すっかり秋の色濃くなった十月のころ。
 去年のクリスマスはひどいものだったと思い返して、はふうと小さなため息をついた。
 ―――特別悪いことがあったわけじゃない。恋人と父を交えたランチを楽しんで、別れた後、母とその年下の彼氏とディナーを共にした。
 ある意味では苦行だった。付き合っている人と、両親とそれぞれ別個にとはいえ食事をするなんて、なんだかまるで彼を紹介しているみたいだったから。
 というより、彼のほうは完全に、なんだかそんなつもりでいる様子だった。
 もちろん意識しないでいたわけじゃないけど、まだ学生身分、親の庇護下でぬくぬく暮らしている身でなにを偉そうに―――
 というのが彼女の主張だ。
 そのことに喜多川が不満を呈したことはない。彼は最大限の意を汲もうとしていたし、その上で己の望みを恥じることなく堂々と述べただけだ。ただしそこには断られるという想定が欠けているようだった。
 さておき一年前のクリスマス、二人は絶妙に噛み違えながらも懇談を楽しんだ。
 問題はその後だった。
 母とその彼氏と別れ、二人で街路を彩るイルミネーションを眺めた。光に彩られる道はカップルで溢れ、否が応でも二人もまたその内の一組なのだと意識させられる。
 時刻は八時を回っていた。
 門限は、とが問いかけると、喜多川は「外泊許可をもらってある」といくらかぎこちなく答えてみせた。
 の手の中には家の鍵があった。家主たる女性は今夜、あちらに泊まって翌日の仕事にはそこから出ると言っていたから、明日の夜まで帰らないだろう。
「このあと、どうする?」
 あえてそう問いかけたのは、ささやかな彼女の望みによるものだった。
 口にして欲しかったのだ。誰にはばかることもなく二人だけの時間を得たいと。
 そして喜多川は微笑んでそれに応えようとして―――
 背に、固く冷たいものを押し付けられた。
「動くな」
 低く押し殺した男の声。今やの背にも同じ物が押し付けられていた。
「我々は国家安全保障局の者だ。両手を上げ、手を頭の後ろに回せ―――」
 国家安全保障局とは内閣官房に置かれている事務局だ。当然、銃を持ってただの少年少女に突然突きつけたりはしない。
 そうでなくとも、二人ともが背後からかかる声に聞き覚えがあった。
「なにしてるの、双葉……」
「お前もだ。離れろ」
 ふり返った二人はにんまりと笑う兄妹のようなものを目撃する。お揃いで色違いの手袋のはめられた手が、指鉄砲をつくっていた。
 曰く、この兄妹のようなものはクリスマスのディナーを家族で平らげた後、ちょっと見に行ってみるかとこのイルミネーション通りにまで足を伸ばしたということらしい。
 なるほど見れば確かに、二人の保護者、惣治郎が猫を抱き上げながら申し訳なさそうな顔をして遠くで頭を下げている。
 二人と一匹はこのあと屋根裏部屋に戻って朝まで洋ドラ祭りと洒落込むのだそうだ。
 それも二人と一匹だけではつまらないから、誰か道連れを召喚できないものか―――
 聞くにどうやら、すでに高巻や新島に奥村らにも招集がかけられているらしい。坂本などはバイトが終わったら行くと昨日のうちから返事をしているという。
 そのようにして帰ろうかとなった矢先、喜多川とがもじもじしながら見つめ合う―――そんなことしてない!―――ところに遭遇したのだと。
「さあ来い。朝まで寝かさないぞ」
「むしろあしたのこの時間までかえさないぞー」
 先を行って惣治郎のもとへ合流する青年を見送りながら、はそっと佐倉に問いかけた。
「いいの? モルガナもいるだろうけど、せっかくの二人きりなんじゃないの」
 この佐倉双葉という少女は、今日の共謀犯である黒髪の青年に家族以上の想いを寄せている。心臓がドドドドってなって、顔が熱くて、でも一緒にいるとすごく落ち着く……そういう生理作用を恋と呼ぶのであれば、間違いなく彼女の気持ちは恋だろう。
 だというのに、あっけらかんとした様子で佐倉は返した。
「なんだその気づかい。そういう発想が出るってことは、、おぬしこやつと……」
「やめなさい。そういう切り返しは感心できない」
「じゃあいこう!」
 グイグイと手を引かれ、半ば引きずられるような形で連れ去られる恋人を、喜多川はため息をつきながら追うほかなかった。
 結局いつものメンツで集まることになるのだろう。
 それはそれできっと楽しい夜になるだろうが、なんだかまた、目指していたところとは少し違う着地点になってしまった。

 二十四日から二十五日にかけて、若者たちはあーだこーだと議論を差し挟みながらケーキとチキンを間に挟み、二十四時間きっかりのドラマを楽しんだ。
 以後のシーズンも年明けとゴールデンウィーク、夏休みと秋の連休、たまにある休みに都合をつけて最終話まで、今年一年をかけて上映会が行われていた。
 愛国心と家族愛、そしてアクションとサスペンス……
 それ自体はたいへん素晴らしい名作だった。
 けれどそれと恋人同士のイベントごとはまったく別問題だ。
 今年こそはと拳を固めていたのは、なにもだけに限った話ではなかった。

 さりとてそんな喜多川も、よもやのほうからこんな提案をされるとは思ってもみなかった。
「旅行に行こう。二人だけでどこか遠くに……彼が追ってこられないようなところに」
 まるで駆け落ちかなにかの提案だ。
 もちろん喜多川とてやぶさかではない。
 二人きりでどこか遠くに。今の時期なら雪を見に日本海側や北国に行ってもいい。イルミネーションが有名なところなら、全国どこでもいくらでもある。なんなら、アミューズメントパークなんかも、クリスマスの特別イベントを催すところは多いから候補に入れられるだろう。
 あるいはクリスマスとは少し離れて、押し寄せる寒波から逃れるため温泉で身体や心を休めるのもいいかもしれない。
(温泉……)
 想像して喜多川はぽっと頬を赤らめた。
 湯気の立つ湯に身を浸す少女。湯につけないために髪は当然高くまとめられるだろう。すると細く白い、しかし熱気に温められてうっすらと赤らんだうなじが……
 彼は激しく首を左右に振って叫んだ。
「馬鹿者! 不埒なことを考えるな!」
「え? 考えてないよ」
 ひどく冷静な声を返されて、喜多川はやっと完全に想像―――妄想―――の世界から帰りきることができた。
 目の前には、驚きと呆れをない混ぜにしたの顔がある。
「ハッ!? いや、今のは。違うんだ、俺はその」
「……祐介……」
 挙動不審に腕をさまよわせる姿に、はすっかり彼の頭の中にあるものを見透かしたのか、白けた目線を送っている。
 喜多川は慌てて言い重ねた。
「すまない。その、だから、俺だって浮かれることくらいある」
「その心は?」
「クリスマスに恋人と旅行と言われて、浮かれないやつがいたら教えてもらいたい」
 半眼のまま、口はへの字に。しかし頬を赤らめて、は彼の下心を許してやった。

 二人はレポートや課題の提出の合間を縫って計画を綿密に練り上げた。
 なんということはない。バイト代をひねり出せば行ける程度の場所で一泊二日。クリスマスディナー付。
 ……喜多川のほうには少し厳しい出費になった。
 それでも、二人だけで見知らぬ土地へとなると、心は浮足立つものだ。
 彼はまた、楽しい思い出は必ず己の筆にも良い影響をもたらしてくれるだろうと確信もしていた。

 そして目論見は破られる。
 喜多川もも、別段これに落胆はしなかった。
 予想はできていた。
 我らの頭領が、そう簡単に恋人同士のイベントを楽しませてくれるはずがない、と。
 二人にとって幸いだったのはシゴトはじめが予約日の前日以前、すなわち十二月の二十二日だったことだろう。
 
 実際のところ諸悪の根源は例の青年ではなく、都内で連続している老人ばかりを狙った傷害事件だ。
 手口は単純で、一人で歩いているときを狙い、背後から殴りかかる。倒れたところにさらに殴打を繰り返し、被害者が昏倒すると犯人は逃走。
 今のところ死者は出ていないが、いずれの被害者も骨折や脳挫傷等、決して軽くない怪我を負わされている。
 一連の犯行が同一犯とみなされているのは、殴打痕から凶器が一致する点と、被害者たちの持ち物には一切手がつけられていない点による。
 また犯行は常に人通りの少ない場所で、監視カメラの死角が狙われている。計画性の高さから発作的、衝動的な犯行ではなく、怨恨等なんらかの目的があるのではないかと目されている。
 しかし被害者たちには年齢以外の共通点はこれといって見つかっておらず、捜査は未だ難航。警察は情報提供を呼びかけている。
 そのような状況で、怪盗団が犯人の名を入手できたのは偶然に近い産物だった。
 元より今回の件、はじめの犯行は今年の六月に発生している。それから月に二、三度と犯行が重ねられるうち、怪チャンにも度々相談が寄せられていた。
 怪盗たちも報道で事件のことは知り及んでいたから、自分たちにもできることはないかと調査を行っていたのだが、しかし警察も特定に難儀するような相手だ。彼らもなかなか糸口は掴めずにいた。
 それから現在まで地道な調査は続けられていたが犯人は見つからず、これは来年に持ち越しかと思われたとき、吉報―――あるいは凶報―――が舞い込んだ。
『見つけた!』
 言ったのは誰あろう、怪盗お願いチャンネルの管理者にして運営者、三島由輝だった。
 誰に頼まれたわけでもないのに、どこからともなく進捗芳しくないことを嗅ぎつけて彼なりに調査を行っていたらしい。
『犯行現場からじゃなくて、地域掲示板なんかからそういうことやりそうなやつの名前拾って、そこから同じ学校だった人にフェイスファイルで片っ端から連絡とってみたんだ。そしたらビンゴ。見つけたんだよ!』
 テンション高くまくし立てる三島をあしらいつつ、怪盗たちは彼に話の続きを促した。
『ターゲットの名前は一條秀久』
 なにゆえその男を犯人と断定できたのかと問うと、三島はいくつかの根拠を並べ立てた。
 しかしいずれも伝聞の伝聞程度の情報で、信ぴょう性は低い。
 調べる価値はあるかと話し合うことしばし。候補すら挙げられなかったことを思えばと、怪盗団の長が情報の精査を請け負った。
『最近は錦糸町あたりでの目撃証言が多いらしいよ』
 また『らしい』か。
 思えど伝えずに済ませ、青年は『ふーん』とだけそっけなく返信した。一応感謝する気持ちはあるのだが、いかんせん、三島への対応は二年以上前からこれで固定されてしまっている。また三島のほうも別段礼の言葉を求めてこないから、慣例と成り果てていた。
 そのうちちゃんと、さり気なく感謝の念を伝えなければ。
 思いつつ青年は佐倉に目撃情報近辺の監視カメラ映像の入手を命じた。

 一両日の後、つまり十二月二十二日、青年はいくらか疲れた顔をして一同の前に現れた。
「リーダー、なんでそんな疲れてんの?」
 ルブランに集った怪盗団のメンバーから上がった疑問の声に答えたのは、こちらはいつも通りのモルガナだ。寒さのせいで膨らんだ毛皮を繕っている途中だったからか、舌を出したまま彼は言う。
「コイツさっきまで労働してたんだ。少しだけ労ってやってくれ。あ、少しでいいぞ」
「労働って……」
 高巻がはてと首を傾げつつ、だらしなく足を投げ出してカウンターチェアに陣取る青年を頭のてっぺんから足先までを観察する。そういえば、いつもなら半ば押し付けられて着用しているエプロンも今はない。
 彼はいつもよりしんなりした黒髪を指先でいじりつつ答えた。
「ホテルの清掃」
 なるほどと全員が得心する。
 どうやら彼は、一條秀久なる男の連絡先を入手するため、滞在先のホテルにスタッフとして潜入を果たしてきたらしい。
「じゃあ例のやつの番号入手?」
「うん。これ」
 坂本の問いに、彼はまたポケットから手帳を取り出すと、彼以外には判読できない特徴的な字体の書きつけられたページを差し出した。
「パレスあった?」
 読み取ろうと薄目で覗き込みつつ、がさらに問いかける。
「あった」
 子供のようにこっくりと首を縦に振る様子は、どうやら本気で疲れているらしい。
 いったい全体、なにをやらかしてきたのやら……
 仲間たちの間に不審げな空気が漂いつつあることを察したのか、それともまったく気にしていないのか、彼は隣の椅子で相変わらず毛を撫でつけるモルガナに腕を伸ばした。
「モルガナ、肩揉んで」
「なんでワガハイがぁ?」
 ツンと腰のあたりをつつかれて、モルガナはこの上なく嫌そうな声を上げた。
 しかし声と表情に反して、彼はトンとカウンターに上がり、青年の背後に回って彼の肩を揉み(?)はじめた。
「よいしょ、もみもみ……」
「あーっ、肉球の感触。ぷにぷにする」
「イヤなら止めっちまうぞ!」
「続けて。効かないけど心にクる……」
 モルガナは狭い額にシワを寄せつつ、労働に従事した彼に奉仕してやった。がそんな二人の姿を心底羨ましそうに見つめていたが、特別誰もこれには言及しなかった。
 カチャッと心地よくかすかな高音が響いた。奥村がコーヒーの最後の一口を楽しみ終え、優雅にカップをソーサーの上に戻した音だ。
「来年に持ち越さずに済みそうかな? 行くんだよね?」
 続いた彼女の言に全員が首肯し、ねこマッサージを満喫する頭目もまた楽しげに応じる。
「もちろん。ショータイムだ!」
 しかし彼はモルガナがもう疲れたからおしまいと言うまでそこを動かなかった。

 さて、一條秀久なる男のパレスは、人の姿のない街並みとして現れた。
 妙に冷たく乾いた風が吹いてはそこら中の窓ガラスや戸を激しく揺さぶる以外、音は一つも存在していない。
 どうやら都心部のほとんどがパレスとして再現されている様子だとナビは告げた。
 同時に、オタカラは侵入地点である現在地のビジネスホテルではなく、彼のかつての住居にありそうだとも。
 幸いなことにこれはそう遠くなく、怪盗たちはモルガナにクルマへ変身してもらうとすぐさま目的地へ向かった。
 その道中、動くものは道を阻むシャドウ―――辛うじて人の形を保った黒い影―――以外には現れなかった。ささやき声や気配はあるのだが、実体を伴った存在は敵性シャドウ以外に存在していないようだ。
 たどり着いた先は一見なんの変哲もない住宅街で、人の姿や気配がすっかり失せていなければここがパレスだと気がつけなかったかもしれない。それほど精巧、かつ正確に、一條の心には現実世界が反映されていた。
 問題はと旧一條邸―――ナビ曰く、現実ではここはすでに取り壊され、今は単身者用のアパートが建てられているらしい―――を見上げると、カーテンの閉められた屋内を外部から窺うことは叶わず、また玄関ドアにも目張りがされていて明かりの一つも漏れ出ていない。
 当然、そこは施錠されている。
 これには一條の認知、心の奥底に誰も立ち入らせまいという意識が働いているらしく、ジョーカーやモルガナお得意のピッキングも役には立たなかった。
 しかたなし、彼らは表現するのがはばかられる泥棒の手口を使って庭に面したガラス戸から侵入した。
 カーテンに覆い隠されていた室内は、ゴミの散乱する荒れ果てた様相のダンジョンだった。
 そこからはいつものシゴトと大差ない。いくつかのギミックを解除し、罠を乗り越え、シャドウを排除しながらオタカラ目指して進むだけだ。
「なんかなぁ」
 道中、いくらかうんざりした様子でスカルが漏らした。
 彼の肩にはすっかり手に馴染んだ長物が担がれ、薄暗い照明に照らし出されて鈍く輝いている。
「どうした?」
 すぐ隣を歩いていたフォックスが退屈しのぎにと反応すると、彼は手近な壁をコンコンと軽く叩いてみせた。
 白くなんの変哲もないビニールクロスだ。住宅ではよく見かける、無地のもの―――
 進めど進めど、構造こそ一般的な民家とかけ離れていれど、その外観はこのように馴染みのある一般的な住宅と変わりない。
 広間に出たと思えばガラス板のローテーブルにソファ、フローリングの床にはカーペットが敷かれている。空き缶や満杯のゴミ袋が転がっていなければ、シャドウがうろついていなければ、そのままくつろぐことさえできそうなほどの親しみやすを醸し出していた。
 そうなると、非日常的な格好をして得物を振り回し、超常的な≪力≫をふるうのになんとなく気が引けてきてしまう。
 というのが坂本の言い分だった。
 なにしろ彼はすでに幾度か、壁や手すり、床板を粉砕してしまっている。
「そう言われると、私もなんか……」
「やめろよぉコスプレ集団が強盗しに入ってるみたいに見えてくるだろぉ」
 思わずと我が身と手の中の鞭を見つめて呻いたパンサーに、ナビは大仰に首を振った。
 俯瞰から皆と周囲を観察する彼女の目には、望まなくとも全体が窺えてしまうのだ。ナビはすぐに忍び笑いを漏らし始めた。
「私は土足のほうが気になるわね」
 踵でフローリング床を叩きながらクイーンがつぶやいた。するとブレイドもまた、落ち着かなさげに担いだ長剣と高いヒールを気にするような素振りをみせる。
 唯一ノワールだけが落ち着いた、おとっとりとしたいつもの佇まいを見せている。
「あまり気にしないほうがいいんじゃないかな?」
 モナもまた。ただし彼はそもそも靴を履いていないし、ぬいぐるみのような見た目から違和感よりもメルヘンチックな雰囲気を漂わせている。
「ここはパレスだし、イマサラ人の心に土足で上がり込むのを躊躇するタマかよ?」
 ただしその発言はちょっとハードボイルドだ。
 そのミスマッチさは脱力を誘う。皆々おざなりに声を返して、湧き上がった羞恥心や違和感を放り投げた。
 進行方向には新たなシャドウの姿がある。
「おっと、こいつは今までのより強敵だよ。気をつけて!」
 ナビの言葉に、ジョーカーは小さく頷いて後ろ手にハンドサインを示してみせた。待機と戦闘準備。背後の気配が身構えたのを察して、彼は影から影へ移動して大型のシャドウの背後をとった。
「正体を見せろ―――」
 いくらかの負傷と消耗こそあれ、天井から逆さにぶら下がる悪鬼の姿をしたシャドウは無事撃退される。
 おしゃべりを合間に挟みつつ、彼らは程なくここまでとは一風変わって整理整頓され、きちんと掃除の行き届いた清潔な部屋にたどり着いた。
 鮮やかな空色のカーペットに、整えられたシングルベッド。最奥には子供用らしき勉強机が置かれ、壁には明るい色のジャケットが、棚には漫画本やアイドルのCDと教科書が一緒に並べられている。
 部屋全体がここまでの様相と比べると明るく、また一條の年齢や性別を加味すれば内装や家具のいずれも釣り合わないと思えたが、子供―――女児の部屋と言われれば納得できる。あまり一條自身の情報は集めなかったが、娘がいるのだろう。
 そう思うと逆に不似合いに思える物が部屋の中央を占拠していることになる。
 これまでの道程やこの部屋の様子と比べても異質なそれは、飾り気のない長方形の箱だ。長さ一七〇センチ、幅六〇、高さは五〇程度だろうか。金属製らしき表面はぬらぬらと輝き、太い鎖で厳重に巻かれて南京錠まで取り付けられている。
「なんだこりゃ……」
 率直な感想を漏らしたスカルは、部屋全体のインテリアに腰を引かせつつも歩み寄り、そっと箱に手を触れさせた。
 モルガナがその警戒のなさを咎める声を上げるのと、彼が驚いて飛び跳ねるのは同時だった。
「冷てえ! あンだよこれ!」
 ライトイエローのグローブに包まれた手をふりふり、慌てて後退った彼と入れ替わり、罠はなさそうだとみてジョーカーもまたぬらりとした箱の表面を撫でる。
「……本当だ、冷たい。それに……」
 不快な金属音が部屋中に響いた。ジョーカーの手がまったく無遠慮に巻かれた鎖を引っ張った音だ。
「解けそうにないな」
「鍵は?」
 ナビから室内に罠はなさそうだと聞いて歩み寄ったクイーンが語りかけると、同じく寄ったモルガナがさっそくと猫の手にピックを握って南京錠に手を添えた。
「うへ、こっちも冷てえ……どらどら……」
 しかし彼はすぐに白旗を上げた。ジョーカーさえも。
「またか? 二人の歯が立たないとなると、どうしたものか」
 ふむと唸ったフォックスの手にある刀に皆の視線は集中する。お前の刃で鎖を断ち切れないかとそれらは訴えていた。
 箱からは、オタカラのニオイがぷんぷんするのだ。おそらくこの中にこそ、一條の心の歪みの原因が隠されているのだろう。
 多少乱暴な手を用いてでも開ける必要があった。
「下がっていろ」
 無言のうちに促され、フォックスは全員を壁際まで下がらせると白刃を一閃させる―――
 澄んだ高音が一同の耳朶を叩くが、しかし鎖はわずかなへこみさえ付けられずに終わった。
「むっ……これは……」
「私がやってみても構わなくて?」
 次いでノワールが、斧を手に立ち上がる。ジョーカーは無言であごをしゃくり、やってみせてと彼女に示してやった。
「箱は傷つけないように、上から……えぇいっ!」
 重く鈍い金属音。
 しかしこちらもまた、床にこそ穴を空けたが肝心の鎖は無傷のままだった。
 ならばとブレイドが斬りつけても、鎖も南京錠も、ビクともしない。
「く、硬い……っ! もうっ、なんなんだ、これ」
 長剣を佩き直し、拗ねたように唇を尖らせたブレイドが悔しそうに地団駄を踏む傍ら、フォックスやノワールも腕を組んでううむと呻いている。
 箱を観察し終えたクイーンだ断定的な調子で言った。
「一條本人の認知を変えさせる必要がありそうね」
 これに壁際に寄りかかっていたスカルは大げさにため息をつく。
「まあなあ……それっぽいカギなんかはここまで見かけなかったし、この部屋にもなさそうだろ?」
「ん! ないっ!」
 自信満々に答えたナビに、スカルはやはり大げさに肩を落とした。
 具体的にどうするかはさておいて、念の為と周辺の廊下や部屋を一通り探索してから彼らはパレスを一時撤退した。

 まずは今夜、佐倉が集められるだけ一條の情報をかき集め、また翌日にそこから一條の認知を変化させる手立てを話し合おうということで怪盗たちは解散する。
 別れて後、頭目は佐倉を自宅へ送り届けてからモルガナとともに己のねぐら―――変わらぬルブランの二階、屋根裏部屋を目指して道を引き返した。
 ルブランのドアにはまだOPENの札が下げられていた。すりガラスから店内を覗くと、どうやらまだ客が一人、カウンター席に腰掛けているようだ。
 常連客であれば、もう彼にとっても馴染みの顔だ。挨拶だけして今日はすぐに風呂屋へ行って寝てしまおう。
 鞄の中のモルガナがウトウトと船を漕いでいる様をチラリと見て、青年はドアを引いた。
 カランと心地よいドアベルの音が響き、香ばしいコーヒーの匂いがいっぺんに訪れる。遠く離れた郷里とは違うもう一つの彼の家は、今日も変わりない。
 ただ今日は、いくらか久しぶりに見る顔が惣治郎の前に座していた。
「おっ」
 コーヒーの香りで覚醒を促されたのか、モルガナがニャンと鳴いて鞄から顔を突き出した。そうしても問題のない人物だった。
「あれ、冴―――さん、お久しぶりです」
 いつもの癖でこの女性を『冴』と呼び捨てにしようとして、しかし惣治郎の目があることに気がついて慌てて言い直しつつ、挨拶をする。
 惣治郎は気がついているのかいないのか、軽く肩をすくめて彼と猫に「おかえり」と言うだけに留めた。
 冴のほうは、そんな彼の態度に口元を綻ばせて笑い声を漏らす。
「フフッ、お久しぶり。また少し背が伸びたんじゃない?」
「ちょっとだけ。冴さんはお変わりなく」
 冴は新島の歳の離れた実姉だ。なんとなく何歳なのかと聞きそびれたまま今日に至っているが、キャリアから考えても五つ以上は離れているはず。
 そんな彼女にお変わりなくと言ったのは当たり障りのない受け答えのつもりでもあったし、推察した年齢よりよっぽど若くきれいだと素直に称賛したつもりでもあった。
 しかし冴はそういった世辞に慣れている。照れたり喜んだりすることもなく、短く「どうも」と応えるだけだ。
 また彼女は、笑みを湛えたまま冷たく言い放った。
「君もなかなか、言ったことを覚えられないようだけど」
「うぐ……」
 彼女を『冴』と呼び捨てにするのは、青年が礼儀知らずだからというだけでなく、私の心を盗んだ男らしく振る舞いなさいと要求されてその通りにしているだけだ。
 普段なら、相談事や情報提供を求めて二人きりとなれば、そうすることに抵抗はない。要は気楽にしていいと許されているのだ。親愛の証と思えば、誇らしいくらいなのだが……
 青年は一瞬だけ惣治郎を盗み見た。
 口うるさい保護者の前で無礼な真似をするわけにはいかなかったし、なにより妙な勘違いをされたくないという思惑もある。
 惣治郎は視線にこそ気が付かなかったが、青年の顔に困惑が浮かぶのを見て助け舟を出してやった。
「あんまからかわないでやってよ」
 苦笑する男に、冴は肩をすくめた。
「こんなの手慰みにもならないわ」
 鞄から顔を出したままのモルガナがぷっと吹き出した。
「遊ばれてんなぁオマエ、ぷぷぷ……」
 おっしゃる通り。青年は冴におもちゃにされている。常に泰然とした態度を崩さない彼も、友人の姉にどうにも頭が上がらない。
 項垂れた癖のある黒髪に目を細めつつ、冴は脚を組み替えた。仕事帰りらしく、糊のきいたフレアのパンツスーツに包まれた脚はラインさえ窺わせないが、しかしハイブランドらしきローヒールパンプスに包まれた足の甲だけはチラリと見える。
 頭の先からつま先まで、いかにもガードの固そうな女性が唯一見せる隙がそこにあると教えられているかのようだ。
 下がりかけた視線を無理やり上に戻した彼に、冴はさもなにも気がついていないと言わんばかりの態度で語りかける。
「それで? またなにか追っている事件があるみたいね」
「真から聞いたんですか」
「まさか。あの子はそんなこと一々私に言わないわ」
 では何故今まさに新しいパレスに挑んだことを知っているのか。
 訝しがる彼を焦らすようにカップを持ち上げる。一口を飲み込んでから冴は言った。
「私が勝手に盗み見ただけ」
 年に似合わぬいたずらっぽい笑みは、しかし姉妹の血の繋がりを感じさせるように妹とそっくりだ。
 青年は脱力して二つ隣の椅子に腰を落とした。
「いいんですか、お姉さんがそんなことして」
「あら、やり返しただけよ」
 かつて青年とその仲間たちは、当時地検特捜部に勤めていた冴から捜査資料を盗み出したことがある。それは迫りつつあった危機を乗り越えるためだったのだが―――言い訳だ。
 勝てない相手を前に、彼はすぐに口を割った。
 半年ほど前から頻発する連続傷害事件。都内に限定されているとはいえ広域に渡る活動範囲と目撃情報の少なさから遅々として進まない捜査に、警察の無能を罵る報道も増えてきている頃合いだ。冴も惣治郎もすぐに該当の事件を思い返した。
「その犯人が一條秀久かもしれないってことなのね。ふうん……」
 女の唇から吐き出された吐息はもの思わしげだった。
 ピクピクと震えるモルガナの鼻先をつまみながら彼は問いかけた。
「なにか知ってるんですか?」
 モルガナは嫌がって顔を振り、すぐに彼の指に牙を突き立てた。しかし青年は怯むことなく鞄に手を突っ込み、冬毛で膨らんだ背中を揉みしだく―――
 そういうことするから鞄の中身が毛だらけになるんだよ。仲間たちからさんざん注意されても、彼のスマートフォンや財布に手帳、細々とした持ち物に猫の毛がくっついていない日はなかった。
 さておき、冴はいくつかの言葉を舌先で転がすような素振りをみせてから、惣治郎に水を向けた。
「マスターもご存知のはずよ。例の事故、この近くでしたよね?」
 はじめ惣治郎は心当たりがなさそうに首を傾げていたが、一條の名を幾度か繰り返すうちハッと息を呑んだ。
「ちっ、アレか……なんだよ、あの事故が関係してんのか?」
 舌打ちまで伴われた言葉は苦々しい。
 猫と青年は顔を見合わせた。
「ジコ? なんだ? なにかあったのか?」
「―――ってモルガナが」
 通訳を務めた彼に苦笑して、惣治郎は薄くなりつつある頭髪を軽く掻いた。
「相変わらずなに言ってんのかわかんねぇなぁ……まあいいけどよ。お前がここ来るちょっと前くらいかな、そこの通りで自動車事故があったんだよ」
 ついと指し示された先にあるのは壁だけだ。観葉植物と雑誌が置かれている以外に特筆すべき点はない。
「よくある話だな。ブレーキとアクセルを踏み間違えた。コンビニのガラス突き破って店内に突っ込んで……」
 壁を指した手がひらひらと振られる。そこに籠められた意図を察すると、猫にも人にも、眉間にシワが寄った。
「またなぁ、運転手がいい年した爺さんでな……」
 他人事と呑気にはしてられねぇとますます苦くこぼした壮年の男に、青年は曖昧に頷いてみせた。彼が運転免許証を取得したのは今年の夏のことだ。
 昨今、高齢者による自動車事故は珍しくない。メディア媒体に目を通せば見ない日は無いのではないかというくらい、しきりに報道されている。それだけ世間の注目と関心が高まっていることの証だろう。
 惣治郎は一度大きく息をついてから言を重ねた。
「……店内にいた女の子が巻き込まれてドカンだ。ひでぇ騒ぎだったよ」
 それ以上は語りたくないと言わんばかりに口をへの字に曲げた惣治郎から、冴が続く言葉を引き継いだ。
「その女の子―――一條彩花ちゃんは内蔵破裂のショックで搬送前に亡くなっていたはず」
「犯人はどうなった?」
「心神喪失状態で責任能力が無いとみなされて、免許取り上げで放免」
 そんなことってあるかよ。訴えたモルガナの言葉こそ聞き取れていないだろうが、流石に今回ばかりは冴にも惣治郎にも、彼の意思を読み取ることができたのだろう。どこか物憂げな様子で彼女は腕を伸ばし、モルガナの小さな頭を優しく撫でてやった。
「責任なければ刑罰なし。覚えておきなさい、現代刑法の鉄則よ」
 お説教めいた言葉の裏には、幾ばくかの苦労が垣間見える。検察官を辞めて弁護士となった今も、やはりというべきか、彼女の前に立ち塞がる現実は厳しいのだろう。
 それでも冴は毅然として、背筋を伸ばして青年を見つめている。
「一條彩花は父親と二人暮しで、この父親が再審を求めて署名活動をしていたはず。結局裁判のやり直しは行われずじまいだけどね」
「……そうですか……」
 無意識のうちにだろう、青年の表情が苦渋によって歪められる。猫のほうも耳を寝かせ、顔をしかめさせている。
 そんな二人の様子を横目で窺いながら、惣治郎は再び舌を鳴らした。
「まあ、なんだ……加害者になるやつってのは、たいてい元は被害者ってことが多いんだよなぁ……」
「必ずしもそうとは限りませんけどね」
 冴のほうはフォローしてやるつもりもないのだろう。相変わらずの厳しい目で青年を見定めるように見つめている。
「それで、君はどうするの?」
 問いかけもまた厳然としていた。彼女は言葉の裏で深く探り入れている。一種おとぎ話めいた彼の正義が今もまだそこにあるのかと。
 彼は姿勢を正して答えた。
「俺は俺にできることをやるだけです。たとえ一條に娘を奪われた過去があったとしても、それを理由に見過ごすなんてできません」
 冴とモルガナは満足げに頷いた。
 惣治郎は、カウンターの向こうで肩をすくめている。
「若いねぇ」
「からかわないで」
 ツンと顔をそらして、拗ねたように唇を尖らせる様はまるきり子供のすることだ。惣治郎はニヤついた笑みを隠しもせず、また声を上げて笑ってやった。
 冴もまた釣られたように艶然として、行儀悪く頬杖をついて彼の顔を覗き込んだ。
「キミは会う度いい男になるわね」
「だからからかうのは――――」
 やめてくれ、と続くはずの言葉は差し出された彼女の指先、そこに挟まれたメモ用紙に遮られた。
「仕事用じゃなくて、プライベート用の連絡先。シゴトが片付いたら連絡して」
「へ……」
「待ってるから」
 メモ用紙は受け取る前にポケットにねじ込まれた。彼にはそれがからかいなのか、本気なのか、判別することはできなかった。
「おいおい、若いの誑かすなよ」
 言えど特別止めるつもりはないのだろう。惣治郎の声には面白がる様子こそあれ、咎める色は見受けられない。
 冴は彼に向き直って応じた。
「あら、マスターともあろう人が見抜けていないんですか? 彼―――もう立派な一人前の男よ」
「はあ? マジかよ」
 もちろんそれも、冴なりの冗談だろう。最低に下世話で低俗な、大人からの嫌がらせだ。
 やっぱり青年は、このたちの悪い大人たちのおもちゃにされている。
「モルガナ助けて」
「ワガハイしーらね」
 猫はすげなく鞄から抜け出して、一人で屋根裏部屋に上がっていってしまった。


 一夜明けた翌日、からかいつくされた頭領はまた疲労困憊しながら仲間たちに昨晩冴から入手した情報を仲間たちに受け渡した。
「その情報……えー、やっりづれ〜……」
 夕方のルブランにはいくらかの客の姿があったから、彼らは今屋根裏部屋に集っている。
 ダイニングチェアの背もたれを前に腰を下ろした坂本の陰鬱げな声は冷気とともに部屋を漂った。
「で、でもおじいさんおばあさんに襲いかかってることに変わりはないし」
「そうだよね。動機が復讐なんだとしても、被害に遭われた方は関係のない人たちなんでしょう?」
 ソファに腰を落ち着けた高巻と奥村が困り顔で言うことに、対面のベンチに座して鳥型のサブレを齧っていた佐倉が頷いて応じた。テーブルの上にはやわらかな黄色に塗装されたスチールの缶箱が鎮座している。
「うむ。その事故のじいさんはその後ホームにはいって一歩も外に出られてない」
 その隣では喜多川と新島が同じく缶に手を伸ばしている。彼らは怒りとともに個包装のパッケージを破りながら冷たく言い放った。
「そも復讐のために無関係の老人に危害を加えようとは、下衆の極みだ」
「そうね、結局はただの八つ当たりよ」
 下らない、と吐き捨てた喜多川と新島の口ぶりに、スツールに腰掛けたは肩をすくめてため息のような感嘆のようなものを小さく吐いた。彼女の手にもまた、鳥型のサブレがつままれている。
「容赦ないな。同感だけど……」
「ま、そのイチジョーってヤツのためにも改心はしてやったほうが良いだろうな。いずれ取り返しのつかないコトになっちまうかもしれん。そうなる前に歪みをいただいちまおうぜ」
 モルガナはストーブ前の定位置だ。火の温かさに最も近くしてなお彼は寒そうに身を縮こませている。
 一同の意見は改心の貫徹に肯定的だ。そのことに安心したのか、高巻は立ち上がって拳を握り締めた。
「だよね! 亡くなったコだって、パパにそんなんされて嬉しいわけないよ!」
 高巻の意見は至極真っ当であると言えたし、元より彼らを阻むのは心情などではない。
 坂本は座面に尻をつけたまま椅子を傾けて身を乗り出し、サブレを一つ摘まみ上げながら渋い声を発した。
「つって、じゃあどうするって話なんだよな。どうすんだよあの冷てぇハコ」
「仮に本人と接触するにしても、どう認知を変えさせるかが問題なのよね……」
 新島は重苦しいため息と、口の中の水分を奪っていくビスケット生地をまとめてお茶で流し込んだ。
「ふむ……先生のときのように、こちらであの鋼鉄の箱に該当する物を開けてはどうだ?」
「ホテル部屋に鞄だなんだはあったけど、あんな感じのは見当たらなかった」
「調べたかんじ、定住先はないし、トランクルームや貸倉庫を利用してる形跡もないぞ」
 怪盗たちは甘いサブレーに舌鼓を打ちながらうーんと揃って唸った。
「そもそもあの箱なんなん? 長方形のでっけえ箱」
 指先で空中に四角を描きつつ坂本が誰にともなく問いかける。
 はじめに喜多川がどこか虚空を見つめながら答えた。
「……ロールケーキ……」
「でけぇよ! 食べたいの!?」
 長さ一七〇センチ、幅六〇センチ、高さは五〇センチ。ロールケーキの世界最長記録は一四〇メートルだ。それよりはよほど小さいだろうが、あの箱に納まるとなればひと一人の胃袋にはとても収まるものではないだろう。
 続いたのは高巻だった。彼女はパチンと指を鳴らして瞳を輝かせている。
「あっ! チョコ!」
「だからでけぇよ! どんだけ入ってんだよ!」
 チョコレートの世界記録は厚さ二五センチ、縦は五.六メートル、横は二.七メートル、重さは実に四トン。当然それよりは控え目だろうが、しかし全員で立ち向かっても食べきるには数か月を要するだろう。
 新島もまた困り顔を浮かべて言った。
「恵方巻き……?」
「季節外れ! 食い物から離れて離れて!」
 年を越した来年の恵方は東北東。その方向に、その年の歳神がおわすと言い伝えられている。
 いつの間にかストーブ前に移動していた佐倉は迷惑がるモルガナを抱き上げて腕を掲げさせた。
「ねこ〜」
「たしかに猫ってああいう箱好きだけど! 何匹入ってんだよ!」
「猫じゃねーし!」
 お決まりのやり取りの後、奥村がのんびりとした調子で述べる。
「ベンチタイプのソファなんてどうかな?」
「まともなのきた! きたけどそれオタカラか……?」
 最後に真打が真面目そうな表情を装って言った。
「エアガンもああいう箱だな」
「でけぇっつってんだろ! 大砲かッ!」
 一通りモノボケを並べ立てた仲間たちにツッコミ続けた疲労感に、坂本は背もたれに身体を預けて脱力する。
「おつかれ、竜司」
 その肩をぽんと叩くのはだ。彼女はどこか敬意の念を宿した瞳を彼に向けている。
「チクショウなに黙って見てんだよ!」
「おもしろくて……」
「いっこも面白くねぇからっ!」
 喚いて立ち上がった坂本から一歩離れ、は抑揚のない声で彼に教えてやった。
「棺桶だよ」
「は?」
「箱。大きさ的にもそんな感じだったでしょ」
 これに、そうだなと当然理解している様子で仲間たちは頷いている。
「一條が犯行を重ねる動機が娘の死ならば、歪みの根源としても間違いないだろうな」
「箱が冷たかったのはアレだよね。ドライアイス」
「ご遺体の腐敗を防ぐために入れられるものね。おそらくあの箱の中身……一條のオタカラは娘の彩花ちゃんよ」
「そのものズバリじゃないかもだけどな。さすがに死体どろぼーはちょーっと」
「御免こうむりてーな。ま、開けりゃわかるだろうさ」
「念のため台車か手押し車を持ち込もうか?」
「採用」
 最後にパチンと頭領が指を鳴らして、お遊びはおしまいと話を打ち切った。
 坂本は、しばしの沈黙の後手近な同性であるところの喜多川に声をかけた。
「分かっててボケたの?」
「当然だろ。分かっていなかったのはお前だけだ」
「あそう。ちょい腕出して」
「ん? こうか?」
 なまっ白い腕が袖から引き出されるなり、坂本はわっしとその手首を掴み、もう一方の手、揃えて伸ばした中指と人差し指を勢いよく喜多川の腕に振り下ろす。ペチンと小気味の良い音が響いた。
「痛い! 小学生かお前は!」
「うっせばーか! ばーか!」
 小学校低学年のような返しをして不貞腐れた坂本はさておき、怪盗たちは本題に立ち返る。
「でも棺桶と仮定すると、厄介なのよね」
「燃やされちゃってるもんねぇ……」
 ううむと唸りあう高巻と新島の前に、軽い音を立ててモルガナが現れる。テーブルの上、蓋の閉じられた缶箱のさらに上。モルガナはやれやれと首と尾を振った。
「まったくしょーがねーなホント、ワガハイがいないとオマエらなんにもできねーんだから!」
「はよ言えねこ」
「猫じゃっ……いいや、今はいい。後で覚えてろ……コホン。原則、パレスはソイツの心の状態が反映された世界だろ? あれはカンオケそのものじゃねぇ。イチジョーが『ナニか』を『カンオケ』だと思い込んでる」
 猫の首がぐるりと回されて、全員に「ここまではいいな?」と確認する。全員―――坂本含む―――が頷いたのを見て、彼はさらに続けて述べる。
「たしかに現実でそれを探して開けるってのはいいアイデアだ。が、今回は事情が違ってきてる。まずそれらしい物がすでに失われてるっぽいのが一つ。中身に心当たりがあるってのがもう一つだ」
 肉球が缶箱を二回叩く。
 反応するようにが肩を震わせた。
「ああ……そうか、私たちが開ける必要はないのか。一條本人……パレスのどこかにいるシャドウに開けさせればいい」
「うんむ! エラいぞっ! そのとー、ンにゃ?」
 パタパタと尾を振るモルガナは、おかわりを求めた喜多川の手により缶箱から押し出された。
「であれば、シャドウをどうにかして呼び寄せねばならないか。餌でも置いてみるか?」
「それで誘き寄せられるのは祐介くらいでしょ」
 痛烈に跳ね除けたのは新島だ。彼女はもうお腹いっぱいだと缶箱を視界の外に追いやった。
「やっぱり認知の操作は必要なんじゃないかしら。一條が思わず箱の中身を確認したくなるようなことをしてやれば……例えばあれだけ厳重にしまってあった中身が外をうろついている、とかね」
 なるほど、と一同は頷きあった。
 しかし―――
「箱の中身は娘っぽいんだろ? その子って、その……」
 もう死んでいるのでは、という言葉を坂本は飲み込んだ。言わずとも皆理解している様子だったからだ。
 そしてこれに、佐倉がおずおずと手を上げる。
「パレスでなら、できる、はず」
「あ? あー……そういや、たしかに……」
「その節はたいへんお世話になりもうした」
 佐倉はまた、丁寧に頭を下げた。
 彼女は以前己の心に死した母親の幻影をつくり上げ、それによって自らを死の縁へ追いやっていた。そのころのことを言っているのだろう。
 頭目は優しく彼女に声をかけた。
「ええんやで」
「やさC」
「そのノリなんなの?」
 呆れて目を細める高巻に二人は顔を見合わせて肩をすくめた。
 さておき佐倉は続ける。
「わたしは、強烈な経験って下地があった。これはたぶん、あっちも同じ。次に、思い込み。わたしは獅童の手先連中に、おかあさんが死んだのはわたしのせいだって思い込まされてた。ここが重要」
 指を一本立てて、顔の前で振ってみせる。
「認知ってのは、まず五感によって知覚することからはじまる。たとえば、死んだ母親の遺書をたくさんのひとの前で読み上げられる―――わたしの場合は間違いなく、これがスイッチ」
 言って、佐倉は立てていた指をすり合わせてパチンと鳴らした。
「だから、やっこさんにこの現実で、娘の存在を強く意識させるような刺激を与えてやればいい」
「刺激かぁ。映画みたいに音楽や照明でも操作できればいいんだけど……」
 独り言めいた奥村の言葉に興味を引かれたのか、喜多川が首を傾げつつそちらへ顔を向ける。
 奥村は聞かれていたかと照れたように小さく頭をかいた。
「ほら、やっぱりそういうのって印象に残るでしょ? ホラーやサスペンスって」
「ふむ……そうだな、光の明滅は刺激という点では効果的だろう。音楽や効果音もまた背景美術とは別の観点から雰囲気や物語を彩るスパイスの一つとして―――」
「長くなりそう?」
「はい」
「じゃあ後でね?」
「はい」
 極めて優しく話題を打ち切られて、喜多川は沈黙した。
 しかしこれを掘り返す者がいる。
「いいかもな」
 癖のある黒髪を指先でいじりながら、彼は立ち上がって一同に笑みを向けた。それは底意地の悪い、一流の悪党のような笑顔だ。
 彼は己がたった今思いついた計画の初案を語った。

……
 男は幾度目かも分からない寝返りを打って、チッと舌打ちを響かせた。枕元のデジタル時計が示す時刻はすでに零時を越えている。
 身体はたっぷりと疲労しているのに眠れないのにはもちろん理由がある。
 精神の高ぶりが目を冴えさせているのだ。
 そちらの原因はほんの数時間前のこと。手慰みの労働を終えてこのホテルの一室に帰り着いた彼は、『Don't disturb』の札を下げていたはずの室内の様子がわずかに変わっていることに気が付いた。
 ルームメイド―――安ホテルにそんなものがいるのかは甚だ疑問だ―――が札を見落として勝手に掃除をしたのだろうか?
 思いつつ室内へ足を進めた彼の目に、ベッドの上の封筒が映った。宛先も送り主の名も無い、どこにでも売っていそうな茶封筒だ。
 訝しがりながらも男は封筒を手にとった。それなりの厚さと重さだが、彼にはこんなものを押し付けられる心当たりはなかった。封もされていない口を開けて中を覗き込むと、厚手の用紙が十枚ほどパンパンに詰め込まれている。
 フロントに文句をつけようかと思いつつ、彼は封筒を逆さにして中身をシーツの上にぶちまけた。
 悲鳴を上げなかったのは、単に男の身上ゆえだ。騒ぎを起こして衆目を集めたくない―――
 光沢のある用紙は、これもまたどこにでも売っていそうな印画紙だ。
 問題はそこに映された被写体だった。
 男にはかつて目に入れても痛くないほど可愛がっていた娘がいた。妻に先立たれた彼は、忘れ形見ともいえる彼女をお姫様のように大切に、丁重に、蝶よ花よと愛情のすべてを注ぎ込んだ。
 写真にはその娘の―――生前の姿が映し出されている。どこから手に入れたのか、幼稚園のお遊戯会、小学校の入学式、運動会、町内会の旅行、何気ない日常を切り取った写真のうちいくつかは、男がその手で撮影した覚えさえあった。
 戦慄とともに男の胸に激しい怒りがこみ上げた。
 いったい誰が、なんの目的でこんなことを―――
 発作のように燃え上がる怒りのまま写真に手を伸ばし、握り潰すなり破り捨てるなりをしようとして、しかし男にはそれができなかった。
 誰の仕業か分からぬが、どんな目的かも、意図も不明だが……
 それでも、娘の姿の印画されたものを傷つけることだけはできなかった。
 震える手でどうにか封筒に写真を戻し、目に入らないようにと鞄の奥底にしまい込むと、彼はシャワーも浴びずにそのまま床についた。
 けれど眠れず、こうして何時間ももんもんとし続けているというわけだ。
 ―――警察の仕業ということはないだろう。こんな嫌がらせめいたことをする理由がない。では、脅迫科なにかだろうか? 自分のしたことを目撃されて、黙っている代わりに金銭を要求する目的で……?
 考えたところで答えはでない。
 眠ろうと努め、きつく目をつぶってじっとしていると、そのうち睡魔がゆっくりと身体を覆い始めた。
 眠りに落ちる直前、彼はどこか遠くで、甲高く、しかし重い金属音を聞いた気がした。

 ノックの音に彼は身体を震わせて飛び起きた。
 時計を見ると、深夜の三時を回っている。
 こんな時間にいったい誰だと身体を起こす間も、控えめなノック音は響き続けた。
 寝る前に見た写真のこともある。もしやいよいよ警察がやってきたのかと息を殺してドアスコープを覗き込む。
 彼は再び悲鳴を上げないよう努める必要があった。
 何故なら扉の向こう、薄暗い照明に浮かび上がる廊下に、少女らしきシルエットが俯いて立ち尽くしている。
 それだけなら彼は布団に引き返し、頭まで潜って震えながら朝を待っただろう。そうしなかったのはその少女の姿に見覚えがあったからだ。
 彩花―――
 扉の向こうの少女は、男の亡き娘を思い返させる背格好と服装をしていた。
 他人の空似と鼻で笑い飛ばすこともできたはずだが、写真のことが頭にチラついていた。あの嫌がらせや脅迫と受け取れる封筒は、この不可解な現象に関連しているのか―――?
 考えている間に扉の向こうの少女は部屋主が不在とでも思ったのだろうか、静かに扉を離れて廊下の奥へ歩きはじめた。
 すると照明が瞬き、一度完全に闇に閉ざされる。再び明かりが取り戻されたとき、少女の姿はスコープの中に見当たらなくなっていた。
 いても立ってもいられず、男はもどかしげにドアのU字ロックを外し、鍵を開けて廊下に飛び出した。
 左右を見れど、もう少女の姿は見当たらない。
 しかし再び照明が落ち、また点灯すると、左手の廊下のずっと先に小さな背中が―――先にはいなかったはずなのに―――ある。
 男は思考と恐怖を放り投げてその背を追った。
 ―――彩花! 彩花なのか? これは夢か? それとも幻覚なのか?
 正体を確かめようともつれる脚を懸命に動かしたが、どうしてか男は決して歩いているはずの少女に追いつくことができなかった。追いつきそうになるたび照明が落ち、再び点いたときにはまた距離が空いているのだ。
 はめ殺しのはずの窓の外で強い風が唸り声を上げている音が異様に大きく響く中、廊下を駆け、階段を転がるように降りて、彼がたどり着いたのはホテルの裏手、従業員用の通用口だった。
 娘の姿は開け放たれた門の先、街灯に照らし出された車道のそばにあった。
 男は肩で息をしながら、ふらふらとそちらへ震える脚を向けた。娘は立ち止まってくれていたから、もう急ぐ必要はなかった。
 不思議なものが男の視界に飛び込んだ。
 はじめ彼はそれを真紅の蝶と勘違いする。しかしよく目を凝らして見れば、それは蝶などではなく、赤いグローブをした人の手だった。手は夜の闇の中に溶けるような黒衣から伸びている。
 いつの間にか娘のそばに、真っ黒なコートに身を包んだ怪しい風体の青年が佇んでいた。癖のある黒髪に、口元にはどことなくキザったらしい笑み。目元はなんということか、白のドミノマスクで覆い隠されているではないか。
 男は娘の危機を察して再び走り出した。不審な黒コートの青年は今やうやうやしく娘の手をとっているではないか。
「そこの変態野郎ッ! 娘から離れろ―――」
 飛び掛かろうと拳を握り、大きく踏み出した男はしかし、唐突に後ろから羽交い締めにされてそこで停止した。
 仲間がいたのか!
 抵抗しようともがいたが、後ろ手に捻り上げられた腕の痛みに、反射的にその場に膝をついてしまう。
「彩花っ! 逃げろ彩花!」
 男は声の限り叫んで娘に訴えたが、そのときにはもう青年の腕が娘を抱え上げていた。表情は窺えないが、嫌がっているような素振りはしている。
 男の背後から舌打ちが響いた。
 それとは別に、澄んだ女の声。
「ごめんなさいね、あなたにはここでご退場いただきたいの。あとは『こちら』のあなたに働いてもらいたいから……」
 身体を押さえつけているライトイエローの手とは別の、純白に包まれた手が伸びて男の頭を押さえつけた。と同時に、耳に平たいなにかが押し当てられる。
「おやすみなさい……それとも、おはようかしら?」
 懸命に横目で見ると、ネプチューンパープルに包まれた細い手がスマートフォンを掲げている。
 混乱した男の頭に直接叩き込まれるような騒音が鳴り響いた。それはどうやら、目覚まし時計のやかましいベルの音のようだ―――

 男は飛び起きてベッドから転げ落ちた。全身にベッタリと汗をかき、息はまだ乱れて心臓は早鐘のように打っている。
「い、今のは……夢……?」
 呆然としながらそばで燐光を放つデジタル時計を覗き込むと、ちょうど三時半になるところだった。
 さらなる明かりを求めてサイドテーブルの上のフロアランプに手を伸ばす。ぱっと広がった暖かな光は、幾分か彼を落ち着かせた。
 やはりあれは夢だったんだろう。あんな写真が置かれていたから、動揺して妙な夢を見たんだ。
 そう納得しようとして立ち上がるも、足裏にかすかな痛みを覚えてふらついてしまう。
 ついに部屋全体の明かりをつけようとヘッドボードに手を伸ばした。まばゆい光があふれ、一瞬だけ目が焼かれる。
 それもすぐに馴染むと、彼は改めてベッドに腰を下ろし、痛みを感じた足裏を覗き込んだ。
 どうしたわけか、そこには小石やゴミが付着して、小さな擦り傷までできてしまっている。まるで裸足のまま屋外に出てしまったかのようだ。
 彼はまた戦慄に身を固くした。
 鞄の底にしまったはずの封筒が、ドレッサーの鏡の前に置かれている。
 またその鏡には奇妙なものが貼り付けられていた。
 強烈な赤と黒のコントラスト。何年か前にやたらと流行った覚えのある意匠が中央に描かれている。
 震える手でそれを剥がし、裏面に目を通す。そこには長々男の罪状なるものが記されていたが、彼の頭に残ったのはただ『あなたの『悪夢』を頂戴する』という一文だけだった。

 男がほんの少し前まで確かに存在していた空間に、彼の娘の姿をした者がまだ居残っている。
「はああ……疲れた……」
 呻いた少女は実年齢に不釣り合いなパステルカラーのワンピースをうんざりとした様子で身体から剥ぎ取った。下から現れたのは派手な色合いに装飾の施されたボディスーツと、身の丈に合わない長剣だ。顔にはいつの間にか、仮面が貼り付いている。
「悪いがまだ働いてもらうぞ、ブレイド」
 語りかけたのはつい先ほどまで彼女を抱え上げていた青年―――一條に変態呼ばわりされたジョーカーだ。彼は拗ねた様子で足元の小石を蹴り飛ばした。
 そこへ他の仲間たちも駆け寄ってくる。
「あーっ! もう脱いじゃってる!」
 大げさに残念がりながらブレイドにまとわりつくのは、彼女の腕の中できちんと畳まれているワンピースを用意したパンサーだった。彼女こそがブレイドを一條の娘彩花に似させるために髪をいじくり、メイクを施した張本人だ。
 その際参考にするためと一條を刺激するための起爆剤として写真を用意したのがナビで、封筒を部屋に置いてきたのはモナだ。彼はそのまま部屋に潜み続け、一條が寝入ったのを確認してパレスに送り込み、予告状と封筒の再設置を行った。
 猫の肉球に無茶をさせんなと訴えつつも、彼はすでに空中で三回転を済ませ、クルマに変じてエンジンを唸らせている。
 その運転席ではクイーンがハンドルを握って皆を待っていた。彼女はジョーカーが立案した大雑把な作戦の成形を行い、自らは予備役としてずっとこの付近に待機していた。同じく待機していたスカルが一條を羽交い締めにしたのを確認して腕を取り、捻り上げて膝をつかせたのは、他でもない彼女である。
 さて、いじけるジョーカーをノワールが急かした。
 彼女が現場でしたことは多くない。せいぜい一條を現実に送り返したくらいだ。
 というのも今回の作戦、演出のほとんどは彼女の発案によるものだからだ。写真を用意させ、部屋に置かせ、一條をパレスに入れて娘に扮装させた誰かと接触させる下りはジョーカーの草案そのままだが、その後のライティングや効果音のタイミングは彼女が決めている。
 その演出のための操作を行っていたのがナビとフォックスで、二人は最後までホテル内にいる必要があったからか、全員がモルガナカーに乗車してしばらくの後にやってきた。
「おっせぇよなにしてたんだよ」
「あんだけ刺激したんだぞ。ホテルんなか巡回の警備員がうじゃうじゃだっ」
「大した連中ではなかったが、数がな……」
 二人がシートに腰を下ろすなり、クイーンはドアが閉ざされるのを確認もせずアクセスを踏み込んだ。

……
 狙い通り出現した一條のシャドウは大わらわで箱に巻かれた鎖を封じる南京錠を外し、蓋を開けて中身を確認してくれた。
 予告状によって具現化した中身、彼のオタカラもまた予想通り、物言わぬ娘の彩花嬢で、なんとか間に合った怪盗たちはその場に突貫、煙幕を張りながらシャドウを『ブッ飛ばし』て娘を奪い盗った。
「完っぺき不審者だよねこれ」
「草。うける」
「笑えねぇよ」
 これもかねてからの計画通り、ピクリともしない少女の肉体を手押しの一輪車に乗せてひた走る怪盗たちの姿は、パンサーの言う通り、アブない集団としか思えない。良くて誘拐犯、悪ければ死体を盗み出して悪さをしようとする悪魔崇拝グループだ。悪質さという点では、どちらも優劣つけ難い。
 ここまですべては順調だったが、ただ一つ計画と違っていたのは―――予想はできてはいたが―――怒り狂った一條のシャドウに追いつかれてしまったことだろう。
 それもどうにか、なんとかして撃退し、彼らは崩壊しはじめたパレスから命からがら脱出した。

 舞い戻った彼らを出迎えたのは白みはじめた冬の空と、一輪車の上の小さなぬいぐるみだった。
 おそらく娘の持ち物だったものだろう。本物はおそらく持ち主とともに火葬されている―――
 クラッシックなデザインのクマ。耳にはタグ。状態も良いとなれば、売ればそれなりの金にはなるだろう。
 しかしパレスの中とはいえ娘の遺体だったものをと思うといささか気が引けてくる。
 さてどうしようかと頭を悩ませつつ、彼らは判断と処理を頭領に預けてその日は解散することにした。
 なにしろ日付はとっくに変わっている。
 十二月二十四日、クリスマス・イブの朝のことだった。


 さて、左手にクマのぬいぐるみを、右手に猫入りの鞄を担いだ青年は、三々五々に散っていった仲間たちをどうやって再集合させようかと画策していた。
 去年はさほど苦労もなかった。ごく普通にみんなで遊ぼうと呼びかけたらみんな来た。一部はやや強引な手を用いた気がしないでもないが―――
 今年はどうしよう。医療ドラマは面白いが、全員のお眼鏡に適うかと言われれば、何人かが脱落してしまいそうだ。
 やはりここはゾンビものかファンタジー……
 ガードレールのそばを歩いていくつかの候補を頭の中で並べる彼の肩を、モルガナは何度も叩いたし声もかけた。
 しかし彼はクラクションを鳴らされるまで彼女がやってきていることに気が付かなった。
「連絡してと言ったでしょう」
 どことなく拗ねた調子で言ったのは誰あろう、新島冴だ。
 半年ほど前に発売されたばかりの国産4ドアセダンを路肩に寄せ、歩道の青年をじっと見上げている。
「どうしてここに?」
「ここだと聞かされたからよ」
「誰に―――」
 青年ははっと息を呑んで目を見張った。
 何故なら振替休日の早朝、まだ車通りもまばらな四車線道路を挟んだ向こう。朝日に照らし出された見知った姿―――つい先ほどまで一緒にいた友人が、彼に両手を合わせて拝むようなポーズを取っている。
 声は届かないが、しかし動いた唇から言葉を読み取ることくらいはできた。
『あいつに借りを返せるのってこういうときくらいなんだよ、悪ィな!』
 拝む男―――坂本竜司との二人は、通う大学こそ違えど目指す先の類似性から、しょっちゅう額を突き合わせて修業に励んでいる。
 その折坂本がに師事を仰ぐことは想像に難くない。元より坂本はそれを目当てにしている節すらある。もちろんにもそれなり以上の利得はあるのだが―――
 見た目や言動の軽薄さとは裏腹な義理堅さは坂本の魅力の一つだ。しかし今このときばかり、青年は友人の妙味を恨んだ。
 つまり、彼は坂本に『売られた』のだ。
「あ、あいつ……!」
 思いもよらぬ裏切りに拳を震わせながら腕を振り上げるも、届くはずもなし。坂本は笑って手を振り、地下鉄の階段を駆け下りて行ってしまった。
 うめき声を上げて腕を下ろした青年に、冴は皮肉っぽい笑みを浮かべて喉を鳴らした。
「話は聞いてるわよ? 今日くらい相手のいる子にちょっかいを出すのは止めておくのね。そのうち怖い人に捕まるわよ」
「今まさに捕まりそうだけど」
「それじゃ、他の子のところに行く? 真、今日の予定空けてたわ」
「お姉さんは妹さんの味方?」
「私は私の味方」
 冴はそれ以上はなにも言わず、ただクイとあごをしゃくって己の隣を示してみせた。
 じゃあワガハイは、そういうことで。
 薄情な靴下猫はとっくのうちに鞄から抜け出して猫道に消え、軽くなった鞄の中からはひっきりなしに通知音が鳴り響いている。
 青年は、がっくりと肩を落として冴の隣に腰を下ろした。シートベルトを着用して。
「よろしい。この時間に飲むお酒は最高よ」
「未成年です」
「だからに決まってるでしょう。免許取ったのよね? 帰りお願い」
「足扱いかよ……!」
 広々としたシートで足をバタつかせたところで、彼はもう逃れ出ることはできなかった。
 車はすでに動き出している。

 朝日の中を二人は並んで歩いている。人通りはまばらで、吐く息は白く、覆い隠すもののない頬には刺すような冷気が触れている。
「ふわぁ……」
 あくびなどした日には、下の付け根にまでその冷たさが襲いくるようだ。
 喜多川は眠気に支配されそうになる腕をどうにか動かして口を覆い隠した。
 隣を早足気味に歩くは、そんな彼の仕草に苦笑しながら問いかける。
「眠い?」
「さすがにな」
「お疲れさま」
「お前も」
 身には疲労と眠気がたっぷりと詰まっているが、どちらもじゃあここで別れて帰って寝ようとは言い出さなかった。
「今からやっぱりキャンセルなしはできないよね」
 シゴト前にキャンセル連絡を入れた宿泊先のことを思い返して言うものの、彼女の声には諦観の念が垣間見える。
 それは受けて答える喜多川にしても同じことだった。
「残念だが、そうだろうな」
「だよね」
 あーあとため息を一つ。これもまた白く染まってかき消えた。
 たぶん、おそらく、絶対に無理ということは無いだろう。強力なコネや金の力があれば、あるいは叶う願いなのかもしれない。ただし二人にはそのどちらにも心当たりがない。
 フォローするつもりもなさそうに喜多川はまたこみ上げるあくびを噛み殺した。
「それに行ったとて、すまん、着いた瞬間に寝そうだ」
「だよね……私も。あー……」
 ゾンビのようなうめき声を上げたの足元もしっかりしているとは言い難い。
 いよいよウトウトし始めた彼女の首根っこを転ばないようにと捕まえながら、喜多川はやっと言うべき言葉を白い息とともに吐き出した。
「寝るか」
「んー……ちゃんと電気料金払った?」
「何ヶ月も前の話を蒸し返すのはやめてくれ。あれは単に支払いを忘れていただけだ」
 かかと笑う少女への意趣返しと掴んだままの首根っこを揺さぶってやる。それでも彼女は笑ったままだ。疲労がピークに達してテンションが上がっているらしい。
 やれやれと手を放すと、は笑ったまま数歩先へ踏み出した。
「家に篭って寝てたほうが安全かもね」
 ふり返った彼女は満面の笑みを湛えている。
 喜多川は頷いて、高巻にいじくり回されてまだ癖のついたままの前髪を払ってやった。
「起きたら売れ残りのケーキとか探しに行こっか」
「なるべくやつの行動圏から離れた場所へな」
 その『やつ』とやらが今ごろ年上のおっかないお姉さんに捕まってお説教を喰らっているとはつゆ知らず、二人は顔を見合わせて笑いあった。
 もちろん双方ともに心の底から彼を疎ましがっているわけではない。もしも仮に彼が首尾よく友だちのお姉さんのところから抜け出せて襲撃を仕掛けてきたとして、その情報を行き渡らせこそすれ聖夜に相応しいごちそうを施してやるくらいはするだろう。
 そのころには報を聞きつけた仲間たちもまた笑いながら合流してくれるはず―――
 どちらに転んだとしても、今日明日を楽しく過ごせることに変わりはない。あくびを噛み殺しながら二人もまた地下鉄駅に繋がる階段を下って姿を消した。