Extra Stage:2/14

 退寮の期日が間近に迫ったこの日。やっと新たな住処の目処も立ったと安堵して自室に帰った喜多川祐介は、部屋に入ってすぐに異変に気がついて痩躯を緊張で満たした。
 高校三年の二月、通常授業をすべて終え、試験結果を待つのみとなった彼は相変わらず一人部屋だ。
 そこに置かれた荷物は少ないから、出ていくとなっても業者に頼む必要もない。知り合いを頼って車の一台でも出してもらえれば十分すぎるくらいに事足りるだろう。
 そんな寒々しい、明かりの落とされた室内に何某かの気配と物音を感じて、喜多川は警戒を漲らせつつ電灯のスイッチに手を伸ばした。
 パチンと音がして、カーテンさえ無い部屋に明かりが灯される―――
 絵の具の散ったフローリング床の上に申しわけ程度に敷かれたブルーシートと丸められた薄い布団、立て掛けられたキャンバスに画材と本の山。着替えや生活用品を押し込んだプラスチックケース。
 それらの中央に、見慣れない大きさの、真新しい無地のダンボール箱が置かれている。
 気味が悪いと思ったのは箱に心当たりが無いということより、それがガタガタと小刻みに揺れ、うめき声を発していることにだった。
「なんだ、これは」
 手にしていた荷物を床に置き、独り言とともに恐々歩み寄る。足音に反応したかのように箱の動きとうめき声は激しさを増した。
 なんの変哲もない茶のダンボール箱だ。高さは五〇センチもあろうか、かなり大きめのサイズで、ガムテープで厳重に封がされている。
 喜多川は首をひねった。箱の周囲をぐるりと回って見てみても、送り状のようなものが見当たらなかったのだ。
 つまりこれは宅急便の類でなく―――あったとしても留守中勝手に置かれていった時点で充分不審だが―――直接誰かがここへ置いていったということになる。
 ドアに鍵はかかっていた。窓にも。だというのに一体誰が、と考えたところで、一人の人物が頭を過った。
「……?」
 己に会いにドアからやってこない不躾者なんてこの世に一人しかいない。しかし彼女であれば鍵が掛かっている時点で不在を悟り、出直すくらいはしてくれるはずだ。
 疑問に思いつつ封をするガムテープに手を伸ばす。一息に剥がすと、中から梱包材らしき発泡スチロールのかけらとともに脚が二本、揃えて天井に向けて突き出された。
「うおっ!? なんだ―――」
 目をみはったのは、その脚が長いスカートの上からビニールロープでぐるぐるに巻かれていたからだ。
 慌てて、少年は蓋を開け広げて中を覗き込んだ。
っ!?」
「むがーっ!!」
 思っていた通り、箱の中には恋仲であるはずの少女が梱包材に埋まっていた。人の言葉を返してくれなかったのはその口にゴム素材らしき猿轡が噛まされているからだろう。
「……なにをしているんだ」
 涙目になってぶるぶる震える少女は怒りに顔を歪めている。よく見ると脚だけでなく、腕も後ろ手に縛り上げられているではないか。
 何者かになんらかの危害を加えられたのかと思いきや、ロープは接触部の下にタオルや緩衝材が挟まれ、暴れてもその身が傷つかないように工夫が凝らされている―――
 自縄自縛と思うには手間こそかけられているが、ビニールロープの描くラインは趣向が凝らされているとは言い難い。
 喜多川は眉をひそめて再び語りかけた。
「あんまり美しくないな」
「むーっ! むー!」
 ガタガタと箱全体を揺るがして暴れるを見下ろして、やっと少年は気がついたと腕を伸ばした。
「なんだこれ。どうなっているんだ……」
「んぎぎ……むむぅっ、おっひ!」
「こっち? ああ、これか」
 頸部の付け根、頭の後ろで金具が髪に埋もれている。少年は慎重に、豊かな黒髪の一筋も傷つけてはならぬと取り外す―――
「あ」
「うぎっ!」
 苦悶の声とともに巻き込まれた何本かがはらりと抜け落ちる。
 喜多川はいくらか乱暴に猿轡を引っこ抜くと、ごまかすように優しげな笑みを向けた。
「大丈夫か? まったく誰がこんなひどいことを」
「はあ、はあ……いいから解いてくれよぉ……」
「ちょっと待っていろ。はさみを取ってくる」
 固結びされたロープを手で解くことは早々に諦められ、鋏が当てられる。ヒヤリとした鉄の感触がむき出しの腕や脚に触れるたび、は歯を食いしばって小さく呻いた。
 それもすべてが取り払われると気が緩んだのか、箱から飛び出るとほっと息をついて鋏と同じくらい冷たい床の上にへたり込んだ。
「はあぁ……助かったぁ……」
「いったい全体なにがどうなったらあんなことになるんだ。イリュージョンに失敗でもしたのか?」
「フーディーニじゃあるまいに、なんで私がそんなことをしなきゃならないんだよ。アイツだよ! アイツ!」
 途端表情に怒りを取り戻し、歯を剥いて唸り声を上げるが語って曰く。
 例の黒髪の少年と簡単な勝負をしたらしい。モルガナが課題として持ち込んだ南京錠が三つ。どちらのほうが早く解錠できるかで。
 少女が勝ったらちょっとお高いアイスで、少年が勝ったら―――
「罰ゲーム?」
 語られた言葉に喜多川はむっと眉を寄せた。
「……縛られて箱に詰められて、俺の部屋に放り込まれるのが、罰ゲームなのか?」
 ねぐらであるこの部屋をまるで魔境かなにかのように扱われては、流石の喜多川も思うところがあるらしい。とはいえ彼が三年次も結局一人きりの部屋で過ごす羽目になったのはそれなりに理由があってのことだ。夜になると女の声がするとか、不在のはずなのに物音がするとか、不気味な笑い声が響くとか―――
 噂の半分を構成する少女はバツが悪そうにうつむくと、そこが本題ではないのだと箱の中に手を突っ込んだ。
「こういう……」
 引きずり出されたのは赤いサテンのリボンだ。
 はしずしずと己の髪にそれを結びつけた。どうやらもとはそこにあったものが、箱の中でもがくうちに解けてしまったらしい。
 しかしそれが意図するところを理解できず、喜多川は首を傾げた。
「どういう?」
「だっ、だからぁ……くそぉ、なんで私がこんなこと……」
「負けたからだろうに」
「うるさいなっ! 僅差だったんだ!」
「声を抑えてくれ。いや、もう追い出されてもさほど困らないからいいんだが」
 それでも凍て風が身にしみる季節だ。野宿は少し戸惑われると切に訴えられては打つ手なし。は歯をギリギリと鳴らしながら、赤い顔を少年に向けた。
「だからっ……よくあるだろ、ぷっ、プレゼントは私、みたいな……」
 多大な恥じらいとともに吐き出された台詞に、少年はやっと合点がいってぽんと手を打った。
 打った上でまた首を傾げる。
「誕生日なら先月祝ってくれたばかりだろう」
「だからーっ!」
「声」
「うぐぐぐ……!」
 うめき声とともに奇妙なパントマイムを披露して、はがっくりと肩を落とした。
「だから、日付を見ろよ……」
 こぼれたか細い声に喜多川はスマートフォンを取り上げる。ロックを解除するまでもない、日付と時刻はそこに大きく表示されていた。
 二月十四日の十九時四十七分。
「あ」
 間の抜けた声をもらして顔を上げた少年の目の前には、恥じらいと屈辱によって震える少女が正座している。
 そうかそういうことかと口元を緩ませる喜多川に、は慌てて言葉を言い連ねた。
「あいつ、思考が昭和なんだよ! 絶対許さない、こんなことやらせるだけならともかく、拘束されたときは気でも触れたのかと……!」
「落ち着け。まったく、お前たちは本当に仲が悪い……というわけでもないのか。ほどほどにしておくことだな」
 勝負事をするため同じ席に着く状況自体、それなりに仲が良くなければ発生しないものだ。おそらくは緩衝材として双葉もそこに居て、勝敗決したのち大人しくここに運び込まれたのはきっと彼女がやれと命じたからだろう。
 推測を見抜いているかのようには鼻を鳴らした。
「ふんっ! だいたい、自分がプレゼントってなんだよ。どんだけ自信あるんだ。ばかばかしい」
 怒り心頭とむくれる少女は微笑ましいが、それを見つめる喜多川は器用に片眉だけを上げて不可解さを表している。
「ないのか?」
 問いには「なにが」と問い返した。
 喜多川は部屋の隅、退寮に備えて積まれた荷物のうちの一つへ目をやった。その中、丁寧に梱包された桐箱に視線は定められる。
 もまた同じものへ顔を向け、それによって想起されるものにハッと大きく息を呑み込んだ。
 当然、少年の脳裏にもまた同じ情景が描かれている。彼は少し照れくさそうに頭をかいて、頬を赤く染めて告げた。
「君はそれを、もうすでに一度、俺にくれただろう」
 そして己はそれを受け取った。その後から今日まで、幾度となく。
 蘇る記憶とそれに伴う言い難い感覚に、は顔を怒りとそれ以外の諸々で真っ赤にして震えはじめた。
「……うるさいな!」
 そして耐えきれないと箱の中にすばやく戻り、閉じこもる。
 喜多川は苦笑して閉ざされた箱の蓋を叩いた。
「こら、出てこないか」
「うるさい……ほっといてくれよ……」
 返された声は涙に濡れている。事実として泣いているわけではないだろうが、そういう心地ではあるのだろう。
 喜多川は長期戦の構えを取って箱のそばにあぐらをかいた。
「……つまり、お前自身は今日この日のための贈呈品でないということか」
「そっ……そうだよ。なんでこの私が、そんな恥ずかしいことしなきゃならないんだ……」
「ふむ。では、ゼロなのか?」
「なにが?」
 彼は箱にもたれかかって応えた。
「チョコ」
 沈黙が部屋を満たした。
 しばしの後、箱の内部からゴソゴソと身じろぎする気配と音。
 天岩戸がかすかに開かれ、そこから上品なブラウンに金の意匠が施された小さな紙袋が差し出される。どうやらどこかのショコラトリーのものらしい。
 喜多川はうやうやしくそれを受け取った。
「ありがとう。嬉しいよ」
 わずかな蓋の隙間に向けて甘やかな声で囁いてやると、箱はびくっと怯えたようにうち震えた。
 愛でるように箱を優しく一度叩いて、少年は立ち上がる。
「さて、白湯くらいなら用意できるが、飲むか?」
 蓋は閉ざされたままだ。
「……うん。飲む。寒い……」
 しかし確かに返された声に、喜多川はほくそ笑んで頷いた。どうせ受け取るためには出てこなくてはならないのだから、今はこのまま放っておこう、と。
 おまけにこの部屋の寒さだ。暖を取ろうと思えば必然的に彼女はこちらへ近づいてくる。
 となれば、しかる後もう一つのプレゼントも滞りなく頂戴できることだろう。
 浮かれ気分を隠すつもりもなく、少年は台所へ飛び込んだ。