21:GG no re

 ロマンや物理的法則、工藤経助の精神構造はさておき、ジョーカーは癖のある黒髪をかき混ぜながら天を仰いだ。
「まともに相手をするのもバカバカしい。オタカラ盗ったあとのボス戦はお約束だけど……」
「今日くらいはいいだろ。このパレスのボスはだったんだよ」
 気だるげにナビは言った。
「俺なの? アレと比べられたら数段格落ちするとおもうんだけど」
「謙虚だなーあこがれちゃうなー」
 などと言いつつ、ナビは軽くゴーストの尻を叩いた。
「いてっ」
「あんなのわたしらの敵じゃない」
 確信めいた言は彼女なりの鼓舞だろう。あるいは挑発か、もしくは、先にこの少年が告げたことへの返答かもしれない。
 いずれにせよゴーストは口元を緩めて尻に置かれたままの彼女の手を振り払った。
「セクハラやめて」
「照れてんのか? ん?」
 ナビは手指を怪しく動かしてみせたが、それ以上のことはしなかった。遊んでいる暇はないと彼女も知っているのだろう。それは時間があればさらなる追撃を行ったということでもある。
「で? どうするんだ?」
 外を眺めていたジョーカーが問いかけた。
「特別なことは必要ない。わたしがあちらさんをスキャンして、動力部を見つける。それをゴーストがぶっこわす」
「分かりやすくていいな」
 答えたナビに一瞥をくれて、ジョーカーは次に地上の仲間たちに語りかける。
「聞こえたか? ナビが仕事を終えるまで足止めだ」
「あいよ」
「前やったみたいなの通用するかなぁ」
「ワガハイも手伝うぞ、パンサー」
 返る声にジョーカーは満足げに頷いた。
「じゃ、任せる。俺はあっちに合流してもう一仕事してくるよ」
「ん。任された」
 力強いナビのサムズアップを受けて、ジョーカーは笑いながらそこを飛び降りた。
 ゴーストはギョッとしたが、ナビはさっそくと自らの内に乗り込んで見下ろそうとさえしていない。とはいえその彼が身を乗り出して下を見れば、器用なものでジョーカーは塔の鉄骨を留めるボルトや柵、あらゆる物のへりに手や足を掛けては猿のように巧みに降っているところだった。
「あああ、ビビった……ジョーカーってああいう無茶が好きよね……」
『高いところが好きなんだよ。けむりとナントカはっていうだろ?』
 ゴーストは肩を落として力なく首を振った。
『やってないでおまえも目視で探せ。あれだけの大きさだ。パレスとはいえ動かすには相当の動力が必要なはずだよ』
「……常温核融合とか出てこないよな」
『なくはないだろな〜。あの塔さんざんねり歩いて、動力っぽいものなかったし……』
「いうてプールとか、水いっぱいの場所あったっけ?」
『ない。でも飲料水らしきタンクはそこここにあったから、どれかが偽装された重水って可能性はある』
「それで発電できるサイズってこと? あんまり的が小さいとイヤだわ」
『ぶっ壊したあとのほうがヤバそうだけどなー』
「やだぁ、エックスメンになっちゃう」
『わたしらもうそんな感じのものじゃね?』
「スーパーパワーを手にした不安定な十代の若者?」
『それそれ〜』
 アハハ、と朗らかに、しかしテンションは低く二人は笑い合う。もちろんその間にもナビは手を、ゴーストはライフルに取り付けた高倍率スコープを覗いているのだが、地上にその努力は伝わらない。
「遊んでないで手を動かしなさい!」
 夏休み最終日の母親のごとく叱りつけたクイーンに二人は揃って縮こまる。
 実際、地上での戦闘は激しいものになっている。なにしろ首都のランドマークタワーより少し小さい程度の建築物が自走するのだから、武装がなくともその質量はただそれだけで脅威だった。
 ほんの少しの前進でスカルとモナは危うく踏み潰されかけ、重量に砕かれて散ったアスファルト片にパンサーとノワールは危うく頭を砕かれるところだった。フォックスは早々接近を諦めて銃撃を行ったが何某かの合金らしいシャシーは弾丸をはね返し、クイーンのわき腹を掠っていった。
「……すまん」
「……許すわ。でも次はないし、銃撃は効かなさそうね」
 フンと鼻を鳴らしたクイーンのもとに、スカルが放り投げたモナが落ちてくる。
「コラぁスカル! ワガハイはボールじゃねーんだぞ!」
 怒鳴りはするもののそれが危険から遠ざけるためと、後方支援に徹したほうがよいと判断されたためとは理解しているのだろう、モナはすぐさま片手でクイーンの傷を癒やしてやった。
 そこへジョーカーが合流する。
「お待たせ。どうだ? 攻撃は通用しそうか?」
 フォックスは顎をしゃくって上を示した。
 塔には足元に生えた無限軌道以外にも多くの変化があった。外殻のように覆っていた網状の外外壁は変形し、隙間から砲塔らしきものを突き出させている。見た目にはしいたけの原木栽培を彷彿とさせるそれらを砲塔としたのは栽培におけるしいたけそれぞれから九〇ミリとおぼしき砲身が伸びているからだ。
 いつぞやも見た鋼鉄製のレールもある。これは悪いことに以前確かめたものと違い、輪状になって内部と繋がっている。レールの上にはもちろん巨大な鉛筆……誘導装置付きのロケット弾が乗せられていて、射出ごとに台車が回転して再装填を行う仕組みになっていた。それが砲塔と同じくらい大量に突き出している。
 またこれはあまり問題にならないが、手すりのついたデッキが外周に沿って張り出し、そこを武装したシャドウが慌ただしく走り回っていた。それらが問題にならないのは単に狙って撃てば簡単に倒せるからだ。今もノワールが撃ち込んだ擲弾を浴びてポロポロとデッキからこぼれ落ちている。
 総合的にいえばこちらの攻撃が通用している様子はなく、敵も決定打を欠いている。
「長引かせたくない」
 ジョーカーは率直な望みを口にした。それは単なる願望でもあったし、上に残った二人への催促でもあった。
『そういうんなら足止めしてよ。動力源は見つけたから、あとは当てるだけ』
「デカいのがやっかいなんだよね。チマチマやっても意味ないったら……」
 愚痴っぽく吐き捨てて、パンサーは鞭を振った。それはいつかのように足元を叩くと原理不明の炎と熱を生み、哄笑響かせて彼女の半身が立ち上がる。広がった炎がアスファルトを溶かし、前進し続ける塔の履帯に巻き込まれていった。
 以前したようにスカルはすでに打撃を与えているが、同じ結果とはならなかった。
「もう! これっぽっちじゃ足んないってこと!?」
 全く影響がないわけではなかった。いくらか速度は落ちてこそいるが、しかし圧倒的な質量の差が効果を薄めている様子だ。
「クソだりぃなオイ……なあゴースト、足止めって絶対必要なん?」
「うーん……無くても当てられるっちゃ当てられるんだよ。ただ、当たり前だけど動力部周辺は壁が厚いから、普通に当てたんじゃたぶん届かない」
 曰く、ナビがスキャンした結果、動力源は塔下部中央に位置していることが判明した。この巨大な熱源反応はちょうど無限軌道の上に乗るような形で存在し、建物であったころはおそらく地下の荷上場の真上にあったのだろう。
 そこは一つの巨大建築物の中央だ。ただそれだけで動力部は幾重ものぶ厚いコンクリートの壁に囲まれていることになる。
 そこでゴーストとナビは共謀し、外部からの狙撃ではなく、彼の唯一無二の特殊性である影の中を移動する能力を用いて内部に直接弾丸を届けるのだという。
「ああ、さっきさんざん俺を痛めつけてくれたやつか」
「う、ごめん……」
「その話あとでいい?」
「はい」
 圧し潰そうと愚直に前進する巨体と雨のように降り注ぐ砲撃から逃れ、ジョーカーは素直に口を閉ざした。喋るだけならまだ余裕はあった。
「そんで、弾をぶつけるのにわたしがナビする。そんときにあんま動かれると調整が追いつかないんだよ。わたしらもそっちに移動するって手もあるけど、そしたら今度はナビしてる暇がなさそうだし」
 だからそちらで対処してもらうしかない、とナビは言った。
「それなら、とにかく足元を狙えばいいかな?」
「そうだな。一人頭三つか」
「勢い余って倒しちまってもマズいよなぁ……」
「前後左右に別れよっか。裏取り誰かよろしく〜」
 やることが決まれば行動は早い。頭上からの砲撃を掻い潜って幾人かが飛び出していった。
 それを止めるでもなく見送り、クイーンは息をつく。
「ふう……ナビ?」
「うん?」
「それで終わるのよね?」
「そりゃゴーストに訊いてくれ」
 水を差し向けられてゴーストは少し慌てた様子で答えた。
「あー、当たればいけます」
 その『れば』が不安を誘うが、結局それを払拭するには地上組が走り回る他ない。
 クイーンは再び、今度は気合を入れるために息をついて頭領を仰いだ。
 彼は頷いて決定を下す。
「後先は考えなくていい。正面から見て右から加入順、全力で」
 オーダーに仲間たちは威勢よく応じた。
 塔から見下ろすナビとゴーストからすればそれはちょっとしたお祭りだった。色とりどりの力の奔流と敵の砲撃が自走する塔を中心に全方位に広がり、腹の底を揺さぶるような音と衝撃を二人のもとにまで届けている。
「ひえ……やっぱり下に行かなくて良かった……」
 ああいう真似は自分にはできないとゴーストはいくらか拗ねたような、悔やむような素振りをみせた。確かに、彼の攻撃手段はいずれも銃撃に特化して、属性的なものはどうやら一つも使えないようだ。
 とはいえそれで十分だとナビは思う。
 同時にゴーグルの下で眼を細める。敵は明らかに速度を落とし、停止こそしないものの旋回不能に陥っているようだった。
「よし! 今だ、やるぞ」
 ナビが声をかけると同時に二人の姿は影の中に落ちるように消える。 
 足場の存在しない空間に足をつけ、立射の姿勢取るゴーストの前に、ナビはすぐさまスキャンしたデータを浮かび上がらせた。
 それははるか彼方、パレスの端に至るまでを再現し、今も移動し続ける敵の位置をリアルタイムに反映するデータマップだ。狙うべき場所にはナビお手製の猫のマークが貼り付けられていた。
 ゴーストは引き金に指をかけながら彼女に語りかけた。
「なあ、双葉」
「なんだよ」
 ナビの手は位置情報と外部の風向きと強さ、灰の影響を計算し、最終調整を行おうと一拍も止まることなく動き続けている。
「ごめんな」
 掛けられた言葉のせいか調整が終了したのか、彼女の手が止まった。
「……当たったら許してやる」
 などと言うものの、彼女はこの少年が外すなどとは微塵も思っていない。自らこそが指示標を付けてやって、この上彼が仕損じることなどあり得ないと信じている。
 その信用を彼が裏切ったことは一度もない―――今回ばっかりは少し怪しかったが、結局、彼は自分が少ししおらしくしてみたら簡単に言うことを聞いたではないか。なんて単純でオロカなやつだろう。
 ナビはほくそ笑みながら、自らが作り上げたうごめく鉄の塊の心像に指鉄砲を向けた。
 彼女はやはり、彼が外すなどとはその小さな指先ほども思っていない。
 つまり……

……
 崩壊するパレスから脱した彼らは人の姿が見られない深夜の駅構内から素早く脱し、家に向かう道中の公園にやってきていた。
 帰ろうにも電車は動いておらず、待つにはそこは寒すぎた。じゃあといって屋根もない公園に何故来たのかといえば―――
 パーンと景気のよい破裂音が古ぼけた遊具の間を通り抜けていった。
「……まったくぅ! これで済ませてあげるけど、もう二度とやんないでよ!?」
「は、はい……」
 ……制裁のためであった。
 すでに坂本と喜多川、新島に奥村もそれなり以上のものを献上し、真打ちとして高巻がスナップの効いたビンタをくれてやったところだ。
 すっかり痛めつけられて膝から力の抜けたは、汚れも冷気にも構わずその場に横たわった。痛みもあるがなにより脱力感が大きく、投げ出された四肢に力はない。
「しっかしお前いちっ秒も待たなかったな」
「なぜ待つ必要が?」
「ねえけど」
 ならいいだろと吐き捨てるように返して、喜多川は外気にすっかり冷やされた鉄棒に寄りかかる。坂本はその足元にしゃがみこんで頬杖をつき、頼りない景観照明に浮かび上がるに目を戻した。ちょうどモルガナが彼の胸の上に乗るところだった。
「オラっ、歯ァ食いしばれッ」
 冷えた頬に生暖かい猫の肉球が二度三度と当てられる。それなりに勢いと力が込められていたが、歯を食いしばる必要は微塵も感じられなかった。
「肉球……」
「なんだよ、爪を出して欲しかったのか?」
「いいです」
「フン、まったく……おいレン、オマエはいいのか?」
 声をかけられた雨宮は寒さに耐えかねてすっかり縮こまっている。
「俺はもう吐くまでやったから」
 よしんばを吐くまで痛めつけてやれていなかったとしても彼は動かなかっただろう。彼の手にはいつの間に購入したのか、熱いコーンスープの缶まで握られていた。
 どうも園内に自販機があるらしい。
「双葉はいーの?」
 問いかけた高巻の手にもコーヒーとココアの缶が収まっている。
 そのうち一つを受け取ると双葉はのそばに腰を降ろし、さして面白くもなさそうに答えた。
「わたしはもう許した。そうだな?」
「……ああ。わかってる」
 白い息とともに告げられたことに、双葉はやっと上機嫌になって缶のフタに指をかける。
「ふふん! よろしいっ!」
 に理屈は解らないが、どうやら彼女の機嫌を損ねずに済んだらしいと思うとより身体から力が抜けていく。
「ああ、くそ、いったぁ……みんな本気でやったな……」
「当たり前でしょ」
「自業自得だな。馬鹿者め」
 あちこちから飛ぶ罵声に彼は呻いてまぶたを下ろした。衣類越しに触れる地面からは容赦なく冷気が伝わってくるが、なかなか起き上がる気になれないようだ。
 するとその顔のすぐ横に熱い缶が置かれ、冷気をほんの僅かに遠ざける。
「よかったな。痛いってことは生きてるってことだぞー」
 まぶたを上げて見れば、歯を見せて満面の笑みを浮かべる双葉の姿がある。は痛みや眩しさ以外の要因から目を細めた。
 ―――仇を討とうと思っていたのに、やられた以上にやり返してやろうと誓ったつもりだったのに……この笑顔の前ではすべてが無為な行いに思える。いったい自分はなにをしようとしていたのか、それすら痛みと寒さのせいもあって思い返すことはできなかった。
 が手を伸ばすと双葉はすぐ両手でもってそれを取り、うんしょと掛け声とともに引っ張り上げる。
 そしてどういうつもりなのか、上体を起こした彼に向かって両腕を広げた。
「おあ」
 奇妙な声を上げた彼の顔面を癒すように優しい抱擁が包み込んだ。右に左に、頬には女性陣からの教育的指導を多く頂戴したが、そうされていると痛みはたちどころに消え去ってしまう。
 あまり早く消えられては反省もできない。
 そう思うのだが、の手は彼の意思とは無関係に小さな身体に縋りついていた。
 口からは弱音がこぼれる。
「……これからどうしたらいいんだろう。親父はもう治らないって、腕はもう動かないって……」
 驚がくが一同を襲った。今の今まで尋ねる暇もないままだったが、それが彼の『動機』だったのか、と。
「直近の仕事は、たぶん大丈夫だ。大見さんたちがなんとかしてくれるって約束してくれた。けどその後は……」
 改心というものは、所詮改心でしかない。たった一人の心を改変するというだけだ。それがその者にとって良い結果になるか悪い結果になるかは怪盗団の手を離れたところにある。ましてや被害を受けた者たちには―――
 偉丈夫と言っていい大きな体が震えているのは誰の目にも明らかだった。それが痛みや寒さによるものではないことも。
「ど……どうしたらいいんだろう? 俺だけの話じゃないんだ、みんな……うちで働いてくれてる人たちも……どうしたら……」
 泣いているわけではなさそうだった。恐怖や怒りからでもなく、ただ手の打ちようがない状況に呆然として彼は震えていた。
 双葉は、うーんと一度唸ってから答えた。
「わからん」
 端的に過ぎる残酷な答えにその場の全員が絶句する。
 確かにその通りだ。他に答えようはない。しかし言い様というものがあるだろう―――
 双葉の二の句は諫言より早かった。
「おまえにできることなんてもう大してないだろ。おとなしく学生してるのがいいんじゃね」
「うぐ……」
 それはそれで正論だった。責任感を抱くことは悪いことではないが、責任感に駆られて焦りを招いては元も子もない。
 なにより更に続いた彼女の言に誰もが沈黙する他なかった。
「少なくともおまえのオヤジさんはまだ生きてる」
 は息を呑んで身を強張らせた。あるいは成り行きを見守る仲間たちさえも。
 零下に近い空気の中、双葉は淡々と続ける。
「生きてるやつは生きてくしかないんだ。ほかにできることなんてない。やれることをやればいい」
 突き放すような文言とは正反対に背を叩く手は優しく、赤子をあやすようでもあった。
 ちぐはぐな言動に戸惑うを見下ろす少女は胸の中で母に問いかけている。
 ―――お母さん、わたし、友だちを助けることができたよ。こいつバカだから、バカなことをしそうになって、それを止めてやったんだ。わたし、がんばったよ。こいつを失わずに済んだんだ。大事な友だちなんだよ……
 返る声はなく、季節柄か辺りには虫の声さえ聞こえない。貨物か始発らしき電車の規則正しい走行音が遠くかすかに空気を震わせている。
 双葉は自嘲気味に鼻から息を抜き、の髪を引っ張って彼の顔を無理矢理に上げさせた。
「もし、それでもダメならわたしを頼っていいぞ」
 その顔にはもう、上機嫌そうな満面の笑みも、悔恨を滲ませる悔しそうな表情もない。ただただ底抜けに意地の悪いいやらしい笑みだけが乗せられている。
 それは明確にを脅していた。言うべきことを間違えたら、酷い目にあわせてやると告げていた。
 彼は慎重に、しかし他に思いつくものもなくすぐに応えた。
「チームだもんな?」
 助け合いは当然だろうと含めて言うと、双葉は満足げに大きく頷いた。
「そうっ! むこう数年は生きてけるくらいは稼がせてやるぞ?」
「それ逆になんか怖いんだけど……」
 なにをさせるつもりなんだと不信げな目を向けられると、ご機嫌が一転、双葉は頬を膨らませて彼を突き飛ばした。
「いって!」
「ふん、友だち甲斐のないやつだな!」
 憤慨してそっぽを向く彼女に雨宮はコーンスープをすすりながらやたらと重々しく頷いてみせた。
「それはある」
「ないんじゃないの?」
「ないのがあるんだろう」
「ない……ある……?」
 少年たちは顔を見合わせながら、しばらく無と有の定義について薄く議論し合った。制裁は済んだから、これは始発が動くまでの時間潰しだ。
 くだらない話に時間を費やしている時ほど時間が過ぎるのは早いもので、気が付けば空が白み始めていた。
 やっと朝が来たのかと息をついたのは双葉だけではなかった。気がつけば誰もが口を閉ざし、それぞれの思惑でもって昇りつつある朝日を見つめている。
 複雑な想いのなか、一つだけ共通するものがあった。
 長い夜だった。悪夢のような夜だった。しかしそれも終わり、朝が来て……これから現実が始まるんだと、皆ぼんやりと思っている。徹夜明けの授業は想像するだけで眠気が襲った。
 手近な問題を差し置いても、にとってはまだ悪夢の中かもしれない。父の腕を失い、再開の目処の立たない工場に、それを頼りにする従業員と、今後の学生生活のことも、来年に控える受験のこともある。
 しかし朝日は昇り、夜は終わってしまった。もはや変えることのできない現実を、失われた事実を受け入れて、生きている者はどうにか生きていくしかない。
 双葉はもう一度だけ彼をきつく抱きしめた。それは彼が決してひとりぼっちなんかじゃないのだと教えている。
 朝日に照らし出された現実というものがどんなに悲しくて、辛くて、ひどいことばかりだったとしても、決して、彼は孤独ではなかった。
 は顔を上げて、自分を救い出した者たちの顔を見回した。
 誰もが清々とした顔をしている。成すべきことを成したと言わんばかりに誇らしげに、疲労を滲ませながら。

 長く、悪夢のような夜だった。
 けれどそれは、もう終わったことだった。


……
 動き出した始発に乗ろうと道を引き返す少年らに律儀に混ざるに、ふと高巻が問いかけた。
「てかさ、このあとどうすんの? あ、現実的な話じゃなくてシゴト的な意味でね?」
 もちろん怪盗団の正体と秘密を知った以上協力関係は維持したいところだが、来週には怪盗団にとっての山場が待ち構えている。それ自体はも既に承知のことだが、雨宮らにしてみれば今回を除いたこれまでの改心事件の全てに関わっていない彼を巻き込むのはどうにも気が引ける。
 彼らは再び足を止めて経緯を語り、の判断に委ねることとした。
 彼は応えて言った。
「俺はみんなと一緒にはいけない」と。
 落胆の声が出ない訳ではなかったが、彼の状況を慮ればそれもやむ無しかと責める者は現れない。ただしのほうは怖気づいたから辞退したいというわけでもなさそうだった。
 彼はやはり申し訳なさそうに縮こまり、視線を足元に落として告げる。
「……止めてもらえたけど、あいつを殺そうとした事実はどうしたって変えられない。そういうやつが一緒にいたら、お前らのキモチとか意志とか、そういうのを汚しちゃいそうな気がするんだよ」
「繊細なやつだな」
「ごめん」
 目を伏せる彼に雨宮は肩をすくめた。
 は白い息を吐き、冷たい空気を吸い、それからやっと顔を上げて彼に告げた。
「でも、助けになるって約束する。必要なときは、絶対に助けに行く」
 それで充分だと彼は笑った。

 ただし問題はあった。の言う『助け』が『必要なとき』は、全て彼の自己判断に委ねられるという点だ。
 例えばそれは『別の誰か』のパレスの中で、ジョーカーが一人、シャドウに囲まれているような状況―――危機には間違いない。もちろん、ジョーカーとて人間なのだから、ペルソナによって身体能力や五感の強化がされていても死角というものは存在する。
「なんだ……!?」
 背後を取ったシャドウの胴と頭部がほぼ同時に破裂するように崩れ落ちたことに、ジョーカーは言わずもがな、彼を囲むシャドウらも瞠目した。
 煌びやかなカジノラウンジの裏、普段あまり使われることもない通路なのだろう。窓もないそこは半ば倉庫代わりになっているのかあちこちに資材が詰まれ、表とは打って変わって古ぼけた電灯が足元を照らしている。影はそこここにあった。
 事態を把握して動揺からいち早く回復したジョーカーは手早く残りのシャドウを叩きのめし、元あるところへ押しやった。
「今日はお客さんが多いな」
 息をついて言うと、通信の向こうの『少年のような声』が反応する。
『んニャ? どうしたジョーカー、なにかあったか?』
「ああ。ゴーストもきてるみたいだ」
 特別驚くことも喜ぶこともなく平坦に言ってのけると、仲間たちもまた似たような調子で応えた。
『なんだよ結局来てんのかよ』
『まあ来るよね』
『逆に訊くが、来ないと思っていたやつはいるのか?』
 問いかけには誰もがそれぞれの場所で目を逸らして沈黙する。
『……ま、そうよね。決行日は伝えてあったんだし』
『だけど、ねえ、作戦の内容は伝えてないよね?』
『うん。とりま今日は家から出るなってくらいしか。誰かあいつになんか言った?』
 再び沈黙が返される。今度は先より長く、互いの心情やここまでの行いを探るような、そんな間だ。
 結論が出るより先にジョーカーが言った。
「そろそろ外出るけど」
 ……この日の目的は実のところパレスにあって改心ではない。以前から怪盗団を―――世を苛ませていた認知世界を利用する悪党は、どうやら怪盗団を逮捕起訴したいのではなく消し去りたいらしいことが判明している。それは怪盗団にとって脅威であると同時につけ入る隙でもあった。
 なにしろ敵の狙いは明確で、この上なくはっきりしている。どんな手を使うのかまでは判明していないが、このパレスに大規模且つ現実的な部隊を展開させまでしてジョーカーを捕縛しようと目論んでいるようだ。
 であれば、その思惑を利用して敵の懐にまで侵入し、正体を暴こうというわけだ。
 忍従の日々は長かったが、それが今日この時、今まさに結実しようとしている―――
『あれ、やばくね』
 スカルが言った。
 ヤバいというのは当然、この場におけるイレギュラーであるところの少年のことだ。
 彼がこの後に待ち受ける展開を目撃したらどうするだろうか。仲間たちですら想像だけで憤激ものの光景だろうそれを彼―――すでに一度激高してやらかした実績のある人物が目の当りにしたら? いやさ彼だって一度で懲りて冷静さを身に着けてくれているだろうが、しかし、それで済ませられる程度の事だろうか―――?
 クイーンは自らの状況を顧みず声を張り上げた。
『ナビ! ゴーストに連絡!』
『やってる! やってるけど……ああまた消えた! つかまんないよー!』
『おいモナ、お前の鼻で追えねえのか!?』
『ちょっと待ていまワガハイ忙し―――』
『ジョーカーちょっと待って―――』
 混迷極まる状況にあってもジョーカーは自らのペースを崩さなかった。関心がないわけではなかったが、それより楽観と高揚感が勝ったのだろう。

 そのジョーカーがシャドウではない現実の人間に捕縛されるのと同時に、フォックスは彼を見つけ出していた。
「待て馬鹿者! 撃つな!」
 隣接する高層ビル群の一つ、その非常階段の踊り場で伏射の姿勢を取ってスコープを覗いていた彼の横から滑り込み、ライフルと腕をまとめて蹴り飛ばす。撃ち出された弾丸は意図せぬ方向に飛んで遠く遊技場の窓ガラスを砕き割った。
「なッ……なにすんだよフォックス! ジョーカーが……!」
「あれでいいんだ!」
「はあ!? お前なに言って……まさか!」
 ハッと冗談みたいに息を呑んでみせた彼に、フォックスは眉をひそめた。
 ―――大切なのは主観だ。人というものは多く主観によって成り立っている……などという大げさな話ではなく、ただ単純にゴーストの目線に立ってこの状況を顧みたとき、自らの行いはどう捉えることができるだろうかとフォックスは熟考した。
 やがて解に至り、彼はゴーストに一拍遅れて息を呑んだ。
「……待て! そうじゃない!」
「この―――」
 ゴーストの手が腰元に伸び、ベルトポーチに差し込まれた拳銃に触れる。フォックスはほとんど反射的に刀の鯉口をゆるめていた。
 あわやというところに物言いが入った。
「バカやってんじゃないの!」
 それは赤く染めた革ひもを編んだ一本鞭だ。よくしなるそれは空を切り、一度床を叩いてからゴーストの腕と、ついでにフォックスの尻を叩いて持ち主の手に戻った。
「いたぁい!」
「おうッ!? な、なぜ俺まで……!?」
「ごめん、ちょうどいい位置にあったからつい……」
 つい、で妙な性的倒錯を植え付けられてはたまらぬとフォックスは素早くその場を退いた。
「パンサー、まさかお前まで……」
「そんな訳あるか。作戦に決まってんでしょ!」
 疑いの眼差しをぴしゃりと跳ねのけ、パンサーは両手で鞭を鳴らした。それは少年たちを竦ませるのに充分な効果を有している。
 そうしている間に上から下から、他の面々も集まってくる。本来設定していた集合場所とは違うが、距離や位置取りの関係で問題なしとしてその場に腰を据え、彼らは改めて、今度こそ、作戦の詳細を含めてゴーストに訳を語ってやった。
 そう長い時間もかからなかったが、そうしている間に地上にあれだけ展開していた部隊はすっかり撤収し、ジョーカーは退場させられてしまっていた。あとにはただ疲労感を漂わせる残りの怪盗団員らと、床に崩れ落ちたゴーストだけが残されている。
「そ……そういう作戦なら作戦だって教えてよ!」
 乙女のように膝を折った彼を見下ろしながらナビが言う。
「だっておまえ一緒には行けないって言ったし」
「そうだけど! そうだけどさ! あいつ殴られて捕まっちゃうし、ピクリともしなくなって、警察いっぱいだし、連行されちゃって……もうどうしたらいいのか……」
 そしたらそこにフォックスが現れて武器を奪い、あれでいいと言う。最悪の想像が瞬時に彼の内を巡り巡ったことだろう。
 ただしそのフォックスは憮然としてすまんとも言わない。
「俺はそうじゃないとも言った。むしろ感謝してほしいくらいだ。お前が狙っていたのはシャドウではなく人間だったのだからな」
 その手は自らの尻に添えられ、ヒリつく痛みを誤魔化すように擦っている。
 ゴーストは項垂れて呻いた。
「うっ、うう……もう、もう……」
「泣くなよー」
 おざなりに伸ばされたナビの手を払い除け、偉丈夫は時所構わず声を張り上げた。
「もう次は助けないからな!」
 声はきらびやかに装飾された高層建築の間を風と共に通り抜け、やがて薄れて消えていった。
 その風に乱された髪を手で押さえ、クイーンは後輩たちのやり取りにも興味はないと言わんばかりの態度をとっている。はじめから彼女の関心は作戦の完遂にだけある。今回の件は彼女の家族の問題でもあるからだ。
 腕を組み、彼方を睨みつけていた彼女はふとなにかに気がついたように顎を上げると、難しい顔をゴーストに向けた。
「……いえ、今助けてもらうわ」
「はあ!?」
「は?」
 鉄仮面の下の眉が神経質に震えたことに少年は青ざめる。
「あ、すいません。……すいません。えっと……なんですか……?」
 恐る恐ると窺った彼の後ろで、他の面々も不思議そうに首を傾げている。
「一人、撃ってほしいやつがいるの」
「えっ、あの、俺、殺しは」
「シャドウよ」
「ですよね」
 キッパリと叱るように断言したクイーンにゴーストは平伏する。
 とはいえシャドウとはいったいどういうことか。パレスの主を撃てばその本体の精神及び肉体の死に繋がりかねない。なによりその人はクイーンの実姉なのだからまずあり得ない。では他に挙げられるターゲットは『誰』なのか。不特定多数ではなく、パレスの主にも認知される明確な個人とは―――
「あ!」
 素っ頓狂な声を上げてナビが勢いよく立ち上がった。クイーンはそんな彼女の慌てふためいた様子に頷いてみせると、この上なく苦々しく告げる。
「忘れてたわ……『彼』とお姉ちゃんが接触したら、どのタイミングでも作戦を悟られかねない……」
 そのころにはゴーストを除いた全員が事態を察して顔色を悪くさせていた。
 それだけ不味いことになっているのかとゴーストも腰を上げる。
「誰なんです? そいつは」
「あなたも顔くらいは知ってるでしょ。明智吾郎よ」
 ……程なく、シャドウはナビによって発見される。しかし居場所の関係から狙撃はできず、結局ゴーストを運搬役に、クイーンが直接乗り込んでシャドウを暗がりに引き込んだ。
 その後のことは、誰もがあまり語りたがらない。帰還したジョーカーが報告を求めた際もただ一言、『八つ当たりみたいなもの』と囁くに済まされた。

 それから一週間ほどが経過して、首尾よく敵の首魁を暴いた怪盗たちは本丸を崩すためそのパレスに侵入した。
 そこは総トン数数十万はあろう巨大な豪華客船だった。怪盗たちの足は着飾った人々が行き交うホールをすり抜け、すでに中央層にあたる客室区画に差し掛かっている。
 道を阻むシャドウのいずれも強力で厄介だったが、彼らをなにより辟易とさせるのはその構造の複雑さだ。
「あーまた行き止まりか……」
 真紅のグローブが通路を封鎖するドアを虚しく撫でる。鍵のかかった扉は押しても引いてもうんともすんとも言わなかった。
「げえ、こっから迂回すんのかよめんどくせぇ……」
「またネズミになんの? えっと、どこに戻ればいいんだっけ……?」
 呻いてこめかみを擦るパンサーを尻目に、ジョーカーは虚空に向けて語りかける。
「ゴースト、ここ開けて」
 コン、とその手がドアを叩くのと同時に、彼の足元に落ちた影から腕が生えた。次いで肩と首、ミラー加工の施されたバイザーに隠された顔、胴と腰と腿、膝に足先まで……すっかり姿を現すまでに十秒も掛からない。
 なにより彼の登場に驚く様子をみせる者もいなかった。
「……一応俺さ、一緒には行かないってことになってるんだからさ」
「イヤもういいだろ一緒に来りゃよ。オマエのそのこだわりなんなんだ?」
 呆れて告げながらモナは壁際に避けて道を譲る。他の面々も似たような様子で後方の警戒か小休憩に勤しみはじめているから、誰も彼が「やりたくない」と言い出すとは思ってすらいないのだろう。
 実際ゴーストは扉に貼り付いてすぐ蝶番に何某かの金具を当てる。
「そういう能力なんだよ。一緒に歩いてたら発揮できないし……」
「ああ、先は助かった。また頼む」
「フォックスはさぁ、話きいてた? 俺はいないんだよ?」
 そう言いながらも手は巧みに動き、音も少なに金属を削り落としている。
 その背にフォックスは朗らかで嫌味のない笑声を叩きつけた。
「おかしなことを言うな。潜入中だぞ? あまり笑わせないでくれ……ふっ、ふふっ……」
「だからさぁ」
 ゴーストは呆れた様子だが、フォックスの眼は横に逸れ、冷たい眼差しを浴びせるナビに向けられている。
「……ゴースト、おまえもチョコ食うか?」
 その手には誰が持ち込んだのか、個包装された冬季限定販売のチョコレート菓子が摘まれている。
「んー……? じゃあ……もらうわ。ちょっと待って……」
 作業が繊細な操作が求められるところに差し掛かったのだろう、ゴーストの返答は少し散漫だ。ナビはますますつまらなさそうに口を尖らせ、ビニール包装を破り捨てる。
「ほら、口開けろ」
「ん? いやいいよ。あとで……」
「あ〜ん」
「や、ほんと、ちょっと待って……」
「あ〜!」
「ええ? なに? 恥ずかしいからやめてよ。どうしちゃったの?」
 グイグイと押し付けられては流石に作業を中断せざるを得ない。ゴーストは助けを求めて背後に視線をやった。
 運の悪いことにそこには稀代の悪党がいて、彼もまたちょうど受け取ったチョコレートの包みを破ったところだった。
「……なるほど、ナビより俺がいいんだな? いいだろう、ほら口をあけろ。あ〜ん」
 明らかにナビの悋気を楽しんでいるらしい彼の口もとにはこの上なく意地の悪い笑みが湛えられている。
 ―――付き合ってられるか。
 ゴーストはドアに取り付いて縁を掴み、僅かに踵を浮かせて持ち上げ、横に滑らせた。
「ほら、開いたよ。いいか? あんま呼ぶなよ? じゃあな」
 ナビの手からチョコレートを受け取って彼は影の中に潜っていった。そうなればもう、モナにもナビにも追うのは難しい。
 けれど近くにはいるのだろう。長時間中に籠りきりでいられないことも彼らはよく理解している。
「じゃ、俺たちも行くか」
「ま、待ってまだ……むぐ……」
 慌てて口を押さえるクイーンに肩をすくめ、ジョーカーは自身も手にしたままだったものを口に放り込んだ。
 床に転がるチーズは質に差がある。あれはあれで美味いが、ヒトの形をしている今はこちらの方が嬉しい―――
 ジョーカーは無言で空を掻いて皆を導いて歩き出した。
 彼のあとには仲間たちと、足元に落ちた影がいつまでも続いていった。