10:Ataraxia

 しばらくは大人しくして、様子を見ましょう。
 作戦参謀官であるところの新島からの厳命に従って、怪盗団の面々は日常に埋伏した。ただの高校生の顔をして学校に通い、いつも通りに過ごしてみせた。
 案ずることは多かったが、奥村の心情を思えば迂闊な言動は控えるべきと皆心得ていたから、これ自体はなんの滞りも存在しない。
 ただ、喜多川は三日ぶりに訪れたの家で彼女を見て、ひどく驚く羽目になる。
「どうしたんだ」
「なにが」
 というのも、は前はうっすらとあるだけだったクマを色濃くして、もともと少し釣り上がり気味の目をより剣呑なものにしている。声の調子も普段より低くなっていて、掠れてもいるようだった。
「別に、大したことじゃない」
「大したことだろう。どうしたと言うんだ、本当に」
 踏み込んだ彼にはかぶりを振るばかりだ。
「ただちょっと、眠れてないだけ」
「ちょっと? ちょっとか?」
「……ほっといてよ」
「できるわけないだろう。なにか患っているんじゃないのか? ご家族はなんと言っている?」
「……家族はずっと出てるから。もうずいぶん顔を見てない」
「じゃあ、ずっと一人なのか?」
 こっくりと頷いたの姿に、彼は顔も知らない彼女の家族に怒りを覚えた。娘がこんな焦燥しきった顔をして眠れていないと訴えているのに、いったいどこでなにをしているっていうんだ、と。
 彼はまた少し前にもした問いを彼女に投げかける。
「俺になにかできることはあるか?」
 この問いに、このときのはふっと嘲るように鼻を鳴らしてみせた。
「なにもないよ」
 頼むからあまり深く訊いてくれるなと無言のうち、全身で訴えかけられてはさすがの喜多川も沈黙せざるを得なかった。

……
 喉が乾いた。
 そう思って顔を上げた喜多川は、いつもなら傍らで本を読んでいるか彼と全く別種の課題に取り掛かっているの姿がないことにはじめて気がついて首を傾げた。
 普段なら―――
 ちょうどこのように集中力が途切れた瞬間を知っているかのように飲み物を用意してくれているのに。
 しかしあれだけ具合の悪そうな姿を見せていたのだから、それも仕方のないことかもしれない。
 それなら今日は来るなと言ってくれてもよかったのに……
 ため息をつきながら立ち上がって、少年はアトリエを出た。
 最近になって分かったことだが、どうやらこの正方形の作業場は古ぼけた日本家屋よりいくらか若く、後になってから庭に増築されたものであるらしい。渡り廊下を無理矢理通したように接合されているのはこのためだとか。
 喜多川はその渡り廊下を通って、平屋の中にの姿を探した。家主の許しなくうろつくことにもはやなんの抵抗も抱かないのはもともとの気質か、それともそれだけこの家に通いつめているからか―――
 判別が着く前に彼は探し人の姿を見つけて息をひそめた。
 ちょくちょくお茶やおやつをいただくことのあるリビングの、小さなセンターテーブルの前に置かれた古めかしい布張りのソファ。その深い緑色の生地の上ではすっかり熟睡している様子だった。
 テーブルの上には雑誌が三冊―――ハイティーン向けの女性誌、青年向けの漫画雑誌に、機械工学系の月刊誌が置かれたままになっている。その雑多さにこそ彼女の性格が表れているようで、喜多川は思わずと苦笑する。
 ハイティーンの女の子で、荒っぽくてガサツで、機械設計なんかが好き、と。
 しかしそう思って見返してみると、この家の中に彼女の好むものの要素はあまり見かけない。家の中はよく手入れされてはいるが、アトリエはあってもガレージのようなものは無いではないか。
 そもそも―――
 寝室らしき空間も見当たらない。襖を隔てた隣の空間こそ床の間になっているが、押し入れなどは見当たらないからここに布団を敷いて寝るわけではなさそうだ。
 それなら今目の前で安らかに眠る少女はどこで寝起きしているのか。喜多川は思案して記憶を探った。
 この家は入母屋造りだ。外から見て窓があったことも考えると、二階か、屋根裏部屋にあたる空間があるはずなんじゃないか?
 しかしこれだけうろついて階段すら見つけられないのはどういうことだろう―――
 思うなり少年は好奇心に突き動かされるがままふらりとリビングを出て家中をさまよい歩いたが、大して広くもないはずの平屋建ての邸宅の中に階段の類を見つけ出すことはできなかった。
(よもや忍者屋敷のように隠し扉があるわけじゃなかろうな)
 ちょっとわくわくしながら壁という壁に手を当てながらうろつくと、なんということか、彼の望んだものがちょうど渡り廊下の手前にあった。
 それは壁と同じ材質で封印されたスライドドアのようだった。横に滑らせると目の前に上りの階段と、足元には落とし戸がある―――
「やっぱり二階があったんじゃないか」
 地下まで存在していたのは意外なことだったが、しかしどうして隠しているんだろう。
 落とし戸に手をかけるのは躊躇われて、彼は階段を登った。
 行儀が悪いと思わなくもなかったが、しかし古臭い邸宅に隠し扉とその先の階段というシチュエーションを前に引き下がるわけにはいかなかった。
 しかし登りきった先はなにかおどろおどろしい儀式や隠し財宝の痕跡など全く存在しない、陽光差し込む掃除の行き届いた廊下だった。
 まっすぐ伸びた先に小さな採光のための天窓が一つと、中ほどに向かい合った扉が二つ―――
 こうなると、どちらかが下で眠る彼女の部屋なのだろう。なるほどと進んで天窓を覗き込むと、傾き始めた秋空が茜色に輝いて彼の目を強く焼いた。
 すると、背後で物音がする。
 痛む目を細めてふり返った彼の目に映ったのはなんの感情も湛えていないの姿だった。その利き手には大型のパイプレンチが握られている。
「―――入ったのか?」
 幽かな声で問いかけられて、喜多川は冷や汗とともに後退った。背後には壁がある。
「部屋に、入ったのか?」
 繰返した彼女に、喜多川は必死になって首を左右に振った。事実彼がここで見たものなどこの天窓くらいだ。
 いかにも重たそうなレンチがその窓から差し込む茜色の光を反射して紅く輝いている。
 ―――あれで殴られたらさすがに痛そうだな。
 のんきにそんなことを考えていた彼に、はどこか安堵したような息をついてもう一度だけ問いを投げた。
「なにか……見た?」
「なにかって、なんだ?」
「……絵、とか」
「いや……」
 あるのか? と逆に問い返した彼に、は今度こそふうっと息をついて、しかし怒りによって眉を釣り上げて彼をきく睨みつけた。
「いや、これは、決して盗みに入ろうなどと言うつもりではなく」
「じゃあ、なんだ。言ってみろ」
 重たそうなレンチを肩に担いで鼻を鳴らしたの目元には、やはりまだ濃い疲労の影がある。
 喜多川はやっと部屋を探そうと思い至った真の目的を胸に返した。
「君がソファで眠ってしまっていたから」
「は?」
「せめて部屋に連れて行こうと思ったんだ」
「は……」
「逆効果だったな。起こしてしまったようだ」
 しゅんとして項垂れた少年の姿に、は苦虫を噛み潰したように渋い顔をしてみせる。
 ため息とともに彼女はそばの壁にレンチを立てかけた。
「警報が鳴って起こされたんだぞ……」
「すまない、許せ」
「それが許しを乞うセリフか?」
「仕方がないだろう。あんな隠し扉みたいなものを見つけてしまったら……それは、誰だって入りたくなる」
 堂々と言い切った喜多川の姿と好奇心できらめく瞳に、はこの上なく冷淡な声を返した。
「そんなのキミだけだよ」
 しかしその程度でへこたれるような輩であれば、そもそもこんな所にまで踏み入ってはいないだろう。無遠慮とも言い表せる豪胆さはこの少年の強みでもあった。
「そもそもなぜ隠していたんだ?」
「それは……前に、一人のとき、泥棒が入って、それで」
「隠していた、と?」
「悪いかよ……」
「いや、合点がいった。それで警報まで仕掛けてあるのか」
「ん……」
 わずかにあごを引いて肯定したに、喜多川は大きく首を縦に振って一歩前に踏み出した。
「疑問は解消したな。ではいざ」
「待てコラ」
「なんだ?」
 首を傾げた彼の手は二つある扉のうちの片方、楕円型のドアノブを握っている。
 少女の表情に再び憤怒と焦りが湧き上がる―――
「その手を離せ……でないと……」
 一度手放したはずのレンチにまで手が伸びる。
 彼はそれが振り上げられる前に問いかけた。
「ここが君の部屋か?」
「違う、そっちじゃない!」
「なるほど、そうか」
 納得するとノブからはあっさりと手が離された。引き換えに対面の扉に手がかけられる―――
「あっ!? よせバカ! やめろ!」
 レンチが床に転がる音とドアが勢いよく引かれる音が狭い廊下に響き渡った。
 そして……
「おう……」
 少年は目の前に広がった光景にうめき声を上げた。
 屋根近くに取り付けられた大きな高窓からはやはり夕陽が差し込み、それによって照らし出された室内は……
 なんだか雑然としていた。
 奥に置かれた寝台の上には脱ぎ散らかされたままらしい衣服と下着が放り出され、枕元には雑誌が何冊か重ねられている。左手には机があるのだが、大型のデスクトップパソコンに天板のほとんどが占有されていて、残り少ないスペースにも専門書らしき本や教科書が積み上げられている。
 板張りの床は磨かれて艶があるが、しかしここにもやはり本や工具があちらこちらに転がって―――
 総合的に言えば、足の踏み場こそあれ、斎の部屋はひどく散らかっていた。
「な……なんか言えよ……」
 そしておそらく彼女自身それを自覚しているのだろう。恥じらいと気まずさをいっぱいに湛えて呻いた彼女に、喜多川は応えて言った。
「俺の中の女子の部屋という夢を返してくれ」
「やかましいわ! さっさと下に降りろ!」
 しかし少年は怒りのこもった吠え声を聞き流して工具を押しやりつつ部屋に足を踏み入れた。
「あ、これ」
 その瞳は机の隣、むき出しになった太い柱に打ち付けられたシンプルなアイアンフックに向けられている。
 そこには小さな鍵と、それに繋がるキーチャームがぶら下がっていた。
「入るなよぉ……もおぉ……!」
 はその視線には気がついていないのだろう。慌てた様子で彼を追いつつ、足元やベッドの上の衣類を隠すように拾い集めては腕の中で丸めることに必死になっている。
「あのときの」
 感慨深げな声には部屋の隅のランドリーバスケットに服や下着を押し込みながらふり返る。
 彼の指はアンティークゴールドに赤い石のはめ込まれた犬の横顔を示していた。
「あ……うん……」
 歯切れ悪く応えて、嬉しそうな喜多川に対してはバツが悪そうに目を逸らしてしまう。
 喜多川はかすかに首を傾げつつも、思い出を胸に返した。
「不思議な縁だな。まったく偶然に知り合ったお前の部屋にまで上がりこむことになるとは」
「……いや、キミの不法侵入だからな?」
「隠すほうが悪い」
「開き直るなバカ!」
 ポコンと軽い感触が少年の後頭部にぶつかった。足元に小さなくまのぬいぐるみが転がり落ちてきたところを見るに、これが投げつけられたのだろう。
 ひどい持ち主がいたものだと手のひらサイズの愛くるしいくまを取り上げようと身を屈めた彼の背に、幽かなつぶやきが届く。
 ―――偶然なんかじゃない。
 それは聞かせようとしてのものではないようだった。
 くまを手にしゃがんだままふり返った彼に、は工具箱を足の先で部屋の隅に押しやるふりをして背を向けた。
「いま……」
 なんて言おうとしたんだ?
 問いかけようとした喜多川の目に、タイミングの悪いことにまた見覚えのある物体が映り込む。
 作り付けの小さな棚の上。天板の上に並べられた家族写真の中で異彩を放っているのは異国の神を象った木彫りの像だ。
「……ちゃんと飾ってくれているんだな」
 じわじわとこみ上げる笑いと喜びをそのままに訴えると、しかし少女はまなじりを釣り上げて怒鳴り返した。
「門番としてなんの役にも立っていないみたいだけどな!」
「コペルニクス的転回だ。俺は神によって進入を許された」
「ポジティブすぎるぅ……早く出てけよぉ……」
 ついにはヨロヨロと床に膝をつき、ベッドに頭を突っ伏してしまった。その足元、床板と床の間の隙間には見覚えのあるトランクケースが納まっている。
 そういえばあのとき、あの驟雨の中、彼女はなにをしていたんだろう―――
 今さらながらにそう思いつつ、しかし今問うことではないかと喜多川は己の欲求を優先した。
「駄目だ。そもそも部屋を探そうと思ったのはお前をきちんとした場所で休ませるためだぞ」
「なにバカなことを……うわっ、さ、触るな!」
 欲求とはすなわち、彼女にきちんとした休息を取らせることである。
 都合の良いことに寝台に半ば乗り上げた彼女を掴み上げて横たわらせるのは彼にとって容易いことだった。手足が抵抗するように多少振り回されたが、それを押さえ込むのに苦労するほどやわなつもりは彼にはなかった。
 果たして柔らかなマットとシーツの上に転がされたは、顔を青くしたり赤くしたりしながら屈辱にだろうか、プルプルと震えている。
「ほら、寝ろ」
 それすらも無視して夏用の薄手の毛布を頭まで被せてやると、はうめき声を上げて足をバタつかせた。
「なにすんだ! うわっ、だから、さわ、触るなって……」
 上体を起こそうとする彼女の肩を掴んで再び寝かしつける。やっぱりそれは、容易いことだった。
「よしよし」
 なにより毛布越しに優しく肩を叩いてやると、彼女はすぐに大人しくなる。
 喜多川はそばの床に腰を下ろしてそれを継続した。
「最低だ……勝手に部屋にまで押し入って、こんなに近くにまで……」
 恨み言に力は無く、拒絶の意味が籠められていても意思は伴われていない様子だ。
 少年はそれに密かに息をつく。
「デリカシーがないとはよく言われる」
「自覚があるなら改善の努力をしろよ」
 反撃を彼は笑い飛ばした。
「お前が寝たら、そうしよう。それまで居座るぞ」
「どんな脅し文句だよぉ……」
「観念するんだな」
 呻いて、は彼に背を向けると毛布を頭まで被ってきつくまぶたを閉ざした。
 その背に再び彼の手が触れ、赤ん坊を寝かしつけるように優しく叩く。一拍毎に緊張がほぐれて力が抜けていくのが彼の手にはよく伝わった。
「おやすみ」
 優しく言ってやると、それだけで少女はたやすく眠りに落ちた。規則正しく安定した呼吸が確かな睡眠を教えている。
 それで良しとして、喜多川はすぐに部屋を出た。寝顔の一つくらい見てやったってよかったが、そんなものはこれから先いくらでも目にする機会があるだろうと彼は考えていた。
 の私室の目の前に、もう一つの扉がものも言わず佇んでいる。
 気になるかならないかと言われれば、それは当然前者だ。
 彼女はどうにもここに立ち入られることこそをひどく警戒している様子だった。なにか重大な秘密が隠されているのか、はたまた財宝でも隠しているのか、もしくは今度こそ怪しげな儀式的祭壇でもあるのか―――
 想像は無限に広がったが、しかし彼はゆっくりと階段を下った。
 今日はもうこれで充分だ。
 落ちかけた日の光に照らされた庭を見つめながら、彼は誰に聞かせるでもなくつぶやいた。


……
 今や人々は口々に放言している。
 あいつらやっぱりヤバい連中だったんだよ。
 絶対いつかやるとは思ってたんだよな。越えちゃいけないライン考えろよ。
 ていうか聞いたんだけどさ、俺の友達の親戚が連中にリンチにされたって。
 コワ……ほんとに危ない人たちだったんだ。
 警察はなにしてるわけ? どうせ他の暴走事件とかもアイツらの仕業でしょ。早く捕まえてよね、あんな……
 ―――人殺しの集団なんてさ。

「―――というのが、三島から聞いた世間の怪盗団への評価だな」
 平然と言ってのけた怪盗団の頭領は、膝の上に乗せた渋い顔の猫を抱きしめて、すっかりアジトと化した屋根裏部屋に集った面々に視線を一巡させる。
 腕の中のモルガナに始まり、坂本に高巻、喜多川、新島、双葉と―――
 奥村春もこの場に姿を現している。
 ほんの数日前、彼女の父邦和の改心が成った結果が確かめられると額を突き合わせてスマートフォンを覗き込んだ彼女たちは、しかしその席で奥村邦和がなにを語ることもなく苦悶に震え、血反吐とともに崩れ落ちた姿を目撃している。
 青ざめた奥村春は父の安否を確認するためにもその場を去り、そして……
 奥村邦和は死亡した。それもおそらく、『心』を破壊されて、生きるための活力をすべて失って事切れた。
 考えられる原因は怪盗団の行った『改心』だ。成功したつもりでなにかをしくじり、彼の心を破壊したという可能性は有り得ないわけじゃない。
 これまでずっとこの方法で上手くいってきたはずなのに。それともこれは成功経験の復讐か―――
 思い悩む彼らの前に奥村春が現れて問いかけた。
『信じていいんだよね?』
 少年はなにも言わず、ただ首を縦に振った。
 それでこの少女には充分だった。ただ彼が信じろと訴えるのであれば、もはや他に道など無い。たとえそれが嘘であったとしても、すべきことは彼のそばでなければ成し遂げられないのだから。
 だから、奥村春はこの場にいる。佐倉双葉の隣に座って、薄っすらと微笑んで彼の言葉の続きを待っている。
「さて―――どうするか。炎上したときの最適解は沈黙だけど、警察も動いているとなるとな」
 やわらかな腹と胸の毛皮を揉む彼の手に、モルガナの背中と尾っぽの毛がぞわぞわと膨らんだ。
「真、お姉さんはどうしてる?」
「表面上はいつも通りね。ただ、イライラはしてる。帰りも前にも増して遅くなったし、泊まりも増えたから、かなり躍起になっているのは間違いないと思うよ」
 新島真の姉という人は東京地方検察庁は特別捜査部に所属する検察官であり、警察とはまた別に以前から精神暴走事件の犯人を怪盗団であると睨んで捜査を行っている才媛である。
 そも怪盗団が奥村邦和にたどり着いたのは彼女の捜査資料を盗み出せたところが大きい。
 それによって真犯人の目星を彼に付けたが故に今こんなことになっているというのはいかにも皮肉が効いているが―――
 いずれにせよ新島冴は今回の死亡事例によってますます確信を強め、執念を燃やしていることだろう。
「捜査の妨害……する?」
 少し困ったように、己のつま先を睨みつけながら新島が言う。
「妨害ってどうすんだ?」
「わからないけど……お姉ちゃんのパソコンにコーヒーこぼす、とか……」
「物理かよっ!?」
 喚いた坂本に唇を尖らせて、新島はならばと重ねる。
「じゃあ、そうだ! 家出してみるわ。さすがのお姉ちゃんも何日も私が家にいなかったら洗濯物やご飯で困ると思うから、探す間くらいは―――」
「落ち着いてよぉ……アンタがテンパったらウチらどーしよーもないんだからさぁ……」
 ソファの肘置きに軽く腰掛けていた新島の腕を高巻が縋るように軽く引いた。
 新島は呻いて項垂れ、沈黙する。
 彼女にしたってそんなこと……捜査を遅らせる程度で問題解決に至るなどと本気で思っているわけではないのだ。ただ、目の前で―――その間に液晶と電波を挟んでいたとて、ひと一人が、それも仲間の身内が異様な死を迎えた姿を見せられて、冷静ではいられなかった。
 あんなふうに死ぬのか。改心にしくじり、心を破壊された人間はあんなふうに、無惨な死に様を迎えるのか。
 一歩間違えればこれまでのターゲットにもあのような末路を叩きつけていたかもしれない―――
 そう思うと怖気が走ろうというもの。
 とみに双葉などはその当事者だったからだろうか。椅子の上で膝を抱え、先ほどからずっとラップトップパソコンのキーボードを叩いては画面を睨みつけている。
 しかし彼女は突然、座面に足を乗せた格好で腰を上げると、素っ頓狂な声を上げた。
「―――ッし! やったぜミッションコンプリート!」
「……は?」
 ポカンとした視線が彼女に集中する。
 彼らの前に双葉は己のラップトップを自慢げに差し出してやった。
「ジャジャジャジャーン!」
 自前のファンファーレ付きで示されたそこには、何某かのポストカードを撮影したらしき画像が複数表示されている。
「双葉ちゃん、これは? まあっ」
「うわっ! ≪グリム≫のメッセージカード!? なんでっ!?」
 瞠目する一同に向けてニンマリとして、双葉は己の薄い胸をドンと叩いた。
「ケーサツのサーバー、刑事課の資料からちょろ〜っとな。『借りて』きた」
「アウトもアウトよ……はあぁ……」
「なんだよぉ、必要だろ?」
 重苦しいため息をついて額を押さえた新島に、今度は双葉が唇を尖らせる。
「必要、というのは?」
 言葉尻を捕らえてどういうことだと問いかけた喜多川に答えて曰く、
「捜査を遅れさせるってなら、あちらさんの目を眩ませるのに≪グリム≫はちょうどいい誘蛾灯だろ? それに、わたしたちが人を殺してないって証明するには、真犯人を捕まえる他に、身の潔白を示すって手もある。そんでそのためには、やっぱり改心が手っ取り早いとおもう」
「あー? つまり、この同業者サンをとっ捕まえてケーサツに突き出して、俺らは正義の味方だって宣言してやる……ってコトか?」
「そのとおりっ! 幸いすでに資料は揃ってるし、やっこさんの次のターゲットは絞れてる。そんで、ここまでの犯行の間隔から見ても、もうすでに次が起きていてもおかしくない。だってのに起きてないってことは、諦めたか―――」
「準備中、か」
 限界だと猫に指を噛まれた少年がその指をパチンと鳴らす。
 然りと頷いて、双葉はトントンと画面を叩いた。メッセージカードにはご丁寧なことに日付が印刷されている。
「一件目が六月五日、二件目が七月十八日、三件目が八月十一日……」
 高巻が読み上げて、少年たちはそれぞれ手元のスマートフォンで日付を確認する。今日は十月の一日だ。
「だいたい一ヶ月間隔で行っていたのね。それが九月は行われていなかった……」
「相手が大物政治家ってことで時間かけた、とか?」
「あるいは……」
 すっかり乱された毛をどうにか整えつつ、モルガナが一同の足元から皆を見回した。
 彼はちょっと恥ずかしそうに一度尾を振り、それから尊大に述べる。
「オマエらみたいにシューガクリョコウに行ってた、とかな。それで時間が取れなかった」
「はあっ? ンだよそれ、ここにきて≪グリム≫タメ説? 俺、完全にあいつのことオッサンだと思ってたんだけど?」
「う、私も……オッサンってか、紳士? みたいな……?」
「ふふっ、『怪盗』だもんね。私たちもそう思われてるのかな?」
「正体とかけ離れた姿を想定してくれているのならそちらのほうが都合はいいけどね」
 それでもなんとなく嫌だなと肩をすくめた新島の姿に、屋根裏部屋はにわかに和やかな空気に包まれる―――
 その中でただ一人喜多川だけが暗然たる面持ちでパソコン画面を睨みつけていた。
 傍らで自分たちが世間にどのようなビジュアルとして捉えられているのかを熱く語っていた高巻が真っ先にそれに気がついて、はてと首を傾げる。
「祐介? どしたの?」
 彼の視線は液晶画面に映し出されたメッセージカード、そこに綴られた文章にではなく、その下に金で箔押しされた犬の意匠に向けられている。横を向いて吠える犬。その大きく開かれた口からは牙が覗き、瞳は赤いインクで塗り潰されている。
 喜多川は腕を組み、画面からも高巻からも目を逸らして、
「この犬を、どこかで見た気がしただけだ」とだけ答えた。
「え、マジ? どこ?」
「わからん」
「んー……とりあえず似たような紋様はいくつか存在はするな。けど、まったく同じかって言うと……」
 二人のやり取りを受けて、ラップトップでではなくスマートフォンで検索を繰り返していた双葉がうーんと唸りながらじっと喜多川に視線を注ぐ。
「思い出せないか?」
 頭目の問いかけにさえも彼は首を左右に振った。
「すまない」と謝罪を添えて。
 場は再び沈黙に包まれる。俯いて足元を睨む喜多川を囲んで、少年たちは幾度か見交わしあった。
 やがて言外のやり取りが一旦の落ち着きを見せると、再び双葉が音頭を取ろうと手を打ち鳴らした。
「とにかくだ。いい加減次の犯行が行われたっておかしくない。ケーサツも捜査を進めてはいるようだが、イマイチかんばしくなさそうだし……」
「捕まえるなら今、ってことか」
 空中に円を描くように回される双葉の指先を見つめつつ坂本が言葉を引き継いだ。
 双葉はにんまりと笑って再びラップトップに手を伸ばす。
「わたしたちには物質的現象に捕らわれる必要がない分、ケーサツよりアドバンテージがある。やっこさんがどこに現れるかなんてどーでもいいってこった」
 自慢げに鼻を鳴らして、双葉は資料を示してみせた。そこには≪グリム≫が次に狙うのであろうターゲットのありかが表示されている―――