……
土日を挟んだ翌週の月曜日、怪盗たちは渋谷の駅に集合していた。その身辺にはまたぞろ厄介ごとがまとわりついていたが、まだ余裕はあると高を括る少年たちはやっとこぎ着けた改心への糸口に高揚しきっている。
犯人の特定には成功した。これは
の証言はもちろん、同時に行われていた被害者近辺への聞き込みが功を奏したからだった。パレスはもとより、メメントスにおける改心にも手間がかかると思い知らされた一件となったが、すでに予告状の送付も済んだ今やることは改心の決行だけだ。
「石川和正、か。やっとだわ、苦労かけさせやがって」
「アンタが言うなーっていつもなら言うとこだけど、まあねぇ。今回は褒めてあげる。えらいえらい。みんなも頑張ったよね、おつかれー……って言うには早いか。でもおつかれ!」
本気で労わっているのかからかっているのか判別つけがたい高巻の態度に、坂本は渋い顔で肩を落とした。傍ら同じく聞き込みや潜入にと走り回った少年らと猫は苦笑気味であっても素直に言葉を受け取っている。
「終わったら皆でメシでも食いに行くか」
「おっ、いいねぇ」
「そうだな。それだけの労を支払った。後は仕上げだ」
一同の視線は自分たちの周囲を忙しなく行き来する人々の姿に向けられている。メメントスへの侵入に際し万が一にも目撃されては騒ぎになってはまずい。なによりあまり接近されると侵入に巻き込む可能性があった。タイミングを見計らうことしばし、いくらかの時間をかけて彼らはメメントスに侵入した。
このメメントスという空間は薄暗い地下鉄の姿をしている。構造は一定せず、常に変化しては訪れる者を惑わせる。入り組んだ路線のように交差する道にシャドウが闊歩する様はまるで地下深くに潜むなにかに触れられたくないかのようだ。
目当てのシャドウへ辿り着くまでには多くの戦闘が予想される。怪盗たちはまず、入念に身支度を整えようと駅の改札口を模した侵入地点で一旦足を止めた。
「ニオイはどう? もうしてたりする?」
「いや、かすりもしない。こりゃけっこう潜る必要があるかもしんねーな」
小さな鼻を引くつかせる黒猫の言葉に少年たちは気合を入れ直す。地下深く続くメメントスは果てが知れず、怪盗活動の傍ら続けた探索においてすでに七か八階層は降りているはずだ。鼻の利くモルガナがここで目的のシャドウのニオイを欠片も感じ取れないとなれば、現状の最終到達地点付近まで潜る必要が出てくるかもしれない。
「しゃーねぇ、地道に行くかぁ」
「ああ、行こう―――」
手を包む真紅のグローブを引き、ヒールを響かせて頭目が進み出る。その足元をサッと小さな影が走り抜け、音もなくピョンと飛び上がった。空中で見事な三回転を決めてみせた猫はどういう理屈なのか、着地と同時にバスに変じていた。
いつものことながらワケがわからない。と喉元まで出かかった疑問を少年は呑み下す。便利なのは悪いことじゃないと。
ところが、いよいよ我慢ならんと大声を上げた者がいる。
「猫みたいなのがバスになった!?」
物音一つしない改札口に悲鳴じみた少女の声がこだました。もちろんそれは、今のところは怪盗団の紅一点である少女のものではない。彼女はレザー製らしき艶のある仮面の下で不思議そうな顔をして、声のしたほうを見つめている。
そこに居たのは柱の陰から身を乗り出した一人の少女だった。制服姿で、片方の手で拳を握り、もう一方の手で怪盗らとバスを指差し、あんぐりと大きく口を開けて硬直している。
「……誰?」
「いやジョーカー、他に言うことあんだろ……」
力ないツッコミを入れて、坂本竜司―――この場ではスカルを名乗る髑髏面にライダーススタイルという出で立ちの少年は、ガックリと肩を落とした。
改心という手段自体は今現在なんの罪にも問えないが、それ以外に細々と積み重ねた軽犯罪と軽くない罪、それと『怪盗とはそういうものだ』と告げられたこともあって、彼らは怪盗として活動するとき己の正体を隠すためにコードネームを名乗っている。例えばたった今呼ばれたように頭目はジョーカーと、黒猫のモルガナはモナ、今のところは紅一点の高巻はパンサー、そして……
「
さん!? どうしてここへ……!?」
驚きも顕に声を上げた喜多川はフォックスと。
また彼らはその顔に仮面を、その身を各々の意志を反映させた衣装で包んでいる。これがいずれも、少し、だいぶ、大変に……一般的でなく、仮面で顔を隠していることもあってか、
は己の名を呼ばれたことに乗り出していた身を柱の奥に引っ込めてしまう。
「な、なんで私の名前……あなた、一体……」
柱を掴む手は可哀想に震えている。そんな態度を彼女に取られようとは想像さえしたことがないらしく、フォックスは衝撃を受けて凍りついた。
一方で、残りの面々は仮面をつき合せて唸り合う。
「あー、あのコが例の
さんかぁ」
「けっこうかわいい」
「マジじゃん、クソっ」
「スカル、口が悪いぞ。もっと怪盗らしくスマートにと何度言やわかんだ―――」
バスの形のままスカルにお説教をくれようとするモナを、再びの絶叫じみた声が遮った。
「バスが喋ったぁ!!」
今度こそ
は柱の向こうに隠れて見えなくなってしまう。鋭敏な五感を有するジョーカーからは彼女がまだそこにいると察知できているため、彼が動こうともしないからとスカルとパンサーは傍観を決め込んだ。フォックスはまだ動けない。
モナは相変わらずバスのまま彼女に怒鳴り返した。
「誰がバスだよ! いやバスだけど! ワガハイの本来の姿はニンゲンだよ!」
えいやっと掛け声ひとつ、彼は再び、なんということかバスの形状で飛び上がって回転し、元の通りの猫……のような、二頭身の生き物の姿に戻る。
柱から顔を覗かせていた
は一部始終を目にして、
「ば、化け猫……?」と彼の神経を逆撫でする。
「ダレがバケネコだこらーっ!!」
「ひぃ」
モナのほうにそんなつもりは微塵もなかったろうが、やり取りの間に密かに歩み寄っていたパンサーが柱の陰に隠れた
の首根っこをむんずと掴んだ。
「わああ引っ張らないで」
「はいはい、出ておいでー怖くないよー」
引きずり出された彼女の姿はどう見ても学校帰りの学生のそれだ。見覚えのあるシャツとリボンに斜め掛けにした通学鞄と飾り気のない白のスニーカーは、コスプレめいた怪盗たちのなかにあると却って奇異に見える。
「つけられたか」
さして危機感を抱いてもいなさそうなジョーカーの視線は明確にこの場の一人に向けられている―――フォックスはよろよろと
を中央に据えた円の一部に加わると、あちこちから突き刺さる視線から逃れるように額に手をやった。
「すまない……まさかこうくるとは……」
思いもよらない展開に沈む彼を慰めようとする者は現れない。それどころか追い打ちをかけるように
が胡乱げな声をぶつけた。
「その声、喜多川くん……? え、なんでコスプレしてるの? う、うわあ……」
「……!? 何故だ、この格好になんの問題がある……!?」
似合っているか似合っていないかと問われれば、それはまあ、相応しいと言う以外にない。誰の衣装にしたってその心から浮かび上がった姿なのだから、合っていて然るべきだ。ただし仲間たちがそう思えるのは経緯を知っているからで、今日初めて遭遇した
にそれを求めるのは酷というものだろう。
崩れ落ちるフォックスの姿にWeakの文字が重なって見えた―――とは当事者以外の面々の後の述懐による。
さて、追撃によってダウンしたフォックスを蚊帳の外に追いやり、ジョーカーたちは視線を交わし合った。想定外のゲストへの対処と処遇を決定するためだが、取れる手段は悩めるほど多くない。
「はい注目」
とりあえず、とジョーカーは指を鳴らして全員を促した。
「えーと……
さん?」
「は、はい?」
「どうやってここへ?」
「どうって……」
の視線は再び、今度は遠慮がちにフォックスに向かう。それだけで彼はすべてを悟り、重々しいため息をついた。
「学校から俺をつけていたのか」
「ご、ごめん。でもその、まさかこんな趣味の集まりにかち合うなんて思ってもみなくて―――」
「あれこれ俺らもコスプレ趣味って思われてね……?」
フォックスのみならず自分たちまでと嫌そうに身じろぎするスカルを横目に、パンサーは力なく首を振った。こんな状況じゃどうあがいたって言い逃れはできないと彼女は自らの経験に基づいて訴えている。
それよりもっと重要なことがあると彼女は問いかけた。
「つまり今日たまたまじゃなくて、前からなんかあると思ってたんだよね? それっていつ?」
パンサーの見て呉れ―――真っ赤に染色されたレザースーツに同じく同系統色のサイハイブーツ、顔は仮面で隠され、くびれた腰には鞭が下げられている―――に反した優しげな声音に促されたのか、
はすぐに口を割った。
「この間、喜多川くんが話を聞きに来たときに……」
「あー、だよね、やっぱり。唐突過ぎたかぁ」
他に放課後学友の後をつけるきっかけなどあるまい。責任の所在を押し付け合う気など毛頭ないが、喜多川が
と接触に際して失態を犯したことに間違いはないだろう。しかしして、そんな彼をそこへ差し遣わしたのは彼以外の全員だ。
しくじったなと胸中で吐き捨てながらジョーカーは次の問いを投げた。
「目的はなんだ?」
「それは」
の眼は三度フォックスへ向けられる。それはこれまでとはまた違う、なにかを窺う不安げなものだった。なにに怯えているのかは分からなかったがフォックスは頷いてやった。彼にとってもそれは重要なことだった。
それでも彼女はしばらく沈黙を守った。けれどやがて黙っていては埒が明かないと彼女自身が気がついたのだろう、恐る恐ると口を開いた。
「本当の犯人を捕まえて、ひどいことをしたらどうしようって……そんなことするはずないって思っても、どうしても居ても立っても居られなくて……」
か細く震える声は相識の相手を疑ったことへの後ろめたさで裏打ちされている。その奥にはこれによって嫌われたらどうしようというひどく保身的な思惑も存在していて、それがまた彼女を打ちのめしているようだった。
奇異な状況のなかで彼女が自己嫌悪に蒼褪めていることは誰の目にも明らかだったが、ジョーカーは構わず次を仕掛けた。
「もしそうだったらどうする?」
「おーいジョーカー」
あんまりからかってやるなよと口を挟むスカルは早々とこの展開に飽きたらしく、その場で膝を折りたたんで腰を落とし、頬杖までついている。もう一方の手に握られた鈍器が
の疑心を煽っているとまでは思考が至っていないのだろう、向けられた
の視線に彼は心底から不思議そうに首を傾げた。
制止されたジョーカーは、仮面の下でなにか微笑ましいものを見るように目を細めている。まさか、と思うことくらいは誰にだってあることだが、それを確信に置き換えようと自らの足を動かせる者はそう多くない。そういった意味で感服の念に似た気持ちを彼は籠めたつもりだったのだが、
の眼にはどう映ったのか、固く握った拳を震わせはじめている。
「そうだったら、もし本当にそんなことするつもりなら……」
は顔を上げると、真正面からフォックスを睨みつけて声を張り上げた。
「ひっ、引っぱたいてでも連れて帰るからね!!」
湿っぽい空気の中に裏返り気味の大声が反響する。もしかしたら、下の階層にまで届いているかもしれない。
声量とそのいささか幼稚な内容に目を丸くするフォックスと、未だ小さく震える
とを見比べて、スカルは気だるげに空中を扇いでみせる。
「いやお姉ちゃんか」
声にもやはりやる気はない。動作も含めてそれがツッコミのつもりだったと気がついてはいるのか、パンサーはわざとらしく首を傾げた。
「アンタお姉ちゃんいたの?」
「は? いねぇけど」
「じゃあお母さんでしょ。アンタいっつもシバかれてんでしょ?」
「てねぇよ! 俺のおふくろをなんだと思ってんだ!?」
「いやアンタのお母さんじゃなくて、アンタに原因ありそうじゃん。この間の中間試験、結果言えんの?」
「うるせー! 俺のお姉ちゃんかお前は!?」
「あっ、怒ったってことは図星なんでしょ」
「けんかはやめてー」
にらみ合う金髪同士の間にジョーカーが手を差し入れた。ロープブレイクを強制された二人はこんなのじゃれ合いのうちにも入らないと思っているようだ。
ジョーカーは始末に負えないと肩をすくめてからフォックスへ目線をやった。とにかくさっさと終わらせろと意図を込めて。
フォックスは腕を組んでううむと唸った。その弓手には刀が握られているから
の懸念はあながち間違ってもおらず、それが彼を困らせている。ここでシャドウに傷を負わせたからといって現実の肉体に傷ができるものでもないが、じゃあといって改心の後、泣き喚いて許しを乞う老人の姿に動揺しなかったのかと、『ひどいこと』をしたと言及されて否定できるかと問われれば……素直にその意見を受け入れるだろう。どう受け止めるかなんてものはその人の勝手だ。
「……
さん」
「は、はい」
なんと伝えたものかとまだ悩みつつ目を向けると、彼は暗澹とした気持ちになった。彼女に否定されると想像して胃が裏返りそうにもなる。さりとて誤解させたまま、不安な気持ちを抱かせたままでいるというのも彼の意にそぐわない。
彼にできるのは誤魔化しや嘘ではなく、正直に自らの正体を明かすことだけだった。
「心の怪盗団の話は君も聞いたことがあるだろう」
「そりゃあ」
怪盗団は先のパレスを利用した改心によって、テレビやネット、数多くの媒体で大きく取り上げられている。曲がりなりにも雑誌社でアルバイトをするような人物が知らないわけがないだろう。
けれど
の発言にそういう意図はなさそうだった。その眼は気遣うようにフォックスの眼を覗き込んでいる。つまり彼女は、喜多川祐介という少年の身辺に起きた変化の一因として怪盗団を捉えているのだろう。
フォックスは一拍言葉に詰まるが、この場の釈明を任された身だとすぐに迷いを切り捨てた。
「それが俺たちだ。この場にいる者、君以外の全員が―――」
は告げられたことの意味を呑み込むためにか、呆けたように目を瞬かせている。どことなく薄ら寒ささえ感じるような静けさのなかでは、そのまばたきの音さえ聞こえてきそうだった。
やがてゆっくりと理解に至ると、彼女は大きく目を見開いて一同を素早く見回し始める。言われてみれば皆、怪盗っぽい格好……かもしれない。
「え、じゃあつまり、喜多川くんのお師匠さんも、君自身がやったってこと?」
やはり関心はそこに向くのかと苦く思いつつフォックスは頷いてみせる。
「ああ。俺が先生の心を……その歪んだ欲望を奪ったんだ」
肯定ついでにその手法までもをごく簡単にではあるが明かしてやると、
はますます驚き、ついには口まで大きく開けてしまう。
そこから漏れたのは怪盗たちの不安や後ろめたさまでもを吹き散らすような嘆息だった。
「はぁ〜……そういうことかぁ〜……」
息を吐き切ると今度は背を丸め、膝に手をついて脱力する。
「そっか、だから『すぐに済む』だったんだね。それでかぁ……」
緊張していた分反動が大きいのだろう、フニャフニャになった彼女はそのまま床に座りこんでしまう。フォックスは手を差し伸べるのだが、彼女はその手を取ろうとはしなかった。それは拒絶というよりは照れによるものだろう。
なにより彼女の疑問は尽きない。
「それじゃあ、この変な場所は……」
「メメントスだ。大衆の心、その無意識の集合体がカタチを得て現れた場所とでも思えばいい」
答えたのはジョーカーだった。彼はやはり楽しげにして、
の反応を窺っている。
「大衆の……ってことは、ここのどこかに真犯人の心があるんだ?」
「そういうこと」
意外なほど察しよく反応するとますます彼は嬉しそうにする。彼にとってもはやこの少女は完全に敵ではないのだろう。
それは他の面々も同じことだ。若干の差異はあるが、誰にしても警戒に値しないことは明らかだった。知らず緊張していたスカルやパンサーも密かに息をつく。モナはまだなにかを言いたげにしているが……いわんやフォックスをや、彼は
のそばに膝をついたまま立ち上がることも忘れていた。
「
さん」
「ん? うん。あ、ごめんね後をつけたりして」
「いや、いいんだ。君はただ、俺が過ちを犯さないか心配してくれただけだろう」
「あっ、そう言えばよかったんだ。そうそう、それ。心配だった……んだけど、引っぱたくとか言っちゃったのも、ごめん……」
照れたように頭をかく仕草は子どもっぽいが、決して悪いものではなかった。誰かが少しの無理を押してでも親身になってくれるという事実は彼の気を軽くさせる。
だからといって浮かれるばかりもいかないと、彼は改めて
に向き直った。
「分かっているとは思うが、ここで見たものは口外しないよう頼む」
「ああ、そっか、そりゃそうだよね。秘密にしないと―――……ひみつに……」
そんなふうに話し合う二人から数歩離れたところで、モナは音もなく跳び上がってジョーカーの背中に爪を引っ掛けていた。
「いてて……どうした、モナ」
「どうした、じゃねーよ」
爪が突き刺さる痛みにジョーカーが肩を震わせると見かねたパンサーがモナをひょいと抱えてやり、話はまだ終わっていなさそうだと顔を近づけてやる。惚れた女に軽々抱え上げられる悲しさとそれでもその胸に抱き寄せられる幸福に妙な顔をしつつ、それでも低く黒猫は囁いた。
「こんな軽々しくワガハイたちの正体を明かしてどうすんだ。もしもアイツが誰かに喋りでもしたら、一巻の終わりだぞ?」
「そんなん俺らも同じじゃねえの?」
横槍を入れたのはいつの間にか歩み寄っていたスカルだった。からかうようなその態度に、モナはフンと居丈高に鼻を鳴らした。
「ああ、そうだな。ダレかさんがやらかしそうだな?」
またぞろケンカ未満じゃれ合い以上の面倒なやり取りに発展しそうな気配を感じ取ったのか、モナの尖った耳にパンサーの唇が寄せられた。
「まあまあ、あの子に関しては大丈夫だって」
言葉とともに息を吹きかけられて、黒猫は背中の毛を逆立てながらジョーカーの肩に顔を埋めた。どうも応えるどころではないようだとスカルが代わりに問いかける。
「あんで言い切れんだよ」
「だって、ねえ……」
ほら、とパンサーはあごで
を示してみせた。彼女はまだ床に座り込んだままで、緩みきってほのかに赤くなった頬を手のひらで押さえている。
その口からは独り言が漏れていた。
「ふ、二人だけの秘密……なんて。えへへ……」
どうも先のフォックスとの短い会話からなにかを見出し、想像――妄想――に取りつかれてしまったらしい。当のフォックスはとっくに立ち上がって一塊になったジョーカーたちを興味深げに見つめながら、画角がどうのとこちらも独言をこぼしていた。
喜多川などはとぼけたつもりか、よく目が合うなどと不思議そうに言っていたが、その理由なんてものは明白だ。考えるまでもなく一目瞭然で、今さら語るものでもない。
ジョーカーとスカルは「あー」とうめき声なのか感嘆の声なのか、あるいはただ呼気に音が付いて出ただけなのか判別つかない音を上げている。
ところが、やっと顔を上げたモナは首を傾げている。
「いつものフォックスだろ?」
どうも彼が顔を上げたときにはもう、
は妄想を振り払って立ち上がろうとしているところだったようだ。彼女は今もスカートのシワを払っている。
「だからね……」
と、パンサーは渋い顔をしてモナに耳打ちしはじめる。
その隣で頭領は再び注目を促そうと指を鳴らした。
「じゃ、一件落着ってことで―――」
「いや今から行くんだよ。一つも終わってねぇから」
「そうだった」
素早く入れられたスカルの指摘にどことなく嬉しそうにしながら、ジョーカーは
に向き直った。
「俺たちはこれから地下に潜る。君はどうする?」
仲間たちはぎょっと目をむいた。改心の手順を説明したときにもシャドウらとそれに対抗する能力に関しては話しておらず、彼女は地下にある危険を把握していない。そんなことを言って彼女がついて行くなどと言い出したらどうするんだと。
皆の不安に反し、
はすぐ首を横に振った。
「行ってみたい……って言いたいところだけど、私トロいから、おシゴトの邪魔しちゃうと思うんだよね。だから帰ります」
丁寧に頭まで下げる彼女の姿が予想通りだったからか、ジョーカーは満足気にして頷いている。
「気をつけて帰るんだぞ」
「はーい。そっちこそ気をつけてね、いってらっしゃ〜い」
メメントスの『外』に繋がるエスカレーターに脚を向けながら、
はひらひらと手を振っている。
怪盗たちと彼女はそのまま、互いに手を振りながら別れたのだった。
……
再び訪れた金曜日の放課後、
の前にまた彼は姿を現した。
同じ閲覧机の端に腰を下ろした喜多川は彼女と目が合うと穏やかに笑ってみせ、そのままさして読み進めてもいない本を棚に戻して図書室を去っていってしまった。
それが何某かのサインに思えて、
もまた席を立って彼を追った。果たして彼はドアをくぐってすぐにある掲示板の前に立っている。
「喜多川くん」
「気付いてくれたんだな」
「そりゃ……まあ、うん……」
やはりあの笑みは符号だったのかと
は複雑そうにしているが、喜多川はどこ吹く風だ。
「一応君にも報告をと思ってな。時間は大丈夫か?」
「うん、いいよー」
気の抜けた調子で応えた彼女に不思議そうにしながら彼は語り始めた。
その報告となればもちろん一つきりだ。『改心』は為され、真犯人が罪の呵責に苛まれた末に自首したのだという。
事の次第を聞き終えて、
はほっと安堵の息を吐いた。
「そっかぁ、よかったね。本当に……」
「ああ。捜査のやり直しも計画されているそうだ」
と、そこまで述べて喜多川は口に手をやり、いくらか気まずそうに眉をひそめた。
「喜多川くん?」
「いや、なに……まだ確定ではないんだが……」
「いいよ。なに?」
「再捜査に際して、もしかしたら君に再び証言を行うよう要請がいくかもしれないんだ」
その場合、拘束時間は如何程になろうか。なにより事件の性質やシャドウからあけすけに語られた動機を思うと、これ以上彼女を関わらせるのは気が引ける。しかし公権力による正しい捜査を望むとなればやはり、事件当時現場のすぐそばを通りかかった彼女の協力は欠かせない―――
喜多川の危惧を他所に、
はかすかに笑声を響かせた。
「そんなの全然構わないよ。お役に立てるのならこっちから行ったっていいんだから」
安請け合いとも受け取れる太平楽さだった。考えが至っていないのかと喜多川は不安に思うが、続く言葉がそれを否定した。
「そうしたらきっと、それも喜多川くんの友だちのためになるよね?」
力の抜けるような笑みを湛えた
のその姿に彼は感嘆の息をついた。
「……ありがとう、
さん。協力してくれたのが他でもない君だったから、今回の件は解決に導けたんだろう」
「いやいや、褒めすぎだよ」
「そうは言うが、他の者であれば情報を得るのにもっと時間も掛かっただろうし、苦労もしたはずだ」
それを想像したのか喜多川はどことなくうんざりした様子で視線を遠くに飛ばした。図書室前という場所柄故か、掲示されたプリントやポスターはそれに関連したものが多い。新刊入荷のお知らせやレビュー、注意喚起に、感想文や作文コンクールの告知ポスターなどが所狭しと貼られている。
「……俺たちが情報を得られたのは、君が俺の話を信用してくれたからだが―――」
声も眼もそぞろに言を重ねる彼の視線の先を追って
は首を傾げる。そこにあるものはいずれも彼女の関心を惹かなかった。
やがて想起される記憶を辿り終えたのだろう、喜多川は
に向き直ると唐突にそれを語り始めた。
「中学のころ」
「うん?」
「君は作文コンクールで賞を貰っていたな」
「うわ! 憶えてたの!?」
「それはこちらの台詞だ」
「あっ、あー……アハハ……」
意味深長に返された台詞に籠められたものに
は照れくさそうに頭をかいた。その指と頭皮の下で彼女もまた、蘇った記憶を辿りはじめる―――
といってもなにか壮大な物語があるわけでもない。二年とすこし前、中学二年のころのことだ。夏休み明けの学校行事で訪れた市民ホールの一角に海がテーマの絵画コンクールに提出された作品が展示されていて、その中の一枚に喜多川少年の作品があった。定かではないが確かそれは、市長だか区長だか、あるいは知事かなにか……とにかくその絵は、特別と冠の付く賞を受賞していた。
そのことにはじめに気がついたのは
ではなく、彼女と同じ班の男子生徒だった。どんな理由でかは今になっても解らないままだが、その少年はことさら悪し様に言ってのけた。
「こんなんアイツのオヤが有名な先生だからだろ」と。
これを受けてまた別の誰かが言う。
「それオヤじゃないらしいよ。アイツにオヤとかいないんだって」
それを耳にして初めて
は彼の身上を知った。衝撃を受けている間にそばに居た別の生徒が二人の男子を咎め、特別この話題にこだわるつもりもないかったらしい彼らは悪態をつきながら遠ざかっていった。
は複雑な気持ちで絵を見つめていた。人の家庭の事情を、本人の預かり知らぬところで勝手に知った気まずさと、それを制止させることさえせず呆然としていた己への嫌悪感で胸はいっぱいだった。
けれどそれも、波のうねりを独特の筆使いで表した絵を見ていると消え、いつしか彼女の胸は敬服の感情で満たされていた。同い年なのにすごいなぁ、頑張ってる人がいるんだなぁ……幼稚な発想は最後には「私もなにかはじめてみよう」という結論に至った。
それで、彼女はしばらく筆を手に悪戦苦闘しはじめるのだが、これは到底うまくいったとは言えなかった。資源の無駄とは彼女自身の感想だった。どうも才能以前に根本的ななにかが足りていないか、別の方向を向いてしまっているらしいと結論付けて、彼女は筆を置いた。
代わりにシャープペンを取り上げた彼女は、ちょうど作文コンクールへの提出作品を学校で募集していたこともあって、軽い気持ちでこれまでの経緯をまとめはじめた。
市民ホールでの一件からはじまり、なにかをはじめようとはしたものの芸術系とはどうも相性が悪く、それで作文などをやってみていること……
その成果は今示されている通りです。私は上手にできているでしょうか? 私もあの絵のように、なにかを始めてみようと誰かに思わせることができているでしょうか?
文章はそう締めくくられ、優秀賞に選ばれた。
もちろん文中には喜多川の名前も、彼個人の特定に繋がるような情報は含まれていないが―――
「……俺は、あれはもしかして俺の絵を見て書いたのかと。自意識過剰だとも思っていたが……」
答えを得たいと見つめてくる瞳から逃れようとして、
は身を捩った。
「いやぁ、恥ずかしいね、コレ……ああ、まあ、うん、そう。うわー、バレてたのかぁ……」
「バレていたというか、たった今確証を得たというか」
「私の自爆な気もする」
は大げさなくらいに肩を落とすが、喜多川のほうは楽しげに喉を鳴らしはじめた。
「そう言わないでくれ。俺はずっとあれを己のことと受け止めて、勝手に勇気づけられていたんだ」
「そうなの? それなら、じゃあ、一応成果は出てたのかな……」
「言うまでもない。俺はあの件で知ったんだ。俺にも誰かになにかを、行動するための……そう! パッションを与えることができると!」
唐突に高揚して声量を上げた喜多川に、
はビクッと全身を震わせる。それも一瞬のことで、彼女は生まれて初めて喜多川少年に咎める視線を送った。
「喜多川くん、ここ、図書室……じゃないけど、図書室の前だから」
掲示板に貼られた用紙の一つ、お静かにと記されたそれを指しながら告げられて、喜多川は己の口を手で覆った。
「すまん」
「いいよ」
おおらかに頷きつつも、
の脚は図書室前を離れようと動いている。なんにしても立ち話に向く場所じゃないと今さらながらに移動しようというのだろう。喜多川はそれに従って歩きながら、先の続きと口を切る。
「ずっと確かめたいと思ってはいたんだ。なかなか機会が掴めずにいて……」
「今日やっと叶ったと。よかったねぇ」
「フッ、そうだな。良かった」
「うんうん。めでたしめでたし、と」
二人は穏やかに語らいながら廊下を進み、昇降口に辿り着いてからも別れるでもなく通用門を潜っていった。
はそれを不思議には思わなかったし、喜多川も特別それを口にしようとはしなかった。
事件は済んだが、やっぱり夜間、女性の一人歩きはよろしくない―――
思惑に彼女が気が付くのはずっと先のことだった。
……
だからね、とパンサーは渋い顔をしてモナに耳打ちしはじめる。
「いーい? 目が合うには、片方が見てるだけじゃダメなんだって。よく合うなんて言えるくらいなら余計に、両方ともがお互いに視線を送り合ってなきゃさ」
モナは我が身をふり返って少しだけ寂しい気持ちになった。実感があったからだ。ただ一方から見つめているだけでは、決して視線は交わらないと。
「ああ、そういうことかよ……」
ハァとついたため息は二人へのものではなく、自らの身の丈や大きさに対する虚しさが多分に含まれていた。パンサーはその憂鬱のわけを聞き出そうとしたが、それよりキザったらしい仕草のフィンガースナップが先んじた。いよいよ出立となればモナを抱き上げ続けているわけにもいかないかとパンサーは膝を折る。
名残惜しく思いつつも床の上に降り立ったモナの耳に、再びパンサーの唇が寄せられた。
「目が合うのには理由があるってことだよね。ふふっ」
甘やかな笑い声と吐息に黒猫はうっとりと心を蕩かすのだが、彼女が背後にいる限り、自分とは目が合わないんじゃないか、そして今まさに、彼女はどこを、誰を見つめているのか―――そんなことを考えて、モナは大きくため息をこぼした。