一人の『怪盗』に白羽の矢が立った。
 そしてそれは、どうしても彼女でなければならないということはない。
 新島は俯くに膝をにじって近寄ると、その耳元に妖しく囁きかける―――
「どう……? 私たちに改心を依頼してみない? 絵は首尾よく盗み出したみたいだけど、このままじゃ遠からずなにもかもがご破算になるんじゃない?」
 何故ならあなたは阿藤勝利に顔を見られ、そしてそれによって正体を知られている。
 これに奥村が追撃をかけた。
「お互いに、利益のある話じゃないかな? ねえ、さん―――」
 朗らかにそう問いかけられて、いよいよは答えに窮して表情に影を落とす。
「……お前たちの言う、改心を行うと……これまでのターゲットのようになんのかよ……」
「ああ」
 頷いてみせた喜多川に、は縋るような目を向けた。
「キミのお師匠さまみたいに」
 わずかな沈黙の後、喜多川は再び小さく顎を引いてみせた。それは肯定を示している。
 は泣き出しそうな顔を隠すためか、慌てた様子で膝を抱えた。
「あの男……阿藤……あいつ……あいつは―――」
 声は乾いているが、明確に震えている。
「私の両親を殺したんだ……」
 予想のできていた答えではあったが、しかし誰もが息を呑んで沈黙した。