「そういえばもうすぐクリスマスだけど、アンタたちはどーすんの?」
 と、問いかけられて、ははてと首を傾げた。
 対面に座した高巻はあんたたちなどと言ったが、この場―――暖房のよく効いたファミリーレストランのテーブル席に着いているのは二人だけだ。
「なんのこと?」
 率直に問い返すと、高巻はいかにも呆れたと言わんばかりに額を打った。その手にはシャープペンが握られたままになっている。
「いや、なにって……クリスマスじゃん」
「そうだね。サンタさんにプレゼントお願いした?」
「するかっつーの。ていうか、私のことはいーの、アンタたちの話」
「私と誰?」
「マジで言ってる?」
「そっちこそ」
 もまた呆れた顔をして、己と高巻の手元、大きく開かれたノートと参考書類を指し示した。
 時は十二月二十日―――センター試験までちょうど一ヶ月を切る頃である。
「まあ、そうだけど。一日くらい、ちょっと遊んでも、バチは当たんなくない?」
「その一日、あるいは数時間で大学に落ちたら私は一生悔やみ続けるなぁ」
「んもー、真面目なんだから……」
 ふっくらとした唇を尖らせつつ、高巻もまた目を参考書に落とした。
 彼女だって間近に迫った大きな試験を前に焦りや不安が無いわけではなかったが、目の前の友人よりはまだ精神的に余裕があるほうだろう。それは高巻が楽天家だからというより、のほうが過剰に不安がっているからだ。
「高校最後のクリスマスは一回だけなんだよ?」
「そうかもしれない。でもそれは試験も同じことだよ」
「むむ……クリスマスだけってわけじゃないんじゃん」
「あー?」
「記念日でしょ!」
「あー」
 気のない返事を返しつつ、はやっと参考書から顔を上げた。
 確かに高巻の言うとおり、十二月の二十四日は記念日だ。
「彼の再逮捕記念日ね」
「ちげぇっつーの!」
 思わずと語気を荒げた高巻に、は小さく肩をすくめてみせた。
 すっかり冷めてしまったラテに手を伸ばしつつ、高巻の言わんとするところを探る。
 もちろん、そんなことをする必要はない。はとっくに彼女がなにを言おうとしているのか理解していたから、これはあくまでも『ふり』だった。
「ンもぉ、なんか面白い話題提供してよぉ~」
「結局それか」
 冗談めかした不満の声に、は苦笑する。
 つまり、高巻が求めているのはこの目の前の少女がクリスマス―――何故かすっかり恋人同士の祝日として認識されつつあるこの日を、ある特定の男子とどう過ごすのか、ということだ。
 しかし―――
「向こうだってそんな余裕あるのかな」
「えー? そんなヤバいことあるの?」
「正直……彼が試験対策としてなにをしているのか……さっぱり解らない……」
「まあにはそうだよね。私にもわかんないけど」
「杏にも解らなかったら私たちの中で解る人はいないんじゃない」
「どうだろ……あ、彼ならわかるかも?」
 もうとっくに集中力を失ったらしい高巻が楽しげに指を鳴らした。
 彼というのは今ごろはるか彼方の田舎の片隅で彼女たちと同じく机に噛り付いているだろう少年のことである。
 は無情にも首を左右に振った。
「そういえば、嬉しいけど飾る場所ねーよってキレてたね、彼」
「あー、あのデカいの。気が付いたら実家に送り付けられてるってちょっとした恐怖体験じゃんね」
「好意はわかる」
「まあね。好意はわかる。ていうかどこで実家の住所知ったんだろ。私ですら知らないのに……」
「安心して。私も知らないよ」
「むしろそれはなんでよ」
 二人の少女はそれぞれ趣を違えたため息を漏らした。
 目前に迫った試験も聖なる日も、今は憂鬱で仕方がなかった。
「あー……これいつまで続くんだろ……」
「三月までかな……」
「もういっそ明日やって欲しいよね。全部。まとめて終わらせたい」
「自信のほどは」
 高巻は、虚ろな目をして高らかな笑い声をあげる―――
 そこにはおよそ正気と呼べるようなものは窺えない。ちょっと雑誌の表紙を飾ったりする美少女がしていい顔ではなかった。
 対面の少女は腰を浮かせて腕を伸ばし、イマジナリーナンバーに向かってパチンと指を鳴らしてやった。
「はっ!」
 息を吹き返したのを確認して元に戻る。の手と瞳はまた解くべき問題と記憶すべき文法に向けられていた。
「うえ~ん~……なんか楽しいことない……?」
「具体的には?」
「なんにも思い浮かばない……」
「浮かんだら呼んでね」
「うん……」
 ぐんにゃりとテーブルに突っ伏した高巻はしばらくそうして呻いていたが、やがてのほうが小腹が空いたとオーダーコールに手を伸ばすと便乗しようと起き上がって、なんだかあれやこれやと追加の注文を店員に言い渡していた。
 十二月二十日のことであった。


 同じように苦悶の声を上げる者がいる。
「あ゛〜……頭いってぇ」
 歩きながらふらふらと右に左に危なっかしく揺れる坂本を、新島と奥村がそれぞれ軽く叩いて気合を入れてやる。
「しっかりしなさい竜司。あなたには浪人している余裕なんてないでしょ」
「よしよし、もう少し頑張ろうね。私も一緒に勉強するからね」
 傍から見れば両手に花ではあるが、坂本にはそんなことに気が付く余裕も、また気が付いたとしても今さらそんなことを喜べるような間柄でもなかった。
 坂本はこのお姉さま方に、ちょうど一時間ほど前に呼び出されてわざわざ品川くんだりまで赴いていた。ちょっと時間が空いたから、竜司くん、お話し相手になってくれる? とのこと。
 それだけが呼び出しの理由ではないだろうが……一番学力に不安のある自分の様子を探りにきたか?
 まさかなと思いつつ、改めて二人に目を向ける。
「で? 今日はなんなん? 今変な知識入れられたら憶えた単語抜け落ちそうだから、あんまり……」
「知ってるか竜司、針に糸を通す家庭科で使ったアレ、ニードルスレッダーって名前なんだって」
 言葉とともに耳孔に吐息が吹き込まれる―――
 坂本は総毛立って耳を押さえ、直ちにその場から飛び退いた。
「はああっ!? お前、なんで?」
「アハハ! 来ちゃった!」
 大仰な坂本の驚きぶりに満足げに笑ってから、わざとらしく恥じらって少女のように身をひねってみせたのは、怪盗団の頭目にして受験を間近に控えるはずの少年だった。
 SNSやビデオチャットで頻繁に連絡を取り合っていたとはいえ、直接こうして対面するのは実に二月ぶりのことである。会わないでいた二ヶ月の間も細々と怪盗活動は続けられていたが、さすがに主要メンバーの目の前に差し迫った現実が見え始めると、頭目もまた田舎に引きこもらざるを得なかったはずだが―――
「なんだ竜司。もっと喜べ。いつものキレのいいツッコミはどうした?」
 『突然会いにやって来た恋人のふり』を流されて不満げに口を尖らせる彼に、坂本はやっとのことで
「気色悪いわ」とだけ返してやった。
「ちょっと弱いな」
「竜司も疲れてるのよ、リーダー」
「今なら武闘派一派の改革も狙えるかな?」
 フォローする気があるのか無いのか分からない上級生組はさておき、坂本は改めて久方ぶりの邂逅となった友人の姿をまじまじ眺めた。
 黒々とした癖っ毛は少し伸びたが、クラウンパントの下の不遜な笑みは相変わらずだ。
「ワガハイもいるぞ」
 背中に背負った鞄から顔を覗かせる靴下猫も。
 なるほど、新島と奥村による突然の呼び出しはこのためだったか。
「おー……マジでビビったわ……ていうか、今のでぜってーいくつか抜け落ちた……」
「あれで抜けるくらいならまだまだ身に付いてないってことだろ」
 からりとした笑い声をあげる彼に一睨みをくれてやるが、それも長くは続かなかった。
 やり口は気に食わないが、久方ぶりの再会は素直に嬉しいものだ。彼の隣に並ぶ女たちが笑っているのも、この悪戯が成功したからというばかりではないだろう。
「やっぱお前がいねーと始まんねえよな」
「褒めるなよ。あ、感動の再会を祝ってハグする?」
「しねぇよバカ。ンで? まさかサプライズのためだけに来たってわけじゃねえんだろ。今回はどんなシゴトだ―――?」
 問いかけに、少年と猫、そして新島と奥村はいかにも楽しそうに口角を釣り上げてみせた。


 さて、アンタたちの片割れで、ある特定の男子であるところの喜多川は、とっくに授業の終わった放課後、部員すら残らない美術室に独りで居残ってイーゼルに立てかけられたスケッチブックに向き合っていた。
 彼にとって試験の本番は年を越した二月になるし、筆記試験の比重は他の面々より軽かったから、比較的余裕があった。実技にしたって揺るぎない自信がある。
 不満があるとすれば、それは片割れであり特定の女子であるところの少女が近頃ちっとも自分に構ってくれないことくらいだった。
 それも仕方のないことか。
 淀みなく手を動かしながら独り言ちる。つぶやきは広く寒々しい室内に不気味なほどよく響いた。
「もう十二月だ。センターも近い。あいつはよく励んでいたが、不安を消すにはまだ足りないんだろう。あれだけ頑張って、どうして少しも自惚れられないのか……」
 彼は己が声を発しているとはまったく気が付いていないのだろう。目はずっと素描に向けられて決して外れない。
 そもそも、もう通常授業はすべて終了し、定期試験も先日終わったばかりだ。登校する必要性はもはやあまり無い。
 もちろん校内施設を使用する許可は取っている。それはある程度慣れ親しんだ環境で製作に打ち込みたいという理由であったが、ほんの少し、特別授業を受けているはずのあの子の声くらいは聴けるかもしれないという淡い期待も胸にはあった。
 そうとも、声だ。
 喜多川はひときわ低い声で呻くようにつぶやいた。
「確かに―――連絡は取り合っている。毎日のように。だが、それだけじゃないか。そもそも、十二月だぞ。なにか……なにかあってもいいんじゃないか、!」
 喚いても手は止まらなかった。
 虚しいような寂しいような、悲しいようなムカムカするような。複雑な胸中とは全く別に、彼の手は静物をよく写し取っていた。
「そもそもどういうことだ。普通、こういうのは女性のほうが気にするものなんじゃないのか? 記念日とか、何周年とか、そういったものは。なぜ俺のほうがやきもきしているんだ。まさか本気で……」
 ぴたりと喜多川は手を止めた。感情の爆発がそうさせたわけではなく、写し取っていた静物ににゅっと手が伸びて彼との間に割入ったからだ。
「……なぜここにいる?」
 ぽかんとした顔をした彼に満足げにして、奇妙な形のオブジェを手の中に収めた少年はこたえた。
「会いに来ちゃった」
 恥じらうふりに、しかし喜多川は冷たく
「お前じゃない」とだけ返した。
「冷たいな。もっと感動の抱擁とかあっても―――」
 唇を尖らせた少年に、喜多川は無言で立ち上がって距離を詰めようとした。
「本気にするな! 相変わらず冗談の分からないやつだな!」
「そうか。では校内に怪盗が忍び込んだと報告してもいいか?」
「それも待て。二人捕まることになるぞ」
 これに喜多川は前髪を払って、やっと笑顔をみせた。
「なるほど、シゴトの話か」
「他にお前に会いに忍び込む理由がある?」
「俺にお前を描かせてくれる気になった、とか」
「ヌード?」
「脱いでくれるのか?」
「寒いから嫌だ……」
「なんだ……」
 がっかりして肩を落としつつも、彼の前にあったものはやり取りの間にすっかり片付けられていた。
 準備はよしとみて、少年は先を行ってドアに手をかけた。
「それで、わざわざこっちに来てまでなにを盗むんだ?」
「よく訊いてくれた。竜司も双葉も春も真もハイハイで流しやがった」
「ハイハイ」
「その流れには乗らなくていい」
「そうか……」
「とにかく―――」
 振り返って、少年は猫のように目を細めた。
 その指にはいつのまにか『予告状』が挟まれている。
「今回の依頼人はかわいい女の子だ。期待していいぞ」
 浮ついた彼の様子に喜多川はかすかに眉を寄せて首を傾げた。
 しかし少年のほうは答えるつもりもないのだろう。ひらりと手を振って扉を潜ると、挨拶もせず、足音も少なに遠ざかっていってしまった。
 のんびりとした歩調で同じく部屋を出た喜多川が施錠して振り返ると、ちょうど近くの窓から冬の冷たい空気が吹き込んできている。
 なるほどあそこが侵入経路かと見定めて窓を閉め、こちらも鍵を閉めてやる。外を見下ろして彼の姿を探してもみたが、夕闇の中に見つけ出すことはできなかった。


 すっかり暗くなった道を一人で歩くことに不安が無いわけじゃない。しかし歩かねば家には辿り着けないのだから、仕方がない。
 高巻と別れて帰路についていたは冷え切った指先に息を吐きかけながら前方を睨みつけた。
 そうしたところで骨の芯まで忍び入った冷たさも、人の姿を見かけない薄闇にも、なにか変化が訪れるわけではない。ただそうせずにいられなかったというだけだ。そうしていると少しは不安や寒さが和らぐような気がする……
 しかし目論見はすぐに打ち壊される。鞄に押し込んであったスマートフォンが着信を告げて、静かな帰り道に鳴り響いたのだ。
「うわっ!?」
 驚きつつも冷えた指先で手のひら大の機器を取り出す。近頃は電話としての機能のほうがおまけになりつつあるそれが、通話の着信を教えるのは珍しいことだった。
 誰だと目を落とせば、着信主は「佐倉双葉」であると教えてくれている。はすぐにロックを解除して受話口に耳を寄せた。
「もしもし? どうしたの、電話なんて、珍しい―――」
 言葉通り、佐倉が音声を介しての連絡手段を取るのは稀なことである。それは喋るのが苦手というより、発話するより文字に起こすほうが早いとか、考えがまとまるという理由が大きい。
 本当に珍しいことだった。
? 今どこにいるんだ?』
「家に向かっているところだけど……なにかあったの?」
『ああ。あのな、、驚かないできいてほしいんだけど―――』
 類似音に置換された音声は、大きなノイズに遮られた。
「双葉?」
『―――だから―――今―――どこに―――』
「なんだか電波が悪いみたいだ。双葉こそ今、どこにいるの」
 問いかけにはノイズが返される。
 は眉を寄せてもっとよく聞き取ろうと強く耳にスマートフォンを押し当てた。
『わたし―――今―――学校の前に―――』
 学校? 秀尽学園だろうか?
 問い返すが、返って来たのはやはりノイズだけだった。
「双葉? もしもし? ねえ?」
 呼びかけた途端通話はプツっという音を残して断ち切られた。
 どうやら向こうは相当電波の届かない場所に潜り込んでいるらしい。地下かトンネルか。どちらにせよ、学校の前ではなさそうだ。
 はしばらく立ち止まって考えていたが、まずは帰宅を急いだほうがよさそうとみてスマートフォンを手にしたまま早足に歩き始めた。
 そうやって、無人の家の前まで来たところで再びの着信が鳴り響く。
 着信主はやはり佐倉双葉だった。
「双葉? どうしたの? 大丈夫?」
―――わたし―――今―――駅に―――』
 声はやはりというべきか、ノイズまみれでほとんど聞き取ることができなかった。
「駅? どこの?」
 それでもかろうじて聞き取れたワードをおうむ返しにするが、通話は再び唐突に断ち切られた。
「……なんなんだ?」
 よもやなにか危険なことをしようとしているのではないか。自分のことを棚に上げてそう考えつつ、はポケットから自宅の鍵を取り出した。
 家の中は静まり返っている。母の帰宅はもっとずっと後のことだし、通いの家政婦ももうとっくに帰っているはずだ。
「なのになんで……」
 家の中、リビングは暖かかった。暖房の電源は切られている。家政婦はいつもならば数時間前には出ているはずだから、彼女が暖房を入れていたのだとしても、この時間まで暖かさが保たれているとは思えない。
 また着信があった。
 は大げさに驚いて身体を震わせ、恐る恐ると着信主を見る。やはり佐倉からだった。
 出ないわけにはいかなかった。
「双葉?」
『わたし―――』
「どうしたの。なにかあったの」
 電波の向こうの佐倉らしき少女の声はなにも答えなかった。ただ代わりに、妙に無機質な声で
『今―――大通りのコンビニに―――いるよ―――』とだけ告げて、通話は終了する。
 は呆然として、肩にかけていた鞄を取り落とした。室内にこもった生ぬるい空気がいやに居心地の悪さを増長させていた。
「いや、まさかね。電波が悪いだけ。斉藤さんが、いつもより遅くまでいただけだ……」
 笑い飛ばしてみせようとして、それは失敗した。
 とりあえずお茶でもと入ったキッチンで、彼女はあるはずのないものを発見したのだ。
「なんで」
 それは使用済みのマグカップだった。オレンジ色の、飾り気のない陶器製。
 家政婦が使用したというのはありえない。彼女が使ったのであれば片付けていくだろうし、そもそも彼女ならばこれがの気に入りの―――色違いのお揃いをどこかの誰かと買った物だと知っているから、使うはずがないのだ。
 ならば何故これが、使われた形跡の残ったまま水桶に入れられているのか。
 ―――着信音が鳴り響いた。
「ひっ!?」
 普段なら絶対にあげないようなか細い悲鳴が喉から飛び出した。
 佐倉双葉からの着信だった。
 出ないほうがいいに決まっていた。しかし、こちらがそうであるように、向こう―――佐倉もまた異常事態にみまわれて、困っているのだとしたら。そう思うと、は着信に応じないわけにはいかなかった。
「ふ、双葉……?」
 震える声で呼びかける。
 返ってきたのは
『ふたば……? ううん、わたし―――メリーさん―――』
 まったく知らない、妙に電子音めいた声と名前だった。
 卒倒しそうになるのをこらえている間に、メリー某とやらは告げる。
『わたし今、公園の前にいるの』
 それはどういう意味だ。問いかける前に切られてしまう。
 はよろよろとキッチンから離れて、リビングを通り、廊下を抜けて階段を駆け上がった。
 学校の前、駅、大通りのコンビニ、公園の前。勘違いでなければ電話の主、双葉ではない誰かは急速にの家に近づいている。
 自分の部屋に飛び込んで、鍵をかけて、やっとは安全を得た気になってへたりこんだ。
「なんなんだ……メリーさんなんて、今時小学生だって信じないよ……」
 しかし彼女はすでにすっかりこの怪奇現象らしき事態を信じ切っていた。
 どうしようどうしようと繰り返しつぶやいて、やっと己がスマートフォンを握りっぱなしだったと気が付くくらいだった。
「そうだ、誰かに連絡を……」
 それはそれで難題だった。こんな馬鹿げた話、誰にできよう。信じてもらえても、信じてもらえなくても、己の現状を説明しようとすれば、それはすなわち彼女が日ごろ否定したがっているオカルトを認めなければならなくなるではないか。
 そんなことをしてたまるか―――
 謎の反抗心を打ち砕くように、もはや幾度目かも分からぬ着信音が響く。
「う、く……こ、この……!」
 出なければいいものを、は着信に応じた。
『今家の前にいるよ』
 もはや名乗りも呼びかけもなく通話は終了される。
 は身を翻して窓に飛びつき、カーテンを横に引いた。街灯に照らし出された玄関ポーチには、しかし誰の姿も認めることはできない。
 そして―――
 おそらく、最後であろう着信が響く。
 はやっぱり、出なければいいのに、これに応じた。
『いま へやの 前に いるよ』
 用件だけ告げて切れる。それだけならまだ立っていられただろう。通話の終了とほとんど同時に、佐倉からSNS経由で画像が送付されたのだ。
 それはの部屋のドアを写していた。
 力なくその場にへたりこんだの目の前で、ドアノブが回される。だが扉には鍵をかけてある。そう簡単には開けられないはずだ―――
 ドアノブはしばらく虚しく空回りしていたが、やがてぴたりと動きを止めた。
 諦めてくれたのだろうか?
 わずかな光明は、しかしカチャカチャという耳障りな音に遮られた。
 それはまるで、小さな穴に金属の棒を差し込んで弄り回しているような―――
「……うそでしょ……」
 怪異現象がピッキング? 疑問に思うが、にはもはやそれを見守る以外の手段は残されていなかった。
 やがて鍵が外れる音がして、ドアノブが回る。
「い、いや……なんで……助けて、祐介―――」
 ほとんどうわ言のようなこれに応えたのは、一人の少年だった。
 ただし彼はが涙目になって求めた少年ではなかったし、ドアからごく普通に歩いて入ってきた。
! 久しぶり! 会いに来ちゃっ……あ、あれ……?」
 癖のある黒髪に伊達眼鏡の少年は、部屋の主がゆっくりと立ち上がって、窓際に置かれた陶器製らしいデフォルメされた干支の置物を手に取る姿に笑顔を凍りつかせた。
「きみってやつは……きみってやつは……!!」
「いや、再会は劇的なほうが印象に残るかなと。みんな、ちょっとリアクションが落ち着いていたし、ならこれくらい過激にしないと驚きすらしてくれないかもと……うわっ!?」
 豪速球であった。少年が腕を前にやって受け止めなければ、が放った愛らしい犬の焼き物は少年の額にぶち当たって粉々に砕けていたかもしれない。
、落ち着け!」
「落ち着けるかぁっ! ほんとに、本当に……!」
「おばけだと思った?」
「いるわけ無いでしょう幽霊なんて!!」
 激しく床を踏んで詰め寄る少女の目は、言葉とは裏腹に潤んでいる。
 少年はやっと友人を行き過ぎたいたずらで泣かせるところだったと理解して床に額をこすり付けた。
 曰く―――
 予めの居場所は、共謀者の佐倉の手によって明らかになっていたとのこと。よって先んじて家に侵入した彼は、寒さに耐えかねて暖房を利用して茶の一杯を失敬した。
「この家は女性の二人暮しにしてはちょっと無防備過ぎる。警備会社とまでは言わないけど、最低限玄関にセンサーライトくらいは付けたほうがいい」
「検討する……」
 閑話休題。
 あとは佐倉謹製の合成音声ソフトを利用してを追い込み、屋内に閉じこもれば彼が、屋外へ逃亡すれば佐倉が出迎えるという手はずだった。
「ご、ごめんな、〜……」
 珍しくしおらしい様子で合流した佐倉が補足して曰く。
 ってみんなで怖い話とかしてても一人だけ平気そうにしてるし、どちらかといえばオカルト否定派だったから、これぐらいしなければ怖がりすらしてくれないと思ったのだとのこと。
「いや、それは違う。平気そうにみえてこいつは内心でものすごくビビってる」
 唐突に話題に割って入ったのは喜多川だった。
 少年たちは家の玄関ポーチに並んで立って、センサーライトを取り付けるのならばどこがよいのかを検討しているところだった。そこに喜多川が現れた形になる。
「うわーっ! なんでなんでいるんだおイナリ! びっくりした! すごいびっくりしたぁ!」
「すまんな」
 おざなりな謝罪に佐倉が腕を振り回すが、喜多川が腕を伸ばして彼女を押しやると、もう指先すらかすりもしなかった。
「どうしてここに?」
「簡単なことだ」
 フィジカルの差であれば佐倉が喜多川に勝てる道理はない。左腕一本で封じ込まれた佐倉をおいて、喜多川は己がここに至ったわけを説明してやった。
「お前が俺のところに忍び込んだ目的はシゴトの誘いだったな。そのときにはすでに幾人かに声をかけていた。お前がなにかを企んだとき、モルガナを除いて真っ先に確認を取るのは真だ。作戦参謀という意味でも、時間的な余裕という点においても、彼女は俺たちより優位だ。だから、一番は真だろう。次いで同じく時間的な優位によって春が選ばれる可能性が高い。それに彼女であれば余程悪辣なことでなければお前の意を汲もうとする―――」
 喜多川は確認するように彼に目を向けた。答えは返されなかったが、感心するような笑みは肯定を示している。
「次は……おそらく双葉だろう。全体に連絡を取ろうとしたとき、妙な企みごとを差し挟むのであれば、こいつはいたほうがいいし、お前のくだらん考えにも賛同しやすい」
「くだらんとはなんだくだらんとは!」
 佐倉はまだ腕を振り回していたが、否定はしなかった。
「四番目は竜司だ。お前はなにかあると、とりあえずやつを頼る傾向にある」
「うぐっ」
「そして俺のもとにやってきた。俺に関しては順番はあまり大した意味はない。だが、を籠絡するのであれば俺を先に口説いたほうが容易になることを見越して、必ずより先に俺のもとに来ているはず」
 言い様には思い切り顔をしかめた。
「つまり、お前が俺のところに現れた以上、必然的に近くは襲撃される」
 だからここに来たのだと結んで、喜多川は佐倉を完全に少年のほうに押しやり、どうだと言わんばかりに胸を張った。
「見事だホームズ。いや、コロンボ……うーん、フィリップ……?」
「や、間に合ってないからな。ホームズにもコロンボさんにもフィリップにも失礼だぞ」
「それもそうだ。すぐに追いかけたのなら俺たちより先に着いてたはずだろ?」
「電車賃が足りなくてな、一駅歩いた」
「締まらないな」
 呆れた顔をして肩を落とす兄妹のようなものに、喜多川は小さく頭を振った。
 そしてに向き直る。
、大丈夫か? こいつらになにか乱暴狼藉をされていないか?」
「紳士怪盗になんてことを言うんだ」
「そーだそーだ、カッコつけてんなおイナリー」
「ええいやかましい」
 は思い切り脱力して、またわあわあと騒がしく言い合う三人を置いて引き返して玄関扉に手をかけた。
「あれ、?」
「んおっ? おーい?」
「どこへ行くんだ?」
 そして少女はその内側に入り込み、鍵をかけて閉じこもった。
「ヤバい、天岩戸が閉ざされた。わたしオモイカネ」
「俺はアメノタヂカラオ」
「えっ、じゃあ俺が全裸で踊る係?」
「余計出てこなくなりそうだな……」
「では杏を待とう。彼女に脱いでもらえればさすがのも顔を覗かせる」
「祐介の中でカノジョってどういう評価なの?」
「クリスマスの予定を訪ねたら他の相手と予定があると返事をするやつ」
「ついに捨てられたか。よしよし、泣いていいぞ」
「しかもこの時期に。さすがのわたしもこれはおイナリに同情するぞ……」
 はドアの向こうから応えた。
「私にだって色々事情があるんだっ! 試験対策だってしなきゃいけないし……浮かれていられる余裕はないの!」
「あー怒らせたぁ」
 怒号にいくらか身体を固くした佐倉の前に立ってやりながら、少年はどうしたものかと腕を組んだ。
 大本の元凶が己であることは理解しているが、せいぜい強烈な突きを頂いて終了になると思っていたのに、まさかここまでの拒絶反応を示されるとは。同じく怪盗団の参謀殿も『お』の付くあれが苦手な様子だが、それを覗かせる可愛げがある。自分もまだまだみんなのことを全部知ってるってわけじゃないんだな。
 少年はどこか感慨深く思いながら、頷いてみせた。
「なに一人で納得してるんだ。なんとかしろよ。だいたいおまえのせいだぞコレ」
「ノリノリだったくせに」
 ううむと唸って額を突き合わせて二人をよそに、喜多川は泰然としたものである。いつも通りの彼であるともいえた。
 そうとも、彼は『待とう』と言ったのである。
「お待たせ〜」
 そしてここに高巻杏が登場する。二人は眼鏡の下の目を見開いて彼女を見やった。
「わっ、マジでいる! リーダー、久しぶり!」
「どうしてここに?」
「祐介にリーダー来てるよって教えてもらったの」
「なんで教えた」
「駄目だとは言われていない」
「んもう!」
「ふっふっふっ、残念でした! 私にサプライズ仕掛けようなんて百年早いんだから」
 得意げに片目をつぶった高巻に、少年は両手を上げた。
 しかし概ねの事情を説明すると、笑顔は冷たい視線にすり替わる。
「マジでなにしにきたのキミ」
「久しぶりだったからなんかテンション上がっちゃって……」
「ていうか、祐介が呼び出さなかったら次は私だったよね? なにする気だったの?」
「軽くハイエース横付けとかしようかなって……」
「それ普通にトラウマ植え付けるやつだよね? ゼンッゼン軽くないよね?」
「はい。すいません」
「まったく……! 出てきなさい! でないとアンタんちの前で過激なオシオキしちゃうからね!!」
 震えあがる少年の前でドアは直ちに開け放たれた。
「やめてよ杏まで! どうしてみんな邪魔をしようとするんだ!」
「待て、俺もか!?」
 思わずと反応した喜多川には一瞬だけ言葉に詰まったが、意を決したように歯を剥いて彼を睨みつけた。
「そうだ! というか、きみが一番大きい! いちいち私を誘惑するのはやめて!」
「誘惑て。も相当おかしくなってるな」
「双葉! 聞こえてるよ!」
「いいからでてこいよー」
 ひらひらと手を振る佐倉は、いつの間にか喜多川を盾にしていた。
 その隣には腰に手を当てた高巻が立っている。
 は慌ててドアを引いたが、忍び寄った少年が彼女の腕を掴むほうが早かった。
「なんだっけ、フットオンザフェイス?」
「それじゃあきみ、踏まれて……うわぁっ!」
 正しくはフットインザドア、もしくはドアインザフェイスだと訂正する間も無く引きずり出された少女は、勢いをつけて寒風吹きすさぶ表に放り投げられる。
「あああ……やだやだ……」
「ほ~ら~こっちにおいで~」
 そして高巻の腕の中に迎え入れられた。
「うう……どうしてこんなことに……」
「概ねあいつのせいだな」
 喜多川が指さした先にはこの上なくごきげんそうな少年の姿がある。彼はまたを引っ張り出した際に彼女のポケットからくすねた鍵で玄関扉に施錠まで行っていた。
「もう怪盗っていうか泥棒じゃねーか。なんのスキル鍛えてんだおまえは」
「犯罪の被害に遭わない一番の方法は、その手口をよく知ることだ」
 彼が軽やかに合流を果たすのと、新島が愛車を繰って家の前に音も無く停車するのはほとんど同時だった。
 助手席から坂本が顔を覗かせる。
「あれ? ンだよ杏と祐介まで捕まえたん?」
「捕まってないから。ウチらは自主的にここに来たの。リーダーがにセクハラしそうだって聞いたから」
「してない」
「不法侵入はしたんだろう?」
「それはした」
 運転席の新島と、後部座席で奥村の膝の上に陣取ったモルガナが重々しいため息をついた。
 とはいえ、これで怪盗団は一堂に介したことになる。
 少年はに家の鍵を放り投げてやりながら車外の連中を顎でしゃくって促した。
「まずは乗って。楽しいドライブと洒落込もう」
 佐倉は元より、喜多川も高巻も反対するつもりはない。ただだけは少し渋る様子を見せたが、
」と名を呼ばれてじっと見つめられてしまうと、彼女はもう逆らうことができなかった。
 喜多川の推理は当たっていたし、怪盗団の頭目の目論見は成功している。はため息をつきつきステップに足をかけた。

 訳を聞いた子どもたちの感想はそれぞれ様々だったが、未だに機嫌が傾いたままのは低い声で 「ついに児童にまで手を出すようになったのか」と彼を非難した。
「一桁歳はヤバいって。そこはワイルドじゃなくていいよ」
 佐倉が性質の悪い冗談に乗ってけらけらと笑ったが、言われたほうはただ軽く肩を竦めただけだった。
「ていうかその人脈が謎。どうやって知り合ったんだよ?」
 今回の依頼人は都内在住の小学一年生、齢六歳の女の子である。
 表向きはなんの変哲もない男子高校生であるところの彼とどのような出会いがあったのか。知りたいような、知りたくないような。仲間たちは複雑な面持ちで沈黙した。しかしよく考えたら、特別深く掘り下げてまでして知りたくもなかった。
「もう少し俺に興味を持ってくれ」
 誰もなにも応えなかった。
 依頼内容は簡潔で、よくある話だった。クリスマスの夜にパパに一緒にいて欲しい。
 忙しい父親とそれに憤る母親。板挟みにされる小さな娘。クリスマスは一緒に過ごそうと約束したはずなのに、直前に入った仕事のせいで父親は仕事先に泊まり込んでろくに家にも帰れない。年明けまでこんな調子だと聞かされて怒り心頭の母親と、どうすることもできない娘だけが家には残されている。
 六歳の娘は―――サンタクロースにではなく、怪盗に願い事を書き連ねたメールを送信した。
 それはこのようなものであった。
『お父さんがクリスマスの夜に一緒にいてくれるようにしてください』
 少年は器用に指先で己のスマートフォンをくるくると回しながら仲間たちに問いかけた。
「出会いのエピソードは端折るけど……怪盗と知り合いだって言ったら信じちゃって。まあ本当のことなんだけど。そういうわけで、怪盗さんたち、この子のお願いを聞いてあげてくれないか?」
 反対する声は無かった。
 なにしろクリスマスだ。恋人がいなくたって、肉親を持たなくたって、誰だって小さな女の子がただ寂しいと訴えるその気持ちは理解できた。
 しかし―――
「具体的にはどうすんの? ウチらでそのお父さんの仕事肩代わりでもしてあげんの?」
 ていうか、それって可能なの?
 首を傾げた高巻に、少年は足元のやたら大きな荷物からクリアファイルを引っ張り出して手渡してやった。ありがたいことに綴られた文字は彼の手書きではなく、電子文書をプリントアウトしたもののようだった。
 そこには一人の三十代ほどの男の簡単なプロフィールが記されている。どうやって調べ上げたのか、学歴から足のサイズまで。
 しかし彼らが注目したのは男の靴のサイズではなく、その職業と所属部署であった。
 警視庁刑事部捜査一課第七強行犯捜査第一係―――つまり、少女の父親は放火や失火による事件等の捜査を担当する部署に所属する刑事である。
 そしてああ、と誰もが手を打った。今の時期に急に忙しくなって帰れなくなった、その理由が判明したのだ。
「連続放火事件か―――」
 忌々しげにつぶやいたに、ハンドルを握る新島が然りと応じる。
「そう。二年前、都内で四件、連続して放火事件があったわよね」
「けど、それってさ」
 割って坂本が入る。彼は珍しく思案顔をしていた。
「その四件で終わったんじゃないっけ? 結局犯人も逮捕されずに未解決のまんまで……なんかしらの目的を達成したからやらなくなったとか聞いたけど。別件じゃねえの?」
「それはあくまでもウワサでしょ? 私が聞いたのだと、犯人は病気かなんかで死んじゃって、それでできなくなったって話だけど」
「あら? 私は最後の犯行のときに犯人も火に巻かれて焼死したからと聞いたよ?」
 高巻と奥村の発言は、しかしある事実と明らかに矛盾している。何故ならば、ここ一ヶ月の間で似た手口の犯行が複数回行われているのだ。
「二年ぶりに現れた連続放火犯、か……ニュースでは連日大盛り上がりだな」
「おっ、おイナリの耳にも入ってるってことはかなり広まってるってことだな」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ」
「妖精か妖怪」
「なんだと……!?」
 愕然とする喜多川はさておき、少年は静かに停車した車内をぐるりと見回した。
「どうする? やる?」
 沈黙が返された。そして沈黙は肯定である。訊くまでもないことであった。少年はよしと頷いて、停車した車から一番に飛び降りた。
 見覚えのある土地のコインパーキングに足を付けて、彼は一同を振り返った。
「じゃあ作戦会議だ。……できればその前に、屋根裏の掃除も手伝って欲しい」
 笑顔で言ってのけた彼に、仲間たちはため息をついて肩を落とした。それくらいはしてやったっていいけど、しかしなんだか、嵌められた気もする、と。