……
「よろしく」
 抑揚と精彩を欠いた声でそう言った少年は、クラス中に満ちるざわめきとささやき声など気にもかけないと言わんばかりのふてぶてしさで軽く顎を上げ、挨拶はそれで済んだと言わんばかりに教室を見回した。
 担任教師の川上貞代はいかにも困ったと言わんばかりにため息をついたが、すぐに繕ったような笑みと声で窓際の席の一つを指し示した。
「じゃあ、君の席はあそこね。高巻さんの後ろ」
 示した先には確かに空席が一つある。
 その隣に腰かける女生徒が小さく悲鳴を上げて川上に非難の目線を送ったが、しかし女教師はついと目を逸らしてそれを封殺した。
 そんなやり取りを横目に見つつ、少年は踏み出して机と机の間をすり抜け、これから一年己の居場所となるだろう座席を目指して歩き始めた。
 一つ前の席には透き通った金の髪を高い位置で二つに結った少女が頬杖をついて、なににも、この少年にも彼に侮蔑の視線を送る他の生徒たちにも興味は無いと言わんばかりに窓の外に目を投げている。
 けれどすぐ間近に迫ると好奇心くらいはあるのだろう。『噂の転校生』の顔を見ようと碧の目がちらりと彼に向けられ―――
 驚きと気まずさに見開かれた。
 二人は初対面ではなかった。
 ほんの数時間前、駅を出た大通りで花時雨に見舞われた二人は同じひさしに雨宿りのため肩を並べた。それだけのことだが、しかし高巻と呼ばれた金髪の少女は眉をひそめて「サイアク」と小さくつぶやいて、また窓の外に視線を向けた。
 声すら交わしてもいないのに、なんでそんなことを言われなければならないのか。
 憮然とした面持ちで更に一歩を踏み出した少年は、己の席の一つ後ろの少女に目を向けた。
 どこにでもいそうな、なんの変哲もない平凡な女子高生だった。
 けれどどうしてか、彼はその姿……形というものにではなく彼女が放つ存在感とでもいうものに、ひどく懐かしいような気持ちになった。
 まじまじ眺めているうちに目が合うと、彼女はちょっと困ったような、曖昧な笑みを浮かべてかすかに首を傾げる。
 それは少年がこの土地にやってきてから、久しく触れていなかった親しみというものだった。
「よろしく」
 唇の動きだけでそう言った少女の目は、なんだか少し困っているような、混乱しているような、どうにか心を落ち着けようとしているかのようだった。

 午後の授業の終わりを告げる鐘の音とともに、川上は翌日の球技大会の予定を告げて教室を立ち去った。
 少年はやれやれと首を回し、授業範囲が前の学校とさほど違っていないことに安堵の息をつきつき、軽い鞄を持ち上げて立ち上がる。前の席の高巻と呼ばれていた少女は着席したままスマートフォンをいじり、後ろを振り向こうともしない。
 別段おしゃべりをしたいという気もなかったが―――いいや、同じひさしの下で肩を並べたときに見た彼女のほほえみを思えば、友好的な会話ができればそれはとても楽しいことだろう。しかし彼女の背中からはこの少年のみならず、誰彼構わず「話しかけるな」と言わんばかりの無言の圧力が放たれている。
 大人しくしていろと言われたばかりだ。妙な真似をしでかして、彼女に朝方の憂鬱そうな横顔の訳を問うのもやめておいたほうがいいだろう。
 それよりももっと気にかかることが彼にはあった。
 だから、彼は席を離れ、ささやき声で沸く同級生たちから逃れるように教室を出た。
 そこで彼は二つと存在しない知己を得るのだが、それを知っているのは、例えば予め定められた物語の筋を知っているような者だけだろう。

 翌日の学校で、彼は奇妙なものを受け取った。
 それは一枚の簡素なメモ用紙だった。教室机の中に二つに折り畳まれて放り込まれていたのだ。
 悪口だったらどうしよう―――
 いささか落ち込んだ気持ちのまま、彼はこれをそっと広げた。
 中にはきれいな文字でこう記されていた。『頑張ってね』と、それだけ。
 少年は思わずと教室中を見回した。まだろくに顔も覚えていないクラスメイトたちは、彼に待ったく関心も払わずにホームルームの始まりを待ってざわめいている。
 誰がこれをと放心していると、後ろの座席の女生徒と目が合った。
「……あの」
 もしかしたら彼女がこれを入れた人物を目撃しているかもしれない。そう思って声をかけると、女生徒はわずかに首をかしげて目を細めた。
「なに?」
「これ」
 メモをひらと振ってみせるが、少女はあいまいに笑うだけだ。どうやらなにも知らないようだと少年は肩を落とした。
 そんな彼を見かねたのか、少女は口を開く。
「……なんだかよくわからないけど」
 声にはこころがこもっている様子だった。
「嫌がらせでないのなら、素直に受け取ればいいんじゃない?」
 なるほど確かに彼女の言うとおりだと少年は思った。
 もしかしたら、こんなのただのイタズラかもしれない。喜ばせておいてあとで手ひどく扱われるのかもしれない。
 けれどわざわざ穿って考えるのも損だろう。言葉をそのまま受け取れば、名前も知らない誰かが頑張れと応援してくれているのだということなのだから、そうと受け取ればいいだけの話だ。
 そう思うと自然と彼の背筋は伸びる。今日一日、あるいは明日も、明後日も、そのずっと先も少しは頑張ってみようかと思えたのだ。
 少年は再び女生徒に目を向けた。礼を言うのはなんだか気恥ずかしかったが、それでもなにかを言うべきとして。
 再び目が合うと、彼女の瞳にはやっぱり理由の知れぬ困惑めいたものが宿されている。
 少年は問いかけた。
「名前は?」
「……
 そうか、よろしく。
 小さな声で交わされたやりとりは気だるげに教室の扉を開いた川上によって遮られる。着席を促されて腰を下ろした少年の手の中には、まだメモが握られていた。

 そして、メモはこれきりではなかった。

『女医さんと仲良くしとくと後々楽になる』
『SP切れたらさっさと撤退しよう』
『テレビは早めに買っておいたほうがいいよ』
『メイドさんとも仲良くするとお得だよ』
『占い師さんも親しくなると吉』
『アルミ板と水銀集めて』
『タルカジャはエリゴールが初期状態で所持してる』
『アンズーを電気椅子にかけたほうが早いかも』

 ……後になればなるほど、それは具体的で実践的なアドバイスになっていった。
 なによりも奇妙であるのは、メモの送り主が怪盗団の存在を、そしてそれにこの少年が関わっているのだと明らかに心得ていることだろう。
 もっと言えば、送り主は認知世界やペルソナ、ベルベットルームの存在すらも認識し、少年よりも深い知識を持っている。だからこそ背筋が薄ら寒くなるような的確過ぎる『アドバイス』を出せるのだろう。
 分かることは多くないが、しかしただ一つ分かることがある。
 少なからず、このメモの送り主は少年と、そして怪盗団の『味方』ではあるのだ。

『一つ目のレバーは引かない。道なりに進んで二つ目、次に最北のレバー』

「いやいやいやいや」
 両手と首をぶんぶんと振ってジョーカーの手の中のメモを奪い取ったナビは、ゴーグルの下に隠された目をこれ以上なく見開いてメモと指を彼に突き付けた。
「怪しすぎるッ!」
「でもこの通りに進むとスムーズだ」
「そうかもだけど、かもだけど」
 戸惑って頭を抱える彼女の傍らで、ジョーカーの代わりにレバーを引いたスカルがため息をついた。
「実際役には立ってるからなぁ……」
「そうなんだよねー……」
 パンサーもまた。彼女の隣ではクイーンとフォックスも戸惑いがちに頷いてみせている。足元ではモナも同じように。
 どうやらこのメモを疑っているのはナビとノワールだけであるらしい。
 旗色悪しとナビは地団駄を踏んだ。
「ぬあぁ……だってヘンだよこんなの! どうしてこいつはパレスの構造まで把握してるんだ? それに、こいつの言うとおりのメモが送られてきたってんなら、交友関係までめっちゃ細かく把握してるってことになるぞ!」
「慣れたよ」
 大した感慨もなさそうに返されて、ナビはくずおれた。
「それにナビがそう言うってことは、盗聴や盗撮をしてるってわけでもなさそうだ」
 敗北にぷるぷると震える少女の手からメモを奪い返し、ジョーカーは肩をすくめた。

 しかしさすがに、その後に訪れた悲劇、あるいはトラジディーとでも言える状況に対して与えられた助言には反感を抱かずにはいられなかった。

『言えることはなにもない』

 これまでまるで預言者のように先々のことを示してきた送り主は、奥村邦和の死に関して事前になにも告げてこなかったのだ。
 しかし思い返せば、送り主はこれまでにもあった複数の惨劇を見過ごしてきている。多数の死者を出した電車事故を始めとした複数の精神暴走事件、鈴井志帆の自殺未遂、秀尽学園校長の不可解な自殺、一式若葉に関しても、いつからかは知らぬが、怪盗団にまつわる人物がこれからたどる道を知っているのであれば防ぎようはあったのではないか。
 予めなにが起こるのか知っているくせになにもせず傍観者を気取るなんて、たいそうなご身分じゃないか。
 もちろん、少年はこれが単なる八つ当たり的な感情であると理解している。
 困難はあくまでも己に与えられたものであって、他者を当てにしたりなすりつけたりしていいものではない、と思い知っている。
 それでも、目の当たりにした奥村春の青ざめた顔を胸に返すと、どうしてもそう思わずにはいられなかった。こればかりはまだ彼も年若い少年であることの証か、感情をコントロールすることができずにいる。

 そして彼は決意する。
 今まであえて探そうとしないでいたのは、これが善意からの行いであると信じていたからだ。そしてこのときその信頼はもろく崩れ去った。
 なにかを知っているというのなら、そこに企みがあるというのであれば、こんな中途半端な介入をするくらいなら―――
 これ以上の手出しは無用だと、直接啖呵を切ってやろうと心に決めた。

 となれば彼は送り主の正体を掴む必要があった。
 手がかりが皆無というわけではないのは幸いと言えるだろう。少なからずこの少年の机にメッセージを残しているのだから、ある程度自由に校舎内をうろつける人物がこれに該当するはずだ。教員か生徒か、あるいは出入りの業者か……
 候補は数百人に上るが、しかし一人一人をわざわざ調べる必要はなかった。
 何故ならもう一つ分かっていることがある。それは『送り主は必ずまた現れる』ということだ。
 送り主は常に危機の先触れを教えるようにしてメモを残している。そして少年とその仲間たちは、まさしく危機のただ中にある。
 であれば、彼は必ず現れる。

 早くも後悔し始めたのは決意してからたった十二時間後のことだった。
 時刻は夜の七時を回り、下校時刻どころか見回りの教員さえとっくに家路についたこの時間、少年は独り己の教室に息を潜めて待ち伏せていた。
「なあ……やっぱり無計画すぎないか? 例の予言者が来なかったらムダ骨過ぎるだろ……」
 教卓の下で底冷えと戦う彼を労るように身を寄せたモルガナは、さっきからこのように作戦の浅さを指摘してばかりだ。
「うるさいな」
 と、反論してみるものの、彼にしてもこれがいきあたりばったりの計画であることは承知している。
 消音に設定したスマートフォンにも、帰宅の遅い彼を心配する家主の義理の娘の声がひっきりなしに届いていた。
『なー、早く帰ってこいよー。これまでの出現パターンを読んだら来るタイミングはもう少し後だってば。明日か明後日にしろよぉ』
 今回だけの気まぐれを起こして今日現れたらどうしてくれる。
 思えど返信はしなかった。
 その気まぐれが起きたからだ。
 ひた、と廊下を素足で歩くような音が響いて、少年と猫は呼吸を止めた。
 足音はひたひたと続き、迷いもなく近づいてくることから、なにを思ったのか引き返してきた教員が見回りを行っているという訳でもなさそうだった。
 であれば、これは、わざわざ足音を潜めて一直線に少年が隠れる教室に向かってくるこれは―――
 猫と少年は教卓の下からそれが現れるのをじっと待った。
 密やかな足音はやはりと言うべきか、教室の前で止まると慎重に扉を横に滑らせる。
 果たして現れたのは、小さなハンドライトで足元を照らす小柄な人影だった。顔は窺えないが、身丈からして同い年くらいだろう。だぼっとした黒のスウェットとジーンズのせいで、性別は分からない。
 片手に靴を下げているところを見るに、足音の主は間違いなくこの人物だろう。
 人影は少年の席に歩み寄り、その中にサッと手を差し込んだ。決定的だ。
 少年は教卓から飛び出して電灯のスイッチに腕を伸ばした。パッと眩いほどの人工光が部屋を満たす―――
 果たしてそこに驚いて立ちすくむ人物を確かめて、彼は呆けた声でその名を呼んだ。
「……さん?」
 そうとも、気まずそうな顔で佇んでいたのは間違いなくその人だった。
「あーっと……」
 彼女はどういうつもりか両手を肩まで上げ、困り顔で視線をさまよわせている。
 その目線が逃走経路を選別しているのは明らかだ。少年は有無を言わせず彼女に―――己の席に近づいて、机の上に手を置いた。
「なにをしていた」
「そう怖い顔をしないで」
 彼自身も少し驚くくらいに低い声が出ていた。よもやクラスメイトが、しかも後ろの席のそこそこ挨拶もする間柄の人物が、今までずっと己の活動に助言を……しかもちょっと上から目線の言葉を寄越していたなんて。
 驚きとともにわずかな苛立ちが湧き上がるのを止めることはできなかった。
 なにしろ人が、死んでいる。そしてこれもまた八つ当たりだった。
「今俺の机になにを?」
 彼は再び問いかけた。
 気が付けば猫が教室後ろの扉の前に陣取って、退路を塞いでくれている。あれだけのアドバイスを寄越していた存在だ、おそらくこの猫の正体もしっかり把握しているのだろう。その証拠には苦虫を噛み潰したような顔をした。
 しかし彼女はどこかおどけた様子で述べる。
「あっあー、きみの机だったんだね。てっきり私のだと。ほら、席が前後だからさ。置き勉してた教科書を取りにね」
「ふーん」
 応えて少年は己の机に手を差し込んだ。カサリと指先に触れる物がある。
 彼はそれを少女の目前に突き付けた。
「じゃあこれは?」
「はじめから入ってたんじゃない?」
「さっき確認したときには無かった」
「気が付かなかっただけじゃないの?」
 少年はじっとりとした目線を少女に送った。この上まだ言い逃れようとするのは、やはりなにかやましいことがあるからなのかと思えたのだ。
「……はじめに、素直に受け取ればいいと言ったのは、俺がこれを受け入れやすくするためか?」
「いやいや、なんのことかさっぱり―――」
「あんたは一体何者なんだ?」
「あー、うー……」
 もはやの言葉になど聞く耳を持たぬと詰め寄る少年に、これは困ったとつぶやいて、少女は両手をだらりと下ろした。

これまでのメモを全て机に叩きつける
「ええ……きみ、これ持ち歩いてるの……」
「だって」
 彼は悔しそうに唇を噛んだ。
「だって、嬉しかった。味方なんて誰もいないと思っていたのに、誰か一人でも、俺を応援してくれてるんだって……」
「……ごめん」
「……謝るなよ……」
「だって……攻略本程度のつもりでいて、そんなに影響を与えていたとは、うん、ごめん……」
「……あんたはいったい何者なんだ?」
「んん……わかんない……」
「自分のことなのに!?」
「見当識ははっきりしてるよ。そうじゃなくて、言っていいことなのか……わかんない」
「ただ、一つだけ言うのであれば、私は敵じゃないよ。味方っていうか、プレイアブルにはなれないんだけど……」
「は?」
「ええと、ペルソナ使いではない」
「はあ」
「一緒に戦ったりはできない。でも……」
「手助けできれば……とは思ってる。それだけは信じてほしい……」
「わかった」
「ほんとっ!?」
「ただし一つ教えてくれ」
「なに?」
「あんたはモルガナの正体も知ってるのか?」
「それ一番目か二番目に言っちゃ駄目な情報だね……これでもネタバレには配慮してたんだよ」

『御真木入日子はや
 御真木入日子はや
 己が緒を
 盗み殺せむと
 後つ戸よ い行き違ひ
 前つ戸よ い行き違ひ
 窺はく 知らにと
 御真木入日子はや
 ――――――――ネタバレ厳禁!』

みんなと意味を調べる。
誰かがジョーカーを殺そうとしている?
もし本当にそうなら、対策のしようはいくらでもあるぞ。こいつを主に狙っているっていうんなら……
いいね、乗った。なかなか面白そうな作戦じゃないか。

十二月二十四日。
『諦めないで。こんなこと書く必要もないだろうけど』

三月十九日。
挨拶回り
「あれ、私のところにも来てくれたんだ」
「あんたはいったいなんなんだ」
「難しい質問だね。なんと答えるのが正解か、私にも解らないような問いかけだ。つまり、この問答に意味は無いってことになるんだけど……諦めてくれる気はなさそうだね」
「あんたが書いたんだろ。諦めるなって」
「それはある意味きみの発言でもあって……」
「どういう意味?」
「んん……つまりね、私はきみなんだよ」
「解るように言ってくれ」
「他に言い表しようが……あー、だから、以前ね、ずっと前にね、きみと一緒にいたことがあって」
「子供のころに会ってるってこと?」
「いや全然。そういう昔の話ではなくて、むしろきみの子供時代なんて教えてほしいくらいなんだけど……えーと、だからね、私にとってきみは、二周目の自分なんだよ。いや、自分ではないんだけど。ううーん……」
「あんたにも解らないのか」
「だからそう言ってるじゃないか……」
「たぶんすごく頭がおかしいと思われるだろうけど……私はこれまでにかなりの数の『世界』を救ってきてる」
「はぁ……?」
「ほらぁ」
「ごめん。続けて」
「アレフガルドとか、ミドルアースとか、火星や月とか、オーシア大陸にアルビオン、ミッドガル、スカイリム……あとはこことかね」
「はあ」
「だからその目」
「ごめん」
「そういう感じで、すでに一度この世界を救ったことがある。きみとそっくり同じ方法でね」
「あ、あー……? それで、二周目?」
「そうそう。で、役目が終わった時点で普通私は消えるの。『クリア』したんだから。ところが気が付けばまた四月九日。あの教室のあの席に座ってた。しかも自分の肉体を伴って。これはデミウルゴスの影響かなとおもうんだけど」
「あー……前のときは違ったの?」
「そこで私はきみ、となるんだ。前の周で私はきみに寄生しているような形だったの」
「うげ」
「失礼」
「ごめん。……でも、そうか、四月の九日からだったんだ」
「ん? うん」
「ごめん……なんでもっと早くから手を貸してくれなかったんだろうって思ってた……」
「仕方がないね。私もそう思う。なにもしてやれなくてごめんね」
「謝るなよ」
「うん」
「……ここも『クリア』したのか?」
「たぶん、今度こそ」
「ふうん。じゃあ、あんたは消える?」
「明日あたりそうなるかな」
「消えたらどうなる?」
「また別の世界に転生するよ。世界を救うのがコントローラーを握るやつの役目だから。たぶんホントはこういうメタ的な会話も良くないんだとおもうけど……」
「聞けて良かった」
「そう? ならいいか」
「次の世界はどんなところ?」
「わかんない。もしかしたらまたここに来るかもしれないし、ファンタジーかもしれないし、SFものかも」
「そうなんだ」
「あんまり言わないほうがいいのかな。ここから先は本当に私もなにが起こるのか解らないから、変な影響を与えちゃうと……」
「例えば?」
「わかんない」
「分からないことばっかりじゃないか」
「そんなもんだよ。だからたぶんこれも良くないとは思うんだけど……」
 少女は大いに恥じらいつつ、彼にメモを差し出した。いつもの通り、几帳面に折りたたまれたなんの変哲もない簡素なメモ用紙―――
「なに?」
「読んで」
「目の前にいるのに?」
「いいから」
『ずっとあなたが好きでした!』
顔を上げるともういない。
「……言い逃げ、いや、書き逃げかよ……。別の世界って、どうやって行くんだ……?」

……
 古事記に曰く、開化天皇の後、皇子の御真木入日子印恵命が立たれた。のちの崇神天皇である。
 崇神天皇の御代に、四つの地方へ将軍を遣わして、賊軍の平定が行われた。
 この内の大毘古命が越国に向かう途中、幣羅坂にさしかかかると、腰裳をつけた少女があらわれた。
 少女は歌った。

御真木入日子はや  
御真木入日子はや  
己が緒を
盗み殺せむと
後つ戸よ い行き違ひ
前つ戸よ い行き違ひ
窺はく 知らにと
御真木入日子はや

 大毘古命はいぶかしく思って引き返し、少女に問うた。
「その歌は、どういう意味だ?」
 すると少女は、
「わたしはなにも。ただ、歌を歌っただけですのよ」
 答えるが早いか、ふっと姿を消してしまった。